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村一番の働き者と評判の寛一の妻は、 村一番の猛妻との評判だった。 猛妻と言っても、大したことない。 太っていて、働かなくて、口うるさくて、 なんだかんだ言って寛一を苦しめておった。 たとえば、寛一が朝目を覚ますと 「あんた、雨戸開けてよ。もう、朝やで」 あんまり毎日口うるさく言われるものだから、 ある曇った朝に気を利かした寛一が 猛妻に言われる前に雨戸を開けていると 「何やってるの、あんた。今日は曇ってるんや。 雨降ってきたら、誰が閉めるの。もう、ぜんぜん 気が利かへんのやから」 と言うのである。 こんな調子だから、寛一はいつもイライラしながら 先祖伝来の畑に出かけて行く。ある日、いつものように ムシャクシャしてしながら畑を耕している寛一は、 一匹の青大将を見つけた。 いつもの寛一なら、頭をぶっ潰して殺して仕舞ったろうが、 どういうわけか、その日は仏心がさした。 寛一は、その青大将を見逃がしてやった。 その次の日、寛一が畑に行ってみると、 若い美しい娘が待っておった。 「寛一さん、昨日はありがとうございました」 「はあ、何のこっちゃ?」 「私は、昨日、逃がしてもらった青大将の化身でございます」 「化身って、お化けかいな?」 「そんなところでしょうか・・・」 「わし、忙しいから早く用件言ってや」 「はい、何かお礼にできますことがあればと 思って参りました」 「はあ?そうやなあ、あんたみたいなキレイな 姉ちゃん100人に囲まれて好き放題して暮らしたいなあ・・ ハッハハ・・・そんなことできへんやろけど・・」 「おやすい御用でございます」 と青大将の化身と言う娘が言った瞬間、 寛一は目がくらむほどキンキラキンの御殿に、 よりどりみどりのキレイな姉ちゃんに囲まれておった。 喜んだ寛一は、数日間は朝から晩までやりたい放題 わがまま言い放題で暮らしておった。 だけれども、そんな暮らしも1週間も続くと、 飽きてきたのか面白くなくなって来た。 退屈になった寛一は言った 「誰でもいいから、ワシを困らせてくれ、 頼むから困らせてくれ・・・」 すると、1週間前の青大将の化身と言う娘が現れた 「お安い御用でございます」 すると、どうだろう・・・ 青大将の化身の娘は、ミルミルドンドン太って 寛一の猛妻になった。 そして、たくさん居た娘たちも消えてしまって、 寛一は自分の家に座っていた。 猛妻は言った 「もう夕方やで、雨戸締めてや。いつまでも 夢見てたらあかんで。早う早う・・」 ふと我に返った寛一は 「分かった分かった」 と言いながら雨戸を閉めた。 元の鞘に戻った寛一だが、なんだかホッとした気分だった。
2004.09.30
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僕が小学6年間歩き通した通学路の終わり、つまり、もうすぐ家だというあたりに、ブランコと滑り台しかないガランとした公園があった。ある夕暮れ、そこで、いつものように学校から帰ってきた僕の見たのは、母と見知らぬ男の人が立ち話をしている姿だった。母は周りを気にしながら話していたせいか、僕の存在に気づいた。僕は、小学生の僕なりに見てはいけないものを見たような気がして、小走りに家に帰った。母はほんの少し遅れて帰ってきた。母は「ホットケーキ食べる?」と背中を向けて言うと、僕の返事を聞かないままに、フライパンを出して焼き始めた。そして、背中越しに、僕に話してくれた、「あの人ねえ、ずっと昔、お母さんを捨てた人なの…」「…」「まだ、わからないわね…あの人ね。あと半年の命らしいの。死ぬ前に、謝りたくなって来たのよ…バカね」母は焼き上がったホットケーキを僕の前に置くと、「おとうさんには内緒よ…もう会わないし」と強引に指切りした。もう会わないという言葉に何となく安心した僕はホットケーキに、いつもの3倍くらいのハチミツをつけてパクついた。ハチミツをつけすぎると「そんなにつけて虫歯になるわよ」というはずの母は、その日は何も言わなかった。それから半年後、僕が帰るとキッチンでジャージャー水の流れる音がした。母は何度も何度も同じお皿を洗って背中をふるわせていた…
2004.09.29
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暑さ寒さも彼岸まで、朝夕の涼しさが感じられるようになった。そろそろ出番とばかりにお気に入りの背広を着て出勤した。背広はビジネスマンの魂である。そうでないと言う人もいるであろうが、私のように背広を20年余り着ていると、そう思わざるを得ない。あしからず。電車に揺られること1時間余、颯爽と社に入り、デスクに腰をおろした。「おはようございます」女子事務員がデスクを拭いてくれた。サッパリした。「よーし、やるぞー」と上着を脱いで、ハンガーにつるした。と、その時だ。「あれ」私は上着の衿に数片の小さな埃を発見し、手で払った、払った、払った…何度、払っても落ちない。よく見ると、小さな穴が空いている。虫食い!!まさか、ビジネスマンの魂に虫食い!!あわれ、私の一番のお気に入りの背広は、この夏の間に虫に食われていたのである。機先をそがれた。朝から空元気で仕事をこなした。こうなったのも、あのグウタラ女房のせいだ。あいつは、長年我が家の庭のケースに住みついているカブトムシの餌は忘れないのに、亭主の背広のクリーニングは平気で忘れるのだ。こうして怒りの矛先を女房に向けるのが、亭主族の習性である。しかし、そんなことで腹を立てるなんて大人げない。女房がグウタラでおられるのは、私が曲がりなりにも元気で働いているからだ。夫婦円満の秘訣は、相手に変化を求めないことだ。ここで、心を整えられるようになったのは、私の人間的成長だ。かくして、私は、ニコニコしながら、衿の辺りを気にしながら電車に揺られ帰った。少し居眠りした…「虫がついてる。虫がついてる。ついてる。ついてる。そう、オレはツイてる…」夢の中はプラス発想の権化になっていた。
2004.09.28
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信じる信じないはご自由ですが、 妖怪というものは本当におります。 たとえば、皆さんが山などに行ったときに 「ヤッホー」 と山に向かって叫んだときに時々 「アッホー」 とこだまが返ってきたことはないでしょうか。 「ない」 と断言するアナタ、そんなアナタこそ、 よーく耳を澄まして聞いてごらんなさい。 アナタは、いつもアッホーと返されて ”妖怪こだま”にからかわれていたのを ヤッホーと返されていたと思いこんで いただけなのです。 こんな妖怪こだまの存在に気づいた賢人が、 ”己を知れ” と言う言葉を残したのです。 この妖怪こだまが、最近は携帯電話にまで、 進出しているらしいという噂があります。おそらく、 山に行った誰かさんが、携帯電話を忘れて帰ったのでしょう。 さてさて、オヤジのようにタバコを吸いながら、 髪を染め黒い顔にしている典型的なヤマンバ子ギャルの レイカちゃんの携帯電話に間違い電話が入りました 「またかよー」 と絶叫しながら、電話に出たレイカちゃんです。 「もしもし・・・」 ・・・もしもし・・・ 「ええ?」 ・・・ええ?・・・ 「あれ?」 ・・・あれ?・・・ 「あんた誰よ」 ・・・あんたこそ誰よ・・・ 「聞き覚えのある声だわね」 ・・・そっちこそ聞き覚えのある声だわね・・・ 「ああ・・・あたしだ・・・」 ・・・そっちこそ・・・あたしだっちゅの・・・ 「ちょっと、真似しないでよ」 ・・・そっちこそ、ちょっと真似しないでよ・・・ 「あたし、レイカ。あんたの名前は?」 ・・・あたしこそ、レイカ。あんたの名前は・・・ 「・・姓を名乗りなさいよ」 ・・・そっちこそ、姓を名乗りなさいよ・・・ 「タカオカ」 ・・・タカオカ・・・ 「タカオカれいか・・・あたしと同じじゃない・・」 ・・・タカオカれいか・・・あたしと同じじゃない・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ と、まあ、こんな感じで、レイカちゃんは 精魂尽きるまで妖怪こだまにからかわれてしまい、 まるで心のブラックホールに落ち込んでしまったかのようです。 その日からです。レイカちゃんが変わったのは・・・ 顔も髪の毛も普通のメイクで、しおらしく現れたレイカちゃんに 仲間の子ギャルは驚きました 「レイカ・・・どうしたのよ」 「うん、なんとなく」 「タバコでも吸いなよ。なんかあったんだろう? 聞いてやるから」 「あたし、タバコやめようかなあ」 「男にでもフラれたのか?」 「うん、なんとなく」 ・・・ 何を言っても上の空のレイカちゃんですが、 ブラックホールの出口(ホワイトホール)は、 意外と近くにありそうです。
2004.09.27
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私が保険の営業マンをやっていた頃、 お客さんの中にどうしても会いたくない人 イヤな人がいました。あんまりイヤだイヤだと 思うからでしょうか。その人に会った日から 数日間は、まったく契約を取れませんでした。 「そんなことじゃいけない」 そう思えば思うほど、頑張って会おうと思えば 思うほど、底なし沼のようなもので、ドンドン 深みにはまってしまいました。 そんな自分に嫌気がさして、河原で自転車を 止めて寝転がって青空を見ていると、子供の 声が聞こえてきました。 どうやら、河原に沿ってある草原で虫取りを しているようです。5人くらいの、たぶん 小学校3年生くらいの男の子が、虫網を持って 蝶やバッタなどを追いかけていました。 「ああ、俺にもあんな時代があったなあ」 と子供時代の小さな経験を思い出しました・・・ 最近は少ないですが、私が子供の頃は、 草原に入って行くと、よく蛇を見つけました。 蛇が苦手な私は 「また、蛇が出てくるのでは・・・」 と考えてしまって、 「深い茂みに入るのはイヤだなあ」 と、しばらく虫取りに行かなかった時期があります。 そんなある日、学校の帰り道にあった瓢箪池の横の茂みを 通りかかった時です。 「わ、たすけて、たすけて・・」 と子供の声が聞こえて来ました。 見れば、池の横の茂みにある沼に足を取られている 5歳くらいの小さい子供がいるではありませんか。 私はビックリして、誰かいないかと見回すと 瓢箪池で釣りをしているオジさんを見つけました。 私はそのオジさんに、 「オッチャン、小さい子、溺れてるよ」 と言いました。オジさんは 「ええ、どこ・・・どこ・・」 と血相を変えて言いました。溺れている子は そのオジさんの子供だったのです。 「こっちこっち・・」 と私はオジさんの前を走って、溺れている子供の所に 走りました。その子は腰まで泥水に浸かって 動けなくなっていました。すぐにその子は、オジさん に引っ張りあげてもらい無事でした。しかし、 「ああ、よかった」 と思ってホッとした私の足下で、シュルシュルという 音がしました。なんと、1メートル半くらいの蛇が いるではありませんか。驚いて全身が痺れた私は 「ギャー」 と叫んで走って逃げ出しました。あれほど入りたくなかった 茂みに知らず知らずのうちに入り込んでいたのでした・・・ 虫取りに夢中になっている子供たちを見ながら私は このことを思い出したのでした。すると、不思議なもので、 元気が出てきて苦手なヤツに会うのがツラいなんて 馬鹿馬鹿しくなって。そんなの一瞬のことだし、 命を取られるわけじゃないし、本当に我慢できない ほどイヤなことがあったら、 「ギャー」 って叫んで逃げてやれ。 なんて考えたら笑えてきて、イヤなお客さんに 会うのがグーンと楽になったのでした。
2004.09.26
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取り壊しの決まった大学付属病院の視察に来た建設副大臣の矢吹啓介は、 30才にして将来の日本を背負って立つ政治家と言われている。 「気をつけてくださいね。大学病院の検査機械には、放射性物質が 含まれていることが多いですから、地域住民の安全第一でお願いします・・・」 と、建設会社の社長に念を押した。建設会社の社長は愛想笑いを浮かべ、 「さすが、住民本意の政治で人気の矢吹先生。しかしながら、今回の取り壊しは、 私ども五藤グループが点検に点検を重ねて・・・」 「その五藤グループが信用できないのです・・・」 「ですが、五藤グループは、あなたのお父さんが・・・」 5年前に亡くなった啓介の父は、一代で日本有数の企業グループを 作った五藤啓一だ。五藤啓一の血も涙もないやり方に、中学生の頃から 反発していた啓介は、中学時代から言葉を交わしたこともない。そればかりか 妻の深雪と学生結婚して、名字まで五藤から矢吹に変えてしまった。 現場確認をすべて済ませ帰ろうとしていた啓介に 「副大臣、奥様から電話です」 と秘書が駆け寄った。 「もしもし・・・何ですか?」 ・・・あなた、そこの大学病院の山根教授と言う方が 6階の小児病棟でお待ちだそうです。 あなたが来ない限り、この病院とともに消える覚悟と・・・ 妻深雪からの電話で、啓介は驚き、傍にいた建設会社の社長に 「もう、誰もいないと言ったではないか」 と怒りをぶつけ、数人を引き連れ廃墟のような病棟に入って行った。 山根教授がいるという6階には、誰もいないようだった。 エレベーター前で、啓介と一緒に来た数人は右へ左へ走って行った。 ひとり取り残された啓介に突然、白髪の医師が声をかけてきた 「五藤啓介くんだね」 「もしかしたら、あなたは山根教授ですか? こんなところにいては危険です」 「立派になって・・・」 「あなたは、私を知っているのですか?」 「もちろん、お父さんもね・・・」 「あんな血も涙もない父のことは聞きたくありません。 私は父の為に奈落の底に落ちて行った多くの人々を 見てきました」 「そう、しかし、君が落ちて行ったという人々は 企業戦争で君のお父さんに負けた人じゃろう。 一つ間違えたら、君のお父さんが落ちたのかもしれんじゃろ」 「どちらにしても、私は父を許せません」 「まあ、いい・・・ちょっとおいで」 山根教授は手招きした。何かに引きずられるように啓介がついて行くと 廃墟のような通路の奥に、一角だけ清潔な病棟があった。 山根教授は、その病棟の中に啓介を案内した。そして、 「まず、その洗剤で手を洗って、親指の間に特にばい菌がつきやすいから 念入りに洗ってな・・・」 と言い、防菌服を啓介に羽織らせ、 「ちょっと、ここで待ってなさい」 と言い残して山根教授は外へ出て行った。 ほんの数分して、背中に気配を感じた啓介が振り返ると、 ガラス張りで病棟の中が見渡せるようになっていた。 そのガラスの向こうには数人の看護婦や医師が 忙しく走り回っていた・・・ 一人の看護婦が言った 「山根先生、急患です。かなり重病のようです」 だまって頷く青年医師の山根教授がそこにいた。 運ばれて来たのは、幼い子供だった。 小さな保育器に書いてある名前は五藤啓介。 6人の医師と6人の看護婦が長時間の手術に及んだ。 危篤状態の小さな啓介の体には 両手両足に点滴や輸血、胸には、いくつもの機材、 鼻と口には管がつながれていた。 やっと手術が終わって、一人の男性が通されてきた。 五藤啓一。啓介の父だった。 山根から病状を聞き、うなだれながら 「はいはい」 と頷くだけだった。自信のなさそうな表情、 曲がった背中。とても、大事業を一代で成し遂げた 男には見えなかった。涙をポロポロ流し 「啓介をお願いします」 と言いながら、何度も山根に頭を下げていた・・・ 「副大臣!」 と数人の男たちが走ってエレベーター前に戻ってきた声で 啓介は我に返った。 「異常なしです」 「誰もいません」 「たぶん、爆破工事の反対派の威嚇電話ではないかと」 男たちは、口々に報告していた。 啓介は、自分が防菌服を着ていないのに驚き、今し方、 山根教授に連れられて行った方向を見ても、廃墟しか 見あたらないのに、またしても驚いた。 少し疲れた啓介は、その日、6時には自宅に帰った。 家に帰れば愛する妻深雪や、子供たちが出迎えてくれた。 少し年はとったが、母も健在だ 「啓介、仕事はどうですか?」 「順調ですよ。お母さん。ところで、お母さん、 私は子供の頃、山根教授って方にお世話になりませんでしたか?」 「ああ・・・山根さん、お世話になったよ。あなたの 命の恩人だよ・・・」 「やっぱり、今日、お会いしたんですよ」 「うそ言って。山根さんは、お父さんが亡くなる前の年に 亡くなったよ。お父さんの唯一の親友だよ。お父さんは いつも言ってたのよ。山根さんと知り合えたのは、啓介のおかげだって。 啓介の病気が治ってからなのよ。お父さんの仕事が順調に なったのは・・それまでは、食べるのがやっとだったのよ」 「どうして、そんな大事なこと教えてくれなかったんですか。 お母さん」 「お父さんも私も、あの時のこと思い出すとシクシク泣いちゃうから。 もし、話すんなら山根さんに話してもらおうって二人で話してたのよ。 それにしても・・・おまえ、誰から山根さんのことを」 ・・・・・ 深夜、昼間のことが気になって寝付かれない啓介は 一人ブランデーを傾けていた。そんな啓介に申し訳なさそうな顔をした 深雪は啓介に歩み寄り言った 「ごめんなさい、よけいな心配の種作ちゃったわね」 啓介は首を横に振って 「ううん、君に感謝してるよ」 と笑顔を深雪に返した。
2004.09.25
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この春から小学校に通い始めた源太の村では 毎年10月10日の体育の日には、盛大な 村祭りが開かれる。元々、ほとんどの家が近海 の漁で生計を立てていた村である。御輿をぶつけ合い 水を掛け合いハッピにフンドシの若い男どもが 勇ましく踊る祭りは見物人たちをも雄壮な心持ちにする。 その御輿の上には、昔から6歳の男の子が乗ることに 決まっている。その御輿に乗った男の子は、必ずや元気に 育つという言い伝えがあるくらいだ。一生に一度の チャンスだから、村中の6歳の子を持つ親たちから 応募は来るが、御輿の上に乗る子「海山彦」は ただの一人だけだ。かつては村の有力者の子息が 選ばれていたが、昨今のご時世だろう。 最近は、公平にくじ引きで選ばれるようになった。 源太の母親の安代の父の為蔵、つまり、源太の爺ちゃん の為蔵は、源太が生まれた頃から 「おまえが海山彦になるところ見んことには死ねんぞ」 と口癖のように言っていた。 だからと言っては何だが、安代も安代の夫の清造も、 為蔵の妻の鯛子も、元気者の為蔵の長寿を信じていた。 しかし、この正月、為蔵はインフルエンザを こじらせて肺炎になり、そのまま帰らぬ人となった。 「何とか、源太の晴れ姿を爺ちゃんの仏前に供えたいのお」 安代も清造も鯛子も、そればかりを願っていた。 「人口3000人ほどの小さな村とは言っても、 源太と同い年の男の子は30人ばかしいる。 どうなるやら・・・」 安代たちは、祈るような心持ちでくじ引きの日を迎えた。 くじ引きは、村の守り神と言われている海山彦神社で 行われる。大きな木の箱に入ったくじを、30人の 子供たちが順に引いて行き、一斉に封を切り、たった一枚 「海山彦」の3文字が書いてあるくじを引いた子が 晴れて祭りの主役と相成るのである。 「がんばれよ」 「気合い入れて」 と親たちの声が響く中、あどけない子たちが、 ある者は照れ笑いしながら、ある者は緊張しながら くじを引いて行く。 さて、源太の番が来た。 「爺ちゃん、おら、御輿に乗りてえ」 そう呟きながら、源太も木の箱に手を入れた。 その時、源太の耳に 「おまえが、海山彦だ」 と為蔵の声が聞こえた。 右左前後を見回した源太に、為蔵の姿が見えるはずない。 「じゃ、皆の衆、一、二、の三で封を開いてくれ」 村長の声で、封は開かれた・・・ 一同しばしの沈黙の後、 「おらだ!!おらが、海山彦だ!!」 甲高い声とともに源太の手が上がった。
2004.09.24
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君子がファッションモデルになったのは、 どうしても会いたい人がいたからだった。 君子はお母さんと5歳の時に離ればなれになった。 君子が1歳の時にお父さんを亡くした お母さんは、ドイツ画家と恋に落ちた。 行ったことのない国で君子を育てるのは 難しいと思ったのだろう。当時住んでいたアパート 近くにある教会に滞在していたお人好しの 若いアメリカ人神父さんに君子を預けた。 「きっと、迎えに行くからね」 と泣きじゃくる君子にお母さんは笑顔で言った。しかし、 それっきり、お母さんからは何の便りもなかった・・・ それからしばらくして、君子は吐血した。 結核だった。 「初期なので、数ヶ月入院して 安静にしていれば・・・」 と医師は言った。 神父さんは、アメリカに帰るのを延期して、 入院している君子に毎日会いに来てくれた。 神父さんは、とても優しい人で、 いろんなことを君子に教えてくれた。 君子が英語を話せるのも神父さんのおかげだった。 数ヶ月後、君子は退院した。それからも、 君子は神父さんと暮らしながら、中学を卒業した。 君子が中学を卒業する日、神父さんは言った 「私はアメリカに帰らなくてはならない」 聞けば、君子と暮らしていた10年ほどの間に 神父さんの両親はアメリカで亡くなっていたという。 君子はビックリして 「ご両親が病気なのに、どうして、神父さんは アメリカに帰らなかったのですか?」 「私が両親を失ったとしても、君子、あなたと同じです・・・ 幼い君子を残して私がアメリカに行けば、 神様は私に罰を与えたでしょう」 神父さんは、笑顔でそう言ってアメリカに帰って行った。 ひとりぼっちになった君子は、16の時からファッションモデルの 仕事を始めた。小学生の頃から、神父さんの薦めで 時々アルバイト程度にやっていた仕事だから特に違和感はなかった。 「有名になりたい、有名になれば、また神父さんに会える」 そう一心に願いながら君子は孤独に耐えた。 チャンスはやってきた。君子が19の時だった。 ロサンゼルスでのファッションショーで、 アメリカに行った時、君子は神父さんと再会した。 「君子が来てるかもしれない。そう思って駆けつけたよ」 神父さんは、ロサンゼルス郊外で教会を開いていた。 その後、君子と神父さんは、いろんなことを話し合った。 離ればなれだった間のこと。 お互いの仕事のこと。 そして、将来のこと。 そんな二人が、秘めていた互いの恋心に気づくのに 時間はかからなかった・・・
2004.09.23
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「毎日、100通前後のメールを受け取っています」 竹重さんは、九州にある山間の田舎町でソフトハウスを やっている。社員は奥さん一人である。 もともと、竹重さんは、大阪の製鉄会社でコンピューター プログラマーとして働いていたのだが、30才になったばかりの 2年前突如リストラされてしまった。会社の業績が良くないのと 若い有能なプログラマーがたくさん育ってきているのが理由だという。 大阪で次の職場を探そうとも思った竹重さんだが 「大都会での生活は子供のために良くないし、 人間らしい生活を見つけたかった」 と考えて奥さんの実家のある九州のN町に引っ越した。 竹重さんが受け取るメールの9割は、もちろん仕事関係だ。 大阪にいた頃から協力関係にある会社や 九州に来てからネット上で知り合ったSOHO仲間である。 で、残りの1割は、メールマガジンや 全国各地のメールフレンドから来るメールである。 「こんな生活を2年も続けていると、 メールを読んだり、返事を書いたりしていると 本当に相手と話しているような気分になります」 メールの達人の域に達している彼ならではの言葉だ。 竹重さんの家から一歩外へ出ると見渡す限り山の緑でいっぱいだ。 近所の人もノンビリしていて、大阪のセカセカした人間から見ると、 誠に失礼だがスローモーションで歩いているように思える。 こんな自然に囲まれながら、メールで多くの人と話をしている 竹重さんは生き生きしてプログラマーというより芸術家のような 風貌になってしまった。 こんな素朴なエンジニアの竹重さんが、面白いことを言っていた 「最近、メールボックスに並んだ開封前のメールを 見ると、時々オーラを感じるメールがあるんですよ。 同じ内容のメールでも、オーラが感じられる人 のメールは読むとグッと来ますね」 どんなメールか読んでみたいものだが・・ 人間の体からオーラが出るという話は、 たしかに聞いたことがある。ある先生は 作者が情熱を傾けた絵や原稿の温度を計ると、 真っ白の紙より、わずかだが温度が高いとも言っていた。 もし、竹重さんが言っていたオーラのあるメールも 温度が高いとしたら、どうやって計るのだろうか・・・ よく「人の心が暖かい」と言う。 あの暖かさは心で感じるものだ。だとすると、 オーラを見たり感じたりする感性も、 心のどこかにあるような気がする。
2004.09.22
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八百屋のお婆ちゃんの初さんは、最近、ボケてしまった。 息子に店を任せて家事をやっていた頃は良かったのだが、 息子が嫁をもらってから何も仕事がなくなってしまった。 それでも、孫のお守りをしている間は、衰えながらも何とか やっていた。でも、孫が小学校に上がるようになれば、友達も できるし、それに子供のスピードに着いていけなくなった。 1年前から、初さん、夜中にフラフラ出かけるようになった。 で、自分で帰ってくれば良いのですが、迷子ならぬ迷婆になって いるそうだ。その上、自分の名前も忘れているし、 年を聞かれても「18」と答えるそうだ。 「犬じゃあるまいし、鎖で繋いでおくのもなあ・・」 息子さんは頭を抱えている。せめてもと、 お初さんの着る服に、住所と電話番号を書いて 「この人を見つけた人は連絡下さい」 と書いた布を縫いつけている。 そんな両親の苦労を見ているせいか、お初さんの小学生の孫までが、 「お婆ちゃんがこわれちゃって困ってるのよ」 と友達に漏らすようになったと聞く。 そんなお初さんも、正気になることがある。 どこで聞いたのか、八百屋の裏にあるマンションの 若奥さんがご主人の浮気に悩んでいると知ったらしい。 初さんは、若奥さんの相談に親身に乗っていた 「そうかい、そうかい、男は勝手なものだ。 わたしもねえ、今、八百屋をやっている息子が 幼稚園に上がった頃だったよ。死んだ亭主が 浮気してね。その上、子供までできて。 内緒だけど、その子を引き取ってもらう家まで 探してやったよ」 若奥さん、オイオイ泣きながら 「こんなことなら、結婚前にもっと遊んでおけば よかったなんて思ってるんです」 「短気を起こしたらいけないよ。私なら、いつでも 相談に乗るから・・・」 と、立派なカウンセラーになっている初さんだ。 ボケたはずなのに、しっかり亭主の昔の浮気は覚えている なんて、凄いと思いませんか。 下半身の自由が利かなくなれば男性は廃業かもしれませんが、 女性は灰になるまで女であり続けるんですね。 やっぱり、女は強い。
2004.09.21
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それはそれは暑い夜でした。 じっとしていても、ベトベトする湿気の多さで これはザブンとお風呂にでも入らなければ眠れません。 こんな日は銭湯に限ります。最近の銭湯は近代化されて いますが、私がいつも行く銭湯はサウナと電気風呂と ブクブクと泡が出るくらいで、300円で入れる 昔ながらの風呂屋さんです。 毎朝卵の白身で磨いてピカピカツルツル頭のおじさんと、 還暦を過ぎても人前に出る時は絶対に 化粧を欠かさないおばさんの二人が交代で番台に座っています。 銭湯大好き人間の私は、いつも午後7時から 午後9時の時間(この2時間は男風呂のデッドタイムと 言われています。プロ野球のテレビ放送の時間帯だからです) にガラガラとドアを開け・・・「こんばんは」 と入って行くのです。 その日は番台には、おばさんが座っていました。 義父さんは、きっとボイラーの守をしながら 一杯やっているのでしょう。おばさんは 「いらっしゃい、暑いねえ」 と笑顔で迎えてくれました。 私も 「暑いねえ」 と応え300円を番台に置きます。 さて、この時間だと、一人二人だろうなあ と思い、風呂場を見ると、意外なことに 満員です。今日は自動車工場のブラジル人の 団体さんが来ています。15人ほどだったと思います。 洗い場が満員ですので、私は軽く流して サウナに入りました。がら空きの銭湯に ノンビリ入るという当ては外れましたが、 こんな日もあっても良いではありませんか。 と思った、その時です。 ガチャンと金属バネがはずれたような音が なったかと思うと、真っ暗になってしまったのです。 停電です。 たかが停電と思われるかも知れませんが、 銭湯での停電は私も生まれて初めてです。 驚いたの何のって。 「どうしたんや?」 とサウナから飛び出しても、誰も答えません。 それもそのはず日本人は一人もいないのです。 「オー・マイ・ゴッド」 とか 「アワワワ・・・・・」 とか訳の分からない叫び声をあげています。 高いタイル壁の向こうの女風呂では キャーキャー悲鳴が聞こえます。 平和の代名詞のような銭湯内は 一瞬にしてパニックになりました。 恐怖に怯えるブラジル人の皆さんは 泡だらけのまま逃げまどっています。 出口が分からないのです。 ドテン・・・ドテン・・・ オーノー・・・ワオー・・・ ドテン・・・ゴツン・・ガタガタ・・ 180以上の大男たちが、 体対体ぶつかったり、もんどり打って倒れたり・・・ やっと、電気がついた約10分後、 風呂場の出口付近には、10人ほどのブラジル人の 皆さんが折り重なって倒れていました。 幸い大したケガではなかったのですが、大事をとって 2・3人は救急車で運ばれました。生まれて始めて 銭湯に入った人もいたのでしょう。銭湯と言うところは 怖いところと思ったのかもしれません。 あれ以来、彼らと銭湯で同浴したことはありません。 私ですか?大男たちが走り回ってましたから 怖くて怖くてサウナの中にいました。 おかげで、ゆでダコならぬ蒸しダコ状態になってしまい、 しばらく脱衣場のベンチでジュースをごちそうになりながら 休ませてもらいました。 それにしても長い長い10分間でした。
2004.09.20
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「人生はチョイスや」 90歳になるヨネさんから英語が飛び出した。 「これ誰だと思う?」 ヨネさんは、仏壇の引き出しから 古い写真を取り出した もちろん、白黒で被写体は頭を カボチャのような島田に結っていた。 写真は真っ二つに破れた跡があった。 セロテープなどない時代の写真らしく、 後ろには森永のキャラメルの外箱を糊付けして張って、 つなぎ合わせてあった。 「ヨネさんの若い頃?」 「いや、アタシのお姉さんやよ」 「ええ、ヨネさん、長女だとばっかり思ってた」 「ワシが14の時やった。姉さんは16の時やった。 この村から何人かの若い夫婦がアメリカに 移民することになった。たしかサンフランシスコやった」 「で、お姉さんが行ったわけ・・・」 「そうや、その出発の時に撮った写真が それや。形見になってしもたけどな。 でもな、あの時、利根蔵という男が、 姉さんの方を嫁にしなかったらワシやったかもね」 「へえ、運命の分かれ道だね」 「人生のチョイスが、そん時や。 利根蔵は、ワタシに惚れとったから ワタシが行きたいって言えば、 ワタシがアメリカに行ったと思う」 「で、お姉さんはどうしたの?」 「死んだよ。アメリカに行って 1年もたたんうちに現地で子供を産んだ翌日、 髪の毛を洗うとか言うて 洗面所に行ったら1時間たっても 帰ってこない。心配した利根蔵が 見に行ったら、風呂桶に頭つっこんで 死んでたと・・・哀れなもんや。 子供生んですぐで貧血で倒れたんやろ」 「そう・・・」 「知らせは1週間後手紙で来たよ。 あんた、信じるかどうかな。 ワシはお姉さん死んだの知ってたよ。 姉さんが死んだと言う日、ドーンと言う 爆弾が落ちたような音が玄関でしたんや。 見に行くと何にもない・・・胸騒ぎしたワシが 姉さんの写真を見ると真っ二つに破れてたんや。 ワシはひょっとして姉さん死んだと 違うやろかと思っとった」 「カンは当たってたわけやね」 「あん時、姉さんの魂が帰って来たんや。 チョイスに当たったワタシは90まで生きて 、はずれた姉さんは17で死んでしもた」 「利根蔵さんは?」 「帰って来なかった。姉さんの骨だけ送ってきて、 今度は、ヨネさん来てくれないかって ワタシ宛ての手紙つけてきたよ。・・・おまえと一緒に なったら、ワシも死んでしまうって 返事書いて送ってやったわ。ハッハッハ」 ヨネさんは大きな声で笑った。 その直後、真顔に戻ったヨネさんは手を合わせ、 大事そうにお姉さんの写真を、元の仏壇の引き出し に仕舞った。
2004.09.19
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最近はテレビに押されて、ラジオに耳を 傾けている人は100人に1人くらいらしい。 聡子はラジオドラマ作家だ。 3年前、たまたま投稿した身の上話が 地元のラジオ局のディレクターの目に留まって 「よかったら書いてくれませんか」 と勧められ書くようになった。 月曜日から金曜日、毎朝、ほんの5分だけ朗読される。 どこにでもありそうな日常話を書いている。 とは言っても、プロとはとても言えない。 月々頂く原稿料だって10万円足らず、 とても生活はしてゆけないので、 3年前と同じようにOL生活を続けている。 「もう、やめようかなあ・・・」 原稿を届けるとき、いつも思っていた。 それでも、ディレクターに励まされ 毎日1通か2通来るファンレターや お叱りの手紙に刺激を受けて何とか続けてきた。 でも、今度は辞めようと思った。 原稿が書けなくてイライラしていた時、 交際中の彼と喧嘩してしまった。 いつもの聡子なら、それなりに聞き流せたはずだ。 冗談まじりの彼の言葉に噛みついてしまった 「書くことは人生を削ることって 自殺した作家が言っていたよ。それに、君のは 同じような話ばっかりじゃないか」 「マンネリってこと?」 「そうだよ」 「あなたに私の仕事のこと言われたくないわ」 「仕事ったって、パートみたいなものじゃないか」 「まあ、失礼なー」 ・・・・・・・・・・ 後味の悪い別れ方をしたせいか、 彼からは1週間電話がない。 毎日のようにかけてくれたのに・・・ 本当に、そうかもしれない・・・そろそろマンネリかもね。 私は人生を削りたくない・・・ やっぱり幸せになりたい・・・ そう考えて、ラジオドラマを辞める決心をした。 放送局のディレクターは、「またか」って感じで 「はい、一応聞いておきます。 でも、1週間分は録音してありますから・・」 と、また1週間もすれば原稿持ってくることになると 目で言っていた。 3年ぶりに書かない日が1週間続いた。 ポッカリ自分の心に穴が開いたような気がした。 そんなとき、久しぶりに彼から電話があった。 聡子は、ラジオドラマ辞めたの・・・と 言おうとしたが彼の口の方が早かった 「ごめん、生きがいを持っている君が羨ましかったんだ。 変なこと言ってしまって、今日は良い言葉見つけたんだ。 ”大いなるマンネリ”・・・どうだ?・・・ 社長の朝礼も大いなるマンネリ。大いなるマンネリが 毎朝繰り返されて、会社は成長する・・・」 「ええ!!それって何?」 「それとね、マンネリも続くと、驚異に変わるんだって。 そして、最後には尊敬になる・・これ全部、俺の会社の社長が 今朝の朝礼で話してたんだよ。社長、君のラジオドラマのファンだって。 毎朝、通勤の車の中で聞いてるそうだよ。あのドラマの 作家はすごく魅力的な人に違いないって言ってたよ。 俺、手をあげて、あのドラマ書いてるの。俺の彼女でーすって 叫びそうになったよ」 「そう・・・」 答えにならない感動で聡子の心に開いた穴が埋まった。 そして、ポロリと涙がこぼれた。 彼からの電話が切れてすぐ、放送局のディレクターから 電話がかかってきた。いつものように原稿の催促だった。 聡子は「はーい、もうすぐでーす」 といつものように答えた。
2004.09.18
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R社とL社が、プロ野球参入を目指すそうだ。プロ野球関係者やファンは、ストがあるかどうかばかりを気にしているようだが、これは、もはやプロ野球の枠を超えている。R社とL社は、インターネット関連の総合企業だ。おそらく、インターネットの世界で何でもやってやろうと思っているだろう。だから、この両者のプロ野球担当は、まず、主催試合を全部ネットで完全中継を目指す!つまり、パソコンや携帯端末で、そのチームの試合を、世界中、どこででも観戦できるわけだ。現在、ほとんどのプロ野球中継は巨人絡みだということを考えると、これは革命だ。新チームの地元は間違いなく盛り上がる。おそらく、新チームがやったことは、すぐにでも他チームでも始めるだろう。インターネット放送なら、グンと経費も安く済む。これは長嶋茂雄さんの選手時代からテレビ中継をキーにして発展してきた巨人中心のプロ野球の崩壊を意味する。プロ野球の所有者は、ファンになるのだ。同じ事は、他のスポーツやドラマなど、テレビでやってきた全ての番組にも起こりうるのだ。威張ってばかりいるタヌキたちが経営するテレビ局の中には、経営危機を迎えるかもしれない。今のプロ野球問題をただの一スポーツの問題ととらえるのは甘っちょろい。これは、あらゆる映像文化が、国中心大企業中心から地方個人中心へと進むプロローグに過ぎないのだ。ホームページを持つ、すなわち、世界ネットの放送局を持つことなのだ。
2004.09.17
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たしか1年前だった。名古屋場所を見に行った時、いっしょに行った女性たちが「すごくハンサムで、スーツの似合うお相撲さんがいる」と教えてくれた。2メートルはありそうな彼は、三段目だった。関取のために大きな座布団を肩に抱えていた。それが、今場所、新入幕の琴欧州関だった。先場所十両優勝の彼も、今場所は、かなり研究されて苦戦が多かった。やっぱり、鬼の住みか、幕内は厳しい。それでも、9勝6敗の数字は立派。来場所は、幕内中位まで上がる。ますます大変だけど、がんばれよー。
2004.09.16
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政夫と加世子は地味な夫婦だった。 小さな会社の安サラリーマンの政夫と、 スーパーでレジのパートをしている加世子は どこにでもいるマンネリ夫婦のパターンだった。 一緒になって、8年にもなるがお互いの間には子はなく、 他に何か生き甲斐があるかと言われても何もなかった。 ある日、加世子が言い出した 「私、絵本が書きたくて」 子供の頃からの夢だという加世子の 熱心さに政夫は 「そうだなあ・・・俺も、本は好きだし。 二人で、作ってみるか」 こんなに息が合ったのは新婚当時以来だった。 ふたりで力合わせて、半年くらいかけて 一冊の絵本を作った。 「せっかくだから、自費出版しようか」 政夫から言い出した 「せっかくだものね」 加世子も大賛成だった。 二人の作った絵本は、大変評判が良かった。 とんとん拍子に話が進んで、大手の出版社 から全国の書店に配本された。第2作、 第3作も好評だった。絵本は売れると 息が長い。子供向けのプレゼントなどにも 使われるから、地味だが確実に売れる。 10冊目の本が出る頃には、 二人の作ったキャラクターは子供なら皆知っているほどになり、 二人は立派なプロの童話作家になっていた。 そんな二人にすきま風が吹いた。 少しばかり金回りが良くなったのが原因だった。 政夫の浮気から始まったことだった。 何度も話し合ったが、結局、二人は離婚した。 「子供に夢を与える本を書いている私たちが、 こんなことになって・・・」 自責の念にかられた加世子だが、軽井沢で 別荘管理の仕事をしながら、絵本を書き続けることにした。 それ以外に、自分を見つめ直す方法はなかったからだ。 政夫は小説家を目指すと言っていた。 ふたりが別れてから3年後、加世子が仕事場で 原稿を書いていると、電話がなった。 何でも、かつての夫の政夫が危篤状態で、加世子に 会いたがっているというのだ。加世子にしてみれば 「今さら何よ」 と言う気持ちもあったが、事が事だけに、取る物も 取らず、東京の病院に急行した。 電話のとおり、政夫は酸素マスクと点滴で瀕死の状態だった。 小説家を目指したが失敗し、若い女にも捨てられ 気落ちしたのかもしれない。 売れない小説家などになった男と親戚つきあいする ほど政夫の兄弟たちも余裕もないのだろう。 付き添いの身内は誰もいなかった。 担当の看護婦に 「加世子さんですね。お呼び立てして申し訳ありません。 身内の方がどなたもこられないものですから」 「はい・・・」 浮かない様子の加世子に看護婦は 「今日、明日持てば・・」 とだけ言った。 政夫の眠るベッドの横に座っていると、うっすらと 政夫が目を開けた 「来てくれたのか・・・すまない・・・遅いと 思うが、俺はおまえと別れたことを後悔している 申し訳ない・・もう遅いなあ」 「生きてる間にわかったのなら、いいではありませんか。 一生分からない人がほとんどですよ」 ほんの一瞬、これだけの最期の会話だったが、加世子は 救われたような気がした。政夫を許してやろうと おもった。そして、ふたりで作った絵本のキャラクターを 大切に守って行こうと思った。
2004.09.15
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重い重い想い出は、昨夜の雷雨でも 流されなかった。一晩中降りしきった 雨で増水した川の欄干に盛也は立っていた。 手には宝石店の小さな箱が握られていた・・・ 響子と盛也は、友達の紹介で知り合った。 初めてのデートの日、公園のベンチだった。 「そうね、ティファニーの指輪がいいなあ」 響子のこの言葉が、すべての始まりだった。 「よーし、そんなら夏のボーナスで買って プレゼントするよ」 と盛也が勢いで言うと響子は 「ほんとに・・・」 と飛び上がらんばかりに手を合わせて喜んだ・・・ それから一ヶ月、週に1回週末に二人は会うようになった。 ちょうど、そのころ待望のボーナスがやってきた。 響子にゾッコン惚れていた盛也は、 ボーナスを叩いて約束どおりティファニーで 響子の注文通りの指輪を買った。 用意万端。 勇んでデートを申し込んだ盛也だったが、 肝心の響子は「いそがしい」と言って なかなか会ってくれなかった。3回4回と断られて 不安になっていた盛也に一本の電話が入った。 電話は響子を紹介してくれた友達だった 「あのなあ、響子、別に好きな彼ができたんだって。 元気だせよ。女なら、また紹介するから・・・それと、響子、 気にしてたぜ、指輪の話。まさか、まだ買ってないよな」 「ええ?・・・ああ、まだだよ」 盛也はやっと答えた。 「そうか、それならいいけど・・・」 友達はあきらかに盛也に同情した語り口だった。 行き所がなくなった指輪の箱を見ていると 響子の可愛い笑顔が目に映った。 「これがあるかぎり、響子を忘れられない」 そう思って家の近所の大橋まで来た盛也だった。 何度も何度も思いとどまったが、 エイッとばかりに気を込めた盛也の手から放れた 小さな箱は宙を舞った・・・ 川面に浮かんだ箱は川の流れに乗り、 川下へと浮いたり沈んだりしながら流れる。 あんな小さな箱なのに、見えなくなるまでの時間は とてつもなく長く感じた盛也だった。
2004.09.14
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近くの川で、数匹の小魚捕まえました。すばしっこい魚で、とても苦労しました。その時のヒラメキです「川にいるボラという魚は せわしい魚や。そんなに忙しくして大変やろ ちょっと楽させたろと水槽に入れたらすぐに死んでしもうた忙しくないと生きられへん魚やなあ」たまたまですが、雅子妃が、愛子様をご懐妊された日のメモを見つけました「ご懐妊報道を読んで ご懐妊されて騒がれています。 ほんと、よかったなあって気がします。 きっと、周りから色々言われて 日本で一番プレッシャーを感じている女性では ないでしょうか。 頼りない夫をけなす女性が多いですが たしかに皇太子様は優しい方でしょう。 でも、雅子様は誰にも言えないのです。 あたりまえのグチや文句・不平不満・・・ 周りの人にも、実のお父さんお母さんにも 彼女の苦労を考えたら、多くの女性は幸せです。 なんてたって、自由ではありませんか。 言いたいこと言えるじゃないですか。 悩んだ顔できるじゃないですか。 いつも誰かに観察されて いつも笑顔でいなければならない雅子様の 心労を考えれば、みんな贅沢な人ばかりです。 ほんと、おめでとうございます」ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、ボラは出世魚です。ハク→オボコ(イナッコ)→スバシリ→イナ→ボラ→トド行き着くところがもうないという意味の”トドのつまり”の語源は、ここから来ているそうです。まさか?そう、雅子妃は、ご結婚されてボラからトドになってしまったのです。しかも、水槽に入れられてしまった。最近、雅子妃がノイローゼではないかと週刊誌などで報道されています。お写真で拝見してもかつての目の輝きはなくなっています。それは、すべて、皇室という水槽のためです。さて、雅子妃は、どうすれば、かつての輝きを取り戻せるでしょうか?1 この際、離婚する(まるで、英国のダイアナ妃)2 開かれた皇室にする(どこかで聞いたような話ですね)まあ、世間で聞く解決策は、この二つですね。どっちも大変ですね。無理です。たった一人でできることではありません。雅子様、おひとりでもできる方法を考えましょう。恋をしましょう。浮気をしろとは申しませんが、いくら制約されていても素敵な俳優やスポーツ選手のファンになり演劇や試合を見に出かけたりファンレターを出したりすることくらいできるはずです。これだけでも、かなり生気が戻ってきます。恋は生きる希望を甦らせる最高の薬です。
2004.09.13
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私が子供の頃、一番イヤだった先生のタイプは 教えてやろうって態度で授業をやる先生でした。 そんなに子供の頃、イヤな思いしてたのに 大人になったら忘れて、自分も教えてやるって 態度になっていることがあります。 情けない話です。「俺もイヤな大人になってしまったか」 と自分を責めることもある今日この頃です。 さて、小学生の頃、一番好きだった先生を思い出すと、 バカなこと平気でする体育の先生とか 自分の失敗談を笑いながら笑わせながら 話してくれる先生じゃなかったでしょうか。 私は、ある元プロ野球選手に1年間ほど 少年野球のコーチをしてもらったことがありました。 彼は現役当時二流の選手で、たぶん誰も知らない と思います。たしか加藤さんと言いました。 息子さんも大変上手で、たしか三塁手でレギュラー。 バッティングは誰にも負けない自信のあった私ですが 守備はぜんぜん駄目だったんです。 加藤さんがノックするとボールは ピンポン玉のようにビューンと弾んで来るのです。 だから、怖いから私は逃げました。 「おまえは、内野だ駄目だ」 だから、私はいつもセンターかキャッチャーでした。 加藤さんは、一番最初の私の野球の先生で 最高の先生でした。口は悪かったですけどね・・ 試合の前のミーティングの時、緊張している ナインを集めて加藤さんは笑いながら、 こんな話をしてくれました 「俺は、たしかに二流選手だった。 そんな俺でも、一度だけ一流に触れたことがある。 俺がクビになる1年前、 入団早々すぐにレギュラーになったYが近づいてきた。 「教えてください」 って言われたものだから気色悪くなった俺が 「おまえみたいなエリート選手に ウロチョロされたんじゃ 背中がかゆくてかゆくて・・」 と言っても。あいつ、へらへら笑いながら 飲み屋から競馬場から ストリップ小屋までついて来るんだ。 おまけに寮長に頼み込んで 部屋までいっしょにしやがった。 あんまり、ひつこいから ぶん殴っても・・・ あいつは、ついてきた。 怒鳴って叱って泣いても毎日毎日 朝から晩まで、ついてきやがった。 そして、ひつこいくらいに 質問してきた。 「どうして・・そんなことするんですか?」 って。 「飲みに行ったり、女の裸を見に行くのに 理由なんかあるかって」 言うと。 「でも、あなたには、何かがあるから その何かを学びたいから・・・」 って、そんなことばかり言いやがった。 あいつは、伸び悩んでたんだ。 すぐにレギュラーにはなったが もっと上を目指したかったんだ。 そこで、補欠の俺に 自分にないものを見つけたんだとさ。 そんなもの、俺にも分からない。 あいつ、俺がクビになった年から大化けして、 見事、超一流選手になりやがった」 学ぶとか教えとか考える時、 私は加藤さんから聞いたこの話を 思い出します。そして、どんな人間にも 隠された一流の才能があるはずだと思うのです。
2004.09.12
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「ええ・・こんなところにあるの?」 確かに国道沿いではあったが、 熊か狸でも出てきそうな山・山・山・・・ 少し人影があったとしても、茶畑が あるくらいだ。周囲に人家は見当たらない。 ほんとうに、商売をやっているのか 心配になった。 「うちは、基本的には予約客だけね。 突然のお客さんには、ピザとパスタ くらいしか作らない」 店主の秀久は相変わらず無愛想そうに言った。 東京の名門イタリア料理店で15年修行した 秀久は、1年間奥さんと二人イタリアに 渡って帰ってきたのは3年前だった。 「一度は本場を見ておいたほうがいいと 親父が言うから・・・と言っても 親父は大工だけどね」 今日も店にある5つのテーブルには、予約済の札が 立っていた。4人がけのテーブルが5つ、それが 秀久の店のすべてだ。土地は安かったそうで 駐車場とは名ばかりの空き地が歩いて2分くらい のところにあっった。 秀久の作るイタリア料理は美味いと言う人と 首をひねる人が半々だ。個性的なのだ。 料理にも性格が出ている。個性が熱烈なファンを 生み、そのファンが新たなファンを生み出す。 名門のイタリア料理店で修行した同期の中では 彼は一番遅い開業だった。18歳のときに 抱いた夢は、38歳でやっと花開いたのだ。 借家住まいの大工のお父さんの一人息子の秀久だから、 独立資金も奥さんと二人働いて貯めた。それでも、 山の中の土地しか手に入らなかった。幸い、 お父さんが大工さんだったので、建築費は 半額で済んだようだった。スタッフは奥さんと お母さんと彼の3人。 「ボロ儲けはないかもしれないが、 俺の料理を食べてもらうには最高の場所だ」 そう店の自慢をしながら、伸びた顎ひげを撫でる 秀久の奥さんのお腹には来年早々出産予定の 待望の赤ちゃんがいる。親譲りの職人かたぎで無愛想で 要領も悪い秀久にも、苦節20年、やっと春が来た。
2004.09.11
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子供の頃、親から受けた虐待が少年犯罪につながることが多い。 研一の父は髪結いの亭主だった。 定職に就いたことがない ずっと、研一のお母さんが美容院をやって家計をささえて来た。 当時の美容院は、繁盛していた。 最新の設備を整え、若い美容師さんを何人も雇って 研一のお母さんは美しく輝いていた。 あれは小学校2年生の時の雨の日だった。 お父さんが雨傘を持ってきた。 研一は、 「来るなって言うたやろ」 と怒って言った。 きっと若くてキレイなお母さんに傘を持ってきて 欲しかったのだろう。 それに、ほかの子は皆お母さんが傘を持って来るからだ。 研一のお父さんは気の弱い人だが、 酒に酔うと、幼い頃から研一に暴力を振るった。 今で言う幼児虐待だった。 そんな境遇で育った研一は、弱い者いじめの天才だった。 強い者には、絶対手を出さない。 むしろペコペコしていた。 研一は中学2年から学校に来なくなり いくつかの凶悪事件を起こした。 18歳の時に強盗傷害で捕まった時、 取調官が幼少の頃の生活を質問すると、 研一は小さな子供のように泣いたという 「パパが叩くんや」 ・・・・・ 研一を救ったのは、お母さんだった。 被害者に責任を問われて、失踪してしまったお父さん の分までお母さんはひとりで頑張った。 何度土下座したか分からない。そして、 「申し訳ありません。あたしが仕事ばっかりして、 あの子見てやらんかったからです。みんな、あたしが 悪いんです」 を何度言ったか分からない。 釈放された研一を出迎えたのは、もうキレイではない 年老いた母と店員のいなくなったボロボロの美容院だった・・・ 人は皆、生まれてくる時に何らかの「人生の宿題」を 背負っていると思います。 その宿題をやらないと、別の誰かが代わりに、その宿題を やらなくてはならなくなります。 その別の誰かとは、たぶん、自分自身が一番大切に 思っている人や大切にしなければならない人です。 自分がやるべきこと自分ができることは、 自分の人生の中でやってしまうべきなのです。 そのような姿勢があれば、 たとえ、やり残したことがあったにしても、 それは単なる遺物ではなく、 次の世代にとって夢や希望の証となるはずです。 研一は、今、お母さんと二人で美容院をやっています。
2004.09.10
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心にポッカリ穴があいた時、スーッと現れる人がいる。現実ではなく、幻の世界。実物のあの人とはもう何年も会ってはいない。どうして、あの人なのだろう。好きになった人はあの人だけではないのにもう忘れてしまいたいのにどうして、あの人だけが私を苦しめるのだろう。ずっと、その答えを求め続けてきた。やっと答えが見つかった。いつものように、落ち込んでいる私の目の前にあの人が現れた。その時だった、「このままでは終わらない」という言葉が私の心から飛び出した。その瞬間、あの人の幻が消えた。あの人の幻は、ともすると、落ち込んで逃げだそうとする意気地なしの私を励ますために現れていたのだ。相変わらず、あの人は現れる。でも、もう私は苦しまない。「このままでは終わらない」そう唱えると、あの人は安心したかのように微笑んで帰って行くから…
2004.09.09
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あれは確か20年ほど前だった。 商売の町ナニワで 「商売が、ワシの趣味や」 と豪語する福本社長が、またもや 「ひらめいた」 と絶叫した。 その閃きで、福本社長は戦争直後から10数個の会社を 作ってきた。どの会社も現在も、すべて元気に健在である。 「今度は占いや」 と言う福本社長に有能な美人秘書の雅子は驚いた。 「社長には、いつも驚かされますが、 占いの会社なんてできますの?」 「まずは動くことや。まず占い師は・・・ あの、箸にも棒にかからんので辞めてもらおうって、 君が言うてた女の子おったなあ」 「栗田美代子さんですか?」 「そう、あの子に占ってもらおう・・・だいたい霊感のある子は ビジネスでは中途半端な子が多いからな・・・ 栗田美代子では当たりそうな気がしないから、ミヨコ・マローンで どうや。栗は英語でマロンやからな」 「はあ、名前はそれで良いとして、あの子に占いさせるにしても 事業としてするとなると・・・」 「そうやなあ・・・1日100人200人は占ってもらわんとあかんな・・・ 占いのパターン化、オートメーション化をせなあかん。 占いのお答えはこれや・・・」 福本社長は机の後ろの山と積まれた雑誌や新聞を指さした 「この雑誌や新聞には占いが載ってる。これを全部、 コンピューターに入力する。100冊あるから、 月とか年とか干支とか無視して1200とおりのパターンが できる。その入力をするのが栗田さんや。彼女の話し言葉に変えて 入力する。占い師は難しい言葉多いからな。商売は簡単でないとあかん。 女の子の親しみやすい話し言葉の方が売れるやろうしな・・・」 それから、数ヶ月後、関西のゲームセンターなどに コンピューター占いの機械が設置され、あっという間に全国に広まった。
2004.09.08
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プロ野球がストを計画している。プロ野球選手が労働者になって、どうするの?プロでしょう。プロならば、ちゃんとシーズン終えるべき。そして、ちゃんと日本シリーズで今年の日本一決めるべし。ここまでは、プロとしての責務だ。いくらスポーツを知らない自称経営者たちでも、ここまでは邪魔できないはずだ。これが合併反対・一リーグ反対に署名してくれた100万人に報いる方法だ。自称経営者なんか放っておきなさい。それよりも、ノンプロチームや理解ある企業経営者たちと新リーグを作るべきだ。そちらに、みんなで移籍すべきだ。もちろん、この間、大リーグや他の国に行く選手も出るだろう。それはそれでいいんだ。大事なことは、自称経営者たちの心を変えるのは不可能だということ。タヌキは死ぬまでタヌキ。人間にはならない。化けることはできるけどね。ストすれば、ファンが野球のない寂しい日々を過ごすだけ。打開策はある。新しいリーグを作ろう。今度こそ、選手が中心になって、ファンのためのリーグにすべき。サッカーができたんだから、もっと人気のある野球ならできるはず。そっちの方が速い。プロならスピードを追求すべきだ。
2004.09.07
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真夏の暑い日である。 都心の高層マンションに愛犬錠(ジョー)と 二人ぐらしのニュースキャスター愛子は、 朝の10時頃、スタッフの迎えの車でいつものように テレビ局に出かける。 エレベーターで1階まで降りたところで、愛子は叫んだ 「たーいへん」 サブディレクターの坊屋が 「どうしたんです?」 と尋ねると愛子は 「ホットドッグができちゃう」 と言い残して踵を返して、一目散に部屋に戻って行った。 しばらくして戻ってきた愛子を車に乗せ、 坊屋はテレビ局に向けて車を走らせながら話し始めた 「愛子さん、お料理中だったんですか?」 愛子は笑った 「違うのよ、錠よ」 「ええ、あのワンちゃんですか」 「私の部屋は、日中50度くらいになるのよ。 その間、錠ひとりでしょ。脱水症状で 死んじゃうわ。だから、クーラーつけてきたの」 「なるほど、犬はドッグで、暑いからホットで ホットドッグか・・・ハハハ・・うまいや。 ところで、この前の話考えてくれました?」 坊屋は急に真面目な顔になった。 実は、坊屋は愛子に結婚を申し込んでいたのだ。 でも、愛子は、まだまだ仕事に夢中なようで 坊屋の申し出を断ろうと思っていた 「クーラーのきいている部屋から 外に出ると、あれ?暖房きいてるぞ、 なんて錯覚したことない?坊屋ちゃん」 「ええ?まあ、ありますけど・・・」 「ちょっと、考えさせてほしいの。 番組のほうも好調だし」 「でも、愛子さん、俺のこと好きだって」 「たしかに、あなたは良い人だわ。でも、仕事と天秤に かけると結婚なんて考えられないのよ」 「そんなあ・・」 「お迎えの人、新米の彼に変わってもらってね。 明日から・・・」 「愛子さん、俺から逃げるんですか」 「違うの・・この前、ゲストに来たご住職覚えてる?」 「ええ・・・いつも、ニコニコ笑ってる人ですね」 「そう、あの方が言ってたわ。暑くて、 どうにもならないときは二日間くらい何も 食べないことですね。そうすると、背中が ひんやりしてくるのです。人間の本来持っている 体温調節機能がよみがえるんですって」 「頭冷やせってことですね。分かりました。 俺もホットドッグにならないうちに高野山にでも行って 座禅組んでこよっと・・」 坊屋は苦笑いした。 そうこうするうちに、車はテレビ局の地下駐車場に 滑り込むように入って行く・・・
2004.09.06
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「俺、サンタクロースは本当は泥棒だったと思うんだ。 だって、そうじゃないか?煙突から入ってくるなんて・・・」 と言う殿村孝史は電気工事会社に勤めている。 孝史の今日の仕事は、地下鉄の駅の廃線のチェックだ。 終電が走り終わった後、始発電車が走り始めるまでの間に チェックをすまさなくてはならない。 「俺たちが泥棒なら、駅の自動切符販売機なんてイチコロさ」 孝史は冗談を言いながら、2人の仲間と作業を進めていた。 地上は真夏でも、人気のない地下鉄のトンネル構内はヒンヤリとしている。 そんな孝史たちが作業を終えて、最終チェックをしようと していた時、孝史は不思議なことに気づいた。 さっき消したはずの電気室の電灯がついていたのだ。 「おい、さっき消したよなあ」 他の二人に確認すると、 「たしかに消したぞ」 と言う。 「おかしいなあ」 とつぶやきながら、孝史が電気室の中を見回すと赤い人影が チラッと見えて隠れた。 「今は、夏だよなあ・・・サンタクロースのわけないしなあ」 ブツブツ言う孝史に他の二人が 「錯覚だよ・・・おまえ疲れてるんだよ」 と言ったので、孝史は仕方なく電気室の電灯を消して立ち去った。 数日後、孝史は新聞を見て驚いた。 ”連日地下鉄の自動券売機荒らされる。犯人は未だ見つからず” この記事を見てひょっとしてと思った孝史は、警察に電気室であったことを話した。 「地下鉄のトンネルの中には、たくさんの小さな電気室が あります。でも、人が隠れることのできる所は限られています」 孝史は、作業用の地下鉄図面をチェックして見せた。 翌朝の始発前に犯人は捕まった。 案の定、犯人は孝史がチェックした電気室に潜んでいたのだ。 担当の刑事は上機嫌だった。 「いやあ、おかげで逮捕できたよ。犯人は赤いボディスーツを着た女だったんだ。 彼女は地下鉄に出入りしている空調会社の元アルバイトだった。 会社を辞めるときに図面を持ち出してたんだ。でもね、不思議なんだ・・・ どうして目立つ赤いスーツなんか着てたのだろう?」 孝史は笑って言った。 「赤はスリルを感じさせる色なんですよ。その女の人も、 たぶんお金じゃなくて、女泥棒のスリルがたまらなかったんですよ。 スポーツカーの赤の事故率が高く、スピード違反が多いのも同じですよ。 サンタクロースだって赤い服着ますしね」 「はあ?サンタクロースは泥棒じゃないだろう?」 刑事はよく分からないとばかりに首をかしげた。
2004.09.05
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あれはもう、10年くらい前になるだろうか。 北海道に一人旅した啓治は、大阪にいる恋人の美佳に電話した。 「今、北海道にいるんや」 ・・・ええ、北海道って遠いんでしょう? 「電車で来たからな。たしかに遠かった。」 ・・・へえ、行ってみたいな。広いんでしょ? 「うーん、確かに広い。土地が余ってるって感じや。 今度、一緒に行こう」 ・・・うん 「何か、おみやげ買って先に送るわ。愛情いっぱいの 甘い甘いお菓子を宅急便でね。明後日には帰るからね」 ・・・フフフ・・愛の宅急便ね。楽しみに待ってるわ・・・ と言うことで、啓治は”白い恋人”というお菓子を 宅急便で美佳に送った。もう一日、函館あたりに 滞在する予定だった啓治は、北海道の気分だけでも 先に送ってあげようと思ったのだった。 さて、啓治が大阪に帰って、家に遊びに来た美佳に言った。 「お菓子食べた?北海道の味した?」 彼女は不思議そうな顔をした。 「ええ、まだ届いてないよ」 啓治はビックリして、 「宅急便なら、翌日に届くはずや」 「でも、届いてないものは届いてない」 「何でや・・・宅急便なのに・・・」 啓治は、早いのが自慢の宅急便でも日本国内でも海を越えると 1日か2日か届くのが遅れることを知らなかったのだ。 「なんや・・そうやったのか。確認しときゃ良かったなあ。 届くのは明日や」 宅急便の配送センターに電話した啓治は、ガックリと 肩を落とした。その時、美佳は、啓治の肩を叩いた。 「フラフラッと、どこかに行っちゃう誰かさんが無事 帰ってきただけで、私にとっては最高の愛の宅急便よ」 とさらりと言ってのけたのだった。 この時、啓治は、絶対に、死んでも、何が何でも 美佳と結婚すると堅く堅く、それこそダイヤモンドよりも 堅く誓ったのだった。 さて、あれから10年。念願通り美佳と所帯を持った。 啓治は、小学校2年生を筆頭に3人の女の子の父となった。 美佳のお腹の中には、来月出産予定の男の子がいる。そんな啓治は、明日北海道に行く。同じ北海道でも、独身時代のような優雅な一人旅ではない。住宅ローンもあるのだ。 仕事!仕事!!仕事!!! 今度、生まれる子が成人するまで、なんと20年。 気が遠くなるような思いの啓治だった。 その上、あのスラリとして美しかったはずの美佳は・・・ 10年前から1年ごとに2キロずつ太って巨大なゴッドマザーに変身していた。美佳は、大きなお腹をなぜながら ニッコリとして言った。 「あなた、愛の宅急便待ってるわ」 ・・・・・
2004.09.04
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毎日、何回くらいかなあ…鏡の前で笑顔を作ることにしているこんなんどうやろうかあんなんどうやろかいろいろなパターンを工夫する電車に乗っている時も車窓に映っている自分を見ながらいろいろやっている変なオッサンやろなあ…笑顔の工夫をするたびに心のレベルが少しずつ上がるような気がする。私の一番の商品が笑顔この商品に磨きをかけて一人でも多くの人を元気にするんだ
2004.09.03
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健司は今日ほどタイミングと言う言葉を 噛みしめたことはなかった。 まず、朝のラジオ体操である。 「眠いよー、眠いよー」 と泣きじゃくる5才の息子を引きずるように 会場の公園に行くと、なんと、近所の美人の 奥さんに出会った。ナイスなタイミングである。 今日は素晴らしい1日になりそうである。 美人の奥様は、かわいい犬を連れて 朝のお散歩だった。美人の奥さんに連れられて いると、おそらく雑種でも、かわいい犬と 思えるから不思議である。 さて、たまの休みくらい、うるさい奥さんの 声を聞きたくない健司であった。 「映画でも見てくるよ」 と家を出た。トムクルーズでも見てこようと 思ったのだろう。しかし、そんな健司を 5才のかわいい息子が追いかけてきた。 もしかしたら、この子も、幼稚園の休みくらい うるさい母親の声を聞きたくないと思っているのでは ・・・ そう思った所に、あの奥さんの声。 「遊園地に行きたいんだって・・・」 かくして、トムクルーズは、おあづけとなった。 バッドなタイミングである。 最良の1日は、少しずつ崩れてきた・・・ 健司は子供の頃からジェットコースターが 大好きである。遊園地では必ずジェット コースターに乗る。独身時代は、がら空きの 遊園地で連続5回ジェットコースターに乗って 倒れて救急車で運ばれたこともあった。 そんな思いをしても、健司はジェットコースター が大好きであった。しかし、そのジェットコースター は5才の息子と一緒では乗れない。身長120センチ 以上でないと乗れないのだ。 「くやしー」 と5才の息子も叫んだ。 しかたなく、健司は急流滑りに乗ることにした。 ボートに乗り水の流れに乗って、最後に 高い坂道から猛スピードで下ってバシャーンと 水を浴びる、どこの遊園地にもあるあれである。 ジェットコースターの足下にも及ばないが、 2カ所急流滑りにも少し恐いところがある。 カタンカタン・・・坂を上る健司と5才の息子、 さあ興奮が最高潮と思った時、健司の携帯電話の着メロ ♪キロロの長い間がなった♪ いつものように条件反射的に出てしまった健司、 ・・・あーた、帰りに、おいしそうなフルーツ飴が あったら買ってきて、それから・・・紅茶もなくて ・・・と奥さんの声である! なんて、こんな悪いタイミングがあるだろうか。 電話に気を取られてしまった健司は電話をしたまま 坂を急降下し、ボートから落ちそうになるわ、 水しぶきをモロに浴びてしまって、 「アハッハハ・・・父ちゃんビショビショや」 と5才の息子に笑われてしまった。 悔しさ100倍の健司は、気球に乗って150メートル上空に 昇ることにした。これはフリー切符を買っても、さらに 大人1000円子供500円を支払わなくてはならない 特別のアトラクションなのだ。 さて、気球はグングン・・・上がって行く。 健司の足は10メートルですくんでしまった。 スピードには強い健司だが、ゆっくり上昇には弱いことを忘れていた。 しかし、5才の息子は超喜んで飛び跳ねる 「おい、動くな・・・揺れる・・・動くな・・・」 健司が叫べば叫ぶほど、アハッハ・・・息子は飛び跳ねる・・・ ブルブル震え、足がすくみ、跪いてしまった健司。 そして、ガイドのお兄さんが 「ただ今150メートル上空です」 と言った瞬間、またも携帯電話の着メロ♪長い間が・・・♪ こんな最悪な状態でも条件反射的にでた健司、 ・・・あーたー、水虫の薬買ってきて・・・ 最近、調子悪くって・・・ どこかに探知機でもついているのだろうかと 健司はタイミングの恐ろしさをマジマジ感じた一日であった。
2004.09.02
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いつもニコニコ苦労知らずに見える理恵さんは かわいい赤ちゃんの麦雄君をあやしながら 「わたしねえ、これでも2度命拾いをしてるの」 と言った。 「一回目はね、6年前、うちの主人がパンの配達に 岐阜まで出かけた日だったわ、私ね、兵庫県のの宝塚に 住んでたの」 理恵さんとご主人は、パン屋さんで働いていた。 ご主人はトラックに乗って配達係。 理恵さんは、パン工場で朝4時から数人の仲間と働いていた。 たしか寒い朝だった。何やらグラグラ・・・と揺れた。 誰かが 「あら、地震みたいね」 と言った。理恵さんもニコニコ 「そうみたいね」 と言った途端、物が倒れたり、上から落ちてきたり、 あまりにも激しい揺れが来たりで理恵さんは 腰が抜けてしまったのか、気を失ってしまった。 気が付いたら、パン屋さんは半壊していた。 他の仲間も無事だったようで、何とか這い出して 工場の外に出ると、向かいの民家がペシャンコに なっていた。うめき声がするので、みんなで 瓦礫の中から家族を引っぱり出したが、すでに遅く みんな息絶えていた。阪神大震災だった。 「2回目はねえ。この子を産んだとき・・」 7ヶ月だった。母子ともに順調で、ご主人も 結婚7年目にして、やっとできた我が子の 誕生を心待ちにしていた。理恵さんが夜中に 目を覚ますと下半身がニョロニョロとした 気分になった。ぜんぜん、痛みは感じなかった。 体の血の10分の1が出血して流れ始めていた。 「救急車・・・早く来てください。うちの 家内と子供が死んでしまう」 ご主人が大騒ぎしていた。でも、理恵さんは 何が起こったか分からなかった。うつろな 感じだった。かすかな記憶があるのは、 救急車が来て担架に乗せられて運ばれた時と 病院の手術台に乗せられた時だった。 赤ちゃんは、急遽、帝王切開で出産。 幸い、赤ちゃんは未熟児だったが健康だった。 でも、理恵さんは、最悪の場合、子宮摘出の 大手術の可能性もあると言われた。 「ご主人が、気づくのが数時間遅れたら 母子ともに絶望的でした」 と担当医は言った。 理恵さんは、妊娠中毒症だった。 1ヶ月の入院の後、元気になった理恵さんは 愛児麦雄君と優しいご主人と幸せな日々を送っている。 ちなみに、理恵さん夫妻の夢は、二人でパン屋さんを 始めること、愛児麦雄君は、パンにちなんで麦とつけた 「人を雇うほど、儲からないと思うの。 だから、子供にも手伝ってもらおうと思って麦雄なの・・」 理恵さんのニコニコ顔を見ていると、 きっと彼女の夢は叶うような気がした。
2004.09.01
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