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我が家の猫は一週間目に帰って来た。そして赤ちゃん返りになってしまった。どうやら道に迷って帰りつけなかったようだ。ノラが現れ始めると、よくこういうことが起きる。行動範囲の広いノラの臭いに誘われて、ついつい行ったことのない方角に歩いていってしまったのだろう。太閤も元々はノラだったのにな~と思う。そのノラは太閤が帰ってきた二日前からまたきはじめていた。ひっかかれて出来たような太閤の傷は治りかけていたが、ノラは反対に毛が抜けて茶色かった顔が白くなっていた。一瞬、違う猫かと思った。このノラさん、実にそっとわが傍を通り抜けて、気が付けば我が家の猫の餌を全部食べて帰り、我が家の猫達もそれをじっと見ているだけだから、時折腹がたって追い出していたのだが、ヤニを出している目を見ると死期が近いようで、さすがにこみあげてくるものがあった。そのノラさんが、昨日、二日ぶりにやってきた。前日は大雨だったからおなかがすいていたのだろう、我が家の猫達ではなく、じっと私の方ばかり見て立っていた。しかしそれこそびっくりした。毛はもう白に近かった。夏だから衣替えなのかもしれないと思ったが、毛はまるでざんぎりに切られたように毛並みが揃わず、よく見るとやはり蚊にやられてしまった犬のように、あちらこちら抜けおちていた。じっと目がなにか言いたげだった。玄関からは一歩も入らず、いつも玄関先で餌を食べていたという大阪の家の大人しいノラ猫は、あとで考えればそれが最後の挨拶のつもりだったのか、いつもとは違う時刻に現れて、一声ないて、それから来なくなったという。私は無性に悲しくなって、食器に餌を入れて玄関のドアをあけた。しかし、もうどこにも猫の姿はなかった。夕方になっても餌はそのままで蟻がたかっていた。ここいらにはもう共同のゴミ箱はカラス対策で無い。猫もひっくり返せないようになっている。トカゲかネズミか、野生のものを捕まえる以外にないが、それだとて姿を消す。人はノラに餌を与えてはいけない決りの地域もある。致し方ないとも思えるが、ノラはますます生きていきにくくなった。
2014.05.28
あんなに放送していたのに、全然まったく放送しなくなるニュースは意外に多い。消えたマレーシア航空機の件もそうだ。気になっていたが久々にあちらこちらのブログに御登場。それにしても、あれだけ奇奇怪怪の事件なのだから、その後の捜索過程くらい放送されてもいいだろうに。昨日、一緒にわらび採りに行った女性が、何の話の途中だったか、急にプーチンさんの悪口を言い始めたからびっくりした。プーチンさんがどの程度いい者か悪い者かは知らないが、ろくな独自現地取材もせず、昔だったらロイター発とでも言うんだろうか、そういうどこかからいただいたような情報ばかりに終始しているニュースの、その解説者達の意見の鵜呑みはあまりいただけない。独裁結構と私は思う。政治も会社経営も【逆命利君】が最良だ。願わくはその独裁者が我利我欲からではなく、真に民を憂える者であって欲しいわけだ。大昔のシャーマンよろしく、天の声を聴き、民に届け、それを実践する者として先頭に立ってほしいわけだ。執拗に繰り返すニュースには何か洗脳の意図がある。忽然と消えるニュースには、どなたかの何らかの力が働いている。たいしたことでもないのに、やたら有名人が登場する事件を長時間割いて報道するような場合は、裏でなにか重大事が進行している。ま、こういうのが今の日本の報道だと思っているほうが、七三、八二くらいで当たりのようだ。一緒に行った女性然り。私も然り。暇になると人はテレビを見る。暇な人の心の隙間に入り込まんとするテレビにはご用心あれ。
2014.05.23
我が家は全員梨が好きだから、梨だけはうまく育って欲しいと思っているのに、今年もやっぱり花だけで、実はつくなり何かにかじられてしまっていた。さくらんぼはいやっちゅうほど出来るのに。ぼやいててもしようがない。今日はえんどう豆の収穫だ。といってもこの間、一回目の収穫をしたところ。えんど豆は主人の大好物だから持たせたのだ。主人は自分で豆ご飯を炊いて、自分でたまごとじを作るのを楽しみにしていた。一人で食べるちゅうのに、炊事が好きな変ったおっさんだ。反対にうちは豆ご飯なんか炊けない。親子だというのに、我が長男の豆嫌いははんぱない。特にグリンピースは身の毛もよだつほど子供の頃から嫌いで、しょうがないから長男のいない今夜、次男と二人でこっそりいただくのだ。庭の隅にしゃがんで、大きくなったものを選別しながら皮むきをしていると、急に母のことがしのばれた。えんど豆は・・・記憶にないが、多分作っていただろう。私は今楽しみで、出来てもいい、出来なくてもいい作物を少しばかり作っているが、母は懸命に、祈るように作っていたのだろう。子供たちに食べさせるために。そうして、収穫の時、これで子供たちを食べさせてやれることに幸福を見出していたのだろう。そう思った。満ちたりて逝った顔を見た時、どんなに貧しくとも、苦しくとも、母が十分幸せだったことを、生まれて初めて知った。こんなふうに収穫をしている時、母は今の私の、何倍も何十倍も幸せだったのだ。そう思った。空が青い。山も緑い。今日もまた、自分がいきていることを忘れそうな午後を過ごしている。
2014.05.08
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