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町内会の班長である所の仕事の一つ回覧板回し。そのプリント物の警察のお知らせに面白い記事があったのでここに載せておきます。駅前交番からのお知らせに載っていた豆知識。=================================【けいさつQ&A】Q白バイはなぜ白いのですか?A白バイの車体を白くしたのは、 欧米にならったもので、 目立つから!と言う理由です。 また白色は「平和と清潔」を示す色で、 交通事故のない 安全な社会を作るための「平和の騎士」 として活躍する意味があるとも 言われています。 現在は法律で緊急車両とされ、 白色と決められています。================================まず、白バイがなぜ白いのか?って考えた事が無かったのでちょっとした衝撃がありました。そしてこの記事を読み上げていたら娘(中2)に「欧米か!」と突っ込まれましたよ(((((^m^;突っ込みが早いっす。いや、私が鈍いっす。(^^ゞ白バイは「平和の騎士」だったんだ~~。バイクに乗っていた頃一度だけ白バイに捕まりました。用事があって出勤が2時間遅れだったのであせっていたんです。仙台の原町でスピード違反で捕まりました。ヘルメットを脱いだ瞬間白バイの方が「女の人だったんだ~~」だよお~~。バイクに乗っていると凛々しいだけだよぉ~~~。あの時の白バイの方は平和の騎士だったんだ~~~~。じゃあ、私は平和を乱す悪者だったんだ~~~。確かに平和を乱したのかな~~。ガンマは瞬発力がすごいので弾丸スタートするもんですから。知らなかったな~~。平和の騎士かぁ~~。車で走っていてパトカーや白バイを見るとビクビクしちゃうのは何故なんだろう?悪い事してなくてもビクビクしちゃうのは何故なんだろう~~?なんて色々考えて感心した回覧物でした。
November 30, 2006
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月音さんの所で踏んだ地雷バトンだそうですが私はやりたい人がやれば良いと思います~。強制は無しだす~~♪ ●好きなタイプを外見で答えよう! シャープな感じの人でしょうか。 でも背中は逆三角形が好きでした(遠い昔)●年上が好き? 年齢よりも人間性で見ると思います。●財布はどんなものを使ってますか? そんな事、考えもしなかったので今始めて見たら Giulia Vilentino って言うのが浮いてます。 え、ヴァレンチーノ!?? 本物かどうかは解りません。 どうして私が持っていたのかも 記憶がにゃいし。。。 ●携帯電話はどんなものを使ってますか?? 持っていません。 始終だれかと繋がっているなんて これ以上拘束はイヤじゃ~。 パソコンだけでも十分に 生活を乗っ取られてる~。●携帯ストラップは?? 車の鍵のストラップは こんなんです。 ●手帳って持ってますか? メモや考えを書くのはMARUMANの クロッキーブックの一番小さいサイズ。 (今使っているのは左端のものです) カレンダー付きの手帳はこれです。 (明るい色で励まそうと思いました)●バッグはどんなものを使ってますか? 服装と目的によって違いますが 最近はキャメル色の皮のバッグです。●[バッグ]の主な中身は? 車と家の鍵・財布・ハンカチ・ティシュー 各種カード類・車の免許証・住所録 保険証・手帳2種類・ペン類 ゲストとしてカットクリスタル♪ ●今はいてるパンツの色は? あったかいフリースのパンツは こげ茶色です。●星に何を願う? 星には願わないだす。●もしクレヨンに生まれ変わったら、何色が良い? ペパーミントグリーン。 マンダリンオレンジもいいですなぁ~。●好きなスポーツは? 見るのが好きなのはアイススケートとF1。●好きな日はどんな日? 晴れた暖かい日。●最後に見た映画は? 先日テレビで見たのは 「デイ・アフター・トゥモロー」 DVDで「ハウルの動く城」●怒ってる時にどうする? 無口になる。 その後、 理論的に追求する。 一人になって独り言を吐き散らす。●夏か冬どっち? 夏。 青い空。 白い雲。 輝く時間! 遠い日の記憶。 ●最近泣いたのはいつ?なぜ? ドキュメントやニュースを見ると 人に感情移入をするので しばしば泣いてしまいます。●好きな車は? 独身だったらフィガロ~~♪ あれは二人乗りなんですよね。(涙) フィガロってこんな車ダス ●好きな花は? 沢山あり過ぎて書き切れないです。 でも主に小さい花が好きです。 山野草も好きです。 バラも好きです。 頑張って生きている姿は どんな花でも胸打たれます。以上!したい方がいらしたらぜひやって下さい。
November 29, 2006
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●読みかけの本●「タンポポの雪が降ってた」 香納諒一著(短編集) ・「海を撃つ日」 あらすじ 新婚旅行でフロリダの船旅を楽しんでいた「ぼく」 の前に現れたディック・モーガンとの交流と、共通 の生い立ちを抱えて生きる重さと通過点。・「タンポポの雪が降ってた」 あらすじ アメリカに留学中の「シンジ」の所に、東京のバイ ト先で知り合った妙子が訪ねて来た。驚いたシンジ の思いは東京の学生時代に戻って行く。・「世界は冬に終る」・「ジンバラン・カフェ」・「歳月」・「大空と大地」・「不良の樹」 感想以前に読んだ「あの夏、風の街に消えた」がとても面白かったので借りてみたのですが、順番に読んだ二つが何かしら感傷的に過ぎて、私には合わなかったので、途中で読むのを止めてしまいました(^^; 香納さんはきっと天涯孤独なのか、身寄りが少ないのかとても孤独に生きて来たのか、寂しい子ども時代を過ごしたのだろうと思いました。
November 29, 2006
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今日ラジオを聴いていいぜ!!!( ̄ー ̄)☆と思ったイギリスのバンドです。●The Sunshine Underground●ザ・サンシャイン・アンダーグラウンドアルバム「Raise the Alarm」■オフィシャルサイトhttp://www.thesunshineunderground.co.uk/■レーベルサイトhttp://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Arch/ES/sunshineunderground/■フル試聴http://www.tsuarmy.co.uk/videos.php■動画I Ain't Losing Any Sleephttp://www.youtube.com/watch?v=eHnyJj98tT0Bordershttp://www.youtube.com/watch?v=24_UwTdH0tw&mode=related&search=Commercial Breakdown Livehttp://www.youtube.com/watch?v=Of6k2K6HVPsこれでデビューアルバムって言うから完成度の高いバンドですね。いいないいな~♪ラジオっていいな~~♪映像で誤魔化されず音楽が直で脳にやってくる~~♪
November 28, 2006
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今日の夢と今日の仕事●今日見た夢●今日の夢にはいよいよカウンセラーのI先生が出て来てしまいました!I先生のお宅にお邪魔したり教室で大勢とワークをしたり賑やかで沢山人が出て来ました。夢の中のI先生のお宅は平たい町の住宅街にありちょっと複雑な作りの大きな家でした。広い庭はジャングルのようになっていて帰りがけにく~たんとマシロが蛇と遭遇してしまいました。そうなんです。猫まで出て来ました。蛇は黄色と黒の縞々とか、太くて大きな濃いグレイとか、細くて小さい茶色とか、4匹が絡み合ってケンカをしていました。それを見つけたく~たんとマシロが襲い掛かろうとしていて、私とピー(娘・中2)がそれぞれに猫を捕獲しようとしてバタバタ走り回って街の中を探し回っていました。そんな夢でした。いつも私の補佐はピーなんですねぇ。そうそう、全くお会いした事の無いI先生のご主人も出て来ました。しかもお子さん達もまだ小中学生でI先生もご主人も30代の若さでした。でも私は今のまんまで、ピーも今のピーでした。なんでしょうね~?く~たんとマシロの事ではいつもピーと二人で世話して走り回っていて色々大変な毎日なんです。だからでしょうか?蛇はゾッとしました。蛇は苦手なんです。今日も寝坊して資源物を出せませんでした。(^^; でもようやくゆっくり眠れたし夢もしっかり憶えていたし午前中に起きれたので良しとします。来週こそ資源物出しを頑張りたいです。雨の朝でした。体のあちこちが痛いです。●雨の日にした仕事●先週から取り掛かりたかったノートパソコンを軽くするための作業の一環であるマイビデオに入っている「ハウルの動く城」を編集してDVD化をやりました!ようやくやりました!細かく編集出来るのでCMを全部カットしました。便利なソフトがあって感謝しています。 ちきんたったさんが送って下さった彼岸花とウンナンサクラソウの写真です。 11月なのにふさふさ茂っています♪雨降りなので色は綺麗に撮れませんでした。うちの先住猫のく~たんはじゃれるマシロから守ろうとした私のホッペを引っかきました(涙)く~たんは神経質でいっつも怒っているんです。その次の日には耳を攻撃されました。しくしくしく(;_;)が、夫に抱かれると平和なく~たんです。 所が平和な情況においてもどこに危険があるか解らないですよね~。 ほら~、のどかに眠るく~たんの背後にく~たんの脅威の存在が!!!(((((^m^)(_≧Д≦)ノ彡☆(((((^m^)(_≧Д≦)ノ彡☆マシロはすごく沢山食べるんです。だから大きくなっただけではなく太って来ました。丸くて大きな背中です。 実物は目が大きくてとっても可愛いのですが、写真に上手に撮れないんです。影や光の具合が綺麗に写らないんです。 好奇心旺盛と言う共通点があるく~たんとマシロです。水が流れているのを見てもわくわくドキドキしてます。室内の植物に水遣りをしているとその水にじゃれ付くのもく~たんとましろは同じです。ただ、く~たんは水の流れた跡の空間にチョイチョイしていましたがマシロは流れ付いた土にじゃれるので散らからんですよね~。く~たんは散らかさなかったんですよね~~。そんな好奇心大の猫なので外を眺めるのも大好きです~♪ 雨降りでも面白いらしいです。
November 27, 2006
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金曜日から怒涛の3日間を経て疲れました。金曜日は朝から作り置きのカレーを作ったり洗濯物を山のように干したり、冬越しの植物用に家の中を片付けたりしていたら遅くなってあせりました。しかも出掛けてからも市役所に寄ったり母から頼まれた「おとうふかまぼこ」を沢山注文したりしたので1時間遅くなり、仙台の街中は25日締めか支払い、集金のために24日にもかかわらず土曜日の前なので渋滞渋滞でした。いつもの倍掛かりました!!●24日の落日 カッコイイ三日月でした。矢印みたいに写りました~(^^; それで実家に着くと6時になっており(涙)それから母を連れて叔母の所に行きました。母は叔母のアパートに行くのは初めてだそうです。二人で叔母の部屋にお邪魔して年金の本人確認のサインをしてもらい母は本題のお墓とお参りの話をしました。母は鬼婆のおゆうさんと同じお墓には入りたくないので自分の実家のお寺に自分達用のお墓を作るようです。私の弟に子供がいないのでお参りする人がいなくなるから実家のお寺に作ってお参りしてもらうと言っているのですが。叔母との用事が終って、途中の大型スーパーで母の下着やピーのハイソックスなどを買い次には母の実家のお寺に寄って「おとうふかまぼこ」を渡して叔父からは漬物とリンゴを頂いて、ファミレスにピーと母と3人で食事に行って、スーパーで買い物をして母の家に着いたのは10時を過ぎていました!!それから荷物を片付けたり物で溢れた2階で眠れるようにしたり、母の年賀状関係を探したり(母は一昨年から手書きがイヤになって 夫が表裏両面をパソコンでプリントしてます)冷蔵庫を整理したり(判断能力が無くなっているので 賞味期限を見たり 確認をしないで どんどん詰め込んで行くんです)頑張っていたら遅くなりました。寝る前も、パソコンが無いから娘と色々話をしました。そして土曜日は朝から片付けをしながらご飯を作ってあれこれやっていたらようやく来年の年賀状を発見!!なんと、階段の上の踊り場の隅に新聞紙を入れて置く紙袋に入ってました。見つからないわけです。それから母がいつもお世話になっている南隣りの方に挨拶とおとうふかまぼこを。東向いのお宅にも挨拶とおとうふかまぼこを持って駆けずり回りました。●関山峠です 作並の桜並木です。 仙台駅近くの銀杏並木です。急いで2時間で帰って来て、家を片付けてあれこれしてからマシロの病院に行き、又用事に走り回り、夜は夜で夜間パトロールをして雲の無い空の寒さに震え(放射冷却になってました)8時半に帰って来てから掃除をして、今日は今日とて防犯訓練に出るようにと言われてパニックに陥りそうになり(用事が続くとパニクル)珍しくも夫が出てくれると言うのでお願いしてまた掃除掃除に明け暮れて夕方にはへたばり~~の!(*´д`*)~З疲れてもう何にもしたくないです。もうヤダ~~~ヽ(≧Д≦;)ノもう疲れただ~~ヽ(≧Д≦;)ノと言うへばへばでした。ブログ訪問出来るかどうか・・・。活性酸素にみちみちている今日の私だす。(- -ヾ●母からの頂き物 小銭が邪魔だと言って百円玉を10枚と中トトロキーホルダーを貰いました~♪母は小銭で支払いをするのが面倒になって来たそうです。それで支払いの時は私が預かって払いました。でも料理をしたいという気力が出て来たので元気になっている所もあるんです。
November 25, 2006
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21日・22日と二日続けて「わかばの会」に出て私にしては元気だぞ~と思っていたら昨日一日中ダウンして寝ていました。そして今日は叔母の所に行かなければなりません。溜まった家事を慌ててやっていたら昼を過ぎてました。あせあせあせですっ。今から山形に行って来ますっ!!!
November 24, 2006
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今度は南部の「わかばの会」に行って来ました。21日は中央、22日は南部と二日続けて「わかばの会」に行きました!二日続けては初めてです。体力に不安があったのですが大丈夫でした。ヽ(´▽`)ノ”夫は体調不調で行けませんでした。一人なので暢気にUVERworldを大声で歌いながら行きました。ストレス発散に最高でした。いつの間にか11月も後半となり白鷺も南に飛んで行ってしまったので車の運転は真面目にしました。(((((^m^;南部の「わかばの会」は名取市市役所の6階の会議室で1時半から行われました。6階なので見晴らしが良くて仙台の八木山も見えました。高い所から見ると仙台が思った以上に近かったです。そして黒っぽい東の雲と明るい白っぽい西の雲の間に大きな虹が現れたのです!私は空を見渡せる位置に座っていたので虹が消えるまでの時間をとても贅沢に過ごしました~♪今回はカウンセラーのI先生が一番初めに話された事がとても素晴らしかったので記しておきたいと思いました。「私がカウンセリングをしているのは 不登校児を学校へ行かせる為ではなく 子ども達が自分らしく生きるために カウンセリングをしているのです。 どこにいても 生き生きと暮らせるようになるために カウンセリングをしているのです。 学校へ行く行かないは 小さな問題です。 何歳になっても学校へは行けます。 子ども達には 今を生き生きと生きて欲しいのです」うるうるしてしまいました~。なんて力強くて頼もしい言葉なんでしょうか!!どこにいても生き生きと生きる。それは不登校児だけの事では無く子ども達の事だけでも無く大人も含めた人間全ての目標かもしれませんね。それからI先生は「思春期」の事を「さなぎ」と言う事があって、「中ですごい変化が起きている」と話していました。そう、さなぎの中では成虫になるために幼虫だった時代の体が一旦どろどろに溶けて再構築するのです。人間のさなぎ時代が思春期だとしたら小学校高学年・中学時代はその後に生きて行くために一番大事な時期だと言えます。また他にも「今まで親が建てた家に住んでいたが、 それを壊して自分で家を建てているのが 思春期と言われています」とも話していました。自分の住む家を建てている十代。これは人生の中の「土台作り」ですよね。思春期を過ごしている皆さん。今を大事に生きて下さい。これからも生き生きと生きるために! PS.一緒に参加していた方に「面白い面白い」と褒められました(^^ゞ「面白いから講師で来て!」と冗談を言われました。私は実際に会うと面白いらしいです(^^ゞ
November 23, 2006
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昨日、私の住んでいる中央地区の今年最後の「わかばの会」に行って来ました。「わかばの会」と言うのは宮城教育事務所主催の不登校児の親がカウンセラーや他の親達と話し合いをしたり講和を聞いたりする集まりです。今回も色々と感じる事があったのでメモしておこうと思います。カウンセラーのI先生の「今の子ども達は 集団の中では気を使うので 疲れてしまい、 自分らしくいられなくなる。 自分の嫌な気分を 表現出来ない子が多い」「学校へ行けないと言うより 学校へ行かないと 自分で決めた事は 納得が行く」と言う話を聞いて自分らしくしていられないから苦しいとピーも訴えていたなと思いました。「どうして皆に合わせなくちゃいけないのか 解らない。 自分だけ違う事を言えない雰囲気だから 本当の事が言えない」とピーが以前言っていたのでした。でも本当はピーのように感じている子はもっともっと沢山いて、ただピーのように自分の感情を正直に見つめていないかしょうがないと流しているんだろうと思いました。私は小中学校でいじめられてたんですが小学生の時は自分の考えしかないので他人の思惑に思い付かなくてその日その日を乗り切り、中学生の時は友人達のやっている事を「あの人のやっている事は 間違っている。 故に無視する」で私が全く取り合わないでいて乗り切ったと言う感じでした。今思えば、随分ハッキリした考えがある子どもだったかもしれません。今の子ども達は情報の渦のような生活の中にいて私が子どもだった頃より随分複雑な中にいると思います。単純ではない子ども達が優しさ故に苦しむ事があると思いました。I先生は今の親について「過去の価値観を引きずって 将来を悲観し、 今の子ども達にプレッシャーを掛けている」と言う話をしていました。競争社会で生き抜く事や学校に行っていない事や自分達が経験していない事を勝手に悲観してしまうのだろうと思いました。だから今の若者達は逞しくも自分の生き方を模索して色んな規定されない生き方を試しているんじゃないかと思いました。I先生はある女性徒の話をしました。「中学校で不登校だった子が 高校でも苦しみつつも前向きに生きていて 途中で挫折しそうになりながらも 頑張っていて、 他の子のカウンセリングをしていると その子の名前が良く出て来て その子が年齢や学年やクラスの違う 苦しんでいる子達に 声を掛けていた事が解った。 自分も傷付いているのに 他の傷付いている子に声を掛ける優しい子。 学校に行く行かないでは無く どんな子を育てているのか。 一人一人が喜びを持って 生きているか。 それが大事な事です」確かそんな内容の話でした。私は泣きそうになりました。自分が苦しい思いをしたから他の人の苦しみも解る事が出来る。素適な人に育っているな~と思うとその健気さに胸がジンとしました。不登校は色んな問題がありますがそれ故に本人も周りの親も本気で考え、本気で対処して本気で生きようとするので発見が多くて他では得られない経験をする事が出来るんだな~と思います。他にも色々気付きや感じる事があったのですがまた思い付いた時に書きます。
November 22, 2006
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最近、これはと言う洋楽バンドに出会っていないな~と思ってよくよく考えてみると、どうもプロモーションビデオが普及し過ぎている昨今映像から入るのは私にとって音楽本来の伝えるものに近づけないのかもしれない、と思ったりした。私はPV尽くしのスカパーに慣れて音に鈍感になっているのだろうと感じたのでさっそくラジオを聞いていた日に出会ったのが「My Chemical Romance」の新譜でした~♪(これかどうかは解りません)元気の良いバンドです。このバンドは私には珍しくもアメリカのバンドでした。最近はアメリカのバンドも色々なんだと驚きました。私はどうもカントリーウエスタンが苦手なんです。騒ぐだけの美しさの無いのも苦手なんです。この曲なんてカッコイイです。Ghost Of You (Live)でも何て歌ってるんだろう。(^^ゞ
November 21, 2006
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最近、夢に関連した本を読んでいるせいかよく夢を記憶しています。でも時間が経つと見た夢は朝露のように消えてしまうんです。それで最近の夢は殆ど憶えていないのですが今日の夢はメモ用紙に書いておいたせいかまだ記憶があるのでここに書き留めておきます。●11月20日に見た夢●玄関で靴を脱ぐ形の、玄関から廊下が四方に伸びている新築の明るい個性的なアパートの二間続きの一室に私は一人で転居して(独身で十代から二十代の若さ)荷物を入れ終わった所で廊下に出ると偶然隣の部屋にK子ちゃんも引っ越していた。K子ちゃんと会えて喜んでいると、別棟の一部屋しかない部屋に引越して来た家族が荷物を置き切れないと言って廊下に荷物を溢れさせて中年女性が廊下のベッドで寝ていた。沢山の人達が引っ越して来て賑やかにしている中で不動産会社の人(スーツ姿の30代くらいの男性)が私の所にやって来て一部屋に一家で入ったら荷物が入り切らないので私の部屋に入って貰う事にしたから私は他所のアパートに移動して欲しい、と言われた。そして友人達数人と不動産屋の人とで荷物を抱えながら外をずっと歩いて行った。途中、神社のような森の中を通り崖っぷちに建つ複雑に入り組んだ近代的でSF的なシャープで金属を多く使ったオシャレなマンションのようなアパートにたどり着いた。しかしここが私の部屋と言われた所は崖の上に張り出した部分で外廊下を歩くとぐらぐらと揺れてひどく不安定な建物だった。「こんな中空に突き出た 揺れる所では 恐ろしくて暮らせません!」と断りを入れると「では別の所へ行きましょう」と不動産屋の男性が言いまた荷物を担いだ数人で歩き出した所で目が覚めました。青空に白い雲が流れる爽やかな初夏のような天気の日でした。先日、二十数年振りで会った×メさんも荷物を担いでくれました。何故かK子ちゃんには避けられている感じでした。何を感じた夢か?う~~ん。K子ちゃんと距離を感じていると言う夢かしら?独身の自由な身をのびのびと体験してストレスを発散したいのかしら?家族連れに追い出されると言う事は今の私が家族中心に生活している事で自分自身を蔑ろにしていると感じているのかしら?主婦が廊下で寝ていると言う事はいつも我慢するのは主婦である自分だと感じているのかしら?そして何も言わずに疑問も持たずに追い出されて彷徨っている私はいつも黙って我慢するだけの存在だと感じているのかしら?結局の所、意識していない心が見せている夢なんだろうな~と思ってはみてもそして私は何をしたいのかな?そこん所が自分で良く解っていません。何だろうな~何だろうな~~♪ こんな快晴の空でした。
November 20, 2006
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「娘と友人について1・2」で書いたAちゃんから今日電話がありました。娘は本当の気持ちの話をするのがとても苦手です。それで私が先に電話で話をしました。ふ「この間○○○に二人で行った帰りに Aちゃんに『不登校なのに 一人でも友達がいる事を 感謝しろよ』 と言われた事で娘が とても気持ちが傷付いて 落ち込んでいるの。 積極的に遊びに来てくれるのは Aちゃんだけで感謝はしてるんだけど 友達ってなってもらうとか なってやるってものじゃないと思うの。 それで、 いつもそう言う事を Aちゃんに言われるのであれば 友達でいるのが辛いって 娘が言っているんだけど」と言うような事を私はAちゃんに話ました。するとAちゃんは驚いてA「あの事で〇(娘)が そんなに傷付くなんて思わなかった。 私としては友達でいる事を 感謝して貰いたかったって言うか」そんな風な事を言いました。私としてはすごく納得した訳ではなかったのですが故意に意地悪しようと思っての事では無いと感じたので、友達って仲良くしていたいって言う気持ちが大事なんじゃないかな。なんて事を話してから娘に電話を渡したのでした。しばらくすると娘がやって来て娘「美術部の先生が妊娠して辞めるから プレゼントを買いに行きたいんだけど ジャスコに乗せていってくれない?」と言いますのでふ「Aちゃんと行くの?」娘「うん」ふ「Aちゃんが謝ったの?」娘「うん」ふ「もう良いの? 大丈夫なの?」娘「うん」ふ「今度からはイヤな事はイヤだって 自分でその時に言うようにするんだよ。 そう言う事を言われると傷付くって 自分で言っても Aちゃんはきっと大丈夫だよ」と言いました。でも次も娘は飲み込んで苦しんでしまうのでしょうが。その時はまた力付けてあげたいと思います。そう言う訳で着替えをして準備をして歩いてやって来たAちゃんと娘と3人でジャスコに買い物に行きました。Aちゃんは玄関で「すみませんでした。迷惑掛けて」と言って、その後は全くいつも通りにサクサクと話していました。ジャスコでは先生へのプレゼントの他にお母さんへのバレッタとお誕生日の近いお友達へのプレゼントとかを選んでいました。「お母さんだけじゃお父さんが可哀想だ」と探していました。家庭内でのごたごたも私の邪推だったかもしれません。(^^ゞAちゃんは少し太っているのですが、娘が細くてスカートが似合う事をうらやましいとか自分に似合うスカートは無いとか言っていたので、身体的なコンプレックスがあるようですが、それも根の深い感じではなく友達や家族への愛情が沢山ある子なんだと思いました。だから娘の事も心配しているようです。部活皆でのプレゼントが安っぽいのでもうちょっと見栄えのするものを先生に上げたいと言っていました。きっと後腐れしないさっぱりした性格なんだと思います。その分、デリカシーも無い時も多いのですが娘は友達を失わずに済んだと言う訳です。本当の思いを話せるようになったら本当の友達になるんでしょうね。今回はその入り口が見つかったと言う事でしょうか。ご心配をお掛けしました。m(_ _)mまだ始まったばかりと言う気がしますが。デリケートで心が深い娘とデリカシーが無いけどおおらかなAちゃん。友達って自分の無いものを持っている人に惹かれるってありますよね。私がK子ちゃんを好きになったのは自分に正直な人だったからでした。私は未だに自分の本心を捜し求めています。自分に正直じゃない事に最近気付いたばかりです。(^^ゞ
November 19, 2006
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●読んだ本「黒い嵐の惨劇 気象予報士の罠 」 川田弥一郎著■あらすじ気象予報士を目指す友音が受験勉強をしながら、共にエオリアンの講習会で学んだAV監督の死に際に合ってしまい、気象予報会社エオリアンに関わる殺人事件や謎を解決する。■感想気象予報関係の専門的な事が沢山出て来るので気象予報士になりたい人が読んだら色んな面でのガイダンスになるな~と思いました。推理に関しては一般人がそんな風に突っ込んで行くのだろうか?と疑問を感じました。文章で、時々気になる所がありました。編集者がチェックしてあげたのかな?なんて思いました。筋に合わせて皆の行動の無理矢理感が感じられました。ラストも拍子抜けで危険な連鎖になるんじゃないのかな?と思っていたのでチャンチャン!って終っでしまったぞ、と。え~と、書きにくいのですが多分この方の本はもう十分かな~~~。●途中まで読んだ本「さかしま砂絵」都筑道夫著 (表紙がこれです)■あらすじ【なめくじ長屋捕物さわぎ】シリーズの終わりの方の本でした。橋の上で男から川に落とされた女がいたのを橋番が見たのだが、亡骸が見つかったのは二日後で亡くなったのは前日らしい事が解った。さあ、もののけが出たのかと騒ぎになった。■感想途中までしか読んでいないのでなんとも言えませんが、世界観が出来上がっているのでこれはシリーズの1番目から読んでみたいと思いました。面白そうです。
November 18, 2006
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リンクしているとらきちさんの所で見つけたエゴグラムの性格診断と言うのをやってみました。え?と言う所もありますがかなり当たっているので笑いました~♪しかも自分で自覚している事よりもかなり激しく偏っているんだとビックリしました~~(_≧Д≦)ノ彡☆ですが、自分を知るのにはなかなか良いですね。エゴグラムによるあなたの性格診断結果1、性格 出来の悪い親戚や友人が居る様な場合、 何時も泣きつかれて、 その尻拭いに奔走させられる様なタイプです。 拝まれると身銭を切って、 人の面倒を見るお人好な所が有りますので、 金は残りませんし、 出世栄達や栄耀栄華とは、 無縁に近いコースを辿って行く 可能性の高いタイプです。 人間としては、真に人間らしい 古き良き時代型のタイプなので、 貴方の様な性格の人が 存在すると云う事自体が、 狡猾な現代社会に於ては 貴重な清涼剤に価するものです。 2、恋愛・結婚 恋人や配偶者を大事にする事に掛けては、 誰にも引けを取らないでしょう。 しかし、結婚後は他人に対する余りのお人好しぶりや、 自主性の無さにもう少しガメツクなる様にと云う注文が、 配偶者より出される様に成るでしょう。 経済的に充分なものを確保出来るかどうかが、 貴方の様なタイプの結婚生活の吉凶を占う、 最大のキメ手になるでしょう。 3、職業適性 貴方に一番不向きな職業は、 厚顔無恥の政治家や、 権力を笠に着た情け知らずの警察官などです。 又、芸能や芸術方面は、 表現力や想像力の不足から×の可能性が 高いでしょうし、事業家なども、 人間性を殺して目的に向かう性質上、 不向きでしょう。 適職ないしは、無難な職業として、 一般事務、保母(父)、看護婦(夫)、 美容師、料理家、教師、秘書、ペット商、 トリマー(犬猫美容師)、 風俗営業従業者などが有ります。 4、対人関係 貴方の場合は、もう少し冷たく、 もう少し我儘に成る事が必要です。 貴方のタイプはbabca です ■エゴグラムによる性格診断のアドレス↓http://www.egogram-f.jp/seikaku/index.htm■感想>出世栄達や栄耀栄華とは、 無縁に近いコースを辿って行く(゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン元々、そう言う欲望はありません~♪そう言う事に興味が無いんです。>貴方の様な性格の人が 存在すると云う事自体が、 狡猾な現代社会に於ては 貴重な清涼剤に価するものです。 (_≧Д≦)ノ彡☆(_≧Д≦)ノ彡☆(_≧Д≦)ノ彡☆もうね~~!!”!!”!!”現代社会の清涼飲料水ってぇ!!!(≧m≦*)ムプ(≧ω≦)/ (≧m≦*)ムプ(≧ω≦)/ でも確かにちゃんと自己主張が出来るようになるべきだと思います。はい。すごく思います。沢山の私の混乱の源がそれだと思います。はい。大きな反省と目標です。
November 17, 2006
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今日は娘と二人で宮城県美術館でパウル・クレー展を見て来ました。本当は教育事務所主催の「わかばの会」の北の集まりに行く予定でいました。でも夫も一緒に行くと言うのでたまには一人で行ってはいかがですか?と勧めて、その代わりに娘と美術館に行くと言ったのでした。24時間家族4人が家にいる最近のふゆゆん宅では私が時々家族から離れたくなります。小さい頃からいつも一人でいる事が多かった私は一人の時間が無いと言うのはひどくキツイ事です。それに夫が一人で「わかばの会」に行った事がないので妻のいない「わかばの会」での話し合いは何か新しい発見があるかもしれないな~なんて事も思ったのでした。昨日、睡眠不足でぐだぐだだった私は今日こそ早く寝るぞ!と決意して、夕方から湯たんぽを準備して茶碗も珍しくさっさと洗ってブログも更新して顔も洗って歯も磨き最後に探し物をしていたら、カウンセラーのI先生に勧めていただいたアーノルド・ミンデルの「ドリームボディ・ワーク」を読んでいた夫が「これは難しい」と言って本を伏せると「本を読むのに疲れたから MYさんとの会話に切り替えて」と言いましてん。何~~~!!!!ワシは寝るんじゃ~~!!!勝手に決めんといてぇ~~!!!自分の気分転換に人を使わんといてぇ~~!!!睡眠不足だとイライラする私はムカムカしつつ二階に逃げて行ってベッドの中で1時間プンプンしてました。(^^ゞまあ、その事もあって今日は単独でいたかったんですが(娘とは気が合うので 気にならないんです)昼食後に夫が体調が悪くなり、動けなくなってしまいました。北の「わかばの会」会場は「まほろばホール」で車で40~50分は掛かるため、1時から出掛ける準備をしたら1時半には間に合わないので諦め、洗濯物を干した後低気圧の影響で私も目が回ったので少し休んでから娘と美術館に出掛けました。本やはがきで見るのと違ってパウル・クレーの絵の実物は麻布やガーゼや紙などに油絵の具や水彩やガッシュで書いてあったり、下塗りを石膏やアスファルトでやって削ってから色を塗ったり素材使いが面白くてその点がとても面白かったです。それは繊細と言うより骨太で楽しんでいるチャレンジャーと言う感じでした。「紙に油絵の具? にじむと思って 思いつかなかったわ~~。 ガーゼに石膏を塗って 油絵と水彩? 考えてもみなかったわ~。 下地にアスファルト!!! 考えられないわ~~~」この手の呟きを何度もしました。↑これらも、実は案外ごつくて 太い印象がありました。娘はつまらなかったそうです。「でも色彩は綺麗だった」と感想を言っていました。帰りにファミレスでお茶をしました。色んな話を1時間、わいわいと楽しくおしゃべりしました。趣味が似ているので幾らでも話が出来るのです。楽しかったです~~♪町内会の役員の仕事のお金を先日の集まりで貰ったのでそのお金で賄いました~。「わかばの会」北の集まりに行けなかったのはとても残念でした。来年は娘も3年生で、「からばの会」に参加出来るのもあと1年だけになるわけで1回1回が大事になって来た事を実感しました。次回からはどうしたって行くぞと決心しました。教育事務所の相談員の皆さん、「多分行きます」なんて言っていたのにすみませんでした。m(_ _)m
November 16, 2006
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昨日中学校の廊下で娘とふざけいていたのは「むくく」話です。この「むくく」と言うのはそもそもく~たんの口元から来ています。く~たんのお口周りがむくむくしているので私が「く~たんのむくく」と言い出したのです。これが「むくく」な口元だす。 むくっとしてるでしょう?それ以来、何でもむっくりしているものを「むくく」と言うようになったのです~♪それで三者面談を待つ間にピーが言い出した「親むくくと子むくく」を言い合っていました。(≧▽≦)「親むくく」と言うのは私の事で「子むくく」がピーです。(_≧Д≦)ノ彡☆・'゜☆。.::・'゜★。.::・'゜☆(/▽\)数日前にピーが言い出したのです。「親むくくと子むくく」って。もう~~~~~~おかしくておかしくて~~(_≧Д≦)ノ彡☆笑いまくりでした。三者面談の順番待ちをしていたらピーの奴、こそっと「親むくく」と言ったんです!!!笑ってしまいましたよ。それで「子むくく」と言い返してやりますた!でピーがまた「親むくく」と言い、私が「子むくく」と言い返すと言うおふざけをしていました。これはもう、二人でしか解らない笑いの世界です。でも、ちょっと口に出してみて下さい。「おやむくくとこむくく」って。何か発音が笑えませんか?それで私は「親むくくと子むくくのイメージって こんなんだけど ピーのイメージはどんな?」 (ふゆゆんがイメージした「親むくくと子むくく」)と聞いてみた所、描いてくれたのがこれです。 (ピーがイメージした「親むくくと子むくく」)まさかブログにアップするとは思わずに描いた一瞬の思い付きの絵です~(笑)ピーがイメージしたのはデブ猫親子だそうです。おお、もともと「むくく」は猫のく~たんから発生した単語ですからね!私は全体的にむっくりしたものをイメージしました。私とピーはむくくが大好きです\(*^0^*)/
November 15, 2006
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今日は娘(ピー・中3)の三者面談に行って来ました。4時40分からの一番最後でした。廊下で待つ間、外の空を飛び廻るカラスの大群を見ていました。最初は何十羽と言う数のカラスが空を飛んでいたのですが段々増えて何百羽になって飛んでいるのをほお~~と驚きつつ二人でふざけ合いつつ見ていました。数の多さとその食事を賄う食べ物があるんだと言う事実とネグラにする所があるんだと言う事実に驚きました。二人でふざけているとカラスの多さも映画のワンシーンを見ているみたいにお気楽に見ていられたのでした。娘の担任のS先生は気さくでデリカシーのある方です。だから、美術部で来週に美術館に行くのでピーも一緒にいかがですか?と誘って頂いた時に美術部にはユ○ちゃんがいるので先生にどう言おうかと私は躊躇してピーに「先生にあの話をしても良いかな?」と聞くと「いいよ」とピーが言うので簡単にかいつまんでピーがユ○ちゃんに「不登校なのに 友達が一人でもいる事を 感謝しろよ」と言われた事(1・2)をS先生に話しました。S先生はピーに対して「ピーはどうしたいの? 来週ユ○の三者面談があるから その時先生が話してあげるし もしもピーとお母さんと ユ○だけで話したいなら 先生は何も言わないし、 でも○○が困ったら SOSを出してくれれば 先生はいつだって協力するから」と言ってくださったのでした。実に頼もしい担任の先生です。ピーは「お母さんとユ○と私だけで 話したい」と言いました。「ユ○のお母さんは強いから」とピー。「ユ○ちゃんのお母さんがいる所で話すと ユ○ちゃんが怒られて イヤな思いをするんじゃないかって ピーは思っているの?」と聞くと、うんと頷くピー。すると先生は「ピーは優しいから ユ○がイヤな思いをしないように 考えるんだろうけど、 でもだからと言って 友達はなってあげるんでもないし お互いの友達って言う気持ちが 大事なんだから ピーがそんな事を言われる事は おかしいんだよ。 ピーがイヤな思いを 一人で我慢する必要は無いんだよ。 ユ○が謝って その後はどうするか○○が決める事だけれど でもユ○は謝らないといけない事を 言ったんだよ」とはっきりと言って下さったのでした。私はとっても安心しました。人の心が通じる誠実な先生で良かったな~と思いました。S先生にはピーとの接触が少ないのでこれまではピーの人と成りがあまり見えなかったのかもしれませんが今日話した事でピーの気持ちが幾らかでも解って貰えてとてもうれしかったです。これからはS先生にピーの毎日を簡単にメールしようかしら?と思いました。
November 14, 2006
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初冬の我が家の猫事情。冬が本格的になって来てコタツが必需品になって来た今日この頃のうちの猫達の事を書きます。多分7月生まれのマシロはまだ生まれて5ヶ月なのに大きいだけではなく重いです。 それはマシロが始終ご飯を食べているからです。3歳4ヶ月と思われるく~たんの3倍くらい食べるんです。水も沢山飲みます。(く~たんは殆んど水を飲みません) ですからマシロは1日にトイレを何回もします。ウンチを沢山します。オシッコを沢山します。それでトイレ掃除が大変になって来ました(涙)まだ5ヶ月で子猫の部類に入るマシロは始終ご飯を食べているので1日中お腹がパンパンに膨れています。顔が小さいのにお腹がアリさんのように丸いんです。アリと言うよりその迫力から「タヌキ腹」ですね~。マシロは抱っこするとズッシリ重いんです。く~たんより小さいのにく~たんより重いです。そして最近のマシロはお尻を床にぺたんと付けたままずりずりずりと前足だけで前方に進むんです。可愛いんですがお尻も床もどっちも恐ろしいです。マシロのお尻を見たら肛門が赤くなって2箇所がイボ痔になっていました。つまりお尻が痛くてズリズリと床でお尻をこすっていたんです。あんまりご飯を食べるので消化がおい付かなくなってしまったのかなと思ってます。光線治療をすると良くなるんですがすぐにまた赤くなります。でもイボ痔は光線で良くなりました。近いうちに病院に連れて行かなければならないです。異常なほどの食欲は何か原因があるかもしれません。一方く~たんは寒さが厳しくなったのでやはりコタツが恋しくなってようやくリビングのコタツに入るようになりました。 この2~3日は時々コタツに入るのですがマシロに会うと怒ってシャーシャー威嚇します。そして怒って外に出て行くのです。 でもたまにソファーにマシロ、コタツにく~たんと言う時があり、すごい進展だと思います。( ̄ー ̄)☆だってく~たんはマシロの姿を見ただけでシャーシャー怒ってるんです。逃げ出して怒り狂うんです。その度に私が外に出したり、夫の部屋に連れて行ったりしてます。私がいない時や都合が悪い時は娘が一人で頑張ってくれています。夫はさっぱりです。く~たんは大抵、とても機嫌を悪くしているので抱くと引っ掛かれます(涙)噛み付かれる時もあります。く~たんは殆んど外にいるのでしばしば他所の猫と出合ってしまい、ケンカになります。外でケンカをするうなり声がすると私と娘が飛び出して助けに行きます。ケンカで傷を付けられると猫エイズをうつされるかもしれないのでこちらも必死なんです。それに、怪我したら可哀想だし。あちこち二人で探し廻り「く~た~ん!」と叫び廻ります。気は強くても小柄なのでケンカは弱いく~たんを助けに行くのですが感謝された事は無いです~(泣)く~たんが外から帰って来るとまずはマシロを抑える係りが娘、私は窓を開けてく~たんを家に入れて夫の部屋まで付いて行きドアを開けてご飯を食べさせたり、寝かしたりします。く~たんは尿結石があるのでそれ用のキャットフードを食べます。かつお節を上にのせないとく~たんは食べません。マシロはと言えばかつお節がそれほど好きではありません。く~たんが行きたい所が夫の部屋じゃない時は、お風呂場に連れて行ったり台所に戻ったりく~たんの気が済むまで付き合います。時には家の中を一周してそのまま外に出て行く時もあります。そしてその間、娘はマシロが暴走してく~たんに向っていかないように抑えています。冬になって良いのは部屋を閉め切っているのでその点が楽です。何しろちょっと油断するとマシロがく~たんに向って行くんです。マシロは同じ猫族としてく~たんに対して憧憬の思いでワクワクとした気分で立ち向って行くんです。遊ぼう~遊ぼう~~♪遊ぼうよぅ~~♪♪これがマシロの気分なんですがく~たんとしては「ウザイ!!!」「うるさい!!!」「最悪~~!!」なんでしょうね。時々マシロは夫の部屋の押入れで寝ているく~たんをベッドの上から憧れの眼差しでジーーーッと見つめているんです。憧れなんですよね、マシロにとって先住猫のく~たんは。(((((^m^)面白い事があります。夫の部屋で私がく~たんにご飯を食べさせている間に台所やリビングでやり掛けの事をやっているうちに私はすっかりく~たんの事を忘れてしまっているとマシロがにゃーにゃーにゃーにゃー鳴くんです。く~たんの事を忘れている私はマシロはどうしてこんなに鳴くんだろう?と思いながら台所のドアを開けるとマシロは西北の夫の部屋に向ってダダダダッと一目散に廊下を走り抜けて行くんです。そしてマシロは夫の部屋の前に座り込んで「なお~」と鳴きます。それで私は「そうだったく~たんを閉じ込めていたんだ!」と思い出して夫の部屋のドアを開けると怒ったく~たんがドアの前でムッとして鳴いていると言う事が何度もあったんです。テレビやラジオの音と間の2枚のドアのせいで私にはく~たんの声が聞こえないんです。それをマシロが聞き付けて私に訴えるんです。こうしてく~たんにとっては邪魔なだけの不快な存在のマシロは時々く~たんを救う存在になるんです。たまに、夫の部屋にく~たんを閉じ込めたままだった事を思い出してあわてて行くとく~たんは押入れの中で丸くなって寝ている事があります。そう言う時はマシロが鳴く事はありません。マシロはおかしな猫です。(((((^m^)でも、何故く~たんを急いで夫の部屋に連れて行きドアを締め切っておくかと言うとリビングや台所でご飯をやるとマシロがく~たんにじゃれてく~たんがムカムカしてゆっくりご飯が食べられないから夫の部屋だと落ち着いて食べられるために連れて行くんです。そしてドアを閉めるのも開けておくとマシロが入り込んでく~たんがシャーシャー怒り狂うからマシロ対策のためにドアを締め切っておくんです。つまりマシロのせいでく~たんは夫の部屋に閉じ込められてしまうんです。(- -ヾ少し前まではく~たんにご飯をあげて夫の部屋から外に出たとたんに外にマシロが待ち構えていてダッ!!!と中に入って来ると言う事がありました。運動能力が高いマシロは動きが敏捷なんですよね。何度もマシロ捕獲作戦を娘と講じて来た私は夫の部屋から出る時には「シャーシャー!」と声を出しながら威嚇しつつ慎重に外を見ながらマシロの邪魔をしつつ廊下に出るようになりました。するとマシロは学んで廊下の彼方の台所の当たりで見ているようになりました。最近では夫の部屋から離れている事が多くなって来てマシロも大人になって来たもんだと思ってます。でも油断するとマシロはたまに入り込んで来てく~たんにじゃれ付くので警戒心をなくしちゃいけないんです。やはり先住猫のく~たんを優先しなくちゃいけないですし、く~たんは神経質で気難しくてわがまま猫なので気を使ってあげないといけないんですよね。一方マシロはと言えば注射中にゴロゴロ喉を鳴らしていたくらいなのでおおらかで頭は良いのですがお茶目で単純です。(笑)マシロの扱いは楽です~♪いつも私の左肩に乗っけると機嫌が良くなってご~ろご~ろご~ろご~ろと喉を鳴らしているんです。声さえ掛ければ喉を鳴らします。猫も生まれつきの性格があって面白いです~~♪く~たんの人間扱いの差別は(夫には従順、私と娘には横柄)マシロの単純な性格で緩和されたのか最近のく~たんは私にも撫でられたりするようになりました~(喜)そんなこんなのうちの猫事情です。
November 13, 2006
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●私が読んでいる本●「夏の魔法」 本岡類著■あらすじ息子が生まれてから、同居中の義母や妻との距離を感じるようになり、つい浮気をしてしまった事から妻に離婚されて、15年間会わせて貰えなかった息子が高峰俊彦の下にやって来た。仕事に明け暮れる生活の中で胃癌を発病し、闘病生活で死と直面した事から俊彦の価値観が変わり、生きる道を捜し求めて旅をしている中で北海道の旭川で山の斜面を使った逞しい乳牛を育てている佐藤と知り合った。佐藤牧場の方針に感銘した俊彦は佐藤牧場に住み込んで一年間酪農のノウハウを学び祖父が残してくれた那須の山に戻って斜面を使った酪農に取り組んだ。19歳の息子の修平がやって来たのはようやく牧場が軌道に乗り始めた4年目の夏だった。15年ぶりの再開の感動も無く、修平は昼夜逆転の生活をするニートから脱しようとはせず手伝いも全くしなかった。苛立ちが募ったある日、俊彦は修平と諍いを起し修平から顔を殴りつけられた。ショックと不信感に襲われた俊彦だったが、修平との距離を縮めるために東京の別れた妻や弁護士や修平の親友に会って話を聞いて廻った。修平の事情を知るにつけ、俊彦が思っていたより深くて辛い事情がある事が解って来た。那須に帰った俊彦は修平が自分から動き出すのを待つ事にした。そして牧場がもたらす魔法のひと夏を俊彦と修平の親子は立ち上がって歩き出す道を歩き始めた。■感想私自身が動き出せずに3年半を過ごしていたために娘の問題と言うより自分の問題として息子修平の情況を見ていた。後半が見えて来た所で拾い読みになってしまった。どうも推理物好きの血が内容の先読みをしてしまうようで先が解ってしまうとつい興味が薄れてしまう。(- -ヾ酪農の大変さよりも、爽やかな表紙のような気持ちの良い緑の風が始終吹いている感じがして気持ちが良くて私も牧場に行って自分を回復したいと思った。生活の場を変えると言うのはとても良い事なんだろうと思う。悪循環の生活の中では前に進めないサイクルが出来上がっていてその中で毎日グルグル廻ってしまうのかもしれない。知らない場所で慣れない生活をする事で知らない自分に出会えるのかもしれない。慣れない所で慣れない事をしていると自分に必要な事を導き出すために自分の中の奥深くに沈んでいた自分の大事な核が浮上してくるのかもしれない。やっぱり、昨日思ったように私が動き出す事が大事なんだと思った。さあ動こう!と今日も決意を新たにした。
November 11, 2006
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今日の決心。今日、娘の部屋で探し物をしたら後に頭が痒くなって来ました。掃除をしていないので埃まみれになったのです。私が頑張って洗濯して、干して畳んだ服が床の上で埃とごみにまみれているのを見て泣きそうになりました。しばらく考えて、これは悲しんでいるだけでは何にもならないわけで以前、普通にやっていた事が出来なくなってしまった私は多分、娘の不登校と一緒に心が引きこもりになってしまったんだろうと思いました。それでは私がまた整理整頓、掃除を頑張れば良いだけじゃないか!と思いつきました。それで今日の私の決心。「整理整頓、掃除を頑張ろう!!!」でも、明日は午前中に町内会の班長会があり午後も用事があり、夜は中学育成会の当番で町内会の夜の見回りのパトロールがあるので頑張れるのは明後日からかもしれないですが。(^^ゞ実は夫のうつ病が悪化して木曜日から病欠しています。先週も2日くらい寝込んでいました。これはもう、今の仕事は続けられないと思います。辛そうです。カウンセラーのI先生と私の意見は同じでした。でも夫は今の自分に足りない物を身に付けるためにまだ頑張りたい!と根性の人なのですが、体はSOSを出していたのです。自分の得意な仕事、楽しめる仕事にすれば良いのでは?と言ってもこの仕事が合うのか合わないのか解らないし、今は何もしたくないと言います。今は頑張り過ぎて病気が悪化しているのでとにかく休んで下さいと言いました。それに夫は仕事が上手く行かなくなると自信が無くなって精神的に私にしがみ付くので私もしんどくなりイライラムカムカしてしまうんです。休んでストレスから開放されて心が落ち着いて欲しいです。何歳になっても自分に合った仕事を見つけるのはとても難しい事なんですね。本気で生活が危険になって来たので私が頑張ろうと思いました。でも外に出て続けて仕事をする自信がないので合同庁舎で見掛けた「内職案内」に聞いてみようかと思いました。つまり、そんな風に「私が動く」事が「積極的」な生き方に繋がるかもしれないと感じました。だから今日のダブルの決心が「私が動く」と言う事です。そうだよ、私が体調不良の不安に怯えて縮こまっていないで動く事で何かが動き出す事もあるかもしれない!それが、今日の決心なのだ~~~\(*^0^*)/ エンジェル・トランペットの色も形も元気をくれますね~♪
November 10, 2006
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毎日更新を頑張っていたのですが、楽天ブログ中心の生活になっていて他は後回しにしたりして私はバランスの取れた生活が難しいようです。それで、日々の生活を中心にしてブログはその一部にするべく書きたい時に書く、と目標を変えてブログ生活を楽しみたいと思います。今のままだとブログを書かなくちゃって気持ちが重くなってしまって寝る時間が益々遅くなってしまっています。なので、自分が楽なように更新しますのでそんな私ですが宜しくお願いします~m(_ _)m日曜日に娘と息子の3人で日帰りで実家に行って来ました。とても疲れたようです。なんもしたくないです。実家に行く途中で見かけた巨大に育ったエンジェル・トランペットです。 こんな大群のものは初めて見ました。 マンダリンオレンジ色が可愛らしくてとても立派に育っていました。 素晴らしいです~(*^^)//。・:*:・゚'★,。・:*:♪・゚'☆ パチパチ私の母が、「今年のうちの庭のドウダンツツジはそれはそれは見事に色付いたのよ」と電話で言って葉っぱを入れて手紙を寄越したのでした。そのドウダンツツジがこれです。 母は元から紅葉が好きでしたが最近は特にものすごく好きになったようで玄関ホールは落ち葉で埋め尽くされていました。何もかも取っておくのです。枯れた花びらも乾燥した落ち葉も瓶や箱に入れて取っておきます。その前は玄関に飾っています。捨てると言う行為が脳から消えたみたいです。冷蔵庫の中もそこにあるのはおかしいよ~って物があったり、レトルトが冷やしてあったり普通の食品が冷凍にしてあったりを見るとやはり悲しくなります。弟は母が薬を飲み忘れていた事とお金が二階にあるのにATMでお金を下した事でひどく怒っていました。そして母に対してしかめ面をしてました。その後、母は私に「怖いのよ~~。 あの人が来ると私、ビクビクしちゃって 怖いって言ったのよ~~」と何度も何度も言うので「気にしなくても良いよ~。 余計に下したら、 その分を二階に置いておけば良いだけなんだから。 あの人は思い通りにならないと 我慢ならないのよ」なんて、せっせと慰めたのですが楽しく過ごしたと思っていたのに、家に帰ってきてからぐったりしてしまって何にもしたくなくなりました。まるでエネルギーが吸い取られたみたいになって腑抜け状態でした。実家の菊です。 これらの庭木の手入れについても色々と揉めましてですが、綺麗に手入れしてもらっているわけで綺麗に咲いていました。外に出していた植物を久々に実家に行った息子に手伝ってもらって家の中に移動していると親切な隣のご婦人が来てちょっと話してくれたのですが、小火を出しかけたらしいです。実は実家の鍋はコゲたものだらけです。料理をしようと言う気になっただけでもすごい進歩だと思うのですが台所を離れると今していた全てを忘れるのでみんな焦がしてしまうのです。火を出す前に何とかしなければと弟は悩んでいるようです。母は気難しくてよその人を家に入れたくないと言うためちょっとでも見てもらうと言う事が出来ないのですがそれ所じゃなくなって来たようです。母の気持ちを傷付けずに助けてもらう事が出来ると良いのですが。イライラムカムカしている弟に怯えるより親切な他人の方が良いと思うんですが。そんなこんなでぐったりしていました。7日(火)昨日はカウンセリングでした。それはまたいずれ。
November 8, 2006
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昨日の続きを書きます。そしてそういう関係って、私にも記憶があるぞとこれを書いているうちに思い出しました。私が高校1年まで住んでいた所の近所の女ボスが怖くて、それで私はいつも一人で家にいたのでした。私だけ小学校入学まで母の実家で過ごしていた為近所の子達から見れば私は新参者で同じ年の女ボスによくいじめられたのでした。彼女のその日の気分次第でどんな扱いを受けるか解らず、2歳年下の私の弟も外では弱虫なので私が守らなければならないためいつもビクビクしていました。だから弟は遠くの友達の家に出掛けて行き私は家の中で一人で猫と遊び、絵を描いて本を読んでいました。その女ボスは中学2,3年の頃には態度が大分落ち着き私とクラスと部活も一緒だったためかなり仲良しになっていましたが、私の心の奥には警戒心が消えないでいた事を思い出しました。中学3年の時に何か事件があったらしくて雨のそぼ降る秋の夜に、私の家の庭先で二人で傘を差して向かい合っていた記憶があります。彼女が「親友だと思っていたのに」と捨て台詞を吐いて立ち去ったのです。私の心の中はと言えば、彼女に中学1年まで虐められていたのでそんな事を言われたって虐められた不信感は簡単には拭えないよ、と冷ややかな気持ちで思っていた事をはっきりと憶えています。彼女とは二十代中ごろまで付き合いがありましたが今は全く途絶えています。彼女の前で本当の自分を出した記憶が無いんです。いつも彼女に合わせていた自分しか思い出せないんです。なのに「親友」と言われて親友って一体何だろうか?と考えたものでした。反面、親友だと思っていたと言われても冷ややかな感情しか沸いてこなかった自分の冷たい人間の一面を知った出来事でもありました。どんなにお人好しでも誰にも助けてもらえない子供は冷ややかさも持ち併せざるを得ないと思います。娘は嘘が付けず、自分をだましたり誤魔化したり出来ない自分に正直な人間ですから娘の反応をよく見ていればAちゃんを嫌う意味がもっと早く解ったはずだと反省しました。その夜は、まだAちゃんに対する気持ちがもやもやしているままで二つの山になった洗濯物を畳みながらテレビを見ていました。するとたまたま教育テレビでETV特集の夜回り先生のドキュメント番組をやっていました。夜回り先生の事はご存知でしょうか?夜の世界で苦しむ子供達と交流して子供達を一人でも助けたいと夜回りをしている水谷修さんの事です。テレビを見ていたのは私と夫と娘でした。0時から3時まで、以前に放送したものの再放送と(「いいもんだよ、生きるって・ 夜回り先生水谷修のメッセージ」その次の新しいドキュメントでした。(「教育シリーズ 生きていてくれて、 ありがとう」夜眠れない子たちたちを救う)玄関ホールを挟んだ八畳間で、息子と友人達が大騒ぎをして鍋を食べている声が聞こえて来るリビングで娘は涙を流しながら夫は苦渋の表情をしながら私はむつむつと洗濯物を畳みながら生と死の苦しみと再生の話を見ていたのでした。娘は水谷先生の話を聞きながらずっと涙を流しているので「チャンネルを変えようか?」と聞いたのですが娘は首を振ってティシューで涙を拭きながら鼻をかみながらオンラインゲームをしつつ、苦しむ子どもたちの話をじっと聞いていました。夫は「この人は凄いなあ~」と言ったきりずっと黙って見ていました。私は複雑な思いが脳裏を巡るので感情を封じ込めて洗濯物を畳んでいました。何故子どもが非行に走るのか、何故優しい子が悪い事に走るのか、今、子ども達が何に苦しんでいるのか。SOSを発信している様子をそこから脱出するためにどんなに大変かをそして脱出出来ずに死んでいった子たちの事を水谷先生は熱く語っていました。後半の番組では、眠らない子ども達では無く眠れない子ども達が中心でした。苦しみを表に出せないため、自分をいたぶるしか乗り越える道が無い子ども達。「生きるために リストカットをするんです。 生きたいから リストカットをするんです。 リストカットは隠してはいけない。 生きるためのSOSなんだから 親の前で、学校でリストカットをしなさい」と水谷先生は何度も言っていました。「リストカットを目の前で見たら 周りの誰かが動き出すから そして助けてくれる人が 必ず現れるから リストカットは隠してはいけない」そうだったんだ~。隠してはいけなかったんだ~。でも私が子どもの頃はリストカットする人なんて余りいなかったしきっと親の前でリストカットをしたら家名に泥を塗ったと罵られて往復びんたでは足りずに箒の柄で体中殴られて、傷口に塩を摺り込まれるだけでは無く益々傷を深く刃で切り裂かれたろう事は想像に難くないわけで。。。。私の場合はすぐにそんな風に自分の場合に置き換えて考えてしまうので感情的になってしまって複雑な思いで気持ちが深く深く沈んで行くのです。私が子どもの頃は子どもが親の持ち物みたいに扱われても誰も助けてはくれなかったし、一人の人間として対応してくれる人も稀だったので、今の子ども達は複雑で大変な反面、夜回り先生みたいに救ってくれる人もいるんだな~とうらやましい思いがしました。「『本当に夜回り先生っていたんだ。 これで僕は安心して死ねる』 と言う電話が 小学4年生の男の子から来ました。 『パチンコに負けるとお父さんもお母さんも お尻にタバコの火を当てるから 僕のお尻はぼこぼこなの。 お風呂に入れて貰えないから 僕は臭くて 小学1年の時からずっといじめられているの。 でも僕は本当に臭いからしょうがないの。 だから眠る前に紐で首を絞めると 安心して眠れるの。 でももう、首を絞めても眠れなくなったから 僕今日死ぬんだ』 そういう電話でした」そんな親から少年を夜回り先生が救い出してあげて、通っていた小学校の校長先生が養子にしたそうです。少年の現状に気付いてあげれなかった事を悔やんだ校長先生が養子にしたのだそうです。私は泣きそうになる気持ちを自分で抑えてしまいました。そんな悲しい、苦しい話がずーーーーっと続くのです。でもこれは現実で目を背けたとしてもその事は消えるわけでは無いのです。そうして私は、ふとAちゃんが娘やBちゃんに感情をぶつけてストレス解消をしているとしたら,Aちゃんのストレスとなるものがあって、それは家の中での事かもしれないと思いました。例えばAちゃんが捨てられていた子猫を拾って行ったら「世話が大変だから動物は飼わないって お母さんに言われた」と私に言っていた事を思い出しました。そして何軒か連れて行き、断られてうちに連れて来たのです。そう言えば少し前にもAちゃんが言っていました。「お父さんに猫を飼いたいと言ったら トイレの世話が大変だから駄目だって言われた」Aちゃんの家ではAちゃんのお願いは簡単に却下されるんだと思いました。勿論、お願いを簡単に却下される家庭は沢山あると思うのですが。でも経済的に大変とかアレルギーがあって無理とか車が危険で死なせるのがイヤとか心の温かさが伝わるような理由で無い事が私は引っかかってはいたのでした。つまり、Aちゃんはもしかしたら娘がうらやましいのかな?と思ったのでした。娘は行きたくないから学校に行かない。可哀想だから子猫を飼う。パソコンをしたいから自分用のパソコンがある。イヤな事はしなくても良い。困った時は家族と言う味方がいる。そう言う点で、もしかしたらうらやましいと思う所がちょっとあってしかも無意識レベルであって、そして言い逆らわない子だから感情をぶつけるのが簡単なのかもしれないと思ったのでした。これは私の単なる推測なんですが。でもAちゃんの方から考えてみると何か原因や要因はあるはずなのでだとしたら詰問するよりも話を聞いてあげてそれでも娘やBちゃんみたいに優しい子を攻撃しても平気と言う事であればその時に考えた方が良いかもしれないと思いました。夜回り先生の己の命を削って子ども達を助けようと言う凄まじい生き様はそのようにして私の加熱した思いを冷ましてくれたのでした。私は物事に対処する時は少し時間を置いて冷静になってから行動した方が良いと普段から思ってはいたのですが、夜回り先生や夜の子どもたちの話を聞いているうちに360度で色んな所から見る、と言う客観性を教えて貰った気がしたのでした。翌日、娘に聞いてみました。「Aちゃんが〇(娘)と仲良くしている理由は 何だと思う?」しばらく考えていた娘は「漫画なんかの趣味が似ているし、 後は小学生の時に 皆から嫌われていたのに ワシが仲良くしたから 恩義を感じているのかもしれない」と言いました。少なくとも娘はAちゃんの気まぐれの感情の対象に過ぎないだけの存在って感じていたわけでは無かったようなのでホッとしました。(↑解りにくい表現ですね。 被害者意識のみではないと解って ホッとしたって事でしょうか)そんな訳で、「不登校なのに 友達が一人でもいる事を感謝しろよ」と言われた事件は解決した訳ではないのですがAちゃんが家にやって来たらそんなに感情的にならずに静かに質問したり出来そうです。「Aちゃんは何かイライラする事があるの?」「キツイ言葉を投げつけられるとうれしいと思う?」こんな風に聞いてみようかなと今の所考えています。
November 6, 2006
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昨日、娘は友達に誘われて近くでやっていたサークルの漫画の展示会に一人で出掛けました。私無しで一人で出掛けるのは多分2年ぶりくらいです。私無しで外出するなんてすごく良い事だと思っていました。でも夕方帰って来た娘は疲れ切ってやつれて怒っていました。娘を誘ったAちゃんは小学6年の時に仲良くなった子で今も家まで遊びに来たりする数少ない友人の一人です。しかも行事の時に娘をクラスに連れて行ったり部活に連れて行ったりと活発で行動派の女子です。でも娘は普段からAちゃんが苦手で最近は来て欲しくないと思っています。何故ならやり方が強引だったり娘を無視していたりキツイ言葉を投げつけたりするので娘が疲れてしまうからです。私も日記更新のためにパソコンでメモを書いているとAちゃんが横にやって来てA「あ、そこ違う!」A「私もパソコン打ちたいな~」A「あっ、また間違えた!私が打ってやる!」と言われて無理やりパソコンを取り上げられそうになりその強引さに驚いた事がありました。またはましろを拾って来たのは自分だから子猫の名前は私が付ける!と言い切った強引さに驚いた事もありました。でもそれは、自分の言葉が周りに及ぼす影響に気付いていない鈍い所がある子なのかなと私は思っていたのでした。歩いて帰って来た娘はソファーにどさりと倒れ込み「あ~~~~もういやだ! 疲れたし Aがひどいし。もういやだ」とぐったりしながら言うので何があったのかを聞きました。「Aが帰りにこっちに行った事が無いって言うから 『行った事あるよ』って言ったら じゃあそっちに行こうって○が言って どんどん勝手に行って、 奥の方の知らない所まで行くから 『ここからは知らない』って言ったら 『〇(娘)の言う事は当てにならない!』 って言うんだよね。 なんか色々言われてムカついたから 『もう帰って良い?』って帰って来た」と娘。娘を約束の場所まで車で送った帰りの途中で、ましろをAちゃんと一緒に拾って時々うちに遊びに来るようになったBちゃんを見かけていたので「Bちゃんも一緒だったんじゃないの?」と聞くと「うん。でもAが無視したから Bが怒って別行動だった。 AがBを馬鹿にしてて いつもの事みたいだった」Bちゃんは穏かでおっとりしたいつもニコニコしている女の子です。小学校では同じクラスだったので私はずっとみていた訳ですがBちゃんが怒った所を見た事がありませんでした。だから余程の事なんだろうと思いました。私「AちゃんはBちゃんには いつもキツイの?」娘「そうみたい」私「部活ではどうなの?」娘「部活の人とは上手くやってる」美術部の人達とは上手くやっていると言う事は状況判断が出来ると言う事で、つまりAちゃんは「相手によって対応が違う」と言う事なのかな、と気付きました。Bちゃんはいつも許してくれるからAちゃんは言いたい放題なのかなと思いました。Aちゃんが娘に対しても言いたい放題って事は娘が言いたい事を飲み込んでしまう性格だから言いたい事をバンバン言えると言う事なんだと気付きました。娘「『今日の服はゴスロリみたいで嫌いだ』 ってAに言われた」人の服装の好みをそこまで言うのは相手に嫌われても平気って事かな、と思いました。娘「『お前、不登校なんだから 友達が一人でもいる事を感謝しろよな!』 ってAに言われた」これは最初ピンと来なくてこの意味が染み込むまで鈍い私は時間が掛かりました。娘が二階に着替えに行き、そのまま戻って来なくなりその間ずっと『お前、不登校なんだから 友達が一人でもいる事を感謝しろよな!』が私の頭の中を巡り、段々腹が立って来ました。娘が何故あんなにぐったりしているのかようやく腑に落ちた気がしました。娘がAちゃんに会う事を嫌がっている理由がようやく私の中でピントが合った気がしました。私の中でもAちゃんが娘と付き合う理由がずっと解らなかったのです。娘がAちゃんと仲良くなったのは5年の担任が転任して行き、クラス替えと担任替えがあった6年の時に4月の3週間だけ登校していた期間があり、隣の席になったAちゃんと仲良くなったのです。「Aは我儘で皆から嫌われているんだけど 席が隣になって話してみたら 結構良い子だったよ。 人の言う事を鵜呑みにしちゃいけないね」と、当時の娘はとてもうれしそうに私に話していたのです。そして又娘が学校に行けなくなったのは小学3年から仲の良かったCちゃんが娘が不登校中の5年生の期間にしばしばうちに来て「明日は学校においで!」と誘ったり、クラスの女子全員から励ましの手紙を集めて持って来てくれたりしていたのですがそれが実は娘に対するプレッシャーをあおるために嫌がらせにやっていた、と言う事が解ってしまった翌日から娘は学校に行けなくなってしまったのでした。Cちゃんの家は祖父母と両親と弟の6人家族で、ふわふわした感じの優しそうで綺麗なお母さんとやっぱり優しそうな腰の低いお祖母ちゃんに会った事があります。特にお母さんとは何度も会った事があり、Cちゃんがストレス解消に娘をいたぶる理由が思い付きませんでした。私も娘と一緒に授業を受けていた5年生の期間は帰り道はいつもCちゃんと一緒に話をしていたんです。何故あの子が?当時の私は今ほど肝が据わっておらず、今ほど沢山の事を理解していなかったのでその事にショックをうけながらもそのままにしてしまったのでした。6年生の担任の先生には話したのですが今思えばこの先生も不登校については解っていなかったので「へ~あの子が?」と言って終わってしまったのでした。結局、娘と一番気が合って仲の良かった「初めて出来た親友」と言っていたDちゃんはCちゃんが怖くて娘から段々離れて行きました。DちゃんはCちゃんと中学でクラスも部活も一緒なのでその影響からは脱する事も出来ず、たまに行事で会う事があっても挨拶さえしなくなりました。それは娘の気持ちを大きく傷つけたと思います。私もショックでした。Dちゃんはとてもしっかりした娘さんで小さい時から皆に好かれてグズグズしない行動派で、しかも優しくて娘と色んな趣味がピッタリ合ったのです。二人が一緒にいた頃はそれはそれは二人ともうれしそうに話し込んでいました。今思うに、きっと優しい子は激しい子に飲み込まれてしまうんじゃないでしょうか。そんな事があったので、Aちゃんが昔と変わらず家に来て娘と遊んでいるのを見るとうれしいと思っていたのです。それが『お前、不登校なんだから 友達が一人でもいる事を感謝しろよな!』と言ったと言う事は純粋な友情だけでは無いと言う事なんだろうか?と初めて思い至った訳です。何を言っても許してくれるBちゃんと何を言っても飲み込む娘には配慮も無く言いたい放題って。。。。それは友情と言えるのだろうか?初めて疑問に思いました。二階の娘の部屋に上がって行くとやはり娘はベッドの中で布団をかぶっていました。「寝た?」と声を掛けると「ううん」とくぐもった声で返事がありました。「私、Aちゃんに言われた 『お前、不登校なんだから 友達が一人でもいる事を感謝しろよな!』 がじわじわ染み込んで来て ちょっとかなり失礼な事を言われたなって言う 怒りが込み上げてきたんだけど」と言ったら「遅い」と娘は笑っていました。精神的な疲労は娘を打ちのめしたのでベッドの中で悶々としていたのです。「今度Aちゃんが来たら、 どうしてそんなヒドイ事を言うのか 私が直接聞いも良い?」と聞いてみると「いいよ」と娘。「もしかして、家に電話して すぐにでも色々聞いてみようかな。 でもそうしたらAちゃんが怒って 来なくなるかもしれないね」と言うと「むしろ来ないでもらいたい」と娘。そんなにイヤだったのかと改めて思いました。その後、私も悶々と考えていました。なぜAちゃんは娘の所に来るのだろうか?Aちゃんは娘に友情を感じているのだろうか?そう言えば娘がAちゃんにペンタブのソフトを貸した後で、Aちゃんが娘の留守中にやって来て「ペンタブを貸して下さい」と言って勝手に息子からペンタブを借り出して行った事があり、娘が怒っていたのを思い出しました。「ソフトは貸すけど、 ペンタブは貸さないってはっきり言ったのに!」私は娘とAちゃんは仲が良いのだろうと思っていたのでその辺のやり取りの意味があまり解りませんでした。娘は怒りでイライラしつつもAちゃんに対してどうして良いか解らずにいたので私が電話してペンタブを返して欲しいと伝え、その足で返してもらいにAちゃんの家に向かったのでした。そうだ、思えばそんな細かい事があれこれあったと今になれば思い出されます。(長くなったので明日に続きます)
November 5, 2006
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メンテに引っかかり更新できずにいたらテーマを選ぶのに手間取って結局この日が開いてしまいました。なので以前調べた成分分析などを載せます。成分分析2006・04・09(○○の中は本名のファーストネーム)○○・ふゆゆんの71%は小麦粉で出来ています○○・ふゆゆんの17%は雪の結晶で出来ています○○・ふゆゆんの6%はミスリルで出来ています○○・ふゆゆんの4%はお菓子で出来ています○○・ふゆゆんの2%は言葉で出来ていますふゆゆんの95%は宇宙の意思で出来ていますふゆゆんの3%は情報で出来ていますふゆゆんの2%は気の迷いで出来ています(○○○○は本名)○○○○の54%は不思議で出来ています○○○○の35%は果物で出来ています○○○○の7%は気の迷いで出来ています○○○○の2%はマイナスイオンで出来ています○○○○の2%は言葉で出来ています(ムククは良く使う言葉です(((((^m^;)ふゆゆん・ムククの44%は鉛で出来ていますふゆゆん・ムククの39%は保存料で出来ていますふゆゆん・ムククの8%はマイナスイオンで出来ていますふゆゆん・ムククの6%はミスリルで出来ていますふゆゆん・ムククの3%は心の壁で出来ています(メス猫くれはです)紅葉の67%は電波で出来ています紅葉の23%は雪の結晶で出来ています紅葉の5%はミスリルで出来ています紅葉の3%は成功の鍵で出来ています紅葉の2%は心の壁で出来ていますくれはの63%は大阪のおいしい水で出来ていますくれはの23%は株で出来ていますくれはの9%はミスリルで出来ていますくれはの3%は言葉で出来ていますくれはの2%は理論で出来ていますクレハの53%は根性で出来ていますクレハの33%は濃硫酸で出来ていますクレハの9%は言葉で出来ていますクレハの3%は成功の鍵で出来ていますクレハの2%は心の壁で出来ています(娘・中2です)ピーの50%は鉛で出来ていますピーの43%は媚びで出来ていますピーの5%はマイナスイオンで出来ていますピーの2%は濃硫酸で出来ています(○○は娘の本名のファーストネームです)○○の63%は覚悟で出来ています○○の28%は気の迷いで出来ています○○の4%はお菓子で出来ています○○の3%は成功の鍵で出来ています○○の2%は心の壁で出来ています娘は「覚悟」と「気の迷い」か~。私は「不思議」と「果物」!何の果物なんでしょうね。実家に行って来ます。
November 4, 2006
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昨日から今日にかけての二つの事件(((((^m^)●事件その1「ましろ脱走事件」昨日は夏から放っておいた駐車場周りの整備をしました。つる日々草がはびこりあちこちから吹き込んだ枯葉が吹き溜まり枯れかかった鉢などですさんだ雰囲気の駐車場を2時間掛けて刈り込んだり掃除や整理をしました。暗くなっても頑張っていてついでに寒さに弱いサボテン類などを家に入れようと思って発泡スチロールの箱類を玄関に持って行き外に出て詰め込んで玄関ホールに置いて振り返るとましろが暗い外にダッシュして行くのが見えました!!(llllll゚Д゚)ヒィィィィーーー!!!く~たんは外猫化してしまい殆んど家に居付かない猫なのです。ましろはオスでケンカをしたらエイズをうつされて大変な目に合ってしまうかもしれないのでましろは家の中で飼う猫にしようと思っているんです。だからましろが脱走したのを見て大慌てでピー(娘・中2)を呼んで外に走り出ました。ましろが向った庭の西側は水道管が漏水した時に掘った大穴があり、その奥には家の西側の通路を塞いで物置が放置してあるため(これも漏水工事のため)人間はそこを通って家の裏には行けないんです。猫なら通れるんですが。娘が北側に行ってくれるのを確認してから庭を探し回り、こちら側にはましろがいないし向こうにもいないと言うので私も東回りから北に向かいました。その時、もしや自力で帰って来たらと思って玄関を開けて行きました。家の北西には、西の家と北の家の隙間があってその向こうは崖になっているのです。3階くらいの高さになっていてその下には家があり、その下にはまた大きな段差があって公園があります。それで娘が西隣りの家の柵の上を伝って崖の下の方向を見に行きました。「ましろ~~~~~まちろ~~~~~」と叫び続ける私。私の声は大きくて響くんです!するとどこからか聞こえて来た「な~お~~」と猫の声!!!「まちろ~~~~ま~ち~ろ~~~」呼び続ける私。「な~お~~~」と猫の返事。崖の下を見る娘。「あ、く~たんだ」と娘。く~たん!!!私の声に反応して返事をしたく~たん!!!でも、もしかしてく~たんを追い駆けてましろも近くにいるかもしれないと思って、「ピーは家の中で待っていて。 もしかしたらましろが 帰って来るかもしれないから!」と言い置いて私は崖の下の家まで東の道路から北を通り、ぐるりと走って行きインターホーンで声を掛けて庭を探させて下さいとお願いし、懐中電灯を照らしているとく~たんがやって来てちょっと近くをウロウロしているんです。「く~たん!」「な~お~~」でも近寄らないく~たん。その辺を懐中電灯で照らしてもましろは見当たりません。どうしよう~~~。外に出た事の無いましろは迷ってしまったのだろうか~~?!!どうしよう~~~と崖を見上げていると「お母さ~ん。 ましろが家の中にいたよ~~~」しょえ~~~~~!!!!慌てて家の方に挨拶をして戻りがてら、く~たんを連れて行こうと呼び寄せても2メートル近くから寄って来ないく~にゃんこ!結局、私は一人で帰りました。家にはピーに抱かれてキョトンとしているましろがいました。ほえ~~~~っ!自分で家の中に戻って来たのかい!!!変な猫。変な子猫。まだ4ヶ月なのに半年以上のでかさの変な子猫。小柄なメス猫くらい大きいけどまだお子ちゃまなましろ。そうして私は作業の続きを外でしました。すると近くにく~たんがやって来て私の作業を見守っていました。なんでしょうね。傍に来ないのに、外に出ると近くで甘えるにゃんこ。家の中ではシャーッ!と威嚇していつも怒るにゃんこ。そうして一件落着したのでしたが、夜になると夫が「さっき大騒ぎしていたのは何?」と聞いて来たので事情を話しました。考えれば北西の部屋にいた夫がすぐそこで騒いでいた私と娘の事を遠くにいるみたいに見ていたのかしら~~?何故って、二日間寝込んでいた夫が今朝は元気になって洗濯物を干してくれたそうですがましろが外に出るに任せていたそうです。ザザザーーーーッ!と血が下がる音がしましたね。私と娘は思わず顔を見合わせました。「ましろは病気をうつされない様に 外に出さないようにしてるんです。 まだ小さいから車の危険もあるし、 外に出さないで下さい。 私は洗濯物を干すのに ましろを出さないように すごく気を使うから干しそびれる事もあって とっても大変な思いをしていんです」と夫に話しました。後で娘が「オヤジは 昨日の脱走騒ぎを何だと思ったんだろう」とつぶやいてましたね~~。まあね。なかなか意思の疎通は難しいです。●事件その2「息子が恋?」息子(19歳・専門学校休学中)は昨日の夕方から電車で仙台に出掛けました。友達のライブがあるとの事で友人とライブハウスに出掛けたのでした。仙台までは電車で15分くらいです。そして帰って来たのが0時近くでした。法律違反なんですが、息子はおちゃけを飲んでいてほろ酔い気分で楽しそうでした。いつにも増していい加減発言をして私と娘をからかってから「オレは寝る~~」と言って台所から廊下に出て階段に上がる前にリビングのドアを開けて「オレはこれから恋を頑張る」と捨てゼリフを吐いて二階に上がって行きました。捨て置かれた私と娘(ピー・中2)はしばし無言でそれぞれの作業を続けました。ちょっと茫然自失の私でした。それからやおら私はピーに話し掛けました。私「いまラーは恋って言ったよね」ピ「言ったね」私「どう言う意味だと思う?」ピ「んんん~~~~~。 あいつがナンパするとは思えない」私「だったら逆ナンされて 好きかどうかも解らない女の子と 付き合う事にしたから これから恋になるように頑張る って言う意味じゃない?」ピ「あ~~~それならあるかな。 とうとうあいつも彼女が出来たのか~」私「イヤ、ラーの人生はラーのものだから 余計な事は言うまいと思うけど 変な子には引っ掛からないと良いなあ~ とか本気で考えたりして」ピ「私も人の事に口を出す気は無いけど あいつが選ぶ彼女ってどんなんだろう?」なんて、変な興奮?と言いますか可笑しな雰囲気と言いますか私とピーは二人で色々と想像を逞しくして語り合ったのですよね。そして今朝、廊下でばったりラーに会ったんですがラ「今日、八畳使うと思うよ」私「え?早速デート?」ラ「友達と鍋だよ」そして昼にリビングに来た息子に言ってみました。私「で、恋に頑張るって 彼女が出来たって事だよね」ラ「へ?」私「だって、昨夜寝る前に言った捨てゼリフが 『オレはこれから恋に頑張る』だったんだよ」ラ「知らねーし」ピ「お前、恋に頑張るって言ったんだよ」ラ「オレ。酔ってたし。 彼女なんか出来たとしても 家族に教えないし」私とピ「ガーーーーン!」私「んじゃ、あれは何だったの?!! 昨夜二人で何があったんだろうって 本気で考えたんだよ~~」ピ「ナンパはしないだろうって」私「だから逆ナンされたのかなって 二人で考えてたんだよ~~~」ラ「オレ、そんな事言った?(笑)」私「『恋を頑張る』って言ったんだよ」ラ「知らねーーし(笑)」ピ「それじゃあ、昨日の二人の必死の会話は どうなるんだよ~~」ラ「そんなの知らねーし(笑) 友達と二人で自販機の酒を 分けて飲んだだけだし(笑)」私「なあぁ~~んだ。 ああ~~昨夜はすごく色々考えちゃったのに」ラ「(爆笑)!!!!」なんだよ~~。ラーが初逆ナンかとビックリしていたのに。初彼女かとビックリしてたのに~~。何を言ったのか記憶に無いそうです。どこから恋って単語が出たんだか。ラ「そう言えばその時 友達とメールで そんな話しをしたかもしれない。 ノリだよノリ(笑)」ラ「あ、それで今朝八畳を使うって言ったら デート?って変な事言ったのか!(爆笑)」と言う笑い話の幕引きでした~~~~。チャンチャン!ヽ(。_゜)ノあ~~~あ。。。。。
November 3, 2006
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昨日会った友人たちとの旧交について書きます。×メとは女子寮で同じ部屋だった期間があります。×メは女子大生なのにバンカラ学生風で(笑)嘘は付かない裏表は無いお世辞は言わない人を選ばず誰にでも同じ態度で本当の事をずばずば言う説教口調で物を語るいつも本気で強気のくせに情にもろくて世話好きでそのくせ芯が弱い所もあって実に個性的で可愛い女性でした。同室になってからはかなり愉快な寮生活を送る事が出来ました。○ー○は小柄でちょこまか動くリスのような女の子でした。働き者でクラスの世話役もやってくれる頑張り屋な人でした。1年生の初めての油絵の授業で彼女は生まれて初めて油絵を描き、それはそれは赤と緑の心の混沌の表れのような実に個性的で印象深い静物画を描いたのでしたアトリエで、りんごや皿を乗せた台を25人ほどがぐるりと囲んで絵を描きその後は皆で感想や批評を言い合います。まるでゴッホの混乱の図のような○ー○の絵を見た油絵の先生が言葉を捜していた記憶があります。その○ー○はその後、1年生でも出入りしても良いと許可してもらった彫塑室の隅っこで毎日毎日、放課後に一人で油絵を描いていました。私は寮生なので、寮で絵を描く事は禁止されていたため(寮には家政科の人もいて着物や洋服地を広げて縫い物をするんです。それを汚してはいけないので寮で絵を描いてはいけなかったのです)夕方はいつも大学の教室にいて絵を描いたり、焼き物の窯場に入り浸って粘土こねをさせて貰ったり、ろくろを使わせてもらったり色付けを手伝わせてもらったり学内をうろうろしていたので○ー○が一人で頑張っている姿をこっそり見ていたのでした。私は寮生数人でいる時がありましたが、○ー○はいつも一人で絵を描いていました。そして4年生になった時の○ー○はリトグラフの名手となっており1年の時の混沌はなんだったの?!!と言うくらいのとても繊細で精密で美しいリトグラフを作り出す人になっていたのでした。そして○ー○は今もリトグラファーです。(リトグラフとは版画の一種です)○ー○は4年間のうちに大きく変わって学年でも唯一と言えるほどに自分の世界を作り出し自分の技術を磨き上げた人でした。先月、その○ー○から電話が来て1日に×メが出張で仙台に来るから会おうよ、と言うので二つ返事でOKしました。私は同級会や同窓会が苦手でその類のものには20歳の頃から出ていません。小・中・高の私なんか思い出したくもないと言う気持ちもあります。でも個性的な×メと○ー○となら楽しい会話が出来るかもしれないと思って楽しみにしていました。残念だったのは一緒に誘われたK子ちゃんがお母さんのお世話があって来れなかった事です。性格の和やかなK子ちゃんがいたら随分愉快になったろうと思いました。ですが、二十数年振りに合った二人はやっぱり個性的な人間のままでした~♪ご飯を食べに行って近況を話しました。私の場合、娘(中2)が小学5年から不登校で息子(19歳)が専門学校に入ったものの今は休学中で夫はうつ病が悪化していてしばしば仕事を休んでいて私はと言えば娘の不登校を切っ掛けに素晴らしいカウンセラーに出会い色んな事に気づき始めたら娘の不登校どころじゃなくて自分の子供時代からの山のような問題を私が抱え込んで切羽詰っている、と言う現実に気づいたものの自己中な母とそっくりな夫と結婚してしまった事につい最近気づいてしまったが、以前は横暴で自己中な夫の言いなりになっていて私は心身症になって長い事寝込み床を這って移動していた時もあったけれど最近は大分元気になったので生き方を考えている所で、夫が一番攻撃しやすかった息子も心身症だったが最近は私が間に入って息子を守り、息子にも我慢しないで言いたい事は言いなさい!って言うようになってから息子も元気になって来たの。夫も段々変わって来て、今では同じ人じゃないくらいに穏やかになったけど感情を抑えている為なのかうつ病が悪化しているので親切にしなければ、と解っているのだが長い間ひどい扱いをされて来た為に恨み辛みが積み重なっていてなかなか優しい気持ちになれなくて困っている。なんて話をしたら、×メが「なんだ、あんた私と連絡を取り続けていれば良かったのに」と言い出して、×メも息子さんが中学に入る時に夫が調度転勤になって転校してからいじめにあって一時期不登校になり、×メがカウンセリングを受けて「これは親が変わらない事には何も進まない」と決心して夫に何度も話しをし、話しては突き放され話しては突き放されても頑張って話し合いをしたある夜夫がとうとう「解った」と言って夫婦で変わる事を諒解し合った翌朝、息子が「今日から学校に行く」と言ったのでびっくりした。と言う話をしてくれました。学校に行くと「死ね!」と言われ色んないじめに合うため中学1年なのに何度も胃潰瘍になって穴が開いては血を吐いて何度も入退院を繰り返しての突然の息子の変化だった。と言う話でした。そして「あれがあったから今この仕事をしていられるのよ、あたし」と言って渡して寄越した名刺には福祉関係の役職が書いてありました。「あんたみたいに夫からのハラスメントや不登校児や児童虐待の人たちの相談員なのよ、あたし」こっちもビックリでした!!!×メがそんな仕事をしていたなんて!!!全く知りませんでした。×メも私と同じで存在を許してもらえない子供時代を過ごしたそうです。「だからあんなに自己主張がはっきりしていたんだね」と言うと「あらあんた、あたしはぼんやりした子だったでしょ」と×メ。「え~~っ!×メはハッキリした子で、クラスでも特別個性的な存在だったよ」と私と○ー○。「そう~~お?中学や高校の友達はあたしをぼんやりだと思っているよ」と×メ。×メは自分の子供時代の事や子供を育てて経験した事を大切に育んでそれを仕事にしてしかも人を助ける仕事をしているのでした。どうりで学生の頃より丸くなってど~んと芯が太くなった感じがしました。学生時代の脆さがなくなりとても頼りがいのある存在になっていました。親の話になって、「うちの母は認知症になったら丸くなって私にゴメンネって言ったんだよ」と私が言ったら、×メが「あら~良かったじゃない、あの鬼のような母親がそんな事言うなんて」と言うので「×メは私のお母さんが恐ろしい人だって知ってたの?!」と驚いて聞くと「だって強烈だったじゃないの、あんたのお母さんは。お父さんが後ろにぼやけて見えたわよ。あんたはお母さんを憎んでいたくせに一緒にいるとお母さんを庇うのよ。不思議だったわぁ」なんと、ちゃんと見ていたんですね×メさんは!!とまたまた驚きました。だって寮に来た時や卒業式の時に会ったくらいのはずなんです。「私は小さい時から人の事だとガンガン言えるのに自分の事は言えないのは何故だろうってずっと謎だったんだよね。カウンセリングを受けているうちに解ったのは私はアダルトチルドレンで否定されて育ったから自己主張がちゃんと出来なくて、今もそれで困っている」と言うと×メが「そうそう、あんたは人の事はすごく庇って何でも言うのに自分の事はいつも我慢するのよ」なんて言うんです。「ええ~~~っ!!そこまで私の事解っていたの?」と驚くと、「解ってるわよ。あんた、あたしを誰だと思ってるの?(笑)」近くにこんなに私の混乱を理解している人がいたなんて今まで気づきませんでした。×メは私の事を随分知っていてでも私は自分の事が見えていなかったのでした。だけど×メの面白くて個性的な所を自分で気づいていなかったみたいなのでやはり自分を客観的に見ると言うのはとても難しい事なんだな~と思いました。奇しくも子供の不登校を経験してその道に進んだ×メさんと今も美術の仕事をしている○ー○。面白い人はいつまでも面白いものだと楽しいひと時を過ごしました。最後に×メに言われたのは「あんた少し家から出なさいよ。じゃないと娘にあんたの影響が出過ぎるようになるわよ。お互い自分の時間を持たないと駄目よ」ばっさりと言われました。にゃるほどね~~~。もう出ているんですよね影響は。娘は個性的な性格と感性ですが毎日、一日中一緒にいるのでどうしても似てくるものがあります。私は私の世界を築いていかないと私のためにも娘のためにも行き詰ってしまうかもしれないな~と思いました。経験を重ねた人の貴重な一言でした。ありがとうね~×メさん。○ー○は今回聞き役に回ってしまい申し訳ない事をしました。×メと私の経験があまりにもリンクしていたため×メと私中心の話になってしまったのでした。「また会ってご飯を食べようね」と○ー○は言って夕食をご馳走してくれたのでした。×メは仙台の街中に来たのは学生時代以来初めてだと言い次がいつになるか解らないので「じゃあ~当分会えないかもしれないから触っとく!」なんて言って、私は×メを撫でさすりました(((((^m^;学生時代と同じ感覚で話が出来るって素適な事なんだな~と思いました。K子ちゃんとはいつもそうなんですが本当に最近はK子ちゃんとしか会っていなかったので他の学生時代の友人とも何の気兼ねも無くザクザク話が出来たのは楽しいものでした。しかも、娘の不登校や私の混乱や心身症についてするすると話が出来たのはすごい事だったと今思い出すと驚きです。やはり、子供達の苦しみを共に味わった人はその裏や奥にあるものをしっかり受け取っているものなんだな~と驚いた次第です。有意義で珍しい時間を過ごしました。帰りに駅の中にあるパン屋さんで○ー○からご馳走になった分の大量の菓子パンを買って帰途についた私でした。いや~~、私だけ美味しいものを頂くなんてとっても罪悪感があったものですから。(^^ゞ友達と会っても無意識のうちに私は母親なんだなと思いました。お母さんになって19年半も経ってしまったんだもの。これから少しずつ私だけに戻るようにして行こうと思いました。子離れの時に自分が無かったなんてならないように。
November 2, 2006
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今日は電車で仙台に出て大学時代の友人に合って来ました。×メとは25年ぶり?○ー○は卒業以来?二人共職業婦人なのでぱりり、きりりとしていましたが話をすると本質的には変わっていませんでした。私が結婚以来の事や最近の事を話しました。ここまで書いたらちょっと寝ました。まだ眠いので今日はお休みなさい~(人-ω-)。o.゚。*・★Good Night★・*。゚o。(-ω-人)
November 1, 2006
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