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経済評論家の内橋克人さんの、朝日新聞、本日版の「資本主義はどこへ」を読んだ。最後に、「人間を第一義とする共生経済を目指す」とあった。獣の顔をした、弱肉強食・格差当然といった新自由主義、グローバル、規制緩和経済でなく、人間の顔をした経済という論調を最近よく聞く。これは、資本主義だろうと、社会主義だろうと、どちらにも基本的に基調とすべき、人間の復権ということではあるまいか。この人間の復権ということが、あらゆる人間・国家社会・世界の問題の解決への鍵のように思える。
2009.02.23
取り違えた医師の失敗、自分でさえも、万全を期しても過つかも知れぬと思う。取り違えに気がついた医師の苦悩、過ちを告白したことは是とするも、それまでに、隠しておこうとの思いはよぎらなかったかと思う。両方の親へのお詫びに、ギリギリと苦しまれたことと思う。切なくも、中絶した奥さんの苦悩に心を寄せる。他人の受精卵(子)とは言え、中絶に申し訳なさもあっただろう。中絶せずに、代わって産んであげようかとの思いもよぎっただろうか?受精卵の本当の親も悲しいだろう。やむを得ぬとはいえ、自分の子が流されたのだから。中絶された受精卵、その不運を不憫に思う。それぞれ、人間の苦悩を思った。
2009.02.21
イスラエルが悪いか、ガザのハマスが悪いかという考え方がある。アメリカの議会では圧倒的にイスラエルを認め、ハマスを批判した。イスラエルの中で、イスラエルの武力攻撃を批判し、ハマスのロケット攻撃をも、抗議の手段として容認できず、非暴力協調路線をとろうとする人はいないのだろうか?又、ハマスの中で、イスラエルの爆撃を批判しつつ、ハマスの抵抗は認めても、ロケット攻撃という方法を認めない、ガンジーのような非暴力、不服従という抵抗運動は無いものだろうか?
2009.02.20
核軍縮を言うなど、元、ブッシュ大統領よりは少しましだと思っていたオバマ新大統領が、アフガニスタンへ米軍を増派するという。緊張が高まり、さらに戦死者の拡大とならぬよう、イラクの二の舞にならぬよう懸念する。タリバン側にも言い分があろう。ベトナムのようにならぬよう願う。アメリカが突出せず、せめて国連でアフガニスタン関係諸国でフェアに究明してもらいたい。
2009.02.19
死生学というのがあるらしい。そこに体験を寄せた人がいる。癌になって、初めて、生きるということに本気でぶちあったらしい。そして、考えた挙句、結局、生きるということの大事なことは、誰か、他者のために何かを尽くそうとすることということだったらしい。やはりそうかと思った。自分のためだけの生き方では、充足しないのだ。やはり、人間は、欲望のためだけの衝動に生きる、単なる動物ではなくて、精神的な動物だったのだ。
2009.02.16
たいていどこの国も、国民を国家に向けさせ国家をあがめようとさせ、国家の政治に従順にさせ、国民を精神的にも、政治的にも支配し、統合させようとするもののように思う。だから、国家は、国旗や国歌や、国王というものをあがめさせようとするものだろうと思う。国民を精神的・教育的に支配するのが国家の学校というものだろう。だから、学校で国歌や国旗や、国王など国家の権威の象徴をあがめさせるようにするのだろう。日本の場合、憲法9条を変えて、自衛隊を正式な軍隊として、戦争の出来る国づくりをしょうと思えば、当然、国家をあがめ、国家を愛し、国家のために命をささげるような国民精神を増強しなければならない。そのために、近来、学校で、国旗国歌の強制が強まっているといえよう。その違反者は処分というのは、思想信条の自由の侵害で、憲法違反と思う。かつての戦争を悪く言いたくない教科書を広げようとする動きや、戦死者を顕彰する、靖国神社を国家護持しょうとしたり、総理、閣僚、公務員の公式参拝をすすめようとする動きもつながっていると思う。そういう動きを当然とする人もあれば、いやだと思う人もある。思想、価値観の違いだろう。
2009.02.14
「私の体は、癌に侵されているけれど、私の心までは、癌に侵されない」すごいなあと感動。癌になったら、すべて、絶望、駄目になったと、多くの人はいや、私も落ち込むだろう。でも、この人は、癌になっても、人間としての自覚と誇りを失わなかった人だろう。いや、どんなに、癌によって、体は蝕まれても、やさしさや、思いやりなど、人間としての自覚と誇りの魂、精神は失ってはいけないと思い定めた人だったのだろう。いや、元々、癌になる以前、平素から、人間の大事なものは、健康、財産、能力等より何より、人間であることの、人間であろうとすることの、自覚と誇りだと思い定めて生きてきた人だったのかもしれない。私も、これから、癌になったとき、不治の病になったとき、絶望的な状況になったとき、この言葉を思い起こしたいと思う。忘れたくないと思う。
2009.02.13
死生学という授業があるという。学生に、まず、大事なものを何枚か紙に書かせるという。そして、自分の入院とか手術とか、発癌とか、死への段階を想定させ、その度ごとに、次々に捨てるものを選ばせ、その紙を破り捨てさせるという。その過程で、学生は、生きるということ、大事なものというものを考えるという。そして、たいてい最後は、「母」とか「愛」というものが残るらしい。そして、先生が、「さよなら」と号令をかけて、最後に残った一番大事なこの「母」「愛」と書いた紙を破るのだそうである。やはりそうか一番大事なものは、金や、名誉や欲ではないんだなあと思う。この母、愛というものに込められたもの、すなわち、包むもの、はぐくむもの、やさしさ、思いやりといったものこそ命にとって大事なものなのだろう。
2009.02.02
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