JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.08.17
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カテゴリ: 平塚市歴史散歩
「妙楽寺」を後にして「八王子道」に戻ると、右手角にあった石碑と社。



「田村 こまかへ𣘺 駒返橋 跡」碑。



「田村駒返橋跡
ここは、臨済宗妙楽寺の門前で古くから馬継の場であったので駒返橋の名が発生したものと
思われる。
古歌に
ふるさとを たちいでる幾月ぞ 夕月あおぐ 駒返の橋
天正十八年(一五九〇)徳川家康が関東に入国すると、このあたりは家康の最も好んだ

田村の人たちがたたみを出して運行の便宜を図ったので、家康は田村の人たちの苦労を
思んばかって、ここから馬を返したという伝説がある。」
「 馬を返した」とは山路等で、道を馬で進むのが困難になって、そこから先は馬では進めない
ため、乗ってきた馬を下りて、馬を返すこと。



もう1基の石碑には「庚申供羪塔」と。
天保13年(1842)1月
山伏角柱
右側面「天保十三壬寅正月吉日」
台 石「講中」
台石右面「世話人」・11人の名 が。



祠の中には「道祖神」碑と「五輪塔」。

右側後方の石塔:安永7年単体像:烏帽子を被る。
       <形>舟型 <材>凝灰岩 <寸>42×25×13 
       <銘>(正面)安永□年下町 戌正月十四日氏子
中央に新しい石塔:<形>自然石 <材>安山岩 <寸>52×28×11 
         <銘>(正面)道祖神




少し戻った右手奥にあったのが「諏訪神社」。
神奈川県平塚市田村7丁目7−9。



「諏訪神社」の鳥居と社殿。
住宅街の民家と民家の間にぽつんと鎮座しているが、地域の人々に大事にされているのだと。



扁額「奉納 諏訪神社」。



内陣。



「田村下町 諏訪神社新築落成記念 平成九年四月吉日」碑。



次に訪ねたのが「常勝寺」。
神奈川県平塚市田村7丁目6−47。



「真言宗 宝幢山 常勝寺」。



「本堂」。
高野山真言宗寺院の常勝寺は、宝幢山と号す。
常勝寺は、金輪寺の僧だった宥雄(寛文3年・1663年寂)が、小田原にあった常勝寺を
引寺して創建したと。



本堂の扁額「宝幢山 常勝寺(ほうどうざん じょうしょうじ)」。
文化八年(1811)相模川の大洪水の際、当時の住職覚厳和尚が住民のために入定したと。
「入定」とは、高僧が断食・生き埋めなど苦行の果てに絶命すること と。



立派なそして歴史を感じさせる「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」。
この宝篋印塔は享保20年(1735)建立、基壇部分には、田村の人の名前が刻まれていた。
「宝篋印陀羅尼経(ほうきょういんだらにきょう) 」を納めた供養塔を宝篋印塔 と云う。
最上部の棒状の部分は相輪と呼び、頂上に宝珠をのせ、下に請花、九輪、伏鉢などと呼ばれる
部分がある。相輪の下に露盤と階段状を持つ笠 があり、笠の四隅には隅飾(耳)と呼ばれる
突起がある。笠の下の四角柱の部分は塔身という。
江戸時代のものは、飾(耳)と呼ばれる突起が反りかえりひらいている。



その左に小さい石仏が左向きで。お釈迦様の姿であろうか。



この石碑は?



地蔵尊。



「常勝寺」の前の道沿い東側にあった墓地。
ここが「常勝寺」の墓地なのであろうか?



立派な石塔があった。



再び相模川の堤防に向かう。



堤防に上がると正面にあったのが「駒返幹線排水樋管」。
排水路や支川が堤防を横断して川へ流れ込む場合に、堤防の中をトンネルのように通り抜ける
ものを樋管または樋門という。
堤防を分断し完全な開水路で通り抜ける場合の構造を水門という。
水門はゲートを閉めたときに堤防の役割を果たす。



「駒返幹線排水樋管」案内板。



「神川橋」を振り返る。



さらに相模川の右岸堤防を南下する。



人の姿はなく相模川の右岸堤防を独り占め。



堤防を下りてこの先を右折する。



左手に「平塚市 リサイクルプラザ」。
市内から発生する資源再生物のうち空き缶類、ビン、ペットボトル、容器包装プラスチックの
4品目を合理的かつ経済的に処理し、有価物として鉄、アルミ、ビン、ペットボトル、容器包装
プラスチック(プラクル)を資源化するための中間処理施設の工場部門と、廃棄物の減量化・
資源化及び環境負荷の低減について理解することのできる施設の啓発部門を併せ持つ施設で
あると。



その先にあった水路。



「鹿見堂都市排水路」。
神奈川県平塚市四之宮7丁目。



橋の名は「しのみやはし(四之宮橋)」。



そして到着した場所は「田村の一里塚の跡」。
この辺りは平塚で最も古い道で平安時代の奥州道と云われ、後に中原街道・八王子道として
利用され、榎を有した一里塚が設けられていたと 。
東海道の平塚の一里塚が日本橋から15里60キロですから、中原街道では田村の一里塚が同じ
地点になるのであろうか?そして中原に一里塚があるから、田村から中原まで一里4キロと
なるのであろう。



「南 中原道 北 奥州道
ゑの木需?一里塚 跡」。
石柱の建立年は不明であるが、なぜ石柱や石仏が左側の道に向いて、裏側の古道に向いて
いないのかが不思議であるが。



「田村の一里塚の跡
ここに平塚で最も古い道の一つで、平安の昔の奥州道であったといわれ、後に徳川家康が、
江戸城から相州中原(平塚市中原)の宿舎まで、鷹狩にくるのに用いたと言う中原街道と
いわれる重要な街道があった。
このあたりに、東海道などと同様に一里塚が設けられ、榎が植えらていたという。
「新編相模國風土記縞」には八王子道にかかる一里塚であるとの記述もあり、このあたりでは
中原街道と八王子道は、同一であったと思われる。」



碑の右側の社の中の石仏。



神奈中のバス停「鹿見堂橋」。
家康が雨宿りした時に鹿を見かけたという鹿見堂は残らず、バス停にその名を留めるのみか。
鹿見堂橋と、家康が箸(はし)を地面にさしたら森になったという弘法大師みたいな話の
「箸立の森」はここより少し南にあったようだ。



右手に「四之宮交番前」交差点。
神奈川県平塚市四之宮5丁目29−13。



更に南に進むと正面にT字路が。



右に進むと「神奈川県下水道公社(四之宮水再生センター)」と。



「神奈川県下水道公社(四之宮水再生センター)」入口が左側に。



「四之宮水再生センター」は、相模川河口から5km上流の平塚市四之宮(ひらつかし しのみや)
に位置し、昭和48年6月に流域下水道として、神奈川県内で最初に処理を開始した。
相模川流域の関連市町3市2町(平塚市、伊勢原市、厚木市、大磯町、愛川町)の下水を処理。
現在は、1日に306,150m3/日最大の下水を処理する水処理施設や汚泥処理施設が稼働している。



「四之宮水再生センター」の航空写真をネットから。



そして再び相模川右岸堤防に辿り着くと案内板があった。



「四之宮の渡し
江戸時代、幕府は相模川の架橋を禁止し、相模川の渡河は幕府が定める馬入や田村の渡しに
よって行われていました。相模川の対岸に飛び地を持つ村々は、飛び地に開けた農地を
耕作するため独自に渡し場を設けていました。四之宮の渡し場の一つでした。
江戸時代のはじめ、徳川家康が江戸と中原御殿を往来した時、四之宮の渡しも利用していた
ようで、その時の話が「四之宮の逆さ舟」「箸立の森」などの言い伝えとして残っています。
実際の渡し場の位置は、川の流れの変動に応じて目久尻川合流点付近から前鳥神社付近の間で
たびたび移動していました。四之宮の渡しは昭和 30 年( 1955 )頃まで使用されていましたが、
その後廃止されました。」
神奈川県平塚市四之宮4丁目20−37。



昭和20年代の渡し(岸田實 画)。
ここ「四之宮の渡し」のすぐ上流には、幕府直営の「田村の渡し」が設置されていた。
ここは「中原街道」と、大山と江ノ島・藤沢を結ぶ「大山道」共通の渡し場だったとの
ことだが、現在この場所には「神川橋」が架けられているのであった。
そしてここ「四之宮の渡し」は江戸幕府「直営」の渡し場ではなく、近在の村々が利便を
図るために独自で設置されたとのこと。
でありながら、鷹狩りで頻繁に訪れた徳川家康も利用していた と。
徳川家康もいわゆる「白タク」ならぬ「白フネ」を利用したのだろう。



「四之宮の渡し」の南側にあったのが「平塚 四之宮霊園」
神奈川県平塚市四之宮4丁目20−8。



「平塚 四之宮霊園」の墓地を見る。
平塚市の中央に位置し、大山、丹沢山系を望む平塚エリア初の大型公園墓地。



南側に「湘南銀河大橋」を見る。
手前に「横浜都筑リトルシニアグラウンド」と「西湘パワフルズ 四ノ宮グラウンドがあった。



「湘南銀河大橋」をズームして。
神奈川県高座郡寒川町と平塚市を結び、神奈川県道44号伊勢原藤沢線(湘南新道)を通す
相模川にかかる道路橋である。
橋の名称は公募され、2371通の応募の中から「天にそびえる2本の塔に支えられ相模川をまたぐ
壮大さと360度の広がりで見渡せる湘南の雄大な展望に、無限に広がる宇宙の夢、希望」
(選考理由より)をイメージした「湘南銀河大橋」に決定したのだと。
外観は、ペイブリッジなどと同じ斜張橋で、二本の主柱の高さは路面から48m。
長さは520.3mで往復4車線と両側の歩道が設けられている。
2007年7月までに片側2車線で本供用し、国道129号とも接続した。



相模川河川敷にある「湘南銀河大橋ゴルフ」方向を見る。




                              ・・・​ もどる ​・・・



                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2024.08.28 07:48:40
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