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今日の朝日新聞の「こころのページ」に「宗教は個人的苦悩への杖」ということで、宗教団体が直接社会改革に乗り出すことは許されないとあった。これに違和感を覚えたのである。宗教団体にも色々あろうが、活動は自由だと思うので、直接社会改革に乗り出すのも自由と思う。文中に宗教は、生き方を説き広めるものとあった。生き方には、対個人の生き方もあれば、対国家社会の生き方もある。国家社会が、戦争や差別を拡大しょうとするとき、それに否とする生き方を広める宗教団体もあるはず。その宗教団体が、反戦、反差別の直接社会改革に乗り出すのも自然とおもうのである。文中に、宗教団体と政治が一体になると、その宗教は、横暴になるものだという論調があったが、当然、そういう宗教や政治権力はいただけない。それこそ、信教の自由の侵害であるからである。
2009.01.31
裁判員の指名が来たら断ろうと思う。なぜなら、罪の量刑を判断しなければならないからだ。というのは、死刑制度に反対であり、死刑という量刑を選ぶことが出来ないからである。もし極刑にしなければならないとしたら、終身刑なら認めることが出来ると思っている。しかし、今、まだ終身刑は認められていない。
2009.01.29
オバマ大統領が誕生した。その就任式に、聖書に手を置いて、宣誓した。又、その就任式のはじめと終わりに、牧師が挨拶したようだ。つまり、重要な国家行事が、キリスト教と関与しているということだ。歴代の大統領就任式の伝統とはいえ、重要な国家行事が、多民族、多宗教の国民がいるにもかかわらず、特定の宗教を用いたということに、厳密な意味の政教分離違反・民主主義違反を感じる。これが、新大統領の個人の宗教を尊重して行われるとしてもどうかと思う。厳密な政教分離から言えば、特定の宗教色を外し、大統領は、憲法か国旗に手を置いてでも宣誓すればよいのだ。日本の歴代の総理大臣が、毎年正月に伊勢神宮に参拝している。これは、公式参拝でなく、私的参拝だという。私的といっても、公務扱いではないのか、公用車を使っていないか、そのときは、公務を休む扱いにしているのだろうか。かつての天皇代替わりの神道儀礼にしても、公私の別があいまいであったと思う。国家は、いかなる特定の宗教にも関与してはならないというのが、民主主義の原則と思う。
2009.01.23
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