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例によって、カレンダーの製作が遅れております。もうテスト印刷は終わって、順次印刷に取り掛かっているのですが、なにぶん私のプリンターで印刷しますし、画質を上げてもいますので、発送まであと少しかかりそうです。大変お待たせいたしますが、ご猶予の程お願いいたします。さて、どちらも熊本空港ですが、くじゅうのレゾネートクラブくじゅうは大分空港よりも熊本空港の方が近いんですね。今は国道57号線の崩落のため、二重峠に迂回しいろは坂のような道を通らねばならないのですが、それでもまだ熊本空港の方が近いですし便利です。というわけで、最後のフライトは二週間で熊本空港に二度行くことになります。熊本空港を起点とした旅は私の場合、「レゾネートクラブくじゅう」「ホテル竜宮」「休暇村南阿蘇」「阿蘇リゾートグランヴィリオホテル」「雲仙福田屋」と絞っても五か所になるので、自然と利用する回数も多くなりますね。熊本へのフライトは、横浜から内陸に入り、丹沢の北側から南アルプス、元の小牧空港(現名古屋圏英空港)の上を通過、琵琶湖から京都の上を通過し岡山空港の上を飛び、ここから瀬戸内海に入り大分空港から阿蘇の外輪山へと入っていきます。写真00005 富津岬 posted by (C)たそがれの写真家写真00009 大船駅付近 posted by (C)たそがれの写真家駅はこの絵の左側になります。見えている施設は横須賀線の検収庫で横須賀線の車両と成田エクスプレスが留められます。左上に湘南モノレールの線路が見えています。 写真00013 三浦半島 posted by (C)たそがれの写真家写真00016 伊豆大島 posted by (C)たそがれの写真家写真00023 大涌谷 posted by (C)たそがれの写真家一時は火山活動が活発になり、ロープウェーの休止や道路の閉鎖など一年近く弊害がありました。 写真00029 芦ノ湖 posted by (C)たそがれの写真家写真00032 仙石原 posted by (C)たそがれの写真家良くテレビに出てくるススキの原は上の方に見える草地です。昔この薄野の隣にわが社の保養所がありましたから、ここに係で泊まって翌朝東名高速を使って出勤したこともありました。 写真00038 京都南部・淀 posted by (C)たそがれの写真家 写真00042 大阪国際空港伊丹 posted by (C)たそがれの写真家写真00045 神戸空港とポートピア posted by (C)たそがれの写真家写真00048 明石海峡大橋 posted by (C)たそがれの写真家写真00052 家島諸島院下島 posted by (C)たそがれの写真家写真00055 家島諸島・西島 posted by (C)たそがれの写真家写真00063 男木島と女木島 posted by (C)たそがれの写真家写真00066 直島 posted by (C)たそがれの写真家写真00070 大植島 posted by (C)たそがれの写真家写真00075 瀬戸大橋 posted by (C)たそがれの写真家写真00083 熊本駅 posted by (C)たそがれの写真家写真00089 熊本城 posted by (C)たそがれの写真家写真00100 阿蘇外輪山 posted by (C)たそがれの写真家カルデラの中から撮影
2017年12月31日
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やんばるの地ってご存知ですよね。沖縄北部の東側に広がる亜熱帯の樹木が繁茂する地域です。これでも説明になるのですが、そのほとんどの地域が実はアメリカ軍の実弾演習の基地になっていて、その半分が返されるのらしいのですが、見返りにヘリコプターの基地を五か所作ると言うのです。地元の人々は、工事現場の入り口にテントを張って、建設を阻止しようとハンガーストライキをやっているのですが、工事の車がひっきりなしにやってきて、このテントもまるで無視されている状況です。ここの中は、文字通りのジャングルですから、過ってはベトナムに送られるレインジャーたちの訓練がここで行われました。やんばると言えば「ヤンバルクイナ」と言う鳥類の存在が知られているが、その生態についてWILIPEDIAでは平地から標高500メートル以下にある主に下生えが繁茂した常緑広葉樹林に生息する。リュウキュウマツ林や採草地・海岸付近の民家周辺などで見られることもある。夜間になると樹上で休むが、これはヘビを避けるためだと考えられている。ほとんど飛翔することはできず、樹上6メートルの高さにいた個体がほぼ羽ばたかず約45度の角度で滑空した観察例がある。薄明薄暮時に鳴き声を挙げ、縄張りが隣接する個体同士で鳴き声を挙げ縄張りを主張する。2016年に発表された主に交通事故死(16羽)した31羽の胃の内容物調査では、昆虫、腹足綱、ミミズ、果実、種子などが確認されている。この調査では81 %の個体でバンダナマイマイBradybaena circulus(21個)・オキナワヤマタニシCyclophorus turgidus(14個)などの腹足綱(計59個)が発見された。大型の腹足綱(巻貝類)は殻を割って軟体部のみを食べ、小型の巻貝類や殻が硬いヤマタニシ類は丸飲みにする(そのため胃の内容物調査では軟体部のみで消化されやすい大型腹足綱やミミズ類の割合が小さくなっている可能性が示唆されている)。アカメガシワやキキョウラン・ゴンズイ・ホウロクイチゴRubus sieboldii・ヤマモモ・イヌビワ類などの植物質では果皮があまり消化されていなかったため、本種が種子散布者となっている可能性が示唆されている。この調査対象となった交通事故死した個体では、アシジロヒラフシアリTechnomyrmex brunneusやオキナワハンミョウCicindela okinawana・アカメガシワなどのような道路などの開けた林縁に生息・自生する食物・ハナアブ類の幼虫のように有機汚濁の進んだ人為的な水場に生息する獲物を多く採食していたことが示唆されている。別の胃の内容物調査ではシロアゴガエルやヒメアマガエルが発見された例もある。本種の全長よりも長い全長58センチメートルのリュウキュウアオヘビを飲みこんだ個体の撮影・報告例がある。林床で採食を行うが、浅い水中で採食を行うこともある。外部寄生虫として2005年に西銘岳で幼鳥2羽からシラミバエ科の一種Ornithoica exilisが採取された報告例がある。繁殖様式は卵生。シダ植物や低木・草本が繁茂した地表に、枯れ葉などを組み合わせた皿状の巣を作る。3 - 5個の卵を産む。と報告されている。現在レッドブックに記載されてイメほど絶滅が危惧されているが、最大の加害者は人間による交通事故のようで、一時ハブ退治に導入されたマングースに食べられる例もあったため、捕獲が進められているが、近年は都会地から当地に捨てられた犬が野犬となりヤンバルクイナを襲っていることも報告されているようです。写真00233 posted by (C)たそがれの写真家写真00235 辺戸岬(へどみさき) posted by (C)たそがれの写真家沖縄県がアメリカの統治下にあった頃、本土復帰を願って、ここからのろしを上げた。また年に1度、辺戸岬と与論島との間(北緯27度の海上)で、本土との交流集会も行われていた。1972年(昭和47年)の沖縄返還にさいして建立された「日本祖国復帰闘争碑」がある。 写真00238 隆起サンゴ礁による断崖 posted by (C)たそがれの写真家写真00242 与論島 posted by (C)たそがれの写真家写真00245 金剛石林山 posted by (C)たそがれの写真家写真00248 事故が多いので posted by (C)たそがれの写真家写真00252 アダンビーチ posted by (C)たそがれの写真家写真00255 アダンビーチの砂浜 posted by (C)たそがれの写真家海水浴場としては認められていない 写真00258 沖縄のハイビスカス posted by (C)たそがれの写真家普段目にしているものは、ほとんどハワイ産のものです。 写真00260 国頭村安田付近 posted by (C)たそがれの写真家写真00266 国頭村安田付近 posted by (C)たそがれの写真家写真00270 ヤンバルクイナ生態展示学習施設 クイナの 森 posted by (C)たそがれの写真家写真00277 posted by (C)たそがれの写真家沖縄県国頭郡国頭村安田にあるヤンバルクイナ生態展示学習施設 クイナの森において、野生では目にすることさえ難しいヤンバルクイナを目の前で観察する事ができる。このヤンバルクイナは、卵で保護され人が身近にいる環境で育ったので人に対する警戒心が少なく、「キョンキョン」と命名された。
2017年12月30日
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繁忙期が過ぎて、安くなつているはずの沖縄に行こうとしました。ちょっとばかり直前になってしまったので、安直にダイナミックパッケージを使ってと思いましたが、意外とこれが高いんだな。私の場合はone harmonyで特別な対応を受けられるホテルはオクマビーチリゾートなので当然ここを基準に選ぶのですが、なんか繁忙の時とそれほど変わらない値段でむびっくりしたんです。easy hotelと特割を使えば少しは安くなったので、これを利用したのですが。全体にホテルの料金が上がっているように感じますね。これもどこかの国の頭の切れが鈍い役人様が、外国からの訪問者を4000万人にまで増やそうと声を発していることが影響しているらしいのですが、ホテルの現場担当者の中には、この値段ではフリーで見える外人のファミリーでは泊まれないと言っていますね。なぜか行き遅れていまだに独身を貫き通しているたそがれさんであっても、年金生活の身分ではおいそれとは泊まれない料金になっていますね。御家人斬九郎の正女さんのように、ただグルメをしたいなんて思っているわけではないのに。と言うわけで、沖縄に飛んだのですが、かなりの部分雲に覆われていたので、省略されていますよ。(ほんとは寝ていた)写真00005 posted by (C)たそがれの写真家写真00015 posted by (C)たそがれの写真家写真00020 南アルプスと甲斐駒ケ岳 posted by (C)たそがれの写真家写真00023 posted by (C)たそがれの写真家写真00034 富士宮付近 posted by (C)たそがれの写真家写真00036 南アルプス posted by (C)たそがれの写真家写真00054 熊野川 posted by (C)たそがれの写真家写真00059 南紀勝浦 posted by (C)たそがれの写真家少し見にくいですが、出張っている島に休暇村南紀勝浦があって、私の好きな場所の一つ 写真00073 潮岬を撮ったつもりです posted by (C)たそがれの写真家写真00085 奄美大島 posted by (C)たそがれの写真家写真00093 徳之島 posted by (C)たそがれの写真家写真00097 伊平屋島出会い岬 posted by (C)たそがれの写真家写真00104 伊平屋島 posted by (C)たそがれの写真家写真00108 野田島 posted by (C)たそがれの写真家写真00123 伊是名島 posted by (C)たそがれの写真家写真00149 部瀬名海中公園とブセナテラス posted by (C)たそがれの写真家写真00153 石川市 posted by (C)たそがれの写真家写真00171 海中道路 posted by (C)たそがれの写真家写真00183 米軍ホワイトビーチ posted by (C)たそがれの写真家写真00188 普天間基地 posted by (C)たそがれの写真家写真00204 沖縄清明の丘公園 posted by (C)たそがれの写真家写真00209 糸満市 posted by (C)たそがれの写真家写真00215 荒崎海岸 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月27日
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とは言っても、まるで遠ざけていたわけでもなくて、一度は天守にも言っていましたし、二の丸御殿後にも言っていますよ。でも桜の時期に行くことが多いので、かなり山の中に入ったりするので、松山城は二の次だったんです。松山城にも桜はあるんですよ。でも、ロープウェーの周りに植えられているのは、陽光と呼ばれる八重桜ですし、本丸の庭園に植えられているのはソメイヨシノですから、興味をひかないというのもやむを得ないことかな。備中松山城でもお聞きしたのですが、平時は山城には警護の兵が四名いただけと聞きましたし、松山城も警護の兵しかいなかったそうです。山城や平山城では毎日着物姿の武士たちが重い刀を差して山登りなんてやって入れませんしね。そもそも天守閣は、万が一の場合の食糧庫や武器蔵でしかなかったんですから。写真00359 まだ紅葉が posted by (C)たそがれの写真家写真00363 posted by (C)たそがれの写真家山の上は結構広いんです。 写真00367 冬桜 posted by (C)たそがれの写真家ロープウェーを降りて、さあ登ろうとしたとき一本の冬桜と数個の花弁があったんです。 写真00369 posted by (C)たそがれの写真家写真00372 posted by (C)たそがれの写真家写真00375 posted by (C)たそがれの写真家写真00378 posted by (C)たそがれの写真家写真00381 posted by (C)たそがれの写真家写真00384 posted by (C)たそがれの写真家写真00386 posted by (C)たそがれの写真家写真00400 posted by (C)たそがれの写真家西の方向かな 写真00408 売店 posted by (C)たそがれの写真家写真00410 本丸など posted by (C)たそがれの写真家ここは有料施設です。 写真00417 posted by (C)たそがれの写真家写真00421 posted by (C)たそがれの写真家写真00424 posted by (C)たそがれの写真家写真00432 posted by (C)たそがれの写真家写真00445 posted by (C)たそがれの写真家写真00469 posted by (C)たそがれの写真家写真00471 posted by (C)たそがれの写真家写真00474 posted by (C)たそがれの写真家こういうセットはよく時代劇で見ますね。でもこ こで会議をしている時は、もう籠城を決めていると気でしょうね。もちろん見たことはありませんが。写真00476 posted by (C)たそがれの写真家写真00480 posted by (C)たそがれの写真家写真00483 松山観光港方面 posted by (C)たそがれの写真家写真00487 道後温泉の方向と言うのですが posted by (C)たそがれの写真家写真00491 posted by (C)たそがれの写真家こんな階段、着物袴で上り下りで来たんだろうか 写真00495 売店で甘酒を posted by (C)たそがれの写真家写真00497 posted by (C)たそがれの写真家 売店の裏にも冬桜が祖いていました
2017年12月26日
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石垣の里ってwikipediaでは幕末に外泊地区の東側に隣接する中泊地区の人口が増加し、地区の主導者が各家の二男以下に分家移住を提案した。これに応募した人々により移住がなされ、地名を「外泊」と名付けた。中泊に隣接する入り江の谷を埋めて水路を確保し屋敷地を造成した。全戸の入居が完了したのは明治12年(1879年)頃であった。屋敷地の造成や石垣の積み上げは全て入居者の手で行われた。集落は漁業が主産業であり男性は海に出て漁労を行った。女性は家で家事を行ったため漁労の様子が見えるよう台所は海側に作られた。更に台所の窓の部分の石垣は「遠見の窓」と言われるくぼみが設けられ、地元では特に「海賊窓」と呼ばれた。とされる。結果として石垣の街となったのは、かぜのつよいところなので、家々を守るため積まれ始めたといわれる。事実私も、あまり風が強いので早々に引き上げましたょ。写真00321 posted by (C)たそがれの写真家写真00318 posted by (C)たそがれの写真家写真00328 posted by (C)たそがれの写真家そして紫電改ですが、あまりなじみのない飛行機ですけど、世界一の飛行機と言われたゼロ戦がさすがに米軍にも徹底的に研究され、また数で攻められてしまうためまともな飛行機が無くなり、特攻機にと変えられている中、水上飛行機を改良して押し寄せる米軍の爆撃機に対抗するために作られた紫電という飛行機を改良したものが紫電改と言われます。でなぜここで紫電開花と言うと、たまたま見たNHKのドラマ『撃墜 3人のパイロット〜命を奪い合った若者たち』を見て愛媛県愛南町にその機体が引き上げられ修理されて展示されていると知って、前に来たことがあったので再び訪れてみたという次第です。写真00333 posted by (C)たそがれの写真家写真00337 posted by (C)たそがれの写真家写真00340 posted by (C)たそがれの写真家写真00343 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月25日
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いよいよ今年も残り少なくなりました。昨日リハビリに行ったとき、前の人が先生に「来年もよろしくお願いします」と言われているので現実味を帯びてきました。何しろ寒くなってきたなとは思っても、いつも同じ気持ちでいるので、最近はとみに季節感が無いんですね。一年中はだしですし、できれば半そでのシャツで暮らしていたいなどと不遜なことをいつも思っていて、季節感のトんとないたそがれさんですから、督促されているカレンダーにもまだ手が付かない状況で、昨夜ようやく年賀状の文面部分の印刷が終了しました。気の利いた一言が加えられればとも思うのですが、なにぶんにも絵を見ていただきたいので、その点はゴリヨウショウをと言うわけで、今回は奈良からの帰りに乗った大阪伊丹から羽田への空の旅。写真01086 エンブラエル-190 posted by (C)たそがれの写真家写真1089 神戸市写真01095 木津川 posted by (C)たそがれの写真家高速の上流にドラマなどで有名な木の橋があるのですが、あるようなないような。 写真01099 京都市 posted by (C)たそがれの写真家写真01102 三重県津市 posted by (C)たそがれの写真家写真01105 木曽御岳 posted by (C)たそがれの写真家写真01109 名古屋市中心部 posted by (C)たそがれの写真家写真01120 伊勢湾から posted by (C)たそがれの写真家写真01124 posted by (C)たそがれの写真家写真01143 posted by (C)たそがれの写真家写真01149 posted by (C)たそがれの写真家写真01153 posted by (C)たそがれの写真家写真01159 posted by (C)たそがれの写真家写真01167 posted by (C)たそがれの写真家写真01171 posted by (C)たそがれの写真家写真01177 伊豆高原 posted by (C)たそがれの写真家写真01180 posted by (C)たそがれの写真家写真01184 posted by (C)たそがれの写真家写真01192 posted by (C)たそがれの写真家写真01199 posted by (C)たそがれの写真家写真01206 羽田空港 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月25日
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去年から京都での最終日の訪問先は、京都府立植物園です。帰りの機内から富士山を撮りたいたそがれさんとしては、伊丹を14時半か遅くても15時半の飛行機に乗りたいんです。という事は二時間前までにリムジンバスに乗らないとなりませんから、12時前には活動を終わり確実な手段で京都駅まで帰りたいのです。そんな私にとって、京都府立植物園は広大な面積がありますから、それほど邪魔されずに撮影ができること(それでも大陸の人たちの記念写真好きにはまいりますが)、それとここの池にはあの宝石がいるんです。常連さんにお聞きしましたが、この池に巣を作っているわけではなく、どこからか飛んでくると言うのですが、さして綺麗でもないこの池が気に入っているようで、時々移動しては捕食しているようです。この宝石、新宿御苑にもいるようですし、六義園にもいるようで長い望遠レンズをカメラにつけた人たちを見かけることができますね。で水がきれいになったから都心回帰が行われているのかと言うと、そうでもなくあまりにもきれいすぎると自分の姿が魚から丸見えになってしまうので、まずいのだそうな。(彼らに友人はいないので、確かめたことはありませんが)。まだ在庫としては、今年の紅葉の写真もありますが、ひとまず京都府立植物園で終わりとします。写真00948 posted by (C)たそがれの写真家地下鉄を下りて、北門から入ると右手の林の中には背の高いモミジが見られます。生態系を大事に作られた林なのでしょうが、これから数枚の絵に見られるように、観賞用の紅葉ではありませんね。 写真00959 posted by (C)たそがれの写真家写真00963 posted by (C)たそがれの写真家写真00966 posted by (C)たそがれの写真家写真00982 posted by (C)たそがれの写真家写真00995 posted by (C)たそがれの写真家写真00995 posted by (C)たそがれの写真家写真01024 posted by (C)たそがれの写真家写真01033 posted by (C)たそがれの写真家写真01037 posted by (C)たそがれの写真家この辺りでカワセミさんが向こう岸に飛んでいくのを見ていましたので、いるのは確信していました。 写真01041 posted by (C)たそがれの写真家写真01047 posted by (C)たそがれの写真家写真01052 posted by (C)たそがれの写真家写真01054 posted by (C)たそがれの写真家写真01057 posted by (C)たそがれの写真家写真01064 posted by (C)たそがれの写真家写真01068 posted by (C)たそがれの写真家写真01071 posted by (C)たそがれの写真家写真01077 posted by (C)たそがれの写真家写真01081 posted by (C)たそがれの写真家写真01084 posted by (C)たそがれの写真家写真01087 posted by (C)たそがれの写真家写真01091 posted by (C)たそがれの写真家写真01094 posted by (C)たそがれの写真家写真01097 posted by (C)たそがれの写真家写真01100 posted by (C)たそがれの写真家写真01102 posted by (C)たそがれの写真家写真01105 posted by (C)たそがれの写真家写真01108 posted by (C)たそがれの写真家写真01113 posted by (C)たそがれの写真家写真01115 posted by (C)たそがれの写真家写真01117 posted by (C)たそがれの写真家写真01123 posted by (C)たそがれの写真家色がよくわかりませんね。私の持っているのは18-135ミリのズームで 鳥さんの観察にはとても無理なサイズです。おまけに私が目が悪いと来ていますのでこぶのようなものに焦点を合わせて撮影したもので。見ていただけるように、トリミングを二回重ねてupしています。 写真01135 posted by (C)たそがれの写真家写真01138 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月24日
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タンチョウさんとの私の出会いは26年前北海道帯広に赴任したときにはじまります。当時、一度神戸の社員たちバス4台で洞爺湖周辺を訪れただけで、引率側の私がバスに取り残されると言う痛い思いでしかなかったのですが、実は道東について、ドラマ「池中玄太80キロ」で主人公が丹頂鶴にはまると言う事しか知らなかったのです。そのころ母は若干体調を崩していたので、できるだけ近くの事業所を希望していたのですが、なんと発令されたのは帯広、正直言ってびっくりの人事でした。で赴任するや否や、出かけた先がドラマの舞台である鶴居村、当時はまともなレンズなど持っているはずもなく、たまたま500ミリのレフレックスレンズ(反射式の望遠鏡のようなもの)で撮影した作品が、当地のプロカメラマンで全国的にも知られていた「関口哲也」先生の目に留まり、何かと目にかけてくださっていたんです。そんなご縁でカメラも今のペンタックスに変え、ネガからポジへと進化させたり、先生の指示で個展を開かせていただいたりしながらタンチョウさんを追い続け、長岡時代に仕事の都合で一年行けなかったほかは、毎年この時期に年賀状用の作品を撮りに行くほか、桜の時期や春先なども釧路に通うようになったのです。そんな経過で、今年も釧路へ12/7-9の間出かけたのですが、この長い間まるでコンビのように落ち合って撮影していたキタキツネさんとは、彼の仕事や家庭の事情などからご一緒できていないのが残念です。写真00342 posted by (C)たそがれの写真家いつもご夫婦で飛んでいるのが基本です。子供もとても大事にしますので、子供がいるカップルはいつも一緒ですよ。 写真00390 posted by (C)たそがれの写真家着地する場所を探していますね。 写真00414 posted by (C)たそがれの写真家写真00531 posted by (C)たそがれの写真家普通は親子で飛ぶのですが、時にはこうして団体で飛ぶこともあります。この場合にも親子は一緒ですよ。 写真00566 posted by (C)たそがれの写真家子供を連れたカップル。早生まれの子はもう親との区別は付きませんね。 写真00720 posted by (C)たそがれの写真家音を立てずに降りてきます 写真00751 posted by (C)たそがれの写真家写真00814 posted by (C)たそがれの写真家写真00937 posted by (C)たそがれの写真家写真00943 posted by (C)たそがれの写真家この子は遅生まれ、たぶん最初の子が狐にやられたか、交通事故にあったかで二度目に作った子供でしょう。早い子は、もう親離れさせられます。 写真01030 posted by (C)たそがれの写真家写真01034 posted by (C)たそがれの写真家写真01041 posted by (C)たそがれの写真家飛び立つタイミングを調整している親子 写真01064 posted by (C)たそがれの写真家写真01080 posted by (C)たそがれの写真家踊り始めたカップル 写真01094 posted by (C)たそがれの写真家これも踊りのポーズの一つです。 写真01101 posted by (C)たそがれの写真家たとえ夫婦と言えども挨拶は大事写真01112 posted by (C)たそがれの写真家写真01113 posted by (C)たそがれの写真家写真01116 posted by (C)たそがれの写真家写真01122 posted by (C)たそがれの写真家写真01151 posted by (C)たそがれの写真家写真01155 posted by (C)たそがれの写真家写真01168 posted by (C)たそがれの写真家写真01197 posted by (C)たそがれの写真家写真01208 posted by (C)たそがれの写真家写真01222 posted by (C)たそがれの写真家写真01231 posted by (C)たそがれの写真家無きあっている親たちを二羽の子が見ています。 写真01243 posted by (C)たそがれの写真家写真01256 posted by (C)たそがれの写真家写真01261 posted by (C)たそがれの写真家写真01304 posted by (C)たそがれの写真家写真01321 posted by (C)たそがれの写真家写真01405 posted by (C)たそがれの写真家写真01415 posted by (C)たそがれの写真家写真01448 posted by (C)たそがれの写真家写真01467 posted by (C)たそがれの写真家写真01472 posted by (C)たそがれの写真家写真01484 posted by (C)たそがれの写真家写真01499 posted by (C)たそがれの写真家写真01502 posted by (C)たそがれの写真家写真01524 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月23日
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12月の今年の占めくりとして、今日まで大分県くじゅうにある「レゾネートくじゅう」にお世話になっていました。赤い壁だとは意識していましたが、お風呂に行こうとして「紅柄の湯」と表示されているのを見て、ようやく思い出したのです。と言うのは休暇村蒜山高原のツアーで備前松山城に行ったのは報告していましたが、その前に弁柄の街として知られる(私は知らなかった)吹屋にも行っていたんです。IMGP2494 紅柄の湯 posted by (C)たそがれの写真家レゾネートクラブくじゅう IMGP2496 レストラン・フロント塔 posted by (C)たそがれの写真家IMGP2499 客室 posted by (C)たそがれの写真家吹屋と言われてもご存じないかと思いますので、いつものwikipediaを見ますと元は1955年(昭和30年)まで存在した川上郡吹屋町(現在の高梁市成羽町吹屋・同坂本・同中野)であり、標高550mの高原地帯に位置する。江戸時代中期頃より、幕領地として吹屋銅山を中心とする鉱山町へと発展した。幕末頃から明治時代にかけては、銅鉱とともに硫化鉄鉱石を酸化・還元させて人造的に製造したベンガラ(酸化第二鉄)における日本唯一の巨大産地として繁栄を極めた。主に美術工芸用の磁器の絵付け・漆器、神社仏閣のベンガラ外壁塗装に多用された。最盛期には銅山で働く従業員数が1200人にのぼる。山間に忽然と存在する吹屋集落のベンガラ格子と石州瓦による赤褐色の重厚な商家の町並みが昔日の繁栄を象徴している。吹屋集落では、町並保存地区や中野地区、坂本地区、下谷地区は、1974年(昭和49年)に岡山県の「ふるさと村」に指定された。また、1977年(昭和52年)には岡山県下初の国の重要伝統的建造物群保存地区として選定され、現在は周遊型観光ができる産業遺産である。各観光施設が点在しており、駐車場スペースが広く、待ち時間もなく、自然を楽しみながらゆったりと見学できるのが特徴。里山の固有の文化が残る大変貴重な美集落である。備中神楽や渡り拍子など伝統的祭事にも保存伝承に力を入れ、日本最古の木造小学校・吹屋小学校がある。と言うわけで、吹屋の町並みで弁柄の壁をたくさん見ていたのに、レゾネートクラブくじゅうのことは、全く浮かんでこなかったんです。ここまで来ても、多くの方には弁柄が何かまだわからない方も多いのではないかと思います。で銅鉱山と弁柄の街を散策したショットも並べてみます。写真00096 一部再現された観光坑道 posted by (C)たそがれの写真家写真00093 posted by (C)たそがれの写真家突き当りまで行って戻ってくるか、さらに上に登って見えている階段を下りるようになります。 写真00101 ヘルメットをかぶって入坑 posted by (C)たそがれの写真家私は5~6回はヘルメットをぶつけていたようです。 写真00107 採鉱を再現した人形 posted by (C)たそがれの写真家鉱石はトロッコに乗せて坑道から出していたそうで、不要な岩石を捨てる穴もありました。 写真00114 posted by (C)たそがれの写真家芦尾も別子も公害で悩んだのですが、ここも御多分に漏れず周囲の山が丸裸になり、その後始まった弁柄づくりには大量の巻木を必要としたのですが、それは水運に頼ったそうです。 写真00122 posted by (C)たそがれの写真家写真00131 ベンガラ館 posted by (C)たそがれの写真家ベンガラの作成行程を再現する建物群でも説明では、数軒の大金持ちが広大な土地を所有しその中でやっていたと聞いたように思いますが。 写真00134 ベンガラ館 posted by (C)たそがれの写真家写真00137 posted by (C)たそがれの写真家瓦のような形に仕上げ、このような場所で天日に干していたらしい 写真00139 酸化鉄の鉱石 posted by (C)たそがれの写真家鉄が錆びると赤くなりますが、これを酸化鉄の鉱石から取り出して、染料などに使っていたのでしょう。 写真00145 この窯で煮詰めたとの posted by (C)たそがれの写真家写真00153 posted by (C)たそがれの写真家写真00155 posted by (C)たそがれの写真家写真00157 posted by (C)たそがれの写真家写真00162 沈殿槽 posted by (C)たそがれの写真家写真00166 砕石 posted by (C)たそがれの写真家写真00181 街並みとお土産屋 posted by (C)たそがれの写真家写真00187 伝統的建物群保存地区 posted by (C)たそがれの写真家写真00193 一番大きな家 posted by (C)たそがれの写真家見学不能 写真00198 ベンガラ壁 posted by (C)たそがれの写真家写真00202 posted by (C)たそがれの写真家写真00210 ポスト posted by (C)たそがれの写真家写真00212 現役の郵便局 posted by (C)たそがれの写真家写真00212 posted by (C)たそがれの写真家写真00221 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月21日
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皆さんが奈良での紅葉スポットとして挙げられるのは、たぶん談山神社でしょう。談山神社も素晴らしいのですが、私にはどうしてもそこの階段がネックになるんですよね。勿論長谷寺にもリズムの合わない階段もあるのですが、なぜか途中で休憩できるようなスポットがあるので、それ程苦にはならないのです。それに毎年春と秋に訪れていますし、またお休みどころで抹茶を頂くことが習わしにもなっていますので。そんなわけで長谷寺の紅葉を、写真00645 posted by (C)たそがれの写真家写真00652 posted by (C)たそがれの写真家写真00656 posted by (C)たそがれの写真家写真00668 posted by (C)たそがれの写真家写真00672 posted by (C)たそがれの写真家写真00684 posted by (C)たそがれの写真家写真00687 posted by (C)たそがれの写真家写真00689 posted by (C)たそがれの写真家写真00692 posted by (C)たそがれの写真家写真00698 posted by (C)たそがれの写真家写真00715 posted by (C)たそがれの写真家写真00719 posted by (C)たそがれの写真家写真00723 posted by (C)たそがれの写真家写真00727 posted by (C)たそがれの写真家写真00735 posted by (C)たそがれの写真家写真00739 posted by (C)たそがれの写真家写真00744 posted by (C)たそがれの写真家写真00747 posted by (C)たそがれの写真家写真00751 posted by (C)たそがれの写真家写真00760 posted by (C)たそがれの写真家写真00764 posted by (C)たそがれの写真家写真00772 posted by (C)たそがれの写真家写真00777 posted by (C)たそがれの写真家写真00780 posted by (C)たそがれの写真家写真00786 posted by (C)たそがれの写真家写真00790 posted by (C)たそがれの写真家写真00795 posted by (C)たそがれの写真家写真00798 posted by (C)たそがれの写真家写真00802 posted by (C)たそがれの写真家写真00806 posted by (C)たそがれの写真家写真00810 posted by (C)たそがれの写真家写真00814 posted by (C)たそがれの写真家写真00818 posted by (C)たそがれの写真家写真00825 posted by (C)たそがれの写真家写真00829 posted by (C)たそがれの写真家写真00837 posted by (C)たそがれの写真家写真00840 posted by (C)たそがれの写真家写真00843 posted by (C)たそがれの写真家写真00847 posted by (C)たそがれの写真家写真00851 posted by (C)たそがれの写真家写真00856 posted by (C)たそがれの写真家写真00860 posted by (C)たそがれの写真家写真00863 posted by (C)たそがれの写真家写真00867 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月20日
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なんて書き出しで始まった奈良の紅葉狩り、場所は正暦寺と言います。かってはさぞや大伽藍だったのではと思わせるその寺域は、川沿いに細長く続き、石垣が積まれた道を走ることしばし、まずは支院にたどり着き、また川の反対側には本堂と過っての伽藍を思わせる遺構も見えます。正暦3年(992年)、一条天皇の発願により、関白藤原兼家の子兼俊僧正が創建した。往時には、報恩院以下86坊の堂塔伽藍が建ち並ぶ大寺院であったが、治承4年(1180年)に、平重衡による南都焼き討ちによって焼失した。建保6年(1218年)、別当として南都焼き討ちで荒廃した興福寺の再興に約10年に渡り尽力した後、その地位を退いた大乗院院主の信円僧正が隠遁先として当寺を選び、「菩提山僧正」あるいは「菩提山御房」と呼ばれた。信円は当寺を法相宗の学問所として再興し、以後信円からその座を受け継いだ歴代大乗院門跡が当寺の門跡を兼帯、興福寺の別院正願院門跡となった。金堂、弥勒堂、講堂、十三重宝塔、経蔵、御影堂、鐘楼、六所社および別院などが整備された。また、報恩院家が開山の兼俊僧正の別院として寺務を管轄し、安養院と別院仰接院は浄土宗の念仏道場となった。江戸時代に入り、慶長6年(1601年)には寺禄は約1000石を数えていたが、応仁の乱後に再興された82坊によって、往時の様を取り戻していた。本堂、三重塔、護摩堂、観音堂、地蔵堂、灌頂堂、鐘楼、経蔵、如法経堂、御影堂、十三重塔、弥勒堂、六所明神、鎮守などの堂塔伽藍が建ち並んでいたという。寛永6年(1629年)、堂塔伽藍が焼失、300石の朱印地を与えられることとなった。江戸中期以降は、法相宗の影響が次第に薄れ、真言宗の仁和寺の末寺となった。明治の廃仏毀釈によって荒廃した。往時の威容は、参道沿いに延々と続く石垣によってしのぶことができる。昭和42年(1967年)、本山仁和寺から独立し、菩提山真言宗大本山を名乗る・・・wikipediaカエデの森の入り口に、駐車場とトイレがあり、地元の人々が管理してくれている。また桜や紅葉の時期には売店も。そして参道に出ると日本の酒造の始まりの地と期された石の記念碑も。写真00474 posted by (C)たそがれの写真家写真00477 posted by (C)たそがれの写真家写真00480 posted by (C)たそがれの写真家写真00484 posted by (C)たそがれの写真家写真00487 posted by (C)たそがれの写真家写真00491 posted by (C)たそがれの写真家写真00496 posted by (C)たそがれの写真家写真00499 posted by (C)たそがれの写真家写真00504 posted by (C)たそがれの写真家写真00506 posted by (C)たそがれの写真家写真00510 posted by (C)たそがれの写真家写真00513 posted by (C)たそがれの写真家写真00518 posted by (C)たそがれの写真家写真00520 posted by (C)たそがれの写真家写真00524 posted by (C)たそがれの写真家写真00528 posted by (C)たそがれの写真家写真00528 posted by (C)たそがれの写真家写真00535 posted by (C)たそがれの写真家写真00560 posted by (C)たそがれの写真家写真00567 posted by (C)たそがれの写真家写真00571 posted by (C)たそがれの写真家写真00577 posted by (C)たそがれの写真家写真00579 本堂 posted by (C)たそがれの写真家写真00586 posted by (C)たそがれの写真家写真00588 posted by (C)たそがれの写真家写真00591 posted by (C)たそがれの写真家写真00595 posted by (C)たそがれの写真家写真00598 posted by (C)たそがれの写真家写真00606 posted by (C)たそがれの写真家。
2017年12月19日
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寒いですね。全国的に冷え込んでいるとか。私の車は夏タイヤのままなんですけど、大丈夫かな。もちろん長野に行ったり箱根に行ったりはしませんけど。昨日沖縄から帰ってきましたので余計に寒さを感じるようです。我が家のメダカたちもベランダの子たちはバケツの底の方におとなしくしているようで、夏場のようにもぐもぐハウスに集まってくることはありませんね。ダイニングの周りの水槽にいる子たちは、それぞれ動き回っていますけど。今年は三色と呼ばれる子たちが多いので、彼らは寒さに弱いので、家の中で飼育する必要もあるのですが。メダカの方が人間よりも大事にされているようですね。さて、奈良の紅葉を遅まきながらですがまとめていますけど、実は東大寺の周りもすごいんです。東大寺の周りと言うと、鹿の方が世界的にも有名で、あちこちで大陸の人たちがそれぞれの個人写真を撮っているので、正直言って大変邪魔なんです。写真00341 東大寺への路地で posted by (C)たそがれの写真家写真00348 東大寺ミュージアムの裏のサクラ posted by (C)たそがれの写真家桜の木の紅葉は、優しくてとても綺麗なんですよね。 写真00356 確か保育園の前の木ですよ posted by (C)たそがれの写真家写真00362 東塔跡の公園で posted by (C)たそがれの写真家写真00367 東塔跡の公園で posted by (C)たそがれの写真家写真00375 東塔跡の公園で posted by (C)たそがれの写真家写真00384 春日野園地 posted by (C)たそがれの写真家写真00387 東塔跡 posted by (C)たそがれの写真家着物の女性は中国の方のようです。奈良にも増えましたよ。 写真00390 東塔跡園地 posted by (C)たそがれの写真家写真00393 五重塔跡 posted by (C)たそがれの写真家写真00398 posted by (C)たそがれの写真家写真00402 posted by (C)たそがれの写真家写真00407 posted by (C)たそがれの写真家写真00411 posted by (C)たそがれの写真家写真00419 posted by (C)たそがれの写真家写真00424 posted by (C)たそがれの写真家写真00429 posted by (C)たそがれの写真家写真00433 posted by (C)たそがれの写真家写真00437 南大門 posted by (C)たそがれの写真家写真00442 南大門 posted by (C)たそがれの写真家写真00443 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月18日
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今年の秋、二回目の京都定期観光バス、湖西の紅葉を味わってきたが、最後は三井寺に。比叡山との争いとか、弁慶が梵鐘を引きずってきたとか、長い歴史のあるお寺だけに、話題は尽きないようですが、一様ここではwikipediaに難しいことはお任せして、紅葉狩りに徹してみようと。園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗の総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。開基(創立者)は大友与多王、本尊は弥勒菩薩である。日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」でも知られる。なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られる。三井寺は7世紀に大友氏 (古代)の氏寺として草創され、9世紀に唐から帰国した留学僧円珍(天台寺門宗宗祖)によって再興された。三井寺は平安時代以降、皇室、貴族、武家などの幅広い信仰を集めて栄えたが、10世紀頃から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の宗徒によって三井寺が焼き討ちされることが史上度々あった。近世には豊臣秀吉によって寺領を没収されて廃寺同然となったこともあるが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから、三井寺は「不死鳥の寺」と称されている。・・・wikipedia写真00809 posted by (C)たそがれの写真家写真00812 posted by (C)たそがれの写真家写真00815 posted by (C)たそがれの写真家写真00817 posted by (C)たそがれの写真家写真00821 posted by (C)たそがれの写真家写真00825 posted by (C)たそがれの写真家写真00834 posted by (C)たそがれの写真家写真00840 posted by (C)たそがれの写真家写真00843 posted by (C)たそがれの写真家写真00849 posted by (C)たそがれの写真家写真00853 posted by (C)たそがれの写真家写真00858 posted by (C)たそがれの写真家写真00868 posted by (C)たそがれの写真家写真00872 posted by (C)たそがれの写真家写真00879 posted by (C)たそがれの写真家写真00883 posted by (C)たそがれの写真家写真00887 posted by (C)たそがれの写真家写真00894 posted by (C)たそがれの写真家写真00897 posted by (C)たそがれの写真家写真00902 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月16日
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余りにも今年は紅葉を追いすぎたので、ここは飛ばそうかと考えface bookでは山王鳥居の奥に広がる紅葉をupしたのですが、駐車場の周りの紅葉を見ていたら、ざっとでも載せておきたいと思い取り上げてみることにしました。で写真00657 特別な塗装のバス posted by (C)たそがれの写真家文献では、『古事記』に「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあるのが初見だが、これは、日吉大社の東本宮の祭神・大山咋神について記したものである。日枝の山(ひえのやま)とは後の比叡山のことである。日吉大社は、崇神天皇7年に日枝山の山頂から現在の地に移されたという。写真00689 駐車場前に posted by (C)たそがれの写真家また、日吉大社の東本宮は、本来、牛尾山(八王子山)山頂の磐座を挟んだ2社(牛尾神社・三宮神社)のうち、牛尾神社の里宮として、崇神天皇7年に創祀されたものとも伝えられている。なお、三宮神社に対する里宮は樹下神社である。西本宮の祭神・大己貴神については、近江京遷都の翌年である天智天皇7年(668年)、大津京鎮護のため大神神社の神が勧請されたという。以降、元々の神である大山咋神よりも大己貴神の方が上位とみなされるようになり、「大宮」と呼ばれた。写真00692 posted by (C)たそがれの写真家平安京遷都により、当社が京の鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの社として崇敬されるようになった。神階としては、元慶4年(880年)に西本宮の祭神が、寿永2年(1183年)に東本宮の祭神が、それぞれ正一位に叙せられた『延喜式神名帳』では名神大社に列格し、さらに長暦3年(1040年)、二十二社の一社ともなった。写真00699 posted by (C)たそがれの写真家最澄が比叡山上に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である当社を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬した。中国の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君にならって山王権現と呼ばれるようになった。延暦寺では、山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道を説いた。中世に比叡山の僧兵が強訴のために担ぎ出したみこしは日吉大社のものである。天台宗が全国に広がる過程で、日吉社も全国に勧請・創建され、現代の天台教学が成立するまでに、与えた影響は大きいとされる。写真00702 posted by (C)たそがれの写真家元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちにより、日吉大社も灰燼に帰した。現在見られる建造物は安土桃山時代以降、天正14年(1586年)から再建されたものである。信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康は山王信仰が篤く、特に秀吉は、当社の復興に尽力した。これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、当社を特別な神社と考えたためである。・・・wikipedia写真00708 posted by (C)たそがれの写真家写真00711 posted by (C)たそがれの写真家写真00714 posted by (C)たそがれの写真家写真00718 posted by (C)たそがれの写真家写真00722 posted by (C)たそがれの写真家写真00724 posted by (C)たそがれの写真家写真00731 posted by (C)たそがれの写真家写真00743 posted by (C)たそがれの写真家写真00734 posted by (C)たそがれの写真家写真00777 posted by (C)たそがれの写真家写真00781 posted by (C)たそがれの写真家写真00788 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月15日
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でもいずれにしても、各地で積雪の便りが届いてきて、もう真冬が到来ですね。幸いにして今日も暖かかったので、ベランダのメダカたちにも、日向ぼっこをしている子もいましたね。そしてもぐもぐハウスで餌が入れられるのを待つ子らも。そうはいっても、ベランダで育てている子らの水槽は(バケツだけど)水が減るのが早いんだな。それだけ今年は、乾燥が激しいのでしょうね。もっとも今年は、ベランダ飼育用にスイレン鉢をちょっと多めに導入したと言う事情もあるのですが。さて、今年は、奈良に京都とは別個に行ってきましたよ。ただし、大阪伊丹から奈良行きのバスまで一時間あったので、迷わず今にも出そうな京都行のリムジンに乗って、京都から奈良へJRを使って入りましたけど。奈良公園の紅葉はちょっとしたものだと言うのは、先に報告しましたけど、今回は意外なところにある奈良県が管理する庭園からお送りします。と言っても、ここでは依水園と言う庭園が有名で訪れる人も多いのですが、私個人的にはその隣にある吉城園と言う庭園の方がお勧めなんです。老人は無料ですし。吉城園当地には元興福寺子院の摩尼珠院があったと伝わっている。 明治期には民間の所有となり、1919年(大正8年)に現在の建物と庭園が造られた後、奈良県の所有となり1989年(平成元年)4月1日に開園した。・・・wikipedia写真00104 posted by (C)たそがれの写真家写真00106 posted by (C)たそがれの写真家写真00108 posted by (C)たそがれの写真家写真00111 posted by (C)たそがれの写真家写真00114 posted by (C)たそがれの写真家写真00117 posted by (C)たそがれの写真家写真00120 posted by (C)たそがれの写真家写真00122 posted by (C)たそがれの写真家写真00131 posted by (C)たそがれの写真家写真00134 posted by (C)たそがれの写真家写真00137 posted by (C)たそがれの写真家写真00139 posted by (C)たそがれの写真家写真00142 posted by (C)たそがれの写真家写真00145 posted by (C)たそがれの写真家写真00148 posted by (C)たそがれの写真家写真00152 posted by (C)たそがれの写真家写真00154 posted by (C)たそがれの写真家写真00164 posted by (C)たそがれの写真家写真00167 posted by (C)たそがれの写真家写真00171 posted by (C)たそがれの写真家写真00175 posted by (C)たそがれの写真家写真00177 posted by (C)たそがれの写真家写真00181 posted by (C)たそがれの写真家写真00184 posted by (C)たそがれの写真家写真00187 posted by (C)たそがれの写真家写真00187 posted by (C)たそがれの写真家写真00199 posted by (C)たそがれの写真家写真00203 posted by (C)たそがれの写真家写真00206 posted by (C)たそがれの写真家写真00211 posted by (C)たそがれの写真家写真00219 posted by (C)たそがれの写真家写真00223 posted by (C)たそがれの写真家写真00227 posted by (C)たそがれの写真家写真00233 posted by (C)たそがれの写真家写真00238 posted by (C)たそがれの写真家写真00248 posted by (C)たそがれの写真家写真00256 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月14日
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私はてっきり湖東三山を予約していたと思っていたのですが、実際は湖西の寺々でした。で最初は前回個人で訪れた「石山寺」、はっきり言ってもう若干遅れていましたので、次に行った西教寺さんからご報告します。お寺の接待と言うと、精進料理ですが、なんとすべての食材に食用ギクが使われているんです。でその感触ですが、とても美味しく作られていました。精進料理以前妙心寺の塔頭で頂きましたが、これも素晴らしいお味でしたよ。日本人はやはり食の天才なんでしょうね。ランチの後は西教寺の住職による法話と境内の説明があったのですが、この住職さんは話がお好きなようであらかじめ長いと聞かされていたので、何の話があったのか、残念ながら全く覚えていません。西教寺(さいきょうじ)は、滋賀県大津市坂本にある仏教寺院。天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山である。山号は戒光山、本尊は阿弥陀如来。開基(創立者)は聖徳太子とする伝承もあるが判然とせず、室町時代、中興の祖であり天台真盛宗の宗祖である真盛が入寺してから栄えた。寺名は詳しくは兼法勝西教寺(けんほっしょうさいきょうじ)という。比叡山東麓の大津市坂本地区の北方にあり、比叡山三塔の一つである横川(よかわ)への登り口に位置する。付近には比叡山の鎮守である日吉大社などがある。西教寺は、天台宗総本山の延暦寺、天台寺門宗総本山の園城寺(三井寺)に比べ知名度は高いと言えないが、天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山として、400か寺以上の末寺を有する。・・・wikipediaでも紅葉はなかなか見物でしたので、へたくそな写真で、写真00518 posted by (C)たそがれの写真家写真00521 posted by (C)たそがれの写真家お寺が出している精進料理です。写真00522 posted by (C)たそがれの写真家写真00524 posted by (C)たそがれの写真家写真00527 posted by (C)たそがれの写真家写真00532 posted by (C)たそがれの写真家献立前酒 菊酒(菊を一年間焼酎につけたもの) 先付 ゴマ豆腐の菊添え酢物 菊なます和物 菊の白あえ揚物 菊の天ぷら椀物 秋の香り御飯 菊寿司吸物 菊の澄まし汁香物 菊の一夜漬けデザート 菊のゼリー 写真00536 posted by (C)たそがれの写真家写真00539 posted by (C)たそがれの写真家写真00545 posted by (C)たそがれの写真家写真00548 posted by (C)たそがれの写真家写真00552 posted by (C)たそがれの写真家写真00555 posted by (C)たそがれの写真家写真00558 posted by (C)たそがれの写真家写真00568 posted by (C)たそがれの写真家写真00571 posted by (C)たそがれの写真家写真00574 posted by (C)たそがれの写真家写真00579 posted by (C)たそがれの写真家写真00584 posted by (C)たそがれの写真家写真00597 posted by (C)たそがれの写真家写真00602 posted by (C)たそがれの写真家写真00606 posted by (C)たそがれの写真家写真00616 posted by (C)たそがれの写真家写真00622 posted by (C)たそがれの写真家写真00629 posted by (C)たそがれの写真家写真00632 posted by (C)たそがれの写真家写真00634 posted by (C)たそがれの写真家写真00639 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月13日
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松山は私の好きなところです。リズムが合うと言ったらいいのでしょうか。また定宿としていた「ホテルJALシティ松山」にも非常になじんでいて、二回の和食処で鯛を使ったコースが好きでしたね。ここまで過去形で書いていますが、このホテルがone harmony(ホテルオークラのグループでJALホテルも含まれます) のグループを抜けて独立したんです。なんだそんなことかと思われた方、実はJALホテルのグループから今年だけで、「ホテルニッコー八重山」と沖縄の首里にあったホテルも脱退しているのです。「ホテルニッコー八重山」と「ホテルJALシティ松山」はどちらも私にとってなじみのお店でここでone harmonyの宿泊回数を稼いでいました。JALホテルズのホテルはあの倒産騒ぎの時に多くのホテルがグループから離れていったのですが、その後も何店か続いていて、フランチャイズの弱さを見せているのですが、最近のJALホテルズの特徴としては、宿泊料が事前割引も含めて二倍近くに上がっているんです。そしてその職員さんたちも今の料金では、外人さんたちも泊まれないと言っているんです。この辺に理由がありそうですね。おそらくオークラから自分のところのレベルに合わせるように指示があったのでしょう。フランチャイズですからその政策に疑問を持つオーナーさんが決断されたものと思います。そうはいっても、年に数回は訪れていた松山です。そこで今回はダイワロイネットホテルさんにお世話になることにしました。ちなみに今回の料金は、以前のホテルJALシティ羽田の早割と同じくらいの料金でしたが、たまたま見た外人さんの飛び込みさんが、それでも高いと帰っていましたので、ただ単に4,000万人まで外人さんを増やすと言っている政府は何も手を打っていないので、力のあるグループはこの機会にと値を上げているんでしょう。と言うわけで、12時半の松山行きに乗ったのですが、IMGP1670 D滑走路を見ながら posted by (C)たそがれの写真家IMGP1674 某元知事が通ったというホテル posted by (C)たそがれの写真家IMGP1678 三浦半島から伊豆大島 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1684 横須賀港 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1688 八景島 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1693 米軍瀬谷通信施設跡 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1696 江の島 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1721 芦ノ湖 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1725 アサヒビール神奈川工場 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1729 我が家とわが団地 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1739 箱根仙石原ススキヶ原 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1742 この穴は宝永火口 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1764 シャブシャブではないよ posted by (C)たそがれの写真家なんだと思います? IMGP1772 清水港 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1781 井川湖 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1794 ぼくちゃん、急いでどこ行くの posted by (C)たそがれの写真家家島諸島の院下島みたいですよ。ここまでは天気予報通り 雲が押し寄せていたので寝ていました。 IMGP1797 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1811 瀬戸大橋 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1821 笠岡諸島 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1828 鞆の浦 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1843 田島と横島 posted by (C)たそがれの写真家瀬戸内の島々も橋が掛けられ、陸続きの島が増えていますね IMGP1863 しまなみ海道大島大橋 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1867 来島海峡大橋 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1890 来島海峡SA posted by (C)たそがれの写真家IMGP1897 新来島どつく posted by (C)たそがれの写真家IMGP1906 興居島・小富士 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1910 光のシャワー posted by (C)たそがれの写真家IMGP1928 天使の梯子・スポットライト? posted by (C)たそがれの写真家IMGP1947 松山空港 posted by (C)たそがれの写真家IMGP1953 伊予鉄道郡中線 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月12日
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いつもは京都の二日目を回って、その足で奈良に入っていたのですが、今年はone harmonyの宿泊カウントを稼ぐため、ホテルニッコー奈良に二泊することにしました。と言うのも京都のニッコープリンス京都は、そもそも予約がとれませんし値段も高いので、二回の京都は「三井ガーデン三条」と「旧ホテル京阪」にしたんです。ホテルニッコー奈良はJR奈良駅から直結していますので、京都経由でも快速を使えば便利なので、荷物を預かってもらい、市内循環バスなどで県庁前まで行って、周囲の紅葉を見ながらいつも吉城園に行きます。ここは65歳以上はタダなのでぜひ行くべきところです。吉城園の次は隣の依水園を見てもいいし、東大寺ミュージアムの隣に出る路地もあるので、大仏は見学しなくても東大寺の境内の紅葉もとても綺麗なんです。そんな奈良公園の紅葉を拾ってみました。写真00018 posted by (C)たそがれの写真家写真00020 posted by (C)たそがれの写真家写真00035 posted by (C)たそがれの写真家写真00028 posted by (C)たそがれの写真家写真00030 posted by (C)たそがれの写真家写真00041 posted by (C)たそがれの写真家写真00044 posted by (C)たそがれの写真家写真00047 posted by (C)たそがれの写真家写真00050 posted by (C)たそがれの写真家写真00053 posted by (C)たそがれの写真家写真00056 posted by (C)たそがれの写真家写真00059 posted by (C)たそがれの写真家写真00065 posted by (C)たそがれの写真家写真00075 posted by (C)たそがれの写真家写真00078 posted by (C)たそがれの写真家写真00081 posted by (C)たそがれの写真家写真00086 posted by (C)たそがれの写真家写真00090 posted by (C)たそがれの写真家写真00094 posted by (C)たそがれの写真家写真00098 posted by (C)たそがれの写真家*東大寺まで行けませんでしたね。吉城園や依水園も紹介したいし。ゆっくり行かせてください。
2017年12月11日
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金戒光明寺と言うのは、徳川初期に、同じ浄土宗の知恩院とともに、城郭構造に改められていた。会津藩主松平容保が幕末の文久2年閏8月1日(1862年9月24日)に京都守護職に就任すると、京都守護職会津藩の本陣となり、藩兵1,000人が京都に常駐し1年おきに交替した。しかし、会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き、治安の維持に当たらせた。慶応3年12月9日(1868年1月3日)、この年の10月に行われた大政奉還後の王政復古の大号令によって、薩摩藩・長州藩が京都市中の支配権を確立したため、京都守護職は設置後6年をもって廃止された。ここ黒谷の地で、鳥羽・伏見の戦いで戦死した会津藩士の菩提を弔っている。・・・wikipedia京都に来て、金戒光明寺特別公開なるポスターをよく見たので、それならばと烏丸口の京阪バスの案内所で停留所を聞いて、市バスに乗ったのですが、たまたま日曜日という事もあって、バスがなかなか前には進まず、隣のおばあさんと話をしていて降りる停留所を聞いていたはず(岡崎道と聞いた・・・帰りの停留所見たいですね)がなかなか出てこず、真如堂道なるバス停があって、一度真如堂からここに降りてきたことがあるので、バスを降りてまずは真如堂から見ることにした。ここの道が急坂であることは知っていたが、ここしか無いので冠動脈が一本足らないたそがれさんとしては、大変きつい坂でしたけど、帰るわけにもいかず休み休みしながら、裏口から真如堂に入ったのでした。永観2年(984年)、比叡山の僧である戒算が夢告により、比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりである(『真如堂縁起』)。正暦3年(992年)一条天皇の勅許を得て本堂が創建されたという。不断念仏の道場として念仏行者や庶民、特に女性の信仰を得てきた。しかし応仁の乱をはじめ度重なる火災により堂塔は焼失した。その後足利将軍家や豊臣秀吉により京都市内の何カ所かを転々としたのち、元禄6年(1693年)、現在の場所に再建された。本尊の阿弥陀如来は「頷きの阿弥陀」とも呼ばれており、慈覚大師円仁が一刀三礼にて彫刻したもので、完成直前に「比叡山の修行者の本尊となりたまえ」と言って白毫を入れようとすると、阿弥陀像は首を三度横に振って拒否されたので、「では京の都に下って、一切衆生をお救い下さい。中でも女人等を救いたまえ」と言うと、阿弥陀像は三度頷かれたという伝説がある。三井家の菩提寺で三井高利ら三井一族の墓石が並んでいる。お十夜(浄土宗の重要な仏教行事)は、ここが発祥である。近年は紅葉の名所として人気が高まっており、紅葉期は多くの人が訪れるが、普段は静かな寺院である。・・・wikipedia写真00125 posted by (C)たそがれの写真家写真00129 posted by (C)たそがれの写真家写真00134 posted by (C)たそがれの写真家写真00136 posted by (C)たそがれの写真家写真00139 posted by (C)たそがれの写真家写真00142 posted by (C)たそがれの写真家写真00144 posted by (C)たそがれの写真家写真00147 posted by (C)たそがれの写真家写真00149 posted by (C)たそがれの写真家写真00152 posted by (C)たそがれの写真家写真00155 posted by (C)たそがれの写真家写真00157 posted by (C)たそがれの写真家写真00163 posted by (C)たそがれの写真家写真00166 posted by (C)たそがれの写真家<写真00169 posted by (C)たそがれの写真家/center>写真00172 posted by (C)たそがれの写真家写真00176 posted by (C)たそがれの写真家写真00179 posted by (C)たそがれの写真家写真00183 posted by (C)たそがれの写真家写真00185 posted by (C)たそがれの写真家写真00191 posted by (C)たそがれの写真家写真00196 posted by (C)たそがれの写真家写真00198 posted by (C)たそがれの写真家写真00202 posted by (C)たそがれの写真家写真00207 posted by (C)たそがれの写真家写真00218 posted by (C)たそがれの写真家写真00221 posted by (C)たそがれの写真家写真00224 posted by (C)たそがれの写真家写真00226 posted by (C)たそがれの写真家写真00229 posted by (C)たそがれの写真家写真00233 posted by (C)たそがれの写真家写真00236 posted by (C)たそがれの写真家写真00251 posted by (C)たそがれの写真家写真00252 posted by (C)たそがれの写真家写真00258 posted by (C)たそがれの写真家写真00260 posted by (C)たそがれの写真家写真00263 posted by (C)たそがれの写真家写真00265 posted by (C)たそがれの写真家写真00268 posted by (C)たそがれの写真家写真00272 posted by (C)たそがれの写真家*最初、入ったところはまさに裏口のようなところでしたが、そこばかりか坂道にまでモミジが張り出しているのは、まさに絶景と言えましょう。ちなみに、帰りは金戒光明寺さんの境内を通り、平安神宮の脇も歩いて、地下鉄の「東山」駅まで歩きましたよ。やはり京都で一人で動くときは地下鉄がたよりですね。
2017年12月10日
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定期観光バスでの京都巡り、栂尾からは嵯峨野へ向かったのですが、ご存知の通り嵐山や天竜寺、竹林の道などは、外人さんが大挙して闊歩していますので、定期観光バスとは言え、この混雑を避けるためか清凉寺さんの駐車場にバスを止め、私たちは二尊院まで歩き、紅葉を味わって清凉寺に集合し、ここのお寺も講和を受けてから、紅葉を見て一日のコースを終わったのでした。今までの私は、山陰線で嵯峨嵐山まで行き、天竜寺を見て大河内山荘を見学したり、常寂光寺から二尊院に回って、JR嵯峨嵐山駅に帰ると言うコースを中心に歩いていたのですが、今はとにかく混んでしまい、近寄る気にもなれない場所になってしまいました。渡月橋の右岸から観光和舟が出ていて、昔の貴族たちが川遊びをしたような気分にさせてくれるものでしたが、子の船さえも団体さんの予約をさばくので手一杯となってしまい、私も昨年から乗ってもいませんし、渡月橋を渡ろうと言う気持ちにもなれませんね。写真00848 posted by (C)たそがれの写真家写真00853 posted by (C)たそがれの写真家写真00856 posted by (C)たそがれの写真家写真00859 posted by (C)たそがれの写真家写真00863 posted by (C)たそがれの写真家写真00870 posted by (C)たそがれの写真家写真00873 posted by (C)たそがれの写真家写真00879 posted by (C)たそがれの写真家写真00886 posted by (C)たそがれの写真家写真00888 posted by (C)たそがれの写真家写真00898 posted by (C)たそがれの写真家写真00901 posted by (C)たそがれの写真家写真00903 posted by (C)たそがれの写真家写真00906 posted by (C)たそがれの写真家写真00910 posted by (C)たそがれの写真家写真00913 posted by (C)たそがれの写真家写真00916 posted by (C)たそがれの写真家写真00918 posted by (C)たそがれの写真家写真00920 posted by (C)たそがれの写真家写真00922 posted by (C)たそがれの写真家写真00932 posted by (C)たそがれの写真家写真00935 posted by (C)たそがれの写真家写真00938 posted by (C)たそがれの写真家写真00945 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月09日
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この時期、私にはとても大事な仕事があるんです。それはもう20年以上続いている年賀状の絵のための撮影行なんです。きっかけは帯広に赴任したことでしょうか。「池中玄太80キロ」に刺激されて、帯広に着任するや否や釧路にタンチョウさんを見に行ったんです。なんと鳥さんの名前は判らない私ですが、その時初めて見た生タンチョウさんたちのなんとも奇麗なこと。風切り羽ですかね、開いたときにはほぼ透明で太陽の光が透き通るような感じなんですよ。冬場は給仕場と呼ばれる環境省に認められたところに彼らは集まるのですが、私が主に通うのは鶴見台と言われる「渡部 トメ」さんが自宅の農地を開放して、始めた場所です。【渡部 トメ】 1920年北海道阿寒郡鶴居村に生まれる。1967年から約40年間に渡って鶴見台でタンチョウの給餌人として活躍。そのためタンチョウの心を読むことが出来るタンチョウばあちゃん、鶴居村鶴見台発日本一有名人。タンチョウ夫婦イコール渡部義明・トメ夫婦である。三男四女を育てる。・・・中西出版車はいつも釧路空港でお借りする車。トヨタレンタリースの営業所所長はご自分でも写真を撮られていますので、いつも情報の提供を頂いていて、とても助かっているんです。IMGP4583 東京ゲートブリッジ posted by (C)たそがれの写真家IMGP4592 雲の上に posted by (C)たそがれの写真家IMGP4596 新潟県境かと posted by (C)たそがれの写真家IMGP4598 守門岳の方向かと posted by (C)たそがれの写真家IMGP4603 那須連山 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4608 茶臼岳 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4616 飯豊連峰 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4620 磐梯山 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4624 檜原湖 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4626 グランデコスノーリゾート posted by (C)たそがれの写真家IMGP4630 吾妻山 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4633 朝日岳連峰 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4636 米沢市 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4639 上山町 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4649 蔵王連峰 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4651 蔵王・お釜 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4656 月山 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4658 山形空港 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4663 尾花沢posted by (C)たそがれの写真家IMGP4666 栗駒では posted by (C)たそがれの写真家IMGP4672 どこの火口わたし? posted by (C)たそがれの写真家IMGP4687 奥州市前沢 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4683 平泉 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4711 白糠町 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4716 庶路の街 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4722 太陽光発電パネル posted by (C)たそがれの写真家IMGP4724 空港南 posted by (C)たそがれの写真家IMGP4726 雌阿寒岳 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月08日
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ツツジが売りのこのお寺、前半の紅葉はいかがでしたか。いつごろから植えられていたのか、大木がかなりの数があって、しかも発色がとても素晴らしいところです。山の中なのでバリアフリーと言うわけにはいきませんが、移動は遊歩道が右に左にと作られており、私でも疲れることなく移動できましたよ。また本堂では、大正琴に合わせて歌を歌うなどのイベントも行われていたようでした。もう一度この大興禅寺の紅葉の続きをご覧ください。写真00517 posted by (C)たそがれの写真家写真00521 posted by (C)たそがれの写真家写真00525 posted by (C)たそがれの写真家写真00528 posted by (C)たそがれの写真家写真00530 posted by (C)たそがれの写真家写真00534 posted by (C)たそがれの写真家写真00538 posted by (C)たそがれの写真家写真00542 posted by (C)たそがれの写真家写真00547 posted by (C)たそがれの写真家写真00551 posted by (C)たそがれの写真家写真00555 posted by (C)たそがれの写真家写真00565 posted by (C)たそがれの写真家写真00568 posted by (C)たそがれの写真家写真00574 posted by (C)たそがれの写真家写真00578 posted by (C)たそがれの写真家写真00584 posted by (C)たそがれの写真家写真00587 posted by (C)たそがれの写真家写真00598 posted by (C)たそがれの写真家写真00601 posted by (C)たそがれの写真家写真00605 posted by (C)たそがれの写真家写真00609 posted by (C)たそがれの写真家写真00616 posted by (C)たそがれの写真家写真00620 posted by (C)たそがれの写真家写真00624 posted by (C)たそがれの写真家写真00627 posted by (C)たそがれの写真家写真00634 posted by (C)たそがれの写真家写真00638 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月07日
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大興善寺(だいこうぜんじ)は、佐賀県三養基郡基山町大字園部に所在する天台宗の寺院である。別格本山。山号は小松山。寺伝によれば、聖武天皇の勅願により、行基により創建された。平安時代に円仁(慈覚大師)により中興されたとの伝承がある。享禄年間の兵火(1530年ころ)によって堂塔は焼失したが、天文11年(1542年)に当地を領した筑紫惟門が本堂を再建、江戸時代に入り基山が対馬藩領となると領主の宗氏により堂宇の整備がなされ、寺領を寄進した。本尊は行基の作と伝えられる十一面観世音菩薩。秘仏となっており、12年に1度の午(うま)年にのみ開扉される。直近では2014年の春に開扉された。九州三十三観音霊場第4番札所及び九州四十九院薬師霊場第49番札所である。 大正年間より本堂の裏山に造成された5万本のツツジが植栽されているつつじ園があり、「つつじ寺」の別称がある。春の開花時期には観光客で賑わう。またモミジも多く植えられており、紅葉の季節には夕方ライトアップされる。・・・wikipediaの記事を編集このお寺の正面参道には、長い階段がありたそがれさんにとっては、エンマ大王さんが待ち構えているような気分になってしまうところですが、女坂ならぬ自動車用の上り坂が設けられているので、上りはこちらを使わせていただいている。とはいっても逃げてばかりはいられないし、ようやく階段も襲いながら降りれるようになったので、鉄棒の手すりにつかまりながら降りてみました。ここは本堂をはじめ仏塔に当たる施設が、ちょっと変わった麦わら屋根で作られているうえ、モミジもとても大きくなっているので、それぞれを補完させて撮影するととてもいい作品ができるところです。ただ園内は急坂に色は坂のような遊歩道が創られているので、私にはきついところで、例によってお茶所で一休みしてしまいました。写真00401 posted by (C)たそがれの写真家この長いしかも急な階段が立ちはだかっています。 写真00413 柿の木の紅葉 posted by (C)たそがれの写真家写真00416 posted by (C)たそがれの写真家写真00419 posted by (C)たそがれの写真家写真00424 posted by (C)たそがれの写真家写真00428 posted by (C)たそがれの写真家写真00432 posted by (C)たそがれの写真家写真00437 posted by (C)たそがれの写真家写真00440 posted by (C)たそがれの写真家写真00444 posted by (C)たそがれの写真家写真00447 posted by (C)たそがれの写真家写真00451 posted by (C)たそがれの写真家写真00455 posted by (C)たそがれの写真家写真00459 posted by (C)たそがれの写真家写真00463 posted by (C)たそがれの写真家いろいろな願いが書かれたろうそくがあって、その中からこれを選んで私だけでなく皆さんの病気平癒もお祈りしました。 写真00465 posted by (C)たそがれの写真家写真00472 posted by (C)たそがれの写真家写真00478 posted by (C)たそがれの写真家写真00481 posted by (C)たそがれの写真家写真00484 posted by (C)たそがれの写真家写真00488 posted by (C)たそがれの写真家写真00491 posted by (C)たそがれの写真家写真00494 posted by (C)たそがれの写真家写真00497 posted by (C)たそがれの写真家写真00501 posted by (C)たそがれの写真家写真00505 posted by (C)たそがれの写真家写真00509 posted by (C)たそがれの写真家写真00513 posted by (C)たそがれの写真家 この素晴らしい紅葉は、さらに続きます。
2017年12月06日
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西明寺(さいみょうじ)は、京都市右京区にある真言宗大覚寺派の寺院。山号は槇尾山(まきのおさん)、本尊は釈迦如来。京都市街の北西、周山街道から清滝川を渡った対岸の山腹に位置する。周山街道沿いの高雄山神護寺、栂尾山高山寺とともに三尾(さんび)の名刹として知られる。寺伝によれば、天長年間(824年~834年)に空海(弘法大師)の高弟 智泉大徳が神護寺の別院として創建したと伝える。その後荒廃したが、建治年間(1175年~1178年)に和泉国槙尾山寺の我宝自性上人が中興し、本堂、経蔵、宝塔、鎮守等が建てられた。正応3年(1290年)神護寺より独立した。永禄年間(1558 - 1570年)の兵火により堂塔は焼亡し、神護寺に合併されるが、慶長7年(1602年)に明忍律師により再興された。現在の本堂は、元禄13年(1700年)徳川綱吉生母桂昌院の寄進により再建されたものと言われるが、東福門院(後水尾天皇中宮)の寄進によるとする説もある。・・・wikipedia清滝川に沿って、遊歩道を歩いていたがまだ集合時間まで十分な時間があり、神護寺のお隣さんになる西明寺を尋ねた。それにしても、こんな狭い谷の中に何代もに渡ってモミジを植えてきたのであろう先人に感謝・感謝ですね。ここの紅葉のグラデーション、あまりにも見事なのですが、我が家のメダカたちの中、紀州三色と呼ばれるものの中から、このようなグラデーションを持った子が誕生しないものだろうか、そんな気持ちで拝見していました。 写真00691 清滝川 posted by (C)たそがれの写真家写真00698 西明寺の参道で posted by (C)たそがれの写真家景色は綺麗なれど、たそがれさんには階段を上るのがとてもつらいので、少し上がっては休憩し景色を撮影しながらの行動です。 写真00704 山門前で posted by (C)たそがれの写真家皆さんが綺麗と思われるのか、次々とここで写真を撮っていかれるので、切れ目を探しながら 写真00710 posted by (C)たそがれの写真家写真00713 posted by (C)たそがれの写真家写真00715 posted by (C)たそがれの写真家写真00717 posted by (C)たそがれの写真家写真00720 posted by (C)たそがれの写真家写真00720 posted by (C)たそがれの写真家写真00725 posted by (C)たそがれの写真家写真00727 posted by (C)たそがれの写真家写真00731 posted by (C)たそがれの写真家写真00735 posted by (C)たそがれの写真家写真00738 posted by (C)たそがれの写真家写真00742 posted by (C)たそがれの写真家写真00747 posted by (C)たそがれの写真家写真00751 posted by (C)たそがれの写真家写真00754 posted by (C)たそがれの写真家写真00759 posted by (C)たそがれの写真家写真00762 参道を下りながら posted by (C)たそがれの写真家写真00766 清滝川畔まで来て posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月06日
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「天城越え」と言えば、皆さんが考えるのは、石川さゆりが1986年7月21日に発売した曲で第28回日本レコード大賞・金賞を受賞した曲でしょうね。この天城越え、古くから要衝とされ、多くの人々がこの峠越えに挑んできました。wikipediaでは天城越え(あまぎごえ)は、静岡県伊豆市と賀茂郡河津町の境にある天城峠を越える旅路のこと。伊豆半島を南北に縦断する天城峠越えの道は、天城路ともよばれる。伊豆半島の南に位置する下田と、北に位置する三島を結ぶ街道は下田街道といい、天城越えの天城路は同街道の一部にあたる。伊豆半島の内陸と半島南部の間には天城山の峰々があり、これを越えるのは下田街道の最大の難所であった。1905年(明治38年)に天城トンネル(天城隧道)が開通し、多くの人と物資がこの天城峠を越えて行き来するようになった。天城越えは川端康成の『伊豆の踊子』や、松本清張の『天城越え』などのテーマにもなり、天城トンネルには観光客が訪れる。1970年(昭和45年)に新しい天城トンネルが開通したため、旧街道の天城隧道を含む天城路の現在は、「踊子歩道」とよばれる全長約16キロメートルの遊歩道として整備されており、浄蓮の滝や自然休養林の「昭和の森」といった自然を楽しみながら歩くことのできるハイキングコースとなっている。旧天城トンネル posted by (C)伊豆市観光協会今回のたそがれ旅行社の企画、休暇村南伊豆に泊まりご当地名物「金目鯛」を使った特別料理を食そうと言うもの。普段ならば飛行機を使って、松山などを候補地としていたのですが、今回はメンバーの長老が体調の問題から、近くにとのリクエストがあり設定。休暇村までは路線バスが走っているので、これを利用する予定でしたが、その長老が体調を悪化させドタキャン、レンタカーを予約して、少し周りの景色をと考え、特急踊り子を伊豆急下田まで乗り、休暇村に行く前にかって下田条約でアメリカ領事館がおかれた玉泉寺と水仙が咲き始めている須崎の爪木崎を訪れる。そして翌日予約したのは、下田駅13時発の踊り子だったので、休暇村を少し早くチェックアウトし河津七滝まで行ってみようと走り出し、南伊豆の景観を眺めながら、カワヅザクラの並木(狂い咲きも見えたよ)を見ながら七滝に近づいたが、帰りの時間を考慮しても時間に余裕があったので、急遽天城峠を追加。道路の看板を見て、細い未舗装の道路に入ったが、延々とつづくカーブと細い道、いつ天城トンネルにつくのかと考えながら走っても、ナビは空を飛んでいるだけで、現在地もわからずましてやトンネルなんてそもそも道が無いのだからわかるはずもなく、ちょっと時間を食いすぎたので、たまたま出ることのできた二階滝の駐車場で、常連の滝を見つけまた目標を変更。写真00060 その案内図 posted by (C)たそがれの写真家いろいろと峠の地図を探しましたが適当なものが無く 写真00064 街道沿いは紅葉が posted by (C)たそがれの写真家写真00066 posted by (C)たそがれの写真家写真00067 伊豆の踊子の像 posted by (C)たそがれの写真家写真00070 駐車場から見下ろせば posted by (C)たそがれの写真家この深い谷を下りなければ滝そのものは見えず、足腰の悪いたそがれさんには魔の階段が続くのですが、添乗員がひるんでいるわけにもいかず 写真00074 紅葉も愛でながら posted by (C)たそがれの写真家写真00077 何とも美しい常連の滝 posted by (C)たそがれの写真家これで石川さゆりの「天城越え」なんぞ流されていたら興ざめとなってしまうが、そこは観光先進地の伊豆の事滝の調べが恐ろしいほど響き渡る ちなみにたそがれさんは、仕事で石川さゆりの生歌を聞いていますし、自分のカメラで撮影した絵で作った彼女と時のボスのテレカも持っています。 写真00090 ワサビ田 posted by (C)たそがれの写真家天城はワサビの本場、普通は棚田風につくるがここは土地が限られるので、プールのように
2017年12月06日
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もみじや posted by (C)たそがれの写真家高山寺の見学を終えた私たちは、京阪のバスでは止めることができないので、もみじ屋さんの小型バス二台に分乗して、本館でのランチに臨みました。ご覧のようにいわゆる京料理と呼ばれるもので、小鉢などを巧みに使いいろいろなものを食べられるように工夫されているものです。写真00537 posted by (C)たそがれの写真家昼食を終えた私たちは、小型バスの出発の時間まで、近くの神護寺や西明寺などを自由に参観する時間を与えられ、足に不安のある私は神護寺を避け、清滝川を散策することにしました。写真00506 高山寺観光バス駐車場 posted by (C)たそがれの写真家写真00508 周山街道で posted by (C)たそがれの写真家写真00540 路線バスを待つ人達 posted by (C)たそがれの写真家写真00544 川に降りる道で posted by (C)たそがれの写真家写真00547 清滝川 posted by (C)たそがれの写真家写真00553 神護寺の参道になるのか posted by (C)たそがれの写真家写真00559 まだ坂道を下ります posted by (C)たそがれの写真家写真00563 その坂道の途中で posted by (C)たそがれの写真家写真00569 清滝川に架かる橋 posted by (C)たそがれの写真家写真00576 こんなところにもホテルが posted by (C)たそがれの写真家写真00582 清滝川 posted by (C)たそがれの写真家東海自然歩道に続く右岸の道を歩いてみました。 写真00587 神護寺への参道 posted by (C)たそがれの写真家この時の私には、この坂を登れる自信はありませんでした。 写真00595 川床の屋根に積もるモミジ posted by (C)たそがれの写真家写真00598 清滝川 posted by (C)たそがれの写真家写真00602 もみじ屋さん別館の川床 posted by (C)たそがれの写真家川の上に作られた本格的な川床は貴船だけなんでしょうね。たいていが川のふちに作られていますね。 写真00610 もみじ屋別館への吊り橋 posted by (C)たそがれの写真家橋の手前に案内をするおじさんでしょうか、おひとり立っておられましたので渡っていいかと尋ねると、食事の方のみで撮影のためには渡れないとつげなく 写真00620 その下流にもモミジ posted by (C)たそがれの写真家写真00624 かなりの大木 posted by (C)たそがれの写真家かなり昔から、カエデを植えたり神護寺などの門前町を作ろうとされてきたのでしょう。とにかく素晴らしい紅葉の連続です。
2017年12月04日
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こうブログの内容が前後していると、どのように紅葉狩りを続けたのか、そして今どこにいるのかわからないでしょうね。もともと今回の旅は、one harmonyのステータスを維持させようと、ホテルニッコー福岡に二泊することから始まっているのです。泊まるだけならば、周辺に安くて使い良いホテルはたくさんあるのですが、年間30泊もしないと資格の維持ができないので、と言いながらシテイホテルもそれなりに使いやすいものだなどと思っていたり、福岡市内の道路(自動車専用道路)はわかりづらいうえに、市内の走行も一方通行やらいろいろあるので、郊外のレンタカーのお店を起点とするのです。佐賀県には「九年庵」と言われる、紅葉の時期にしか公開されない庭があって、また大興禅寺という山一面にツツジの木が植えられて、ツツジの寺ともいわれながら紅葉も素晴らしいので、これらを回るために今回は佐賀市のレンタカー店を起点としたんです。市街地を抜け、やがて九年庵へは「吉野ケ里遺跡」の駐車場へとの看板があって、ナビに反してそれに従うとなぜか吉野ケ里遺跡の駐車場はガラガラ、シャトルバスなども見えないので、やむなくナビに従い狭い道を登っていき、仁比山公園という駐車場もガラガラ。仁比山神社も紅葉のポイントなので、参道を上がっていくと、九年庵には入り口が占められていて、園内には誰もおらずほぼ一緒に歩いていたおばさんが、昨日までだからねの一言、二年前は特別公開の期間もしっかり調べてきたのに、思い上がりでしょうかさて、「九年庵」なんていわれても、九州に住まれる人を除いては、なんじゃそれの世界でしょうから、いつものwikipediaにお願いすると、九年庵(くねんあん)は佐賀県神埼市神埼町的仁比山にある数寄屋造りの邸宅および日本庭園。仁比山護国寺三十六坊の塔頭・不動院と子院・仁比山地蔵院跡に実業家伊丹弥太郎が明治25年に建てた別邸。久留米の作庭家である誓行寺の阿(ほとり)和尚が9年かけて築庭したことからこの名で呼ばれている。1982年(昭和57年)に佐賀県が土地を所有者から購入し、所有者が建物を佐賀県に寄贈した。1995年(平成7年)2月21日に国の名勝に指定された。という事だが、藁屋根で出来たいくつかの庵を結ぶように、遊歩道がありこれを歩きながらモミジを見ていく趣向で、実際はあまりにも多くの人が見えるので、参観者による渋滞が発生しており、何を見に行ったのかよくわからないのが実態でしたね(2年前)写真00129 長崎行の特急「かもめ」 posted by (C)たそがれの写真家もともとは鹿児島本線の特急ツバメとして利用されていた車両九州新幹線の新八代と鹿児島中央間が 開通すると、博多ー新八代のリレー特急になり、今は長崎本線で「かもめ」としてお勤めしている。今回はこれで、佐賀まで行くこととした。 写真00158 佐賀市内 posted by (C)たそがれの写真家写真00161 仁比山公園の駐車場で posted by (C)たそがれの写真家写真00164 仁比山公園の駐車場で posted by (C)たそがれの写真家写真00170 橋を渡って posted by (C)たそがれの写真家写真00174 posted by (C)たそがれの写真家写真00176 仁比山神社の参道で posted by (C)たそがれの写真家写真00179 仁比山神社の参道で posted by (C)たそがれの写真家写真00182 仁比山神社の参道で posted by (C)たそがれの写真家写真00186 伊東玄朴旧宅 posted by (C)たそがれの写真家寛政12年(1801年)、肥前国(現在の佐賀県神埼市神埼町的仁比山)にて仁比山神社に仕える武士・執行重助の子として誕生する。のちに佐賀藩士・伊東家の養子となる。実家の執行家は、佐賀藩着座執行家および櫛田宮社家執行家の一族と考えられる。また、養家の伊東家は、戦国時代の龍造寺氏の譜代家臣・伊東家秀の子孫にあたる。長崎の鳴滝塾で、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトよりオランダ医学を学ぶ。文政11年(1828年)のシーボルト事件では連座を免れた。佐賀藩にて牛痘種痘法を実践し、安政5年(1858年)には大槻俊斎・戸塚静海らと図り江戸にお玉が池種痘所を開設、弟子の池田多仲を同所の留守居とした。同年7月3日、江戸幕府第13代将軍・徳川家定の脚気による重態に際し、漢方医の青木春岱・遠田澄庵、蘭方医の戸塚静海とともに幕府奥医師に挙用される。蘭方内科医が幕医に登用されたのは、伊東・戸塚が最初である。玄朴はこの機を逃さず蘭方の拡張を図り、同7日には伊東寛斎・竹内玄同の増員に成功した。これにより蘭方内科奥医師は4名となった。さらに同年10月16日、時のコレラ流行を利用し、松本良甫・吉田収庵・伊東玄圭ら蘭方医の採用を申請した。文久元年(1861年)より、西洋医学所の取締役を務めた。同年12月16日には蘭方医として初めて法印(将軍の御匙=侍医長に与えられる僧位)に進み、長春院と号し、名実ともに蘭方医の頂点に立った。のちの緒方洪庵の江戸招聘も、玄朴らの推挽によるところが大きい。文久3年(1863年)1月25日、松本良順の弾劾により失脚、小普請入りとなる。元治元年(1864年)10月28日、小普請医師より寄合医師に昇格、いくぶん地位を回復するが、以後奥医師に返り咲くことはなかった。・・・Wikipedia 写真00191 仁比山神社の参道で posted by (C)たそがれの写真家写真00194 仁比山神社の参道で posted by (C)たそがれの写真家写真00198 仁比山神社の参道で posted by (C)たそがれの写真家写真00201 九年庵の庭 posted by (C)たそがれの写真家写真00205 posted by (C)たそがれの写真家写真00208 仁比山神社の参道で posted by (C)たそがれの写真家左側の垣根の中が「九年庵」 写真00212 posted by (C)たそがれの写真家写真00219 posted by (C)たそがれの写真家写真00222 posted by (C)たそがれの写真家写真00225 posted by (C)たそがれの写真家写真00231 posted by (C)たそがれの写真家写真00249 posted by (C)たそがれの写真家写真00256 posted by (C)たそがれの写真家写真00259 posted by (C)たそがれの写真家写真00274 posted by (C)たそがれの写真家写真00277 posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月03日
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この秋一回目と言うのは、途中に福岡を挟み二週間で三回大阪便のお世話になったんです。さすがに今回の三回目のフライトでは、離陸するや否や富士山は絶対に見れない(そのくらい厚い雲が広がっていた)とわかったので、最初は鎌倉河岸捕物控えなどを読んではいたものの眠気には逆らえず寝てしまいました。感謝と言うのは、いまだに2013年の「那覇空港に着くはずが、なんとアメリカについてしまいました」が昨日のアクセス数でも二位に入るほど見られていて、三位もフライトに関する昨なんです。そう考えるとある知人から「ホームページ」を作ったらと言われたこともあるので、紅葉ばかりだと飽きられているのかなどと思ったりもするのですが、当面ホームページを作るだけの時間も頭もなく。ただでさえ来年のカレンダーの督促までいただいているというのに、まだ作品の選定すら終わっていないという体たらく、年賀状は来週撮影に行った時の絵で作りますので、何とか間に合うとおもうのですが。搭乗する機会の多い羽田ー大阪伊丹線の機窓から写真00003 東京湾アクアライン posted by (C)たそがれの写真家写真00005 東側には雲が posted by (C)たそがれの写真家富士山には西からの風が多く、特に冬は強いので山に当たった空気が通過すると雲に変身してしまうのです。 写真00014 三島駅 posted by (C)たそがれの写真家写真00018 ちょっとだけよ posted by (C)たそがれの写真家写真00023 富士宮あたり posted by (C)たそがれの写真家写真00027 富士市と田子の浦港 posted by (C)たそがれの写真家この辺りには、製紙工場が多く過ってはヘドロ状の製紙カスが流されていて、田子の浦港と西伊豆を結んでいたフェリーが港に入れなくなって大問題になったことがあります。 写真00037 甲斐駒ケ岳 posted by (C)たそがれの写真家この山のふもとに、とても良質な湧水がありサントリーの白州ブランドのウィスキーが知られていますが、今では「天然水」と言う清涼飲料も白州工場で作られているようです。 写真00041 お肌が荒れていますね posted by (C)たそがれの写真家写真00049 大井川鉄道千頭駅周辺 posted by (C)たそがれの写真家写真00051 川根本町 posted by (C)たそがれの写真家写真00062 生駒山を超えて posted by (C)たそがれの写真家写真00063 生駒ケーブルの駅かと posted by (C)たそがれの写真家写真01289 伊吹山みたいです posted by (C)たそがれの写真家写真01294 木曽御嶽 posted by (C)たそがれの写真家写真01296 伊勢湾から posted by (C)たそがれの写真家写真01300 静岡市と富士 posted by (C)たそがれの写真家写真01303 御前崎付近から posted by (C)たそがれの写真家写真01306 駿河湾上から posted by (C)たそがれの写真家写真01309 伊豆半島近くから posted by (C)たそがれの写真家ここまで来ると宝永火口の大きな口がわかりますね 写真01315 富士山と八ヶ岳 posted by (C)たそがれの写真家写真01318 かなり降下しましたね posted by (C)たそがれの写真家写真01327 スモッグかpm2.5か posted by (C)たそがれの写真家写真01329 三浦半島・城ケ島 posted by (C)たそがれの写真家写真01334 房総沖から posted by (C)たそがれの写真家写真01340 江の島と富士 posted by (C)たそがれの写真家写真01347 横浜港 posted by (C)たそがれの写真家これだけを横浜港と言うのは片手落ちですね。もっと左、八景島あたりまで本牧をはじめ続いていますから 写真01358 着陸寸前でも posted by (C)たそがれの写真家写真01361 京浜工業地帯と posted by (C)たそがれの写真家
2017年12月02日
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