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3年前のチョコレートカレンダーの数字は、 行儀良く並んでいます。その数字に意味をつけるのは あくまでも人で、数字には関係ないことです。 2月14日がバレンタインデーと言うのを 知ったのは中学生の頃でしたが 無骨者の私には関係のないことでした。 昔、阪神タイガースに バレンタインと言う選手が 2年ほど在籍していました。 子供の頃は、てっきり彼(バレンタイン選手)の 誕生日と思っていました。 月日が流れて、会社勤めするようになっても、 机の上に義理チョコを 置いてあることはありましたが 寂しい2月14日を迎える日が 多かったのです。 営業の仕事をしていた頃のことです。 事務所にTさんという25歳くらいの 女の子がいまして、別に美人では なかったのですが、気のいい女の子でした。 私は彼女を少し気にいっておりました。 話しかける時は少し頬が熱くなるのを感じたほどでした。 でも、彼女にはきっと彼氏がいると思っていました。 男の人と日曜日歩いていたという噂もありましたし。 ですから、好きだけどノーマークだったのです。 さて、2月14日がやってきました。 朝、出勤した私は書類のコピーをとるために たまたま彼女のデスクの横を通りかかったのです。 すると、彼女が 「これ、つまらないものですけど・・・」 真っ赤な包みの箱を手渡されたのです。 私、何の疑いもなく”義理”だなって思いまして 「あ、どうも」 と軽くお辞儀をして、数分後そのまま営業に出ました。 なにしろ、鈍感なヤツですから ホワイトデーもクソもありません。 そのまま忘れて、頂いたチョコレートは 私のデスクの中で、なんと3年間も眠ることになりました。 それから、3年後、Tさんは別の営業所の若手所長さんと 結婚することになり退職することになりました。 1次会が終わって2次会、たまたま横に座った私に 彼女が小声でささやきました 「振られた人に祝って頂けるなんてね」 「はっ?」 私は何のことやら、サッパリ分かりません。 思い出したのは帰りのタクシーの中でした。 「ひょっとして・・・」 私は、翌日、デスクの中を探しました。 出てきたのは埃にまみれた真っ赤な包み。 包みを開けると、チョコレートと映画の券が二枚・・・ 「ウワッ」 と叫び声をあげた私は、 しばらく、天を見上げました。 縁がないと思っていた2月14日の想い出です。
2006.02.28
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偶然じゃないしがないサラリーマンの柳本には、妻と小学6年生を頭に3人の子供がいるが、結婚以来ずっとアパートくらしだ。それなりに幸せな柳本家だが、やっぱりマイホームが欲しい。「できたら、山田さんの家みたいなのがいいなあ」柳本は、会社への行き帰りに隣町の某大銀行頭取山田の邸宅の前を通るたびに思うのだった。ある夜、そんな柳本の気持ちを反映したのか。夢の中に山田の家が現れた。しばらく、TVカメラのレンズを覗くようにして、あっちこっちのアップが映し出された。その中で、ほんの一瞬だが白い門塀に埋め込まれた表札のシーンに、柳本はハッとした。山田と彫られた白い表札が点滅したかと思うと、柳本に変わったのだ。しかも、このシーンの時、バックコーラスのように偶然じゃない…偶然じゃない…とエコーかかった声が、こだましていたのだ。このシーンは、柳本が目覚めてからも、鮮明に頭の中に残った。翌日、柳本が得意先に商品を納品に行くと、胸に名札をつけた女の子とすれ違った。その名札が柳本と書いてあった。その名札を見た瞬間、柳本は、昨日の夢を思い出した。「思いすごしかな…」と呟いた柳本だが、その言葉を覆すように、頭の中で、…偶然じゃない…と、こだました。それから、ごく普通に仕事をこなし、家に帰り食卓につくと、妻がビールを傾けながら言うのだった。「今日、山田さんが来られたのよ」「はあ?まさか、隣町の」「その山田さん。御主人、何か不祥事があって辞められたそうよ、銀行。実家に帰られるそうよ。で、うちに、あの家、買わないかって。不動産屋さんに頼んでも売れないそうよ。でも、時価1億5000万よ。買えるわけないわね。うちの貯金って200万だもんね」「それにしても、不思議だな。なんで、うちに、全然、面識ないだろう。隣町だし」「そう、私も初めて知ったのよ。山田さんの息子さんとうちの剛(長男)は同級生だったのよ。剛が、山田さんの息子さんに、お前の家いいなあって言ったそうなのよ。それで、もしかたらって思ったらしいの」「へえー」そう呟いた柳本の頭の中で、またも、…偶然じゃない…と、こだました。次の日、柳本が会社に行くと、社長からお呼びがかかった。入社して20年になるが、初めてのお呼びだった。ひょっとして、リストラかも…とビクビクしながら社長室に行くと、社長がニコニコ顔で待っていた、「柳本君、君は、○×町の近所に住んでるそうだな」「はい、南○×町です」「実は、知り合いの不動産屋社長から○×町の豪邸の管理人を探してくれと頼まれてね」この○×町の豪邸とは、山田の家だった。柳本一家は、買い主が見つかるまで管理人として山田の家に住むことになった。この頃から、柳本一家の合い言葉は、…偶然じゃない…になりつつあった。そして、1年後、柳本が妻との馴れ初めを書いた小説がベストセラーになり、門塀の表札に彼の名字が刻まれることになった…
2006.02.28
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女神からの贈り物ニューヨークのウオール街で2年間、 相場の世界を体験して一皮むけた健司は、 帰国してすぐ岡野という70歳くらいの 投資家の秘書になった。 時は1980年代前半ということにしておこう。 岡野は最後の相場師と言われる男である。 岡野は、 「もうすぐ今世紀最後の大相場が やってくる。どうだ・・・やってみるか」 と健司に尋ねた。 「はい・・・やらせてください」 「まず、証券会社をどこにするかじゃが・・・」 「大手はダメでしょう・・・会社の都合で動きますから」 「・・そうだな・・・次は担当者だが」 「男性はダメですよね・・・ノルマがありますから」 「そうだな・・・女の子はノルマがあってもたかが知れている」 「はい・・・だからボロ株を掴まされる心配は少ない」 「そこまで分かとるなら、ワシの担当の女の子で 勝負したらどうかな?」 「先生の?・・・」 健司は当時民営化されて初めて売り出される NTTの株を手に入れたかった。 多くの評論家は株価104万円は高すぎると 新聞雑誌等に書き連ねていたが、 岡野の意見は違った。 実力は日立製作所の3倍しかも 流通する株の量が極端に少ない。 だから、1株300万円くらいは行くであろうと予測していた。 健司は岡野の予測に従った。 岡野の担当という女の子は、Hホテルの ロビー横のソファーで待っていた。 か細い普通の女の子で、この子とともに 3年で100倍という大勝負を賭けるのは、 大いに不安な気がした。 「S証券の岡野悦子ともうします」 ハッキリとした言葉使いで挨拶した。 「岡野・・・って先生の・・」 「孫にあたります・・まだ、今年入社したばかりで・・・ウフフフ」 笑顔の可愛い子だなと健司は思った。 「どうしたんです?笑ったりして」 悦子は笑いを堪えるようにして 「でも、おじいちゃんの言ってたとおり、おじいちゃんの 若い頃の写真にソックリですね」 「そうですか?・・・」 健司は最後の相場師として名の知れた岡野が 孫とは言え、どうして、こんな新米を紹介したのか分からなかった。 しかし、そんなことを考えている余裕はなかった。 NTTの株を手に入れるには証券会社が取次ぎをしている 確率が20%と言われていた抽選に当たらなくてはならない。 健司は知り合いという知り合い全てにNTT株の申込書を書いてもらった。 すべての申込書を悦子に手渡し、 運を天に任せた。 「買えましたよ・・良かったですね」 悦子からの電話は勝利の女神は微笑みに思えた。 10日後、健司は首尾良くNTTの株を手に入れたのだ。 岡野の予想通りNTTの株は、 数ヶ月後300万円の高値をつけた。 「もっと上がるかもしれませんね・・・先生」 「いや。買うは安し・・売るは難しじゃ」 「はい・・・売る時が本当の勝負ですね」 健司は悦子に売りの電話を入れた。 予定通り1株298万円で売れた。 それから、健司はその金を元手に 株価の安い大企業株を買っては売り買っては売った。 予定通り利益が出れば、すぐに売る。 大商いとなり買ってから1週間で売った株もあった。 大相場での株は売り買いの回転のスピードが早い者が勝つ。 これも岡野の教えであった。 やがて健司の持ち株は20社を超えた。 もう電話では追いつかない。 健司は悦子のいるS証券の営業所の電光掲示板の 前に開店から閉店まで居座ることになった。 勝負事に女は禁物という格言がある。 女が絡むとどうしても男は見栄っ張りになるからだ。 でも、悦子に限っては格言は外れていると健司は思った。 悦子は健司にとっては勝利の女神だった。 理由は分からないが、面白いほど健司のカンは冴え渡った。 最初の頃は 「順調ですか?」 悦子の言葉はこの一言だけだった。 「おかげさまで」 健司の返す言葉も一言だけだった。 そのうち、気心が知れていろんな話をするようになった。 場が引けてからは、ささやかなデートするようになった。 映画を見たり、 コンサートに行ったり、 レストランで食事をしたり、 そして、バーで健司は夢を語った。 「成功して、ロケットに乗って宇宙に行くんだ」 悦子は 「私も乗せて下さいますか?そのロケット・・」 健司は両手を広げて 「グリーン車に乗せてあげるよ」 不器用なつき合いだった。 健司は、この相場に勝ったら悦子に プロポーズしようと心に決めていた。 そんな矢先の初めての出会いから1年くらい過ぎた ある日のこと、健司はあることに気づいていた。 初めて会った頃の悦子は痩せてはいたが健康そうだった。しかし、最近の悦子は ヨロヨロと今にも倒れそうな事がある。 本人は「貧血で・・・」と言っていたが、 日に日に様子がおかしくなり、つい先日からは 松葉杖をついて歩くようになっていた。 恐くて本人には聞けない。 健司は、岡野に尋ねた。 「そうか・・・杖をつくようになったのか・・・ もっと早く知らせるつもりだったんじゃが・・・ ・・・あの子の命はあと1年持つか持たないかなんじゃよ」 というと岡野は白くなった眉に手をあてた。 悦子は全身の筋肉の力が衰弱して行く病気だった。 「バカバカしくてやってられない」 そう3年前、傷心でニューヨークに向かった時も、 健司は同じ気持ちだった。 「二度と人なんか愛さない」 あの日、滑走路を離れるとき誓い、 「信じられるのは金だけ」 と相場の世界にどっぷりと浸かった。 でも、やっぱり愛がなくては生きられなかった。 どんなにボロボロに傷つこうとも相場の世界は 数字という亡霊を放ち続ける。 甘い感傷など忘れてしまえと血も涙もない戦いは続いた・・・ 悦子と初めて出会った日から2年過ぎた頃、 健司は目標の金額を手に入れた。10人に1人儲かって いるかいないかと言われる株の世界で 信じられない大金を手に入れたのだ。 そんな健司の勝利を見届けるかのように悦子は、 健司の前から姿を消し女神になった・・・
2006.02.27
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2度目の初恋高校の卒業旅行で友達と出かけた山から転落した岳夫は、ショックで過去の記憶を失ってしまった。「命が助かったんだから、よかったじゃないの」そう言いながら、母は岳夫が生まれた頃からのアルバムを見せてくれた。父も、いっしょに行った旅行先の話を一生懸命にしてくれた。妹は、よく兄弟喧嘩した話や、妹がいじめられた時、岳夫が敵討ちをしてくれたと話してくれた。友達も何人か訪ねてきてくれて、想い出話をしてくれた。でも、どんなに熱心に話してくれても、岳夫にとっては、面白くない映画程度の感動で、とても自分のことだとは思えなかった。そして、岳夫の恋人だという侑子という女の子がやってきた。侑子は、ドアを開けるなり、「岳夫君」と、いかにも会いたかったとばかりに岳夫の所まで駆けてきた。「岳夫君、覚えてる?私は、あなたの初恋の人なのよ。あなたは、幼稚園の頃から、ずっと、私に憧れていたの。初めてのデートが中学2年の冬で、初めてのキスが中学3年の夏だったわ。セミがミンミン泣いてたわ。あなたは、私の顔を見ているだけで、なかなかキスしてくれない。1時間くらい、しそうでしない。やっと、してくれた時、私、首筋が吊ったのよ…」侑子は、次から次へと想い出を語ってくれたが、岳夫には、一向に思い出せないことばかりだった。ただ、侑子の頭の天辺からつま先までを見ていると、ウキウキして、おチンチンがムズムズしてきた。気が付いてから、ずっと無感動な日々だったが、岳夫の初めて気持ちが動いた。さすがに話しつかれた侑子が、「なかなか思い出せないようね…」とガッカリして言うと、岳夫は、「でも、君とは、また会いたい、できたら、このまま、傍にいてほしいと思う」「でも、全然、思い出せないのよね」「君は、僕の恋人だったんだね?」「ええ」「もし、良かったら、もう一度、恋人になってくれないか?新しい僕と」「新しいアナタと?」「僕は、この何日か、忘れた過去を思い出そうと必死になって、すごく疲れていた。君の話を聞き始めた時も同じだった。でも、今は違う。僕は、君に2度目の初恋をしている。僕は忘れた過去よりも、これからの未来の為に頑張ろうと思う」そう言った岳夫の目が、元気な頃のように輝いた…
2006.02.27
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デコボコで波瀾万丈になってしまったこの前の日曜日は、一日中近所の 緑地公園で過ごしました。コンビニで 買ってきた幕の内弁当食べたり 軽く走ったり疲れたら芝生の上で 音楽聞いたりしていました。 「おい、元気か?」 と声がかかったので振りかえると 中学の同級生の桧山君ではありませんか。 桧山君は読書家で有名でした。 聞くところによると彼の10数年間はこうでした。 「名門のS高校に受かって、 有名国立S大の医学部に入って、 一発で医師国家試験に受かって、 大学病院に勤めて、お父さんの残してくれた 土地の上に病院を建てて暮らしているそうです」 まあ、人が羨むような輝かしい人生です。 話していて、あんまり順調なので面白くありませんでした。 ごめん。 夕方頃、 「そろそろ帰ってきたら・・」 と携帯電話が鳴りましたのでトボトボと 帰り道を歩いておりますと 私の横を通り過ぎたミニクーパーが 前方10メートル地点で止まりました。 窓から顔を出したのは、タマ子さんでした。 彼女は今スナックのママをしているのですが、 「最近、店に来ないから心配してたのよ」 「ごらんの通り、健康管理中・・・」 京子さんは黒のジャージ姿の私を見て 「なるほど・・・そりゃそうと、 やっぱり別れてしもた・・・」 「ええ・・また別れたんか」 タマ子は、今まで5回離婚しています。 20歳の長男を先頭に高校生小学生と 子供が3人いるのですが、みんな、お父さんが違います。でも、3人は不思議なくらい仲良しです。 ドラマチックな人生を歩むタマ子さんは、 お金に困ってサラ金から追いかけられたり 店の家賃を払わないと大家さんから 出ていけ!と言われても平気のへの字の人生です。 この前は、第4代ご主人が包丁を持って 「ヤイ、タマ子は俺の女や・・・」 とスナックになぐり込んできました。 勇敢なタマ子さんは第5代の御主人の前に仁王立ちして 「何言うてんの・・・私の惚れた男に 手を出すんやったら・・私を殺してからにして」 と大きなタンカを切ったのです。 この迫力に押されたのか、第4代御主人は ヨヨと泣き崩れ、バーテンさんが呼んだ警官に 連れて行かれました。 ここまでして獲得した男とアッサリ別れるなんて・・・ こんなタマ子さんは嵐を呼ぶ女かもしれません。 でも、いつもカラッと明るい彼女なのです。 平凡な人生も素晴らしいのですが、 デコボコで波瀾万丈になってしまったら そんなドラマを楽しんでもいいのではないでしょうか。 タマ子さんは 「梅ちゃん・・・かわいい子が入ったんよ・・・ 絶対、気に入ると思うわ・・・だから来週は寄ってな」 とシッカリ、コマーシャルをしながら、 たしか第4代御主人のプレゼントだった ミニクーパー飛ばし出勤して行きました。
2006.02.26
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アクセント「いらっしゃいませ。ありがとうごぜえます。おいしーでえすよー」久しぶりに帰った故郷の駅前で、新子はシュークリームを売っている。午前中は、パラパラッとお客さんが来る程度だが、お昼になると近くにある会社のOLや学生で5人から10人が常に並ぶほど繁盛している。新子は、つい半年前まで都会でOLをやっていた。高校を出てから5年、都会で働いていたのだが、どうもしっくり来ない気持ちがたまっていた。でも、それが何なのか自分でも分からなかった。分かったのは、3年付き合った彼との別れた時だった。「なんか、空々しいんだよな。おまえは」彼の別れ言葉だった。都会に住んで働いていると、故郷言葉は影を潜めて、ついつい標準語になる。そのまま、都会に染まって行ける人は良いが、新子はダメだった。訛りが出るのを怖がって、言いたいことも言えない。彼とも並んで座っているのに透明のビニールが二人の間にあるような気がした。「このままじゃ、私はダメになる」新子は、思い切って会社を辞めて、アパートも引き払って、故郷に帰って来た。帰ってきた日、降り立った駅で見つけたのが、駅前のシュークリーム屋さんの店員募集の張り紙だった。面接をした店長は、入社試験だと言って、…いらっしゃいませ。ありがとうございます。おいしいですよ…と書かれた紙を読むように言った。新子は、何げなく、「いらっしゃいませ。ありがとうごぜえます。おいしーでえすよー」と故郷訛りで読んだ。店長は、ニッコリ笑って「よし、採用」と声を張り上げた。ある朝、新子は、いつものように、「いらっしゃいませ。ありがとうごぜえます。おいしーでえすよー」と良く通る声を響かせていた。「1個だけでも売ってもらえるのですか?」そう言う若い男性の声がした。「はーい。いいですーよ。おいしーでえすよ」と、いつもの調子で振り向いた新子は驚いた。それもそのはず、そこに立っていたのは、別れたはずの彼だった。
2006.02.26
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寝たマネ上手タイムマシーンとは里帰りの事を言うのかもしれない。亜紀子は、そう思った。 3人兄弟の長女に生まれ、 短大生の妹と高校生の弟がいる。 父も母も元気である。 ごく普通のサラリーマン家庭で生まれ育ち これと言った苦労もなく、 短大を出て1年、職場恋愛でゴールインだった。 そして1年経過、首尾良く第一子が生まれて 産後の2週間をノホホンと実家で過ごした。 何から何まで筋書き通りの人生で 平凡すぎるが、これが幸せと言うものだと 亜紀子はマジマジ感じていた。実家の様子は 結婚まで暮らしていた頃と何も変わっていない。 父は7時30分に家を出るし、 妹も弟も学年は上がったが 1年前も同じように妹は短大生だったし 弟は高校生だった。母も近所のスーパーで パートをしていた。 変わったのは自分だけだ。 この1年に娘から妻になり母になった。 名字も変わった。 住所も変わった。 産後の日立ちも良いようで、天気の良い 日曜日、夫と愛児と3人で我が家に帰ることになった。夫は優しい良いパパになりそうな男である。 バスで30分も揺られれば、我が家である。 新興住宅街の一戸建てを夫の両親と 亜紀子の両親が半々ずつ負担して 二人の為に誂えてくれた。 バスの30分は立ち続けだとつらいが うまい具合に2人分席が空いた。 バスが動き出すと子供が泣き出した。 「どうしたんだろう」うろたえる夫。 「ミルクよ・・・」と亜紀子が ほ乳瓶でミルクを飲ませると落ち着いた。 新米のパパとママである。 これから、ちょっとしたことで 大心配しなくてはならない。 亜紀子が子供にミルクをやりながら 何気なく前の座席を見ると 居眠りしている男性がいる。 ミツオだ・・・間違いない。 眠っているから良いものの 起きていたら大変だ。 夫と赤ん坊といっしょの所を見られたら・・・ ミツオとは二人で夜の同じ天井を見た仲だった。 ミツオと亜紀子は、合コンで知り合った。 たぶん、ミツオは今年4回生だろう。 頭も良いしハンサムで優しい男。 そんなミツオに亜紀子はゾッコンだった。 ただ、ミツオは超短気だった。 カッと来ると、すぐに手を出す。 亜紀子も何度も殴られた。 何度か警察のお世話になったこともある。 そんなことでもなければ、 ミツオと今でも付き合っていただろう。 それにしても、偶然とは恐ろしいモノである。 やはり里帰りはタイムマシーンなのか・・・ 亜紀子は、自分たちがバスから降りるまでは ミツオが眠ったままでいることを祈った。 その時、急ブレーキがかかったのだ。 バス全体が大きく揺れた。 ア・・・大変・・起きちゃう・・・ 亜紀子の注意がミツオに集中してしまったからか、 ほ乳瓶が手から滑り落ちた・・・ ゴロゴロ・・・ほ乳瓶が転がる・・・ 子供が泣き出した・・・ 次の瞬間、目の前のミツオがサッと立ち上がり ほ乳瓶を拾って、亜紀子に微笑みながら手渡すと 「可愛い赤ちゃんですね」 とだけ言って、 そのまま次の停留所で降りて行った・・・ 隣の夫を見ると、何も知らずに スヤスヤと可愛い顔で居眠りしている。 ほ乳瓶を含ませると、子供はすぐご機嫌様になった。 亜紀子は、罪のない二人の可愛い子供?を眺めながら そういえばミツオは寝たマネが上手だったと思った。
2006.02.25
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ごく日常的な話ある夕方、私はJR常磐線土浦駅にいた。土浦では、ちょっと野暮用があった。ここから、東京の上野まで戻る方法には二つある。特急ひたちに乗るか、普通電車に乗るかだ。私は、少し悩んで、普通電車で行くことに決めた。理由は、特に急いで帰ることもないし,何よりも駅前の本屋で買った本を読みたかったのだ。「世界一簡単な英語の本」猫さんとお菓子屋さんが出てきて、楽しい英会話の本なのだ。5月には、1週間ほどアメリカに行くつもりなので、と言ってもグアムだが、これを機会に久しぶりに英会話の勉強でもしようと閃いたのだ。若い頃は、分厚い本を読破することに快感を覚えた私だが、中年と呼ばれる年齢になると、自分の能力の限界を悟ったのか、なるべく薄い本を読むことにしている。どだい私のように雑な人間は読書に向いていないのだ。もし、どうしても、分厚い本を読まなければ、世間から置いて行かれそうな場合は、奥の手を使うようにしている。たとえば、ハリーポッターのような本の場合は、本だけを買ってきて、身近な人に読んでもらって、本を読み終えたら、居酒屋にでも誘って、内容を教えてもらうようにしている。映画やテレビドラマも、この方法でダイジェストを学んでいる。私にとって、身近な人たちは大先生なのだ。いやいや、私にとっては、会う人皆先生なのかもしれない。かくして、私は、ホームに滑り込んできた普通電車に乗り込んだ。しかし、本を片手に座った私だが、自分の周囲の異様さに気づくのに時間はかからなかった。右には中国人4人組。前にはチョーミニスカートをはいた女子高生3人組。左には酔っぱらいのオジサン3人組。まず思ったのは、この女子高生3人組は、私のようなオジサンが目の前に座っているのに、どうしてゲラゲラ笑いながら足をパーッと広げるのだろうか。私の首は、「見たらあかん。見たらあかん」と緊張し本に釘付けになってしまった。と言っても、画像は見えなくても意識は前を見ているので1行も読めない状態だ。そんな私の意識を錯乱させたのが、左のオジサン3人組だ。何を騒いでいるんだ。政治の話や経済の話、酒臭い!!もうちょっと上品に話をできないのか。こら、前を見るな。お前の娘かもしれないぞ。さて、右の中国人。この人たちは、チャーチンコンカンケン…何を言ってるか分からない。とにかく、必死に話している。ずっと、彼らは上野まで休まずに身振り手振りしながら、汗をかきながら、しゃべりまくった。だが、彼らは、ただのおしゃべりではなかった。彼らの偉い所は、斜めに座っている女子高生の方を一切見なかった点だ。これは、どうでもいいか。単に話に夢中だったからかな。もう一つ、とても感心したのは、取手から乗り込んできた2歳くらいの寝ている子供を抱っこした女の人に、サッと立って席を譲ったことだ。しかも、この時、彼らはこしゃくにも「どうぞ…」と広東なまりの日本語を使った。(この瞬間、私は久しぶりに英語なまりのコージを書こうかな…と思った)さすが、これでは中国が伸びるのも頷ける。こんなわけで、私が、まわりの人たちたちの行動を、つぶさに観察しているうちに上野に到着した。おかげで、私は、1ページも本を読むことができなかった。
2006.02.25
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歴史は都合の良いドラマ大学で考古学の研究をしている 教授の手伝いをした時の話です。一見して、道路工事のアルバイトと 変わらない仕事なのですが 少しずつ土を削りながら遺跡を発掘する時の スリルは、まるでスパイ映画の主人公に なった感もあります。 その日の作業が終わって 教授に居酒屋で飲ませて頂きながら いろんな話を聞かせていただきました。 その中で今も印象に残るのが 「今の人間の文明以前に 別の人間が同じレベルか それ以上の文明を 持っていたかもしれない」 という話です。 以前の文明が滅亡した後に 私たちの文明が築かれたのかも しれないのです。 教科書に載っている歴史を 完全に否定する話なので、 学会で袋叩きに遭うから とても、公表できる話ではないと 教授は言うのですが、 少数ですが同じことを言う教授もいるようです。 というのも、現実に何億年も前の地層から 奈良時代や平安時代レベルのものが発見されることが あるからです。 多くの学者は地震か火山の噴火で地層が崩れたと 気にも留めていないようですが…… この教授が、ポツリと言った言葉が一番印象に 残っています。 「何の証拠もない話だが、 その文明が滅亡したとしたら 戦争だろうな」 私たちは、自分たちが生まれ育った国や世界の歴史を 学べば自分たちの中に流れている血統を理解することができます。 そして、やるべき事や大切なことが分かります。
2006.02.24
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運命の選択「ただいま」と冴子が言っても、誰もいるわけでもない。一人暮らしの高層マンション25階である。元々一人っ子で、両親も5年ほど前に亡くした。親戚もいるが、もうかなり疎遠になりつつある。「何の為の20年よ」そう冴子が吐き捨てるように言うのも無理はなかった。20年前、短大を卒業したばかりの冴子は、父の紹介で、小さな精密機器メーカーに就職した。10人ほどの社員の小規模な会社だったが、父の古くからの友人だった社長がとても人柄の良い人だった。それから冴子は、社長の秘書として、20年間、結婚もせず仕事一筋で無遅刻無欠勤で頑張ってきた。会社は、社長の前向きな明るい性格どおり、飛躍的な成長を遂げ、今や社員数400名となり、規模は中規模ながらも業界では屈指の技術力を持つ会社として確固たる地位を築いていた。しかし、昨年末、社長が亡くなってから、冴子の立場が怪しくなった。新社長は、亡くなった前社長の息子だが、以前から副社長だったので、自前の秘書がいた。経験と実績では、冴子が抜群なのは誰しも認めるところだが、かえって女性で、そこまでの実力者だと、組織の中では嫌われる。しかも、前社長の愛人だったのでは…と悪い噂も流れ、とうとう資料室勤務を言い渡されることになった。どこの大会社でも、そうだが、資料室とは窓際の社員たちが、余生を過ごす場所だった。夢も希望もなくした冴子は、枕を涙で濡らして眠った。その夜、夢の中に、前社長が出てきた「いやあ、冴子君、悪い悪い」「社長、あんまりです。息子さんの仕打ち」「いやあ、あれはあれで、他の重役に気を使って、公平な人事のつもりなんだ。まことに申し訳ない」「なんとかならないですか?」「いやあ、わしは、もう、この世の人間ではないからなあ」「あんまりです」「じゃあ、こう言うのは、どうじゃ。一つは、1年間で君は死ぬかわりに、君の子供の頃の夢だった歌手になって、歴史的な大ヒットを飛ばす。もう一つは、あと20年間、無事に資料室で定年を迎え、その後、悠々自適の暮らしを送る。そして、今からでも遅くないから、生涯の伴侶と巡り会い暮らすのだ」「で、その伴侶って、誰ですか?」「ああ、資料室のT君だよ」「ちょっと、待ってください。彼は40半ばで、入社25年と言うのに、無役で、中年太りで、ハゲで、何にもいいところないです。今だから言えますが、私、あの人に20の時に1度、25の時の1度、30の時に1度、プロポーズされてます」「それで、どうした?」「あの人と結婚するくらいなら、一生独身でいた方がましです。だから、断りました」「彼は君以外とは結婚しないと言って、ずっと独身だったんじゃよ。彼だって、昔は禿げてもいなかったし、太ってもいなかった」「だって…他にいないんですか?」「そう言わず、返事は、1週間後に聞くとしよう。今日は、これから、君のお父さんと飲みに行く約束があってな。じゃ」…
2006.02.24
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勝て、さもなくば死あるのみ日本ではサッカーを スポーツとして見ているが、たぶん。 海外では、負けて帰ると殺される事もある。 本当の話。 1938年ワールドカップ第3回大会。 当時のイタリアの独裁者ムッソリーニは、 選手にこんな手紙を送ったらしい。「勝て、さもなくば死あるのみ」 本当に殺しそうな人から来た手紙。 命がけのファイトが実り、 この大会はイタリア優勝で終わった。
2006.02.23
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アリバイくずし日曜日の昼だった。外は春の行楽日和。できることなら、彼女とデートでも…としゃれ込みたいところだが、今日は悲しいや日曜出勤。T警察署の新米刑事Sはポツンと一人寂しくコンビニで買ってきた弁当を食べていた。いつもはジャンジャン電話が鳴ったり、課長の怒鳴り声が聞こえたり騒がしい捜査第一課も、特に際だった事件もなく静かだ。そんなT警察署捜査第一課に一人の女性が訪ねてきた。バッチリ化粧をした品の良い若奥様だ。もちろん、Sが応対した、「先日、新聞に載ってた主婦殺人のことですが、犯人は見つかりましたか?」「私の担当ではないですが。まだのはずです」「私、犯人を知ってるのです」「そうですか。それはそれは…詳しく聞かせてください」Sは資料のファイルを持ってくると、調書をとりながら彼女の話を聞いた。彼女は無表情な人だったが、目だけは恐ろしく煌めいていた。「犯人は彼女の夫です」「でも、彼女の夫には、アリバイが…仕事で遅くなったとあります」「なんらかの方法で、一度早く帰ってきたんですわ。彼女が死んでいたのは、どこになっていますか?」「ええと、彼女のベッドの上です」「その時、お化粧は?」「お風呂上がりのようで、バスローブを着たまま首を絞められてますし、被害者の発見直後の顔写真からしてノーメークでしょうね」「おかしいです。彼女がノーメークだなんて。絶対におかしいですわ。彼女は、結婚して10年過ぎた今でも御主人を愛してましたから、決して御主人に素顔を見せない人でした。いつまでも恋人時代の緊張感を保つために、それはそれは気を使ってました。お風呂から上がってすぐでも、必ず薄化粧くらいはしていたはずです」「つまり、あなたは彼女はお風呂で殺害されて、ベッドに運ばれたと?」「そうです。彼女の化粧への執着心は、相当なもので、化粧は隠すのではなく、心を解き放つもの。さもなくば、大胆になることもできるものと口癖のように言っていました」「化粧に対して、一種のポリシーのようなものをお持ちだったんですね。それにしても、よく彼女のことをご存じですね。お友達ですか?」「いえ…ちょっと、緊張したせいか。気分が悪くなりました」そう言って、彼女はお手洗いに行くと言ってドアを出て行った。しかし、30分過ぎても彼女が戻って来ないので、Sは交通課の婦人警官に女子トイレを見に行かせたが、T署のどのトイレにも彼女の姿はなかった。しかし、重要な手がかりになりそうな話だったので、Sは、すぐに事件の資料を詳しく調べた。その資料の中に、殺された奥さんの生前の写真を見つけたSは、腰が抜けるほど驚いた。さっきまで、Sの目の前にいた女性にそっくりだったのだ。翌日、この不思議な証言が手がかりとなって、被害者の夫のアリバイが崩れ事件は解決した。
2006.02.23
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人と違うことは悪いことでない新入学のシーズンです。この季節になって思い出すのは、 私が小学校に入学する時のことです。 どこの家庭でも同じでしょうが いろんな道具を揃えるのです。 父と母は私を連れて 大阪心斎橋の大丸百貨店に行きました。 まず、ランドセルを探しました。 売り場には、いろんな種類の ランドセルが置いてありました。 男の子用には黒 女の子用には赤が主流でした。 ごく少数ですが 青や黄も置いてありました。 「みんな黒を買うから、 黄を買おう・・・ 黄は注意やから 交通事故にあわないやろ」 この父の発想に、その時の私は 特に何とも思いませんでした。 入学した小学校は 全校生徒2000名のマンモス校で、 全生徒中、黄色のランドセルは私一人で なるほど交通事故にも合いませんでしたが 何となく辛かったものです。 このランドセルは小学校3年生のとき、 捨ててしまいました。 それから、もっと強烈に印象に残っているのは 父と母は入学式の前日、 私の教科書一つ一つに 石鹸やお菓子の入っていた箱の底を 壊してブックカバーを作ってくれました。 そして、カバーの一つ一つに こくご・・・さんすう・・・りか・・・ などなど科目名を平仮名で 書いてくれました。 子供の頃、貧乏した父と母らしく きれいな教科書が貴重品に思えたのでしょう。 世間知らずで不器用な両親は、ほとんど徹夜で 自家製のブックカバーを作ってくれました。 でも、私にとっては みんなと違う教科書を 持っているようでイヤでした。 というのは、入学1日目には 「ハイ、国語の教科書は・・・」 と先生が言うと クラスの皆んなが一斉に ハーイと教科書を持った手を上げるのです。 その時、皆んなと色が違う・・・ カバーをつけている子は他にも いましたが、みんな透き通っているのです。 透き通ったカバーを持っている子が羨ましく 「なんで、透き通ったカバー付けてくれへんの」 なんて思っていたのでしょう。 親の心、子知らずデスね。 弱冠6歳の子供ですから無理もありません。 いつのまにか、カバーを捨ててしまいました。 今から思えば・・・ですけど、 ランドセルの色が違っても 透き通ったカバーでなくても 捨てなくても良かったんですね。 年老いた両親を見るたびに 黄色のランドセルも お菓子の箱で作ったカバーも 残しておけば良かったと 今、後悔しています。 子供の頃のことは別にしても、 人と違うことは悪いことでない・・・ 個性こそ最大の長所だ・・・ そんなことが分ったのは それから20年後でした。
2006.02.22
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憧れて高校入試の朝だった。駅のホームで、友達を待っていた順子は、前を通り過ぎて行く前髪の長い男子生徒に心を奪われた。2歳年上の彼は、2年前、同じ中学のテニス部のキャプテンだった吉岡という。順子は、中学1年の時から、ずっと吉岡に憧れていた。その日、受験する高校を、あえて選んだのも、両親がミッション系の女子校を勧めるのを強引に押し切ったのも、吉岡と同じ高校に通いたかったからだった。集まってきた友達はみんな、キャーキャー言いながらも、やはり、いつもと違って緊張していた。でも、順子は、ホームの端に立っている吉岡に気が行っているせいか、浮ついた気分だった。そんな順子には、みんなと少し違う心持ちが快感だった。「来た来た運命の電車…」と誰かが言った。この電車で、ずっと通学できれば彼に会える。順子にとって今日の試験に合格することは、志望校に入学できるのではなく、彼と同じ電車で毎日通学できることを意味していた…しかし、首尾良く志望校に入学した順子だが、1か月過ぎても、通学途中の駅のホームでも、学校でも、吉岡の姿を見かけることはなかった。気になって仕方のなかった順子にとっての吉岡の手がかりは、テニスだった。順子は、テニス部の練習を見学しているうちに、3年生の女子部員深雪と話をすることができた。「テニス好きなようね」「ええ」「ちょっと、やってみたら」「はい…その前に、私、N中出身ですが、N中出身で、吉岡さんという3年生の男子いませんでしたか?」深雪は、順子が照れくさそうに吉岡の名前を言ったので気づいたのか、「へえ、あなた、吉岡君のファンなの?」と声のトーンを上げた。「ええ、まあ」頬を真っ赤に染めた順子に、深雪は吉岡のことを教えてくれた、「吉岡君ね、学校辞めたのよ。家庭の事情らしいわ。ガソリンスタンドでバイトしてるって言ってたかな…」まるで姉のように優しい雰囲気の深雪に、順子は、今まで誰にも話したことのない中一の時から吉岡に憧れて、この学校に入学したことなどを彼女に話した。その話を聞いた深雪が、「どうしようかなあ…テニスしてない彼でも憧れてる?」と尋ねると、迷わず、「はい」と返事した順子に深雪は、「じゃあ、会わせてあげる。練習終わるまで待っててね」と言った…その日、順子は、吉岡がバイトをしているガソリンスタンドの近くのファーストフードで待っているように深雪に言われた。そこで、30分くらい待っていると、彼女といっしょに、薄汚れた作業服を着た吉岡がやってきた。服装は違っていたが、間違いなく順子が憧れた彼だった。しかし、順子の前に、深雪と吉岡が目線を合わせながら並んで座った時、順子は夢が破れたのを悟った。「話は、こいつから聞いたよ。こんな俺で、幻滅したんじゃないか?」順子は、一生懸命に首を横に振った。でも、胸が痛くて言葉が出なかった。「オヤジが仕事辞めてね。俺が働かなきゃならないんだ。でも、俺は絶対に復学するよ。そして、またテニスをやる」一つ一つ言葉を選びながら、丁寧に、力強く、自分に言い聞かせるようにして話す吉岡は、やっぱりカッコ良かった。そんな吉岡の言葉に、順子は、ウサギのような赤い目をして、声にならない声で何度も何度も頷いた。
2006.02.22
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お母さん、大変大変朝起きて、いつものようにベッドの上で スーッと背伸びをしてアクビをする。 平凡な一日の始まりである。その朝、 高校1年生の美夏は大変なことに気づいた。 「お母さん、大変大変・・・ちょっと来て」 涙ながらに母を呼んだ。 抜けた髪の毛が数十本いや数百本、枕とベッドの 周辺に肉眼でハッキリ確認できるほど散らばっているのだ。 抜け毛の季節でも、こんなに抜けたことはない。 母が来る前に勇気を出して鏡を見た。 「なんともない・・・」 娘の只ならぬ声に、母はノックも中途半端に 部屋に入って来るなり、美夏の背から声を上げた 「美夏ちゃん、大変・・・」 毛が抜けたのは前頭部ではなくて頭頂部だった。 小さなハゲなら、髪型で隠すことも できるだろうが、てっぺんの煎餅大の河童のお皿のようなハゲは 帽子でもかぶらなくては隠し通せるものではない。 原因はダイエットだった。 このごろ、普段の半分しか食べていない。 夏の水着の季節までに どうしても5キロ痩せたかった。 体重は目標を軽くクリアしたが この頭では、上等のカツラでも あつらえなくてはどうにもならない。 医者は 「生理が止まる人もいます。 急激なダイエットは危険ですよ。 髪の毛のサイクルから考えると 全治には最低半年はかかりますね」 と規則正しい食生活に戻すようにアドバイスを受けた。 そして、オジさんたちが使いそうな発毛促進剤(医薬品) というのを朝晩塗布するよう言われた。 さすがに、その日は学校を休んだが 担任の先生が母くらいの年齢の女性で良かった。 最初、電話で話して放課後に家に来てもらった。 いろいろ相談して頭に包帯を巻いて行くことになった。 ところが、医者は反対した。 長い髪の毛と包帯で頭皮が蒸れて、さらに抜け毛が 激しくなってしまうというのだ。担任の先生は 「しかたないですね。登校時は帽子をかぶって 席は一番後ろにしましょう。クラスの みんなにも勇気を出して話しましょう。 その方がいいわよ。つらいけど・・・隠す方が もっとつらいわよ」 翌日、帽子をかぶって美夏は 担任の先生と一緒に少し遅れて教室に入った。 「どうしたの美夏?」 「おい・・・なんかあったのか」 「まさか・・転校じゃないよな」 「その帽子、どうしたんだ?」 「元気ないなあ」 クラスの皆はいろんなことを言ってくれるが 美夏には聞く余裕はなかった。 ・・・先生は大丈夫って言うけど、 みんなに笑われたらどうしよう・・・ そればっかりを考えていた。 「今日は、皆さんに大切な話があります ・・・・・・美夏さん、話してごらん」 美夏は頷いて 「昨日の朝、起きたら髪の毛がたくさん 抜けていて・・・」 ここから先は涙声になった。 クラスの半分くらいの男子も女子も一緒に泣いてくれた。 先生は、「みんなにも、いつ起こるか分かりません 是非、美夏さんの味方になってあげてください。 先生からもお願いします」 先生も涙声だった。 クラスの皆は気の良い人ばかりだった。 今まで、仲の悪かった人も 一度も話したこともなかった人も 美夏を励ましてくれた。 ある日、背の高い男の子が河童ハゲが見えないように 美夏の後ろを歩いてくれた。そして、 「そのハゲ治るまでの期限つきでも いいから俺と付き合ってくれ。 バカにするやつがいたら、ぶん殴ってやるから」 なんて言ってくれた。 美夏の河童ハゲは、翌年のバレンタインデーの頃には 産毛が生えて、ほとんど目立たなくなった。
2006.02.21
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アリガト…何が幸いして、何が災いする分からないのが人生である。生真面目な大工の勇吉は、40歳を過ぎて、女房を10歳若い大工仲間に寝取られた。かわいがっていた弟分のような野郎に裏切られたわけだ。そんなわけで、にわか仕込みで独り者になった勇吉だが、雨が続くと、大工の仕事は上がったりだ。かといって、これと言って遊べる男ではない。生真面目だけが取り柄の職人だ。家に居ても話し相手もいなくては、あまりにも切なすぎる。そこで、勇吉は旅行社が手配した温泉ツアーに出かけた。宿泊先のホテルで、いい気分になった勇吉は、フラッと入ったホテルのラウンジで、中国から来たという淑子という女と知り合った。年は、20。一つ間違えば、フケ顔の勇吉の娘と思われかねない女だ。しかも、目がクルリンとキラキラして、なかなかの器量良しだ。勇吉は、ゾッコン惚れ込んでしまった。淑子も、その気になってくれたようで、めでたく二人は結婚することになった。しかし、勇吉が子供の頃から世話になった大工の親方は、大反対だった。「勇吉、お前は、また騙されるぞ。いいか、中国やフィリピンから日本に来るのは何の為だ?」「へえ、国にお金を送る為です」「あいつら、何をして、金を稼いでる?」「ダンサーと歌手とか留学生と表向きは言ってますが、ほとんどは、ホステスや売春です」「そこまで、分かっていて、どうして」「惚れちまったんです」「あのな、勇吉。もう一つ、教えてやるぞ。俺の知ってるやつでフィリピンから来た女と結婚した野郎がいた。そいつは、去年、死んだ。交通事故だった。その女には生命保険金1億円が入ったぞ。あいつらには、愛より金なんだ」「淑子に騙されるなら、俺、本望です」「勝手にしろ…」親方は、呆れて何も言えないと言わんばかりだった。勇吉と淑子がいっしょに暮らしはじめて、一月ほど過ぎた頃、淑子は、勇吉に、お願いがあると言って切り出した。「ユーちゃん、中国の両親に、月々3万円だけ送るね」そう言って、淑子は勇吉に拝むように手を合わせた。淑子が生まれた中国の村では、日本円の3万円あれば10人の家族が暮らせるそうだ。勇吉は、親方の言葉を思い出した。…ひょっとして、淑子も愛より金かな…でも、3万円くらいならいいか…勇吉は思い直して「ご両親、よろしくな。もう、少しして余裕ができたら、いっしょに中国に行こうな」と言うと、淑子は「ユーちゃん、私、幸せ、ありがとね」と涙を浮かべた。しかし、しばらくして、勇吉が、この話を親方にすると、親方は、「ほら、見て見ろ、金だろ。次は生命保険だ。その金だって本当に、国の両親に送ってるかどうか分からないぞ。おまえはバカだなあ」そう言われて見ると、勇吉は、一度も淑子の両親と話したことはない。写真で、見たことがあるくらいだ。娘を嫁にやって、しかも、お金まで送ってもらって、手紙の一つも来ないなんて、おかしいと思った。その晩、勇吉は、正体がなくなるまでヤケ酒を飲んだ。そして、家に帰るやいなや、「おーい、淑子、お前、ほんとは、俺のことなんか好きでもなんでもないんだ。金の為に結婚したんだろ。そうだろ…」と叫んだ。「違う…そんなことない。ユーちゃん、いい人。だから、結婚した」「うそつけ。こんなオヤジと、おまえのような若いのが、信じられねえ」「信じられないなら、私、出て行く」「ああ、出て行け。どこでも、好きな所へ行け」「サイナラ」淑子は、手当たり次第に荷物を持って、泣きながら家を飛び出して行った。どれくらい時間が過ぎただろう。淑子がいなくなってシーンと静まり返った部屋の寂しさ冷たさを感じ始めた勇吉は、言い過ぎたと後悔していた。「淑子、すまん」ポツリと言った勇吉に電話の鳴る音がした。「もしもし、淑子か…」飛びつくように取り上げた受話器から、初老の男性が話す、つたない日本語が聞こえた、「ユーキチさん」勇吉は、たどたどしい話し方から、すぐに相手が淑子の父だと分かった。「はい、勇吉です」その言葉を聞くと、電話の向こうの淑子の父は、「アリガト…アリガト…」やっと覚えたという日本語で、アリガトばかり何度も何度も繰り返した。どう答えて良いか分からない勇吉はハイとばかり相づちを打つしかなかった。
2006.02.21
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もう働かなくて良くなるんだよ「どうしよう・・・」 久美は途方に暮れていた。 泣き声は出なくとも、自然に涙が溢れてくる。 病弱な身体を押して父と別れてから10数年間、 中学3年の久美と小学6年生の弟を育ててきた母が とうとう入院してしまった。 久美が頼れるのは担任の安本先生だけである。 点滴を打ちながら眠る母の側で先生は言葉を噛み締めるように言った。 「希望を捨てず、頑張りなさい。 学校には必ず来るんだよ・・・必ずだよ・・・必ずな」 安本先生は社会の先生だ。涙もろくて情熱屋さんで 調子に乗ると教科書なんか放り出して、 ドラマチックな話を聞かせてくれる。 「勉強は面白くないけど、安本のオッサンの話はエエのお」 クラスの突っ張り連中も、安本先生の授業は まじめに聞いている。ガリ勉小僧たちも絶賛。 「安本先生やったら、予備校の先生にも負けないよ」 久美も安本先生が大好きだった。本当は、安本先生に 似ていると言われる××君が好きだったのだが、 フラれてしまったので、今は先生オンリーだ。 安本先生は、久美が学校を休むと必ず帰りに 久美たちの住むアパートに寄ってくれた。 「どうした・・・何かあったのか?」 久美は、学校が終わると隣町のパン工場でバイトしていた。 母子手当だけでは生活していけないからだ。 このバイト先も先生が探してくれた。その上、校則で生徒のバイトを 禁止していたので校長先生にも交渉してくれた。 そんな優しい安本先生にも頑固なところがあった。 久美が 「先生、お茶でも飲んでいって」 と勧めても、 「先生は、ここで失礼する」 と絶対に玄関から中に入ろうとしなかった。 こんなこともあった。 久美が深夜のアルバイトに疲れて何日も続けて学校を休んだので 心配して先生がやって来た。 久美は弟が母の見舞いに病院に行っていなかったので 先生の胸に飛び込んで泣く真似をした 「先生・私・・もう・・学校なんか行きたくないんや」 「バカ言うな・・もう卒業やないか・・・もう少しや」 久美の涙はいつのまにか本当の涙になった 「先生のことが好き・・・先生のお嫁さんにして・・」 「先生は・・・先生なんや・・・だから・・駄目なんや」 安本先生はポロポロ涙を流しながら久美を座らせて帰って行った。 いろいろあった久美の中学生活も終わりが迫っていた。 パン工場には、そのまま正社員として勤めることが決まった。 卒業式も終わり、久美は安本先生に 「いろいろありがとうございました。夜学に通いながら パン工場にお世話になります」 と報告した。安本先生は「そう・・がんばるんだよ」 と言いながらキョロキョロ周りを見回して小声で囁いた 「もう働かなくて良くなるんだよ」 それが先生のプロポーズの言葉だった。
2006.02.20
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旅立ちある星の宇宙船ターミナルでは、初老の夫婦が娘リカの旅立ちを見送りに来ていた。地球より数百年進んだこの星では、一人前になると地球に冒険旅行に出かけることになっていた。見た目は地球人と何ら変わらないこの星の若者は、地球で、さまざまな出来事を間近に見て貴重な経験を積み、1年後に帰還し、それぞれの道に進む。「あなた、リカ、大丈夫かしら。地球では、相変わらず戦争が行われているそうだし」リカの母が心配するのも無理はない。リカの最初の地球での訪問地は長年に渡り紛争が続いている地域なのだ。ところで、この星では、もう3百年以上、戦争はない。「大丈夫、万に一つも危険はないはずだ」「それにしても、地球人は、いつまで戦争をするつもりかしら」「それぞれの宗教、思想、信条は互いに認め会えないと思いつづける限りは、当分、戦争をするだろうな。私たちの祖先が達成した1つのすごい目標を見つけるまでは、何万回も同じ失敗が繰り返されると思うしかないだろう」この星では、すべての宗教や思想は、すべて一つの不思議な世界とつながっていると考えられていた。そのことが分かった三百年前から、一切の戦争はなくなった。それと同時に、貧困や悲惨な事件も、全く消滅していた。地球人から見れば、まるで天国のような星だった。さて、リサは、両親に見送られて、定刻通りに地球に旅立った。リサは地球時間の約1時間ほどで地球に着いた。とは言っても、リサの身体は、地球近くの宇宙空間に浮かぶ小さな宇宙船にあった。で、リサは地球上で意識のみを動かして、さまざまな人類の行動を観察する。もし、仮に、地球人がリサの意識と遭遇したとしたら、それは、ある人は、女神と呼ぶかもしれないし、また、ある人は亡霊とか幽霊とか、さらに、おばけ、と呼ぶかもしれない。
2006.02.20
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コンビニの前でコップ酒を飲む薄汚いジイさんから学ぶそうそう、どこにでもありそうな町の倒産寸前の造酒屋。そこの13代目の当主の康雄は悩んでいた。「この300年の歴史を、オレの代で途絶えさせてなるものか」もういいや、と思えば楽だが、そう13代も思わせなかった所が伝統の力というヤツかもしれない。康雄は、長男をアメリカのコンサルティング会社に就職させた。アメリカの経営ノウハウとかいうものに起死回生のヒントが隠されているかもしれない?と思ったのである。しかし、すっかり西洋かぶれになって帰ってきた長男はカタカナ屁理屈ばっかりで実行力がまったくなかった。つまり、絵に描いた餅になってしまった。いよいよ、苦しくなった康雄は、ご先祖様が眠る菩提寺に赴くことにした。苦しい時の神頼みである。そこへ、たまたま、家で桜餅を頬張っていた。女子大生の娘、彩花が、「私も行く、食べてばっかりじゃ太っちゃうもんね」と言うものだから連れて行くことにした。…こいつは気楽でいいなあ…そう娘を助手席に乗せ、愛車ベンツを走らせた。スイスイ信号待ちせずに突っ走った。ところが、菩提寺のほんの一筋前の交差点で赤信号。停車中に視界に入ってきたのが、最近できたコンビ二だった。その前で70歳くらいの薄汚い半分ボケた爺さんがカップ酒を飲んでいた。あんまりカッコいいものではない。真っ赤な顔で店頭のゴミ箱に寄りかかって、今にも崩れそうだ。…ああはなりたくない…康雄はしみじみ思った。だが、彩花は違った「おとうさん、あのお爺さん、飲んでるの、お酒ね、おいしそうね」「そうだね」その時は、なにげなく交わされた会話だった。一生懸命に墓石に手を合わせても、何ら天恵はなかった。ますます落ち込んで走らせた康雄と彩花を乗せたベンツはいきなり赤信号。また、あのコンビニが視界に入った。彩花がニコニコしながら言った「おとうさん、あのお爺さん、まだ、飲んでるね、カップ酒」「まあね」「あれ、お爺さんじゃなくて、きれいなOLや女子大生だったらおしゃれかもね」「!」「流行は、女が作るものよね…ジジイがやることをちょっとアレンジして若い娘がやるとカッコいいからね」「なるほど…それもそうだ。お前も兄さんみたいに…アメリカに行くか…なあ、どんなコップ酒なら飲んでみたいと思う?」「アメリカより、このベンツちょうだい。みんな驚くだろうなあ…この車の内装、革張り、オジン臭いところが味なのね」…オジン臭くて悪かったな…しかし、14代にふさわしいのはコイツだ…いちいち、康雄を超越したことを言う娘に感心しながら、そのままベンツを飛ばした。家に帰るなり、康雄は日本中のコップ酒を集めた。娘が気に入るデザイン…か!味も…そして、少し甘口の酒を杜氏たちに造らせた。翌月、完成した新ラベルのコップ酒を、女子大生アルバイトたちに街頭キャンペーンさせた。そのコップ酒は大ヒットとまでは行かなかったが、ジリジリと売り上げを伸ばした。そして、1年後には、全国から注文がくるようになった。
2006.02.19
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帰ってきた現場監督江戸時代から続く蒲鉾屋の長男に 生まれたトオル君は、これも遺伝?かも しれませんが子供の頃から手先が器用で 図面を描かせたら天下一品です。 「早く、蒲鉾作りの修行をしてくれ」と懇願する社長のお父さんを振りきって 大学の工学部建築学科に進み、大手の マンション建設会社に就職しました。 しかし、生まれ持ってのお坊ちゃん育ち のせいか現場監督を任されても、 どうしても下請けの建設会社の皆さんと そりが合いません。 とうとう10年前、その建設会社を辞めてしまいました。 「やっぱり、おれは蒲鉾屋が生に合うとる」 蒲鉾を作りの修行を始めました。 お父さんやお母さんも、大変喜んでいました。 そして、結婚して奥さんとの間には 双子の男の子が生まれました。ここまで来れば誰から見ても、このまま蒲鉾屋の若社長になって行くものです。 ところがまた、トオル君 「やっぱり蒲鉾屋は辞める・・・」 と言い出したのです。 弟の修君の方が 古くからの社員さんたちやパートの奥さんたちに 評判が良いのも理由の1つなのですが、 何よりも蒲鉾作りで修君の斬新なアイデア とセンスの良さに圧倒されてしまったのです。 と言うわけで、トオル君、昨年の暮れから また建設会社に復帰して図面と格闘しています。 面接の時のトオル君の言葉が彼の心情を表しています。 「人間やっぱり好きなことやらなあかんのですわ。 たった一度の人生ですもん。今回の応募も 神さんが嘘ついたらあかんと導いてくれたんやと おもってます」 トオル君には、やっぱり現場の作業服が似合います。
2006.02.19
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ただいま地下鉄の駅を出るとすぐの所に、辰巳の経営するブティックはあった。圭治は辰巳とは大学生時代ずっと気が合わなかった。同じサークルにいたのだが、ヤツの商売人じみたネチネチとしたところが、圭治の竹を割ったような性格と合わなかったのだ。大手アパレルメーカーに勤める圭治は、地方の支店を回って、この町に戻って来た。戻ってきた途端、部長から、売り上げ不振のブティックからの集金を任された。「給料の3倍は、集金してこいよ」半ば脅しのような部長の言葉に、おののきながら、リストアップされた店を当たったが、どうにもならない。それでも、自分を奮い立たせて、頑張ったせいか、数軒支払ってくれた。それでも、どうしても、目標金額に足らない。それで、最後に残ったのが、あえて後回しにしていた辰巳のブティックだった。「寄りによって、あいつの店が最後の砦とは…」圭治は舌打ちした。辰巳のブティックは、祖父の代から続く老舗の店だが、最近は、競合店安売り店の押されて、月を越すだけでやっとの様子だった。「何とか、なりませんか。3ヶ月分も頂いてないのです」「売れないのに、支払えと言われても、何なら、お宅の商品引き上げてくださいな」互いに敬語で話してはいたが、学生時代と関係は変わらなかった。辰巳は、絶対に払うつもりはないと言い張った。1時間以上も押し問答が続いて、圭治は諦めて帰ることにした。ほんの二三分のはずの地下鉄の駅までの道のりがやけに遠く思えた。部長の顔が目に浮かぶ。「ああ、いやだ、いやだ」そう呟きながら、駅の改札まで来た圭治を呼ぶ声がした。振り返ると、懐かしい顔がそこにあった。響子だった。響子も大学生時代、辰巳や圭治と同じサークルだった。響子は、とても女らしい細やかさのある子で、圭治は秘かに憧れていた。「よー、久しぶり。10年ぶりくらいだな」「ええ、あんまり変わらないわね」「君も、変わらないよ」「そんなことないわ。これでも、2人の男の子の母ですから」「俺は、まだ一人だ」「そう…実は、さっき、主人がキツイこと言ったので、謝ってきてくれって言われたものだから」「主人って?」「辰巳のこと」「ええ?君が、辰巳と」「そうなの…あの人、ああ見えても、あなたのこと、いつも尊敬してたのよ。あなたの竹を割ったような男らしいところ…自分には、とても真似できないって」「そうだったのか。いや、俺こそ、所詮はサラリーマンの小倅で、商売の厳しさを知らない甘チャンだよ。最近、やっと分かってきたよ」「ごめんね。お支払いできなくて。来月は何とかします。そう会社の方に伝えてくださいと主人が…」「うん、君のところだけじゃないから…もし、何かあっても、俺が部長の雷を我慢すれば、それでいいんだからさ」…圭治は、辰巳の本心を響子から聞いて、とても嬉しかった。響子が辰巳と結婚していたのはショックだった。でも、合わない合わないと思っていた辰巳と圭治は、実は目に見えない線で通じ合っていた。10年来の鬱憤が一気に晴れた。圭治は最高の気分だった。そう、俺が部長に怒られれば、すべて万々歳。圭治は、元気一杯、会社に戻ってきた。「ただいま」
2006.02.19
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もうひとつの名前歯科衛生士の学校に通う法子には もう一つの名前がある。 といっても、芸能人ではないので 芸名があるわけではない。 法子は小学校6年生の時に名前を変えた。 それまでは梅子と言う名前だった。 「おばあさんみたいでカッコ悪いから」 という理由で、お父さんに頼んで 当時の人気アイドルの名前にしてもらった。 まんざら、根拠がないわけではない。 ソックリなのである。空港や新幹線の駅で座っているとサインを頼まれたこともある。 法子は20歳だから、半分以上は梅子の人生である。 自分でも、法子の日と梅子の日があるような気がする。 性格も日によって全然違う。二重人格かもしれない。 だから、必然的に三角関係を作ってしまった。 背が高くハンサムだが実はマザコンの緒方と お父さんの後輩で内科医で真面目だが 平凡なルックスの石野の両方からプロポーズされている。 歯科衛生士の学校の卒業試験では、 誰かサンプルになる人を連れてきて 歯垢や歯石を削ったり、歯形を取って 矯正用のブリッジをつけたりする。 法子は緒方と石野の二人にサンプルに なってくれるよう頼んでみた。 二人とも気安くオーケーしてくれた。 「どちらかが断ってくれたら良かったのに」 実は法子は勝負をかけていた。 サンプルになってくれた人と結婚しよう。 さて、法子は悩んでしまった。 「そうだ」 法子は緒方と石野の歯ならびを見せてもらった。 法子は矯正用のブリッジをつけるのが 苦手だったのである。 まず、石野の歯を見せてもらった 「歯並びも良いし、虫歯もない・・・」 緒方の方を見せてもらった 「歯に隙間が多く、滅多に磨いてないのか 臭い・・・」 法子は決めた。 適度に隙間が多い方がブリッジはつけやすい。 そう言い聞かせたのかもしれない。 父や母は 「石野さんにしておきなさい」 と言っていたが、いい人過ぎる石野には 魅力は感じられなかった。緒方の方が いっしょに歩いていても楽しいのである。 そんなわけで、緒方と婚約する運びとなった。 ある日、法子は思い出したように 石野にお詫びの電話をした。 「ごめんなさい。こんなことに なってしまって、いつも優しくしてくれて ありがとう」 いつもの優しい口調で石野は電話に出た 「ノリちゃんが幸せになってくれたら 僕はそれでいいんだよ・・・ それにノリちゃんが決めたことだから」 「そんな・・・散々お世話になって ごめんなさい」 「こちらこそ・・・ありがとう」 「ううん・・・私こそ・・ありがとう」 法子は重い重い受話器を置いて呟いた。 「やっぱり梅子は石野が好きなんだ」
2006.02.18
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いつも一緒厚子は、ニューヨークで、商社の法務部門の責任者をしている。「もう、ニューヨークに来て30年になるわ」そう言う彼女は、この商社に勤める若い女性の憧れの的である。男性に頼らず自立している女性は、尊敬されるのだ。そんな厚子は、最初から、バリバリ仕事ができたわけではなかった。むしろ、30年前は、ぜんぜんできなかった…30年前、日本の名門お嬢様短大を卒業した厚子は、突然、両親に「アメリカに留学したいの」と告白した。「英語が話せるようになりたい」が厚子の留学の理由だった。でも、これは、あくまで表向きの理由で、本当の理由は別にあった。恋人の敏哉といっしょに暮らしたかったのだ。あの頃の敏哉は、ニューヨークのビジネススクールに通っていた。何とか、両親を説得してニューヨークにやって来た厚子だったけれど、とにかく言葉が全然分からない。スーパーに買い物に行くのにも、辞書片手の毎日だった。最初は、親からの仕送りもあって、楽しい生活だった。でも、たまたまニューヨークに仕事で来た父が様子を見に来て、敏哉といっしょに暮らしていることがバレて、仕送りが学費のみになってからが大変だった。しかたがないから、厚子は生まれて初めてアルバイトを始めた。とにかく、まだまだ言葉ができないからレストランの皿洗いくらいしかできない。そのうち、幸か不幸か、お腹に子供ができて、また大変。最悪の時は、子供のミルク代にも困る有様だった。そんな貧しさの中でも、厚子が何とかやれたのは、いつも傍に敏哉がいたからだ。とうとうビジネスでは成功できなかった敏哉だが、悲しいときはいっしょに泣いてくれるし、悔しいときはいっしょに怒ってくれる。もちろん、楽しいときはいっしょに笑ってくれる。そんな敏哉との結婚を厚子の父は、30年間、認めてくれなかった。ビジネスで成功した人と結婚してほしかったのだろう。エリートの父から見れば、敏哉は何の役にも立たない男なのだろう。そんな父が、やっと許してくれる日が来た。厚子と敏哉の一人息子、裕哉に子供ができたのだ。厚子と敏哉にとっては初孫、そう、厚子の父にとっては曾孫なのだ。曾孫の誕生を聞いた厚子の父は、「どうやら、ワシは敏哉君に負けたようだな」と言ったそうだ。
2006.02.18
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なんちゃってカップル真弓は、名前のとおり女の子である。しかし、生まれたときから肌は色黒で 剛毛で伸ばしたくても伸ばせず短く刈った髪で 肩幅は広く筋肉質で胸も薄く まるでサルのように眉も濃くつながっている。 スカートをはいていると さすがに女の子に見てもらえるが ズボンで歩けば普通は男の子に間違えられてしまう。 クラブは柔道部でスポーツは万能、 男の子にも負けない自信がある。 高校生になって、普通の女の子なら 「一人旅をしたい」 なんて言ったら親が心配するものだが 「おまえなら大丈夫だろう・・・」 と笑顔で送り出してもらった。 旅先でも、大好物の焼き鳥の臭いにつられて 勇気を出して居酒屋で焼き鳥おかずに夕飯を食べていたら 店の主人が 「食べっぷりがいいなあ・・・スポーツやってるのか?」 「はい、柔道を・・・」 「へえ・・・最近の若い者は背は高いけど弱くてねえ・・・ 女の子ならヤワラちゃんと言いたい所だねえ・・・ 気に入ったよ・・・兄ちゃん・・・ 好きなだけ焼き鳥食べて行きなさい・・・ おごりだよ・・・おごり・・・」 と言われて、焼き鳥食べ放題はうれしいけど 喜んで良いのやら悲しんでいいのやら。 でも、そんな真弓にも彼氏はいるのである。 同級生で新聞部にいるヤツだ。 彼は、真弓と反対で細くて色白で 化粧でもすれば歌舞伎の玉三郎になってしまう。 告白は、これも信じられないが彼からだった。 「君には僕にないものがあるから」 確かに頷ける台詞だった。 付き合いは1年近くになるが 手も意識してつないだ事もないし キスなんて夢の夢だけど テスト勉強は秀才の彼といっしょでバッチリだし 弁当は毎日いっしょに校庭の隅の芝生で食べるし、 真弓の柔道の試合には新聞部の取材を兼ねてだけど 必ず彼は応援に来てくれる。 なんだかんだと言っても真弓は幸せ者だ。 ところで、 クラスのみんなは、こんな二人のことを 「なんちゃってカップル」と呼ぶ。
2006.02.17
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夢結婚式の夜、靖代はスースーと寝息をたてながら隣りで眠る夫の手を軽く握りながら、これからの彼との人生を夢見るのだった。靖代の夢は、大好きな彼にそっくりの男の子を産むことから始まった。年から年中、あっちこっち旅して歩く夫の分身が欲しかったのだ。「できたら、二人」望みは叶った。二人できた。不思議なことに、結婚当時は甲斐性なしだった夫が、一人できて、真面目に毎月の給料を振り込むようになった。そして、もう一人できて、「家を建てる」などと豪語するようになり、本当に家を建ててくれた。初めて家に入った日、夫は靖代に、「結婚指輪の代わりだ」と事も無げに言った。そう言えば、靖代の結婚指輪は、1000円のイミテーションだった。靖代が、そんな相変わらず外出がちで、家に居る日はほとんどない彼の話をすると、「永遠の遠距離恋愛ね」家に遊びにきた親友は、そう言って笑った。そうこうするうちに成長した長男は、大学の研究室で働きながら、結婚して二人の子の父になった。長男の奥さんは、いつぞや「永遠の…」と言った友達の娘なのだ。さて、次男の方は、才能があるらしく、海外を飛び回っている。靖代の夫が、家にいるようになるのは夫の年齢が、あと一ヶ月で長男が産まれた時の夫の年齢の倍になる時だった。つまり、長男は、夫の半分の年齢になっている。あんなに病院嫌いだった夫が自分から病院に行くのだ。気になった靖代が付いて行くと、「あと一ヶ月の命です」と医師が残念そうに言うのだ。その医師の言葉を、目を閉じて亭主は聞いている。とくに慌てず、平然と聞いている夫の傍で、涙を堪えてウサギのように赤い目の靖代が座っている。すぐに駆けつけるのは、長男だ。泣き虫の長男は、靖代が「あと1ヶ月なんやて」と言うと、いっしょに泣いてくれる。次男が駆けつけるのは、それから2週間後なのだ。「仕事が終わるまで帰ってくるな」と言う亭主の言葉に従った次男は、口を真一文字に結んで靖代の前に立つのだ。「もう…」言葉が続かない靖代の肩を次男はポンポンと叩く。きっと、靖代を励ましているのだろう。その翌日、容態の急変した靖代の夫は、家族に見守られながら、あの世に旅立つ。たくさんの知り合いが参列した葬儀の喪主は、長男だ。長男は何度も涙が止まらなくなって動きが止まるが、それをしっかり者の次男がすぐ後ろから囁くようにして支える。そんな風にして、無事、夫の葬儀を終えた靖代は、ほっとしたのか。それから1か月後、大好きな夫の所に旅立つのだった…
2006.02.17
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自分の言葉で人前で話をするようになって、 もう10年以上になります。 最近は、特に原稿を作らなくても 1時間くらい話せるようになりました。 でも、10年前までは 1分も話すことができませんでした。 メモに書いた通り話すだけでした。 そんな短時間でも、顔は赤面して 汗がダラダラ、スーツの背中まで 汗がにじみ地図ができるほどの アガリ症でした。 そんな私にアドバイスをくれたのは、 父親と同じ年齢の大先輩でした。 大学の交友会で30分間スピーチを 任され悩んでいた私に先輩は こんなアドバイスをくれました。 「いつも使っている言葉で話せ。 アンタの言葉でな。 下手でも原稿見ないで 大きな声でゆっくりと話した方が 気持ちが伝わる」 今まで、どこかのアナウンサーが話すような 言葉を目指して無理して話していた私は 目がさめる思いでした。 「言いたいこと言ってやれ」 開き直りの気持ちで演壇に立ちましたが・・・ それでも、やはり多くの人前に立ったときの 緊張で足が震え、顔を汗がタラタラ 流れるのを感じながらの30分でした。 でも、 「やったら、やれた」のです。 人生30年間で一度もできなかったことが できたのです。長年の劣等感が吹っ飛んだ瞬間でした。 この時の自信は今の私のかけがえのない財産になっています。 たぶん、これは書くことにも通じると思っています。文才のある方には笑われるかも知れませんが。私の場合、立派な文章を書こうと思うと、どうしても書けなくなってしまいます。だから、「毎日、一行でも 書くことが一番」と信じて 下手かも知れないけれど 気持ちだけ込めて素直に書くようにしています。 自分の言葉で。
2006.02.16
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パパ!カンバック!!「あの時はつらかったなあ」沙也佳のパパは、旨そうに冷たいビールを飲みながら言った。10年ほど前、沙也佳が小学校5年生の時、パパは、社員が3000人もいる大会社の部長だったが、不祥事の責任をとって会社を辞めた。本当は、沙也佳のパパだけでやったことではなかった。その時の社長も副社長も常務も同僚の部長たちもいっしょにやったことだった。それなのに、バカ正直な沙也佳のパパだけが、警察に出頭して、責任をとって会社を辞めたのだった。新聞の一番小さな記事程度の事件だったから、近所の人も親戚も誰も沙也佳のパパが会社を辞めた理由は知らなかったようだ。皮肉なことだけど、社長や副社長や常務や同僚の部長たちは、すべて沙也佳のパパのせいにしたのか、その後も順調に出世した。それから2年くらい、沙也佳のパパは、死んだように寝てばかりいた。実際、この頃のパパは、死ぬことばかり考えていたそうだ。そんなパパの気持ちが分かっていたママも沙也佳も、「ごはんよ」と声をかける時も、腫れ物にさわるような感じだった。…絶対、絶対に、パパは死なない…そう沙也佳は信じていた。心で、…パパ、ガンバレ…と応援していた。ママだって、同じだった。それでも、パパが家にいるようになってから1年もすると、蓄えも底をついたのか、結婚以来ずっと専業主婦だったママがパートに出た。後になって分かったことだが、沙也佳のパパは、退職金も出ない懲戒免職だった。沙也佳が中学に入った時、「私、ダイエーのお好み屋さんでバイトしようと思うの」とママに話していると、パパがニュッと顔を出してきた。「ワシが働くからいいぞ」無精髭で、まるで仙人のようだったパパは、その日、床屋さんに行って、見違えるほどスッキリして就職活動を始めた。パパが見つけた会社は、社員が10人ほどの小さなお菓子屋さんだった。それからのパパは、人が変わったように、その小さな会社で頑張った。それこそ、土曜日も日曜日もなかった。沙也佳は幼かった頃のように、パパと遊んだり、旅行に行ったりできなくなったけれど、たまらなくパパが頼もしく思えた。「やっぱり、パパはカンバックした」沙也佳とママは、涙を流しながら抱き合って喜んだ。努力のかいあって、去年の春からパパはそのお菓子屋さんの社長になった。ちょうど、同じ頃、昔、パパといっしょに部長だった人は、一人は社長になり、一人は副社長になっていた。でも、その事が分かったのは、昔パパが勤めていた会社で再び起きたスキャンダルが報じられたテレビ中継だった。
2006.02.16
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それじゃ、まるで色っぽい芸者さんだな今では、売れている俳優のKさんも 長い下積みの時代がありました。 日本映画の全盛の頃の撮影所には 売れない役者は大部屋と言われる 同じように売れない役者がたくさん スタンバイしている控室に入って いたことからKさんも大部屋俳優と呼ばれていました。 そのKさんの大部屋時代のあだ名が芸者でした。 というのも、彼はいつも油とり紙を持っていて 時間を見つけてはおでこの辺りを ペタペタとこまめに汗とりしていたのを 「それじゃ、まるで色っぽい芸者さんだな」 とある俳優さんに冷やかされてから、俳優仲間は もちろんこと監督さんや裏方さんまでが 「おい、芸者」 と呼ぶようになったのです。 あだ名がつくってことは、売れない役者に とっては良いことです。 撮影なんかやっていて、急に一人足りない時は ふと芸者と言うあだ名が頭をかすめるものです。 すると、監督さんが助監督さんを呼んで 「おい、大部屋に行って芸者がいたら 呼んで来い・・・」 という感じで、ポツポツ仕事が廻ってくるようになったのです。とは言っても、台詞の無い 切られ役や通行人がほとんどでした。 そうこうするうちに時は流れて、 日本映画はアメリカなどの映画に 押されて、いくつかの映画会社が つぶれていきました。Kさんのいた映画会社も とうとう廃止されることになりました。 ただでさえ、収入の少ないところへ 職を失ってしまったのです。 「アルバイトでもしようかな・・」 と家で落ち込んでいたところに、 テレビドラマの監督に転職していた 顔なじみの監督から電話がありました。 Kさん、喜んでテレビ局のスタジオに 監督を尋ねました。 「監督、通行人でも切られ役でも 何でもやりますんで、お願いします」 監督はKさんの肩をポンと叩き 「おい芸者たのんだよ・・・台本だ・・・」 「え・・おいら・・台詞あるんですか?」 「三枚目で悪いが・・・最初から 最後まで・・・助演男優賞ものの 演技たのむよ」 そう言って監督がKさんを見ると、 いつものようにオデコの辺りに油とり紙を つけて必死にこすっている 「どうしたんだ?・・・芸者・・また汗か」 「すんません・・・目ん玉の汗が・・・」 不器用だけど貴重の脇役の誕生です。
2006.02.15
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源助その子は百姓の倅だった。幼い頃に実の母が死んで、父が後妻を迎えたが、その母と上手く行かなかった。たまらず家出をして、今の伊勢あたりを放浪して、食うや食わずの生活をしていた。たぶん、乞食のような暮らしをしていたのだろう。そんな生活をしていた子に運が向いてきた。後の忠臣蔵の四七士の一人として有名になる片岡源五右衛門と知り合ったのだ。たまたま、伊勢参りの為、通りかかった源五右衛門が見たのは、乞食たちの縄張り争いに負けて、袋叩きに遭っている年の頃なら15位の男の子だった。「こら、それ以上やると、その子は死ぬぞ」瀕死の男の子を源五右衛門は助けた。近くの医者に担ぎこみ、手当をしてもらった。何とか命の助かった男の子は、その後、赤穂の源五右衛門を訪ねた「親方様、どんなことでもします。私をお側に置いてください」土下座して、門前で頼み込む男の子を源助と名付けて源五右衛門は下男として雇った。その子は、大変な働き者だった。頭も良く、すぐに読み書きもできるようになった。その子の類い希な才を見込んだ源五右衛門は、自らの一字を与え、源助と名乗らせるようになった。たぶん、このまま行けば、侍になっても、それ相当の働きをしたかもしれない。しかし、元禄14年3月、かの有名な松之廊下の一件で、浅野家は断絶となり、赤穂城も引渡しとなった。源五右衛門は浪人となった。「ワシは、そなたに、給金も払えぬ身じゃ、今日限り、暇を言い渡す」そう言う源五右衛門の言葉に、10人からいた下男たちは去って行ったが、源助だけは、「私は、何にもいりません。親方様のお側においてください」源助は源五右衛門について江戸に登った。その後、源助は、記録に残る四七士たちの本懐を果たすため、影ながら力となった。しかし、下男の身分の為、元禄15年12月13日討入りには、賛同叶わなかった。四七士たちが本懐を遂げて切腹したと聞いた源助は、自らも一人切腹して果てようと思った。その時、源助の目の前に、切腹して果てたはずの源五右衛門が現れた。「源助、頼みがある。四七士の思い、後生に伝えてくれぬか。この思い、永遠に伝えてくれぬか」そう言って、源五右衛門は、源助の前から姿を消した。その後、源助は僧侶となって、諸国を歩き、四七士の武勇伝を伝え歩いた。後に、源助は、幼い頃に捨てた生まれ故郷に戻り、村の為に尽くして亡くなったと言う。
2006.02.15
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男らしさとは、自分らしさを貫くこと中学生の時、おもしろい友達がいました。 K君と言うのですが、 中学生のくせに鼻水を垂らして 話をさせても、フニャフニャと言って いるだけで何を言ってるのか分からない男でした。 ただ、勉強は良くできていました。 かなりのケチでしたので、参考書も買わないのです。 参考書を持っている私に 「そんな高いもの買うな」と怒るのです。 彼は何で勉強していたかといえば、 ラジオ講座です。そのラジオもゲルマニウムラジオと言って、電池がなくても使えるラジオでした。 そのラジオ講座をゴミ捨て場から 拾ってきたテープデッキで録音して 何度も聞いているのです。 寝るときも、イアホンで聞いているのです。 彼は、それを睡眠学習と呼んでいました。 変わり者ですが、私が、たまたま引き受けた生徒会の集会の 議長をやって意見が出なくて困っている時、一番最初に 発言してくれたのが彼でした。 相変わらず何を言ってるか分からなくて 他の人はぶつぶつ怒っていましたが 「あいつでも、言えるのなら」 という雰囲気になりバンバン意見が出て 助かりました。それに他の人は分からなくても 私は彼の言いたいことは大体理解できましたので 感謝の気持ちで一杯でした。 彼のことを変人扱いする人が多かったですが 私は自分らしさを決して崩さない彼を今も尊敬しています。 その後、彼は大学の教育学部を卒業して 今では母校の人気ナンバーワンの先生になっています。 先日、校庭でたくさんの中学生に囲まれてフニャフニャ言っているのを 拝見させて頂きました。さすがに当時よりも 、はっきり話していましたし、鼻水もありませんでした。 もう一つ、彼の奥さんですが、中学時代のクラスメートの 女の子にナント!口説かれて!!結婚したそうです。 男らしさとは、自分らしさを貫くことです。
2006.02.14
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雪女純一の描く絵には、いつも雪があった。それは、純一が雪国の出身だからかもしれない。雪のほとんど降らない都会に来て、ただただ売れない絵を描いている純一の頭の中には、いつも幼少時を過ごした雪に埋もれた故郷があった。ある朝、そんな貧乏な画家の純一が銀行に記帳に行くと、電気代水道代が引き落とされたすぐ後に、見慣れない名前があった。「ヤマダユキコ…」そして、見たことも聞いたこともないその名前の横には、100,000,000とあった。つまり、貧乏な画家であったはずの純一にヤマダユキコと名乗る人から1億円の振り込みがあったのだ。つまりつまり、現時点では、純一は、貧乏な画家と言うよりも、ちょっとばかし金持ちの画家になったのだ。純一は信じられない出来事に、キョトンとしたまま、通帳の数字を見続けていると‥「すみません‥」うしろに並んでいる女性が待ちきれなくなって声をかけてきた。その声に押されるように銀行から出た時、純一は背筋がすっと伸びたような気がした。視界がやけに広がったような気がした。お金ができると人間が変わると言うが、こんなことなのかと純一は思った。しかし、何に使えばいいんだろう。いや、使った後に、返せと言われるかもしれない。間違いかもしれない。純一は悩んだ。それなら、せめて、覚めるまで夢を見よう‥何に使おう‥と言っても、純一は、絵を描く以外に何の趣味もない。酒・タバコ・女・博打などなど一切興味はない。まあ、若干興味があるとするならば、女だが、それにしても、いつも世話になっている画廊の看板娘ミヨちゃんで十分なのである。「家でも建てようか」純一の夢は、自分のアトリエを持つことだった。高校を出てから10年ずっと、木造ボロアパートで暮らしてきた。やっと、この辺で、一軒家が持てる…と思ったところで、純一は、約束を思い出した。昨日の夜、純一の絵を置いてもらっている画廊の社長から電話があって、朝一番に来て欲しいとのことだった。「おはようございます」純一が画廊に入って行くと、社長がニコニコしながら、「君の絵が売れたよ」「そうですか?それで、5万円くらいですか?もしかしたら、3万円」「バカ言うな。君は自分の才能を低く評価しすぎておる。1000万円じゃよ」「ええ」純一は驚いた。いつもは、せいぜい10万円で売れたら御の字の純一の絵が1000万円で売れたのだ。社長は、さらに付け加えた、「初めは、ただのヤサ男と思っていたが、さすがワシの娘が惚れるだけのことはある。ああ…そうそう、今、持っている絵を全部持ってきてくれよ。頼むよ」「はあ…」ポーッとなっている純一に、ミヨちゃんが、「電話よ。何か良いことみたいよ」純一が出てみると、出品していた絵が特選になったという連絡だった。「へえ…どうなってるんだろう」あまりの幸運の連続に、何が何だか分からなくなっている純一を訪ねて、透き通るように色白の女性がやってきた。彼女は、不思議なことに若くも見えるし、年輩にも見えて年齢がよく分からなかった。彼女は、純一に名刺を差し出した。まるで雪のように真っ白な名刺に肩書きも何もなく山田雪子とだけ毛筆体で書いてあった。咄嗟に純一は、「ああ、あなたが…」雪子は、目をパチクリさせて、「おや、その様子だと、気づいたのね」「どうして、私の口座番号を知ったのですか?」「素敵な青年に会いたいと思ったら、閃いたのよ」「ええ? ひらめいた‥それにしても、どうして、あんな大金を…」「あなたなら、無駄に使わないと思って」「何と、お礼を言ったら良いか」「人間には何が起こっても不思議ではないのよ。何が幸いして何が災いするかも分からない。それについて考える必要もないのよ。ただただ、あなたは絵を描いていればいいの」そう言うと雪子は背中を向けて去ろうとした。純一は、せめて、連絡先だけでも聞いておこうと思い呼び止めようと彼女の肩に触れようとした瞬間、彼女はサッと振り返り、妖艶な笑みを浮かべて「ふれないで、私は雪女」と言ってそのまま去って行った。それ以来、山田雪子という女性は、純一の前に二度と現れることはなかった。ただ、相変わらず、純一の描く絵のどこかには雪があった。
2006.02.14
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「女心」を家に入れると書いて「安心」と読む欲望と欲望がぶつかり合うことで、 人は争い、怒り憎み妬み恨みを生みます。 こんな感情の動きがガンを生み出し、 エイズを生み出しました。 そして、また新たな病気を生み出そうとしています。 次ぎに生まれる病気は 感染すれば数日のうちに 細胞を分解し元の原子にしてしまうような 病気です。人間の眼から見れば、 消えたように見えるかもしれません。 多くの男性は、大人になることで退化します。 欲望で生きることを学ぶからです。 戦うことを学ぶからです。 女性は子供を立派に育てるため、 争いよりも平和を求めます。 その点で女性は男性よりも進化した生き物です。 最近の男性は女性ぽくなったと言われますが これは、一種の自己防衛本能です。 何とか生き残ろうとする気持ちが 外見だけでも女性化しようと 無意識のうちに動き始めているのです。 しかし、心の中は、年々欲望が強くなっています。 最近では、女性や子供の一部にも同じような傾向が見えます。 次ぎに発生する病気は、 争いによって起こる感情の乱れで感染するのです。 人類は、何が正しいか優れているかで ボロボロになるまで争うのではなく どうしたら仲良くできるかを 考えるようにしなければ多くの人類は消滅します。 女性は、昔から家庭的な平和を好む生き物です。 だから、「女心」を家に入れると書いて「安心」と読むと思います。 これからは、政治も経済も平和を心から願う女性本来の感性を取り入れるべきです。
2006.02.13
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39通の宝物誰もが振り向く美女の誉れ高き女、Y子は、そんな手本のような女だった。ミス何とかになってから、女優となり、主演女優とまでは行かなかったが、多くの映画やドラマに出演した。そんなY子に惚れた男たちは、そうそうたるメンバーだった。政治家の二代目、大物演歌歌手、青年事業家、某人気プロ野球選手…などなど、数えれば切りがなかった。そんな男たちの中で、今もY子の心の中で生き続けるのが浩輔と言う男だ。今となっては、彼の存在は、週刊誌記者はおろか芸能レポーターの誰も知らないだろう。まさか、そんな男が…浩輔は、中学校を出て板金工をしていた。小さな町工場で働いていた地味な男である。そんな浩輔が、ふと仕事休みの合間に、週刊誌のグラビアでY子の写真を見た。一目でY子に惚れてしまった浩輔だった。浩輔は、毎日のようにY子にファンレターを書き、休みの日には、Y子の自宅の垣根から、中を伺っていた。一目でいいから、Y子に会いたい一心だった。でも、浩輔がY子に会えるはずもなかった。パトロールに来た警官に追い払われるのがオチだった。そんな浩輔が、Y子と話せる時が来たのは、そうした生活が続いた1年くらい後だった。いつものように、Y子の自宅付近をウロウロしていた浩輔は、自分と同じようにY子の追っかけをしている男に気づいていた。しばらく見ていると、その男、Y子邸の門の方に近づいて行った。「Y子が出かけるんだな。でも、あいつ、あんなに近づいたら怒られるのに」浩輔は、いつものように遠巻きに見ていた。そんな浩輔の目に、その男の手にコーラの瓶が握られているのが見えた。「あれー…もしかして…」浩輔が、そう思った瞬間、車が門から出てきた。その男は、その車の前に立ちふさがった。その男とY子のマネージャーが口論し始めた。しかし、その口論は一瞬で、マネージャーは顔を押さえて倒れた。「あっ、薬品だ」浩輔は、車の中にいるY子に襲いかかろうとしたその男の後ろから飛びかかった。浩輔とその男は、もみ合いになった。浩輔は、その男から、瓶に入っていた薬品を顔にかけらえて大やけどを負った。幸い、Y子は、近くをパトロールしていた警官に保護され、無事だった。病院に入院した浩輔のところに、Y子は二度だけだが見舞いに来てくれた。Y子は、あの事件の直後、医師と結婚し芸能界を引退した。たぶん、事件のショックで、芸能界を離れる決心をしたのだろう。その後、浩輔の方も、顔の傷も何とか完治して、町工場の社長の紹介で、見合い結婚して、今では孫もいる。あれから、もうすぐ40年、浩輔はY子とは会っていない。ただ、毎年、正月になると、姓の変わったY子から欠かさず送られて来る年賀状の枚数は、もうすぐ40枚になる。浩輔の39通の宝物である。
2006.02.13
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今やから話せることやけど・・・小学校の担任の先生が 休んだ日には、教頭先生が 代わりに授業をしてくれました。この教頭先生は大変な人気者でした。 先生の授業には、必ず昔話が入っているからです。 この話も、その一つです。 「市民会館と神社の近くには 古い木がいっぱい生えてるやろ。 何でか知ってるかな? もう400年以上も昔のことやけど、 戦国大名で、今の大阪府あたり摂津の国、 高槻の城主だった高山右近は、 キリシタン大名と言われて 散々、周りの大名に意地悪されて 切腹して死ぬことになったんや。 悔しかったんやろなあ。 かなしかったんやろなあ。 せめて、奥さんだけでも 生き残ってほしい、そう思って・・・・・ 奥さんも、キリシタンやったけど 尼さんになって 子供たちを連れて生き延びてほしい と頼んだそうや。 もちろん、奥さんも一緒に 死にたいと言ったんや。 そこで、高山右近は 涙ながら、話したんや。 ワシは、木になる。 腹に刀が刺さり、 この身は命果てるとも、 ワシは一本の木として 生まれ変わるのだ。 木になって、 そなたや子供達を ずーっと見守って おるからな・・・・・ そう言うて、涙のお別れをしたそうや。 行ったことあるかな。 市民会館の横には、 高山右近の屋敷や城があったんや。 そこには教会があるやろ。 不思議やけど、 その辺りに古い木が たくさん生えている。 今やから話せることやけど・・・ 先生、昔、戦争に行くことになって 死ぬかもしれへん・・・ その時、この話思い出して 神社の横の木にお願いしたんや。 右近さん。わし、教師になりたいんや。 頼むから、一生懸命戦うから 命だけは助けてくれへんか。 ってお願いしたんや。 おかげで、 みんなの前に こうして立ってるというわけや」
2006.02.12
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再会この大安の日曜日に挙式をあげる圭子と誠の馴れ初めは運命的だった。二人は、2年前、二人がともに卒業した中学校で再会した。二人とも、中学の教師を志して、母校に教育実習に来ていたのだった。圭子にとって、誠は、中学1年生の頃から忘れられない存在だった。あれは、修学旅行の時だった。泊まった旅館には、海に面した大浴場があった。温泉に浸かりながら、大海原を鑑賞できるのだ。大きな湯船の奥は、露天風呂になっていた。数人のクラスメートと露天風呂に浸かっていた圭子は、柵のむこうが気になった。よく見ると、柵には隙間があった。その隙間から、隣りの様子を伺おうとすると、どうやら、となりは男風呂のようだ。「おーい」隣から男子の声がした。「覗いたら、痴漢やで」と圭子が柵に凭れながら言い返した。「誰が、お前のヌードなんか見るか」誰かは分からないが失礼なことを言うものだと、頭に来た圭子は、桶に一杯冷水を汲んで、柵の向こうにいる男子にかけた。ウギャー…ビックリしたのか、飛び跳ねたその男子は、勢い余って柵を倒して、生まれたままの姿で圭子の前にいた。圭子も、やはり生まれたままの姿だった。その男子こそが誠だった。誠は、すぐに飛んで逃げたし、圭子もキャーッと叫んで逃げたので、マジマジと見られることはなかったが、数秒は、ハッキリとお互いに見てしまった。それから、圭子にとって誠は気になる存在になった。だからと言って、付き合ったとか、親しかったとか、そんなことはなかった。その後、中学高校と同じ学校だったが、同じクラスになることもなかった。大学に通い始めてからも、同じ大学ではなかったが方向が同じで、よく電車の中で顔を合わせた。それでも、挨拶する程度で話をするなんてことはなかった。ただただ、圭子にとって、誠は気になる存在だった。そんな誠と、圭子は母校で再会したのだ。ある日、授業が終わり、帰ろうとして通路を歩いていた圭子は、1年生の教室の後ろに張り出されている写真を見ている誠を見つけた。「写真見てるの」「うん、修学旅行の写真」「へえ、まだ、あそこの旅館に泊まってるのね」「覚えてる?」誠の声のトーンが変わるのが圭子には分かった。そして、誠の声のトーンの変化が、テレパシーのように圭子に伝わった。誠も、心のどこかで、圭子を意識していた。「覚えてる」そう答えるとき、圭子は頬が熱くなるのを感じたのだった。
2006.02.12
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いつも最初で最後寒い冬の季節になると 今でも、新聞配達をしていた学生時代を 思い出します。冷たい風の中 自転車をギコギコと まだまだ真っ暗な町に出て行きます。 新米のときは いつも決まった時間に 間違いなく配達していたのに 冬になり経験も1年近く経て 慣れてきた頃から 配達ミスが始まります。 ミスが続くと、店長から 新米の頃に使っていた ボロボロの配達順路帳を 持たされます。 いまさら、どこに誰の家が あるか調べる為ではありません。 お守りのようにポケットに入れておくだけです。 すると、不思議とミスがなくなります。 自然と最初の頃の緊張感を 思い出すからでしょう。 人は同じ事を繰り返すと アキル生き物です。 アキルと信じられないトラブルが 起こります。致命傷になる前に 治療しましょう。 これは仕事に限りません。 人と人の関係も同じです。 たとえば、付き合って数年の男と女が 手をつなぐのも 「いまさら」 って感じになってきたら 二人で初めて行った所に 出かけましょう。 同じ道を通り、同じ店に入りましょう。 今しかなかった頃を 思い出しましょう。 人は慣れると 先の事を考えたり 心配したり、そして疑ったり 不安になったりします。 忘れてしまったのですか? ひた向きだった頃を 思い出してみませんか? 一番輝いていた頃を その時は 今が最初で最後だったはずです。
2006.02.11
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洞窟 昔、村のすぐ横には大きな森があった。その森の奥には、洞窟があった。村人たちが、その洞窟の中を探検すると、大きな熊や虎がたくさんいた。洞窟の天井を見上げると大蛇も何匹もいた。恐怖におののきビックリして飛び出してきた村人たちは、「その洞窟には、熊や虎やヘビがいるから近寄らないように」他の村人たちにふれて回った。それから数日もすれば、村人たちは、その洞窟のことは忘れていた。そんな矢先、村人たちが、「畑で熊に出会った」とか、「家に虎が訪ねてきた」とか、「大きなヘビが川を泳いでいた」などと言って騒ぎ始めた。とくに被害はないのだが、何かが起きてからでは遅いので、村人たちは、あの洞窟に大きな岩の蓋をすることにした。洞窟に蓋をしてから、熊や虎やヘビに出会ったと言って村人が騒ぐことはなくなった。そして、いつの間にか、村人たちは、その洞窟のことは忘れてしまった。数年後、その洞窟の近くを、ある村人が通りかかると、「助けてください。助けてください」と少年の声を耳にした。どうやら、その声は洞窟の中から聞こえてくるらしい。その村人は、洞窟の大岩をエンコラセっと少し開けてやった。すると、年の頃なら、18くらいのいい男が出てきた。それから、数日もすると、洞窟から出てきたらしい18くらいのいい男やいい女が何人も村中にいることが分かった。そこで、何年か前のことを思い出した数人の村人が、洞窟の大岩の蓋を取って、中を探検した。ずっーと、奥の方に入って行ったが、ヘビも熊も虎もいなかった。拍子抜けした村人たちが、洞窟の外に出ようと入口まで来て驚いた。なんと、大きな岩で、入口がふさがれているではないか。必死になって、大岩をのけようと頑張ったが、どうにも動かない。「助けてくれー」と叫んでも聞こえるはずもない。途方にくれた村人たちは、お互いの姿を見て、また、驚いた。村人たちは、いつのまにやら、熊や虎や大蛇になっていたのだった。
2006.02.11
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世界を支えているのは誰?「歴史は繰り返す」 未来とは過去であって、 形の違いはあるが、 人間のやることや やろうとしていることは、 すべて過去に やり尽くされている。 「歴史を振り返ることが、 予言につながる」という評論家もいる。 だとしたら、 結果が分かっていることを、 やろうとしているのだろうか。 人間の歴史は、文明を生み出しては、 破壊するという繰り返しだった。 「いかなる生物も、いずれは消滅する運命にある」 そんなことを言う科学者もいる。 と言うことは、今の私たちの生活も いずれ、崩壊する運命にあるのだろうか。 そんなことはないと思う。 歴史は繰り返すのではなく、 私たち人間が、繰り返しているんだ。 過去の文明は、 正しい答えを出していないから、 また、同じ問題に挑戦しているのだ。 人間は、地球上の生物の中で 最高の知恵を持っている。 どんな大きな壁でも、挑戦する意欲がある限り いつかは乗り越えられるという最高の知恵だ。 この知恵がある限り、未来は変えられる可能性がある。 可能性を生かすか殺すかは、すべて一人一人の人間が 今をどう生きるかにかかっている。 本人が意識するとしないに関係なく、 私たちは、この世界を支えている一人なのだから。
2006.02.10
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丑の刻詣り「ちくしょう」と真佐子が石ころを蹴ると、前から歩いてきた優しそうな中年女性のハイヒールに当たった。「私が、お役に立てそうね」その女性は、素敵な笑顔で言った。「ええ?」よく分からないと真佐子が首を傾げると、その女性は、「私の名前はケイ。人の恨みを叶えてしんぜる神の使いよ」「はあ?」「あなた、誰かを恨んでいるわね」「そりゃもう、次男のやつったら、私のこと好きだって言って、散々、私の事、おもちゃにしたくせに、舞とできちゃって、私、捨てられたの。そりゃ、舞は美人だし、私は、大したことないわよ。でも、それなら、最初から私のことなんか相手にしなきゃ良かったのに。あのコンコンチキ、ぶっ殺してやる」「では、その次男を殺しましょう」「でも、警察に捕まるわよね」「いえ、私のご教授する方法では捕まりません」「ほんと?」「ええ」「ちょっと、来なさい」ケイは、真佐子を深い森の中にある神社に案内した。その神社の裏には大木が何本も並んでいた。よく、その木々を見ると、どの木にも、時代劇で見たような藁人形が五寸釘で打ち付けてあった。「ウオー」真佐子は、思わず叫んだ。「ホントにあったの」「あったのよ。でも、メニューがあるから、説明するわね。松竹梅と3コースに別れているわ。まず、松は、お任せコース。これは、私がすべて、やってあげるわ。あなたは何にもしなくていいの。竹は、1日交替で、私とあなたがやるの。梅は、すべて、あなたがやるの。私は研修期間の10日間だけ付き合うわ」「ということは、お金がいるのね」「もち、地獄の沙汰も金次第。警察に捕まることもないわ。裁判所の判例もあるのよ。安全確実に憎いヤツをあの世に送れると思えば安いわよ。ちなみに、松は100万円、竹は50万円、梅は10万円よ」「私、お金ないから梅でお願いします」「じゃあ、グッズを渡しておくわね。これが白装束、毎日洗濯してね。薄汚れたのは妖気が減退するからね。はい、これが、次男の藁人形。それと、五寸釘。小槌もね。それと、この般若のお面」早速、着替えた真佐子は、我ながら異様な様子にビックリした。「ねえ、このカッコで、毎日、ここに来るの」「時間も決まってるわ。昔の丑三つ時、夜中の2時から3時頃ね」「ええ!まだ寒いよ」「100日目で効果が出るわ。今から始めれば、6月頃ね」「ええ、100日!!」「そうよ。何なら、100万円で松はどう?あなたは、何にもしなくていいのよ」「梅でやります」その日は、そのまま、夜中まで、その神社で待機して丑の刻詣りをやった真佐子だが、翌日からは、夜中の2時にモーニングコールならぬミッドナイトコールで、ケイに叩き起こされて、般若のお面に白装束で、愛車のマウンテンバイクに乗って、真佐子は神社に急いだ。2日目、3日目、4日目…と過ぎる内に、真佐子は、だんだん次男への恨みが消え失せてゆく自分に気づいた。そして、ついに研修期間の終わる10日目。「舞もいい子だし、次男もいいヤツだわ。あの二人、幸せになればいいのにね。私だって、まだまだ若いんだし」そう思いながら神社に着くと、真佐子は待っていたケイに、「私、辞めます」「解約返戻金はないわよ」「はい。私、すごくハッピーな気分なんです」そう言うと、真佐子は般若の面をケイに返すと、ヤッホーと奇声を上げながら全速力で家に帰るのだった。
2006.02.10
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やっと探していたものを見つけた。健一の持ち時間は8時から9時の1時間だった。 バーの客がほろ酔い気分になる頃である。 6年間、定休日の日曜日を除いて毎日 バイオリンを奏でている。時々であるが健一の バイオリンを見て驚く客がいる。 健一のバイオリンは時価数千万と言われる 日本では数台しかない名器である。 祖父からの莫大な遺産を引き継いだ母は、 健一がバイオリン奏者として 世界に羽ばたく日を夢見ていた。 しかし、それは母の夢で健一の夢ではなかった。 高2の春、健一は駆け落ちした。 そして、この見知らぬ街の寂れたバーでの バーテン兼バイオリン奏者の日々が始まった。 バイオリン漬けの日々から逃げ出したはずの 健一の飯の種がバイオリンだったのである。 何度もバイオリンをヘシ折って捨ててやろうと 思ったか知れない・・・でも、捨てられなかった。 だから、荒れた。 殴る蹴るの暴行に一緒に駆け落ちした女も 「意気地なし」 と叫び1ヶ月で逃げ帰ってしまった。 それから酒酒・・・酒浸りのチンピラ暮らしが続いている・・・ 「健一、そろそろ実家に帰ったらどうだ?」 「いや、もう・・いいんです」 「いいって、もう6年だぞ。 お母さんも心配してるだろう・・」 「はい、でも・・・」 「どうしたもんだろうねえ」 人情家のマスターは心配している。 健一は3年くらい前から月に一度、 市民オーケストラの演奏会を聴きに行っている。 昼間は時間を持て余すことが多い。 金もある方ではない。 ナンパをするほどサバけた性格でもない。 結局行くところは音楽の世界だった。 「いつも来ておられますね」 声をかけて来たのは紀子の方からだった。 3年後には目が見えなくなるという彼女の運命を知ったのは、 初めての出会いから半年くらいたった頃だった。 初めて健一が紀子に会ったとき、彼女の目は おぼろげながら見えていた。健一の顔も確認できた。 「私がもうすぐ見えなくなるから優しいのですか? 同情なら勘弁してください」 良家の令嬢の紀子は悲しい運命のことなど 鼻にもかけていない強気で通していた。 「俺が治せるわけないし」 そう思っても自然と健一の足は紀子の居る方向へ向いた。 1年前から紀子はほとんど見えなくなり 光を感じる程度まで視力も落ち込んでいた。 「健一さんと私は違うはね・・・ 私はバイオリンを捨てられない・・・ バイオリンは私の光なのよ」 「え・・・光」 「そう、私のバイオリンが奏でる時、 その瞬間だけ・・みんなと同じものが見えるの。 そう、私が放つバイオリンの音色という光を みんなが見てくれるの」 そう話した彼女の指が何気なく健一の手に触れた。 健一は手に微かなしびれを感じた。 数日過ぎても、紀子の指の感触が手に残っていた。 カウンターの中でボトルやグラスを触っても バイオリンをひく時も 手にはジーンとした感触が残っていた。 健一の中で何かが変わろうとしていた。 嫌いだったバイオリン。 人生を狂わしたバイオリン。 そのバイオリンを自分の光という人がいる。 「マスター、俺、もう一度 バイオリンの勉強しようと思ってるんです」 「6年も遊んでたのにか」 「だからこそ、やりたいんです」 健一は再起を誓った。 何度やめようと決心しても やめられなかった酒にも 不思議と目が行かなくなった。 この街へ来て6年・・・ やっと探していたものを見つけた。 夜の星や月の光よりも 太陽の光よりも もっと明るい光を見つけたような気がした。 そして、何よりも健一はそんな光を教えてくれた人の光になりたいと思った。
2006.02.09
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里親運命の電話がかかってきたのは、和枝が娘の結婚式から帰ってきた時だった。夫や下の娘とともに喜びに浸っていた和枝は、「少し時間をください」と言って電話を切った。電話は施設からだった。母親から暴力を受けて逃げ出してきた女の子がいるので、育ててもらえないかという事だった。里親の経験は、12年ほど前から、つい今まであった。上の娘は、10歳の時に、和枝が引き取った子だった。幸い、実の娘と気が合ったようで、順調に育って、その日、めでたく挙式をあげた。「50過ぎてから、今の若い女の子を育てられるかしら」和枝は、素直に本心を夫や娘たちに伝えた。みんな、自分たちも応援するから頑張ってみたらということだった。みんなの熱意に動かされるように、和枝は施設から由香を引き取った。「最後の挑戦のつもりだった」最初は、晩ご飯を家族いっしょに食べて帰って行き、1ヶ月後から由香は寝泊まりすることになった。由香の荷物は、着替えと段ボール一杯のCDだった。由香は高校1年だった。下の娘が高校2年生だったことから、「妹ができたって感じかな」と娘も喜んでいた。しかし、1ヶ月が過ぎ、2ヶ月目に入った頃から、由香が暴れるようになった。由香は、近くにある物を、かたっぱしから投げた。それを、和枝が怒ると由香は大の字になって、「殺せ、殺せ」と近所にも聞こえるような大声で叫んだ。一時間も暴れると由香は「ごめんなさい。もう二度としませんから」と言って涙を浮かべて謝った。ほんの1時間ほどだから、いつかは改心してくれると家族みんなで励まし合って頑張った。由香が投げる物は、和枝に直撃することが多かったから、和枝は生傷が絶えなくなってしまった。3ヶ月が過ぎても、由香は変わらなかった。「このままでは、私たちの身がもたないわ」和枝は夫に相談した。夫は、「土日は、俺が相手することにしよう」と言ってくれた。土日は、家族そろって、レストランなどに食事に行くことにした。それでも、平日の由香は、同じだった。ある日、疲労がたまっていたのだろう。由香が暴れ出すと、和枝は気を失った。たまたま、早く帰ってきた夫が、病院に連れて行ってくれたから、軽い脳卒中で済んだ。一週間ほど入院している間に、和枝は決心した。由香を施設に帰そう。由香を施設に送り届けた日、和枝の背中には「お母さん、私を捨てないで」の涙声が何度も響いた。家に帰ってからでも、これで良かったのだろうか。こんなことになるのだったら、最初から引き取らなければ良かったのでは…いろんな後悔が和枝を苦しめた。そんな気持ちが少しずつ癒えた頃、和枝宛に一通の手紙が届いた。由香からだった。…最近、時々、実の母と会ってます。和枝お母さんのご恩は一生忘れません…手紙を読み終えた和枝は、ほんの少しだけれど、救われたような気持ちになった。
2006.02.09
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良い夢を見るには先日、たまたま聞いたラジオで フロイトの話をしていました。 「夢は、その人の潜在意識そのものである」 ということは、 潜在意識ってのは、その人の心を素直に 現してるものですから、現実になる可能性が 強いそうなのです。 そこで、私は考えました。 「じゃ、良い夢を見る方法考えればいいんだな」 いろいろ試しましたが、 布団やベッドに入った時に 考えていることが、どうやら 本日の夢スクリーンに上映される 映画プログラムを作っているようです。 でも、難しい方法なら、 実現できっこないし、三日坊主になる。 超簡単な方法はないか。 で、私がやってることがあるんですが、 私もやっているので試して見てください。 どうやら眠れそうだなって感じて 布団の中で目を閉じてから 10回ゆっくり「幸せ」って心の中で呟くんです。 (羊を1000回言うなら、幸せ10回の方が よっぽど良いだろうと考えたのです。) なるべく、ゆっくりです。10回以上でも良いですよ。 数が分からなくなって、そのまま寝入ってしまえば最高です。 「し・あ・わ・せ・・・・・・」 気に入った言葉が 他にあるなら、そっちを使ってください。 ちょっと野心ある方なら「成功」とか「ビッグ」でもいいし、 いつまでも若く美しくありたい方なら「若さ」でもいいです。 恋人が欲しいなら「愛」でもいいしね。 これなら、隣に誰かさんが寝ていても 迷惑かけないし、内緒でコッソリできます。 布団ベッドは、もちろんのこと 寝袋でも、野宿でもできます。 私は、悪夢にうなされる夜が恐くて恐くて。 最近はバッチリ良い夢が見れます。 ちなみに、これを精神科の先生に聞いてみましたが 「簡単な自己催眠ですね。たぶん、毎日やれば 効果ありますよ」だって。 ところで、どうして10回なんだ? 夢が叶う(夢がかなう)って言葉の「叶」を って漢字を思い出してください。 「口」が「十」で叶う。 私は、10回となえた後 「10回、やった夢が叶うぞ」 って、ニッコリ笑って寝ます。 寝る前の「幸せ」10回。お試しあれ。
2006.02.08
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燃えて燃えて燃えて雅美は、高校1年生。入学以来、ずっとテニス部で頑張っている。そんな雅美に、とうとう出番が回ってきた。明日、雅美は初めて試合に出る。でも、とくに意識しているわけでもないのに何だかブルブル震える。音楽を聴いたり、テレビを見たりして気分転換してはみたが、どうにも震えが止まらない。雅美は、自分が自分でないような気がして、たまらなく不安だった。「どうしたんだ?」お父さんが心配そうに聞いた。「これ武者震いかな。明日、初めてのテニスの試合なの」「で、震えてるのか?そんなに相手は強いのか」「強いか弱いかも分からないよ。でも、震えるの」「それは自分に負けてるんだな」「自分に負けてる?だとしたら、どうしたらいいの」「自分が勝たなくて、誰が勝つんだと思う。燃やすんだよ。燃えて燃えて燃えまくるんだ。お父さんだって、嫌なお客さんに会わなければならないと思うと気持ちが滅入る。でも、お父さんが負けたら、どうなるんだ。会社の部下たちは?それに、お母さんや、かわいい娘の雅美の為にも、お父さんは、頑張らなきゃいけないんだ。そう思って、自分を燃やしてるよ。燃えて燃えて燃えまくるよ」「へえ、お父さんは、そんなに頑張ってたなんて、初めて知ったわ」「お父さんの気持ちが分かるようになった雅美は、それだけ大人になったってことだ」「そうか。燃えればいいのか。私、燃える!!燃えて燃えて燃えまくる」お父さんに励まされて、さっきまでの震えもどこかに飛んでしまい、急に元気になった雅美だった。
2006.02.08
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たった一つの救い神戸の中華街や異人館通りは 有名ですが、今では廃れているインド人の ボンベイ通りのことを知る人は少ないようです。神戸は日本で一番、在日インド人の多い街です。 そのボンベイ通りのインド料理店で働く 在日インド人のTさんという方がいます。 日本人の奥さんとの間にできたTさんのカワイイ息子さんは もうすぐ4歳です。この4月から幼稚園の年少組に入学します。 まさにカワイイ盛りです。 この子が生まれたのは、阪神大震災の年の1月で 出産直前で初産の奥さんは大事をとって 奥さんの実家近くの産婦人科に入院していました。 震災前日が休日でしたので 夜遅くまで病院にいたTさんは 奥さんの実家に泊まっていました。 実はTさんは、インド人ということで 奥さんの両親は結婚当初から大変嫌われていました。 特にお義父さんは、彼が泊まるなら 自分は親戚の家に行くと言う始末です。 お義母さんは娘の出産が間近ということで 仕方なしに実家に残っていたのでした。 震災の日の明け方、Tさんは目の上の電灯が大きく揺れたので 目をさましました。そして、アッと思った次の瞬間 右へ左へ大きく揺れ、タンスは倒れ体も何度も壁に打ち付けられました。 1分か2分で激しい揺れは治まったようでしたが あまりの恐怖でしばらく立てなかったそうです。 壁にはヒビが入り、あらゆる物がひっくり返り 窓ガラスも割れています。 隣の部屋で、お義母さんが 「だいじょうぶですか」 とうめき声をあげました。 「ダイジョウブ・・・・・デス」 と絞り出すような声でTさんは答え、 やっと立ちあがりました。 隣の部屋に行くと、布団の上にタンスが倒れ お義母さんが下敷きになって苦しんでいました。 「コレハ、タイヘン・・・・・」 Tさんは、必死の思いでお義母さんを助け出しました。 この時からです、お義母さんのTさんへの 態度が柔らかくなったのは。 ホコリまみれ汗まみれになって、 自分を助けてくれる真面目な姿勢に 心を動かされたのでした。 幸いTさんもお義母さんも 打撲程度で無事でしたが心配なのは病院の奥さんです。 電話は使えません。携帯電話もダメです。 火の手があがる家、倒壊した家を 横目に二人は急いで奥さんの入院する病院に向かいました。 病院の正面の自動ドアは、建物全体が傾いた為 開かなくなっていました。 裏口なら開くかもしれません。 二人は走りました。 裏口には、同じように着の身着のまま駆けつけた人が 数人ドアが開くのを待っていました。 中から宿直の看護婦さんがドアを開けてくれました。 病室に向かう途中の通路は、 ガラスの破片が散乱し、走りまわる看護婦さんや 赤ん坊の泣き声で大変な騒ぎでした。 奥さんのいる病室を開けると 等間隔で6つ並べてあったはずのベッドが 大きく斜めになり部屋の隅に寄っていました。 奥さんは、Tさんとお義母さんを見ると 「今、看護婦さん帰ったところ・・・・・」 と何事もなかったような顔で言いました。 「コワクナカッタ?」 とTさんが聞くと 「開き直ってたわ。この体じゃ、どこも逃げられへんし」 気の弱い奥さんは、いつの間にか強い母親になっていました。 その後、出産までの間、病院が火事になり奥さんをタンカに乗せて運び出したり、 水や薬がないやら大変だったそうです。 ただ、その日から奥さんの両親とTさんが うち溶けて明るく話をするようになったのが たった一つの救いでした。
2006.02.07
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何よりの修行売れっ子作曲家だったSは、猛烈な勢いでヒット曲を次々生み出して行った。彼の活躍はめざましく、彼の才能に憧憬の念を抱く音楽家の玉子たちは少なくなかった。そんなSにあやかりたいと、毎日のように、Sの弟子になりたいと懇願してくる人が後を絶たなかった。でも、Sは、「私の弟子になっても、ヒット曲は作れませんよ」と言って断っていた。そんなSに興味を持ったマスコミ関係者も当然、少なくなかった。週刊J記者の立川もSの才能の秘密を暴こうと以前からSの周辺を張っていた。その結果、分かったのは、Sは、かなりの借金を抱えていることだった。どうして、Sほどの高額所得者が、借金を抱えるんだろう。Sは浪費家なのだろうか。いや、そうでもなかった。Sは、時々、旅行をするくらいで、派手な遊びもギャンブルもやらない仕事一筋の面白味のない人間だった。ひょっとして、奥様の内助の功があるのではとも立川は思った。しかし、それも、どうも見当はずれのようだった。それどころか、Sの妻は、毎日のようにショッピングに出かけて、クレジットカードを使いまくっていた。その上、最近は、株で大損したらしく、その処理の為に、Sが3つの銀行から大借金をしたという話だ。彼女は、Sの足を引っ張ってはいても、内助の功なんかしていない。その結果、Sは、来る仕事来る仕事すべて引き受け仕事を頑張らざるを得なくなっていた。Sの幼年期も、もちろん調べたが、特別英才教育を受けたわけでもない。周囲に著名な音楽家がいたわけでもない。初めて楽器を触ったのが、高校一年生のギターだとすると、むしろ、この世界では、かなりの遅咲きだった。その他、いろいろ調べても、Sの才能の根拠となる何かは出てこなかった。困り果てた立川は、Sに直撃インタビューをした、「S先生、あなたの才能の秘密を教えてくれませんか?」Sは、いかにも面倒そうに言った、「君は、私を、いろいろ調べているそうだね。それで、分からないの?」「分かりません」「君は幸せな男だね」「まあ、特に苦労もしてませんが」「つまり、独身だね?」「ええ、まあ、彼女はいますが」Sは、よくぞ聞いてくれたとばかり、身を乗り出して立川に話し始めた、「私の成功の秘密はね。結婚にある。結婚は、精神も鍛えるには最高の道場だ。何よりの修行だ。私は、ありとあらゆる高僧にも負けない修行の場を妻との結婚から得たんだ」「かなりの浪費家だそうですね。奥様は」「そう、私は、酒もタバコも博打も女もやらず働きづめなのに、あいつは、全部やる。その上、口うるさい。わたしは、謙虚で、心優しい母のような女性が好きだった」「そこまで調べませんでした」「その上、最近太ってきた。私は、スレンダーな女性が好きだ」「つまり、奥様には、まったく魅力を感じない?」「そうだとも…憎しみを感じることはあっても、魅力などありえない」立川は、ナンバーワン作曲家S離婚の大スクープを手にしたと思った。喜ぶ編集長の顔が目に浮かんだ。「じゃあ、もうすぐ離婚で・す・ね?先生なら、かわいい子、選り取り見取りでしょうから」Sは、再び、面倒そうな顔で立川を見た、「君は、何を聞いていたのだね」「はあ?そんな嫌な奥様でしたら、もっと可愛い誰かの方がよろしいのではないかと」「バカだなあ。私が、これほどの才能を発揮できたのは、結婚のお陰だよ。結婚してさまざまな修行をしたからだ。離婚などするわけがない。君もね。立派な記者になりたかったら結婚して修行しなさい」そこへ、Sの携帯電話が鳴った。どうやら、妻からのようだ。Sは、ニコリと笑った。「よーし、修行するぞ」…
2006.02.07
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寿司屋のセンスを見るには巻き寿司を食べることお寿司というと、のりまきは 後の方に控えられてしまう。ほとんど レギュラー選手なのだが不思議な話である。 簡単なようだが、のりまきを おいしく作るのは難しい。 寿司屋のセンスを見るには のりまきを食べた方がいいと 食通の旦那に教わったことがある・・・ ところで、あるクリスマスイブのことである。 「この野郎。クリスマスに なんで・・・のりまき作るんや」 と大皿に積み上げて合った長い太巻きを 力一杯ポイポイ投げるヨッさんの叫び声に驚いて 離れに住んでいるヨッさんの お母さんのテイさんも飛んできた。 ヨッさんの奥さんのユキさんは 「のりまき食べたいから作ったのよ」 と何事もなかったように平然と言う。 ヨッさん、この言葉に怒って 「何・・・俺に逆らうのか・・・ クリスマス言うたら・・・鳥や ・・・ケーキは俺が買ってきた! この俺の気持ちが分からんのか」 と絶叫する。ユキさんは 「鳥やなくて、七面鳥と違うの? そんなん売ってないのよ・・・ 売ってても高いし・・・ そんなんより、あんたがケーキを 買ってくる・・・私も子供も のりまきが好き・・・それで いいやないの」 「あああ・・・こんなヤツやねんや おかあちゃん・・・ワシは なんて不幸なんやろ・・・ 鳥が食べられると思って早く帰ってきたのに・・・ クリスマスなのに・・・あああ」 これを聞いた当時80歳のテイさんは 45歳の我が息子ヨッさんの喚き散らす姿に同情したのか、 ヨッサンに鳥を食べさせるために 小学校4年生の私を連れて 近所のケンタッキーフライドチキンや ブロイラーと看板のかかった鶏肉屋さん などを駆けずり廻った。でも、イブの夜7時を過ぎると どこも売り切れでクリスマス用の鶏肉は手に入らなかった。 疲れ切ったテイさん、「もしや・・・」 と思い、従兄弟のイッちゃんの家に電話をかけた。 イッちゃんはケンタッキーフライドチキンの店長だった。 テイさんには神さんが付いている。 私は、いつもそう思っていた。 イッちゃんは 「おばあちゃん、売れ残りで 悪いけど、味は変わらへんし」 と3本の鳥の丸焼きを分けてくれた。 2時間も放浪してテイさんも私も疲れ切っていた。 時間も夜9時前である。 私は、鳥の丸焼きにかぶりつきたいくらいに 空腹になっていた。 テイさんも、 「お腹すいたやろ・・・みんなも 鳥が食べたくてお腹すかして待ってるやろうなあ」 と言いながら家に帰ってみると。 ヨッさんは、ビールを飲んだのだろう赤い顔をして、 のりまきをバクバク食べていた。 「遅かったなあ・・・ケーキには手を つけてないから・・みんなで食べようと 思ってな・・のりまきも 食べてみるもんやなあ。いけるで」 と言うと、今度はテイさんが 「私がさんざん苦労して 鳥の丸焼きを探してきたのに この親不孝者」 と3本の鳥の丸焼きをヨッさんに 投げつけ走って離れに引きこもってしまった。 この後一時間くらい、ヨッさんはテイさんに 土下座をして謝っていたが 1週間ほど口を利いてもらえなかった。 ヨッさんは、頑固なテイさんに 手を焼いて疲れたのか のりまきをヤケクソに食べ、 ビールを浴びるように飲んだ。 そして、「あのクソババ」を連発した。 雲行きが悪くなったのでユキさんと早く寝た 私にとっては無念のイブの夜となった。 結局、のりまきは腹六分目くらい食べたが ケーキと散々走りまわって手に入れた 鳥の丸焼きの為に残しておいた残りの四分は その夜とうとう埋めることができなかった。 その上、お母さんに怒られたサンタクロースは ベロベロに酔って前後不覚になってしまったのである。
2006.02.06
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ティッシュティッシュペーパーの箱から、スーッスーッと次から次へと紙を引っ張り出して、1歳になったばかりのチー坊が無邪気に喜び勇んでいた。あんまり次から次へと引っぱり出すものだから、「ちょっと、もったいないよ」と止めようとした孝志には、ふと思い出すことがあった…大学生の頃、下宿に遊びに来た彼女に、「講義に行ってくるよ。テレビでも見て待っててくれよね」と講義に出て、孝志が一目散に戻ってくると、部屋で待っていた彼女がシクシク泣いていた。「どうした?」ビックリした孝志が彼女に尋ねると、「悲しいのよ…この女の子、かわいそう…」と言って、傍にあったティッシュペーパーの箱から紙を取り出して、涙を拭いていた。彼女はNHK教育テレビのマッチ売りの少女を見ていたのだ。幼児か小学生の低学年向きの影絵だったが、彼女の感動は相当なもので、次から次へと箱から紙を取り出して、涙を拭きながら、「ごめんね。ごめんね。もったいないね。ごめんね」と泣きながら、孝志に謝っていた。そんな彼女が、たまらなく愛しくて孝志は駆け寄って抱きしめて、もらい泣きしたことがあった…「あなた、どうして止めないの。チー坊、ティッシュ引っ張り出してるわよ。もったいない。もう、あなた、何、ボケッとしてるの」そう妻の陽子に言われて我に帰った孝志は、「いいじゃないかティッシュ1箱くらい。おまえだって、あの時…」と言うと、一瞬考えた陽子も思い出したようで、「いやあね」とクスッと笑った。
2006.02.06
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★ 成功の大道検察庁はマル特010号事件のために、検事だけで40名を動員した。刑事や警察官の動員を合わせれば、延べ1000名を超える大事件である。そう、この事件は、30年前の米国高官や総理大臣の逮捕にまで発展した006号事件とほぼ同じレベルの大事件である…そう検察は見込んでいる。しかし、その真相は、まだまだ明らかにされていない。このままでは、数週間前まで、ベンチャー企業のプリンスと呼ばれた星田とその側近の逮捕だけで終わるかもしれない…検察は明らかに焦っていた。「30年前も、本当に逮捕し明らかにしたかったのは、総理大臣ではなくて、その総理をバックアップしていた巨悪だ。あの裏社会の巨悪を法廷に引きずり出したかった…今回も、星田なんて、氷山の一角だ。星田の金を動かしている巨悪を引きずりださなくては解決には至らない…しかし…」この事件の最高責任者でもある検事総長は呻いた。星田は、決して、その件については触れようとしなかった。それどころか、尋問するベテラン検事たちの一枚も二枚も上を行く頭脳で、証拠という証拠を見ては、「検察の皆さんは、寄ってたかって、大事件を作りだそうとしている。推理小説の読み過ぎですよ」といとも簡単に反論し笑い飛ばすだけだった。10数名の腕利きのベテラン検事たちが、すでに匙を投げていた。そんな中で、星田に尋問することになったのは、昨年、検事補になったばかりの、しかも、この事件の担当検事40名の中で、たった一人の紅一点、田所昌子だった。昌子は、星田に書籍のページコピーを一枚手渡した。…成功するために、何か特別な秘訣でもあるのかと、皆ききたがります。しかし別に特別な秘訣があるわけではありません。あたりまえの考えをして、あたりまえの行動をするだけです。それが成功の大道です。ところが皆、何か特別な道があるのかと考え、大道をふみはずしてしまう。脇道であるから、くぼ地もあれば水たまりもある。危険もある。途中でなくなってしまう道もある。しかし大道は、歩きやすく、どこまでも成功へつながっている。なぜ皆、脇道をあるきたがるのか…このコピーを読んでも逮捕されてから今までと同じように星田は笑うだけだった。「これは、かの有名な、ですね。古典的な」「そうです。これは松下幸之助さんの言葉です…そう、たしか、あなたの書いた2冊目の本の中で、あなたは、この方を否定した。古くさいと書いていた。そもそも、今回、あなたが逮捕されるようになったのは…」「そう策を弄しすぎた。それだけですよ。せいぜい罰金刑の事件ですよ。なんで、こんなに大騒ぎするんですか。これも10回は言いました」「違いますね。少なくとも、3年前までの星田さんは、松下幸之助さんを尊敬していた。それがある時期を境にして古くさいとまで言うようになった。これは多くの幹部や社員が証言しています。社員研修のビデオでも言ってますね。この本を書いた時点で、あなたは経済ではなくて、政界のトップを目指すよう方向転換したんです。証拠はあります。ご覧になりますか。」「ほう、カワイイ顔して、そっちから来たのは初めてだ。誉めて上げましょう。あなた、私の大学の後輩でしたっけ。でも、ハズレ…私は、今でも身も心も商売人ですよ」「私の父は、30年前、006号事件の担当検事でした。当時、一番の若手でした。父は、あの事件の真相をとうとう証せなかった検察の力に失望して、検事を辞め、弁護士になりました。ちなみに私は関西の大学を出ましたから、あなたの後輩ではありません。残念ながら」「すみません、検事さん。僕の認識不足でした。あの事件は、政治経済の教科書で読んだ程度で…しかも、ボクは、当時3歳だったんで…」「先日、その父が亡くなりました。その数日前、枕元で、どんなに証拠を突き詰めても星田は否認し続ける…と言いました。あの時のアイツと同じように。否認続ければ、証拠隠滅の恐れもあるから、検察は釈放しない。留置場にいるかぎり安全、命を取られることはないから…と。でも、星田さん、毎日眠れますか。あなたが隠している巨悪は、刑務所にミサイルや爆弾を撃ちこんでも不思議ではありませんよね。それくらいの巨悪ですね…いや…国際組織でしょう?30年前も同じでした。先輩の検事たちは言えないんですよ、そこまで。立場がありますから。でも、私は言えます。女ですから、たかだか小娘ですから」「…ま…また、創作ですか」星田は、この瞬間、初めて顔を強ばらせた。
2006.02.05
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せんべい布団の想い出子供の頃、私が寝ていた布団は煎餅布団でした。 冷たい湿った固く重い布団でした。 不精者の母は、特別の事情以外に 布団を干すことがなかったからです。 子供の頃から そんな布団に寝ていたモノですから 布団というものは、 そんなものと思うから、 生活環境とは恐ろしいものです。 だから、修学旅行などで フカフカの布団なんかに寝ると 「間違っても、布団に地図なんか描けない」 と緊張したモノです。 ちなみに夢見る少年だった私は、 1年に何度か夢の中でトイレに行くことがあり、 中学1年頃まで布団に世界地図を描いた記憶があります。 つまり、不精者の母でも布団を干す 特別な事情が起きたわけです。 「まあ、僕ね・・寝る前に・・・ ちゃんと・・・おしっこして寝なくちゃだめよ」 と近所の奥さんに 当時、幼稚園に上がったばかりの弟の頭を 撫でながら言われると 返す言葉がなかったと母は笑います。 弟の弁護の為に申し上げれば 彼は3歳から一度たりとも 布団に地図など描いておりません。 そして月日は流れて、 18の年から親元を 離れて暮らしていた間の10年間も、 煎餅布団で寝ていました。 そんな私にも いっしょに暮らしてくれる人が 現れてフカフカの布団が 世間の常識だと知らされました。 それから、 「こんな布団で眠れる自分は幸せ者だ」 と常々思える生活をしています。 そんなフカフカの布団の 有り難さが身にしみて 分かっている私でも、 たまに実家に帰った時には 大事に?とってある煎餅布団 を押入から引っぱり出し、 冷たいなあ・・・ 湿っぽいなあ・・・ 固くて重いなあ・・・ なんて思いながらも、 この布団が自分らしいと 思ったりするから不思議です。
2006.02.05
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福の神のいる所大山周作は、50歳にして人生の最盛期を謳歌していた。周作に運が巡ってきたのは、42か3の時だった。その頃、周作は、小さな悩みを抱えていた。というのは、周作の妻の香奈恵が、周作の顔を見るたびに、「ねえ、あなた、家を新築しましょうよ」と飽きもせず、毎日毎日、周作が家に一日中いる日曜日などは、朝から晩まで、「家の新築、キッチンの模様替え、トイレのウオシュレット…」それこそ周作の耳にタコができるくらい繰り返すのであった。もちろん、そのころの周作に、家を新築するだけの甲斐性があれば、悩むことなどなかったのである。親から譲り受けたボロボロの家を、新しく建て替えたいのは、周作にとっても夢であった。しかし、周作の勤める会社は、いつ飛んでも不思議ではないくらいの絶不調で、とても、リフォームローンや住宅ローンを組む勇気は周作にはなかった。こうなったら、神頼みだった。会社の行き帰り、周作は、近所の神社でパチパチ願い事した。寝る前には、ご先祖様にもお願いした。そんな涙ぐましい努力のかいもなく、一向に願いが叶う兆しすら見えない。それどころか、ある晩、残業でヘトヘトに疲れて帰ってきた周作に妻の香奈恵は、「あーた、お隣は増築ですって…あーた、子供の為に、何とかしてよ。お願いよ」とプレッシャーかけまくるのだった。もう、周作の我慢は限界に来ていた、「チクショー、俺は、今から首を吊るから、俺が死んだら、その金で、風呂だのトイレだの、キッチンだの、作りやがれ…」そう叫んで周作は夜中の町に飛び出した。どこと言って行く宛もない。「とにかく、俺は帰りたくない。ああ…神様、俺に力をもらえませんか。小さな小さな夢です。親からもらったボロボロの家を修繕するお金がほしいのです。神様」いつしか、周作は、いつもの神社に来ていた。「神様、神様、女房と子供たちに、新しい家を建ててやりたいです。神様、神様」その時、周作は一瞬眠ったような気がした。…もし、金儲けにコツがあるとするなら、ほんの一歩だけ先を読むことや。ほんの一歩だけやで。あんまり先を読んだら、かえって儲からへんもんや…こんな振り出しで始まる何処から聞こえてくるか分からないような話を、周作は聞いた。たぶん、10分か15分程度の話だろう。妙に頭に残る内容だった。その翌日から、周作は、何をやっても上手く行った。まとまるはずのない商談までがポンポンまとまった。給料もドンドン上がった。会社の業績もグングン伸びて有名企業になった。あっという間、ほんの1年ほどで会社躍進の功労者である周作は係長から重役まで出世した。もちろん、ボーナスで、家をリフォームした。妻も子供も大喜びだった。あれから、7年、今や周作は、業界でも有名な社長になったが、相変わらず、妻や大学生になった子供たちと当時の家に住んでいる。「どうして、引っ越しなさらないんですか?あなたなら、もっと大きな豪邸に住まれたらよいでしょうに」と、いろんな人に勧められるが、周作は、「あの時ね、家をリフォームできて、すごくうれしかった。あの喜びといっしょにいたいんですよ」と、たいそう満足そうだった。
2006.02.05
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