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そろそろ眠らせてくれないかい?夏は終わる
2007.08.31
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「どうせあなたには分からないのよ」と彼女は言った。僕は認めざるを得ない。
2007.08.27
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僕の右隣に座るトカゲは言った。「オレはポーカーで負けたことがないぜ」僕の左隣に座るアユミは言った。「それはインチキをしているからでしょ?私わかるわよ。あなたがポーカーしてるときの顔って見たことないけど、きっと表情だけで見抜けると思うわ」トカゲは右手の人差し指を自分の顔の前に出して左右に振ると汗を存分にかいたジョッキに注がれたぬるくなったビールをごくりと一口飲み込み、得意そうに言った。「君、インチキだってひとつの戦法なんだぜ、それは正しくはないが間違ってもいない、結局は見る角度の問題なのさ」「でも正当ではないじゃない、ルール違反なんでしょ?」と言ってアユミは僕を見た。「うん、そうだね、ルール違反だ」「やっぱり。反則じゃないの、トカゲくん」アユミはニシシと笑った。彼女は特徴的な笑い方をする。「さっきも言ったようにさ、それはやっぱり見る角度の問題なんだよ」とトカゲは火をつけようと咥えた煙草を口から離して言った。それからもう一度煙草を咥え、カウンターのバーテンダーにマッチをもらって三回ほど擦り、やっと火がついたそれを煙草に移した。マッチの火をジョッキの表面に付着した水滴で消して、煙草を手に取り息を深く吐き出した。とても手慣れた、とても長い一連の動作だった。僕らはその間何も話さなかった。トカゲとの会話における彼の間の取り方というのは実に魅力的だった。「ルールというのはあくまで物事を束ねるための表面的なものなんだ。その束ねられた物事の表面は見えても中は見えない。そこが面白いんだな」彼は続けた。「今はなにもかもがつまらなくなりすぎている。学習できないんだ。風邪を引けば自分が悪い、金をとられても自分が悪い。そういうものの見方はやっぱり大事だぜ。もちろん盗むやつが悪いけど、それを個人の問題として見ればそこには自分しかいないんだな」「故に騙されるやつが悪い、と」と僕が言うとトカゲは煙を吐いた。「ああ、だがポーカーでの騙しはルール違反じゃないとオレは思うぜ。それは表面的にはルールに則してるんだ。ニュースでは報じられない。誰も気づかない。罪は気付かれてはじめて罪となるからな、それまではしっかりとした正当な行為とみなされるんだよ。理不尽かつやや理解しがたいけど、それもまたルールなんだ。そこのへんもやっぱり見方次第だろうな。几帳面な人間は正しくあることに美意識を持つ。とすればやっぱりオレみたいなやつもいるわけで」おー、とアユミがうなった。「トカゲくん、あなたやるわね」「どうもありがとう」「太宰治的だな、きっとトカゲは」と僕は言った。「『とにかくね、生きているのだからインチキをやっているのに違いないのさ』ってか?」「そのとおり」トカゲは得意げに笑みを浮かべた。トカゲは、今夜も賭けで手に入れた小銭をポケットにじゃらじゃらと鳴らしながら、さびれたバーを出て行く。
2007.08.23
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「私はね、最近自分が自分でない気がしてならないの」とアユミは少しうつむきながら言った。抑揚のない、晩夏の蝉のように悲しげな声だった。「どんなふうにだい?そこにはいろんなパターンがあるはずだ」と僕は言って、それから考えたけど、僕にはあまり多くのパターンを思い浮かべることができなかった。夏は暑いのだ。「それはややこしくて哲学的な自己の喪失感ではないわ、それは実感として私を悲しませるの」午後七時のアパートメントの部屋というのは実に趣がある。そして寂しい。彼女は煙草を吸う僕の前に置かれたカシュー・ナッツの入った袋から一粒だけ取り出し、口を小さく開いて器用にナッツを含んだ。音もなく噛まれ、音もなく沈んだ。それを眺めて、彼女の胃袋に入る運命を持ったカシュー・ナッツはまるで沈みゆく太陽のようだな、と僕は思った。「そういう感じね、それならなんとなくわかる」と僕は言った。「中学生のころよくそんなことを感じたよ。個性が自分の中に見当たらなくなっちゃって、まるで自分が型どおりに生産されたボーリングのピンになったような気分になる。とても不安だった。僕は一体どこにいってしまったんだろう、ってね」僕がそういうとアユミは顔をあげて目を丸くした。「私が言おうとしてたこと、なんで分かったの?」、僕は答えた。「そういった気分の時には決まってカシュー・ナッツと酒が欲しくなるんだよ。僕や君のようにごく一般の人間はね」、彼女はうっすらと笑顔を浮かべた。「そう言えば僕がビールを飲み始めたのは中3だったぜ。ある朝起きたら急に怖くなったんだ。『あれ、オレは一体どうしたんだ?』ってね。無意識のうちに僕の中に入り込んだ何かが少しずつ僕を奪っていったんだ。ものすごく恐ろしかったさ、あれはね」と僕は空いたビール缶の中に煙草を突っ込みながら言った。彼女は僕の手から落ちていく煙草の吸殻を一点に見つめながら十秒ほどボーっとしていた。それからそんな眼差しのまま僕の方を見て言った。「私はいまだにたくさんのお酒は飲めないわ」「酒を飲め。こう悲しみの多い人生は眠るか酔うかしてすごしたほうがよかろう、ってね」と僕は言って立ち上がった。「ビールを持ってくるよ、君も飲むかい?」「うん」アユミは笑顔で答えた。「ところで、それは誰の格言?」「ウマル・ハイヤーム、十世紀も前のペルシアの学者さ」と僕は冷蔵庫を開けながら返した。やっぱりアユミはかわいいな、と少しにやけながら、僕は缶ビールを二本持って言う。「さあ、今夜はゆっくりと飲もう」
2007.08.23
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部屋の窓から花火が見えた。川沿いで、大きな打ち上げ花火があがっている。僕はエアコンの冷えた空気を逃したくなかったけど窓を開けて、頬杖をつきながら花火の音を眺め、鮮やかで儚い光を聴いた。*ユリと花火を見に行ったのは三年前の八月だった。夕方、いつものセブンイレブンの駐車場で待ち合わせて、いつものようにキスミントを一枚手渡して、それから僕は自転車で、ユリは浴衣だったから自転車の後ろに横向きに座って、川沿いに向かった。蝉の声はずいぶん弱まっていて、生暖かい風も幾分涼しく感じた。中学生の会話だったのかな、僕たちは川沿いにつくまで太宰治の「斜陽」の話をして、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の話をして、それからカフカの「変身」の話をした。グレーゴル・ザムザの家族はどうして誰にも(たとえば警察とか)に、彼が変身してしまったことを話さなかったのだろうか、という話題で盛り上がっているときに、花火の音が響いた。東側に目をやると、薄暗くなった夏の夕暮れに火花がチリチリと音を立てて散っていた。「始まっちゃったみたいね」とユリが言った。「そうみたいだね」と僕は答えた。「ねえ」「なに?」「どうしてあたしのことが好きなの?」「どうしてオレのことが好きなの?」二発目が飛んだ。バチン、と時代が一気に十年ぐらい変わってしまいそうなくらい明るい花火が、暗闇に咲いた。そんな瞬間の衝撃のあとに、空がドーンという音を跳ね返す。跳ね返った音たちはチリチリと泣きながら川の水面に死んでゆく。僕らは目を合わせて笑った。早く行かなくちゃ、ほら、急いで!とユリは僕の左の耳たぶを引っ張った。川沿いについたころには、そこは人でごった返していた。橋を含むすべての道が遊歩道となっていて、そこらじゅうに馬鹿高いたこ焼き屋や生臭い金魚すくいの屋台が並んでいた、ちょうちんに照らされた僕らの色のない、薄い影は川沿いの細い砂利道で止まった。「川のそばまで下りようか」と僕が言うとユリは嬉しそうに「うん」と頷いた。僕たちはコンクリートで舗装された岸に座った。草の匂いとたこ焼きの匂いと煙の匂いと、ユリの匂いがした。花火を見ながら何気なく手を握ると、ユリは微笑んで僕の右手を握り返した。一時間ぐらい、僕たちは無言で花火に降られていた。「それじゃあ、ね」と、セブンイレブンの駐車場でユリが手を振った。僕は「ああ、またな」と言って自転車を漕いでユリを背後に走り出した。「あ、あのさあ」と声が聞こえた気がしたけれど、僕は振り向かなかった。これ以上会話をしていられそうになかった。僕の中には何か堪えきれずに爆発してしまいそうな何かが住んでいるような気がした。ユリのことは好きだったし、きっとユリだって僕のことを好きだった。それでもそれとは関係のないはずの何かが裏でこっそりと繋がっていて、花火の大げさな叫びで、僕はその影を見てしまったのかもしれない。僕は家に帰ってから無表情で、声を立てずに泣いた。*「もう、疲れたんじゃない?」とユリは僕に言った。冬の川沿いのコンクリートはひどく冷たかった。僕は何も言えなかった。それとは関係ないはずの何かが僕を邪魔した。ユリは僕に「さようなら」と言って、歩きだした。雪も降ってないし、雨も降ってこない。僕には涙する環境が備わっていなかった。憐れんでもくれない無感動な冬の雲は霧を作り、やがてユリは霧の中に消えた。*花火は終わったのかな、と僕は部屋から考える。それから一連の過去の話を頭を振ってどこかにどける。僕は氷がとけて薄まったアイスコーヒーを飲みながら、あれとは関係のない何かがいまだに僕の体の大半を侵していることを確認して、眉間をおさえる。
2007.08.16
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アイスランドの旅行ガイドの表紙的な景色に、風は僕を運んだ。何もない、一面が芝生の土地だ。晩夏の風はどことなく寂しげに、何にも遮られずに僕の体を舐めていった。人はこうやって少しずつ削りとられていくんだな、と僕は思う。永遠を信じられる気がするほどの広大な平野には何もかもが消え、印や個性的な部位を認めることはできなかった。ひたすら黄緑が続く。風にうねり、光の加減で色の濃さを不規則に変え、そして匂いと風は僕を削り、いくつかの匂いの粒子は僕の鼻腔や皮膚を突き破り、どこかにある(僕にもどこにあるかはわからない)本物の心臓の色をガラリと変える。僕は侵入者であり、同時に侵入された人間だった。地球の呼吸は温かみを持ったものだった。しかしそれは優しく僕を蝕む。いつでも世界は人間の生命力を吸いながら発達していく。僕は抵抗しないことにした。削るなら削ってくれ。僕は息を思いっきり吸って肺の中で溜め、それから呼吸を止めた。目を瞑る。何もかもを受け入れると自然と楽な気分になった。随分と時間が過ぎた。僕は今もここの裏側でせっせと働いているひとたちのことを考えて、ゴミをあさっているカラスのことを考えて、今までそこにいた僕のことを考えた。でも今、僕はここにいる。それは実に不思議な気分だった。現実とかすかにずれた空間に漂っている。そして現実は僕のもとには戻らない。僕は現実のもとには戻れない。僕の体はさらさらと音を立て始めていた。指先が崩れるのと呼応して、僕の意識も崩れてゆく。何も僕の崩壊を妨げるものはないはずだった。僕は完全に孤立した世界にあるその一部なのだから。しかし僕は形を取り戻す必要があった。地響きを感じた。威圧感を含んだ低く細かい地響きが地面に跳ね返り、空に跳ね返る。僕は目を開けた。大樹が起き上がっている。僕の20mほど前に、おそらく直径10mはある幹と、その5倍ほどの幅の枝と葉で構成された樹木は、ゆっくりと立ち上がった。地面を割り、横たわっていた木は地中から姿を現した。割れた地面は木が起き上がるにつれて元のように繋がり、そしてまた次の地面が割れた。根を完全に地面に固定するまでに30分ほどかかった。しかしそこに時間という概念は存在しなかった。今、そこに大樹は起き上がり、そして僕を見下ろしていた。僕は自分が震えていることに気がついた。原因は恐怖でも寒さでもないはずだった。大樹は圧倒的な存在感で、ずれた空間を濃くした。空気は重くなり、僕は呼吸しているという実感を得た。大樹から、羊が落ちてきた。羊が下りてきた。ふわふわと浮きながら、さまざまな角の形をした様々な大きさの羊が、地面に舞い降りて歌を歌った。彼らの一部は木を見上げ、ほかの羊は僕を見ていた。僕は立ち上がり、木に向かって歩いた。手はその形を取り戻し、僕の本物の心臓も崩れてはいなかった。僕が羊の中に歩いて行くと、彼ら歌を歌いながらは僕のために道を作ってくれた。やがて大樹が目の前に迫ってきた。こんなにも大きかったのか、と僕は思った。偉大なる大樹はその幹をまっすぐ天に伸ばし、そして雨のように葉を揺らしていた。間からは微かに青空が見えた。僕は微笑んだ。そして、幹に触れた。そして僕は再び生まれた。テレビのスイッチを切ったような音と一緒に、僕はまた、風によって別のところに連れて行かれる。どんなスピードで、どんな方角へ向かっているのか、僕には分からない。ただひとつ言えるのは僕が今いるここは現実的な世界ではないということだった。何かが超越していて、僕はあるきっかけでこの世界に転がり落ちてしまったのだ。遠く下に見える現実の街並みを、窓越しに見下ろしながら、僕はまた、ありえない空間をさまよう。
2007.08.14
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