JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.09.29
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カテゴリ: JINさんの農園
ーー​ ​​​​ がこの日・(その45)の散策ルート。



「中華街」の「玄武門」を後にして「中区役所前」交差点を渡る。
そして「 横浜公園 」の「中華街側出入口」を入って行った。



「横浜公園」。



「横浜公園」案内図。現在地はココ。



左奥には池があった。



造園技術伝承研修会を実施しました
平成2 9年より、毎年開催している「造園技術伝承研修第会」も今年で6回目を迎えました。
一般社団法人横浜市造園協会と横浜市との協働で、ここ彼我庭園を題材にして、造園の
「横浜マイスター」※1 大胡周一郎氏を、講師に招き、竹垣製作実習、実演見
学を行いました。
※1横浜マイスター事業
貴重な技能・技術の継承及び普及活動などを通して、技能職の振興を図ることを目的に、市民の
生活、文化に寄与する優れた技能織者を「横浜マイスター」として選定する本市事業。」


日本庭園風の池と流れが。



飛石を渡る。





蹲踞(つくばい)と水琴窟 」。



「蹲踞(つくばい)」と水琴窟
茶席へ入る前に手とロの中を清潔にするための場所を蹲踞と言います。
蹲踞は、清水をためる手水鉢・寒い季節には水で手を洗うと冷たくなるので、湯で洗うため、
湯を入れた桶を置く湯桶石・暗くなった時のランプを置く・手燭石・手を洗う時に乗る石を
前石と言います。
水琴窟は、洗った水が地下へ排水される時に発生する音を楽しむ装置です。
日本庭園において滝の音・松風の音とともに日本庭園における音を楽しむ最高の趣味と
なっています。」



「水琴窟の楽しみ方」。
この棒を網の所に立てて聞いてください(水を流してから)。



岩亀桜の石灯籠 」。



「岩亀楼の石灯籠
横浜公園一帯は江戸時代の末期までは入海で、安政三年(一八五六年)に理立てられ太田屋新田と
いった。
横浜開港にともない、新田の沼地約一万五十坪が更に埋立てられ、港﨑町と命名され、その中に
岩亀楼などが開業し国際社交場として栄えた。
港﨑町一帯は慶應ニ年(一八六六年)の大火(通称豚屋火事)で焼失し、跡地は当時在留の外国人の
要望で公園として再生することにきまり、明治九年(一八七六年)日本最初の洋式公園(横浜公園)が
誕生した。
当初、彼我公圏(ひがこうえん)と俗称され、明治三十ニ年(一八九九年)神奈川県の所管から
横浜市の管理に移り、市民に公開され今日に至った。
この灯籠は、妙音寺(南区三春台)から横浜市(横浜開港資料館)に寄贈されたもので、石に刻んで
ある「岩亀楼」の文字から、岩亀楼にちなむものであることがわかる。
岩亀楼は、はじめ港﨑町に建てられ、慶應ニ年の大火て類焼、以後ニ転三転して明治十六年
(一八八三年)永楽町に移り、明治十七年に廃業した。
この灯籠は明治初年頃のものと思われるが、いつ妙音寺に移されたかは判明していない。
震災、戦災によって多くの文明開化期の遺物を失った横浜にとっては貴重な文化財の一つと
いえよう。」



彼我庭園 」入口。



明治9年(1876)に開園した横浜公園は日本最古の公園で、外国人「彼(ひ)」と日本人
「我(が)」の双方が利用できたことから「彼我庭園」と呼ばれていた。




横浜公園は我が国初の洋式公園である山手公園に次いで古い公園で、横浜の発展と共に歩んで
きました。
開港当時、在留外国人の生活環境改善を求めた条約に基づき、遊郭や沼地の跡地に整備され、
1876年(明治9年)に開園しました。広く一般にも公開され、外国人(彼)と日本人(我)の双方が
利用できたことから、当時は「彼我公園(ひがこうえん)」といわれていました。
日本庭園は、1909年(明治42年)に横浜市に公園の管理が移管され、「横浜公園」と改称された
頃に作られました。接収によりー度は取リ壊されましたが、1978年(昭和53年)の横浜スタジアム
建設と同時期に再び整備されたものです。
この庭園門は、横浜公園の日本庭園にふさわしい名称として、「第33回全国都市緑化よこはま
フェア」を記念し、彼我の友好と平和が深まるようにとの願いを込め、「彼我庭園」に定めて
銘板を付したものです。
屋根には、横浜発祥のフランス瓦である「ジェラール瓦※」の複製(レプリカ)を葺さ、足元には
「煉瓦」を配置しています。明治の開港期に外国文化をいち早く取り入れた、横浜の国際交流の
歴史と文化への思いを表現しました。
※ジェラール瓦:明治初期に、フランス実業家のA.ジェラールが現在の元町公園一帯に工場を
        建てて製造した。日本で初めて本格製造されたフランス瓦と言われています。」


横濱公園起工碑」。



「横濱公園起工碑
横濱公園は明治九年を以って創建せる我国最古の公園なり 初は神奈川縣の所管なりしか
同三十二年來横濱市の管理に歸し同四十二年に至り改造に着手し漸く整美を得たり斯くて
大正十二年九月大震火災の際本市の大半猛火に蔽はるゝや多數の市民は緑陰池邊に避難して
危くも九死に一生を得たる
今次復興事業として新公園を起工するに方り裏面鐫刻の有志惣那惟次郎外諸氏は發起して
特に樹栽を資け以て美化の一助に供し併せて再生謝恩の意を表せんとするや忽にして曾て
避難したる人々の賛同一和を得て計畫の遂行を告けたるは今にして之か美擧たるや論を
俟たす殊に幾百星霜の後其の鬱蒼繁茂の状を観んか必すや回想の念の禁せさるものあるへ
志仍て茲に由来を禄して之を他日に傳ふと云爾
昭和四年三月
 横濱市長正三位勲二等 有吉忠一」。



横浜DeNAベイスターズが本拠地を置く「 横浜スタジアム
「横浜スタジアム 東ゲート広場にあった「 噴水 」。



人工芝、両翼94m、センター118m、35,384人(プロ野球開催時最大34,046人)の
収容人数、令和2年増築・改修工事竣工の横浜スタジアム。
メインスコアボードと照明塔。



屋外の「BAY BEER HOUSE」。



売店は準備中。



2015年3月に誕生した「DREAM GATE」は、バックスクリーン下の横浜公園側に位置。
“BE A STAR”☆“DREAM GATE”と。
この日は中日戦がナイターで行われるとのこと。



コロナ禍の影響か「 水の広場 」には水はなく。



「ベイスター通りの「すず風舗装」」



「ベイスター通りの「すず風舗装」
都市では、道路舗装やコンクリート建築物の蓄熱、冷房機の廃棄熱等により、気温が郊外に
較べて高くなるヒートアイランド現象が発生しており、横浜市では「温暖化防止の取組」を
積極的に進めております。
ここべイスターズ通りでは「すす風舗装事業」として、車道舗装面に保水した水分の気化熱で
舗装表面の温度を低下させる保水性舗装や保水機能のあるプロックを歩道に実施しました。」。



そして「横浜スタジアム」を後にして「みなと大通り」を横断し、「常盤町通り」に入り
前回も訪ねた「 神奈川県電気発祥の地」 を再び。
「明治23年10月(1890年)横濱共同電燈會社が、この地に火力発電所を建設し、神奈川県の
初めての電力供給も開始いたしました。
当時の発電所は出力100キロワットの石炭火力で、お客さまは約700軒でした。」



隣にあった
横浜ベイスターズ優勝記念モニュメント 煌(きらめき) 」も再び。



横浜ベイスターズ優勝記念モニュメント 煌(きらめき)



このモニュメント「煌」(きらめき)は、ベイスターズが横浜の球団となって始めての

1998年シーズンリーグ優勝・日本一を記念して、ファンの皆さんから寄せられた基金により
完成しました。
権藤博監督の胴上げシーンの銅板レリーフを中心に、優勝メンバー全員のブロンズ製手形が並び、
横浜スタジアムに向かって打席に立つ石井啄朗選手会長の足形が床に埋め込まれています。
「煌」の再来を期待しつつ、ファンの皆さんと横浜の元気を願ってつくられました。
                         2000年3月吉日」。



煌 KIRAMEKI 」。



打席に立つ石井琢朗選手会長の足形 」であると。
2022年からは横浜DeNAベイスターズの一軍野手総合コーチを務める。
今年のベイスターズは? 私はヤクルトファン!!



1998年(平成10年)10月26日、球団としては38年ぶり、横浜ベイスターズとなってからは
初めて日本シリーズを制した。
この優勝を記念して、建てられたのが、「横浜ベイスターズ優勝記念モニュメント「煌」」
当時の選手の手形が並んでいた。優勝当時の監督、コーチ、選手全員40名分の手形。



権堂博監督を胴上げする姿が。



右から監督:背番号72 権藤博、投手コーチ:77 斎藤明夫の手形。



右から打撃コーチ:背番号78 高木由一、ヘッドコーチ:80 山下大輔の手形。



投手:22 佐々木主浩の手形。



主将・遊撃手:5 石井琢朗の手形。



一塁手:10 駒田徳広の手形。



投手:49 阿波野秀幸の手形。



巨石。この意味は?



「寄贈 松村千賀雄 殿」と。



反対側から。



そして、横浜市営地下鉄「関内駅」に向かったが、地下鉄の駅はJR関内駅の近くにあると
勘違していたのであった。



よって再び横浜スタジアムを見る。



メインスコアボード。中央に日本国旗、右には日本野球機構(NPB)旗、中日ドラゴンズ旗
そして反対側にはセ・リーグ旗、横浜DeNAベイスターズ旗が既にはためいていた。



そしてなんとか尾上町の1番入口から地下鉄関内駅の改札口へ。



そして湘南台駅に到着。
地下鉄のホームから地下のコンコースに登ったところにはモニュメントが。
一見チェロのように見えたが、「コンポジション 交通と街」という標題で望月直登氏の制作に
よるもの。
宝くじの普及宣伝事業として整備されたものと。



そして小田急線に乗り換え、帰宅の途についたのであった。

                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・つづく・・・





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Last updated  2022.09.30 12:02:01
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