JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.10.03
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カテゴリ: 国内旅行
寒霞橋』が再び前方に。



『三溪園 昔むかし 21 月影の茶屋』。
「屋根は杉皮葺きであろうか、隣接した田舎家の風情にあわせた簡素な建物である。
詳細は不明であるが、園遊会などの際に茶の接待などに用いられたものと考えられる。
明治41(1908)年の新聞(横浜貿易新報)記事によれば障子に”白露の里 月影の茶屋”と
記されているとある。今ではこの月影の茶屋も田舎家もその姿はなくなってしまったが、
周辺の山里の風情は変わらずにいる。」



旧燈明寺本堂の手前にあった石像・『大漁地蔵』。



『待春軒』。




名物はやはり原三溪考案という、『三溪そば』であると。



『三溪園 昔むかし 22 待春軒』。
「寒月庵(No.13)と同じく、もと江戸の豪商 川村伝左衛門(迂捜)が所有していたもので、
栃木県大嶹(おおしま)製糸場内から移された建物。場内にあった明治12(1879)年には、
アメリカ合衆国第18代大統領を務めたユリシーズ・S・グラント(1822-1885)が日光滞在中の
ある日ここに遊び、昼食をとったという。
三溪園に移築後、この建物には”御やすみ、お茶御随意 待春軒”という案内書きがつけられ、
初音茶屋(No.14)と同じ湯茶の接待を行っていたほか、さらには句会・歌会や茶会などの
席としても場所を提供していたようである。」



『三溪園 昔むかし 23 待春軒より横笛庵、六角堂を望む』。



『三溪園 昔むかし 13 寒月庵』。
「三溪が所有していた製糸場の一つ栃木県大嶹(おおしま)製糸場内から移された建物。
かつては江戸の十人衆の一人といわれた赤穂藩出入りの豪商・川村伝左衛門(迂叟)が
所有していた草庵で、元禄の頃(18世紀)には忠臣蔵で有名な大石内蔵助がたびたび
遊んだといわれる。
昭和26(1951)年伊豆山の旅館に移され、現在跡地にこの林洞庵が建てられた。」



東屋の『初音茶屋




『林洞庵(りんどうあん)』



『林洞庵』
1970年(昭和45年)建築。

宗徧流林洞会から寄贈された茶室です。
屋内には流祖山田宋
宗徧筆” 林洞”の板額があります。
八畳の広間と四畳の小間からなっています。



そして池の先に垣間見えて来たのが『旧燈明寺本堂』。



本牧三之谷にある『三溪園茶寮』まで足を延ばす。



『月影の茶屋』・『雁ヶ音茶屋』と粋な名前のおやすみ処。



『旧燈明寺本堂』。



『旧燈明寺本堂』。
重要文化財、室町時代建築。
燈明寺は現在廃寺となっていますが近年まで京都府相楽郡加茂町に所在した日蓮宗の寺院です。
寺伝によりますと聖武天皇の勅願によって天平7年(735)に開創されたといわれています。
この建物は、様式上、室町時代初期に建てられたものと推定されます。
昭和22年の台風で被害を受けた後解体し保存されていましたが、昭和62年(1987)に
三溪園に移築されました。



『三溪園 昔むかし 24 皇大神宮』。
「寒月庵(No.13)、待春庵(No.22)とともに栃木県大嶹(おおしま)製糸場内から
移された建物。三溪園は、梅・桜のほかに秋草の名所としても知られ、秋にはこの皇大神宮の
石段の上からフヨウやオミナエシ、ハギ、ススキなどの花野が眼下一面に眺められたという。
昭和20(1945)年、空襲の爆撃により消失。現在、鳥居や石段・灯籠の一部が残るのみである。」



『三溪園 昔むかし 25 皇大神宮から楠公社への道』。
「園路の傍らにベンチ2基が置かれ、その背後の山すそにはススキやノギクなどが咲き乱れる。
季節は秋である。三溪園の秋草は、遠く群馬県高崎から取り寄せられたもので、
見ごろの季節にはこの風情を味わいに訪れる来園者も少なくなかった。
ベンチの脚にデザインされた”丸に花菱”は原家の家紋である。」



『三溪園 昔むかし 26 夕日ヶ岡と稲荷社』。
「夕日の射す時刻に美しいながめが見られることからの名であろうか。
山の斜面の中腹には稲荷社の鳥居が見える。
稲荷社は、由緒など不明で空襲により消失したのか、現存しない。」



『三溪園 昔むかし 27 杉の茶屋』。
「名のとおり、屋根ばかりでなく壁面にも杉皮が張り込まれた建物。柱や梁などの
木部も皮付きの杉材が用いられていたようで、写真からも野趣に富んだものであった
ことが想像される。
詳しくは不明であるが、休憩所として、また催事などの際に茶の接待所などとして
用いられたものであろう。空襲の爆撃により消失。」



『三溪園 天満宮』。



この天満宮はもと間門天神といい、三溪園にほど近い間門の旧家高梨家の先祖が
本牧の丘の中腹に建てたものです。
昭和52年(1977)三溪園に移されました。



『天満宮』と書かれた新しい扁額。



『天満宮 拝殿』。



『観梅俳句大会 入賞句』。



『観心橋』。



大池の中にある島の四阿(あずまや)、『涵花亭(かんかてい)』。



『三溪園 昔むかし 28 楠公社と観心橋』。
「楠公とは、南北朝時代の武将・楠 正成のこと。社殿の建物は、もと大坂・観心寺に
あったもので、楠 正成が建武元(1334)年に建立、自らの守護神・牛頭明王を祀ったと
伝えられた。三溪園へ移築後は、高村光雲門下の彫刻家・米原雲海作の楠公の木彫像が
安置されていたが、空襲の爆撃により社殿と楠公像はともに失われた。
現在の天満宮の鳥居脇にある欠け落ちた狛犬は、楠公社があった頃からのもので空襲による
破壊の痕が生々しく残されている。
手前にかかる橋は観心橋で、その名は楠公社の由緒(観心寺)による。」



『観心橋』から見た『天満宮』。



『旧燈明寺三重塔』も見えた。



島の四阿・『涵花亭』。



『涵花亭』の木造ベンチには猫がのんびりと。



『観心橋』を再び、その先に『天満宮』。。



三溪園の入口方面に向かって進む。
左手には『大池』が。



『八ツ橋』を渡る。



『藤棚』に向かう途中『大池』を見る。



舟が静かに浮かんでいた。



夕日を浴びて光る『大池』。



そしてこの日((8月24日(土))の長い一日の『港・ヨコハマ』巡りの予定の
全ての行程を終わり、三溪園入口からバスにて桜木町駅に戻り、地下鉄で帰路に
ついたのであった。

                              ・・・​​ もどる ​・・・

                  ・・・完・・・





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Last updated  2019.10.03 00:00:19
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