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《自称左翼においては、ある種の共通前提への帰属が、あいかわらず自明の前提になっていて昔ながらの左翼的な言説でいけると思っています。ところが、共通の前提が消えてしまったと感じる者たちも大勢いて、「なぜその範囲内での再配分なのか」と疑念を表明する、グローバル主義的な新しい左翼が出てきます。他方で、こうした新しい左翼に抗(あらが)って、「だったら非自明化した共通前提をもう一度人為的に自明化させようじゃないか」という、再帰的なタイプの新しい右翼も出てきます。(神保哲生・宮台真司他『天皇と日本のナショナリズム』(春秋社)、p. 241)
「現実を前提とした左」を「右」に見る人達が登場し、さらに「現実を前提とした左を右に見る人達」を「右」に見る人達が登場する。後出しじゃんけんで「我こそに正義あり」と名乗り出る人が後を絶たない。
《ところが、頭のいい思想的な連中は、新しいタイプの左翼や右翼に自覚的にコミットできますけれども、大半の人々にとって「共通前提の非自明化」は不安と不信の源泉です。この人々は不安と不信でオロオロオタオタしていますから、古いタイプの左翼や右翼にとっても、新しい左翼や右翼にとっても、政治的動員の草刈り場になります》(同、 pp. 241f )
ではどうしたらいいのかが語られなければ、ただの無責任な評論にしかならない。ここまで人を腐(くさ)すのであれば、それに見合った建設的な意見や建言が付されるべきであろう。
《歴史学的にはナショナリズムの出発点は、絶対王政に対峠する国民公会(フランス革命時の1792年、普通選挙によって誕生したフランス議会)への参加的動員を果たすための「われわれ」意識の動員だったと考えられています。その意味で、もともとナショナリズムというのは、民主主義とほとんど同義です。絶対王政の如(ごと)き国内的支配や、帝国主義的拡張にいそしむ外国の脅威から、「われわれ」の共通財産を守り、それによって「われ」を守るというかたちだった》(同、 pp. 246f )
フランス革命は、結局は、「暴動」に過ぎなかったと考える私には、このような解説はただのこじつけにしか聞こえない。「ナショナリズム」は、民衆を扇動するために作られた「謳(うたい)い文句」であり、「民主主義」は、民衆の暴動を正当化するための「屁理屈」である。
《そこでは、ドメスティック(国内的)な国家の脅威と、インターナショナルな外国の脅威とは、「われわれ」を纂奪(さんだつ)するものとして、等価に感じられていました。いま、そんなふうに感じる日本人はほとんどいません。それほど共同体的な「われわれ」のケツの毛を、国家にむしられてしまっているわけです》(同、 p. 247 )
おそらく宮台氏とは違った意味であろうが、今の日本人は「脅威」というものに対して鈍感になっていると私も思う。
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