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土曜日、娘の習い事の関係で、帰宅が遅くなり・・、就寝は0時を回っていた。明け方近くなり・・、一緒に寝ている暑がりの娘が「寒い、寒い」と言う。”おかしな”と思い、体を触ると、ものすごい熱さ・・・。熱を測ると、39.8℃。きゃあ~、インフルエンザかも?と思い。次の日日曜日だったため、急患にかかる。たくさんの親子連れでごった返していた。が、インフルエンザの検査をしても、陰性でただの風邪とのこと。自宅で安静にとのこと。ずっと39℃台から下がらず・・・。ようやく、今朝から熱が下がり始めた娘。しかし・・、今度は私が調子が悪い・・・。うつされたか・・・。頭痛がして、体の節々がだるく・・、痛い。私が倒れるわけにはいかない・・。なんとか気力で頑張らなくちゃ・・・。こうして書いているときも、娘は高熱との闘いでぐったりとしていて、まだ吐き気がするということで、横になっているし・・、私は私で・・、ちょっと、厳しい・・。いろいろ今年始まってからもあるけれど・・、”YES, WE CAN.”で頑張ろう~。皆様も風邪・インフルエンザにはどうかご注意を。
2009.01.27
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オバマ氏のことが知りたくて、(そして婦人のことも)本屋でその関連の本を読み漁りました。CNN English Expressが発行したCD付きの”オバマ演説集”まで思わず購入してしまった。次回”オバマ大統領就任演説”も発売されるそうなので、ぜひこちらも購入したいとおもっている。今、私はこのオバマ氏、および夫人に勇気づけられている。そして僅かながらだが・・、希望の片鱗が見えてきた。オバマ氏の生い立ち、家庭環境および、黒人系として人種差別を受けてきた背景。人種差別はいまだに色濃くアメリカ及び白人社会に根強く残る・・・。アフリカ出身の父親と中流家庭の白人の母親との間に生まれ、母親の2度の結婚・離婚。複雑な家庭環境。しかし・・、オバマ氏は逆境に耐え、それをパワーにしてずっとチャンスを待っていたにちがいない。夫人との出会い、プロポーズ。アメリカでは徹底的な皮膚の色に関する人種差別がある中で、最も色の黒い肌の色を持つうちの一人の夫人だという。その夫人がファーストレディとしてアメリカ、世界の頂点に立ち、世界中の注目を浴びている。オバマ氏と並ぶとほとんど変わらないBigな夫人は身長180センチあるそうだ。白人社会、黒人社会はもちろんのこと・・、黒い肌を持ち、さまざまな屈辱を受けてきた女性達の自尊心までも変えていくことになるだろう。とても希望を感じた。胸がわくわくした。私自身の人生にも明るい希望の光が見えた。今後自分が目指すべきもの・・・。理想とするもの・・・。まだ具体的になってはいないが、自分自身の生き方、また今後どのような方向性において、子育てをしていいのかという漠然なものが見えてきたような気がした。現実に押しつぶされそうになっていた自分が、少し勇気付けられている。ぶれてはいけない・・。本当にありがとう。私も頑張ります!”Yes,I can."私自身に向かって・・。そして・・、娘と一緒に”Yes, We can"と毎日叫ぼう!
2009.01.23
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アメリカの大統領にオバマ氏が選ばれ、今月の20日に就任式があり、実は思わず家族で夜通しTV中継ライブで興奮しながら観てしまった。今までずっとアメリカの大統領選を見つめていた。アメリカはどう動くのかと・・・。今回の100年に一度と言われる金融危機・世界的恐慌もアメリカ発であるし、アメリカはなんだかんだいっても世界を動かしている大本である。ブッシュは個人的には大嫌いだった。悪の根源はこいつではないかと、ニュースで流れるたびに思ったものだ。世界の不幸はこいつが原因ではないかと思うくらいに・・。特に正義の名の下で始める戦争が許せなかった。ブッシュ=アメリカみたいに思ってしまうところがあり、ブッシュ率いるアメリカが嫌いになっていく自分がいた。そんなアメリカに犬のように尻尾を振って付いていく、従属関係になっている日本に対しての苛立ち、アメリカを除くすべての国々が団結し、アメリカに立ち向かったらどうか等と冗談半分にアメリカ嫌いの戦争体験者の父親とよく話が盛り上がっていた。だから・・、ブッシュの次にはどんな大統領が立つのか?ずっと注目していた。やはり・・、アメリカの国民が何よりも冷静に自分の国の状態、そして世界を見ていたに違いない。初のアフリカ系アメリカ人が圧倒的な支持を受け、大統領になった。今回改めてアメリカの偉大さ、スケールの大きさ。自由主義、多民族国家としてのアメリカの良き部分を久々に見させていただいた。これこそ、本来のアメリカが求めるべきもの・・。何よりも神が祝福を与える国。そしてそれ故のアメリカの今後の世界の国々に対する責任も問われ続けていくとは思うが、本当に頑張っていただきたい。日本は今後どうするのか?メディアで見るところの日本は本当にちっぽけなものになってしまったような気がする。その小ささは何たるものか・・。特に政府・政治家に対し・・・、そして日本の未来に対して、国民はどれだけ希望を感じているだろうか?混迷し方向性が見えてこない日本。やはり・・、アメリカを中心に諸外国に振り回され、これからも翻弄されていくしかないのだろうか?国内さえまともに整備できないまま・・・。頑張れ!日本。勤勉さ・忍耐力なら負けないぞ!地味だけど・・、なんてかつての日本のいいところを言ってみたりする・・。本当の意味での精神教育はすべきなのではないかと思います。変な新興宗教ではなくて・・・。
2009.01.23
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ずっと日本を脱出したことがなかった私(厳密に言えば韓国だけは何度か行っていた。もちろんUC関連で)がいよいよUC海外宣教師・世界平和を掲げたWFWPの一員という名の下にヨーロッパ・アフリカ大陸・アメリカ合衆国と、渡り歩くことになるのだが。どの国もキリスト教の歴史があり、文化・教育・思想・芸術・・すべてが根付いていた。(どんな活動をして、何をしていたのかを書いてしまえば、私の素性が知れてしまう危険があるので、敢えてこれ以上は書くことができません。抽象的な描写しかできないことをご承知ください。)特に感慨深かったのは・・、イタリアに住み、そしてバチカンに訪問したことである。カトリックの総本山でもあり、その威厳・厳粛な雰囲気。そこに刻まれた歴史の重み。そして芸術品の数々・・・。確かにキリスト教は神と共にいた。そこには神様が歩まれた歴史があった。私の心は歓喜で震えていた。しかし・・、悲しいことに、私はそれらすべてを統一原理・統一思想というものと統一教会でいうところの文師を中心とする神の摂理と照らし合わせ、そのことを土台として、感動し心震わせ、歓喜の、感動の涙を流し・・、神様に感謝してしまったのである。この道で歩めることの感謝と感涙の涙を。そしてまた改たに自分の一生をこの道に捧げ、祭物となって歩むことを力強く決意したものだっだ。この間の日曜日、カトリック教会の礼拝に参加し、そこはカトリックの厳粛な雰囲気のある教会でした。シンボルのイエス様の十字架が教会のセンターに置かれてありました。決してUCの教会にはない・・・。海外での私の体験を、それらの教会のあらゆるもが、私に思い出させることになりました。原点に戻らなければならないのかもしれません。もう一度自分自身の”もと”を探さなければならないのかもしれません。まだまだ私自身整理がついていないということを再認識させられています。私は自分で自分自身をごまかしてきたのかもしれないと、心の奥底で声がしました。
2009.01.21
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思えばキリスト教精神には子供心ながら、ずっと憧れていたことを思い出しました。小学校低学年の頃読んだ大好きだった人たちの伝記”シュバイツアー””ナイチンゲール””マザーテレサ”すべてがキリスト教精神に根付き、その生き方があるような気がします。芸術・文化・音楽に関しても私が大好きだったものは、そのほとんどがキリスト教文化でありました。建築物にしてみても、キリスト教に影響されたものばかりに惹かれました。おのずとヨーロッパに興味が沸くのは自然なことでした。つづく・・・****
2009.01.20
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随分前からキリスト教会に行こうとは思っていました。現に心がUCから離れていっていたときに、パパの家族が信じていたバプテストに1年ぐらい家族で行っていたことがあります。しかし、そこにいた幹部の人たちがUCのそれに似ていて、上下関係がはっきりとしていて、とても私たちニューフェイスにには入り込めない雰囲気があり、パパの方も日本での教会の雰囲気の違いに抵抗を感じていて、参加するのが苦痛になって行きついには行かなくなってしまいました。それから・・、何かに救いを求めたいと思いつつ・・、やはり、UCでの経験がキリスト教はもちろんのこと宗教団体に対し、強烈な抵抗感と嫌悪感をどうしも抱くことなり、気にはなってはいたものの、避けてきました。しかし、パパも、親族にはパスタもいるぐらいの代々家族が元々熱心なクリスチャンであり、ずっと求めてはいたのでしょう。今仕事が暇になり、時間が出来たという事もあり、この間突然”カトリック教会に行って来る”と言って一人日曜日に礼拝に参加していました。その後、彼が心穏やかになって帰ってきました。私自身とても行き詰るものを感じていたので、近くのカトリック教会(実は何年も前からそこの場所は把握していて気になっていたところでした)に行こうと決意しました。ということで・・・、18日の日曜日午後からの英語版の礼拝に家族で参加してきました。なかなかいろいろな思いが私の心の中でぐるぐると交差してしまい・・、しっくりはきませんでした。私は何を求めているのだろうか?私にとって本当にこういう場が必要なのかとか・・・。すべてこれからのような気がします。自分探し・・。私はどうやって生きていくのか?このままこの結婚生活を続けていくのか?いろいろな形で追い求めていきたいと思っています。自分の居場所。探しています。そう自分の人生をどう生きていくのか?宗教関連はどうもUCの後遺症がまだまだ残っていて・・、抵抗感が否めません。ゆっくり、ゆっくり・・、自分がしっくりすること・・、求めていることを探していきたいと思います。できたら・・、できたら・・・。自分の人生をやり直したい。できたら・・・できたら・・・。家庭生活を再出発したい。正常な形の結婚生活を・・・・。自分の気持ちに素直になりたい・・。
2009.01.19
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離婚すること・・。それは私が本当の意味であそこから離別できる、するということなのでしょうか?究極の選択なのでしょうか?いよいよそこに踏み込まなければならない時がきたのでしょうか?いずれは判断しなければならないもの・・。祝福家庭で家庭を持ち、そして子供もいて、脱会・離婚にいたったケースをいろいろ知りたくなりました。もしよかったら、いろいろ教えてください。ぶしつけで申し訳ございませんが・・、どうぞよろしくお願いします。
2009.01.15
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ギブスがほんの数日前にはずれました。ホンと嬉しかった一番嬉しかったのは、お風呂にきちんと入れたこと・・・髪の毛洗うどころか、まともに体さえ洗えなかった日々人に会うのも嫌で、ここ1ヶ月家族しか会っていなかったぐらい。ギブスとれた暁に自分のためにお風呂を沸かし、贅沢にも一人ゆっくり入ってしまいました。”ああ~幸せ~”こんなにお風呂に入れることが幸せなことか・・・・。ようやく治療の半分まできました。あとはリハビリです。足が完全に固まってしまい・・、歩き方を忘れてしまったみたい。骨折って大変なんですね。皆様もご注意を。それから・・、労災関連。手続きやら書類をそろえるのが本当に大変で・・・。精神的にストレスをかなり受けました。まだ書類の方、途中です。会社の方・・、病院の方と私が中間に入り、いったりきたり・・。ふ~っという感じ・・。労災関連。まだ途中経過です。もうゆっくり構えるしかないか・・。非常に手間がかかります。書類がそろうまで支払いはすべて私の実費というのも頭が痛かった・・・・。医療費って高いですね。
2009.01.15
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昨日、久々に夫とバトルを繰り広げてしまいました。(私は最初”夫婦喧嘩と書いたが、バトルに書き換えた。なぜなら夫婦というにはあまりにも滑稽な二人だからである)夕食の後、家族団欒とパパの日本語勉強も兼ねて、日本語のかるたをやりました。このかるたは幼児用であり、表にひらがな、後ろにその文字の書き順が丁寧に書かれてあります。娘が札を読み、私とパパで競うという形。(競うといっても、もちろんパパにいかに取らせてあげるかという感じだが)そしてすべて取ったかるたの裏を見てなぞって練習させていました。はじめは上機嫌のパパ・・。私たちも楽しみながらやりました。私もかなり気を使いながら・・・。しかし・・・、途中であまりにもわかっていないということに気付く・・。文字を読んでいないで、かるたのカードの絵を見て連想してやっていました。こりゃいかん・・と思い、かるたが終わった後、パパに”そのかるたのカードを並べて私と娘の氏名を並べてみて”と言ってみました。気になり、顔をみてみると、笑顔をもってやっています。まだ機嫌はいいということを目で確認しながら私はそう言ってみました・・・。というのもパパは突然怒り狂うことがあるから。特に日本語に対して、なぜか触れられるのに抵抗があるらしい・・・・。私と娘の氏名ぐらいは大丈夫だろうな・・、という密かな思いを抱きながら。しかし、私のほのかな期待は完全に裏切られました。一文字もわからないではないか!なんたること・・・。私のはいいにしてもどうして愛する一人娘の名前がひらがなでわからないのか?日本に来てとうとう10年が経ってしまいました。本当は簡単な漢字だって覚え始めてもいいくらい・・。せめて・・・せめて・・・、娘の名前ぐらいは。本当にショックだった。声にならなかった・・・。悲しかった・・・。情けなかった・・・。また蘇ってきてしまった思い・・。”なぜこんな人と結婚してしまったのだろう!私はなぜ、断らなかったのだろう!”どうしようもない後悔の思い・・・。”離婚したい!!”強烈な心の叫び・・。思わず、パパを目の前にして吐き出してしまった、私の溢れた思い。「もう駄目だ、私!やっぱり離婚しよう!」娘の目の前で久々に言ってしまいました。ずっと言わないでいた・・。諦めていたし、封印していた私の思い・・。思わず私は吐き出してしまった・・。「もう10年経つんだよ、私と娘の名前すらまだ日本語でわからないなんて、あなたはきっと私のことも娘のことも愛していないんだね!」と私は吐き出していました。パパはそんな私の思いなんて受け止める器がないことは十分に判りきっていましたが、さすがに、またいつものように逆切れされて怒り出したのにはショックを通り越して・・、とても悲しくなってしまいました。そんな様子に娘は泣き出す。娘はパパとは会話が成り立たないので、パパに言うことができず、私にすべてつらい気持ちをぶつけてくる。私も辛かった・・。娘が顔を覆いながら、わんわん泣いている。その顔を横目で冷めたまなざしで見て部屋から出て行ってしまったパパ。あまりにも酷すぎる。娘がかわいくないのか!!男はこういうものなのか?母親とは違うのか?私も初めは自分のやりきれない辛い気持ち・悲しい気持ち・なぜこんな男と結婚してしまったのだろうかという後悔しても仕切れない激しい自分への怒り、情けなさ。そういった自分の気持ちに一杯一杯だったが、傷ついて激しく泣き崩れる娘を見たら、強く自分自身の気持ちを立ち直し、気丈に振舞うことしかできずにいました。”私がしっかりしなくちゃ”と・・。なぜ、この人はこんな自分のことしか考えず、精一杯なのか?あまりにも無責任すぎる・・。その晩、私は眠れずいろいろなことがぐるぐる私の頭の中を駆け巡ってしまいました。彼の器のことはとっくの昔から判っていました。生活を通し、時が経てば経つほどそれはますます鮮明になり、彼と結婚を継続するには諦めるしかなかった。封印するしかなかった。私ががんばりさえすれば、なんとかなる・・。そんな気持ちで今までやってきた・・・。しかし彼は彼なりにこの日本で生きるためにはどう頑張ったらいいのか?考えて欲しかったし、少しずつでもいいから実践して欲しかった・・・。異国の地に住んでいる限り、その国の言葉は必衰条件である。お話にならない・・・。本当に悲しかった・・。こんなに酷いとは・・・。まあ判ってはいたといえばいたのだが・・・。過去のことがよみがえってくる。なぜ、あのときに彼とのマッチングを断らなかったのか?もう少し細かくいってしまえば、国名を告げられたときから、私の心はすでに闘っていました。どうしようもない絶望感でした。もっと正直になればよかった・・。あの時・・・。もっと自分の気持ちに正直になってよかったのに・・・。なぜ、私の心はいつも”ねばならない”という思いに縛られ続けていたのか?そう、それはいつも”悲しみの神を開放するため”と信じて疑わなかった。”大丈夫です。私が開放してみせます。喜んで・・”と・・。そうやって自分を押し殺し続けたあの頃・・・。また再び考え始めてしまった。私はこのままこの結婚生活を続けていいのだろうか?娘の将来と私自身のために・・・。どうするべきなのだろうか?継続するべきなのか?離婚するべきなのか?また悩み始めてしまいました・・・。新年早々に、という感じです。
2009.01.05
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2009年新年明けましておめでとうございます。昨年はいろいろとお世話になり、感謝しています。新しい年が、皆さんにとってたくさんのラッキーが降り注ぎますようにまた今年もよろしくお願いします。
2009.01.01
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