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麻生首相が、靖国神社の春季例大祭に、総理大臣名で、 真榊を奉納した。 そして、小泉元首相も使っていた、戦死者に、感謝と敬意を表するといった。個人名で個人的に参拝するのは個人の自由である。いくらポケットマネーでも、内閣総理大臣名を使って奉納したのは、個人行為でなく、公的行為である。公人の特定宗教への関与は、憲法20条違反と考える。 又、私は、戦死者を悼むことはあっても、感謝や敬意をささげたいとは思わない。かつての戦争は、アジア始め欧米諸外国とお互いに尊敬し合い、助け合うといった関係ではなく、軍事力による、支配、略奪、殺戮であったことを思うと、国策の過ちと考えている。戦死者に、感謝や敬意をささげたいと思わないわけは、戦死者は、その過った国策や軍国教育の被害者であり、諸外国には加害者であった二重の悲惨を思うからである。私には、戦死者には、謝罪しかないと考えている。
2009.04.23
88歳の精神病者が亡くなった。精神病院で。人生の大半を精神病院で。子供のころ、気の毒に思いながらも、忌避観を持っていた。不遇な御一生を思う。兄弟はほとんど亡くなられた。両親は、気にかかりながら亡くなったのだろう。本人の気持ちを思う。無念でもあっただろう。お手紙や、寺の新聞を贈りだして、何年になるだろうか。3度か4度おうかがいした。初めてのおうかがいのとき、恥ずかしいからと面会されなかった。2度目のときか、玄関まで見送ってくださった。だんだん年をとられた。時々、鉛筆のはがきをいただいていた。私の母と同い年だった。いとしい。精神病者への偏見・差別は根深いと思う。通院してもいいのに、状況が整わず、仕方なく入院せざるを得ないのを社会的入院という。悲しいと思う。しかし、何もしていない。懺悔あり。合掌
2009.04.08
朝日新聞、4月6日のグローブに阪大、堂目教授の記事があった。それによると、アダム・スミスは、今言われる、「人間の顔をした経済」ということを課題にしていたらしい。記事に、「冨や地位への野心は放任されるのではなく、正義感によって制御されなければならない」とある。やはり、経済も、人間性を原理にしなければならないということか。やはりそうかと再確認した。
2009.04.06
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