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量子物理学の知識を経て、見えない世界を本当に信じるようになってから、ずっと何か特殊なことを身につけたかった。エネルギーヒーリングのようなものか、何か普通の人が使っていない能力を身につけて、自分の価値を確立しようとしたのだ。シングルマザーの立場では、どう考えても仕事は必須なわけだから、どうせなら価値の見出せる、やりたい仕事に就こうとその時は考えたのだ。その後、私の探求は続いた。本を読み漁り、何か新しいものを見つけては取り組みたくなる。ワークショップに出たくなる。でも、幸運にも[m:246]それら全てを勉強したり身につけたりするような財力はなく、「これだ!」と思ったワークショップに出席したり、もしくは本を読んで自分でできるものだけをどんどん取り入れてみた。でも、私はいっこうに満足していなかった。まだ画期的な何かを探していて、それが身につかない限り、私は世に出てこれらを生かした仕事はできない、と思っていた。つまり自信が持てなかったのだ。ところが、新しいものはどんどん出てくる。画期的なヒーリングもアンテナにひっかかってくる。一体どこまで取り入れれば満足できるのか…まるで鼻の先に人参をぶらさげて、それをひたすら追いかける[m:243]みたいだった。自分でもわかっていた。リコネクティブ・ヒーリングのワークショップに出たその日の夜、私は思った。もう、やめよう。全てはもうここにあったんだ。新しいヒーリングや先生、手法を取り入れてもきりがない。自分が今持っているもので十分だ。それに、ここに至ることができたのは、他でもない自分の声に従ってきたからじゃないか…もう自分を信じよう…リコネクションを受ける必要性を感じなくなっていた。これが宇宙の豊かさというものだろう。私は自分に今の私のままで何かをすることを許可し、実際にそうなっていった。ある人がアメリカの空港に降り立った時に言ったそうだ。「ここが楽園であることに気付く人はほとんどいないだろう」私たちは既に手にしているものに気付くことが苦手だ。既に手にできているものに気付かないからこそ、次の何かを求めて、または更なる何かを求めてさまよい歩く。そして、何かのタイミングでそれらを失った時、初めて気付くことができるのだ。自分の手にしていたものが何であったかを…通常、それはつらい経験を通して獲得できる感覚である。ある願望を抱いた時、人生は時に願望の成就とは反対の方向に向かう時がある。それでも、それは今手にしているものに気付くための、大きなチャンスでもある。失ったものより、今あるものに気づきたい。そうすれば、感謝の気持ちが生まれるだろう。そして、そこから感謝をすればまた感謝できることがやってくるという幸せなサイクルに入れる。
2007.09.27
私は特に強く信奉する人はいないが、やはり完全なる覚者の言葉というのは心に響き、深く、また様々な意味を与えてくれるものだと日々感じている。そんな方々の言葉でも意識の中に残っているもの、また日ごろ意識にのぼる言葉というのは、私にとってとても意味のあるものなのだろう。最近よく意識にのぼるのは、「日々の生活が瞑想」という言葉である。瞑想-この言葉のとらえ方は人それぞれ違うと思うが、一般的には目を閉じて心静かに自分の奥深く入ることという感じだろうか…これは、前述の瞑想の定義に少々逸脱するものがある。つまり、瞑想の状態というのは、ただ目を閉じて座るだけというものではない、というのがこの言葉の一つの意味だろう。つまり、何も瞑想した時だけが高次の自分とつながったり、また心静かに自分でいられるというのではなく、その可能性は日々のこの瞬間に見出すことができるわけだ。目の前の人、テレビに出演している人がチャネリングしたようにメッセージをくれていることだってある。違う次元が介入したと感じる「驚きの体験」さえ、意識が「驚きの体験」ととらえていないだけの話で、日常の生活で頻繁に起きている。この日々の生活の全てにそれらがあることを意識することはとても大切であると思う。何も特別な瞬間や瞑想の時だけに「その特別な私」に触れられるというわけではないのだ。この瞬間に目にするもの、聞こえてくる音、出会う人々にも「その特別な私」とのつながりを発見することができる。それは「これに何の意味が…」と一つ一つ頭で考えて理解するのは到底追いつかないスピードで起きている。もう一つ…これはずっと前からずっと心の中にある言葉「本当は何もしなくていい」だ。これは本当に深い言葉である。これも人それぞれ、また進化の過程で解釈が様々だろう。その意味は文字通り、本当はわたしたちは何もしなくていい、なのだが、これを理解するには少々説明が必要な部分があろう。私はこうとらえている。基本的には、覚醒すれば何もしなくていいことがわかるし、実際に想念だけで事が望み通り運んでいく。またそれが自分で創り出している意識がきちんとある。通常、その過程に至るまで、何もしなくていいことを忘れ、人は何かをしようと努力し、様々な体験をする。でも一方、そんな自分を責めたり、後悔することなく、ただ本当に受け容れることができたら、そこに「何もしなくていい状態」があるだろう。ただ、私たちは既に何もしなくてもそこに私たちが望む(潜在的にも)世界を創り出しているわけだから、別に何もしているわけではない。本当は、今生きている世界を創り出すために、また今している体験をするために「思っているだけ」で「何もしてはいない」のだ。思いにより創り出した舞台で、ただあっちへ行ったりこっちへ行ったりしているだけで、そこで出会う人々もまた事象も全ては既に思い通りだということだ。また、ある視点から見た時に既に起こることが決まっているとするならば、「オールを手放せば目的地に着く」がごとく、オールをこがなくてもいい=何もしなくていい という捉え方もあるだろう。これらの言葉を意識した時には、きっとその人その人がその時に一番必要な捉え方ができるように、メッセージや理解が訪れることだろう。
2007.09.20
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