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宮台氏は続ける。
《とするなら、「全体性」「超越性」「ナショナルなもの」「宗教的なもの」「神秘的なもの」を、単に冷笑したりバカにするようなやりかたでは、逆に…キッチュなナショナルに惹きつけられていく危険に対処できなくなるのではないか。「それは嘘だ」「インチキだ」「フェイクだ」「虚構だ」「つくられたものにすぎない」なんてことをいくら言い募(つの)っても、「脱呪術化という呪術」の圏内に人々を包みこむだけ。オボコイ潔癖主義を却(しりぞ)けつつ、比較的無害な範囲内でどう具体的なコミュニケーションのなかに「全体性」や「超越性」をとりこめばいいのか。それが問題なんです》(神保哲生・宮台真司他『天皇と日本のナショナリズム』(春秋社)、 pp. 238f )
※キッチュ:低俗なもの、悪趣味なもの、陳腐なものなどを意味する。
脱呪術化が 呪術 化し、これをまた脱却する「脱・脱 呪術 化」が必要だというような話は、「 呪術 化と脱 呪術 化」の堂々巡りに陥ってしまうだけだ。絶対と相対の平衡が崩れ、相対化が過剰となれば、物事の価値が雲散霧消してしまって、虚無主義という蟻地獄に落ち込み、二度と這い上がれなくなってしまうだろう。
《基礎論によってつなぎとめられていない場合には、個別の学説はいわば相対主義という名の思想の海に漂流する羽目になる。現に相対主義の思想は、今世紀を彩る基本的な色調であり、この世紀末に至って、その色彩がますます濃くなっているといわざるをえないのである。
ここで相対主義というのは、真理とは常に相対的なものであり、絶対の真実などはないといい切る立場のことである。真理は、それをいう人の立てる前提に依存して様々でありうるというのである。もちろん、この相対化の作業それ自体は、間違いでないのみならず不可避でもある。どんな仮説もいかなる理論も、それぞれに固有の前提をおき、それに応じた論理展開と意味主張とをなさざるをえないわけであるから、真理は相対的なものだといってさしあたりよいのである。
本来、人間の主張するいかなる真理も懐疑にさらされざるをえない。それはいずれ新しい真理の主張にとって代られるほかないのである。学問も科学も常に仮説でしかない以上、永遠の真理を僭称(せんしょう)することなどできはしないのである。
しかしながら、懐疑だけが過剰に動員された場合はどうなるであろうか。たとえば1から10までの真理の主張があるとして、そのうちのどれか1つをとらなければならないということになった場合、どうすればよいのか。なぜそれは3番めの主張であって、8番めではないのか。これまでは、パースがいったように、「固執の方法」、「権威の方法」あるいは「先天的方法」のいずれかに頼り、つまり科学とは縁遠い基準によって、どれか1つを選んできたのであった。しかしそれは、相対主義とは逆のものであり、軽信という名の低俗な絶対主義にしかすぎない》(西部邁『新学問論』(講談社現代新書)、 pp. 94f )

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