2012年07月16日
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10年前、お店を始めたころは、時計のない店でした。時間に追われる日々を送っているのだから、お店では、気が付く時まで気が付かないでいい状況がいい、と。
当時も、ケイタイは、みんなが持っていたから、自分の時間は自分で見ればよいのでは、と。

電車で、ケイタイで話をする人は、若い人から減ってきた、その時代、メールという、すごいものが出てきて、お店のお客様も、外とのつながりを阻害されずに時を過ごすようになってきた。

当時は、地下のお店は嫌われていた、というのも、今とはずいぶんと違って。

そのころから、つながり、ということの、よさ、ふしぎさ、というものを感じることが多い。つながっていた方がいいのか、つながりのない方がいいのか、ビックス粒子じゃないけれど、つながっていると、うまくいかなくなると、うるさくなったり
具体的には、お店を気に入ってくださったレディが、自分がどこにいる、というのを彼氏にも教えない、という方が、まだ、いた時代だった。
別れたら来れなくなるから、教えないのだ、と。

お店は、飲食業なので、食べ物や飲み物とお金を交換する場であるけれど、それ以上のアナログ的なこと、めんと、向かっているからこそ、その場だけの言葉の会話を通してのつながりを大切にすることができる、場、でもある。

ネットのマスコミ、のような、ぐるなび、とか、掲示板とか、大きな情報交流のツールから疲れたひとたちが、ミクシイのような、ゆるいグループつながり、の中で、また、大きな場を提供するアメブロやなんかに、ブログを書くようになって、一風呂浴びた、ような気持ちになっていたら、覗き見が多く現れるようになってきた、それからの時代



ツイッターは、まあ、それを身近にさせてくれた道具だろうか。

行方不明になってほしかった、お店の側の気持ちから、お客様ご自身が、自分がどこにいるか、積極的に情報を発信されるようになった時代は、だから、私自身には、理解不能な世界でもあります。

ツイッターやフェイスブックは、看板しょって社会を白昼堂々歩いている、ある意味の個人芸人のような、ファンがおっかけることで成り立つ世界にすぎなくって、だれでもが発信人になれることの恐怖、だれが見ているかわからない恐怖に、普通の人は、打ち勝てるものではないだろう、と思う。

ここで書いていたって、それを感じるから。
こんなこと、書いて、だれかに、見られたり、何か、知らないところで、揶揄されていたり、店に損になるようなこと、してるんじゃないだろうか。って。

大丈夫

ここは、だれも見に来ないから

ここは、私の日記帳だから だからこそ、10数年も前からの日記がある。しかも、自分個人のことを書いたりしていたら、それこそ、三日坊主、三が日も書けない無精者 読まれることを考えてないから

大丈夫

お金をもらって書く、プロのエッセイストの方、なんか、ものすごい、強心臓だろうなあ、って思う。
評論家が、悪口を言いまくるのは、陰で盆暮れを送っているのかもしれないし、壮大な彼らの社会上回る回るお金の流れの一部なのだろうから、気にもしないけれど、ある種、私がよく見に行くサイトの人たちは、すごい、と思う。



いまや、みな、疲れ切って、今度は、LINEだそうだ

電話番号を交換している人だけの世界
確かに、フェイスブックのような、不気味な世界よりも、まだ、安心感がある。

ただ、男はどうだろう。あなたは、どうですか?
昔の彼女の電話番号、そのまま入っていませんか?



お店のお客様らしい方から、LinkedIn というところに入ってくれ、と、メールが来た

フェイスブックのビジネスツールモデルなのか、なんだか、わからないけれど、まあ、入ってくれ、と、頼まれて、いいよ、と、押したら、オマエのプロフィールを書け、と、画面がのたまう

フェイスブックもそうだけど、なんで、ヨコ文字なの、日本語で、出てこいよ、とか思う。オメエは、ラクテンの三谷かあ?日本の公用語は日本語じゃい、って。

疲れをいやす場、それが、本来、ネット環境であったりしたはず、なのに、なんだか、疲れることが多い場でもある。
書きたいことを書くことを躊躇する、というのは、組織内にいるのと、一緒じゃないの?って、当然のことをあらためて思ったりもする。

お店をはじめるころ、まだ、20世紀だったころ、いろいろと、この商売に入っていく中で学んだことがある。沢山学んだけど、覚えていることは少ない。

20世紀は、腹いっぱいの時代 21世紀は、胸いっぱいの時代
おなかを満たすための、役割はサービス業は終わった(または、役割分担していくだろう、と)これからのサービス業は、心をいっぱいにする職業

レストランの語源は、レスト 休息する場 です
体の具合の悪い方は、病院に行って休息(治す)し
健康な方は、レストランに行って休息(癒す)する
その象徴(黒子の象徴)として、ソムリエの存在意義がある

レストランは、非日常の中で一番日常の娯楽
夢を与える、そう、テレビの月9 みたいな

どうだろう。21世紀になって、10年、その言葉たちは、まだ、生きているだろうか。それとも、自分でもビックリ?粒子にまとわりつかれて、身動き取れなくなっているだろうか

自分は、まだ、社会における存在価値があるだろうか、お店も、私も

これから、価値がまだ、残っているとすると、それは、LINKのようなものになっていくのだろうか、いや、もっと、小さな単位になっていくのだろうか。

お店は、宅配サービスを始めます
その先は、ずずっと前から、どうしてもやってみたかった、朝ごはんを始めてみます。

もう、やりたいことは、みんな、やっておこう、と、思う

いろんな意味で、いま、剣ヶ峰に、私たちのサービス業、飲食業の環境が置かれ始めている。
消費税が上がるまで、だろう、それまでに、何かをしておこう、やり残した、と思うことがないように。





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最終更新日  2012年07月16日 07時13分42秒
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