JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

×

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

箱根一泊旅行 (その4… New! オジン0523さん

2026年5月 京都府立… New! 隠居人はせじぃさん

【椿 名前が分からぬ… Gママさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん
noahnoah研究所 noahnoahnoahさん

Comments

オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

Calendar

2019.03.18
XML
カテゴリ: 海外旅行
窓から外を見上げると、王宮前の山の頂にムーアの城跡が再び。



見張り塔には旗が棚引いていた。



窓の下には「皇太子の庭園 (Jardim dos Principes) 」が見えた。
美しく幾何学的に刈り込まれた庭園の植栽。



「紋章の広間」への壁の宗教絵画。



「紋章の広間」への壁の宗教絵画。



案内図。



シントラ宮殿のハイライト観光の「紋章の広間」へと進む。




「紋章の広間への廊下」からの「紋章の広間」入口の彫刻も見事。
マヌエル様式の豪華な門で部屋が仕切られていた。



「紋章の広間への廊下」の壁にはドラゴンの紋章のタペストリーが。
周辺にいちごや、ラズベリー?等々……植物がたくさん描きこまれていた。



「紋章の広間」の入口横の絵画。
マヌエル1世であろうか?



次の、「紋章の広間(Sala dos Brasões)」はシントラ宮殿で最も見事な豪華絢爛の部屋。



16世紀、ポルトガルの最盛期に君臨したマヌエル1世の絶大な権力をものがたる部屋。
壁にはアズレージョで狩猟の光景が描かれているのだと。
天正遣欧使節がこの王宮を訪れたときには、すでにこの「紋章の広間」は完成しており、
使節もこの広間に通されたはず。

ヨーロッパの地を踏んだばかりだった彼らは、度肝を抜かれたに違いないのだ。
大航海時代の覇者ポルトガルの財力を見せつけられたことであろう。
部屋の中央に大きな机と椅子が。



天頂はポルトガル王家の紋章。
そして、その下に8人の王子の紋章が並んでいた。







中央のポルトガル王家の紋章をズームで。
コインを含んだ盾を十字状に5つ配置した紋章。



また、ポルトガルの貴族の紋章が72個描かれていると。
あのバスコ・ダ・ガマの紋章もあると。
壁の凹んだ部分まで、びっしりと丁寧に、見事なアズレージョで彩られていた。



アズレージョに囲まれた部屋。



天使のアズレージョ。


アズレージョを追いシャッターを次々と。
















ピンボケの写真も多く・・・。



 そして次に「アフォンソー王 6世の部屋」
彼はジョアン四世の子供だったのだが、子供のころに大病を患い、身体が不自由であったと。
そのためか、政治家には向かず、不幸にも狂気に襲われ、1683年に死ぬまでの間、
9 年間も弟によってこの部屋にに幽閉されていたのだと。



宮殿内に鉄製のバーがある唯一の部屋。
シンプルな内装のベッドチャンバー刑務所の床は、15世紀前半に建てられた
イスラムのモザイクとタイルが混在していると。



中国の調度品が数多く並べられた「中国の間(Sala Chinesa)」。



シャンデリア。



送られたマリア王妃。



部屋の奥に飾られている白い置物は象牙で、18世紀にマカオから贈られたパゴダ(仏塔)。



金箔を使った漆塗りの屏風。
屏風はポルトガル語で 「 ビョンボ 」 と言うのだと。



礼拝堂。
この王宮で最も古い建物
アラベスクの壁と床は、マヌエル王の王妃が、スペインのアルハンブラ宮殿を参考にして
造らせたと。



天井の幾何学模様はアラブ風。



天井の飾りは「アルファルジュ装飾」と呼ぶのだと。
天井に架けられている絵は、左手に地球を持つ神様を描いたもので、平和を願っている
ところであると。



別の角度から。



たくさんの鳩の絵がフレスコ画で描かれていたが、これ、全部微妙に向きが違うのであった。

CIMG2847.jpg

奥の十字架をズームで。



十字架の下のアズレージョ。



床のタイル。



「アラブの間(Sala dos Arabes)」へ。



もとは、ドン・ジョアン一世の寝室として造られた部屋であると。
ジョアンⅠ世の長子ドゥアルテⅠ世は、この宮殿を非常に好み、長く滞在した。
彼は、建物の使い方や、進化を了解するのに非常に価値のある記述を残している。
この宮殿を好んだ証拠として他に、ドゥアルテⅠ世の嫡子アフォンソⅤ世はシントラで
1432年に生まれ1481年にシントラで亡くなっていると。
アフォンソⅤ世の子ジョアンⅡ世 は、シントラ宮殿でポルトガル王即位を宣言したと。



「アラブの間」にある噴水。



ズームで。
アラビア人がこの水盤を中央に据えてパーティーをしたことから由来しているのだと。
この王宮は、最初はムーア人リスボン総督の住居であったと。



壁のタイルが美しかった。



「客間(Quarto de Hóspedes) 」。



ジョアン一世が祈りの部屋、着替えの部屋として使用したのだと。



ジョアン1世の天蓋付きの見事なBED。



ソファーベッドと、左側の銀色の皿。



なんと、ひげそり用の皿であると添乗員から。





                 ・・・​ つづく ​・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.11.01 23:48:49
コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: