hongming漫筆

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2010.02.01
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カテゴリ: 日本の古典

 しかし、後の不運の伏線が張ってあり、「逆櫓」で梶原景時と対立する。
 「嗣信最期《つぎのぶさいご》」で初めて義経の来歴が、相手の口から、
平治の合戦に父が討たれて孤児となったが、鞍馬の稚児になり後には金商人に従って、食糧を背負い奥州へ放浪して下った

と語られる。

 山場の一つは那須与一が扇をいるところ。
 解説によると「与一」は「余一」で、十一番目の子という意味なのだそうだ。
 見事に扇を射落とすところまではいいのだが、その後、それに感心した平家側の男が、船の上で舞い出すと、それまで射殺してしまうのはいただけない。


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Last updated  2010.02.02 00:21:09コメント(0) | コメントを書く


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