全24件 (24件中 1-24件目)
1

出生前に認知すれば大丈夫なのに、出生後に認知すればダメということって、それってなんかおかしいじゃん。ってことで、行われていた裁判の2審の判決が下りた。今の日本って、国際化が進んでいて、15から20組に一組が国際カップルという状況になってきているわけですが。そうすると出てくるのが国籍の問題です。先日も、嫡出子の問題と、国籍の問題に関連した事を書いたけど。今までは、国際結婚なんてレアケースだとといことで、あまり法律の矛盾点や理不尽なところとかに気がつかなかったわけですが。どんどん、カップルが出来、法律的に結婚してもしなくても、どんどん子どもが生まれる。そんなことで、いろんな事が吹き出してきているという感じがする。さて、今回の判決だけど、判決文全部読んだ訳じゃないけど、これまたよくわからん事を言ってます。「国籍法3条のうち、婚姻の要件だけを無効とすることは、裁判所が新たな国籍取得要件を創設することになり、許されない」つまり、裁判所は、立法じゃないから法律の一部を変えられないって言ってるんですよね。確かにそうだけどさ。法律が憲法に違反しているのでは?ってことで、裁判しているわけだから。そんな言い方されたら原告が怒るよな。裁判官は、原告の争点を理解してなかったんじゃないでしょうね。それとも、理解していて、この件について判断したくないから、難癖つけて逃げたのか。たまに裁判官ってこんなことやるけど、どういうつもりで、そうしたんでしょうね。関係する法律は、過去にこちらの記事に載せてます。-------------------------------------------------------日本男性と比女性の婚外子9人、2審は日本国籍認めず 日本人男性とフィリピン人女性との間に生まれた子ども9人が、両親が結婚していないことを理由に日本国籍の取得を拒まれたのは違憲だとして、国に日本国籍の確認を求めた訴訟の控訴審判決が27日、東京高裁であった。 宗宮英俊裁判長は、「国籍法上、原告らが日本国籍を取得できるとする規定は存在しない」と述べ、国籍法の規定を違憲として9人全員に日本国籍を認めた1審判決を取り消し、原告側の請求を棄却した。原告側は上告する方針。 原告は首都圏などに住む7歳から13歳のフィリピン国籍の男女。 訴訟では、未婚の日本人の父親と外国人の母親との間に生まれた後、父親に認知された非嫡出子が日本国籍を取得する場合、両親の婚姻が必要とした国籍法3条の規定が問題となった。同法は、同様の間柄の両親から生まれても出生前に認知されれば、両親が結婚しなくても日本国籍を取得できると定めているため、こうした違いが憲法が定めた「法の下の平等」に反するかが争点になっていた。 判決は、「国籍法3条のうち、婚姻の要件だけを無効とすることは、裁判所が新たな国籍取得要件を創設することになり、許されない」などと述べ、原告側の主張を退けた。 同条を巡っては、今回の訴訟の1審判決を含め、地裁では2件の違憲判決が出ているが、高裁ではいずれも原告側敗訴の結果となった。 判決後、原告の子どもらと記者会見した近藤博徳弁護士は、「判決は理論的に見て到底納得できない。国籍を得られない多くの子どもたちの不都合の大きさに思いを致していない判決で、残念だ」と述べた。(2007年2月27日20時39分 読売新聞)この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。
2007.02.27
コメント(4)

王子も地上に降りて一年と一ヶ月が経った。保育園の方も徒歩3分のところに内定が出た。都心は少子化が進んでいるために、競争率が低いが。来年以降は29階建てのマンションが完成するので、そうも言ってられなくなる。今年、潜り込める可能性が出てきたのは幸いである。そんなことで、王子も大きくなるわけだが。大きくなったは大きくなったで、いろんな問題がおきる。ひとつは、いろんな事を覚えてきて、いろんな悪さをする。射程距離も長くなり、攻撃の範囲は一段と拡大した。これは、成長の過程だから、収まっては、新しいトラブルが発生するの繰り返しだと思う。その他に困った問題が発生。王子の増えた体重の影響で、相方がぎっくり腰に・・と思って病院に行ったら、どうも、椎間板ヘルニアの疑いが・・・どちらかというと機材を持って歩いている、私の方がなる可能性が高いのに、王子を担いでいる相方がなるとは・・・王子が大きくなったのはいいのだが、困ったものである。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.26
コメント(2)

民法誤解して起訴したということで、話題になったニュースなのですが、世の中の問題が複雑にからんでいて、すごく深いものがあると思うんですよね。しかも、いま増えていると言われている、日本在住の外国人、国際結婚、離婚にからんでいる。私は法律の専門家ではないが、今の世の中の様々な面が見えてくる。---------------------------------------------刑事部長ら3人「厳重注意」=民法誤解して起訴-大阪地検 (時事通信社 - 02月23日 17:10) 民法の規定に従って出生届を提出した女性を誤って起訴していた問題で、大阪地検は23日、起訴した検察官と上司の刑事部長、刑事部副部長の計3人を、それぞれ「厳重注意」とする処分を発表した。 ---------------------------------------------この分野に限ったわけではないですが・・・今の価値観では理解しにくい化石のような法律ってのがあるのですが。法律の専門家が、そこにひっかかってしまったんでしょうか。それとも、他の要因があったのでしょうか。いずれにしても、法律の専門家が、民法誤解して起訴しちゃった。普通は、逆のパータンで、離婚後300日以内にに子どもを産んだ場合、前の夫との子どもにされてしまって問題になる。たとえば、既に婚姻関係が破綻しているにも関わらず、離婚調停なりがうまくいかず時間がかかるケースがあって。同時に次の夫との事実婚があっても、その新しい夫との子どもが、今の民法では新しい夫との子どもと認められず、離婚成立から起算した日をもとに一律に前の夫との子どもとされてしまう。だから、離婚成立後すぐに子どもが生まれたからといって、浮気をする女とはいえない。これで悩んでいる方はとても多く、この法律をどうにかしてほしいという要望がたくさんあるんですよね。しかも悪用も可能で、離婚相手が、故意に離婚に合意せずに、相手に新しい生活を営ませないことや、浮気性の女性というイメージを与えることも可能で、生活面だけでなく精神的にダメージを与えることが出来る。参考記事「前夫の子じゃない!」 民法772条と戦った悲しい経験 「離婚から300日以内の子は受理せず」の不合理 http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000004160今回は、新しい夫が自らの子どもと認めた上で、法律に従い前の夫との子として出生届け出を出した。もう少し厳密に言うと、前夫に「(戸籍上の)父親になってほしい」と頼んだが断られたため、無断で大阪市内の区役所に出生届を出した。ここは、予想なんですけど、妻がこういう行動に出たのは「非嫡出子への問題」が介在していたと思われる。いろんな運動などがあったりして、いろいろ改善されたとはいえ「嫡出子」と「非嫡出子」との間には、身分の差から生ずる問題が発生する。また、場合によっては、揉め方によって出生届を出せなかった場合、無戸籍になってしまい、住民登録さえも出来ず。たとえ、特例で住民票が出る場合があるが、パスポートがでず、修学旅行に行けないということで外務省に旅券発給を要請した女子高生がいたりとか、様々な行政サービスも受けられなくなる。そういう思いをさせたくないというのが、母心だったのかもしれない。無戸籍について 参考ページ出生届未提出記、そして戸籍再考http://homepage.mac.com/tsuchiya_sat/bessei/84.html余談ですが・・・法務省は1月26日に、民法772条の規定について、実態把握のため自治体などを通じた初の調査に乗り出すことを決めたそうだが。その時、長勢法相は「(1898年の法律施行)当時とは、家族についての意識も変わってきているかもしれないし、医療技術も発達したことが影響している」との見方を示し、「(子が無戸籍になるような)問題が比較的多く見られることは考えなければならない」と述べたって話があるけど。明治時代って、経済的な理由で、法律的に結婚しない(出来ない)人って多くて、ほぼ全員が法律的に結婚するようになったのは、昭和になる頃なんですよね。家族や婚姻の実態が法律に合うのに約40年の時間を要したというわけです。法的な家族の定義って、生活の実態から作られるというより、法律により家族が定義され、それによって家族の生活の実態が法律にあってくるという傾向がある。しかし、時代と共に、法律と家族の実態がかけはなれてしまうのが面白い。いくら法務大臣といっても、家族や社会や歴史や民俗学の専門家じゃないから、このあたりの知識がなかったんでしょうね。今回のケースでは「非嫡出子への問題」に付加して、国籍の問題も絡んでいそうだ。この妻は、中国人だったわけですが。子どもに日本国籍を与えたかった可能性がある。日本は出生地で国籍を決めない国なので、親の国籍が重要視される。国籍法の第三条に基づいて、日本人との間の嫡出子でないと、日本国籍になれないんです。日本で生まれ育っても両親が外国人なために外国籍なために、日本国内での生活が不利になる事もあるわけで、それを避けたいために子どもに日本国籍が欲しかったという母心があってもおかしくはない。話は戻って、そんなことで、新しい夫が自らの子と認めた上で、前の夫の名前で出生届を出してしまった。すぐに前の夫が「嫡出の否認」を行なえば、夫の目的は達成出来たはずだが。子どもが生まれたと知って3年経っていて。嫡出の否認が出来ないために、勝手に自分の名前を使って書類を出したと警察に届け出をした。その言い分をもとに、検察官が起訴した。前の夫は「嫡出の否認」という方法があることを知らず、気がついたのが遅かった可能性がある。それで告発したのではないかと思われる。2001年10月に子どもが生まれた事を知り、警察に告発したのが2005年1月ですから、3年が過ぎている。前夫は「嫡出否認の訴えは、夫が子の出生を知った時から1年以内に提起しなければならない。」という、民法第777条の「嫡出否認の訴えの出訴期間」を過ぎていたために、手を打てないがために、別の方法がないかと考え、公正証書原本不実記載ということで、警察に告発した可能性がある。2001年10月に、前夫に「(戸籍上の)父親になってほしい」と頼んだが断られたということで、その時点で夫が子の出生を知っていたから、2002年10月までに「嫡出の否認」しないといけなかったわけだ。起訴した方々は、告発したこの前の夫の勢いに乗せられたかもしれないし。そして、被疑者が中国人女性だったからこそ、冷静さを欠いてしまった可能性があります。実際その人はどうかは別として、拘留された経験のある人から聞いた話ですが警察やら検察や拘留施設の職員は外国人に対して厳しい傾向があると言っていました。そういう雰囲気があったというのなら、犯罪に対してのある種の正義感により被疑者・容疑者の言うことを信じないだけでなく、中国人だったということなどでバイアスがかかってしまい、冷静な法解釈を誤り、起訴してしまった可能性がある。「厳重注意」ということなのですが、免職、停職、減給、戒告という法律上の処分の下に、訓告、厳重注意と並ぶわけで。厳重注意されたからといって、経済的損失や、昇進には関係ありません。これが重いのか軽いのかはわかりませんし、判例としては残るかも知れませんが。処分をするのもいいけど、今後同様のことが起こらないための原因究明と対策がなされるのかが大切だと思うんですよね。時間がかかるのだとおもうのだけど、今のところそんなアクションについて伝わってきていません。それが、気になります。そして民法772条の行方は・・・参考民法(嫡出の推定)第772条 妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。《改正》平16法1472 婚姻の成立の日から200日を経過した後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から300日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する。《改正》平16法147(父を定めることを目的とする訴え)第773条 第733条第1項の規定に違反して再婚をした女が出産した場合において、前条の規定によりその子の父を定めることができないときは、裁判所が、これを定める。《改正》平16法147(嫡出の否認)第774条 第772条の場合において、夫は、子が嫡出であることを否認することができる。(嫡出否認の訴え)第775条 前条の規定による否認権は、子又は親権を行う母に対する嫡出否認の訴えによって行う。親権を行う母がないときは、家庭裁判所は、特別代理人を選任しなければならない。《改正》平16法147(嫡出の承認)第776条 夫は、子の出生後において、その嫡出であることを承認したときは、その否認権を失う。《改正》平16法147(嫡出否認の訴えの出訴期間)第777条 嫡出否認の訴えは、夫が子の出生を知った時から1年以内に提起しなければならない。《改正》平16法147 国籍法(準正による国籍の取得)第3条 父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子で20歳未満のもの(日本国民であつた者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。戸籍法第2節 出 生 第49条 出生の届出は、14日以内(国外で出生があつたときは、3箇月以内)にこれをしなければならない。2 届書には、次の事項を記載しなければならない。1.子の男女の別及び嫡出子又は嫡出でない子の別2.出生の年月日時分及び場所3.父母の氏名及び本籍、父又は母が外国人であるときは、その氏名及び国籍4.その他法務省令で定める事項《改正》平11法1603 医師、助産師又はその他の者が出産に立ち会つた場合には、医師、助産師、その他の者の順序に従つてそのうちの1人が法務省令・厚生労働省令の定めるところによつて作成する出生証明書を届書に添付しなければならない。ただし、やむを得ない事由があるときは、この限りでない。第52条 嫡出子出生の届出は、父又は母がこれをし、子の出生前に父母が離婚をした場合には、母がこれをしなければならない。2 嫡出でない子の出生の届出は、母がこれをしなければならない。3 前2項の規定によつて届出をすべき者が届出をすることができない場合には、左の者は、その順序に従つて、届出をしなければならない。第1同居者第2出産に立ち会つた医師、助産師又はその他の者第53条 嫡出子否認の訴を提起したときであつても、出生の届出をしなければならない。 第54条 民法第773条の規定によつて裁判所が父を定むべきときは、出生の届出は、母がこれをしなければならない。この場合には、届書に、父が未定である事由を記載しなければならない。2 第52条第3項及び第4項の規定は、前項の場合にこれを準用する。刑法(公正証書原本不実記載等)第157条 公務員に対し虚偽の申立てをして、登記簿、戸籍簿その他の権利若しくは義務に関する公正証書の原本に不実の記載をさせ、又は権利若しくは義務に関する公正証書の原本として用いられる電磁的記録に不実の記録をさせた者は、5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。2 公務員に対し虚偽の申立てをして、免状、鑑札又は旅券に不実の記載をさせた者は、1年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。3 前2項の罪の未遂は、罰する。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。
2007.02.23
コメント(0)

この記事で1000ネタ達成しました。これも、皆様がいつも読んで頂いているおかげです。感謝です。このP-Blogアイデア&インプレッションの内容は多岐にわたっているわけですが。1000ネタのカテゴリーの内訳はというと、・カテゴリ未分類(90)・食べものネタ(56)・タイ・ラオス そして、アジアの国々(211)・アート(43)・「個」「孤独」「群」「共同体」(123)・出会い(130)・生きること、自然、そして、環境(141)・車、鉄道、システム、オタクネタ(98)・ダイエット・健康(13)・音楽ネタ(37)・スポーツネタ(57)という感じです。開設当初は、・ダイエット・健康(13)・食べものネタ(56)・アート(43)・音楽ネタ(37)・「個」「孤独」「群」「共同体」(123)あたりがメインで、最初からブログと謳って開設しました。この当時は、楽天日記だったんですよね。そして、ダイエットネタ「4ヶ月で10キロ痩せた」シリーズ(参考ページ)でアクセスが急増した。そして、JICAの下請けの仕事以来・タイ・ラオス そして、アジアの国々(211)が増加。津波以降、津波ネタから、タイネタ炸裂です。アジアネタだけ読んみるのもありです。その後、・生きること、自然、そして、環境(141)・車、鉄道、システム、オタクネタ(98)が増えたという感じです。・生きること、自然、そして、環境(141)は、環境問題から医療事故や赤ちゃんのことまでいろんな事が書かれています。ちょっと濃いかも。とはいえ、カテゴリーにはないが、子煩悩ネタが追い上げたという感じです。ということで、今は、アジアネタ、環境・ライフスタイルネタ、中心のブログになっています。今後は、初心に戻って、ダイエットネタではなく、食べものネタとか、アートネタも増やしたいですね。それと、カテゴリーの数を増やせるようになったので、カテゴリーの再編も検討したいです。そんなことで、今後ともよろしくです。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.22
コメント(0)

世の中、いろんな天災が起きたりして、そういうときに、いわゆる有名なお金持ちの方たちが募金をしたりするわけですが。そのお金の出し方によって有名人の評判がかわる。先日のタイ取材の時聞いた話なのですが、津波の時の有名人のお金の出し方で一番格好良かったのはリッキーマーティンだという事を言う人がいた。理由は、多くの人が、赤十字などの国際機関にお金を出したのだが。その判断は間違ってはいないが。リッキーマーティンは、こういう目的でお金を使って欲しいと宣言して、関係機関にお金を出した。この姿勢がカッコイイというのだそうだ。そう思った理由は、大きな組織にお金を出すと、すぐに現地に落ちてこなかったり、自分の思っているところにお金が届かなかったりするからだという。逆に、カッコワルイのは、当時の首相であるタクシンさんで、他の国がお金を出そうとしているのに、タイは国内のお金でどうにかなるとか言って、海外からのお金を拒否したからだそうだ。まあ、タクシンさんにも一理あるにしても、南部には評判悪いから仕方ないかも。そんな、リッキーマーティンだが、今度は、人身売買撲滅プロジェクトに着手したのだそうだ。今までの、子どもの医療や教育についての取組に加えて、人身売買と奴隷を廃絶するために動くのだそうです。内容は、どうも、中米地区を対象に人身売買被害者のための毎日24時間体制のコールセンターを設置するようです。-------------------------R・マーティン、人身売買撲滅プロジェクトに着手2007年02月21日 2月20日、歌手リッキー・マーティンさんが人身売買や奴隷などの撲滅を目指すプロジェクトを発表(2007年 ロイター/Juan Carlos Ulate) [サンホセ(コスタリカ) 20日 ロイター] プエルトリコ出身の歌手リッキー・マーティンさんが20日、コスタリカの首都サンホセの大統領府で、人身売買や奴隷などの撲滅を目指すプロジェクトを発表した。 マーティンさんは、教育や医療面などで困難を強いられている世界中の子供たちをサポートする基金「Ricky Martin Foundation」で自ら会長を務めており、この基金を通じて今回のプロジェクトを運営する。 -------------------------February 20, 2007 Ricky Martin and President Oscar Arias launched Llama y Vive to combat human trafficking Costa Rica - World renowned Puerto Rican pop singer Ricky Martin and Costa Rican President Oscar Arias Sánchez are today joining IOM, the Inter American Development Bank and UNICEF in San José for the launch of the counter trafficking information campaign "Llama y Vive" (Call and Live) and a telephone hotline. The regional campaign and the telephone hotline, which will operate in all Central American countries, were designed to alert potential victims of trafficking, protect children and youth and provide information to the general public. A message from Ricky Martin is at the centre of the campaign. Television and radio public service announcements and posters and will bring his message during the next six months to all Central Americans.IOM and its partners expect that the new hotline and the massive media attention will translate into increased awareness on the perils of human trafficking. The hotline is operated by trained personnel 24 hours a day, 7 days a week.Costa Rica is a country of origin, transit and destination for human trafficking. The majority of the victims are forced into sexual servitude. But media reports also confirm the existence of human trafficking for forced labour, as well as trafficking within the country's borders. The country's youth are the most vulnerable to human trafficking. Today's launch is part of the Global Agreement signed in May 2006 between IOM and the Ricky Martin Foundation. In Costa Rica IOM will also work with el Patronato Nacional de la Infancia (PANI), la Línea 911 and the Fundación Ser y Crecer.IOM has received the funding for this campaign from the US Department of State Bureau of Population, Refugees and Migration (PRM). -------------------------↓こちらは、リッキーマーティンのタイでの取組み。-------------------------December 21 , 2006 Ricky Martin Foundation and Habitat for HumanitY Announce Completion of Partnership to Help Tsunami-Affected Families Hundreds of Tsunami-Affected Families and their children have homes in Thailand thanks to the support of The Ricky Martin Foundation and Habitat for HumanityBANGKOK (December 21, 2006) - As the second anniversary of the deadly Indian Ocean tsunami approaches, Habitat for Humanity International and the Ricky Martin Foundation announced the completion of their partnership to restore 224 new and rehabilitated houses for tsunami-affected families in Thailand. Musician and philanthropist Ricky Martin visits a Habitat for Humanity build site in Thailand where his foundation helped to make 224 homes a reality in partnership with tsunami-affected families. “Through the generosity of Ricky Martin and his foundation, we were able to leverage the funds to improve the lives of hundreds of families with good housing, upgraded water and sanitation and enhanced livelihood opportunities,” said Jonathan Reckford, CEO of Habitat for Humanity International.As an advocate of children’s human rights, Ricky Martin visited Thailand in January 2005 to assess the needs of the youngest survivors who are extremely vulnerable to traffickers after natural catastrophes. “During my first trip to Thailand immediately following the Tsunami, I met with families that had literally lost everything, including family members who were primary care providers and their entire lives were changed from one moment to the next. The priority was to see that families, especially those with young children, were able to move out of tent camps, where they were in many cases in danger, and into good permanent housing”, recalls Martin. Two months after The Ricky Martin Foundation visited the devastated zone, they signed a historical alliance with Habitat for Humanity to construct 224 homes for the tsunami-affected families. In July 2005, Martin returned to the coastal zone of Phang Nga to dedicate the completion of the first Habitat houses with their new owners. “The Ricky Martin Foundation puts the lives of children and families first; it is a pleasure to partner with them,” said Peter Gape, Habitat’s regional program manager for the Mekong countries. In that specific zone PhrueTiaou, Phang Nga province, a total of 60 houses were completed as part of a large relocation project serving families that were the hardest hit of the Thai tsunami-affected families. “Working with Habitat for Humanity, we were able to move 60 families into brand new homes in a matter of months, and the effect that this had on their lives was again, life changing, but this time for the better. During my second trip to Thailand, I had the opportunity to hand the house keys to the first set of families. It was incredible… I saw that by working together, the Ricky Martin Foundation and Habitat for Humanity provided not only shelter, but more importantly hope, to some of the most vulnerable citizens, the children, and their families,” Martin concluded.As more governmental, non-governmental organizations and the private sector joined the building effort, Habitat for Humanity International and the Ricky Martin Foundation focused on the poverty-stricken coastal community of Kho Sirey that was suffering from tsunami damage and loss of livelihood. “The fishing industry recovered slowly, so construction employment was a real boost to the community. Now there are new and improved houses and for the first time, non-polluting toilets. Kho Sirey is a model of improved housing and community services,” added Gape. Habitat for Humanity has helped more than 700 tsunami-affected families in Thailand to construct improved housing. More than 6,000 families in India, Indonesia, Sri Lanka and Thailand have benefited from Habitat’s tsunami-recovery program. -------------------------この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.21
コメント(2)

■はげ山をペンキで「緑化」?…中国・雲南省(読売新聞 - 02月20日 00:11) 【北京=末続哲也】中国南西部・雲南省富民県の当局が、“はげ山”の山肌数千平方メートルに緑色のペンキを塗りつけ“緑化”していたことが国内報道で判明し、中国社会をあぜんとさせている。 中国紙・新京報などによると、同県当局は昨夏、農村住民の年平均収入の約140倍に当たる47万元(約750万円)を投じ、採石場跡地などがあった山肌にペンキを吹き付けた。住民側は「この金で苗木を買えば、いくつもの山に植林できる」と批判している。 事業を行った同県農林局は詳細な説明を拒んでいるが、“はげ山”の真向かいに建設している中国共産党同県委員会の新庁舎の「風水」を良くするのが目的と指摘されているという。 -----------------------------------------ってことか記事にされているが。これって、日本人は笑えないです。ペンキや塗料で緑化しようとしたということは、日本国内では山のようにあるからです。まず、芝生を緑に塗った事例。世界で一番強いサッカーのクラブチームを決める試合。トヨタカップで、1980年代、国立競技場での試合に置いて、芝生を緑に塗ったという事がありました。理由は、12月開催ということで、日本は冬で、この季節芝生が枯れてしまったため、国際的に見て格好悪いから緑に塗ったそうです。おかげで、選手がスライディングすると、ユニフォームが緑に。スパイクシューズも緑色に・・・はげ山を緑に塗ろうとした事例これまた20年ほど前ですが、安中製錬所の公害で、はげ山になった所を。東邦亜鉛の社長がペンキで緑に塗れば・・・と発言して物議をかもしたらしい。高速道路の回りを緑にしようとした事例またまた、20年ほど前だけど、山を削って作った、日本道路公団の中国縦貫自動車道において、コンクリートのむき出しになっていることについて、近隣住民が緑化してほしいとの要望を出したところ。しばらくすると、コンクリートに緑のペンキが塗られていたそうです。いずれにしても、緑化を目的に、塗料で緑にしてしまおうという発想は、けっこうあるみたいです。探せばいくらでも出てきそうです。風水というのと規模が大きいというのが中国らしいですが、日本は中国のことだからって笑えないです。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.20
コメント(4)

17日横浜開港記念館で人身売買に関するイベントが行われました。19時からの開演の前に、15時から関係するNGOなどの展示が行われました。アジア雑貨が並んだり、私は参加出来ませんでしたが、ちょっとしたワークショップが開かれたりと、楽しい雰囲気です。となりがイラストレーターのブージルさんのブース。写真を見ると、見覚えのあるものが映っている写真が・・・。もしかしてと聞くと、やはり、カオサン通りあたりから、水上バス乗り場に抜けるクランク状の道に置かれている車でした。裁判員のイベントが終わったので、会場の準備開始。重要文化財の建物の講堂は、独特の風情がある。ただ、ほんの少しだけ、今のイベント環境に合わない部分もあったりして、準備が手間取る。予定より15分ほど遅れて開演。「天の浮舟」を演じる。「天の浮舟」は今回で5回目の公演となるが、同じ横浜市内で行われたモーニング娘。文化祭や、東京都北区のプラネタリウムやさくらホール、そして、新宿のライブハウスとはまた違った客層で。いつもより、食い入るような視線を感じる。今回は、人身売買に取り組んでいる方がたくさん参加しているので「天の浮舟」のお話しは、ドキドキしてたまらないのだろう。そして、山場に差し掛かる頃、音響を操作していたにもかかわらず、後ろから、すすり泣く声がかすかに聞こえた。朗読している方も、盛り上がってゆく。岡さんの演奏は、クールさとメロウな感じの曲が波のようにミックスされ、観客の心を揺さぶっていく。「天の浮舟」が終わる。私は直接聞かなかったが、トークセッションの出演者にもとても好評だったようだ。そして、トークセッション始まる。森田明彦氏のファシリテートのもと、大久保真紀氏(朝日新聞鹿児島総局次長)、マリ・クリスティーヌ氏(アジアの女性と子どもネットワーク代表)、藤原志帆子氏 (ポラリスプロジェクト東京事務所コーディネーター) のお話しが進む。大久保さんは現地で人身売買の末エイズでなくなった子の取材の時の話をしてくれた。この子の夢は、学校で学ぶことで。インタビュアーだった、大久保さんに対し、今後、同じような事に遭う人が減るようにと、起こったことを伝えて欲しいと言ったそうです。先日の記事にもダブルんですけど、これって、津波の被災者の方、医療事故の被害者の方からも、同じ事を言われた経験があるだけに、深く共感を覚えた。そして、藤原さんがアジアのことではなく日本国内での人身売買にも踏み込んだ。未成年がホスト代を払えなくて、人身売買された日本のケースが紹介されたが。人身売買というのは、あるラインから急に人身売買になるというものではないのだが。それに近いことが、日本国内でいろいろと起きている。私の知人がある地方のキャバクラに行ったとき、中学生が働いていたとか言っていた。セックスに及ぶかどうかは別にして、中学生が水商売をしなければならない状態であり、それが見逃されている状態が恐ろしい。また、去年、新宿のライブハウスで「天の浮舟」をやったとき、お客さんの中から、日本の田舎でも、農機具を買った借金のために、奥さんがソープランドで働いているケースがあるとの話があった。性産業が全てイコールで人身売買ではないとしても、いつ、人身売買として扱われてもおかしくない環境が今の日本にはある。アジアの遠い国の出来事ではなく、日本でも起きているというところで、トークセッションは終わった。そして、フィナーレは、みんなで歌を歌ってたのしく終了。最後まで、お客さんは帰らず、たくさんのお客さんに見てもらえました。最後に、このイベントを主催した、人身売買と立ち向かう会"てのひら"のみさなんに拍手を送りたいと思います。実は、今回が初めてのイベントだったそうです。びっくり。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.17
コメント(2)

医療事故に関するビデオの打合せに行ってきた。打合せは、前向きに、和気藹々とした雰囲気だ。医療事故の被害者の方もたくさん参加されていたのですが、当たり前なのだが、そこにいるのはいわゆる被害者像のひとではなく、普通に前向きに生きる人にしか見えない。確かに、事故直後は混乱し、かなりキツイ時期もあったのだが、問題に正面から取組み。対話し。二度と戻らないものがあるにしても、それなりの成果を出してきた結果が、いきいきとした姿となっていた。被害者の一人が言った「確かに、いろんなことがあったけど、マイナスになったものはない」これは、全ての医療事故被害者に言えることではないにしても、一事故の被害者が実感してきたことでもある。そこで、被害者という言葉が気になってきた。被害者という言葉があるからこそ、いわゆる被害者でいなければならないという雰囲気が出来てしまう。しかし、実際の被害者は、単に被害を受けただけではない。場合によっては、最先端になる。にもかかわらず、第三者は、被害者に対し、被害者たることを求め、そこで安心する。わたしも、今日、多くの医療事故の被害者の方とお話しするまで、その被害者という言葉の罠にはめられていた。これは、津波の被災者達にもいえる。確かに被災したが、いまは、世界最先端を行っている人になったひとたちがいくらでもいる。しかし、実情を知らない人たちは、被災者は被災者であることを求める。とはいえ、言葉通りの方もいらっしゃることは事実でもある。時間が掛かるかも知れないし、しずかにして欲しい時期もあるには違いないが、ちゃんと向き合うことができれば、マイナスになったものがなくなる時が来るようだ。これから取材をつづけ、どのようなプロセスを経て、マイナスになったことがなくなったかを探ってゆきたいと思った。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.16
コメント(6)

今年のバレンタインは、カカオの生産における人権問題が話題になったことにより、いろんな反応が出てきた。ひとつは、チョコレボとか、チョコを渡すなら、フェアトレードのチョコレートでという動き。もう一つは、子どもを虐待して作るカカオを使ったチョコレートは問題があるから、義理チョコを渡さないというものだった。それぞれの言い分を聞いていて、気がついたのだが、義理チョコを渡さないと言う人は、ほとんど、カカオの生産における人権問題とは関係無しに、すでに義理チョコを渡さない主義の人が多く。カカオの生産における人権問題を聞いて、自分の行動の根拠を増やしたという人がけっこういた。まあ、バレンタインにチョコを渡すというのは、日本特有の習慣だし、さらに義理チョコなんてもの日本特有なもので。義理チョコは、家族や学校、職場など、男女が入り交じる狭い人間関係を円滑にするための戦略の一つとしてあるようなものだ。別に義理チョコが無くても、人間関係を上手く回すことが出来れば問題ないわけで。義理チョコを渡さなくても、同様の効果があることをすれば問題がない。とはいえ、もともと、義理チョコを渡さない主義の人が、義理チョコを止めても、世の中のチョコレートの生産量は減るわけではなく。カカオの生産の問題は解決しない。せっかく、いいところに気がついたのに、効果が出ないのは残念だ。さて、他にも動きがあった。キットカットを売っている、ネスレに対して、カカオの生産に関する質問状を出した人がいた。カカオの生産で子どもの命を軽んじていたとしたら、キットカットが、きっと勝つぞじゃなく、Kids Cutになってしまう。一応、日本の法人からは、そんなことはしていないというような返事をもらったようですが。納得しないだろうなぁ。いずれにしても、今年のバレンタインは、カカオの生産の問題を知ったことで、反応が出てきたという面では、画期的だったように思う。とはいえ、多くの人は、何も考えず、毎年同じように、チョコかってんだろうね。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.14
コメント(0)

さきほど、40万アクセス達成しました。いつも見に来て頂いている方、ありがとうございます。約二週間ほど海外に出ていたので更新出来ずに、アクセスが少し減っていたのですが、帰国したとたんにキリのいい数字になりました。少しずつ遡って記事を書いてゆきますので楽しみにして下さい。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.14
コメント(4)

エコ・コーポラティブマンション「エコヴィレッジ鶴川」に行ってきました。まあ、たまたま友達が住んでいたということなんですが。この住宅の特徴は、まずエコロジーを意識していること。そして、住民が主体的に関わる「コーポラティブ」ハウスであるということだ。建て売りの分譲マンションでオプションを選ぶというのとは違い、住民になりたい人を募って、話し合って、建てていく。内装も自分たちでやるので、工事中モードだ。でも住んでる。外壁は、木を焼いたものになっているのだが、この木を焼く作業も、住民がやったりしている。建物は3階建て2棟で、ベランダから、下を歩いている人に声を掛けられるが。声を気軽にかけられるのは、住民が主体となって関わっているから可能なのだ。いわゆるマンションでは、他人がいきなり隣の部屋に越してきたり、上下がどうなっているのかわからないわけで。ベランダから、下にいる人に声をかけるという事はしない。さらに高層マンションではベランダさえもない。もう、20年以上前に、神戸大学の学生が研究していたと記憶しているのだが。住居の形態別で子ども同士のコミュニケーションがどうのということをやっていたのだが。一戸建てばかりの住宅地よりも、5階建てまでの団地が並んでいる所の方が、子ども同士のコミュニケーションが図られているというものだった。低層階の建物のすぐ下に、公共の広場があるほうが、子ども同士のコミュニケーションが図れるということだ。昭和30年代初期に作られた団地などの住宅って、公共スペースについて、きっちり考えられている事が多いことに驚かされる。しかし、車の普及で、団地の下は、駐車場が増え、子どもが安心して遊べるスペースではなくなった。そして、いま、このエコ・コーポラクティブハウスで、焼け野原から新しい理想に燃えて設計した団地の発想が甦ったというのがなんとも不思議な感じだ。まだ、ここに人が住みだして間もないが、これからどのようになっていくのかが楽しみである。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.13
コメント(0)

高田馬場にある四谷天窓.confortでのライブイベントに顔を出す。午前中、17日のイベントの打合せをしていて、そこからの直行だ。その日は、17日のイベントのチラシを挟ませて頂くのが目的だった。とはいえ、17日のイベントで一緒する岡さやかさんと、12月のイベントで妙に気のあったイクラさんが出演するということなので、用件が終わった後は、観客としてお店に入った。このイベントは、DRAMATIC NIGHTというイベントで50回以上の実績がある選りすぐりのシンガーソングライターが出演する。津波の復興イベントでも、ここで出会った方に出演頂いたこともある。それにしても、素晴らしいアーティストばかりだ。世の中、才能が埋もれているという感じだ。ライブの最後はちよっとしたお楽しみコーナー。今回はアーティストが好きな番号を引くというくじ引きで、アーティストからバレンタインにまつわるものがもらえるという。私は、最後から2番目で、1番と13番の2枚が残っていたので、不吉だと言われているが、実はラッキーな数字でもある13を選択。すると、チョコレートがあたっちゃいました。このアーティストもちやんと「不吉だと言われているが、実はラッキーな数字でもある13」と言って番号を発表してました。なんだか・・・さて、ライブが終わって、何故か、打ち上げに巻き込まれる。アーティストやサポーター(私が勝手にそう呼ぶことにした)などが軽く食事をする。そんな中で感心したことは、具体的には書かないが。サポーターたちは、気持ちよく演奏をしてもらう独自のルールを持っていることだった。自分たちも楽しみ、そして、演奏しているアーティストも不快にならない解決策を独自に編み出していた。市場はなかなか広がらないけど、こういう真剣に考えてくれている人がいるから、少しでもアーティスト活動を続けることができるんですよね。今回のイベントで、子どものいるシンガーソングライターさんが、結婚したり、子どもを産めば、音楽活動を止めると、父親に思われていて、それでも音楽を続けていたら、いろいろ言われたそうで、そのことを詠った歌を披露してましたが。音楽を続けるという、いわゆる一般とは違う生き方をするには、こういうサポーターって大切ですよね。★今日の一曲★芽亜利・J(メアリ・ジェイ)「父さん」 視聴はこちら 歌詞はこちらこの記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.12
コメント(2)
朝に、タイから帰国しました。深夜0時50分バンコク発の飛行機だったので、しかもジェット気流が強かったこともあり、25分早くついたため、少し寝不足です。成田からJRでダラダラと居眠りして帰る。3年前に3月に仕事でラオスに行ったときの帰り、あまりの気温差で大変だったが、今回はそう感じなかった。気温が、タイからすれば20度近く低いわけだが、暖冬のおかげで温度差が少なく、少し楽な気がする。荷物になるのであまり防寒具をたくさん持って行ってなかったのですが。こういうときだけ暖冬は助かる。
2007.02.10
コメント(0)

約2週間にわたるタイ滞在も今日で最終日となった。今回の旅は、プーケットに上陸し、パンガー県をアンダマン海沿いを北上、シミラン諸島にも足を伸ばす。クラブリを経由して、ラノーン県内のタレノーへ。カオラックい戻って、そこから夜行バスで10時間かけてバンコクに着いたら、数時間後、お坊さんと一緒にタクシーで4時間かけてカンチャナブリの山寺に。山寺ではお坊さんと一緒に生活。そしてバンコクに5時間かけて戻ってきたら。タイの田舎とは別世界のもう一つのタイが目の前に広がった。バンコクのネットカフェってかなりの確率でmixiやってる日本人がいるんですね。驚いてしまいました。そんなことで、日本に帰国してから、写真いりでさかのぼりながら掲載してゆきます。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.09
コメント(10)

今回のタイの旅は、田舎ばかりだったのだが。終盤戦は都会であるバンコクである。スパチャラサイ国際競技場の近くに宿をとっているが、何でもそろいそう便利な所ではあるが、手に入りにくいものがある。それは、大きな、ビニールシートのようなものでできたバッグだ。昼食を食べるついでに、お店の人に聞くと、カオサンにあるという。そんなことで、夕方になって少し涼しくなる頃から、カオサンに向けて歩いていくことにした。バンコクのイメージは、水路ではあるが、思ったより少ないという印象。大阪もかつては、水の都と呼ばれていたが、今は、堀が埋め立てられて道になっている、これと同じ事がバンコクにあったのだろうか。とはいえ、水路を走る舟は、市民の足として大活躍しているバンコクは、やはり水の都と言えるだろう。このあたりで、目的のものをゲットできました。特大で60バーツでした。歩道橋の上から、夕焼けを撮影。地図も無しに歩いていたが、ここまでくれば、カオサンまで近い。無事に、カオサンに到着。ご褒美がてらにビールと定食。ちなみに、お店に入る通路にあるカバン屋に確かに情報通り同じバッグがありました。次回、買うときがあったらここで買おう。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.08
コメント(0)

取材をしていると、時々、持ってきた機材にトラブルが発生することがある。今回は、無線LANのカードが調子が悪い。そんなことで、パソコンショップに行く。宿はMBKの近くで、MBKに行けばたいがいのものは揃うのだが、兎に角広く、店が多く、しかも、IT系といっても小さな携帯電話屋ばかりなので、パソコン関係はここでは購入しない。バンコク市内に何カ所かパソコン関連の店が集まっている所があるのだが。わたしは、地下鉄のラマ9世通り駅の出口の近くにあるITモールを利用する。こういう建物の中に専門店が並ぶ感じって、秋葉原の駅前のビルを小ぎれいにしたかんじだ。安いかどうかは別にして、商品が探しやすいのがいい。商品を値切って買うというのも、一昔前の秋葉原や大阪の日本橋のような感じで楽しい。そういや、10年前、会社を退職し、単身赴任地であった東京から関西に戻るとき、FAX機を秋葉原で買ったのだが。その時、値切って買ったら、お店の人に喜ばれたんですよね。どうも、10年前でさえ、秋葉原でも表示価格で買う習慣がついていて、こういうやりとりをしなくなったそうで。値切る人が少ないから楽しかったのだそうです。日本は、どこでもね大型家電専門店が幅を利かしていて、しかも、充実したパソコン売り場を持っているが、こんな状況って、日本だけの風景なのだと思う。以前は、ハードディスクとハードディスクのケースを購入したが、全般的にお店の方は親切である。まあ、貨幣価値からすれば、日本ではたいしたことがなくても、タイでは高級品になるので当然だろう。宿に戻って、LANカードをインストールし、無事作動した。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.08
コメント(0)

久し振りに、津波後に閉店したプーケットにあった飲み屋のオーナーとバンコクで会うこととなった。今日は、撮影した時は、友をバンコクに送り出す立場だったのに、その後、バンコクに出てくることとなった、飲み屋のオーナーも来てくれるとのことだ。しばらく、お寺や関連施設にいたので、お酒を飲めるというのはとても楽しい。実は、お寺の関連施設に泊めてもらうことが出来たのだが、酒飲んで帰ってくるわけにはいかなかったので、どうにか抜け出して、このためにゲストハウスに泊まることにした。シーロムのタニヤという筋を入ったところにある、日本の居酒屋に入る。これまた、久し振りの居酒屋です。アサヒスーパードライの生ビールやアジの造りなどを頂いたりする。タイは暑いので生ビールを出すのは大変で、しかも弱小銘柄となると、一日、一定量以上出る店でなくては、生ビールを卸すことが出来ない。タイでのスーバードライの生なんてのは、この地域だけで頂けるというようなもんだろう。短い時間ながら、バカな話や、真面目な話など、いろんな話をした。そこで、印象的だったのは。津波の被災した直後は、マスコミがたくさん来たけど、しばらく経って、何回も足を運んだのは、私たちだけだったのだそうで、そのことにとても感謝されたことと。被害にあった体験を、メディアを通じて将来の役に立てて欲しいという思いがあることだった。「被害にあった体験を、将来の役に立てて欲しい」ってのは、いま取り組んでいる、医療事故のビデオ、そして、イベントのお手伝いをしている人身売買の問題のことも共通してるんですよね。この記事は、2/18に以前に遡って書いているから、余計にそう感じるのだけど。2/16に出会った、ビデオの制作に取り組んでいる医療事故の被害者の方、2/17のトークセッションの中で人身売買の末エイズで亡くなった方の生前の取材の話にしても、「被害にあった体験を、将来の役に立てて欲しいと」というのは同じなんですよね。この2日間、2/7の飲み会でのこの話が頭の中でぐるんぐるん廻っていました。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.07
コメント(0)

タイにいる期間もそんなにながくない割りに、いろんな人に会う必要があるため、カンチャナブリ県にあるお寺から早々に去ることになった。早朝から托鉢の撮影をして、朝食の準備をする。朝食の準備として、お坊さんに捧げる儀式も手伝う。タイのお坊さんは、捧げられたものしか食べられないので、托鉢をしてきたものを、改めてお寺で食事をするとき、いちど、お坊さんが捨てたということにして、みんなで分けて食べられる分を確保し。改めて、捧げ直すことで、お坊さんが食べることが出来るのだそうだ。中には、スイカのように種が入っているものがあり。そのような食べものは殺生となるので、おまじないを唱えて、フォークでぶっ刺してから、お坊さんに捧げる。食事を済ませて、帰る準備をする。昨日の登山で服が汚れたのだが、いくら洗っても汚れが取れない。お寺にブリーチをかりて、漂白することに。お寺から国道まで3キロ少しあるのだが、檀家の方にバス停まで送ってもらう。ここまでは、スムーズな工程だったのだが、いきなり、バス待ちだ。写真を撮りまくる。流し撮りの練習写真を撮っていると、ファインダー越しに赤いバスが見え。早速乗り込む。ドアが開けっ放しということもあり、バスの車内に風が入り、エアコン無しでも十分快適だ。女性の車掌は私たちに、お寺に行ってきたのかと聞いてきた。解放されたステンレス製のドアに、南国の赤い土が映り込むしばらく走ると、車掌がカードを持って、店に走る。そして、タイムカードの機械に差し込んで戻ってくる。どうも、ダイヤ管理をタイムカードで管理しているようだ。いそいそと走る姿をみると、このタイムカード管理によって、給料が決まるしくみになっているのかもしれない。またしばらく走ると、検問に出会う。乗客の身分証チェックだ。パスポートを見せて終わり。その検問を受けた直後に、何人もの売り子が乗り込む。バスの一区間の間に売りまくる。こういう、売り子が来るということって、日本の公共交通機関では少なくなってきているが。売り子が来るってことって、バイタリティを感じるんですよね。私は、慌ただしく、甘いコーヒーを戴く。しばらくすると、街中に入ってくる、お客さんが次々と下りてゆく。そして、バスターミナルにつく。エアコンバスに乗ろうとすると、一等車と二等車とでは切符売り場が違うそうで、20バーツ違いということで一等車の方にいく。バンコクまで99バーツだとのこと。おそらく、ラッキーナインということで、99バーツなんでしょうね。切符を買うなり、バスが出発。一等車ということで、紫色のスーツを着たおねーさんが水を持ってくる。高級感の演出なのだろう。途中乗客をのせなんやかんやでほぼ満席になる。国道4号線に入り、いままでいた、パンガー県、ラノーン県、カンチャナブリ県の田舎とは違う、工業化された中部のタイの町並みが続く。多くの町には、中華街があるので、2/18の春節祭のための正月装飾が少しずつなされているのが見える。看板に書かれた、問い合わせ先の電話番号の局番が02になってくる。もう間もなくバンコクだ。高速道路が上を走る。ますます、田舎とのギャップを感じる。そして、南行きバスターミナルに着く。南行きバスターミナルは、地下鉄や高架鉄道などの鉄道との連絡がないため、鉄道慣れした日本人としてはとても不便だと感じる。ここから、タクシーに乗って、サートン付近の財団事務所に行く。タクシン橋を渡ったところで、その付近に勤めている方から飲みのお誘いの電話を受ける。すごいタイミングだ。しかし、これからはお寺の関係ところなので、お酒はまずい。どうしよう。そして、3日ぶりに事務所に到着した。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.06
コメント(0)

カンチャナブリのスワンタラナーラーム寺も2日目。昨日のアチャンへのインタビュー、そして、明朝の托鉢の撮影の合間の一日となる。朝8時からの一日一回の食事の後、お寺に使えている方から、約3時間だから山に登らないかとの誘いをうける。そんなことで、山登りに挑戦することとなった。最初は、お寺に使えている方との山登りかと思っていたのだが、どうもお坊さんの一行と一緒に山登りをするらしく、お坊さんについていく。大きな木の下で他のお坊さんと合流タイの仏教では、日本の座禅とは違い、歩く瞑想が主体なのだそうだ。だから、お坊さんは、とにかく歩く。いまは、国によって規制され今は100名ぐらいに減っているが、タイ国内を歩き回り瞑想を続けるお坊さんがいるそうです。旅するお坊さんは、朝、お寺を出て、托鉢に出かけたままそのまま、とにかく歩いていくのだそうです。そして、お寺にたどり着いたら、そこで宿をとり、夜中3時からお経を唱えたりしてから、また托鉢に出て、次の寺に行くという生活なのだそうです。寺にたどり着けないときは、バス停などに泊まるのだそうです。さて、山登りの方ですが。最初は普通の道だったのですが、そのうち、竹藪だったり、獣道になってくる。タイの登山ルートは、雨期、乾期の差がはげしいために、日本のように沢を伝って登るルートが設定されていない。とにかく、お坊さんについていくだけだ。傾斜がだんだんきつくなる。乾期と言うこともあり、山火事の跡の上をあるく。足は墨で真っ黒になる。とにかく、お坊さんは、急な崖も、すごいスピードで登っていく。あまりに竹が生い茂りすぎ、途中、その隊のアチャン(リーダー)を探す一幕も。そうすると、先で休憩して待ってくれています。こちらは、瞑想の基本である呼吸を意識しないと、足が酸欠になってしまう。登山もおそらく、呼吸の訓練とか荒行のたぐいのものなのかもしれない。それにしても、お坊さんには驚かされることばかりだ。裸足で登山をするお坊さんが多いことだ。托鉢も裸足で行うけど、お坊さんの足の裏はどうなっているのだろうか。タイ国内で対抗しようとおもったら、裸足で焼けた砂浜を平気で歩くビーチボーイぐらいかもしれない。それにしても、いつまでたっても、たどり着かない。すでに3時間ちかく経っている。どうも、3時間で登れるというのは、往復ではなく、登りだけの話だったようだ。なんとなく、騙された気がする。垂直に切り立った崖の手前に、目標地点があった。ここには鍾乳洞があったのだ。最初は山頂までいくのかと思ったけど、垂直の崖を見ると、ここが到達地点だと納得がいく。この素晴らしい洞窟を見ると、いままでの疲れが取れるし。往復三時間だとか、片道三時間だとかいう話は関係が無くなってしまう。しばらく休憩してから下山だ。お坊さんはまたもやすごいスピードで山を下りていく。でも、さすがにお坊さんでも危険なポイントもある。こちらは、ずり落ちたりしながら、どうにか山を下りる。ある程度降りたところで、足が酸欠になり、ゆっくりと山道を下る。日没が近づいてきた。動かない足を引きずって、気合いで、車の通れる道にたどり着いた。そのとき、先に下りたお坊さんが、車を呼んできてくれて、わたしたちを積んで寺に戻ることに。それにしても・・・・水分をきっちりとっておくと、昼食をとらなくても、朝の食事一回だけで大丈夫だということです。山登りを通して、呼吸だけでなく、食事のあり方なんかも、気づくものがあった気がします。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.05
コメント(2)
バンムアン工場から、夜行のチャーターバスで移動。バスに乗ったら、いきなり、お経を読み出す。さすが、お寺のバスだ。VIPバスでは味わえない光景だ。通過するタクアパの町は、宴会ムード。そして、スラーターニーに抜けるまでは山道。ラノーン県はミャンマーとの国境が近いため検問が多いこともあり、多くの車がスラーターニー経由をする。バスの出る時間が早まったので、夕食もせずにバスに乗り込んだのでお腹が空く。山越えをすると、バスは平地をぶっ飛ばす。途中、何カ所かでドライブインでトイレ休憩をし。早朝にバンコクに着く。バンコクのサートン南地区のあたりにある財団事務所で一服したら、いきなりカンチャナブリに移動だ。なんと、財団がチャーターしたタクシーでカンチャナブリのお寺まで移動だ。しかもアチャンと一緒だ。しかも4時間ちかくかかるらしい。なんとなく緊張する。タクシン橋を渡ると、BTS南線の延長工事の下を走る。けっこう先まで走っている。これが出来ると便利になる人も多いだろうなあ。それから、とにかくタクシーはぶっ飛ばし。カンチャナブリーの近くで、信号待ちで、止まったところで、バイクに乗った警官がバイクを降りて近づいてきた。警官がヘルメットを外すと、アチャンに対し合掌してました。敬虔たる仏教徒の警官でした。それから、1時間ほどして、午前中のうちにお寺に到着。とっくに朝8時の朝食の時間を過ぎていたので、朝食に当たれないと思っていたら。食事に当たれました。ラッキー。
2007.02.04
コメント(0)

ふとしたところから、いろんなことが起こる。どのアーティストとは言えませんが、あるタイのミュージシャンのCDのジャケットの裏面に、私の撮影した写真が採用されるかもという連絡を頂きました。私の方も、タイ国内で、DVD、VCD発売を目論んでいます。さて、どうなることやら。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.03
コメント(0)

2007年2月3日午後1時より、日本の支援でタイ最大の津波避難所だったバンムアンに「さをり研修センター」が完成し、落成式典が行われました。辺り一面にあった、仮設住宅が無くなり、替わりに新しい研修センターが出来たという感じだ。今までのテントでのさをり織り工房は、暑いし、雨漏りもしたのだが、日本政府から贈られた新しい工場はとても快適だ。今後、私の扱っている商品もここで生産されることになる。式典の方は、タイ駐在日本大使館公使 山田 淳氏、Achan Gavesako師、パンガー県副知事、マーヤゴータミ財団理事長 Patrawan Trakulthong氏、NPO法人さをりひろば代表理事 城 英二氏ほか、100名以上の関係者が集まる中行われた。除幕が行われた看板の前にて草の根・人間の安全保障無償資金協力によって日本政府のお金で作られました今回、研修センターが出来たことで、品質の良い製品が作れるようになるでしょう。式典が終わり、さをり織りのデモンストレーションが行われる今回出来上がった研修センターの他にも、パンガー県の津波復興住宅でもさをり織りが作られています。今回のデモのために、全ての工場からこの式典のために集まってきていて、研修センターは人であふれています。赤ちゃんも式典に参列人気のバッグも検品中式典はいろんな方が手伝いました。式典を支えるタイ人スタッフ中には山岳少数民族の方も・・・とりあえず、料理の量がはんばじゃない現地に住み込み一生懸命ボランティアを勤める若い日本人男性政府だとか、大きな組織だけでなく、小さな個人の力でも支援が行われている。てなことで、今後も、日本国内に商品を紹介してゆきますのでよろしくおねがいします。関連ページ在タイ日本国大使館 草の根・人間の安全保障無償資金協力落成式 日本政府、津波被災地でさをり織りを支援 2007年2月5日さをり広場 2007 2/2(金)~2/6(火) タイ バンムアン・さをりトレーニングセンター(さをりTSUNAMIプロジェクト)オープン!! チェンマイ・ヒーリングファミリー財団訪問 アイデアイースト 津波復興住宅製民芸品この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.03
コメント(0)

今日は、カオラックから足を伸ばして、クラブリからラノーン県内まで行く。レンタカーはさすがに早く、バイクではいつ待て経っても着かないというところも1時間強でつく。クラブリは、最近、レインボーギャザリングが開かれたとのことで、世界中の旅人の間で話題になった町でもある。ここに、NATRというNGOのトレーニングセンターがあるので訪ねてみる。そこに行くと、開口一番に「王子は来ないのか」だった。去年の7月にまだ6ヶ月の王子を連れて行ったのは相当インパクトがあったらしい、インパクトがあっただけに、相方の顔を忘れていて、カヨコのことを7月に行った相方だと勘違いしている人も。今回の目的は、安定した石けんの輸入ルートの確立だ。事務的なお話しはさっさと終わらせて、ラノーン県内にある石けんの制作の現場に行くことに。国道を走り、検問を越え、険しい山を越えたら、そこにタレノー村があった。携帯電話を見ると5本あるアンテナマークの全てが消えている。この町には携帯電話が通じない。村の中心街にその工場があった。日本で人気の手作りハーブ石けんも制作中工房の中はすばらしい香りが充満している。ここから歩いて10分ぐらいの所に美しい海岸があるということで見に行くことにする。すると、途中で、以前お会いした石けんのプロジェクトのリーダー格の方と再会する。すると、開口一番に「王子は来ないのか」またかよ。王子を日本に置いてきたと言ったら、残念がっていました。海に行く道の両脇は、カーシュナッツ畑だ。津波の塩害でもう再生しないと思われていたのだが。2回の雨期で塩が流され、カーシュナッツが復活している。津波でなぎ倒されたカーシュナッツの木も青々としているカーシュナッツの実タレノーの海はとても美しく。ここが2年前に津波にあった場所だとは信じられない。浜にはワタリガニがいる。同行した案内役のオーストラリア人が走ってカニを捕まえに行くカニのハサミに挟まれて玉砕。次ぎに、パクトリアムという復興住宅に行く。ここは、二つの村が合併して出来た復興住宅街だ。要望の高かった、高床式で、風通しの良い素材の壁の住宅となっている。ここでは、草木染めのタイダイを作っている。この花が、この色に染まる。こちらのタイダイもこれから力を入れてゆきます。クラブリを後にして、iTVビレッジに寄り、昨日であった日本人フォトグラファとともにバンニャンに戻ってくる。それからシミランに行ったときから気になっていた、ステーキハウスに行く。ここは、津波でやっと建てたステーキハウスが流されたため、借金だけが残り、この地から移動出来ず。レンガを、ひとつ、ひとつ、自分の手で積み上げ、友達のバーの奥で小さく店を開いてお金をためて、屋根を葺いて、今シーズンやっとオープン出来たという店だ。お店に行くと、お客さんで満杯。苦労が少しは報われたようで、なんかうれしい。タイ人からすれば高級だけど、ホテルより安く、タイでこんなに美味しい牛肉を食べたことがないほど美味しい。しかもボリュームもある。日本では有り得ない店だ。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.02
コメント(2)

昨夜は、カヨコを空港に迎えに行き、深夜にバンニャンに戻り、ツナミクラフトセンターのプイさんと再会し夜遅くまで飲んだが。今朝は早起きして、津波復興の民芸品製作プロジェクト巡りをする。今日は、タクアパ郡のバンムアン、ナムケン、プッティアオなどを廻る。まずは、2月3日の式典の件もありサオリプロジェクトに行く。サオリプロジェクトは早速完成したばかりの研修センターに活動場所を移していた。以前のテントに較べとても快適だ。以前の作業場を覗きに行く。津波の仮設住宅は閉鎖されたため、盛り土によるバリケードを越えて行く。役目を終え人気のない仮設住宅以前、行ったときには、どこか活気が溢れていたのだが、テント村はなくなり空き地が多く、無人の金属製の仮設住宅が立ち並んでいる。タイの仮設住宅を見て感心するのですが、金属製ではあるが、伝統の高床式となっていたり、植物が植えてあるするところが、日本のプレハブの仮設住宅と違う。日本の仮設住宅街ってどこか殺伐としているのは、植物がないせいもあるように感じる。以前のサオリ織りのテントに行く。まだ、資材の一部が置かれている。裏側に回ると、別の民芸品作りのプロジェクトが誰もいない仮設住宅街の中で残されたように行われていた。現在でも約10名を雇用している。隣には、世界中の多くの人がこの地に来て、心のケアをしようと取り組んだ跡が残されていた。バンムアンをあとにして、ナムケンに向かう。入る道を間違えて、思わず美しい干潟に出会う。今度は間違えずに行く。ここは、ココカオ島行くフェリー乗り場のある漁村んのだが。街中に漁船が放置されているので有名である。家の軒先で船が止まっている。あと少しでこの船が家を壊していたかと思うとぞっとする。それと同時に、これらの船が、多くの人を巻き込んでこの場所に流れ着いたと思うともう一度ぞっとする。道に迷ったので、道を聞くと、気の良いバイクタクシーの方が先導してくれて、ペーさんというバティック作家の工房にたどり着く。彼は、いまニューヨークで展示するための作品を制作している。津波から復興するストーリーなのだそうで、何枚ものろうけつ染めで、そのストーリーが語られていく。3日で一枚のペースで、約2ヶ月をかけて作るのだそうだ。ナムケンでの取材が終わり、プッティアオにいくことに。復興住宅が建ち並ぶ。この近くでもバティックが作られているのだが。別件で、津波の孤児が暮らしている施設に行く。ホームビデオに較べれば大型のビデオカメラが面白いらしく子どもが集まってくる。ここには、津波の孤児だけでなく、津波によって親子が離れて暮らさなければいけなくなった子どももいるようです。この施設の建物は、世界中のお金があつまって昨年の12月に完成したそうで、とても美しい。新しい建物とともに、施設のきまりも新しくなったようで、以前とは違い、みんなであつまってちゃんと感謝の言葉を述べて食事をするようになったようです。様々なドネーションによって出来上がった施設だけに、感謝について忘れないことと、今後、運営をして行くにしても、多くのドネーションが必要ということで、このような規律というのが必要なのかと感じました。プッティアオから帰ると、ゲストハウスは、ムーガタパーティ。カヨコが久し振りに帰ってきたということで、みんな集まって盛り上がっています。このゲストハウスのムーガタのスープは独特で、真似の出来ない味です。うまかった。この記事が気に入った方は↓のボタンをクリックしてください ブログを続ける励みになります。また、似たようなテーマのブログと出会えるかも。
2007.02.01
コメント(0)
全24件 (24件中 1-24件目)
1