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□ 第七十七話 「無抵抗な私に成るには?!」 今は日曜日のお昼前、行きつけの「いまじん」という大きな本屋で注文した本を手にし、直ぐ帰るのがもったいないので、書店中央にある勉強机に陣取り、ノートPCを広げ、今週の気づきを書くことにした。 そういえは、1週間ぶりの日記書きである。 今週変わったことは、メルマガを書かなくなったこと、日記も同様である。その代わりにやっていることは、朝のジョギングだ。 水曜日の朝から始めている。 雨が降ったらやれないし、時間が無かったらやれない・・・ せっかく朝の「時間」という制限から解き放たれたのだから、私の意識から「時間」の制限を取除くこと・・・ 私が変わったことは、“私が時間がない”と意識をしたら、それを逆に即やってみることにしたことだ。 すると、「時間」が私の制限でしかないことが分かるのだ・・・考えたり、忙しがっていると、「時間」の制約から脱することはできない。 私が先週まで考えていたのは、時計の24時間・・・物理的な時間だった。 しかし、私が『ノッティングヒルの恋人』を観て感じたことは、心理的な時間の感覚だった。 それは、“忙しがっている”という心の制限、 それが、「名札付けられた私」だ。■ この状態の私は、いつも抵抗する。 せっかく借りたDVDも、観ることができない有様である。しかし、私は昨日と今朝、またしても『ノッティングヒルの恋人』を観た。 私が抵抗するものを片っ端から、やってのけたら、私はドンドン軽くなる。私が付けた名札が一枚一枚剥がれ落ち、あらゆる制限から、一定の距離を作り出すことに成功する。 それが、「心のゆとり」だ。 『ノッティングヒルの恋人』で、相手役のウィリアムが(ヒューグラント)が、アナスコット(ジュリアロバーツ)に、こういうシーンがある、『そんなもの、笑いとばしちまいなよ!新聞記事は、翌日はもう~ゴミ箱だよ!』「心のゆとり」という「心理的な時間」は、私が過去や未来に対するこだわりの心のことだ。 そこには、人の評価や、過去との比較や、未来予測も無い・・・何も無い・・・ あるのは、「今、ここを楽しむこと」 ■ 今朝、私は暴露をすると、自分でもまだまだ抵抗があることが分かった。 今朝も4時起で、アイロンをかけながら、映画を観て、お世話になった方にお手紙を書いて、そろそろ“走ろうか!“という時間になった。 私は走る前に、まだ続けている腕立て伏せを済ませておきたかった。しかし、今朝は「830回」の回数に抵抗して、“ちょっとその前に、坐禅瞑想でも”といって、2時間も寝てしまった。 この抵抗から決めたことは、明日から「朝起きたら腕立て伏せをする」だ・・・ 私の抵抗がなくなるまで、それをやり続ける。そこに、私から逃げるような意識が働かなくなるまで・・・ 私の中にある抵抗を感じて、片っ端から逆に意識として、それを朝の先頭に持ってくる~ 皆さん、いかがでしょうか? 私が今朝抵抗した腕立て伏せは、私が600回以降に腕が震えて苦しむ私を数分間の時間へのささやかな抵抗だったのです・・・ ■ 今朝の気づきは、「私に時間を与えないこと」 想像上の精神的時間を取除くことだ! 先週末に、ある方とお話しをしたことを今、思い出した・・・『どうして、成功する人と失敗する人があるのか?』 それは、「時間には物理的な24時間以外に、心理的な時間があり、心にゆとりがある状態でイメージできたことは、無制限だから、結果的に結論からスタートできるのではないのか?」と・・・ 夢や目標・・・ いくらそんなものを描いても、最後は「私」という制限が登場し、その道を遮断してしまう。 いつも、計画や目標をだめにするのは。私なのだ。 だから、「私」を知らないと、いつまでたってもかけ引きが続き、エンドレスのゲームが続くのだ。 「本当の私」は母から産まれた瞬間の状態。もう正確には記憶は無いが、恐らく無限界、無制限の状態であったはずだ・・・ 私にも、あなたにも大切な事は、大きな目標や夢を描くことではなく、「私」と「本当の私」の違いに気づき、毎日を「私」に付けられた「名札」を外すことにコダワリを持つことである。 「気づき」が、本当のあなたなのだ・・・■ 「無抵抗の状態」こそが、あなたの目標や夢を叶える泉なのだ。 私事であるが、私が今向っているのは、「時間」である。 もしかすると、この「時間」こそが、私をむしばむ最大の名札ではなかったのか? 今、私の前には「PLEO」(プレオ)という癒し系恐竜が50cm四方の透明なカプセルに入れられている。 大人は誰も見向きをしない・・・しかし、特に幼児は興味をしめし、本当の恐竜だと思っている。幼児には良い意味での制限がない。 これぐらいの幼稚さで、どんなことでも取り組めたら、それを“できない“というイメージをすることが難しいのだ。 「無抵抗な私に成る」 それが、今の私の目標なのである。(8月30日 午後1時執筆)
2009.08.31
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□ 第七十六話 「映画『ノッティングヒルの恋人』からの気づき?」 昨日のメルマガの挨拶にも書いたけど、日曜日夜7時から、豊田ICからちょっと中央道よりにあるサービスエリアで、『ノッティングヒルの恋人』というジュリアロバーツ主演の映画を観ました。 皆さんも、こんなことってありますよね・・・ 人から薦められて、またネットからの噂で、DVD(映画)を借りてきたけど、時間に追われて観ないで返したこと・・・ 私は今までも、何回にありました。・・・って言うか、半分ぐらいそうなんですよ!(汗) 高山の友人が、ミクシィーのノッティングヒルのコミュニティーに入っているのをみたので、『あの○○さんが入るぐらいだから、相当面白いんだろうな・・・よし、明日借りてこよう・・・』 そんなノリで、6日前に借りてきて、ズットカバンの外側のポケットから顔を出していました。 トイレ休憩に入ったときの私の正直な心境は、『明日の朝までの企業研修資料の提出期限がギリギリなので、映画に2時間は無理だなぁ~』と時間に追われていました。 しかし、私は最近の企業研修で、『物事に優先順位をつけて、一つづつ実行しなさい。できないものは、切り捨て、高いものから行動すんだぞ!』と偉そうに言っていたのです。 ■ 話しが飛びますが、私はこの数日前、親しくしていたお客様先に、約束の時間を30分も遅刻していったんです。“親しい方だし、連絡は事前にしたし、問題ないよね!”とたかをくくって、事務所へ行きました。 すると、○○さんが、感情的にならないで、こう言ったんです。『三宅さんの今朝のメルマガに、“有言実行”とありましたが、今朝は違いますね・・・』 私は、『本当に申し訳ありません。以後、気をつけます・・・』とても恥ずかしくなりました。 その日も、メルマガ執筆までは決めた時間通りだったのですが、Yシャツのアイロンができていなかった・・・ そのアイロンで15分遅れた・・・ そんなバカな言い訳はできまませんから、恥ずかしさで一杯でした。しかし、○○さんだって、私に対して勇気を出して言ってくださったのです。 ■ そして、私はそれから数日考えたんです・・・ 『朝の時間にやっていることで、お客様にご迷惑がかかるなら、それは私の優先順位がそもそも間違っているんじゃないのか・・・』 私は、私が正しいと思ってやり続けてきた「メルマガ執筆」や、そのための「読書」そして最近始めた「日記」執筆自体が、実は既に優先順位が低いことに気づいていないのではないのか?、と・・・ 私がメルマガでお金を頂き、生計をたてているならまだしも・・・ そもそも、私がこだわっている「朝のメルマガ執筆」って、前日の夜でもいいんじゃないのか? それに、「平日毎日(日刊)」なんて、「私がこだわっているだけ」じゃないかって・・・ そんな淡い反省のような、疑問符を一杯つけながら、数日を過ごしておりました。 そして、日曜日にも、○○さんと午後から仕事の打ち合わせをして、夕食をご馳走になって、家路を急いでいました。■ 「時間」 私は、「時間が大切」だと、朝は4時から仕事へ出るまでの4時間前後の時間の中で、お決りの作業を、過去4年間続けてきました。 自分で選んでいたのですが、「優先順位」というより、「私のお決まり」というか、「習慣」となっていました。 しかし、お客様にご迷惑を掛けるようなことや、またそもそも「朝のお決まり事」が、平成21年9月を目前にして、果たして優先順位が一番高いのか?と・・・ そんなことを思いつつ、またしても、「時間」を意識しながら、『ノッティングヒルの恋人』を観始めました。 しかし、しばらくすると私は、この映画の一部になり、ノートPCの画面の中に入っていきました。 すると、「時間」という意識がなくなり、私は男優のヒューグラントになりきっていました。 ■ ヒューグラントふんする「ウィリアム」が、ジュリアロバーツふんする「アナ」と一夜を共にして、それがメディアにスクープされたとき、こんな言葉を言ったんです。 『今この場が良ければ、それでいいじゃないか・・・何も気にしなければ、問題ないよ・・・』 しかし、大女優のアナは気が動転して怒って帰ってしまったのです。そして、紆余曲折があり、最後はハッピーエンド・・・私は映画を見終わって、車内で「時間」について感じていました。「時間に追われるのではなく、時間と一体になり、溶け込む。時間の浪に乗る」 すると、私は浮き上がり、とても良い気分になる。私のエネルギーが最高になり、その意識が私の今を変える。『一番大切なものを、今、優先するんだ! 過去の延長じゃなく、習慣じゃなく、今、一番大切なものに、朝一番のもぎたてのフレッシュな時間を注ぎ込む。何をやるのがイイ点数なんて無い・・・今の気分が最高なものを選ぶんだ!』 ■ その瞬間、私は車内で決めました。「明日からの朝の時間は、一番やりたいことや、私を待っていてくれる人のために使う!」ってね! そしたら、一日最高の気分でした。 人に良く思われるとか、そんなことではなく、今、三宅勇が最奥だと思えることに、優先順位を決めて、一機に集中する。24日の夜、ワクワクして一機に書き上げました。『ノッティングヒルの恋人』 ~キーちゃん・・・最高でしたわぁ~(チュ!) (8月24日 夜10時半執筆)
2009.08.25
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□ 第七十五話「一つを極めるとは?」 昨夜、名古屋で『論語』の巻第一に関する勉強会を実施し、論語512の章(詩)の内、40の詩を学んできました。 今朝は、その名から現代に活用できるエッセンスをご紹介してゆきます。 孔子は明確に、「学ぶ」と「考える」を規定しています。 まず「学ぶ」は、周王の道を師から教えを請う。また、書籍を通じて研究することです。「考える」は、自分の頭で、自発的に思索することです。 そして、“「学ぶ」と「考える」を上手く組み合わせながら、積み重ねてゆくんだよ“と教えています。 ■ 孔子の代七十五代末裔である「孔健」という方の書籍で、現在の中国経済界のリーダーの勉強熱心は尋常ではない、と紹介をしていました。 日本人の「学ぶ」は、大学入試、また大学・専門学校の卒業までです。 しかし、私も含めてですが、本当に学んだ知識を活かすのは、社会に出てからです。 本番は社会に出てからですから、本気で社会に出ていたら、更に疑問や壁に出くわすわけです。 すると、更に考えて、悩む。 だからこそ、社会人になればそれ以上に現場からの危機感が伝わり、それを超える道を自ら考えるようになる訳です。 ■ 私も例外ではないのですが、現在の私たち日本人は、毎日の忙しい勤めに圧倒され、それを紛らすための他愛ない娯楽以外には何も考えなくなってしまっているのではないでしょうか? 「会社を良くするには?」、「社会を良くするには?」などを、真剣に考えなくなってきました。 もう10年も前のことですが、私は資格試験の学びを一生懸命、行った時期がありました。 現在も一部には熱心に学んでいる人もいるのは事実ですが、その学びが「知識」の学びで止まっています。 これは、学校進学の知識となんら変わりがありません。 大切なことは「資格を取る」ことだけではなく、その知識を社会に活かし、活用してゆくことです。■ 「論語読みの、論語知らず」 孔子は、人間の本質や人格の見分け方を教えています。 それは、「相手の行動をみて、その行動の原因を知って、その行動を支える信念が分かれば、人の本質は見分けられる」、と教えています。 孔子は74歳で他界するまで、「実践の人」でした。 コンサルタントにありがちな、言葉だけで有能さを示す「弁舌の徒」ではなく、率先垂範、有言実行の人であったのです。 そして、やったことを言葉にしたのです。 私たちが孔子のような聖人になることはできませんが、それに近づくことはできるはずです。 ■ それには、「一つに通じること」=一つを極めることです。 孔子は、周の国の忠義と礼楽を学び続けたのです。 是非、皆さんにおいても、“やること“は何でもイイですから、何か一つを極めて下さい。 孔子は30歳のとき、「礼」に関する知識が無いことと、それが活かされていないことに気づき、10年間一日も欠かさず、「礼」の一点を学び、自己を建設してきました。 すると40歳でようやく迷わなくなったのです。 そして10年が過ぎると、天命というものを知っていることに気づきました。そして、魯の国の政治に携わり、指導を続けてきました。 しかし、魯の天子は人の目ばかりを気にしてとうとう変らなかった。 ■ 孔子は魯の国を去り、諸国遍歴の旅に出ました。そこで、あることに気づいたのです。 それは、自分が信念と思っていたのは、実は信念ではなかったという事実であった。 自分で、“信念、信念”などと言ってたのは、信念をまだ自らの外側で意識している証拠だったのです。 真の信念とは、それを口に出さず、それと一体となったときの状態であると分かったのです。 すると、一切がありのままに自らの心に映り、孔子はこれを「耳に順(したがう)うの境地」と呼びました。 孔子は60歳にして、天地人、過去現在未来を誤りなく捉えうる境地に達したのです。 しかし、まだまだ無駄があり、一歩一歩に自我が宿っていることが分かりました。 それから10年、意識をして自然に振舞い続けました。すると、もう無駄も誤りもなくなった状態になりました。 ■ それは70歳を超えた時点だったのです。 これが「矩(のり)をこえず」という状態なのです。「こえず」とは、もう考えずに、のびのびした心の自由と一体になる状態を指します。 孔子は天才ではなかった。努力の人でありました。 不遇の幼年期を過ごし、15歳から自ら進んで学びだし、実践の後に言葉を創る生き方を一日も欠かさず貫いた人であったのです。 「一つを貫くこと」 何でもイイから、今日からまず一歩を踏み出すことです。そして、それに集中し、その習慣と一体になるのです。 それには、一日、1回づつの積み重ねをおいて他には答えは無いのです。 いつ来るか分からない~一生涯のゴールを、今日の悔いない実践で燃やし尽くしてゆきたいのです。■ 「一つを極めるとは?」 それは、今を感じ、今、目の前の事柄に全力投球することです。 過去を顧みず、未来を憂えず、ただ今に集中する・・・ それが、私が極められた状態・・・「今、ここにある」なのです。(8月21日 執筆)
2009.08.21
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□ 第七十四話 「“気づき”に、気づくには?」 今朝は、久しぶりに書く内容が浮ばなかった。そんな時は、15分を計って横になり、チョイ寝をするといつもなら浮んでくる。しかし、今朝は浮ばない・・・ デスクにある詩やメッセージ集をペラペラとめくって、きっかけの言葉を捜すが、一向に浮んでこない。『こんな時に、ちょっと成長できるんだよ!』 そんな言葉を口にすると、そこにスペースができた。『アッ!俺の名札だ!しまった、ひっかかった~』 急いでデスクに座り、キーをたたき出す。するとどうであろう・・・やっぱり浮び出てくる。「浮んでくる」のを待つのではなく、自分から浮ぶのだ。最初はダメでもいいから、浮んだ気になる。考えてみても浮ばないものが、動き出すと浮んでくる。 ■ これが、私がいつも口(文字)にしている、「考える」と「感じる」の違いである。 「考える」と浮ばない。「感じて、動く」と、その動きが浮びであることが分かる。「自分の弱さを認められない人は、人の優しさには気づけません」 今朝読んだ本に、こんな言葉があった。“私は弱い“と認めると、あなたが”私だ”と思い込んでいる「あなた」に、ホンの小さなスペースができる。 人はいつも強くない。その弱さに向き合い、“私は弱い”と認める。 すると、本当の私の回りにオブラートのような膜があることが分かる。それが、スペースである。 そのスペースの救いは、オブラートをオブラートだと分かることである。「オブラートが私だ」と考えたり、悩んだりしだすと、悪い意味での「私と感情」の一体化となる。 本当の私と感情が同一化して、はがれないような気になってしまう。 ■ 私の本当はいつも一定だ。 勝手に動くことなく、浮き沈むこともない。沈んでいるのは、オブラートで、それが感情である。「感情」は、小さなことに反応し、浮き沈みを繰り返す。でも感情は、私の核心ではなく、単なる包みなのだ。 今朝、改めて分かったことは、「浮ばないと感じたら、即書き出せ!」だ! これが、「私が気づきいた」という状態である。 私、そしてあなたが、これからの人生で大切な事は、この「気づき」を、生かされている中で、何度となく経験してゆくことだ。 今朝の私のように、“浮ばない”と悩んで、横になっていても、浮んでこないのである。 浮んでこない時が、チャンスの時なのだ。苦しい時、逃げ出したいとき、病気にかかったとき・・・ そんな時に、どう想うかで目の前の景色が一変する。■ もし私が難病にかかって、それに絶望し、人生から逃げ出すことを選択することもできる。 しかし、それは本当の私の核に、「難病」という事実が横に、チョンと置かれただけだ。 病気と同一化してしまうこともできるし、悩んでおかしくなることもできる。こんな時に、「私は試される」 私という核と、私に降りかかる状態という事実は、別物なのだ。 今朝の私は試され、気づき、そしてこの時に感謝する。いつか私も病気になり、動けなくなるときがくる。 だからこそ今、この瞬間から目をそらさず、私という核と私の包みとしての感情に正面から向き合う。 すると、ピンチこそが私磨きのチャンスで、更なる神秘る世界を見ることができる入り口に立てたことが分かる。そんな悩みの包みを剥ぎ取ることができるのは、当然、今の私しかいない。 過去の私ではなく、未来の私でもない。今、この瞬間の私が、この今をどう感じるかだ! ■ だから、私は同じ動きを毎日繰り返す。 朝4時に起き、淡々と繰り返す。繰り返す力が、私なのだ。 そして、今朝のようなときに、明日からこうつぶやくことが出来ることに気づいた!『今朝は、私の成長のチャンスだ!今日、生かされて、ありがとう。そして、いつまでも素直でいくぜ!』 だからこそ、全ての感情と正面から向き合うことである。 そして、それがオブラートという「包み」であることを感じること。すると、私という核と包みの間にスペースがあることに気づくことができる。「気づき」 それが、本当の私(あなた)。気づきは、たった一つ。 一つの気づきが、一点となり、無窮の可能性を開く。気づきは、私しか感じられない。だから、私は今朝も経験する。留まらず、今を歩き続ける。(8月20日 執筆)
2009.08.20
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□ 第七十三話 「どうしたら、気分がよくなるのか?」 最近、自分の目標が現実に叶いだしてきました。『何故だろうか?』少ない脳みそで考えてみました・・・ すると、数日前、友だちから届いた携帯メルマガを思い出しました。『新しい習慣、新しい意識が継続するように受け取り続けて、古い意識が元にもどそうとしても、新しい方向や変化を受け入れ続けること』 自分でも納得しました。 最近の私は午前4時の起床が板についてきました。3月末までぐらいは、午前3時起きでしたが、これは無理があったようです。 最近は例外なく、週末でもいつでも~目覚ましが鳴る午前4時前に目が覚めるのです。 っていうか・・・いつも早く寝ているだけなのですが・・・本当に小さなことで、言葉で説明はできないのですが、一言でいうと“気分がイイ“(できるじゃん) ■ 昨日も瑞浪市という2つ隣の街の方(Fさん)と夜にあって、二人で以前身に付けたテクニック(勉強)のおさらい会をやってきました。 Fさんは女性で、私と同年代です。Fさんが、開口一発こう言うのです、『あのねぇ~今朝5時に起きて、掃除したら、とても気分がいいのよ!』 また、先日ある経営者(Sさん)の方とお話しをしました。『ちょっと不安なんです・・・今週も時間がなくて、新規の営業ができなくて・・・』 私は言いました! 『簡単ですよ!目標を紙に書いて、“大丈夫”って言って下さい。大丈夫ですから!』 するとSさんが、『でも、どうにも不安が消えないんですよ。目標の件数、訪問できない気がしてきました』『それって、取り越し苦労ですよね・・まだ来ても無い事実を勝手に決めている・・・大丈夫ですよ!』と、私。『正直、そんなに簡単に信じられないんですよね・・・紙に書いたくらいじゃ!』と、Sさん。 ■ 話しを戻しますが、Fさんは私が午前4時に起きていることをずっと前に知って、“私も早起きします!”って言ってはいたものの、中々それができなかったのです。 しかし、それが1週間前からようやくできるようになった・・・だから、Fさんはただ、気分がイイのです。 Sさんは、心配事が頭から離れず、心配症に掛かっているのです。両者の差は何か? それが、答え! 簡単、「やっているから、ワクワクしている。やっていないと、ザワザワしている」 ワクワクは、新しい習慣を身に付けた私から出る呼吸音です。ザワザワは、古い習慣のままの私が出す呼吸音です。 以前も書きましたが、「私」は昨日まで私だと思っている価値観の塊です。 その塊である「私」は、危険を冒したり、冒険したりはしません。「繰り返す」 これが、「私」の専売特許です。 ■ また、「私」は特に朝一番に登場し、新しいことを阻止します。『もっと寝てよ! あと5分、あと10分、大丈夫! 大丈夫だから・・・会社は無くならないしさぁ~』 皆さんも経験ありませんか?(笑い) そして、「私」のお決まりは、「挑戦」のときにやってきます。『やめとけって・・・無理、無理だからさぁ~だいたい意味は何? メリットは何? もっと考えてさぁ~。ゆっくりやりなよ! まず考えよう!』古い習慣のままの私と、新しい習慣の私を一発で見分ける方法・・・もう皆さんならお分かりですね!?「気分がイイか否か」 気分が良くなるためには、何が必要ですか?私に届いた携帯メールですよ!「古い意識が元にもどそうとしても、新しい方向や変化を受け入れ続けること」 ■ いつもの繰返しですが、私たちの目の前の成果は、例外はあるにせよ、「私の習慣の産物」以外にありません。「絶対できる」と思い続けて行動を継続したら、1日目には気づかなかった手段や方法が、4日目には浮んできます。 正確には、何日目かは分かりませんが、そういうものなのです。 それは、「宇宙の仕組み」です。 いつも言いますが、高額なセミナーに長期に渡って出席し、難しい計画書を作り出す必要もなければ、困難な古典をひも解き、理解会得する必要もないのです。 ただ、“大丈夫、全ては上手く行くに決まっているから”と何の疑いもなく思えたとき、私たちの「叶う」という軸が、宇宙の軸に一体となるのです。 宇宙はただ一定の速度で、何の不安を思うことなく、いつもの回転を繰り返しているだけなのです。 ■ 昨日も書きましたが、最後は“一体となり”、意識も無意識も無くなります。 こだわりも、固守もなくなり、小川のせせらぎや、小鳥たちのさえずりのように、主張がなくなるのです。 森が主張しますか? 空が主張しますか? 私がただ、こだわっているだけです。 何に? 過去の私という「古い習慣」に気づかない間に、捉われているだけなのです。 だったら、今朝からはもう古い私は捨てて、新しい意識としての私になって、こう言いましょう! “大丈夫、全ては上手く行っているから!” そして、その状態と一体となるまで、過去という名札を「私」からはがしてゆくのです。 すると、ワクワクして軽くなり、気分が良くなってしまうのです!(8月19日 執筆)
2009.08.19
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□ 第七十二話 「何によって、私を磨くのか?」 夏休みの一日、朝から図書館が閉まるまでの間、『論語』に関する書籍三冊をまとめました。 一冊目は、『論語物語』(下村湖人・著)、二冊目は、『論語に学ぶ』(安岡正篤・著)、三冊目は、『何のために論語を読むのか』(孔健・著)でした。 特にお薦めなのが、『論語物語』です。東大の文学部を卒業した下村湖人は、一生涯を論語研究に捧げ、孔子の教えを愚直に実践した人でありました。 他の「論語」に関する解説書にもない、創造力豊かな物語は、読むものを魅了し離すことが無ありません。昭和13年の出版から、既に71年の歳月が流れています。■ 「論語」は、合計512の章(詩)から構成されています。『論語物語』は、この中から20の章を、湖人がその章(詩)の背景を想像し、物語にしたてています。 今回私がまとめたのは、第一章からの40の章でした。『論語物語』には、第一章からは3つの物語が紹介しています。 その中で、今の私に通じる・・・もしかすると読者の皆さんにも通じる、大変意味深い物語がありましたので、今朝は、その紹介を通じてメッセージとしてゆきます。 その章は、「論語」の最初の篇「学而」の十五番目にあります。「子貢曰。貧而無諂。富而無驕。何如。子曰。可也。未若貧時樂。富而好禮者也」(子貢(しこう)曰く、貧にして諂(へつら)うなく、富みて驕(おご)るなきはいかん。 子(し)曰(のたまわ)く、可なり。いまだ貧にして楽しみ、富みて礼を好む者にしかざるなり) 日本語訳をすると、『子貢がいった、「貧乏であってもへつらわず、金持ちであってもいばらないというのは、いかがでしょうか。」 先生は答えた、「よろしい。だが、貧乏であっても道義を楽しみ、金持ちであって礼儀を好むというのには及ばない』となります。■ ただ、『論語物語』以外の解説を読んでも、その漢字の意味であったり、通り一辺な語訳でしかなく、全然イメージが湧いてこないのです。 しかし、湖人はこんな物語に仕立てているのです・・・「子貢は、相当にお金儲けには自信があった。孔子先生の第一の門人である顔回や、ナンバー2の子路にも、お金儲けなら負けない自信があった。 子貢は、“今日こそ先生に自分の存在を意見として認めてもらおう“と勢いづいて、先生の自宅へ向っていた。 貧乏な家に生まれた子貢は、人一倍努力し、誰にへつらうこと無しに、今の位置に上り詰めたのだ。 今日の先生の話は短く終った。子貢は、ここぞとばかりに先生に質問した、『私は、このごろ貧富に処する道について、多少考えもし、経験も積んできたつもりでありますが、貧にしてへつらわず、富んでおごらないというのが、その極致で、それが実践できれば、その方面にかけては、まず人として完全に近いものではないかと存じます』 ■ すると先生は言った。『お前が、ここまで誰にもへつらわず、お金を手にしてもおごることがなかったのは、私が一番知っているよ。でも、お前が、へつらうとかおごるということに意識を向けているのは、まだお前の中に、へつらう心や、おごる心が残っているからではあるまいか?』 子貢は、もう孔子をまともに見ることができなかった。『最高の状態は、結局は「貧富」を超越することなんじゃよ・・・貧富を超越するのは、貧富を天に任せて、ただ一途に道を楽しみ、礼を好むということなのだよ・・・ 顔回(がんかい)にはそれができる。彼はさすがに賢者だなぁ。そこまで行くと、貧にしてへつらわないとか、富んでおごらないとかいうことは問題ではなくなるんだよ』」 孔子が2500年も前に、子貢を前にした言葉にできない情景が、ありありと浮んできませんか? ■ 私がまだ「お金」に執着を持つことや、「正しさ」に固守するのは、私の中に考え方としての「貧しさ」があり、行動において間違いがあるのだと、感じました。「私、私、私・・・」、「正しい、正しい、正しい」、「お金、お金、お金」・・・ 私や正しさやお金が悪いのではありません。あることに、私が気づいていないことが問題なのです。「あること」とは何か? それは、“私の意識がそこに固定されて、心から今を楽しんでいない“という事実です。 それに気づきさえすれば、それが「気づき」であり、その気づきこそが、「本当の私」なのです。 すると、私とそれまでの私の間に、小さなスペースができるのです。 これが「意識する」です。私が「私」と呼んでいたもの、また私が「正しい」と思ってきたこと、そして私が「お金儲け」に固守していたことの間に、溝ができるのです。 ■ この瞬間、私のそれまでの価値観が一枚だけはがれて、私は身軽になるのです。 “身軽になろう“と思っても駄目なのです。今の私と向き合い、「私は正しにこだわっている」とか、「私はお金にこだわっている」と認めることから始めなくてはいけないのです。 「私」という核の上に、意識という思考が重なり、私が勝手にそれと一つになっているだけなのです。 子貢であれば、「私は誰よりも勝っている」という意識は、核である「私」に乗った思考であるから、それを意識できれば、それ以降は固守せず、今を楽しみ、自らを磨いてゆこう!、と身軽になることができるのです。 私がこれからの勉強を『論語』にしたのは、偶然かもしれませんが、とても良かったと想いました。 まだまだ私の中には、固守する私があるし、それを指導してくれる師が居ないからです。また、今日から『論語』を師として、実践をしてゆきます。 「論語読みの、論語知らず」とは、学問として「論語」を身に付けて、人の為に使わない愚か者を指します。 そんな愚か者にならないように、今日を一所懸命、楽しみながら、一歩づつ前進をしてゆきます! 「何によって、私を磨くのか?」。 それは、今日の実践です。実践が、私にとっての~生きる教科書なのです。(8月18日 執筆)
2009.08.18
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□ 第七十一話 「どうしたら、成功できるのか?」 7月26日、アメリカ女子PGAツアーの「エビアン・マスターズ」で宮里藍さんが、アメリカに単身乗り込み、3年半を掛けて初めて栄冠を勝ち取りました。 私は、同じ日本人として誇らしかったし、とても嬉しかったです。 その時、7月はじめに藍さんが日本で出版した『I am here(アイアムヒア)』という本を出版していることを知った。 ネットの「アマゾン」での評価では、最高5点に対して「3」点と厳しい評価であったが、私の勘で、行きつけの本屋に注文し、夏休みに読んでみました。 ■ 結果は・・・ 私の直観通り~私が今、求めている答えに通じる素晴らしい内容でした。彼女は、アメリカ2年目~たった一球のティーショットがトラウマとなり、大スランプに陥りました。 練習もできない、ツアーにでても全て予選落ち、最後にはクラブが持てなくなり棄権してしまいました。 それまでの彼女を支えていたのは、「ゴルフの技術(メカニック)」でした、 正しい技術を追い求めれば、必ず成果はついてくる・・・ 彼女は高校生で日本女子プロの大会で優勝し、プロ第一戦では初優勝した、プロの中でも希な「天才」的なセンスの持ち主でした。 その彼女が、アメリカ2年目で大スランプ・・・ ■ 彼女は、アメリカでピンとリンというメンタルトレーナーに出会いました。 二人の女性が創った哲学がありました。それが、「ゴルフ54ビジョン」「全てのホールでバーディーを取ることができる。そしたら、スコアーは54になる」という理論なのです。 通常私たちは、『そんな事は不可能だ!』とあきらめてしまいますが、それは今までの言葉を借りれば、「私が名札をつけたから」となります。 藍さんは、昨年3週間、運よくピンとリンのトレーニングを受けることができました。 彼女たちの教えは、ゴルフの小難しい理論を教えることではなく、自分の中にすでにある最高の部分を引き出す指導だったのです。 そして、藍さんは分かりました・・・『技術ではなく、自分のフィーリングを優先したい』 どう打つかではなく、どれが一番自分にとって気持ちがいいのか?を、リズムで感じたのです。 そうです!「心地良いテンポ」が大切だと気づいたのです。 ■ 藍さんは言っています、 『54ビジョンからの気づきは、自分がいかに固定観念や先入観に縛られていたのかを知って、目からウロコが落ちる思いでした』 皆さん、いかがですか? 私が常に言っていた、「イイ気分」でしょ!(笑い)また、ピンとリンの哲学は、私自身にも大きな気づきを与えてくれました。 それは、選手がコーチに依存するのではなく、自分で考え、自分で行動するプレーヤーになることを支援することが、私には必要であることでした。 また、私が再確認したのは、私の自己目標の最初に書いてあるものです・・・「私は、わたしに携わる人たちの隠れた能力に気づきを与えて、心に灯をともすことを支援することができる」 私は毎日、午前4時に目を覚ますと、真っ先にデスクに座り、現在13ある「自己目標」をいつものメモ帳に全て書き出し、その情景と一体になっていました。 ■ さて、話を藍さんに戻します。 彼女は自分の性格をこう分析しています。「不安症」「不安」とは、未来に対する漠然とした心配ごとです。 彼女は「54理論」に出会い、それまでの自分の大切な心が、過去や未来にばかり分散し、今に無いことに気づいたのです。 『過去でも未来でもない、「今」に自分を置くこと。これがナイスショットを紡ぎだす大きな鍵です』 また彼女は、「一打一打のフィーリングを大切にすること」が要因となり、良いスコアーという結果に結びつくこと、感じることができたのです。 「I am here」=私は、今、ここにいるんだ!■ 本書は、藍さんが今年のオフに日本で話した内容を、ライターの方が編集をして、その半年後の7月に出版をしました。 優勝した7月26日の、7ヶ月前です。 7ヶ月前~藍さんは、最後のページで、こう述べています。『スランプになって泣きながら試合を棄権し、その後もずっと辛くて辛くて・・・でもあのとき、やめていなくてよかった・・・・ いずれアメリカで必ず優勝します!』 私はこの瞬間、安岡正篤先生の言葉を思い出しました・・・「天才とは、要は努力の天才なり」 陰があるから、日向がある。今朝の夏空は、長い梅雨があったからこそ、光輝くのです。■ 「どうしたら、成功できるのか?」 もう語る必要はありませんね・・・「石の上にも三年」「私は、今、ここにいる」目の前の人に、目の前の事柄に、一体となる。 その今こそが、既にあなたの成功の一部なのです。(8月17日 執筆)
2009.08.17
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□ 第七十話「まず、歩き出すとは?」 昨日夕食後、『まず歩きだそう』という本を読みました。 著者は、女性で始めて「日本物理学会・会長」になった、米沢富美子氏です。 あまりの迫力に、時間を忘れて読みきってしまいました。 昭和32年、京大の物理学科へ入学。その後、イギリスのキール大学へ留学。その直前に結婚・・・ その後も、大好きな物理学を学び続け、憧れの湯川秀樹師を師事しました。 平成17年、ロレアル・ユネスコ女性科学章を受賞されました。 ■ バイタリティーの塊である米沢氏をささえる、「人生モットー」が、5つありました。少々ご紹介します。 1、「自分の能力に限界を引かない」 米沢氏は、大学在学中にイギリスの30の大学の学長宛に、自分を売り込む手紙を送りました。 その結果、2つの大学から「学費・生活費免除、少々の奨学金を出す」という条件を引き出し、留学を果たしました。当時は私が生まれる更に前ですから、女性が海外へ結婚後に留学するなどとは、考えも付かないはずです。 しかし、米沢氏はそんなことお構い無しに、実行したのです。 もし自分で、『女性だし、お金が無いし、無理だよね・・・』と名札を付けていたら、それは出来なかったのです。 「自分の能力に限界を引かない」。 それは、正に「自分で“ダメ“という名札を付けないこと」です。■ 2、「めげない」 結婚後、留学、帰国後、3児を出産・・・昭和40年初めですよ・・・米沢氏の座右の銘は、「若いときは、借金してでも勉強せよ」です。 どんな苦難に出会っても、絶対に愚痴を言わず、それを肯定する癖を身に付けたのです。 そして、“こんなことで、私がめげるか!”といつでも、自分を鼓舞しました。「前向き思考」の極致ということが出来ます。■ 3、「優先順位をつける」、4、「集中力で勝負する」 三人の子どもを育てながらのさなか、米沢氏は研究員の安い給料で「時間」を買いました。 今で言うベビーシッターを雇い、家政婦さんを雇い、研究のために時間を捻出してきました。 米沢氏が述べていることを、今から書きますよ!それは、私が最近述べたことと、同じことを言っているのです・・・ 『本当に成し遂げたいことを紙に書きだし、順位を付ける。そして、順位が高いものから達成にむけて動き出す。高い目標に絞り込み集中する。低いものはあきらめる』 私は正直、ここが言いたかったのです。(自慢~) 私のようなマイナー選手が言うと、真実味が低いのですが、これほどの権威ある方が言っていることですから、相当の確からしさがありますよね!(笑い) ■ さて、ここからが大切ですよ・・・ 最後の一つ・・・ 6、「まず、歩き出す」、です。 米沢氏はいつも、「出口から問題を考える」そうです。入り口で、やろうか?やるまいか?をウダウダと悩むのではなく、まず行動することです。 そして、こんな信条を述べています、「何も考えないで、歩き出してしまい、歩いた後でも何も考えない」 世界に通用する人の発想に私は、笑顔がこぼれてきました。(笑み)『よし、俺も行こうか!』 今日からの私に、一段と拍車が掛かってきた。■ 「まず、歩き出す!」 私は、今日という一日にこう宣言しました。 この一言で、私は勇気づけられ、新しい発想がたくさん浮んできました。 今からの私に、もう待ちきれないほどです。さて、今日は何処へ歩きだそうかな・・・「何をするか」ではなく、「どんな気分で、今を生きているか」だ! 私は、まぶたの奥の美しい景色を見て感じる。 あなたは、今日から何処へ歩きだしますか?東ですか?西ですか? それとも、あなたが創った世界ですか?■ 「まず、歩き出す」とは、プカプカ浮んで、自由になって、今、感じた方向に一歩を踏み出す勇気です。 繰り返しますが、「何を」ではなく、「今のあなたの状態」だ・・・「今、ここに在る」 心地良い今。何にも影響されない、森の中の泉。「まず、歩き出す」 あなたが一番力を得るのは、今、現在。 だから、あなたの前への一歩に、限りあるエネルギーを使うのだ!(8月14日 執筆)
2009.08.13
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□ 第六十九話 「名札付けをどう活かしたらイイのか?」『なんで、私は日記を書くのかなぁ?』そんなことを、昨夜フゥと想いました。 それは、私の目標の一番にある、「私に携わる人たちの隠れた能力に気づきを与えること」のためです。 今日は通常「お盆休み」ですが、人の役に立つために私を磨くことに休みはありません。 また、私が努めているのは、こんな時に“本当に楽しいなぁ~”と感じられる私になることです。 しかし、「努めている」のですから、正直まだまだなんですね・・・ ■ さて、今朝は最近よく使う「名札付け」についてキーをたたいてみます。 この言葉を知っているのと、知らないのとでは人生に相当の開きが出てきます。大変に「気づき」を伴うキーワードです。 私の住む多治見市は夏に気温が上がることで有名な街です。地形が盆地なので、いつもの時期ですと、クーラー無しで寝ることは少々困難です。しかし、今年は本当に助かっています。 昨日の多治見は結構好天でしたから、私が寝る時間、二階にある寝室は結構温まっていました。 私は二階へ上がってゆきながら、『今日はクーラー無しでは、寝れないかなぁ・・』と口づさみました。 これが、「名札付け」です。 ■ 昨日も朝食前に、腕立て伏せをしました。 回数が結構多くなってきたので、以前のような勢いというか、スピードを上げてやり切ることができなくなってきました。 ですから、最初からそれほど腕を折り曲げたりせず、スピードはゆっくり進めてゆきます。 スピードが遅いですから、それだけ体力の消耗が早く、100回を越えた時点で、こんな弱音が聞こえてきます。『今日ははじめて、途中リタイヤかなぁ~』 これは、私の過去の習慣からくる「名札付け」です。 ■ 最近、私は自分が口にする言葉や行動に、 『それって、名札?』と質問をします。すると、そのほとんどが私のつけた「名札」であることが分かりました。 能力も体力も、その限界を決めているのは、私です。いつもの繰返しですが、あなたがいう「私」は、名札をぺたぺた付けたあなたなのことです。 私は、今の状態である私を良い意味で疑うのです。 腕立て伏せが残り200回、両腕がガタガタ震えて、“もうダメ・・・“と思いかけても、それを疑います。『いやぁ~その震えは、あなたの弱気という意識が震わせているんですよ!』 正確にはそんな冷静に分析できませんが、私は最近~徹底的に“ドM”になりきっています。 私が「一日42万円の企業研修の内容を、2009年8月末までに創り上げる」というのも、実は私のお金に対する「名札付け」への挑戦なのです。『そんなの無理でしょう・・・マイナーなあなたが、どうして42万円ももらえるの?』 ■ 私たちの一番の敵は、私自身なのです。 ライバルでも、お客様でも、市場でもありません。私が決めた「名札付け」という行為が、私をその場に止めているのです。 「生きることは、昨日までの私を一つ越えることである」 以前、『リトルブッダ』というブータンの生まれ変わりをテーマとした、ベルトルッチ監督の映画をDVDで繰返し見ていたシーンを思い出しました。 高僧であるラマノルブ師が、主人公の子ども達にこんなことを言う光景です・・・ 『目に見える全ては、消えてなくなるのです。このお寺も、そして私たちも・・・これを、「無常」と呼びます・・・』■ 「無常」 私たちは本来、留まることの無い存在です。生から死へと、今日もまた明日も、進み続けています。 しかし、私たちは留まっています。それは、「意識」が「私」を創り、「不安」の対極にある「安定」を目指して、一点に留まらせているのです。「不安」とは、何か? 未来が見えないこと、病気、リストラ、いじめ、天災、もめごと、老い、競走、挫折・・・ では、それらを誰がそれとして決定をするのでしょうか? それは、「私」・・・「私」しかいない。 ■ いつも、「私」が名札を付ける。 感情がマイナスになることは、全てに~“不安だ“と名札を付けてきました。私、三宅勇は、今、決めました・・・『何を?』 私の肉体もどうせ私もあの世へ行くのだから、今日は今日しかいできない挑戦を、今日の内にやってゆこう! そう決めました。『私が抵抗することには、徹底抗戦だ!』 なんだが、「一人戦争」の様を呈してきました。「本当の私」が、「私」をぶっ潰す、誰にも迷惑をかけない平和戦争・・・ 抵抗にであったら、ラッキー。結果はどうであれ、ハッピー。 だって、今日も一つ昨日を越えることができたのだから! さて、今日お盆・・・私は何を越えてゆこうか・・・ (8月13日 執筆)
2009.08.13
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□ 第六十八話「どうしたら、時間とお金から解放されるのか?」 先日同年代のFさんとお話をしました。Fさんはこんなことをしきりに言っていました。 『自由になるお金と時間が欲しいのです。それがあったら、いろんなことができるのですが・・・』 皆さん、どうですか? Fさんの言葉に、何を感じますか? Fさんの言葉は、実は私もズット~想っていましたら、同感しました。 しかし、私はFさんの言葉を聞きながら、その場にいることがとても温かく、こんな感覚に包まれていました。「今、ここに在ること。それだけで十分・・・」■ 「自由になるお金と時間」 それが何処にあるから、私たちはそれを望む訳です。では、それらはいったい何処にあるのでしょうか? 以前の私はこう考えていました、『まず仕事が忙しくなって、収益があがって、そして余暇ができて、自由が手に入る・・・』 皆さんは、どうお感じでしょうか? 私はFさんに、私が今、感じている感覚をこう述べました。『私は、今、あなたとお話をしていてとても心というか、腹の中が温かいのです。 以前の私はあなたのように、努力をしていれば、“いつかお金と時間がやってくる“と考えていました。 しかし今、感じるのは、“今、ここで、十分”なのです。 誰とも比較しない、競走しない、今、ここであなたとこうやってお話している、今が、嬉しいし、温かいのです。 これが、「気づく」という状態ではないでしょうか・・・ 私が感じることですが、あなたが欲するものは、“いつか“という未来にはなく、今、ここで居ることが、豊かな時間であり、お金を越えた豊かさである、と感じられることから湧き起こる”何か”という、あなたの心の状態にあるのではないでしょうか? ■ 今、ここで“豊かさ“を感じられない人は、以前の私がそうであったように、未来には豊かさは無いはずです。 あなたが、“今、ココに在ることが、なんとも言えず、心地良いのです“という状態になることができて、初めて、今が豊かであり、自由であるという新しいあなたが始まるのではないでしょうか?』 皆さん、感じていただけますか?「分かる」とは難しいことです。「分かる」ためには、経験するしかないのです。せいぜい、感じられるまでです。「言葉」とは、制約です。 正に限定です。しかし、言葉や文字で表現をし始めたら、それはコダワリになります。 ですから、本当は、何も無い、空に浮ぶ雲みたいな感じだと想うのです。 ■ Fさんのようなことを想っている方は他にも多く居るはずです。 だって、ちょっと前の私がそうだったのですから・・・では、どうしたら、それらが手に入るのでしょうか? それは、“今、ここに私は居る“その状態を感じていることです。 皆さん、覚えてみえますか? 私が先週名駅でフリーハグをしたとき、「時間」という意識が無くなった瞬間のことを・・・ 私が、『7名とハグするまで、絶対帰らない!』と決めたとたん、「時間」という意識が無くなり、私は声となり、その場の空間となり、その場にいたのです。『エッ?!誰がいたの?』か、ですか・・・「本当の私」がいたのです。 時間という価値観が剥がれ落ちた私です。私は身軽になり、プカプカ浮きあがっていました。 恐れも無い、比較も無い、時間も、何の制約もない、無限定の意識・・・ ■ 私は、「意識」という気体になって、浮んでいたのです。 さて、そろそろ残り半ページです。今朝の結論です。「どうしたら、時間とお金から解放されるのか?」 それは、あなたが「今、ここで、あなたが望む意識の状態になること」です。だから、「今、ここに私は居こと」 苦しかったら、苦しさの中にすっぽりと入る。そして、「私」が解けるのをじっと待つ。 『もう、解けたなぁ~?』『エッ!まだ残ってる・・・芯みたいなものが・・・』 それが、あなたです。プカプカ浮ぶ、あなたに問います・・・■ 『自由になる金と時間は、何処にありますか?』『それは、今、ココです。今と未来はつながっています。 だから、今、私はプカプカ浮き上がって、とても楽しい気分になれば、そこに全てはあるのです』と、あなた・・・ 私たちは、未来の私ではなく、「今、ここに在る私」を感じなくてはいけないのです。 それを感じるには、あなたが「私」と呼ぶあなたの意識を静かにして、内なる力を観ていることです。 その力とは何でしょうか? それは恐らく、「無」だと想うのです。 私たちは、この無から生み出され、この無制限の状態から、今と未来を創造できるのです。 夏休み・・・あなたの「無」に向き合ってみたいですね! (8月12日 執筆)
2009.08.12
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□ 第六十七話「どうしたら叶うのか?」 今朝私が、“よし、そろそろ日記に向おう!”とした直後、大きな地震が起こりました。(静岡地方の方に、被害が無いことをお祈りしております)考えてみますと、人生とははかないものです。もし、私がこの地震でタンスの下敷きになり、あの世へ行っても、誰にも気づかれないのです。 人に気づかれないならまだしも、自分にも気づかずこの世から離れなくてはならないのは、本当に“淋しい“の一言です。 そんなことを思いながら、机に座っていると、「叶う力」という言葉が浮んできました。 これは今年の1月、石川洋先生の『叶う力』という本を拝読し、覚えた言葉です。 即興とひらめきで、今朝は~「どうしたら叶うのか?」についてキーボードに尋ねてゆきたいと思います。朝のひと時、しばらくお付き合いを下さい。 ■ さて、そういえば私は長期研修会から戻りました6月10日以降、毎日欠かさずやっていることがあります。 それは、3週間を掛けて勉強して創り上げた「自己目標」というものを、毎朝メモ帳に書き出し、それを唱え、経験していることです。「経験をする」とは、その状態と一体となり、想像上で感じることです。今日で丁度、3ヶ月が経過しました。 私が持ち歩いている「致知手帳」の最初のページに、下手な字で12コの目標を現在書いています。 その中にこんな目標があります。「私は既知の方から、本日以降、毎月仕事のご紹介を、2件頂くことができる」なんの根拠も、脈絡もありません。 7月の初めにこの言葉がひらめき、手帳の8つ目に追加しました。それが昨日達成されました。一つは、親友でありお客様でもあるH様からお友だちの会社の「従業員研修」に関する依頼を頂くことができました。 昨日、また別の方から講演の依頼を頂きました。私は最近、早起き、日記執筆、またメルマガ執筆を通じて強く感じることがあるのです。 それは、“根が生えてきたなぁ~“と感じるのです。 ■ 私が考えて言っているのではなく、ただそう感じるので では、『宝地図』でも、様々な成功哲学で教える「計画や目標設定」などでも、“書いたら“叶うのでしょうか? そうではありません・・・ もし書いて叶うなら、高額なセミナーへ行った方は全員、詳細に書いた目標を全て達成しています。 それなら、唱えたら叶うのか?と質問がきそうですが、それも不十分です。 私が感じる、今現在の答えは、「目標という言葉と一体となり、人の役に立つ現場を創造すること」です。 私利私欲が悪いのではありません。 私の12コの目標には、「1年以内に、本を3冊出版して有名になり、社会を明るく、元気にする」とい目標があります。 私が“有名“になって、誰にも迷惑をかけるものではありません・・・ また、私の行う企業研修の一日の値段を8月末までに“42万円にする”という明確な目標があります。 これは、私の目標です。値段が42万円だから、私は必死になります。休みもなく、夏休みも無くても、私はこの目標に没頭することができます。 もしこれが、“今の値段のまま“という目標や、”2020年までに“なんて~先の目標だったら、今・ココに情熱を傾けるエネルギーも出て来ないのです。 でも、値段や年数を入れるだけでもダメだと想うのです。 ■ ここからは自画自賛的になりますので、読み苦しい点がありましたら、最初にお断りをして謝罪をしておきます。 『申し訳ございません・・・』 改めて、皆さんに質問です。『あなたが、一番ワクワクすることは何ですか? また、何をしているときですか?』 皆さんは、何と答えられますか? 私はこう答えます。「私に携わる人たちの隠れた能力に気づきを与え、心に灯をともすことを支援する」ときに私は、一番のエネルギーを感じるのです。 要は、人に対して「役立つお話しをしているとき」に一番ワクワクしているのです。 今のワクワクは、私の一番最初の自己目標です。ですから、今週もひらめいた方16名に、ワープロを打って、『あなたは、こんなことをすると、モット良くなりますよ!』とメール便を発送しました。 まったくの勝手であり、もしかすると、クレームになることだったあるのです・・・ ■ しかし、大丈夫です。私が直観したことは、間違いはありません。 何故なら、私たちは「無」とい一点でつながり、森羅万象の全てと結びついているのです。 ですから、私がひらめいて行うプロセスが、私の「叶う力」なのです。 繰り返しますが、こんなことを結果を考えて、やっていたら到底できないのです。 感じたら即動くから、できるのです。結果がどうであれ、私の我欲は燃焼され、どんどん身軽になり、「無」という限界のない、制限の無い「何か」に近づいて行きます。 その何かが、「気づき」なのです。気づきこそが、「本当の私」なのです。 ■ そろそろ、お開きです。今朝の結論です・・・「どうしたら叶うのか?」 それは、「私」という結果を気にする塊は横に置いて、一番ワクワクすることを、感じて行動してゆくことです。 すると、私の中に一点が開き、泉が湧き出てきます。私たちが一番ワクワクするのは、人の役に立っているときです。人は自然からそう仕組まれて生かされているのです。 それに、一日でも早く気づき、信じる一歩を踏み出すことです。 すると、全ては自然の循環となり、叶いだしてしまうのです。自然とはそういうものなのです。(8月11日 執筆)
2009.08.11
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□ 第六十六話 「どうしたら、許せるのか?」 先週ある場所で、子どもさんが小学校一年生という女性の方とお話をする機会がありました。 1年半近く顔を存じている程度の関係でしたが、こんなことを言ってきました。『私、今悩んでいるんです:』と彼女。そして、『何ですか?それは?』と私・・・『子どもの三者面談で、学校の担任から、ある時間を決めたテストをやったら、私の子どもは出来が悪く、その悪い理由は、家庭環境にあると決め付けられて、とても嫌な想いをしているんです。 私が昔、学校でいじめにあって、それがトラウマになっていて・・・』 ■ 私はその場では特別なお話をしませんでした。 帰宅後、『どんな言葉をかけてあげたら、彼女は少しでもよくなるのかなぁ~』と、想っていました。 そして今朝、この日記の機会で彼女への言葉を感じてみました。 彼女の想いと一緒になり、経験をしてみました。すると、こんな答が浮んできました・・・「許すこと」 彼女が気にさわったのは、担任のテストの点数だけを見て、自分の子どもや家庭環境を詮索されて、指摘されたことです。 その感情と一緒になり、担任が許せなくなったのです。 一旦人は感情的になると、冷静さを失い、意識的でなくなってしまいます。もし、彼女がこんな風に意識できたら、そんな問題にはならなかったはずです。『担任の言葉にも一理ある。しかし、私はテストの点数や、担任の言葉には惑わされない・・・ だって、私の子どもにはすごい可能性があるし、未だ見ない才能がある。私は人の意見を受け止める。しかし、全てを受け入れる訳ではない。 私は、私の信じる道を一歩づつ進む。』 ■ 私(三宅)ができるか?という問題は横に置きますが、過去へのエネルギーへの集中を解除することです。 それには、「今、ここ」を感じることです。子どもとの団欒、子どもの健やかな成長、そして目の前の笑顔・・・ 教育でも、未来でも、もし答があるとしたら、それは過去のマイナスのエネルギーには断じて無いのです。 あるのは、「今、ここ」です。彼女は、自分の幼少の頃を思い出し、「不安」になったのです。 その不安が彼女に抵抗をさせているのです。だからこそ、嘘でもいいから許すのです。 恐らく担任を許す理由とか、許せるポイントをいくら探しても見つからないはずです。 ■ 以前も言いましたっけ・・・(書きました?)「幸せは探してはいけない」って・・・幸せは、今、ココで感じるものです。 読者の皆さんも、今、私のつたない日記を読みながら、“私って幸せだなぁ~”と感じていますか? もし何か不安があったら、これから言うこと(書くこと)を意識してみて下さい。 繰り返しますが、「許そう」としても許せないのです。 でも、感情的になって、いつまでも~私たちの憎い相手にエネルギーを集中しても、何の役にも立たないのです。 冷静に考えてみれば、そんなことをしても、誰一人幸せになれない・・・ そこに気づくことです。■ 「気づき」 それは、私たちの制限も限界も無い状態です。 許すことも、愛することも、慈しむことも・・・全てはこの気づきから端を発しているのです。 その気づきが、真のあなたです。感情とは、私たちの成長と共に備わった付属品~価値観です。 そんな付属品は、どうでもよいのです。 気づきさえすれば、私たちはもう分かったのです。いつもの繰返しですが、感情に捉われている「私」は、「本当の私」ではなく、世間体を気にし、過去のエネルギーに捉われた、価値観の塊です。 だから、「許すこと」を考えるのではなく、感情的になることには、何のメリットも無いと気づけば、それが許しと同義なのです、 私たちが敏感に反応する言葉や、行為は、実は私たちの中にもある資質なのです。 ですから、反応するのです。無いものだったら、感じないし、ひきづったりはしないはずです。いつも他人を批判する人は、人に批判されます。 ■ そしてその無意識の連鎖に気づかずに、一生涯、ラットレースのように周り続けるのです。 そろそろ、今日の結論です。「どうしたら、許せるのか?」 それは、「自分の中のマイナスのエネルギーは、愛や幸せを生む力にはならないと気づくこと」です。 そして、“その通り”とうなづけたら、もうそれで許しているのです。それは、相手や過去のトラウマではなく、今の私を許したのです。『もう、争わなくてイイよ! 全て、大丈夫だから・・・』今朝から、新しい私が始まる。 (8月10日 執筆)
2009.08.10
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□ 第六十五話「あきらめない、とは?」 昨日の仕事帰り、1ヶ月ぶりに名古屋駅で「フリーハグ」を一人でおこなってきました。 今朝は、そのときに私が気づいたことについておはなしをします。昨日は、1ヶ月前よりスタートが1時間以上遅れました。 日没の午後7時までには、約40分しかありませんでした。私は、今回のハグの目標をスタート前にたてました。「前回より1名多い、7名とハグをすること」 私の中には、2つの制約というか、自分で勝手に名札を付けていることがありました。 それは、一.日が沈むと、ハグのボードが見えなくなるので、ハグをする人は居なくなる。二.元気な声を出さないと、人はハグの存在を知らないから、ハグをする人は寄ってこない。 ■ 私は名駅の派出所の横にたった瞬間から、大きいな声を出しました。『今日は、フリーハグの日です。8月6日はハグの日ですよ!仕事帰り、飲み会前、デートやコンパの前でも、直ぐにハグですよ!』 私のエンジンは直ぐに、前回の盛り上がった状態に簡単になることができました。 しかし、調子にのりすぎて最初から大声を出したので、30分もたたない内に、声がかれてしまいました。『いやぁ~まいったなぁ~』 もう日も沈み始め、だんだん辺りは暗くなってきました。私は心の中で想いました・・・『今回は、結果は0(ゼロ)だなぁ~』 本来、「ハグを楽しむこと」がハグの目標なのでしょうが、男として「ゼロ」はいけません・・・■ 『一人ハグができたら、今回は帰ることにしよう!』 私はかすれた声を思い切って出してみました。すると、微かに声が通行する人に聴こえるほどに出てきました。 すると、薄暗い通りから外人の若い女性が、『ハグしましょう!』と声をかけてきました。 私は、『やったなぁ~』と想って、『ありがとう』と言って、彼女を抱きしめました。 もう、辺りは暗くなっていましたが、私は欲が出てきました・・・『もう一人ハグをしたら、帰ることにしよう・・・目標は、10分以内・・・』 時間は、午後7時になっていました。 辺りは暗く、街頭がつきだしていました。私が、勝手に付けた名札である「暗くなったらハグをする人は居なくなる」の状態に突入しました。 ■ 私は昨日の研修会で、「私と本当の私」というお話をしました。「私とは、三宅勇が勝手に名札を付けた価値観の塊である」 私は、名駅でハグをする前に、「暗くなったらハグをする人は居なくなる」という名札を付けたのです。 私は気づきました。『“暗いとハグをしてもらうことはできない“っていうのは、俺が付けた名札だから、本当はそんな制限は無く、私が勝手に持っている価値観なんだ!』 すると、私は更にスゴイことに気づきました。それは、「時間」についてです。 私はスタート前には、「40分」にこだわっていました。それは、日が沈むまでの時間でした。■ 次には、「切りの良いところで、1時間」を意識していました。 暗い中でも、ハグをしてくださる方は続き、合計で4名に達しました。私は声を30分ほどは出さずにおりましたら、のどの調子がよくなり、また声がでるようになってきました。 すると、3ヶ月前にあるセミナーで知り合った森田さんが、やってきました!『エッ!三宅さん、本当にハグやってるんだ!ハグしようぜ!!』 私は決めました・・・『よし、7名まで絶対やろう!』この瞬間、「時間」という私が意識し続けていた「限定」が消えたのです。 何処から消えたのでしょうか? それは、「私の意識」から消えたのです。時間とは、私が意識していたのであり、「名札」だったのです。すると、フランスから来たという若いフランス人がハグをしてくれました。 私の意識から「時間」がなくなりましたから、私は目標と一体になりました。 明るい時間の半分ぐらいに通行人は減っていましたが、私は薄暗い名駅で、かすれた声を出し続けました。 ■ すると、通過した女性が、『頑張ってね!』と言いながら両手を広げて引き換えしてきました。(7名達成!) 派出所の時計を見たら、午後8時20分でした。 昨日も午前3時半に起床し、研修中も昼ごはん以外は、ずっと立っていましたから、身体は相当疲れていました。 しかし、「疲れた」ということも、私の“名札だなぁ~“と分かったのです。 今回私はハグという事柄を通じて「目標」を立て、それに向って前向きに行動を起こしました。 そして、私が意識する多くが、私が勝手に付けた「名札」であることに、気づくことできました。「気づき」とは、私の中に限定や限界がどんどん境をなくし、「無」に近づいてゆく様なのです。■ 「あきらめない」 それは。歯をくいしばるとは違うのではないかなぁ~、と感じました。もっと簡単で、誰でもできることのような気がしてきました。「あきらめない」とは、良い意味で「私」を疑い、「本当の私」からのメッセージに素直に耳を傾け、そして工夫を重ね、今を経験し尽くすことです。 昨日は、正に「新しい経験をした一日」でした、「あきらめない」とは、時間という限定に捉われず、「目の前の事柄に没頭し、一切に制限をとっぱらい、今を感じること」だと気づきました。 『今日もまた、新しい経験ができたらイイなぁ~』経験が私の重たい価値観という衣を、また一枚脱がしてくれるのだから・・・(8月7日 執筆)
2009.08.07
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□ 第六十四話「どうしたら、不安がなくなるのか?」 私の企業研修会の模様をご紹介します。 15名前後を2つのグループに分けます。そして、それぞれに用紙を配ります。そこには、こんな質問が書いてあります。「あなたの会社(店舗、事務所、部署、グループ等)の問題点を5つ書き出してください」 さぁ~皆さんも、机にある白紙に、直ぐに書き出して下さい。大きな問題も、とっても小さな問題でも~何でもOKです! たくさんあたったら、10個でも20個でも書き出してください。5つ以上の場合は、それに順番を付けて下さい。できましたか? ■ 次に、それぞれに、更に3つづつの「問題解決に対する私ができる具体的に行動」を書き出してください。 例えば、問題の一番が「お客様数が減少している」だとしますね・・・ その場合、私ができることは、一.以前の顧客リストからやめていったお客様に一日3件電話して、何が 悪かったのかを聞いてみる二.会社に近くに、一日30件だけ、手作りチラシを早朝、ポスティング する。三.既存客にアンケートを取って、現状の問題点を聴きだし、即反映させる。 まぁ~私だったら、即こんなことから手を付けてゆきます。「事務所や倉庫が汚い」が問題点だったら、私が毎朝30分早く来てきれいにする。 また、昼休みを10分間、倉庫の掃除に当てる、とかやれることを見つけ出し、即動き出すことはできるのです。 ■ 私たちは総じて「評論家」です。 会社や部署の悪い点なら、どれだけも上げることができます。 私たちは、日本の政治だって、地方行政だって、何でも評論できるほどです。 しかし、その時間と頭脳があるのだったら、どうして私たちは、その改善策を考案し、それを即行動に移さなかったのでしょうか? 私自身の反省でもあります・・・ 仕事だけではありません。 私たちの生活全般における「不安」があったとします。 私たちは、訳があったり、訳も無い「不安」に出会うと、シクシク考え出します。 そして、その不安という塊は、勝手にドンドンとエネルギーをふくらませ、拡大してゆきます。 その不安が勝手に拡大しているのでしょうか? また、何か悪い細胞のように増殖しているでしょうか?いや、そうではありませんね・・・ 私が勝手に妄想して、ただ在っただけの事実を、自分で勝手に大きくしているだけなのです。 では、どうしたら、その「不安」を解消できるのでしょうか?それは、先ほどの「仕事における問題点」と一緒です! ■ 「不安の事実を全て書き出す」 ポイントは、“すっきりした”と腹に落ちるまで、出し続けることです。そして、仕事の問題点でも、個人的な不安や弱点でも、ここからは一緒です。 まずは、それぞれの「重要度」や「優先順位」を決めます。 そして、24時間の時間を分配します。仕事だったら、部下や上司を巻き込んで、誰が何をやるかを決めます。 要は、エネルギーを分配するのです。 そして、最後は「一機に行動すること」です。 もし、一人だけでやるなら、やれることは限られますから、冷静に問題点を書き出したら、即行動してもイイですね。 「私が決めて、私が即行動に移したら、一つは必ず良くなる」 これは、事実ですよね・・・二日やったら、2つ。三日やったら、3つ・・・365日やったら、365つが良くなるのです。■ 「行動家」 私たちは、口より先にまず行動です。その行動を習慣に昇華し、意識と行動を同一化するのです。 昨日、『安岡正篤 人生の法則』を仕事へ向う車の中で読んでおりましたら、スゴイ言葉に出会いました。 この言葉は、安岡翁が42歳前後のとき、よく講演先で若い方に言っていた言葉を、側近の林繁之氏が本文で紹介していました。脂の乗り切った頃の安岡翁は、 『有為有能の人材となる大理想を持ち、大努力をせねばならない。 大努力をなすには、当然自ら苦しまなければならぬ。苦しんで開拓したものでなければ本物ではない。 人並みの努力をしたのでは秀(すぐ)れた者にはなれない。 秀れた者になるためには、人に数倍の努力と苦労をしなければならない。 人の寝るところは半分にし、人の食うところを半分くらいにしても、努力するところには十倍も二十倍もやるだけの元気がなければならぬ。(中略) まかり間違って死んだりすれば、本望ではないか・・・』と、言っていたそうです。 ■ 私は反省します。 仕事の良し悪しではなく、私は大努力をしたのか?と・・・その努力の中に、喜びを覚えるほどに没頭をしたのか?と・・・ よし、それなら今日から大努力をしよう!今日を楽しみ尽くそう!やり尽くそう!「どうしたら、不安がなくなるのか?」 即、問題や不安を書き出し、即行動するだけです! 私という意識が。行動と一体となるまで・・・ (8月6日 執筆)
2009.08.06
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□ 第六十三話「何かとは何か?」 皆さんに質問があります。『あなたが、一番幸せを感じるのは、どんなときですか?』それぞれ3つ答えて下さい。 私、三宅勇が一番幸せを感じるときを3つ上げてみます・・・1.人を元気にするために、人前で自分の考えた話をしているとき。2.新しい企業研修の内容を静かなところで、じっくり考えているとき。3.世界の秘境ツアーのガイドを見て、自分が行っている光景を目を閉じて 経験しているとき。 ■ では、また違う質問です。『あなたの目標は何ですか?』 どうですか?なかなか出て来ませんよね?! よく、「夢を持とう」とか、「目標を持とう」とか言いますが、社会人の方に先の質問をして、無理やりなら出せないことはありませんが、いつも夢や目標を手帳に書いて歩いている人は、皆無に近いはずです。 しかし、最初の質問のように~「一番幸せを感じるのは?」とか「ワクワクするのは?」なら出てきます。 男も、女も、若いも、老いも、賢いも、賢くないも、誰でも長い年月を生きてきて、何かに触れて、幸せを強く感じたり、ワクワクしたりの経験の一回や二回はあるはずです。 そんなことの一回も無い、という方は無いはずです。 そんな何か一つを見つけ出し、それを横糸としてみるのです。そして、今という目の前のことを縦糸としてみる。 生きることとは、「何か」に出会うことです。 しかし、夢や目標が即答できないように、「何か」を即答することなんてできないのです。また、「何か」は言葉にもできない。ただ、感じる存在。 ■ 私も含め、現代人は何でも言葉や形式にはめたがる。 夢や目標は、具体的であればあるほど、叶えるスピードが高まることは確かなことだ。しかし、「何か」は別だ。「何か」の特徴は、「自分のため」というときより、「人のため、社会のため、未来の子ども達のため」という「他人のため」のときに、湧き起こってくる。 例えば、マラソンやバレーボールの応援。 自分がやっていると、苦しい。 例えば、腕立て伏せを100回、ゆっくりやったら、相当に苦しい。正直、逃げ出したくなる。 最近、私は風呂に入る前に、ゆっくり100回の腕立てをやっているから、よく分かる・・・ 全然~ワクワクなんてしない。充実感も無い。ただ、風呂に入る前に、洗面台のガラスに映るムキムキしてきた上半身を見て、、“ニコッ“とする程度だ。 要は、自分だと当事者だから、“どうしよう“という迷いや不安が先に立ち、ワクワクなんて、思えないことが多いはずです。 ですから、私たちの「何か」は、自分のためというより、「人のため」になるとよいのです。 ■ 昨日も仕事の合間に、『安岡正篤 人生の法則』を読み返していました。 安岡翁に40年間連れ添った林繁之氏が、師匠からのメッセージを一言集約していました。それは、「一灯照隅」『学の要は一灯行だよ。 たとえかすかなものであっても、静かに片隅を照らして、何かお役に立つということが、本当の人間学だよ』 (P48 参照) ということは、私たちが人生を生きる目的である「何か」との出会いは、「何かお役に立つ」の「何か」なのではないのか? では、「何かとは何か?」 それは、「今、ここでの、あなたの行」 今を今として感じ、ただ行うこと。ワクワクは、その方向が他へのお役立ちに向う時に起こる様だ。 ただ無心で、昨日を越える一点の行動となる。「何か」は、行動そのものであるから、何も感じない。「何か」は、一灯行。 まず自分の足元を照らす。その足元が、他人の足元を照らす。 だから、いつも私たちは、私たち自身を照らすもの。■ 「何か」の核は、当然、「私」 「私」は、正確には「本当の私」「本当の私」は、ただ在る。 「何か」は、留まることではなく、踏み出す「一歩」だ。 だから、私は今朝も踏み出す。しかし、感触が無い。 それが、正しい。 いつか、照らすことができる、と信じる。他に役立てると誓う。「何か」は、今の祈りをこめた行である。 (8月5日 執筆)
2009.08.05
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□ 第六十二話 「ピンチがチャンス?」 今朝は本当に「日記」です・・・今朝のお話を書きます。今朝4時に起きて、直ぐに机に座り、独立以来続けている「スマイル通信」というA4・2ページの通信の清書をしました。 先週末に両面とも書き上げていましたが、誤字脱字が本当に多いので、両面ともにプリントアウトして、2回文章内容と、脱字をチェックするのです。そしたら、なんと~2時間も掛かってしまいました。(汗) 『なんで、こんなチェックに2時間も掛かるんだろう?』と自分のアホさを考えていました・・・ すると、この通信を書きだした頃を思い出したんです・・・ 今その内容を見たら、笑ってしまうほどの乏しい中味であることは明白な事実です。 しかし、今から61ヶ月前は、A4・2ページを書き上げるのに、2日程を要していたと記憶しています。 まず、内容が無いですから、それをひねり出すのが、それはそれは大変だったんですよ! ■ 今では、内容を書くだけなら両面で2時間半で書けるようになりました。 あまり考えないのです。“フゥッ“と感じたことをから書き出して、それからは成り行き的なところがあります。今では、ポイントが分かってきたのです。「起承転結」 最初の出だしの質問と最後の答が一致していたら、中間はどうでもイイ・・・ ちょっと極端ですが、要は読んで下さる方が、“うん~そうだよね・・・三宅さんよ!イイこと書くね!” と、「納得」してもらえば良いのです。 しかし、「説得」はダメです。説得には時間がかかりますし、文章が込み合いますから、複雑になります。 文章とは、一文に込められた質問と答えで構成されていると分かり易いのです。 ■ ですから、私も毎朝の日記執筆で一番気をつけているのは、最後に必ず「質問の答え」を復唱し、読者の皆さんに、納得して頂くことです。 正直間違えてもいいから、「○○です」と言い切ることです。「○○だと思います」では、歯切れが悪く読者に、「??」と余分な時間を与えてしまうのです。 また読み返したり、深く考えさせたり・・・これは「不快」ですから、もう読まなくなります。 書いている私は全てを理解して書いているのではありません。全てを断言していますが、それを見たわけもでも、触ったわけでもありません。 ただ、読者の皆さんに、『スッキリした~よし今朝も元気でたぞ!』って感じてもらためです。 それには、それを繰返し練習するしかありません。 今朝のように通信のチェックで2時間も取られたとき、繰り返していないと、こうなるのです・・・『今朝は、やめよ!』 ■ しかし、5年も繰り返していると、例え私のような才能ゼロでも、こんな思考に慣れてくるのです。 『よし、ここで磨こう!』 才能は、「慣れ」なのです。 私たちが磨いてきたものは、ピンチに現れるのです。 もし、皆さんが今朝出合う物事に、“嫌だなぁ~”と感じて、それを見逃したら、それがチャンスなのです。 それを徹底的に掘り下げることです。行動することです 『時間が無いなぁ~』と感じたら、『よし、短い時間でやってやろう!』と考え、動く。『俺には無理だわぁ~』と感じたら、『はい!私やります!』と手を上げます。『わぁ~あの人・・・苦手』と感じたら、『おはよう!』と肩をたたいて、私からベストスマイルをします。 昨日てんつくが言っていた、「ピンチがチャンス」とは、正にこのことです。 チャンスはそのまま、チャンスですか、即やればいいのです。 ■ しかし、「本当の私」のチャンスは、「私」がピンチと感じる、今、この瞬間のあなたの行動なのです。 だから、最後の答えはいつも、「やるか、やらないか」「やらされるか、自分からやるか」だけなのです。だったら、どんなことでも、“できます”、“やらせて下さい”と引き受けてやってしまいましょう! 昨日読んだ、比叡山の大阿闍梨(だいあじゃり)の酒井雄哉師の画集で、こんな言葉を目にしました。「人間 死ぬまでに 何かいいこと いたいね」 さて、皆さんは、どんな「イイこと」を残す予定ですか? 特に男性の皆さん・・・私もそうですが、“平均寿命まで生きられる“なんて、勝手なことを想っていてはいけないと思うのです。 ■ 私はせいぜい60歳と読んでいます。 だって、「生きること」は、私の意志とはまったく違う「何か」が司っているんですよ! 気づいていましたか? 暴飲暴食、ストレス、自分自分・・・ 昔の人たちは、「何か」を、神とか天とか呼びました。 そう名前を付けたのです。本当の神は、私なのです、そして、あなたなのです。 ですから、男性諸君に問います・・・ 『ピンチをチャンスに変えていますか?』 あんたが行っていることを、あなたという神が見守っているのです。 さぁ~あなたはあんた(私)に何点を付けますか? 「ピンチをチャンスに変える習慣」が、あなたを「何か」に近づけるのです。 男性諸君・・・長生きしたいですか? (8月4日 執筆)
2009.08.04
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□ 第六十一話 「チャンスは何処にあるのか?」 昨日午後2時から、ボランティアつながりのお友だちにお声掛けを頂き、自宅から45分ほどの各務原市へ、てんつくマン(以下、「てんつく」)の講演会を聴きに行ってきました。 今朝は、てんつくのメッセージからご紹介をしてゆきます。 私は、てんつくのど真ん中にあるメッセージを受け取ることができました。まず、どんな状況でも~「全ては上手くいっていると、思い込むこと」です。この思い込みが、てんつくの人生を好転させてくれる源になったそうです。 そして、「今は今日までの結果。未来は、今から創ることができる」また、「昨日の私をほんの少しだけ越えてゆこう」 私はてんつくの言葉を聴いて、こう想いました・・・『何でも答えは一緒やなぁ~』■ てんつくが西田文郎先生から教わった、3つの「脳をワクワクする方法」を伝授してくれました。 一、 表情を笑顔にすること。 どんな苦しいときでも、笑っていると脳が勝手に表情から勘違いして、喜びだすそうです。 二、 活発な動作をすること。 例えば、社内でハイタッチとか、朝礼の最後にバレーボールのエンジンを組んで、全員で手を合わせるとか・・・「この動作をしたら、ハッピー」というお決りの動作を決めておくことです。 三、 言葉を積極的にする。 特に大切なことは、現状がピンチな時に、その状態をチャンスに捉える言葉を多く持っていることです。 『俺って、メッチャ充実してるわぁ~』とか、「ついてるついてる」とか、簡単な言葉でイイのです。 また、口にしてはいけない言葉も紹介してくれました。それは、『疲れた・・・』という言葉だそうです。この言葉を発すると、110m程のエネルギーを損失するそうです??■ 目の前の状況は良いこともあれば、悪いこともあります。 良い場合は何の問題もないのですが、悪い場合に先の「ピンチをチャンスに捉える言葉」を持っていたら、私たちの意識はこうなってくるはずです。「この世の中には、チャンスしかない」 では、チャンスは何処にあるのか?てんつくが、世界中の「You Tube」からそのヒントを教えてくれました。 てんつくは、彼が監督をしている映画「107+1天国はつくるもの」の題材に「奇跡を起す」という引用をよく使っていました。 『みんな~奇跡ってどうしたら、起こると思う?』とてんつくが尋ねました。 そして、マックという高校生の映像を紹介してくれました。是非、皆さんも自宅のパソコンから、また今は携帯でも見ることができるので、「小さなバスケットヒーロー(10分38秒)」をご覧になって下さい。 会場でも見ていた人が、泣き出したほどです。■ 「奇跡」とは、小さなことをコツコツ積み重ねる姿勢にあるのです。「自分のため」という状況を超え、「人のため」にすると、人知を超えた力が動き出すのです。 そこにあるのは、「楽しさ」であり、「喜び」です。「愛」 私たちのど真ん中にあって、いつも幸せを感じているのは、私たちの愛です。愛は誰とも比較をしません。 だから、「あきれめない」 皆さんも知っているお話です。 森が燃えているとき、小さなハチドリだけが自分のくちばしに水をためて、燃え盛る炎の消化にあたっていました。 森の動物たちは言った・・・『ねぇ~ハチドリさん、あんたは何をしているの?』するとハチドリは言った、『私ができることを、しているだけです』 ■ さて残りA4半ページになりました。「チャンスは何処にあるのか?」「今、あなたの中に、愛として在る」 愛の表情は笑顔。だから、赤ちゃんはいつでも笑顔なのです。 今のあなたは? 今のあなたの言葉は? 今のあなたの表情は? 今のあなたの動作は? それを選択しているのは誰? そうだ! 私が夢だ! そうだ! 私が愛だ! だから、私は信じる。 『何を?』 私の中には、奇跡を起こす何かがある・・・ピンチをチャンスに変える力がある。「サムシンググレイト」 ■ あなたを絶望から希望へとシフトする力は、あなたの中にしかない。 だから、いつも笑う。意味があるから笑うのではなく、笑うから意味をなすのだ。 今朝の地元は、久しぶりに夏空・・・ さぁ~今日があなたを輝かせる最高の一日。笑顔が勇気。勇気があなた。「全ては上手くいっている」(8月3日 執筆)
2009.08.03
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□ 第六十話「人を許すとは何か?」「人を許すこと」 昨日ある先輩とお話しをしていて、不意に飛び込んできた質問・・・これまで60回の質問をこの日記に書いてきたが、一番困った質問だ。 私の頭に答が無いのだ。しかし、私はちょっと成長している。それは、「全ての答えは私の中にある」との言葉を信じているからだ。 これが拠りどころだ。だから、キーを打ち続ける。机にうなだれて考えたりはしない。 考えても、それは無理な話だ。考えるとは、私の過去を瞬間的にひも解くことであるから、私の過去に「人を許した」という経験がないのだから、しょうがない。 だから、創造上で経験して、今、この場で私の中から答を見つけ出すしかない。 もしかすると、答がないのかもしれない。答を探すのは、私を含めた「日本人」の特徴なのかも知れない。 ■ 探しても探しても見つからないものがあることが最近、分かってきた。 それが、「幸せ」だ。私の勝手な意見であるが、「幸せを探す」なんてできないことが分かってきた。「幸せ」は感じるもので、何処かに探したり、求めたりができる訳ではない。何やら、今朝の質問の答えもこの辺に落ちているのかもしれない。「人を許す」の人とは、他人ではなく、私という「人」ではないだろうか?と・・・ 昨日も書いたが? 私たちの中には二人の「私」が存在している。まずは価値観の塊としての私、要は「我」である。もう一つが、「本当の私」・・・「気づき」とでも呼ぶのだろうか・・・「気づき」には限界がなく、制限がないから、「無」と呼ぶこともできるだろう。 無は宇宙の何処かにあって、そこから全てが湧き出している。「無」とは「無いこと」ではなく、全ての源である。 ■ 話しが横道にそれたが、「人を許す」とは?「本当の私が感じること」ではないだろうか? 我である「私」が、いやがらせをされたり、バカにされた人を許せるわけもない。 思えば思うほど、怒りがこみ上げ収拾がつかなくなる。 私以外の人の全てにも、我があり、本当の私が存在する。しかし、他人になってみれば分かるが、他人だって良い部分と悪い部分があるのだから、その人としての複雑な構造を認めることができたら、他人を許せるのではないだろうか? 人の悪行は悪い部分である「我」がさせているのだから、と見過ごしてあげる優しさがあればいいのではないのか? 誰にでも一生付きまとう「我」を上手く利用するのだ。 他人の我の行動や言動を見るとき、それは私の「我」とつながっている、と思ったらどうであろうか? だって、「無」が一点でつながっているのだから、「我」も何処かでつながっているはずだ。その人は、私の一部だ! そうだ!そう感じることができたら、ことは自然と流れだす。「全てはつながっている」 ■ だから、「人を許すとは何か?」 それは、私、父、祖父・・・何代も続く魂のバトン全てを恨んだり、後悔するのではなく、『必ず上手く行くよ!大丈夫』と脳天気になることではないか・・・ どんな悪条件にも、『大丈夫、何とかなるよ!』と軽々しく答えることではないのか・・・ そしたら、とても心が軽くなる。どんな問題がきても、考え方だけは、「大丈夫」に徹するのだ。 苦しいのはバカにされた私であったり、今車で事故をしてしまったことであったり、昨夜子どもの風邪をもらって苦しくなっている「状態」である。 だから、常に考え方と状態を切り離すのだ。 それには、「今、ここにある」というたった一つの真実に常に気づいていることだ。 ■ 気づきとは繰り返すが~限界の無い、制限の無いあなたなのだ。 引きつった顔で一回でも笑顔になれたら、それで大丈夫なのだ。 人を許すとは、私が今を感じているかどうか?ということだ。皆さんは、今、私を感じていますか? 昨日のケンカの相手にエネルギーが集中していませんか? 半年前の仕事の失敗にエネルギーを占領されていませんか?「今、ここで、私は居る」 それを感じられる今が、幸せなのです。 今朝の私は、意識だけは有名な執筆家になって、断定的に書いてみました。 答えは無い。答えは創りだすもの。だから、いつも楽しい。 だって、どんな状況からも、意識を上げさえすれば、どんなことでも許せる私を創造できるのだから・・・ (7月31日 執筆)
2009.07.31
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□ 第五十九話「どうしたら、気持ちよくなれるのか?」 先日ある機会で、“この人は気づきを得たなぁ~”と直観した人に出会いました。 Nさんは、その瞬間を“ザワザワした”と表現していました。Nさんは、あまり他人に親しくできない性格でした。 しかし努めてその朝も、“自分から挨拶をしよう”と強く思って駅までの道を急いでいました。 すると、前から老夫婦が歩いてきました。彼女は新しく買った靴の音がとても気になっていました。 “カチカチ”という大きな音に意識が取られ、老夫婦とすれちがう瞬間、挨拶をすることができませんでした。 それから、“ザワザワ“が心の中から離れず、今に至っています・・・とNさんは正直に話してくれました。 Nさんのザワザワの正体は何だったのでしょうか? ■ それが「抵抗」なのです。 「私」と「本当の私」が大きな橋を挟んで綱引きをしているのです。『正直に行動しようよ!』と本当の私は無言に呼びかけます。 すると、●●年生きてきた価値観としての塊である「私」が猛烈に綱を引き返します。 『余分なことはするなよ! 意味なんて無いよ! 今まで通りでイイよ! 通過、通過・・・』 靴音は、Nさんの抵抗が既に自宅を出た瞬間から予感として働き、大きく響いていました。 以前も書いたと思うのですが、私が特に印象強く覚えている光景があります。 それは、名古屋の久弥通りの交差点でコーラの瓶を“拾おう!“と思ったことがありました。もう3年ぐらい前だったでしょうか・・・ 私は「ゴミ拾いぐらいできない人が、どうして人をよく出きるか?!」と思うようになり、ジョギング中にゴミ拾いを始めました。朝、人目がない所では拾うことができるようになりましたから、“そろそろ都会でも“と思ったのでした。 ■ そして、その時が来ました。 久弥通りのスターバックスのハス向かいの交差点・・・時間は昼の12時でした。 コーラの瓶に気づき、私は拾うつもりで近づいてゆきました。 しかし、その瞬間横から5~6名のOLがどっとやってきました。私は躊躇して、ザワザワしました。そして、通過してしまいました。 その瞬間のザワザワは今でも強く感覚として覚えています。 私は本当の私を優先せず、4●数年生きてきた「私」という価値観の塊に従ったのです。 私は会社を訪問して、急いでその場所に戻りました。 どうしても「私」がとった行為が許せなかったのです。 しかし、まだ15分と経っていないはずでしたが、コーラの瓶はその場には有りませんでした。誰かが拾ってくれたのです。 今から思えば、「私」と「本当の私」が橋を挟んで綱をひっぱりあって、私は「私」を優先したのです。 大切なことは、「本当の私」の正体をしることではありません。ただ、私の中には二人の私が居ることに気づくことです。■ 「気づき」 いつも書きますが、気づきには限界がありませんし、制限もありません。私たちは目を閉じれば宇宙の果に意識を飛ばすことができますし、自分の内臓に集中することができます。 ですから、人が「気づく」ということは大変に大きなことなのです。話は最初に戻りますが、Nさんが自分の中の二人の「私」に気づいたことは、限界に気づいたことになります。 Nさんは明日から、それまでの「私」と「本当の私」を意識して生活できるのです。 人とは、気づきに気づいた瞬間から、「意識」という制限を持つようになります。 この意識が私たちの先頭に立って前を進んでくれるのですから、とても安心です。 だって、意識は無意識の境目を知っていますから、いつもそこに向って進むことが出来ます。■ 「意識を上げること」 繰り返しますが、45年と2ヶ月の価値観の蓄積である「私」は、「私」が正しいとか、良いと判断した「意識」によって、今の三宅勇を創り上げました。 皆さんも同様ですよね・・・その意識は、正確には「無意識」です。 しかし、意識であることは間違いありません。ですから、前回ももうしあげましたが、「意識だけを上げておきなさい」なのです。「意識」という判断や価値観に「私」はついてゆく習性があります。ですから、今の結果がどうであれ、意識だけを空高くに上げておけば、私たちは勘違いして「意識」についてゆこうとして、どんどん引っ張られてゆくのです。「日本一の企業研修家である私が、今からお話しをしますよ!」とか、「100%受講生を、たった半日で新しい私に気づかせる三宅勇がご飯を食べますよ!」・・・ ■ あまり訳が分かりませんが、言えることは、「意識が私を創ったのだから、意識を上げれば良い」のです。 それには、私の中の「私」と「本当の私」の存在に気づき、それを上手く意識しながら、仕事でも生活でも進めてゆけば良いのです。 そして、もし問題が起こったら、そのザワザワの原因を紙に書き出し、それを前向きに行動するのです。 すべてのザワザワに素直に耳をすませ、「不安」や「問題」を冷静に分析し、優先順位を決めて、即動くこと。 すると、私は気持ちイイのです。 それは、「私」と「本当の私」の距離が縮まったか、「私」の黒い価値観が本当から剥がれ落ちたからです。いずれにせよ、気持ちイイのです! (7月30日 執筆)
2009.07.30
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□ 第五十八話「どうしたら気づけるのか?」 先日ある有名な方の高額セミナーに参加した方とお話しをしました。その方はこんなことを言っていました。『最後は、計画をやるか・やらないかだから。全ては自分との闘いなんですよ・・』 私が4月から3ヶ月間の中で約3週間学んできたことも、まったく理屈は同じなんです。「自分の立てた目標を、毎朝唱えて、その状態と一体となり、それがありありと経験できるまで、自分の中の見えない信念を消滅させること」です。 要は、「やるか・やらないか」なんです。 ■ 私は、「一日42万円の企業研修会を2009年8月末までに確立する」という目標を立てています。 この目標が私を引っ張ってくれます。 昨日の研修会の内容はこの目標に照らして根本から作り直しました。まだその半分ももらえないのが現状ですが、意識だけはそこを目指しました。 先週末まで私は、3ヶ月間で学んだ学習資料を全てやり直しました。 資料は全てで250ページ。本は4冊をまとめました。相当の時間と労力がかかりましたが、目標がありましたら、寸暇を惜しんで向うことができました。 当然「参考」にするのですから、そのままをパクルことはできません。教える層によってアレンジし、相当深い内容が出来上がりました。 そして昨日の研修会で一つの気づきを得ることができました。「気づき」とは、限定の無い、限界のない私たちの中心をなすものです。 それは、「人の隠れた能力に気づきを与えることにおける、明確な答えは存在しない」 ■ いつも申し上げることですが、私たちは「答え」を求める者です。 学校教育や、ビジネスを通じて「私が幸せになる答え」を求めてきました。 悪い言い方をすれば、くせが付いているのです。「答え求め症候群」とでも言えるのでしょうか?でも、皆さん・・・「答えは遥か彼方にはない」となったら楽ではないですか? 私は相当楽になりました!(笑顔)その代わり、答が眼の目にあることが分かったのです。答えはいつも、私の目の前に在ります。 昨日も若い16名の方に私はこう言ったんです・・・『人が変わる答えは、今、目の前に答があるんだよ・・・今日のテキストのできなかった空白を帰宅したらうめて、その問題点から導き出される行動を、明日~やるか・やらないかなんだ・・・ どんな高額なセミナーも、能力を高めるテクニックも、それを修得した翌日から“やるか・やらないか“ この行動にかかっているんだよ・・・答えは、あなたの自発的な行動なんだよ! これは“分かる“ということではなく、感じることだよ・・・ だから、正直さが“ピッピッ”と鳴ったら、即動くんだ!答えの鍵は、いつもあなたが持っているんだからね。』 ■ まだ若い方たちですから、言葉で言っても限界があります。 また、私が3ヶ月間で頂いた資料をそのまま使ったとしても、その方たちが理解して、明日から動きださなければ、価値は0円です。 誰に教えてもらうかも大切です。金額の低いより高いほうが良いに決まっています。 しかし、私を変える要諦はそこには無いことは、私は考えるのです。「今の、私の前向きな行動をやっているか、やっていないか・・・今、答になっているか否か」です。「答えになる」とは、先日も書いたと思うのですが、「意識そのものになること」です。 私が“フゥ“と感じたことを、煥発入れずに計画し、”行動すること“です。すると、私は気持ちがイイのです。■ 「私」とは、三宅勇が45年と2ヶ月を生きた中で培った様々な価値観の塊です。 正確に言えば、「本当の私が気持ちイイ」となります。即行動すると、私と本当の私が一体となることができるのです。 するとカルマというか、本当の私の周りに付いた小さな塊が、“ポロッ”と音をたてて、剥がれ落ちるのです。私はどんどん身軽になります。 身軽になると、笑顔になります。 先日ある会で大垣市に行きました。この会場を提供してくださっている人生の大先輩の会社では、一日の中で15分×2回=合計30分間、「笑う」ということを社員全員でやっているのです。 効果は絶大だといっていました。 ■ 私はそく研修に取り入れました。 昨日は、私がまず1分間皆さんの前に笑って見せました。そして、全員で1分を2回やりました。 多く人のコメントが、「きつい」、「嫌だ!」、「不快だ」でした。 しかし、私だけはとても気分がよかったのです。(笑い)何故かお気づきですね?そうです、私が考えずに即やってみたからです! 人の隠れた能力に気づきを与えるには、お決りの方法をラットレースのように繰返しやっていてはいけないと、考えるのです。「気づき」とは、限界の無い、限定の無いのです。 答えは、チャレンジしている今、あなたの中でそれまでの限界を超えて、起こっているのですから! (7月29日 執筆)
2009.07.29
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□ 第五十七話「答えは何処にあるのか?」 昨日は午後からある講演家の方(Nさん)とご一緒していました。 Nさんが今でも腰が悪いと聞いておりましたので、昨日講演会で私の地元にお越しになるついでに、私の腰を一発で直してくださった各務原の先生をご紹介してきました。約4時間ご一緒させていただく中で、勉強をさせていただいたことがありました。 Nさんが先週行った広島の焼き鳥やのお話です。 広島でも有名な焼き鳥やのトイレに、店長が下手な油性マジックでこんなことを書いていたそうです。「私が始めてアフガニスタンに行ったときのことです。 幼い子どもたちが勉強したくてもペンやノートがないのです。その光景を見たとき、ただ“この子どもたちにペンやノートを毎年送ってあげたい”と思ったのです。 広島は原爆で今から60年前に、焼け野原になりました。 しかし、多くの人に助けてもらったおかげで、素敵な街に生まれ変わることができました。 今の私には焼き鳥を焼くことしかできませんが、次は私が世界に恩を返す番だと考えています。 どうぞ、ご支援ください。毎年、アフガンの子どもたちが喜んでいます・・・」 ■ 確か、こんな内容が書いたあるよ!と、Nさんが話をしていました。『いいか!これが、“何のために“だよ!』 Nさんと私の共通の友人のラーメン屋へ午後4時に顔を出し、カウンターでそんな話をしてくださいました。 Nさんが店長に質問をしました。『誰のためにラーメン作ってるの?』『地元の皆さんです。誰にでも愛されるラーメンを目指しています・・・』と店長・・・『このラーメンはまずくはないけど、特別美味しいわけでもないよね・・・ 誰のために、また何のためにやるかを、お店全体、メニュー全体、POP全体で表現しないと、お客さんに、この店が伝わってゆかないよ・・・』とNさん・・・『元々は、地元の食材を使って、健康にこだわったラーメンを作ることが目的でした・・・』と店長・・・『何でもいいけど、そのこだわりという根っこをもっと地中深くに掘り下げて行かないと、人の心には響かないよ!』とNさん。 ■ 以前もこの日記でご紹介しました、「ユング」の言葉を私は思い出しました。 「すべての人の意識をその奥底で集合的無意識につながっている」Nさんの言った内容と合致しています。 私も含め皆さんも「答え」を知りたいと思うのですが、いかがでしょうか?「私が幸せになる答え」、「営業ができるようになる答え」、「企業業績が向上する答え」もし「答え」があるとしたら、それもつながっているはずです。 それは、「途中で」、「プロセス」でつながっている。 それは、「夢中で目標に向かっている途中」、「一生懸命に取り組んでいる途中」、「ある製品の開発のプロセスで」、「山登りの途中で」■ 「楽しむ」 その答えは、「行為」には無いと思います。人の答えは参考にはなるけど、答えにはならないと思います。 それには、先のNさんの言葉通り、地中深くでつながっている人の魂を揺さぶるような「動機」や「目的」がないと、自分がやっていてワクワクしないし、もし続けても体に悪いのです。「何のために」 自分の魂は宇宙でたった一つだから、そんな唯一の魂は人の答えのコピーでは感じることはないと思う・・・ ワクワクを引き出す鍵は、「継続力」だと想う。そしてその時の「意識の状態」 気分がイイこと。 どれだけやっても、あきない、疲れない、そして楽しいこと。だから、それを見つけるまでは、一点を堀続けるしかない。 ■ ラーメン屋を・・・コンサルタントを・・・それは全て「役割」 梅雨に咲くアジサイ。春に咲く桜。冬に咲く寒椿。 今、ここ・・・人と比較せず、ただ今、豊かでありたい。だから、掘り続ける・・・「こころ握れば一点となり、こころ開けば無窮となる」 いつになったら、答えは見つかるのだろう? もう見つかっている・・・今、ここで、一点と成る。 そして、毎朝堀続ける。 答えは動いている瞬間にしかない。だから、今朝もキーをたたく。 私は今と一体になる・・・そして宇宙とつながる。(7月28日 執筆)
2009.07.28
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□ 第五十六話「人には何が必要か?」 昨日義理の母と義理の父の様態について話をしました。『もう79歳だからね・・・やっぱり気力が無くなってきたね・・・』と、母がいいました。『先日もニュースで100歳の方が、“日食を見るのはこれが最後かな?”とか言ってましたよ・・』と、私。 更に母が続けました、『最近の異常気象は、どうかね? 夏が来ないで、秋になったら夏服を売っている会社は大変だわね・・・』『自動車の増加、そして自然環境がちょっと変化した結果、気流の流れがほんの少し変わったんですね』と、私。 ■ 車で移動中でしたから、半年前に閉鎖した喫茶店の前を通りかかり、私が母にこう言いました、『家というものは、どうして人が手をかけないと、こんなに簡単にぼろぼろになるんですかね?』 すると、『人っ気(け)が無いと、いつもそうなるのよね・・・本当に不思議よね・・・』と、母。 更に自宅で大相撲の千秋楽、横綱対決を見ていて大喝采!『やっぱり白鳳は強いね・・・気力が違うよね・・・』と、母・・『お母さん・・・全て気でつながっていますね!』と大笑いをしました。 ■ 今揚げた4つの事柄の中心は、「気」です。 子どもは元気です。しかし、何歳からかは定かではありませんが、ある年齢を過ぎると「気力」が減退して、その結果として「見た目」も衰えてきます。 人には限界がありますから、一概には言えないところもあるのでしょうが、ボケる人を私なりに見ていて感じることは、「一人で考える時間が増える特徴がある」です。 それは、私の身近にいる人や、ボランティアを通じて数多くの老人をみていてそう感じるのです。 先にも触れましたが、人には「目標」があれば気力は減退しないのです。 例えば「農業」をやっている70歳と、ただ自宅にいて外ばかり見ているお年寄りでは一目瞭然です。 一日の使い方が、まったく違うのです。 農業をやっている人の朝は早いです。草を抜いたり、虫をとったり、作っている野菜やお米を見て回ることから一日が始まります。 そして、この時期だとナスやきゅうり、ネギなどを収穫し朝ご飯の支度をします。 ■ 目の前の「今」に、目標というかハリのような気が張っているのです。 私も今年45歳ですが、もうそろそろ「趣味」というものを持っていないといけません。 私は「仕事」が趣味ですから、これからは~“大変楽しい時間になるなぁ~“とワクワクしています。 何歳になっても、地域の子どもに『論語』を教えてゆきます。お年寄りの施設に出向き、いろんなお手伝いをしてゆきます。 企業研修に定年はありませんから、私の力もどんどん霊的領域に達して、それは恐ろしいことになっているはずです!(笑い) まぁ~男の勘違いはこの辺にしまして、大切なことは「今、ここ」を感じていることです。 そして、今、「経験」をしていることです。私は今、先の私を経験していますから~必ずその現実は私の目の前に「現実」として姿を現すのです。 ■ 皆さんのよく目にする光景ですが、先ほど記しました「人が住まなくなった家」には、誰も今を経験する気が無くなる訳ですから、今から崩れてゆくのでしょう・・・ 未来は、「今、ココ」という人の気が大きく関係していることは間違いありません。 確かに樹木だって生きていますから、気を持っています。 しかし人と樹木、また他の動物と人との違いは、「今、ここから何かを創造し、何も無いとことからそれを現実という目の前に、実現できる能力があること」です。 よく「人が地球を創り、そして宇宙一切を創った」などと聞きますが、これはまんざら嘘ではないようです。 それは、宇宙の果てを見に行った生物は居ないのですし、もしかすると幻想かもしれませんよね・・・ また、アポロ11号の写真だって、もしかしたらでっち上げかもしれませんよ!(笑い) ■ まぁ~冗談はここまでにしまして、私たちが真剣に考えなければいけないのは、いつも申し上げる通り、「いかに儲けるか」や「いかに私が幸せになるか」ではありません。「いかに、この地球をきれいにしてゆくために、今私に何ができるか」に行き着くはずです。 「議論」 私は議論が好きです。あまり知識はありませんが、前向きな会話を通じて前向きな人たちと、一つのお題を熱く語ることです。 しかし、最近“フゥ~“と想ったことがありました・・・『議論して知識の大小を、私のような弱小の者が自慢しあっても、何の意味があるのかなぁ~』と、私は自分というエゴにそう問いかけてみました・・・ すると、こんな返事が「何か」から返ってきました。『議論には答えはない。多くのことを想いながら、今、ここで何を感じ、それを活かそうとしているか?という、私の気迫ではないのか・・・ ■ 気が私の魂なら、いつも魂である気を意識し、その意識を落とすことなく、今を生きること。 その気迫が、目の前の一切を含んだ生きとし生けるものに対して、良い影響をもたらすはずである。』 全ては、私たちの気とつながっています。 だからこそ、「今、ここ」で元気に居ることが大切なことなのです。 周りの人に気を配って、人を元気にすることに心を配る・・・その意識こそが、宇宙をつかさどる力の源ではないでしょうか?「人には何が必要か?」 それは、今への気迫。そして、常に高い目標を意識すること。結果という現象は、私たちが気をどれだけ出すかによって決まってくる。 私の今の出力が、入力としての未来を決めているのだから・・・(7月27日 執筆)
2009.07.27
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□ 第五十五話 「本当の私にいつ会えるのか?」 話題の少ない私はそんなにいろんな所に出かけることはありません。 だから話題が“少ない“とも言えるのですが、最近少々分かってきたのは、私に必要な話題の矛先は、「私の内側にある」ということです。 それが、「質問」を通じて話題となってきます。また質問は、無限に湧き起こってきます。質問を湧き起こすのは、私の気分がイイことです。 気分が悪かったり、マイナスのエネルギーを感じていると、私はつとめてそこから離れるようにしています。 ■ 話が飛びますが、昨日私と同年代の方がこんなことを言っていました。『プラス思考を意識すると、その裏にはマイナス思考があると思います・・・』 私は、“その通り!”とうなずきました。「○○を信じる」「信じる」の裏には、「信じられない」があります。 だから、「信じる」を強調しすぎると、自分を「信じられない」を強調していることになります。 では「信じる」代わりに、どんな言葉や姿勢が必要なのでしょうか? それは、「疑わない」です。「疑わない」の逆は、「疑う」です。これには、更に続きがあります。 ■ 大切なことは、私たちが想うことに変なこだわりを持たないことです。 「良いとか、悪いとか」、「正しいとか、間違っている」とかです。それが、「離れる」ということです。「離れる」とは、俗に言えば、「結果にエネルギーを向けず、今に集中すること」です。 そして、こうつぶやくことです・・・『あなたになら、だまされてもイイ・・・』 私が言う「あなた」こそが、本当の私ではないのかなぁ~? 人は元々、何も無い一点から生まれてきました。ですから、最初は何も心配事はなかったし、疑うものもなかったのです。 ■ だから私は、“疑わない!” 『何を?』 それは、今、ここを疑わない。苦しいなら、苦しいでいいし、困ったなら、困ったでイイ・・・ 今朝の私は、苦しい・・・分かりますよね(汗)内容が定まらないのです・・・ でも、疑わない!同情もしない。言葉もかけない。 ただ打つ!目の前のキーをただ打ち続ける! 先日何かの記事に、田中真澄先生の言葉があるのを、今不意に思い出しました。「心構えというのは、どんなに磨いても毎日ゼロになる能力である。 毎朝歯を磨くように、心構えも毎朝磨き直さなければならない」正に、今朝の私だ!■ 昨日の話題に触れて恐縮だが、「私」は本当の私ではない。 本当の私は、困ったりしないし、いつも「今、ここに在る」だけだ・・・ では、困っていたり、考えていたりする「私」は何だろうか? 時間を気にしている思考、勝手に“A4・2枚を書くんだ!“というこだわり、読者の皆さんに”よくぶれる内容ね!と、言われないように”という焦り・・・ 要は、私は身勝手なエゴだ!「私」はエゴ!? だからこそ、“どう想われてイイモン~”的なアホさが必要なのだと想う・・・ それを磨くには、やはり毎朝の冒険だ!■ 「冒険」?! そうだ!密林の中をただ進みつづけることだ! でも、何かが必要じゃないかなぁ? それは、「星」だ!「星」が欲しい・・・いつも、“あそこへ近づいてゆこう“という道しるべだ。 では、星は何処にあるんだろう? それは、どんな事柄にも前向きに取り組む、今ここにある!いや、それ以外には無い・・・ 今の姿勢であり、マイナスにぶれかかった「私」を引き戻す動作だ・・・ ■ それが、「あなたの前向きな行動」 今、私が苦しいからってあきらめずに、キーを打ち続けている「行動」が真理なのだ。 読書に答えはない。勉強に答えはない。議論に答えはない。あなたの行動が、真理なのだ。だから、答えは今ある。 私の行動だ!だから、本当の私は行動なのだ!コピーの私は、行動をもって本当に近づくことができる。 苦しいなら苦しいでイイ・・・不安なら不安でイイ・・・ しかし、冒険という行動だけは止めてはいけないのだ! だって、今の行動が本当の私なのだから・・・そして、本当の私はもしかしたら、一生見つからないのかもしれない! すると、死ぬまで冒険を続けることができるではないか!(ワクワク^^¥)(7月24日 執筆)
2009.07.24
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□ 第五十四話 「気づきとは何か?」 今朝は少々興奮をしています。午前4時に起きた瞬間、「気づくこと」ができたからです。 昨日も記しましたが、「気づき」こそが、私たちの創造の、また限界も制限も時間もない、源なのです。 その源に、一歩だけそれも確実に近づけた実感を手にすることが、私を興奮させているのです。 さて、今からお伝えすることは、本当にかすかなことです。私のこれからのA4・2ページを読んでくださった方が、もし100名居たら、その内何名がそれを気づいてくださるか?は、私にも定かではありません。 ■ 実は、私はもう何年も今からお伝えるする「小さな気づき」の周りを歩きまわっていました。 しかし、そのことに気づかなかったのです。「気づく」とは、必然なる偶然であります。「私を無視する」。 これが、今朝の気づきです。「私」とは、今朝4時に起きるまで、45年と約2ヶ月生きて、様々な価値判断を身につけた「私」をさしています。 その私を、別の「何か」が無視をしました。 ■ 話が突然飛びますが、昨日夜7時から私の自宅から隣町の瑞浪市というところで、勉強会で親しくなった方と一緒に、ある勉強の復習会を行いました。 私は、会場下の駐車場に2分前に到着しました。 すると、その駐車場の入り口に高校生がしゃがんで座っていました。 私は小さくクラクションを鳴らして、彼に“ドイテ“と促しました。 彼は、嫌々な遅い態度でどいてくれました。 私は相当むかつきました。彼のノロノロとした態度が腹立たしかったのです。 私はせっかくドイテくれた彼を無視して、会場へ向かいました。その時、「何か」が私の呼びかけました・・・『ありがとう、と言わなきゃ!』。「私」が言いました、『何で俺が言うの?』「何か」が言いました、『だって、ドイテくれたじゃないか?』「私」は「何か」を無視して、友達の事務所へ急ぎました。 ■ またまた私事で恐縮ですが、今月になってお風呂に入る前に、「ゆっくり100回の腕立て伏せ」を行うことにしていました。 この腕立ては、早朝に行う連続の腕立て伏せよりの苦痛を伴うものでした。 ですから、「私」は直ぐには行動に入ることが出来ませんでした。 いつもは、まずあぐらをかいて瞑想をして、自分に70回以降の苦しみに~“負けるなよ“と言い聞かせるのです。 しかし、昨夜は初めて「私」を無視して、「何か」の力が、”考えずに、直ぐやれよ!“と「私」に考える余裕を与えませんでした。 そして今朝起きた瞬間、その「何か」が、「私」を超えたのです。■ お待たせをしました・・・「何か」とは、何でしょうか? それが、「気づき」なのです。「感じるもの」です。 私は昨夜、駐車場で態度が悪い高校生に“ドイテくれて、ありがとうございます”と言いたかったのですが、「私」という我欲やプライドや、見得という「価値観、価値判断」が気づきに抵抗をしたのです。(汗) これが、先日申し上げた「正直さ」です。 正直さは、感じていました。『お前は、高校生だからムカついた? そうだろ? あれがお年寄りだったり、コワイおじさんだったら、声をかけたり、頭を下げただろう?』 ■ 正直、彼は今から約30年前の私でした。 態度の悪い30年前の私・・・過去と今がつながっていた・・・昨日のユングの言葉、「全ての意識は、その奥底で集合的無意識としてつながっている」 そんな反省からか、帰宅して風呂に入る前の「私」を正直さが制止しました。 そして、私は考えず、正直さにまかせて、その場で腕立て伏せをゆっくり100回やりました。 更に今朝、『もうちょっと寝ていたい!』という「私」という“制限”から、おさらばを言うことができたのです。 皆さん・・・感じていただけましたか? 私が「私だ」と想っていた「私」は、45年と2ヶ月間を生きた価値観・価値判断というどろどろのヘドロが積もった、「制限、限界、私は○○だ!」と決めていた「私」のコピーだったのです。 ■ それに今朝、気づけたのです。 どうですか?私的なこの衝撃は、私を昨日までの3倍?否、10倍は加速させてくれる気がしているんですが?・・・ この「気づき」に値段は付けられませんが、1億円ぐらいの価値はあると想うのです。(笑い) いや・・・もっとあるかなぁ~(爆)まぁ~貧乏くさい話は横におきますが、皆さんも「私を疑ってください」 「みなさん」という「私が」、何かを考えたら、それを疑ってください。 ■ 人は、昨日の高校生に対した「私」のように、まず感じることが先行します。 感情的になるのです。これが、「正気さに対する抵抗」です。「抵抗する人」、「抵抗する考え方」、「抵抗する行動」、「抵抗する場所」、「抵抗する時間」・・・ 抵抗を感じたら、その逆をやってみてください。それが、おそらくあなたの「正気さ」という「何か」、「良心」なのです。 私は今朝から心がけること・・・ それは、「野生の戻る」もしくは「気づきに生きる」ということです。 地震を感じるねずみ、津波を感じる像、山火事を感じるサルになります。 要は、「私に考える余裕を与えず、感じたままに即動くこと」です。お試しください!(笑い)(7月23日 執筆)
2009.07.23
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□ 第五十三話 「どう尋ねたらよいのか?」 昨夜は帰りが遅く、この日記のお題を決めずに寝ました。今朝も午前5時半からノートPCに向かっています。 本来は、「何を書くか?」という目標である「お題」に向かって、A4・2枚の想いを綴ってゆくのです。 しかし、今日で53日目ですから、「分かっていること」があります。 それは、「考えないで、やれば、できる」です。 今も、こうやって「何を書くのか?」が定まらなくても、もう2段落も書いているのです! 読んで下さっている読者の皆さんからすると、『また、同じ話か・・・』と感じられることもあるとは思うのですが(汗)、一人の書き手がいつも書くことですし、大切なことは何回でも繰り返し言うことによって、“あっ、そういうことだったの?!”と気づくことができます。■ 「気づく」 最近の精神世界を学ぶ中で、この「気づくこと」が全てのはじまりであることが分かってきました。 定義は、「全ての創造の根本的な源。これには、形も、限界も、制限もない」だから、言葉で説明することはできないのです。 ただ、「ここに今、在る」この気づきが、私たちの「意識の核」なのです。「意識している」とは、私たちが「私」としている、本当は脇役であるアイデンティティのような中心の周りについている綿ぼこりが、気づいている状態をさすのです。 要は、目覚めているのです。■ 「目覚め」とは、私が「何をするか」ではなく、「どんな状態であるか」が分かっていることです。 私の場合は、いつもながらの“勘違い”ですが(笑い)、もし私が『さて、今朝は何を書こうかなぁ・・・』と悩んで考えてばかりだったら、それは目覚めてはいないのです。 目覚めたときのキーワードは、「気分が良い」です。 私が「何を書くか」を決めずに書きだしてここまで来ているように、大切なことは・・・「私の今が、気分の良いこと」です。 私でも不思議なのですが、気分さえ良ければ、それで上手く進みます。 それは何故かというと、「意識」こそが、私たちの源である「魂」だからです。 意識は考えないのです。考えるのは側面にある「意識している擬似的な私」がそれを司っているのです。 ■ 私が、“よし、まずやろう!”とノートPCに向かっているときは、私の目的は、「何を書くか」ではなく、気分の良い行動になるのです。 すると、擬似的な私ではなく、魂が感じて動き出させてくれるのです。 行動という役割のようなものが示され、擬似的な私がそれを担当しているのです。 「私が」というのは、正確には「擬似的な私が」なのですが、少々不安になるのは、果たして私が打っている文章が、“読者の皆さんに伝わっているかなぁ~“です。 でも、最近読んだ『神との対話』や『ニューアース』でも、特にアメリカのスピリテュアル系の作者の翻訳本は、本当に分からないのです。 これは、「分かる」のではなく、正に「感じる」のです。 ■ そうしますとまだ私の文章は、“分かり易いほうかなぁ~“と一人合点をしているのです。 大切なことは、私の気分が良いか否かです。 気分が良いとは、「意識の状態が良いこと」と一緒です。意識は、私たちそれぞれの魂です。 それには、「やる」という“行動”が欠かせないのです。 私が、“何を書こうか・・・”と頭を抱えて考えてばかりいても、何も進みませんし、明らかにはなってきません。 私たちが明らかにしたのは、「これから」という未来です。■ さて、想い突きで書いています・・・ 「未来」とは、何処から来るのでしょうか?未来は、“来ないのです“ 未来は、今から創り上げるのです。ゼロから・・・ 私たちの本当である魂は、元はゼロでした。何もなかったのです。 ただあったのは、「気づき」という限定の無い「無」でした。その無の状態から、みなさんそれぞれの今が出来上がりました。 では、更にお尋ねします。「あなたの未来は、何処から来るのですか?」 それは、あなたの行動が「何をするか」という手段から離れ、「どんな状態であるか」に意識が向かったとき、起こりだすのです。■ 私たち現代人は、時間に追われ、制限に縛られて、様々な限界の中で生きています。 もし今朝、私の思いつきが読者の皆さんのお役に立つことがあったらという想いで、ちょっとしたアドバイスをさせて頂きます。『全ての答えは、自分の中にあります。その「自分」という「私」の中に入って行くには「鍵」が必要です。 その鍵は、こんな質問に姿を変えています。「あなたは、どうなりたいのか?」 その答えがもし、「静かになりたい」なら、静かになってください。 その行動を直ぐに行えた瞬間、あなたに静けさがやってきます 良い気分でいる今・・・それが、私を含めた皆さんの未来だと感じるのです。(7月22日 執筆)
2009.07.22
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□ 第五十二話 「何故、時間管理が必要なのか?」 昨日は早朝から、地元の図書館で学生諸君に混じって閉館まで、新しい「能力開発」に関する資料作成に没頭してきました。 娘と同じ中学生、高校生が一生懸命勉強をしていました。 私の前に座った中学3年前後の学生さんの手元から、「時間管理表」というものが見えました。『さすが、24時間をしっかり管理しているなぁ~』私は関心しました。 おそらくこの学生さんは、夏休みが終わる約40日間、この管理表にのっとって勉強とか、観察とか、遊びとかをしてゆくはずです。 しかし、顕著な変化はないと想うのです。 ■ 学生さんが手に入れるものは、「習慣」という第二の徳性です。 私が安岡正篤先生から学んだ中に、「人間の本性」というものがありました。皆さんは、ご存知ですか?「人の本性は、徳性である。徳性とは、明るいこと、清らかなこと、忍耐強いこと、素直なことである」 では、私たちが学んできた「知識」とか「教養」はどうなるのでしょうか? それは、「人の属性」である。 人の属性とは、知識、技術を指します。 中国の古典に、「属性ばかりが高まれば、悪となる」とあります。あまり、“勉強、勉強”というのも考え物です。 ■ 最近私は、少々不安になっていました。それは~たくさんを勉強する余り、迷っていたのです。 属性である「知識」ばかりを詰め込んでも、いっぱいになっていたのです。 話を戻しますが、「徳性」は情緒を創り出します。情緒とは、人の喜びや悲しみ怒りなどの感情です。 徳性が高まれば、様々な感情を抑えコントロールできる更なる感情が生まれてくるのです。 それは、宇宙と一体である人が、元々の「無」に戻るものです。 私たちが無に戻るとき、「私は今ここに居る」という感覚を取り戻すことができるのです。 私は、「私は今ここに居る」を学んでいましたが、それが見えずに不安になっていたのです。 これが、「考える」ということです。 おそらくですが、この世界は「感じること」しかできないのです。 ですから、どう学ぶか?では、分からない世界なのです。 ■ 話を図書館の学生さんに戻します。 彼が40日間で手に入れる「習慣」は徳性だといいましたが、それは「安定」、もしくは「地に足がつく」という状態を指すのだと想うのです。 私事ですが、昨日1週間ぶりに夕方ジョギングをしましたが、足が地に付かないのです。 ジョギングをしている人を見ると一目瞭然にして、その人のキャリアを感じることができます。 これは、感覚的なことですが、皆さんもそれはお分かりですよね? 何をやっても1週間目の人と、10年目の人は、“やらせてみたら“その瞬間に一目瞭然です。 それは、「地に足がついて、型にはまっているから」です。 しかし、嫌々やっても、やらされてやっても、地に足がつくとか、型を作るという状態には行き着きません。 ■ 私がその学生さんを見た瞬間、『この子は、素直そうだなぁ~』と感じました。 それは、その時間表を自主的に作成し、疑っていない様子でした。彼の徳性が、伝わってきました。 その瞬間、私はひらめきました、『そうだ!疑わないことが、大切なんだ!』 私は、自分のこれまでのモヤモヤが吹っ飛びました。 答えを探す悪い癖に入っていたのです。これは、私を含めた、日本教育に長く染められた病的な悪慣です。答えは、彼の姿勢にありました。 そして、答えは途中にありました。「過程を楽しむ」、「プロセスをワクワク過ごす」行動が、私を通じて教えてくれるのです。 『誰に?』 私に、です。その行動は、既に宇宙のサイクルの起動に乗っています。■ 繰り返しますが、「行動が、既に答え」なのです。 答えが用紙に5つ書いてあって、そこから1つを選ぶのではないのです。自主的な行動が既に、答えなのです。 「成果」は、物理的な世界の住人たちがこぞって欲している「結果」という産物です。 しかし、宇宙一切の世界では「結果」は既にでているのです。何にも押さえつけられることなく、心地よい気持ちで居ることが、「私は今ここに居る」という結果なのです。「何故、時間管理が必要なのか?」 それは、「時間」が私たちの生命だからです。「生命」が、今、私たちの中で私たちを生きているのですから・・・(7月21日 執筆)
2009.07.21
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□ 第五十一話 「何がお客様をリピートさせるのか?」 先週末あるところでお話をしました。以前も紹介した「正直さ」についての話でした。「何がお客様をリピートさせるのか?」 この問いに対して、「私が」という主語でそれぞれの意見を聞いたのでした。「私が」 これは、正に言霊です。皆さんも、何をやるにも「私が」、「私は」で始めると、その言葉に命が宿り、一斉に叶う方向で全ての力が結集されてきます。 物事が叶うのは、計画や努力は確かに必要ですが、それだけでは叶わせることはできません。 自然の循環に“乗る“ということが必要です。「私が」という言葉一つで、その循環に乗せることができるのです。 ■ さて、7名のスタッフでそれぞれの意見を出してゆきました。 一人はこう言いました、『小さなお子様連れのお客様には、子どもにかけるタオルケットなどを気にしてあげることが大切だと思います』 別の一人は、『机がカタカタいっていたら、直ぐに紙をかまして、それを止めることです』 更に別の一人は、『小さなチリやホコリがあったら、その場でキレイにすることです』と口にしました。 皆さんは、「何がお客様をリピートさせるか?」について、どんな意見をお持ちですか? 大切なことは、いつも申し上げる通り、何処かの成功店や気品の高い立派なホテルのやり方を真似ることではありません。 ■ 最も大切なことは、 「私が自分で感じたことを、私が即やること」、です。 ですから私などは、「これが正しい方法です」などとは言わずに、それぞれの意見をタタエて、“それはすごいですね”と、言っているだけでした。 人は、自分が言ったことには責任がありますから、意識が長く続くものです。 人から聞いたことや、本で読んだことは直ぐに忘れますし、自分が忙しかったら、その場の勢いに流されて、自分という「我」を優先させてしまうのです。 私とは、「我」と「己」の一つで構成されています。 私は全員の意見を聞いてから、こんなアドバイスをしました。『“正直さ“に敏感になってください。机がカタカタいったり、赤ちゃんがエアコンの風で寒そうだったり、ごみが落ちていたら、直ぐに反応してください。 ■ 「正直さ」とは、私たちが生まれたときに天から頂いた「良心」というものです。 この良心は、考えません。感じるのです。カタカタがお客さまに不快さを与えていることを感じます。 また、声の出せない赤ちゃんの内なる声を感じます。 考えるのは、我である自我です。自我は、常に考えています。「損か得か」を考えています。『暇だったらやるけど、忙しい今はできません。後回し、後回し・・・』 これを「不正直」と呼びます。不正直だと、私たちは何だか気分が悪いのです。 ドンドン忙しさという我のエネルギーに犯され、麻痺して何が原因で自分の気分が悪いのは分からなくなってゆきます。■ 簡単です。「正直」に生きればイイのです。 「正直さ」は、魂が感じる感覚ですから、「感じたら、即動く」のです。 すると、「気分がイイ」のです。 この“気分がイイ“という状態が、私たちが自らの本心に近づいた状態ですから、天の循環に近づいているのです。 ですから、正直さを優先して即行動すると、「安心」なのです。 私が安心ですから、それを見ているお客様も、居心地がイイのです。 今から2,400年前に中国で生まれた孔子は、人の魂を「良心」と呼びました。 フッダは、これを「仏心」、また「菩薩心」と呼びました。 ■ ですから、私たちは「感じること」に敏感でなくてはならないのです。 それには、「正直」でなくてはならないのです。私たちは、誰に正直である必要があるのでしょうか? それは、親、兄弟ではありません。「自分自身」なのです。 繰り返しますが、それにはいつも言いますが、「考える前に、感じること」です。』 昨日もある方から、こんなメールが届きました。『今日は不安とたたかっています・・・』私は、親しい方でしたから、即メールを返信しました。『不安なときは、動いていない時です。私にもありますよ!でも、そんなときは、即動くことです。動いたら、人は正直ですから、不安から安心に感じが移行してゆきます。 不安の理由や、原因を考える前に、即動きましょう』 ■ 私たちが一番手に入れたいものは、「自信」だと想うのです。 しかし、“自信を持とう!“と想って、自信は持てないのです。 では、どうしたら持てるようになるのでしょうか?それは、「一切を疑わないこと」です。 「何がお客様をリピートさせるのか?」 それは、今の私に疑いを持たず、元気にそして明るく、正直な一歩を踏み出すことではないでしょうか! すると、気分が良くなり、見えない力の循環に乗ってゆくことができるのです。 それは誰から見ても、良く感じざるを得ないのです。 何故なら、人の本当は「気=魂」だからなのです。(7月20日 執筆)
2009.07.20
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□ ■ 第五十話 「何故、できないのか?」 昨日ある経営者の方(Iさん)と、こんな会話をしました。 私『お客様が○○ということを望んでみえるのですから、なんとかできないですか?』 Iさん『よく言われますが、うちのシステムはそうではないんですよ。まず登録をしてもらってからでないと・・』 私は更に感情的にならずに、『それなら、“やる・やらない“は別にして、できる方向から考えたらどうなりますか?』『でも、それをやってしまうと、最終的なお客様にも、信頼を無くす可能性にもつながりますし・・』とIさん。 私は更に、『もし、○○だけを見て、やる方法はありますか?』『・・・・アッ・・・できます。 ちょっと待って・・・登録が無くても、その間に入る「誓約書」なりをFAXで頂ければ、それを直ぐにでもやることができます! 三宅さん・・これスゴイ気づきですよ~』と、Iさん。■ 「何故、できないのか?」 それは、「できる方向から、考えていなかったから」。また、そう自分が「名前を付けていたから」です。 どんな名前でしょうか? それは、「できない」という名前です。 私は、“私の仕事にも通用することだなぁ~“と逆に、Iさんの機転の高さと、素直さに教えて頂きました。 何でも、「できる」と思って、できる方向から、できる方法だけを考え抜いたら、それはできるしかないのですから、いつかはできるに決まっているのです。 ■ 私が街頭演説で約1年半の間、愛読した松下幸之助翁の『実践経営哲学』の中に、こんな見出しの章がありました。「世間は正しいと考えること」 そこには、こんなくだりがありました、『何が正しいかを考えつつ、その正しいと考えるところを行っていくならば、それは基本的には世間から受け入れられるものと考えられる』 では、本当の正しさとは何でしょうか? それは、『人知を超えた大きな天地自然の理に従って経営をしていくということでなくてはならないのである』これも、松下翁の言葉です。 ■ 私が決めた正しさは、単なる「価値観」の域を超えていなのです。 世間や自然、宇宙が在るということ。「ただ在ること」 それが、正しさではないでしょうか? 人はただその正しさに対して、素直に、自分なりの工夫を尽くす・・・ 身勝手な判断や、変な意味でのこだわりを捨て、融通無碍に変化してゆく。 自然は、地球の誕生からズット~変化しているのです。「変化」 それは、留まらないこと。明るいときも、暗いときもある。自然は、好き・嫌いを言わない。 ■ しかし、人は「変化」について、どうしたら良いのでしょうか? 私は、オグマンディーノの名著『地上最強の商人』の言葉を思い出しました・・・「良い習慣の奴隷になること」 それは、どんな習慣なのでしょうか?決まってますよね!「どんな目の前の事や物にも、良い名前を付ける習慣」。「不況」は、「チャンス」と呼び変えよう!「不安」は、「勇気を出すとき」と呼び変えよう!「絶対絶命」は、「新しい人生のはじまり」だと呼び変えよう! ■ 私は正直~成功したいし、有名にもなりたい。 また、もっとお金も手にしたいし、もっと人の役にも立ちたい。それなら素直に、それを叫ぼう!「自然」 私たちの中にある自然は、先日も書いた「正直さ」と「素直さ」だと思います。 『それはできません』なんて言わないで、『ちょっと待って、できる方向でちょっと考えてみたら?』と促す。 すると、促された人の中に更なる可能性が広がる。 商売の可能性も、人生の可能性も、実は全ては自分の中にその答えがあるのではないのかなぁ~ ただ、自分の10のエネルギーを、“どう振り分けるか“次第・・・■ 「変にこだわらない」 一つを貫くことは大切だけど、本当に大切なことは、「変わり続けること」 老舗でよく言う、「不易流行」「自分を変える」とは、自分の中でのエネルギーをただ、何に振り分けるか?を変えることではないのか? 意味無く~TVを見ている時間を、読書へ。考えてばかりに時間を、スクワット100回へ。 ■ 私たちはエネルギーなのだから、そのエネルギーをプラスに振り分けてゆく・・・ この習慣の先に、どんなことでも叶えることができる力を手にできる気がしています。 そんなことを思いながら、今朝も4時に起きて、Yシャツにアイロンをかけ、『論語』のまとめを30分間やって、今、日記をカチカチ打っています。「何故、できないのか?」 それは、私ができない方向に決めていたからです。 では、今朝からは更に素直に、そして変なこだわりを捨て、自分の理想の私に向かって、小さな一歩を前だけを向いて進めてゆきます。 素敵な週末をお過ごしください!(7月17日 執筆)
2009.07.17
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□ 第四十九話 「もし言葉がなかったら?」 今朝想ったこと、それは・・・「もし言葉がなかったら?」です。 もし私たちに今日、「一言も話してはいけない」というルールがあったとします。 自宅でも、会社でも、地域でも、何処でもです・・・ 家庭ではお母さんがお子たちを起こし、学校へいかせています。また、私たちは仕事に出かけ、お役に立ちます。 地域ではお年寄りの皆さんが、世間話しやら、取れたての野菜をお隣にあげています。 そこで登場するのが、目の力、笑顔、ジェスチャー、握手、そしてハグです。『言葉がなかったら、暗い世の中だろうね?』と思われる方があるかも知れませんが、逆の現象がでるかもしれません。 ■ まず、家庭では起きたらハグをして確認をします。また、手を振って“おはよう”の笑顔で挨拶するかもしれませんね・・・ 学校や会社へ出かけるときは、肩をたたいたり、キスをしたり・・・ 会社ではどうでしょうか?“おはよう“の挨拶は、元気に右手を上げて、最高の笑顔で肩をトントンたたいて、また元気なハイタッチかな・・・ でも、見るからに落ち込んでいる人がいたら、“元気出せよ!”と~ほっぺたをツンツンします。 すると落ち込んでいる相手も、結構気が晴れて、元気が戻ってきます。 幼少の子供をベビーカーに乗せたお母さんが散歩をしていたら、地域のお年寄りが、お母さんの肩をたたいて、取れたての野菜をビニールに入れてあげています。 お年寄りは、べビーカーから赤ちゃんを抱き上げ、頬を合わせてスキンシップをして、笑顔を向けて、“いないいないバァー”とジェスチャーを使って、笑顔に花を咲かせています。 ■ さて、私たちは何をしているのでしょうか? それは、最近私がよく使っている、「感じている」ですよね・・・ 「言葉」は私たちの祖先が作った記号です。いつできたか?は私も調べていませんが、ずっと前のいつかに出来上がり、現在に至りました。 もし、この世から「言葉」がなくなったら、不便な反面、もしかするとこの国や、地域、家庭、そして私たち本人も良くなるのかもしれませんよね・・・ 言葉という表現が、この世の中をややこしくしているのかも知れません。 もし、チャレンジとして今日一日「言葉」の代わりに、何かを使って、昨日までの人との関係を落とすことなく継続することが与えられたら、皆さんはどうしますか? ■ それを自分で考え、実行することが、「経験する」ことです。 ですから、「経験」とは本当に行動に移す前に、自分の中で感じ始めることです。 『○○さんに会ったら、こんな笑顔で挨拶して、ギュッと抱きしめてもらって・・・』 それを行う前からリアルに創造していることです。 これは、「内側から創造すること」です。すると、その○○さんが現れ、素敵な笑顔の挨拶が行われ、ギュッと抱きしめてくれるのです。 これが、「外側から創造された」となります。 ですから、何でも行動に移す前に、その対象と一体となり、目を閉じた状態で経験するのです。 すると、その「想う」というエネルギーが宇宙の何処かで生成されはじめるのです。 ■ 今朝の私は、テーマである「もし言葉がなかったら?」が沸いてきたとき、少々考えたんですよ・・・ すると、やっぱり駄目でした。(汗) まったくその先のアイデアが湧いてこないのです。 私はお決まりの瞑想15分と、板間に大の字になって更に15分、ある状態のなることを心がけました。「気分を良くする」 私の気分がトロトロしてくるまで、目を閉じてウツらウツらの中で、海の上をプカプカと浮いているのです。 すると、今朝のテーマが書ける状態が整うのです。 それは、「何が」が浮かんで来るのではなく、ただ気分が良くなり、フラットな状態になるのです。 考えない状態とでも言いましょうか・・・この状態になると、手が勝手に動き出すのです。(笑顔) ■ しかし、その内容が皆さんのためになっているか?は定かではありません・・・ でも大切なことは、小説家や作家が、『文章が書けない・・・』と悩むことにとても似ています。 要は、「人のために書いている」、また「お金のために書いている」状態がストレスなのです。 ストレスを感じると、恐れが襲ってきます。 「恐れ」は、気分が良いことの裏側に位置しています。ですから、紙一重なんです。 理想としては、恐れや不安を感じたら、その源を察知し、そのマイナスのエネルギーを直ぐに逆のプラスに転換する動作をしなくてはなりません。 ■ それが、「感じること」です。 不安を感じたら、ハグです。寂しくなったら、ハグです。考え過ぎたら、ハグです。 全てを言葉で表現するから、恐れや不安がなくならないのではないでしょうか? 今朝は、言葉を優先する前に、目の力、笑顔、ジェスチャーを優先してみてはどうでしょうか? その気分を経験し、創造し、現実に引き寄せてみましょう! 全ては、私たちの言葉という意識が左右しているのですから・・・(7月16日 執筆)
2009.07.16
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□ 第四十八話 「今を生きる心構えとは、何か?」 今朝早くに起きて、昨日NHKで放映された『あと数ヶ月の日々を』という、ある物理学者の物語を、Yシャツにアイロンをかけながら観ました。 大変難解な物語でした。「生とは何か? 死とは何か?」 そんな宇宙の神秘に対に挑戦をした一人の男性の生き様を通じて、今朝は想うままにキーボードをたたいてみます。 最近~「考えてみます」とは言わなくなりました。また、書かかないように努めています。 だから、キーボードをたたく両手が勝手に感じて、書いていることにしています。 しかし、正確には「考えて」います。(笑い) ■ さて、私は1時間の番組を見ても正直、“ピン”と来ませんでした。他人の死とはいつも、そういうものです・・・ ですから、30分間書斎の板間に横になって、戸塚洋二さんのメッセージを想い起こしてみました。 すると、「毎日が神秘」という言葉が浮かんできました。 すぐに横に置いたメモ帳に走り書きをして、更にジッと感じ続けていました。 すると次に、「心構え」という言葉が浮かんできました。 番組の主人公である戸塚洋二氏は、自分の死と向き合い、それを克明にブログに載せ続けていました。 戸塚氏のブログの中に、「いかに心の在り様を保ち続けるか」というコメントがあったことを思い出しました。 自らの最後と向き合いながら、自らの心と体がどのように変化してゆくのかをつぶさに観察したのです。 ■ 彼の生への気づきは、「一日の中の更に小さな部分に注意を注ぎ、それに想いをこめること」でした。 毎日、自らの最後への恐怖が心の中に沸き起こってきたはずです。 そんなとき、私だったらどんな想いで、自分の恐怖と向き合うことができるのでしょうか? それは、考えてみての答えは出てきません。「感じる」 戸塚さんは、仏教にも関心をしめしていました。「人は無という宇宙から生まれ、また無という宇宙に戻ってゆく」「無」 その逆が「有」。では、何が今、在るのでしょうか?私の心、私の体、私の今という時間。「時間」 それは、私がこの世に生かされるメモリの役割・・・無の世界には、時間は存在しない。 ■ 毎日は、いつも24時間。 この時間の中に、人生の答えがあるはず。時間は目に見えない。だから、心で感じるしかない。『でも、時計があるじゃないの?』 私が今感じるのは、「時計」は物質世界のメモリだから、あの世という「無」では不要であり、役に立たない。 では、何だったら、両方の世界で通用するのだろうか?『ウゥ・・・』 私は考える・・・ でも答えは出てこない?『じゃぁ~感じてみよう』 私はフゥと目を閉じ、自分の今を感じてみました。“あった!”■ 「正直さ」 あの世で私たちは、無に戻るのだから正直になります。しかし、現世では中々正直になることはできません。 例えば、電車で老人が次の駅で乗ってきたとします。 すると、私たちの中の正直さは直ぐに反応をして、動き出します。『席を譲ってあげよう・・・』 しかし、その瞬間、私たちは考えるのです。『やっぱりやめよ!だって、混雑しているし、私も疲れているから・・・』 これは、「不正直さ」と呼びます。「正直さ」は、自分の魂が感じていることだから、「感じることは正しい」のです。 ■ 孔子はこれを「良心」と呼びました。仏陀は「仏心」と呼びました。 私たちに中には、全員にこの元々の心が宿されています。さて、残り半ページになりました。 とめどない日記の結論を急ぎますね・・・「神秘とは、今日の小さな行為に、少しの想いを込め、今、充実感を味わい愛でること」です。 これが、「今を生きる心構え」ということの答えだと感じています。 大きな悟りが天から降りてくるのではありません。 私たちの中にある「正直さ」という天からのメモリを使って、今を察知し、目の前の小さなことにホンの小さな想いを込め、そこに幸せを感じることです。 ■ 最後に現れる「不安」と「恐怖」 そのマイナスのエネルギーは、またその時考えましょう・・・ 今できる小さなことに対する、自分のエネルギーを集中させましょう。 だって何時、天からお迎えが来るのか?分からないのに、そんなものに関わるエネルギーがもったいないからです。 今に小さな注意に注ぎ、悔いを残さないことが、今日を生きる秘訣だと想うのです。 今日は不安が顔を出さないで、過ごすことができるかな? ちょっとした私の神秘な楽しみです!(笑顔)(7月15日 執筆)
2009.07.15
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□ 「何のために?」 昨日の夜と早朝に分けて、知り合いの方から頂いた中村文昭さんの講演映像を久しぶりに観ました。 私が独立した年に名古屋栄のビルの3階で聞いた話に近い内容でした。 久しぶりに、足元を洗ってもらった清々しい朝を迎えることができました。(田中さん、感謝です!) 中村文昭さんをご存知な方は多くいるでしょうから、紹介は割愛します。文昭さんが師匠である田端さんから教えてもらった人生成長の秘訣が4つありました。一.返事は0.2秒。 二.頼まれ事は試されごと。 三.出来ない理由を言わずに行動する。 四.今、できることからヤル! でした。 ■ 私は昨日帰宅途中、あることを考えていました。 それは、「私がワクワクする時の共通項は何か?」を口にし出して自問自答していました。 すると、その時新しい気づきが降りてきました。「気づき」 それは、人が時間的、質的、エネルギー的な次元上昇です。 私の気づきは、私がワクワクしている時の共通項は、「人のためにリスクを超えて、動いていること」でした。 自分のためにリスクをおかして行動しても、ワクワクはしないのです。 ソワソワはしても、ワクワクはしない・・・それが、私の役割だと昨日の帰りに感じたのです。 ■ さて、文昭さんの話に戻ります。 文昭さんが田端師匠との4年間の関わりの中で体に刷り込まれたことは、「常に“何のために“という目的を明確にし、今を完全燃焼すること」でした。 私的に言えば、私がワクワクすることは、他人のためにリスクを超えて役立っている瞬間だから、これが私の天から授けられた役割だと想うのです。「ワクワク」とは、魂が喜んでいる様です。 文昭さんも講演で言っているのですが、「商売とは、人間力である。相手やお客様が“また来たい、また会いたい”という何かを残すこと」です。 そのためには、私たちは「感じたら、即動くこと」しかありません。■ 「感動」 相手を感動させることは、その先に自分の魂がワクワクしていることです。 結果として、相手やお客様がその姿勢を通じて、心を動かすのです。「一日一生の想い」 なかなか難しい言葉だと思っていましたが、こんな意味かな?って今朝想いました。 自分がワクワクする状態を逆に創り出し、今、目の前のことに完全燃焼すること。「創造すること」 今日という日を、自分が、自分の一番ワクワクする状態を創り上げ、それに没頭してゆくこと。 値段や評価は横に置き、それに没頭すること。「何をやるかより、何を創り上げるか」 職種、内容、報酬・・・そんなことより大切なことは、毎日一回でも、一つでも多くのワクワクを創り出し、それと一体となること。 それは、「何をやるか」ではなく、「何を創り上げるか」ではないか?!■ 「私が決める」 それは、私が一番ワクワクすることに、今日何か一つチャレンジすること。 もし、皆さんの中で『これは、ちょっと無理なかぁ~』とあきらめていることがあったら、是非私に相談してもらえませんか? メールかFAXに限りますが、報酬は要りませんが、時間はちょっと頂きますよ・・・ それが、私の魂を磨き、私が一番ワクワクすることだから、それを私に携わる(日記を読んでくださる)方なら、何か小さな一つでも、お役に立ちたい・・・「私がやる」 文昭さんが得た教えは、要は「全てを自分のこととして行動する。そして、自分を完全燃焼し、昨日までの自分を越えること」だと私は理解しました。「情熱」 自分がワクワクして今を動くことができたら、自分が変わってゆく。そして、環境も、役割も大きく変化してゆく。「最高の報酬とは何か?」 それは、過程、プロセスだ。自分が無い知恵を使って、挑戦し、新しい自分を創造できること。 それが、後の「評価」や「結果」につながってゆきます。■ 「今しかない」 もう昨日は終わりましたから、この世には存在しません。明日はまだ来ていません。 私たちにあるもの、それは、目の前の“今“・・・この今をどう感じて、動くかです。「何のために?」 幸せを手にするのは、自分が一番ワクワクすることを見つけ出し、それを工夫して、仕事や日常に仕組みとして入れてゆく工夫・・・ それが、「何のために」の答え、「自分のワクワクに出会うため」だと感じています。■「中村文昭さん講演会」 7月27日(月)午後6時30分~。岐阜県可児市福祉センター。前売り¥2,000、当日¥2,500。 問合せ・SKオリジナル 松本店長 0574―67―7001■ 「三宅勇をワクワクさせる、困難な質問受付」 メール・ i-miyake@smile-consulting.co.jp 「メールの件名」三宅勇をワクワクさせる、困難な質問「FAX」 0572―24―7022 までお問い合わせください。(7月14日 執筆)
2009.07.14
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□ 第四十六話 「愛し合ってるかい?」 先週末、師匠の出路さんから送ってもらった、故「RCサクセション・忌野清志郎」の報道番組2本を編集したDVDを観ました。 そのとき、清志郎さんが言っていたことが今の私の心に強く残っています。「愛し合ってるかい?」 私は愛しあってるのだろうか? そもそも、清志郎さんが言っていた「愛し合う」の定義は何だったのだろうか? 今朝は、そこのところを自分に問いかけてみます。 ■ 話が飛びますが、先週末自分で「内観」をやってみました。 私は正直、「自分の努力が叶った」という体験をしたことがありません。 ですから、私の人生45年間の「努力」について溯ってみました。 すると、私が小学校2年のとき、運動会の最後に走る地域リレーの代表を決める選考会みたいなものにたどり着きました。 私は小学校1年の地域リレーでは代表でしたから、2年生のときにも、”当然今年も!”と想っていました。 しかし、地域で一緒だった「なお君」という私よりも、身長が相当低い同級生にあっさり負けてしまったのです。 今思い出しても、その当時のことをありありと自分の心の中に思い出すことができます。■ 「悔しかった」 当時私は8歳でしたが、人生で始めて味わう辛酸の味でした。 そして、その時何故なお君がこんなに1年で早くなったのかを考えてみました。 すると、なお君は「練習をしていた」ということが分かりました。8歳の私はそれから、時々校庭を走るようになりました。 そして、1年後の3年生の秋の選考会前などは一生懸命、走る練習をしました。 私が人生始めて継続した「努力」というセピア色?の思い出だったのです・・・ そして、私は秋の運動会の地域リレーの選考会本番を迎えました。結果は、またしてもなお君に負けてしまいました。 私のなかで、”努力って、やっても駄目なんだ”という「信念」がこの時、心の中に芽生えました。 そして長い歳月を経て、その信念が、もう見ることができない「ガラスの信念」となり、私にも見えない信念として、私の「努力」という一切を影で取り仕切っていたのです。 ■ 私は小学校6年の時、今でいう進学塾に入りました。 親が学歴がなかったので、幼い私に薦めたのです。私はその塾の生徒の中で、いつも成績は最下位でした。 今から思えばどうして当時、”努力する”ってことを、12歳になる私は行動に移さなかったのか?が、つい先日まで理解できませんでした。『どうして私はあの塾で、「努力する」ということをしなかったのだろうか?』 私は45歳になる今の今まで、ズ~トと考え続けてきました。 そして、先週末内観して分かったことは、先に記しました、私も気づかないガラスのむこうに、私の「努力」に関する、目に見えない信念が隠れていたのです。 だから私はこれまでの45年間、何をやっても~自分で「努力の結果、目標が叶った!」という程の達成感を味わったことがありませんでした。 それは、私も気づかない「ガラスの信念」が、私に努力をさせなかったのです。 ■ 私は今から5年半前からの独立以来~こと「努力」に関しては、それなりにしてきたつもりでした。 遊ぶことを嫌い、いつも“頑張らないといけない”と想って、常に自分の中での努力を、歯を食いしばって継続してきました。 今を思えば、私の努力は見えないところで、小学校3年の時に培われた、”どうせ努力なんてしても無駄だよ!”というマイナスエネルギーに強い影響を受け続けていたのです。 ですから、お恥ずかしい話ですが、“叶った”という実感が得ることはありませんでした。 小説を書いても、新しいホームページを作っても・・・何をやっても自分の小学校3年以前の私の心境になることはできなかったのです。 しかし、繰り返しになりますが、先週末自分で内観を約3時間取り組み、私の努力を叶わない方向に引っ張っている、見えない信念を見つけることができ本当に良かったです。 ■ さて、今朝のお題は「愛し合ってるかい!」でしたね・・・ 愛し合うの定義は、「自分の過去に縛られない、純粋で疑わない自己を信じ、今、ここ、を味わい愛(め)でていること」です。 自分の描いた目標を疑わないピュアな私。また、ガラスの信念に影響されない、子供心。 私事ですが、私はようやく本当の私に出会うことができました。なお君に競争で負けて、自分の努力を疑う前の純粋な私に・・・ 私は9歳の時、校庭で”努力って、やっても駄目なんだ”と涙を流しながら淋しく下を向いていた私に、そっと語りかる・・・『大丈夫、あなたが叶えたいことは、何でも実現するよ!』 私の過去がドミノ倒しの逆で、全ておき起き上がってくることを感じました。■ 「愛し合ってるかい!」 過去の駄目だった私を洗い流すような思い切った“シャウト” 今朝の私は、身軽で、そして透き通った笑顔・・・疑いの無い子供心。 忌野清志郎は今朝も天国で歌っている。「愛し合ってるかい!」 今の自分が抱きしめたくなるぐらい大好きか?ってこと。 生きることは、生きた年月の長さではない・・・ 自分の今を愛した密度だと想いました。(7月13日 執筆)
2009.07.13
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□ 第四十五話 「自分の道は何処にあるのか?」 先日あるご商売をやっている方に、『この店、フリーハグのお店にしましょうよ!』と提案をしました。 『三宅さん、ちょっとエロ過ぎますよ!』と断られてしまいましたが、私は相当に“いけてる“発想だと感じたんですね! 私たちは、確実に商売でも人生でも成功とか成長とか~良い方向にもってゆきたいと考え、様々な勉強を続けています。 その良い例が、「成功事例の研究」です。 一番安価な投資は、「読書」です。 ある一定の成果を出した方の具体的な動機、プロセス、失敗事例、結果を通じて「知識として学ぶこと」です。 次が、その会社を実際に見て、体験する「現場体験」です。 ■ 自分でも、『これだったら、自社でもできそうだなぁ~』また、『ちょっと無理したら、できそうだなぁ~』なんて、考えて導入したりします。 私も実はこれまでは、それはそれで賛成でした。 しかし、今はそんな「人の真似をする」ということはしませんし、人にも薦めません。 それは、こんな理由からなのです。「考えてやることには、限界があるから」です。 いかがでしょうか? では、私の今朝現在の答えは、「感じたことには、限界がない」です。 ■ もし私がレストランのオーナーだったとします。私も時々現場に立ち、接客や料理を手伝うこともあります。 それは、従業員のモチベーションUPとして取り組んでいるのです。「一体感」を出すためです。 まず、私がお店にいる日に限定するのですが、「フリーハグ」をします。 自分用のTシャツを作って、“FREE FAGS”と裏に、表には“ハグして、感じ合おうよ”とイラスト入りで大きくプリントします。 入り口には、「今日は、フリーハグの日です。Tシャツを見たら、声をかけて下さい。何回でもOKです(笑い)」 なんて、冗談一杯に可愛いイラストを添えて出しておきます。 私の住んでいる田舎で、「フリーハグ」を知っている人は、100人中1名ぐらいでしょうか?! しかし、私が感じたのは、ハグをしたときの心地よさと、「今を感じる感覚は何歳になっても大切な愛情表現だなぁ~」でした。「愛」 それは、「天からの贈り物」です。 ■ 「考えること」は、私でいえば、45年間の様々な経験であり、そこから発生した様々な価値観の蓄積です。 小さな私の経験ですから、たかが知れています。先ほどの、「他社を学ぶ」という行為は大切なのですが、私の「1.0」が、「1.2」か「1.3」になるまでだと思うのです。 要は、ワクワクしない・・・ワクワクとは、私たちの魂の仕事です。それが、「感じること」です。「感じる」とは、私たちの魂が何かに触れた瞬間の感覚です。 しかし、これには「根拠」がありません。確からしさがないのです。『フリーハグの店なんてやるより、手堅くあのお店を真似て、1,200円のランチをやっておこうよ!』 考えたことは、予測ができます。もし私がレストランをやっていたら、ランチの仕込みは“30セット用意しておこう“・・・しかし、感じたことは用意ができません。 ■ さて、ここから今朝の本題です。「感じること」 それにはライバルはありません。その代わり、リスクはあります。しかし、限界がありません。 さぁ~どちらを選ぶか? それが、私たちの「人生観」です。「安定か、それとも挑戦か」 だから、「強制」ではなく「選択」です。 私が申し上げたいことは、この「選択」に到達するまでのプロセスを楽しむことです。 だから、ここに着くまでには「志」が必要なのです。 テクニックや手法ではない、見えない「志」が無ければ腹をくくることはできません。 「駄目なら、やり直せばイイジャン!」 腹をくくり、向かうとき、人知を超えた見えない力が支えてくれる気がするのです。■ 「ハグ」が大切なのではありません。 感じるまで、自分を高め、自分を磨く「道」を持っているか否か・・・ そして、感じる策はあなたの中に無限にあるということです。 だって、私たちの魂は天にあり、いつも澄んだ瞳で私たちに信号を送っているのです。 ほら・・・聴こえますか? 天からメッセージが・・・“あなたはできる、絶対できる”と言っていますよ!実は、天は私たちの心の奥底に隠れているのです。 どんな瞬間に“つながる“のでしょうか? それが、「“フゥ”と感じたとき」です。そして、それを行動に移した瞬間です。 魂がワクワクすると、それは波動し、エネルギーとなるのです。それが、天との一体感なのです。(7月10日 執筆)
2009.07.10
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□ 第四十四話 「ガラスの信念を探せ!」 昨日ある方に質問をされました。『どうして、三宅さんは本の出版にこだわるのですか?』 私は答えました。『私の目標の一番は、私に携わる人たちの隠れた能力に気づきをあたえること、です。四番目が、年間3冊の書籍出版を通じて、社会を明るく元気にする、です。 だから、本の出版にこだわるのです。』 Iさん 『でも、社会を明るくすることが目標なら、別に1冊でいいのではありませんか?』 私 『う~ん・・・確かに・・・何故、私は3冊などと書いた(思った)のだろうか?』 私が、私に問い直しました。■ 『私が書籍出版にこだわる、私も気づいていない「見えない信念」があるのではないかなぁ~?』 そんなことを、Iさんに話しました。すると、『それは、ガラスの信念といって、自分の目標達成を影で引っ張る、ものすごい力なんです!』 私は更に、自分に質問を続けました。『出版は手段だから、社会を明るくするのは、企業研修で十分じゃないのかなぁ~?』 Iさん 『何故、出版なの? それにこだわる理由があるはずですよ!』『ありました!私が「出版」にこだわる理由は、出版をしたら、それで名前が売れたコンサルタントをしっていて、私はそういった人たちを、“うらやましく”想っていた・・・ だから、自分も本を出版して、名前が売れて、それが商売につながればイイナぁ~と、姑息のことを考えた! そうだっ! 名前を売って、商売につなげたかったからだ! 私のガラスの信念は、“社会を明るく“は二の次で、「自分を売り込みたい」だったんだ~』■ するとIさんが、言いました、『もし三宅さんが成功したかったら、他人を学ぶんじゃなくて、自分の本当を徹底的に学ぶとイイですよ! 三宅さんのように前向きに生きているようでも、ガラスの見えない信念に気づかないと、どれだけ努力しても、それが通じて叶うってことはありませんから・・・ でも、「自分を売り込みたい」ということが悪い訳ではありませんからね・・・ それは、人として当たり前のことです。大切なのは、目に見えないガラスの信念に気づくことですよ! もしかしたら、出版社から良い連絡があるかも知れませんよ!』 ■ 私は自分でも気づいていない「ガラスの信念」を口にできた直後、とても肩の力が抜けて楽になりました。 私は、独立直後に出版した書籍が売れ、有名になった人たちを影では否定しながら、実はその人たちのように、世間からチヤホヤされたかったのです。 しかし昨日運良く、自分でも気づかないガラスの信念に気づくことができました。 すると、「売りたい売りたい」と想っていたマイナスの見えない力が薄れて、こんな言葉がでてきました。『出版は自分を売り込みたい手段だったから、いつもマイナスのエネルギーを感じていたんだ・・・ だから、もう辞めちゃお!地道に自分を磨いて、もし縁をいただくことがあったら、そのときのために「自分への質問」だけは、平日毎日続けて行こう!』 ■ Iさんの言葉ではありませんが、私に必要だったのは、「目標設定」でも、「厳しい時間管理」でも、「出版社への売り込み」でもありませんでした。 「自分の本当をただ知り、素直な私になること」でした。 もしかすると、私の中に「見栄」のような「ガラスの信念」がまだまだ在るのかも知れませんね・・・ また、時間があるときに、自分に質問を続けたいと想います。もし皆さんも時間があったら、自分の目標を書き出し、それを妨げているガラスの信念を見つけ出して下さい。 ポイントは、一人でやるより、第三者に質問をしてもらうことです。 そして、自分でも“嘘~”とびっくりするような信念に出会ったら、それがあなたの目標をマイナスに引き続けている「ガラスの信念」です。 ■ 肩の力が軽くなれば、こだわりも無くなり、私たちの叶うスピードは益々加速してゆきます。 何にも捕われず、“100%できる“と想えたことは、必ず叶うのです。 それが、「宇宙の仕組み」です。 後は、赤ちゃんのように、自分を信じることです。タマタマ、偶然なんてありません。「全ては、自分が創り出している」のです。 「ガラスの信念を探せ!」 全ての答えは、自分の中にあるのです・・・素直な、肩の力を抜いた一日をお過ごしください。(7月9日 執筆)
2009.07.09
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□ 第四十三話 「何をすれば良いのか?」 昨日あるお仕事をしているとき、この質問が浮かんできました。 それはある業界のテレアポイントの指導をしている(正確には、私も一緒にやっている)時に、ひらめきました。 公的な仕事でない限り、多くは営業が最も大切な要素です。 特に「営業会社」と名のつく会社では、深刻な問題です。私は独立2年目に、テレアポイントを指導する会社のセミナーに出席をしたことがあります。「電話営業」 昔から続く営業の伝統です。 ■ 皆さんが「営業」といえば、何を連想するのでしょうか? 営業の王道は、「軒並み営業」です。俗に言う、「飛び込み」ってヤツです。 営業にはこの他に、ホームページ(SEO対策を含む)活用、FAX・DM、封書DMがあります。 よく「口コミ」というのは、最初のスタートからはありません。 結果的にお客様からの評判が広がって、「口込んで頂く」訳ですから、これは省きます。 さて、皆さんはどの営業方法が、一般営業会社には良いと思いますか?「何をすれは良いのか?」 私の答えは、「何でも良い」です。 電話営業でも、軒並み営業でも、ホームページの活用でも、DMでも何でもいいのです。 その心は、「それをいかに、自分の知恵で楽しむか」です。 ■ 私は元営業会社の出身です。現在の営業手法を詳細に理解している者ではありません。しかし、大なり小なりです。 営業会社の既存顧客や新規客への電話連絡は、通常契約社員やアルバイトの女性が担当しています。 それは、女性は当たりが柔らかいからです。しかし、そのトーク(何を話すか)は会社から指定された内容を、ただ坦々と読み続けています。 未だ法律で、「直接営業禁止」とはなっていないようですが、最近の営業会社は「軒並み営業」はしなくなってきました。 「効率が悪い」のと、正直「嫌だから」です。(私はそう考えています) 「効率」を良いことや、どんどん楽な営業にシフトして、「自分で創造する」という知恵を出し合った創造業として、「仕事」というものを見ていないようです。■ 自宅にはあい変わらずしつこい販売営業の電話が週末になると、かかってきます。 また、昨日も何処で調べたのか、「やずや式マーケティングの秘訣の全貌をDVDで公開」というDMがたいそうなお金をかけて送られてきました。 営業でも、サービスでも要は一緒です。「何をすれは良いのか?」 電話をどうしたら楽しめるのだろう? 軒並み訪問の営業をどうしたら、楽しめるのだろう? ホームページやFAXDMの企画をどうやったら、楽しめるのだろう? それを考え、実行し、現に楽しみを見つけ出し、そのワクワクを伝えること・・・ それが、“コンサルタントの仕事だなぁ~“と最近、痛感するのです。 名古屋駅前にフリーハグだって、事務所でのアポイントだって、要は一緒です。■ それは、自分でやってみて感じたのです。 いくら考えてみても、それは考え尽くす事はできません。 毎日コツコツと、着実な歩みを継続しながら、自分がそのモノと一体となる瞬間を体験する・・・ 従業員が嫌々やる営業ではなく、楽しむことを創造すること・・・「何をすれは良いのか?」 いつでも、何処でも、やることに答えはなく、その事柄を楽しむ知恵と勇気を湧き起こすこと。 だから、留まってはいけないと想う。執着してははいけないと想う。 やる人も、受けるお客様も楽しめることを感じて、経験して、形にするプロセス・・・ ■ 人生も、営業も、全て一緒だ。 「今を感じ、楽しむことに、エネルギーを集中する」だから、一つが大切だ。「こころ握れば、一点となりこころ開けば、無窮となる」 何でもいいから、自分を貫く一点が欲しい。 一点は、行動に結びつく。 行動は、力を蓄積する。力は、自信となり、私たちを覆い尽くす。「自信が欲しい」 何処でも、何をやっても、やり切れる力が欲しい。継続力が欲しい。 ■ 欲しいものは、「何をすれは良いのか?」ではない。 あきらめない、情熱ある私が欲しい。その鍵は、自分の奥深くにしかない。 だから、今朝も継続する。 小さな一点をやり続ける。 すると、私が一点とり天に通じる。私が全ての源となる。(7月8日 執筆)
2009.07.08
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□ 第四十二話 「過去は何処にあるのか?」 今朝の4時、雨が降っています。シトシトと響く雨のしずくの音は、何だか心地良い音色です。この音を聞きながら、昨夜の質問に耳を傾けています・・・「過去は何処にあるのか?」 何故こんな質問を想ったか?というと、以前にも書いたと思うのですが、人は自分の「未来」が知りたいのです。 しかし、いくら未来だけを見ても、その未来が叶うことはありません。過去が影響しているからです。 私は今朝いつもの15分間坐禅をして、更に15分間~仰向けになって両手両足を投げ出し眼を閉じて、ジッとしています。 なるべく何も考えないようにしていると、ウトウトしてきます。 すると、“フゥ“と~幼少の頃の過去の思い出が甦ってきます。『あぁ~そういえば、あんなこともあったなぁ~』 そうです、過去は何処かにエネルギーとして存在しています。■ 今、私が存在するのは過去があったからです。 しかし、過去を再現したり、手の上にのせたりすることはできません。 過去とは実在はしませんが、エネルギーとして何処かにあるのです。 心の中かなぁ~。脳の一番奥なかぁ~それとも宇宙の端かなぁ~。 いやいや、眼の裏にへばりついているゴミなのかもしれない・・・ 昨日も書きましたが、もしかして大切なことはその居場所を探すことではなくて、それが「ある」と決めて、それを感じていることじゃないかなぁ~ 私の両手がキーボードを打ち続けるに任せていることではないかなぁ~■ 「幸せを考える」なんてできない・・・ 幸せは、感じるもの。だから、幸せは今しかない。 過去の良い思いも悪い思いも、全てはもう存在しない幻だから、そんな何処にあるとも分からない、「無いもの探し」にエネルギーを使うなら、ジッと眼を閉じて、今を感じていたい・・・ 今朝の質問である、「過去は何処にあるのか?」の答えは、 『そんなもん、何処にあってもいいじゃないの!』かなぁ~仕事帰りに小さな公園や、池の周りを散歩して、地元の帰宅途中の小学生に、『お帰り!今日は学校楽しかった?』と元気に声を掛ける・・・ 過去が何処にあろうと、今眼の前を明るくするのは、私たち一人ひとりの今の行動でしかない。 嫌な過去があっても、『よかった、嫌なことが過去に起こって!だって、明日じゃないことは確かだからね!』 なんて想えたら・・・過去を活かすことができる。 ■ 良い・悪い、好き・嫌い、正しい・間違っている・・・ それは、人それぞれの「価値観」だから、今が少しでも良くなれば、その価値観だってよくなるはず。 今を良くするのは、過去じゃない。楽しい思い出じゃない。はたまた、苦しい思い出じゃない。 楽しい・苦しいは、その人の価値観・・・ だから、今変えることが出来る。「過去は何処にあるのか?」そんな事はどうでもイイ! 事実としてあるのは、「過去があったから今がある」ということ。 だったら、この今が過去の総決算だから、どんな苦しいことがあっても、トラウマがあっても、今を感じるしかない。 苦しい過去に、“ありがとう”と言う。嫌な経験(トラウマ)に、“ありがとう“と言う。そして、それを味わい愛(め)でる。■ 過去とは、感謝だ! 過去とは、ありがとうだ!過去が自分を今、創ってくれたのだ! 過去の一切を受けとめ、大嫌な人を、大嫌いの行為を、大嫌いな自分を、今の自分の細胞の一つひとつとして、感じ尽す。 そして、今にエネルギーを集中させてゆく・・・ 不安も無い、また希望もない、ただ在るのは今への言葉を通り越した愛の想い・・・ 言葉は、感じる先に生まれた文化だ。文字はそこから生まれた伝承だ。最初は、「感じる」しかなかった。 でも時々は過去を思い出したら、その思い出ってやつを抱きしめ、『あんたがあるから、今があるのよ!ありがとう。チュッ!』なんてやって、自分で自分を盛り上げてゆきたい。 ■ 過去がどうであれ、人という生き物は「無限の能力」を与えられている。 それが、「良く考える」という能力だ。同じ使うなら、マイナスではなくプラスにエネルギーを使ってゆきたいですね! アッ!空が明るくなってきました。今朝の私の心の色です。 今日は七夕で、縁起の良い日だという・・・さぁ~縁起を頂きに~自分の今の一歩を踏み出しましょう!(7月7日 執筆))
2009.07.07
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□ 第四十一話 「何故、行動することでしか、成長できないのか?」 まず、「何故、自分への質問なのか?」それは、自分こそが自分の原点であり、答えだからです。だから、毎日自分に問い続ける・・・ 例えば、「考えること」で人が変化できれば、いつも考えていればいいのです。 しかし、私がこの質問を布団の中で考えていて、私は昨日より少しでも成長できるのだろうか? その答えは、「NO」・・・ 自分で布団から起き上がり、昨夜の思いつきの質問に向かい、「行動する」から、自分を磨くことができる。 更に言えば、「新しい自分が現れる」だから私は平日毎日、「自分という原点に問い続ける」のです。■ 「ゴール」 もうこれ以上、質問をしなくても良い状態には一生問い続けてもなることは無いと想うなぁ~それだけ、原点は深く、広く、果てしない。 以前も書いたけど、「私たちはエネルギー」なんです。「問い続けること」は、エネルギーを掘り続けることでもあります。 人のエネルギーは、原油のように、“後数年で枯渇します“ということはありません。 求めれば、求めるだけあふれ出てきます。 しかし、その行動であり、質問をやめてしまうと、直ぐに固まり、減少を始める。それが、「元気が無い」という状態。■ 「元気」の元は、物事のはじめ、多いなるモノという意味。 気は、私たちの見えない魂。だから、元気という意味は本当に深い意味がある。『今日も元気で行ってくるのよ!』 子どもがまだ小さい頃は、家族はこんな言葉をいって送り出したものだ・・・ 子どもは、何歳までかは分からないけど、あまり「不安」にはならない。 それは、「考える」とは思考の固定であり、限定であるからです。子ども時代は良い意味で、考え方が柔軟で、自分を良い意味で決めていないのです。 だから、子どもは全員~「夢」をもっています。『あなたの夢は、何ですか?』 そんな問いを子ども達に投げかける。すると、素直に答える。『犬の先生、学校の先生、パイロット、サッカーの選手、消防士・・・』 考えていない。だから、煥発いれずに答えが出てくる。■ では、今の私たちはどうであろうか?『今年45歳のあなたの夢は何ですか?』 こんな問いに、今年45歳の私は、詰まる・・・計算をしました。 平均寿命82歳から45を引いて・・・残り・・・運がよかったら、37年か!? 37年で出来る夢? 本当は色々あるのに、更に考える。でも私の両手はキーボードから離れない・・・ それは、「感じたこと」を何の脈略も無く打ち続けているから。 私は感じた!『これだなぁ~』(笑顔) ■ 考えないで行動すると、思考より先に、何か「ある力」が先行している。 それは何なかぁ~? でも大切な事は、今それを考えることじゃなくて、それを感じて動いていること。 それが、本当の「感動」 自分の思考を越えた力に出会っている瞬間・・・これは、ファンタスティックだ! 私は早朝から毎日、自分の思考を超えた力に出会うことができたら、それが私の「夢」なかぁ~ この夢を継続するためには、「考える」のではなく、「行動する」しかない。行動とは、自分の夢の掛け橋だともいえる。 エネルギーを過去や未来ではなく、今という瞬間に集中し、それを味わい愛(め)でること。 それが、「何故、行動することでしか、成長できないのか」の答えだと想う。 ■ 子ども時代の考えることと、大人時代の考えることには、本質的に違いがある。 大人時代の「考える」は、多くが過去というマイナスのエネルギーに影響された未来を不安視している状態である。 私であれば、つべこべ言わずに机に座り、キーボードをたたき続けることだ。 そして、その速度や内容は継続することで加速する。「考えない継続」 これが、原点への成長ではないだろうか? 私たちの原点は、天に通じ、無限の力を有しています。 毎日は、それへの挑戦のためにある。だから、私は今日も行動する。それが、自分の原点への前進だから・・・(7月6日 執筆)
2009.07.06
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□ 第四十話 「今を感じるには、どうしたらイイのか?」 昨日のお話しをします。私は、6月9日までの9日間の研修で、ハグをやり続けました。一つのチャレンジでした。 日本人の決まった男性女性5名に、早朝会場で会うと私から声をかけてハグをしました。 皆さんもハグはしたことあるでしょうけど、最初は恥ずかしいものですよね・・・ でも、毎日続けていたら「今を感じるには、ハグすることだな!」と分かってきました。 それは、ハグした瞬間相手の体温を感じて、相手の今を受け止めることができるからです。 また、自分も力を込めて抱くことによって、自分の力とエネルギーを感じることができるのです。 ■ そんなことを思い出しながら6月27日、ユーチューブで「フリーハグ」というモノを知ったんです。 皆さんは、「フリーハグ」を知ってますか? もし時間があったら、ユーチューブで「フリーハグ」って検索をしてみて下さい。 桜井さんのバックミュージックに、一人の女性が公園をフリーハグの看板をもって移動する場面が一番上にできてきます。 一般的には4~5名で大きな看板をもって名古屋の栄や、東京の渋谷でやっているらしいのです。 私はその映像を見た瞬間、“俺もやってみたい”と想って、その場でA3の白紙に英語で「FREE HAGS」と書いてラミネートをつくりました。 そして、昨日名古屋の仕事帰り車の中でジーンズと緑のTシャツに着替え、昔街頭をやっていた名駅のタクシー乗り場の前にたって、フリーハグをはじめました。 ■ 私は昨日の企業研修で、若い方にこう言ったんです・・・『私たちはいつも考えて、そしてあきらめる。 イイ! 考えるとは、嫌な過去にエンルギーを集中し、未来を見ながら不安になることだよ・・・ だから、いつも大切な“今“が感じられないんだよ! 私たちのエネルギーは人によって大きさは違うけど、みんなそれぞれ10のエネルギーを持ているんだ。 多くの人が、“フゥ“とひらめく良いアイデアがあっても、その瞬間に過去に5のエネルギーを限定し、未来に4のエネルギーをかけながら不安になってしまう。 そして一番大切な今に、たった1のエネルギーしか掛けていないんだ。 もし、私たちが今に10のエネルギーを限定できたら、私たちの本当の力が出て来るんだよ!今はねぇ~、考えてはダメなんだ! 今は、感じることしかできないから、もしイイことがひらめいたり、“あれをやってみたい!”って想ったら、その感じを大切にして、そのイメージのまま眼と閉じて経験するんだ。 そして、過去にも未来にもエネルギーをもっていかず、今、動くんだよ。 それが感動するってこと。 繰り返すけど、私たちが「ひらめく」のは、身体でも心でもない、魂の叫びなんだ。 この魂の叫びに間違いは無いと想うよ。だから、考える前に感じて、即動くことを習慣にしようね!』■ こんな話を昨日約1時間しました。 正直、名駅の裏の駐車場に止めるまで、自分が考え出していることに気づきました。 『そんなことして、何か意味あるの?』、『誰もハグなんて、してくれないよ!名古屋だよ!東京じゃないよ・・』 私は努めて考えることにエネルギーを使うのことをやめ、私がたくさんの人と名駅でハグしている情景を思い浮かべ、経験するエネルギーに限定をしました。 すると、段々ワクワクして、自然と笑顔になってきました。 ジーンズとTシャツに着替えて、駅裏から入り、名駅の正面に出ると煥発いれずにラミネートを取り出し、小さな声で、『フリーハグやってます!』と声を出しながら、A3サイズのボードを胸の前でちょっと動かして、緊張しないように努めました。 私はここで1年半、延べ150回以上「街頭演説」をしましたから、名古屋人の恥ずかしがりやは十分知っています。 『やっぱり無理かなぁ~』 そんな言葉を自分の心がイメージすると、顔が曇り、声が小さくなるのを感じました。私は努めて、楽しい表現を探してモジモジしていました。 40分ぐらいすると案の定、警備の人が『ここでフリーハグはやってはダメだから、警察の派室所の先だったらJRの敷地外だから、そこでやって下さい』と注意に来ました。 私は速やかに移動し、フリーハグを続けました。 ■ すると男性の若い方が、『ハグして下さい』ってやってきました。 その時の嬉しさはなかったですね! その後は外人2人、おばさん1人、韓国の旅行客1人、更に男性1人、合計6名とハグすることができました。 そして、自分が最高に楽しめるパフォーマンスも創りだすことができました。 こんな風です・・・『今日7月2日はフリーハグの記念日ですよ! 仕事帰りに、合コン前に、飲み会前はフリーハグですよ! ねっ・・カップルの方・・・今日はフリーハグをしないといけない日なんですよ!』 こんな具合に大きな声を出して、自分の中から湧き出る泉のゆうに、笑える言葉がドンドン浮んできて、とても楽しい2時間はあっと言う間に過ぎてゆきました。 ■ さて、残り数行になってきました。そろそろ、今朝の結論です。「今を感じるには、どうしたらイイのか?」 それは、自分の魂の叫びであるひらめきを信じ、感じたら即動く、その瞬間瞬間をワクワクしながら経験すること、それが「今を感じる」ってことです。 考えることは当然大切だけど、多くの場合が過去に侵されたエネルギーで未来を不安がっていることだから、なんとか自分のエンルギーを「行動」に限定して、繰返しになるけど、「考える前に、即動くこと」じゃないかなぁ~。 また仕事帰り、名駅でフリーハグしてきます! だって、最高に楽しいからです!(7月3日 執筆)
2009.07.03
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□ 第三十九話 「自分の目標を叶える力は、どこから来るのだろうか?」 昨夜、Yシャツのアイロンをかけながら、6月23日放送のHNK・プロフッショナルを見ていた。 まぐろを扱う築地の仲買人の話だった。そして寝る前に浮んだお題は、「自分の目標を叶える力は、どこから来るのだろうか?」 国産の本まぐるを扱うことは、築地のみならず、国内の鮮魚市場では花形の仕事だ。 しかし、その仕事は「バクチ」的なところがあり、まぐろを買って、腹を切り開いてみなければ分からない~とてもリスクのある仕事だ。 まぐろには、「焼ける」という症状がある。 それは、150kg~250kgの本まぐろ本体を開いたとき、赤みに白い筋が入っている状態。 これが入っていると、赤みは使いものにならず、高いときは一匹で100万円前後の損をこうむる。 だから、仕入れに対しての売価は、2倍から3倍は当たり前だと予測される。 しかし、仕入れたまぐろが全て焼けていることも、年に数回はあるから、利益は常にプールしなければならない。 それは、まぐろは現金商売だからだ! ■ さて、私が昨夜見た番組の主人公はことし45歳。名前は、藤田浩毅さん。私と同じ年齢だ。 だから、とても親近感が湧いてきた。藤田さんは、商売のために仕入れることはしない。「自分が美味いと想うまぐろだけを仕入れ、お客様に提供すること」 これが、使命だという。 だから、自分の納得できるまぐろがなければ、「しかたなく仕入れる」ということはしない。 シケの続く冬や、雨の多い時期にはまぐろが入荷してこない。すると、お店に商品が並ばない日もある。 しかし、東京で有名なすし屋の職人は、藤田さんを信じて、他のお店でまぐろを仕入れることはしない。「味が変わるから」だという。 先ほどいったように、商売自体が「開けてみないと分からない商品」だから、100%ではない。 しかし、私は藤田さんを見ていて、本当に引かれるものがあった。 ■ それは、「利に走らない」ということだ。 お客様にも、『今日は残念・・・売るものがありません・・・』ときっぱりと断る。 ここに、揺ぎ無い「信念」があった。 ではどうやったら、信念というものを手に入れることができるだろうか? それが、今朝のお題にリンクする、「自分の目標を叶える力は、どこから来るのだろうか?」 それは、「継続からやってくる」 自分の決めた道に絶対にこだわる。 「利よりも信」、「利よりも義」正に、孔子の『論語』や、『大学』の世界だ。 ■ 人には常に「不安」があると想う。 例外的に農業をやって、食べるものに困らない農家さんは別だろうが、「老い」という不安は、あると想う・・・ 「不安」とは、未来へのマイナスエネルギーだ。 やってもいない未来を、勝手に不安がっているのだ・・・過去、現在、未来。 以前も書いたが、大切な時は、「現在」=今だ。 また、「今」を考えることは出来ず、「感じることだけ」しかできない。感じること。それは、動いていること。 仕事でも、プライベートでも、不安を超えるには、「挑戦し続けること」しか無い。 挑戦しているとき。それは、没頭しているとき。 自分の限られたエネルギーが、それだけに注がれた状態。 だから、最初は緊張し、あまり“楽しむ“なんてできない。 しかし、挑戦を続けるといつか、「自分を信じる」という領域に入ってゆく。 それが、「自信が出てくる」ということ。■ 「自信」をつけて、疑いを無くし、それを更に繰り返す。すると、「信念」が生まれてくる。 信念は、心の底から天と通じあった状態だ。人は誰でも、天とつながっている。だから、この世に生を頂くことができ、今生かされている。 そろそろ締めの時間だ。「自分の目標を叶える力は、どこから来るのだろうか?」 その答えは、自分の積極的な挑戦という行動の先からやってくる。さっき言った、「継続力」だ。 だから、考えていてはいけない。■ 「考える」とは、過去を振り返り、未来を不安に想うことだから。 「感じる」とは、今を味わい愛(め)でること。 では、今を感じるには?どうしたら、よいのか? それは、「自信」をつけ、動かない重りを心の中に浮かべること。しかし、重りだからよく揺れて、ぶれることがある。 要は、「一日一生」の想いで、「一生挑戦」し続けるしかない、ということだ。 そう~腹をくくるとき、ようやく今を感じてくる。さぁ~挑戦の時・・・・7月2日が今から始まる! (7月2日 執筆)
2009.07.02
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□ 第三十八話 「誰と話すべきなのか?」 そもそも、私がこんな日記を書いているのには何か理由があると想うのです。『そりゃぁ~あるでしょう?』(みなさん) 私が意図しない「理由」があると想うのです・・・ 巷で言われる「何かの力」とか、「見えない守護霊の力」とかです。誰かと向き合わせることを意図しているのではないでしょうか? なんて~自分で言ってりゃ~世話ないのですが!?(笑い) 有名なコンサルタントかな? 私の未来が分かる霊媒師かな?うぅ~違うなぁ~・・・“分かった“「自分自身」だ! 昨日のお題の「自分とは何か?」 今朝、江原啓之さんの本を読んだことも、何か見えない糸があるのだと想いました。■ 「内観」 ちょっと前、先輩からこんなことを言われました、『三宅さんは、内観をしたらイイと想うよ!』 例えば、私の一番の目標としている、「“私に携わる人たちの隠れた能力に気づきを与えること“は、本当に私がしたいことなのか?」 これを週末などの早朝、ゆっくりとした時間の中で、「自問自答」するのです。 今朝の江原さんの本(『苦難の乗り越え方』)には、「ノート内観法」という方法が書かれていました。 私の目標の「動機や定義」を自分で問い直し、それから「逃げていないか」、あるいは「卒業」なのか、自分の問いと動機が一致するまで問いつづけるのです。 私も今週末、私の掲げる6つの目標に対して、江原さんの「ノート内観法」を試しています。 私たちは、いつも「答え」を求めています。正直、私は今でも根拠の無い「不安」に襲われることがあります。 そんな時に、その不安をメモにしてとっておき、それを休みの時間にとことん「内観」するのです。 ■ 私たちが誰と一番会話をしなくてはいけないか?と言えば、それは私自身、皆さん自身です。要は、自分が一番知っているのです。 その時に大切なことは、「直観」です。 そして、自分に正面から向き合い、嘘をつかないこと・・・ この世で自分の嘘に気づくことができるのは、原則「自分自身」だからなのです。 苦しいことがあったら、「何が苦しいのか?」をトコトン自分に問いかける・・・ 「悩む」のではなく、「問い続ける」のです。良いことを問い直す必要はありませんから、だいたい困難にあたったときや、道が見えなくなったときです。 ■ 正直私は、「年間三冊の書籍を出版します」と目標を立てています。 この目標を、昨日の仕事の帰り、車の中で考えたんです・・・そしたら、それは恥ずかしい話し、“私のエゴではないかなぁ~“と思えてきました。『どうして本を出したいのですか?』 それは、「有名になって、名が売れて、仕事を頂きたいから・・・」正直、この気持ちがゼロではないのです。 私が昨年8月9日から向ったブータン紀行を小説風にまとめ、6月11日友人から紹介を受けた有名な出版社へ原稿と目的を文章にして送らせて頂きました。 私は今、正直迷っています・・・ 相手の担当者から、『三宅さんが、この小説を出版したい本当に動機は何ですか?』と聴かれたとします。 すると私が、それなりのことを答えるのです・・・『それなら、自分でお金を支払って、実費出版したらいいじゃないですか?』■ ここで、私は「考えるのです」 「考える」とは、これが江原さん的には「逃げている」となります。 まったく内容がお粗末過ぎて、“これは無理ですわぁ~”なら、納得もいきます。 しかし、私が経験した事柄(一部フィクション)を30代、40代を中心としたこれからの社会を担う方に、感じてもらいたい、という素直な気持ちもあるのです。 今度は皆さんからも、『それなら、自分でお金を支払って、実費出版したらいいじゃないですか?』との声が・・ ■ そんな訳で、小さなことに迷っている私が相談するのは、やはり私自身なのです。 私が、「卒業」できたら、トコトン行く!「逃げている」なら、「卒業」になる道を探して、トコトン行く! 要は、「トコトン行くんだ!」 そうだ、分かったぞ!! やっぱり、トコトン行くんだ。 ああだこうだと考えている間に、出版社の担当者にお伺いを立てて、素直に指導して頂いて、即変える・・・ その行動がなかった・・・(汗) 昨夜、「誰と話すべきなのか?」という問いが浮んできたのが、ようやく腹に落ちました。「考える時間に、行動しろ!」 バカが考えると、ろくなことになりませんね・・・(反省)今朝も、納得です。(感謝)(7月1日 執筆)
2009.07.01
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□ 第三十七話 「自分とは何か?」 昨夜、「自分を知る」という1時間の講話を考えました。 だから、今朝のお題は「自分とは何か?」としました。私たちが知りたいものは色々あります。 でも、その中で一番の関心は、「自分の未来」=可能性ではないでしょうか? 以前もここで書きましたが、私たちはいつも運転席に座って今ハンドルを握り、前を向いて運転しています。これを「未来へ向っている」とします。 未来へ向っているはずの私たちのエネルギーの多くは、「過去」というバックミラーに注がれています。 運転しながら、そのエネルギーは「過去」というバックミラーに「5」、「未来」という前方へ「4」、そして「今」に「1」、注がれています。 さて、皆さんにおいてはいかがでしょうか? ■ 私たちの関心が、「自分の未来」であっても、このように未来を見ているのは、「過去」というエネルギーにつかったメガネで見ていますから、未来の多くは過去に侵されています。 ですから、純粋な未来を見るには、自分の過去を消すことから始めなくてはいけないことが分かります。 ではどうやったら、自分の過去を消すことができるのでしょうか? その前にお話しをすることがあります。私たちは頻繁に、「嫌な気分」になることがありますよね? 上司に言われたちょっとした言葉に、根拠の無い不安に、時々襲われることがあります。 大小は別として、これを「落胆する」と呼びます。 落胆とは、私たちがマイナスのエネルギーを感じていることです。この落胆をほんのちょっとでも感じたら、直ぐにやることがあります。 それは、自分の落ちかけたマイナスのエネルギーをプラスに持ってゆく、その逆の「行為」を煥発いれずに行動に、原則「5回」移すことです。 全ては、エネルギーです。私たちの意識というエネルギーがただ固定されているだけなのです。 ■ その固定である「限定」を解除するのです。 マイナスに降りかかった意識としてのエネルギーを、短時間にプラスに切り替えるのです。 それは、こんなことをするだけで良いのです。 例えば、自分を否定されたら、即トイレに行って、『否定されてよかった。私は出来ることが分かった』と声に出して鼓舞します。上司に叱られたら、『私はついてる!今日叱られてよかった!』と根拠無く唱和します。 原則は5回ですが、本当には「マイナスのエネルギーからプラスのエネルギーにシフトするまで」継続します。 こうやって、「考え方」という「過去のエネルギーの集積」を、徐々に記憶のフチに追いやって、エネルギーが掛からないようにしてゆくのです。 私たちは、嫌なことがあると、それに自分の大切な限られたエネルギーという「注意」を使っているだけなのです。 この行為は、そんなに簡単ではありませんが、このエネルギーの転換処理を「習慣」にすることです。 繰り返しますが、小さなエネルギーを感じたら、即やって下さい。何故なら、過去は本当には存在しないのに、私たちが勝手にエネルギーとして存在させているからなのです。 ■ さて、これで「過去」についての話を終ります。 大切なことは、「過去」でも「未来」でもないのですね・・・もう皆さん、お分かりですね!「今」が大切なのです。 運転の話に戻ると、「運転している今」が最も大切なのに、私たちのエネルギーはもう存在しない過去と、まだ起っていない未来に限定され、落胆したり、不安になったり、時にはあきらめたりしているだけなのです。 では、今はどうしたら意識できるのでしょうか?「今は感じることしか出来ない」「今を考える」なんて出来ないですよね? だった、考えている間にどんどん時間が経過し、過去になっているのですから・・・ では、「感じるとは何か?」です。感じるとは、「考えないこ」とです。 良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとか、好きとか嫌いとかです。要は、判断しないことです。 「判断」しているのは、自分の過去のエネルギーです。 ■ 過去に頼っているから、「何も変わらない」のです。 そろそろ時間ですね! 今朝のお題は、「自分とは何か?」でした・・・それは、「今を感じている私」です。 生まれたての赤ちゃんです。赤ちゃんに過去はありません・・・また、未来への不安もありません・・・ あるのは、今・・・ お腹が空いた今、眠たい今、抱っこしてもらいたい今、今を感じ、今に反応しているのです。 私たちは長い間、「価値観」という「判断」を積み重ねてきました。「私は、過去の価値観の総和である」いかがでしょうか? ■ だったら、今、どうしたら良いのでしょうか? それは、いつも「今、良い気分でいること」です。 この時、あなたのエンルギーは最高に近づき、全てを創造することができるようになります。 私たちが生きているのは、過去を意識することではなく、常に新しい創造を今、経験すことです・・・ 「チャレンジして、新しい自分を創りだすこと」です。 それには、常に自分が良い気分でないと、思い切ってできないのです。 それが、宇宙の法則なのです。「自分とは何か?」 この答えを見つけ出す旅・・・それが、私たちがこの世に生を頂いた理由なのです。 何故なら、私が良くなれば、世界がよくなるからです!(6月30日 執筆)
2009.06.30
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□ 第三十六話 「結果とは何か?」「結果とは何か?」 昨夜、寝る前にこの質問をメモに書いた。そして、今朝それに向っています。 昨日、日が西の空に沈み出す午後6時30分から、最近「週1回」となっているジョギングに出かけた。 週1回だから「習慣」ではなく、「気晴らし」だろうか?川岸のコースを2周する、いつものコース。 最初の1周はなにせ足が重い。歩いてるんだか、走ってるんだか分からない程のスピードだ。 2周目は、少々足が慣れてスピードについてくるようになる。そして、ラスト200mをスパート! 結構右足裏のももたがつりそうだ! もう年なかぁ~と想う・・・ ■ 独立当初は、毎日走っていた。 雨と雪の日以外は、走っていた。しかし、今は止めてしまっているから、その継続期間は定かではない。 恐らく2年ほどやっていたが、今はその結果は何も残っていない。 明確な目標を持たずに走っていたから続かなかったし、今から思うと「走ることが目標」だったから、毎日苦しかったことを記憶している。「苦しいこと」が悪いわけじゃないけど、その先が見えなかったから続かなかったのかなぁ~? 昨年6月20日、「50回」から始めた「腕立て伏せ」が、今朝は「706回」になった。 毎日、確かに易しくはないけど、苦しさの先に何かを見ることができる。理屈を付ければ色々あると思うけど、今朝言えることがある。 それは、「今朝続けていることが、私の結果である」 過去の話なんてどうでもイイ。過去10年続けていても、今やってなかったら、そのエネルギーはゼロだ。続けているというエネルギーだけが、今私とつながっている。■ 「結果とは何か?」 それは今のエネルギー、「継続」の力だ。仕事も、プライベートも、全てがそのはずだ。 結果を出している企業や病院には、必ず続けているエネルギーがある。それを、結果が良いからと言って継続しなくなったら、直ぐにその結果は悪くなる。 結果とは、正に「継続力」と言える。 では更に、「継続力」とは何かなぁ~と考えみる。それは、明確な目標の有無では“ない“と想う・・・ だって、いろんな人や企業が「計画書」とかを作って頑張っているけど、良い噂は聞かない。 人のことは横に置いても、私自身がそうだ・・・(汗)それは、「人間性」ではないのかなぁ~ だって、私たちは人間だから。もし、私たちが森の大きな樹木なら、「自然性」だろうか・・・ 私が過去毎朝ジョギングしていた頃に、タイムを明確に計って、事前の目標設定をして走っていたら、今でも続いていたのだろうか? 答えは、「NO」だ・・・ 疲れた。苦しかった。先が見えなかった。ストレスになった。それより人間的に、「謙虚さを磨こう」とか、「弱い精神を強くしよう」とか、「挨拶力を磨こう」とか、もっと足元の、自分をどうするかに光をあてていたら・・・■ 「結果とは何か?」 それは、その企業や人の「人間性」ではないかなぁ~「人柄」、「企業風土」、「優しさ」、「慈しみの心」 だから反省として想うことがあります。「強さではない」、ということ。もし、私が腕立て伏せを勘違いして、「私は強い」と思ったらやっていたら、それは続く・続かないは別として、意味が無いといことだと想う・・・「続ける」ということを通じて、毎日自分の弱さを知ること。だから、強くなる必要なんて無い。「強さ」は、人を傷つける。人を、自分より「下に見る」~マイナスの力を育む。 だから、明確な目標や、明確な目的が必要では“ない“と想う・・・ 大切な事は、「自分のために、今、継続すること」それがジョギングでも、腕立てでも、瞑想でも、読書でも、メルマガでも、トイレ掃除でも、人への挨拶でも、何でもイイと想う。 ■ 最後にもう一度尋ねてみる・・「結果とは何か?」それは私の今の心が、どれだけ謙虚で、どれだけ不安から切り離され、幸せを感じているか否かだと想う・・・「結果」は、お金の大小ではない。「結果」は、人にどう想われるかではない。「結果」は、過去でも未来でもない。 今という時を、どんな想いで生きているかという、プロセスである。 当然、今は過去の継続で、未来は今の先にあるけど、大切なことは「今の想い」だと想う・・・ そして、今は感じることしかできない。 今ある私を、ここで、幸せだと感じること。それなら、何をやるかは、問題ではない。「結果とは、今の自分の心が満ち足りていること」だと想う。(6月29日 執筆)
2009.06.29
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□ 第三十五話 「どうしたら、幸せになれるのか?」 皆さん、おはようございます。昨夜は、私の知り合いのラーメン店に仕事を終えて、顔をだしたんです。 店長のYさんとは、もう2年の付き合いです。 私がオープンから携わっています。もちろん、ボランティアですよ! Yさんの悩みは、「お客様がなかなか入らず、売上が上がらないこと」です。 味は美味しいのです。私はこうみえても、ラーメンには結構うるさいんですよ! この2年間で、Yさんも紆余曲折有り、味もととのってきました。 ■ さて、丁度1ヶ月前にYさんのお店に顔を出したんです。 お客さんも結構入っていたので、ラーメンを食べながらちょっとお話しをしました。『結構、流行っているね!? 最近、どう?』『ランチに人が入らないんです。でも、もうそろそろ夏ですから、新しい冷やしのラーメンを考えてて、それをもちょっとしたら、思い切って売り出そうと思っています・・・』とYさん・・・『そうか!俺も、これからちょっと顔だせないから、6月20日過ぎたら顔だすよ!』と私・・・ そして、几帳面な私は、約束通り6月21日に顔を出してきました。『あれ出来た?』と私、『いや・・・本当はやっているんでけど、水曜日には間違いなくやっています・・・仕込みの問題で・・・』 またまた几帳面な私は、昨夜約束通り仕事を終え、シャワーまで浴びえて、100円ショップで買ったサンダルとTシャツを着て、なんの連絡を入れずに、Yさんの店に突如顔をだしました。■ 午後8時40分、お店にはお客さんは誰もいませんでした。『毎度!今日は仕事帰りですか?』とのん気なYさん・・・『あれ頂戴!それと、餃子と唐揚げ』と私、『ハイ!』と元気な返事の直後、下を向いたYさんの口から、“アッ”という声が聞こえた。 私は、カウンターで『神との対話2』を読み出して、知らぬ顔をしていた。 しばらくカウンターにうずくまっているYさん・・・無言が約1分間続く・・・ 皆さん、もうお気づきですね!? 私はYさんの性格を知りぬいています。 私は、Yさんが儲からない理由も分かっています。Yさんは、性格は表面的に優しく、人当たりも悪くないのですが、「理想家ですが、実行力がまったく無い」んです。 ただそれだけです。 Yさんは、カンターにうずくまって“うっ~”と言いながら、しばらく考えていました。『“まだ、やってません“と正直に言おうか? それとも、今からやりますから、”お時間を下さい”と言おうか』Yさんは私との過去を瞬時に分析し、答を口にしました。■ 『あの~時間もらってもイイですか?』と・・・『もちろん・・・1時間でも、2時間でもまっているよ!本読みながらね・・・』と私。 Yさんは、そこから「考案中」とか言っていた冷やしラーメンの具を元からつくり出したんです。 以前の私は、Yさんに対しても、誰に対しても反省がありました。それは、私が正しいとする価値観を押し付け、「説教」のようなことをよくしていたのです。 Yさんだけではなく、いろんなお客様や、ボランティア仲間に対してです。 以前の私なら、間違いなくこう言っていました、『Yさんがダメなのは、その性格だよ! 自分で決めたこともできないんだから、それは何をやってもダメだよね。幸せなんかに、なれやしないよ!』 皆さん、一緒に考えて下さい。 私は間違っていませんよね・・・だって、Yさんがいつも約束を守らないんですよ! でも、人は相手が正しいから、“やる気になる“じゃないんですよ! ■ 私が最近、ちょっと幸せに感じるのは、「私が決めないこと」です。 更に言えば、「相手に答を出させること」に、ちょっと快感を覚えているんです・・・ そんな訳で昨夜、例のあれを食べたのは、注文から1時間後だったんですよ!(笑い) 途中お客さんが入ってきたりで、時間はロスしましたが、なんとかYさんは1ヶ月前に私に口にした、「ジャアジャア麺」という代物を、私の前に差し出すことができました。『お待たせしました!』とYさん・・・ 私は、無言でその麺を食べ、こう言いました・・・『麺の上に乗っているミソへの研究が足りないな・・・だから、味にインパクトが無いなぁ~ 明日から、親しい方にお金をもらって出してみて、意見を聞いて改良してみなよ! 必ず上手く行くよ!』■ 「どうしたら、幸せになれるのか?」 それは人それぞれの持ち場で、時間の全てを使って、自分が最高の気分になるプロセスを経験することです。 「結果」は、私たちが創り出した物質世界の産物・・・ 私たちの本当は「魂」 その本当である魂が喜ぶような時間を、全ての時間を使い、経験し、自分が更に最高の気分になること・・・ それが、「幸せになる」ということだと想うなぁ~ ■ 自分が今、幸せを感じていたら、自分の周りを「幸せオーラ」が被い、関わる人も空間も幸せに感染する。 幸せは浸透し、幸せはふくらみ、幸せは波動する。だから、「決める」必要がある。 誰でも「幸せ」は、何処かからやってくるものではない。「これが、幸せ」だと、今決めなくてはいけない。「幸せ」は、誰とも比較することなく、自分が最高だと感じられる、今の決意を含んだ心持なのである。(6月26日 執筆)
2009.06.26
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□ 第三十四話 「何が、私をマイナスに引っ張り続けたのか?」 今朝は、相当に心地良い朝を迎えています。 最近、苦手意識がついてきた日課の「腕立て伏せ」と坐禅を終え、デスクに向っています。 今朝から、前夜に私が投げた質問に、自分の中の見えない力に答えてもらう、という企画をスタートします。 目的は、「人には無限の可能性がある」ということを実証したいこと。また、「人はどうしたら、生きている間に、新しい自分に気づくことができるか」という問いに、自分からチャレンジし、その答えのフチを探り当てておきたい、ためである。 ■ 私も皆さんも、「過去」という記憶や価値観、意識が邪魔して、「自分が生まれ変わること」を易々とイメージすることはできないと思います。 そもそも、「イメージ」ということが良くないことが、最近分かってきました。 だから、「経験する」。 要は、その気になって、“絶対できる”と相当な勘違いをして突っ込んでみる・・・ すると、“ホラ、出来たでしょ!”となる。『できなかったら、恥ずかしい』とか、『出来るようになったら、やってみます』などの言い訳は、もうイイ・・・ どんなことも、「やればできる」と生まれたての赤ちゃんのように、何の疑いも無くやってみる! ■ さて、今朝の問いは「何が、私をマイナスに引っ張り続けたのか?」 結論から言って、「私の過去が、私を出来ないフチに追いやり、私に積極的な行動をさせなかったから」 要は、私がその気で、やらなかったからだ。どんな困難に見えることも、それは過去の自分の価値観が、そう思わせているだけのこと。 今朝読んだ、『地球のてっぺんに立つ!エベレスト』という絵本から話をしてみます。 私は、“エベレストに登りたい”という想いは無いが、もしあると仮定したら、話しが見えやすい。 私は、大学で登山部に入り身体を鍛えた経験がある。 社会人でも地元の山岳チームに入り、世界の5,000m級の山々にアタックした。 ■ 目標は、世界最高峰8,848mの「神の山」エベレストだ。エベレストに入山するには、二通りに方法がある。 チベット側から入山する方法と、ネパールから入山する方法だ。 チベットからは約30万円の入山料、ネパールからは入山料込み、現地で10名ほどのチームに入ることができれば、150万円前後の費用が掛かる。 往復の旅費を含めても、高くても200万円あれば、お釣りがくる計算である。 世界では、エベレストに複数回登頂した人がいる。「鉄人ネスナー」 ラインホルト・メスナーは、1978年に酸素なしで登頂に成功し、80年には単独登頂に成功している。 そして、世界に14つある8,000m級の山を全て制覇した、正に鉄人である。■ そんなメスナーは、果たして深く考えたのだろうか?「考えた」のではない・・・ 資金の問題は横に置くとして、一人の人がこれだけ短期間に、一般的に「命を掛けたチャレンジ」と呼ばれる、8,000m級の山に、そんなにたやすく登頂できるのだろうか?「経験から考え、素直に実行した」のだ! 鉄人メスナーまでいかなくても、「エベレストに登りたい」と感じたら、即動いたらどうだろうか?お金を200万円、どこかで都合する。 5,000m級の山は登っている経験があるから、即ヒマラヤへ飛び、そこで何かできるアルバイトでもしながら、良いタイミングを探し続ける。 そう・・・「できる経験に全てをかける」 振り返って、私がマイナスに引っ張り続けられたのは、私の中にエベレストがなかったからではない。 私が、最高の私を求めなかったからだ。最高の私は、何をやっていてもイイのだ。 ■ 夜の道路工事でもイイ。中国のエネルギープラントで、何百億円のプロジェクトを任かされてもイイ。 やる事に、大きい小さいは無いのだ。あるのは、「今の気分が最高か否か」「何が、私をマイナスに引っ張り続けたのか?」 それは、私が私を愛さなかったからだ。丁寧に包み、丁寧に磨き、丁寧に味わわなかったから・・・ 過去にこだわり、未来を不安がり、今というかけがいの無い時を経験できなったから。 今、この瞬間を大好きだと叫ぶ!そして、新しい考え、新しい自分になったと想い、今できることに全力投球する。 ■ 自分の小さな目標を常に意識の片隅に入れ、その方向を心の羅針盤で指し続ける。 その羅針盤は、情熱というオブラートで包まれ、いつも温かい。 繰り返すが、何をするかは問題ではない。 どんな情熱を、自分の心から引っ張り出し、目の前の対象にぶっ掛けるか!そして、全てが燃える。「何が、私をマイナスに引っ張り続けたのか?」 それは、私の今に対する情熱の無さが、私をマイナスに引っ張り続けたのだ。 だから、簡単だ!今を燃やす、自分になれ!(6月25日 執筆)
2009.06.25
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□ 第三十三話 「明日からの挑戦」 『神との対話』という本があります。数日前にメルマガで紹介しました。 先週末をつかって、第一作を読み上げ、B4の画用紙3枚に、そのまとめをしました。 そして、6月22日の夜から23日の朝に掛けて、第二作を読みました。 そこで、あることがひらめきました! それは『神との対話』とは、著者のニール・ドナルド・ウォルシュ氏が、あまりにも人生が上手く行かずに、神に文句を言う目的で手紙をだした、というところから物語がスタートしている点です。 ウォルシュ氏はそれまでの自分の人生をなじり、どうすればもっとまともな人生が送れるのか?と質問を神にしました。 すると、その全てに返事が神からあった・・・私は、ここにヒントを得たのです。 ■ さっそく、「経験」ですよね! 私は今晩から、「見えない力への質問」と題して、一つだけ質問を考えて寝ることにします。 そして朝起きたら、そのまま私がノートPCに向かい、見えない力を受信し、その答を書くのです。 要は、チャレンジです! このチャレンジの目的は、私の仮説を立証することでもあります。 それは、「人が変わるのは、新しい自分に成ることができれば、良いのである」 そうです・・・新しい自分を創りだすのです。 昨日の「新しい考え方」と同じ意味です。ですから、まず1週間、読者の皆さんも注目して下さい。また、温かく見守って下さい。 ■ もし、私ができたら、皆さんでも出来ますから、それを感じた方は、「即経験」して下さい! 私たち人は、そもそも~神さまから命を頂いているのですから、「神の一部」のはずです。「神」などというとおかしくなりますので、「見えない力」としました。 さて、そんな訳でこの『小説後日記』というダサイ題名も卒業して、そろそろ新しい題名を考えて、別のURLで再スタートをしてゆきたいと思っています。 題名は・・・『見えない力への質問~実は、自分が答えてる~』。 私が昨日強く感じたことは、人が新しい考え方を見に付けたり、新しい自分になったりする時の共通項は、「気分」だと感じたのです。 ■ 自分の中から、すごいエネルギーが湧き出てきて、自分を自分で押し上げる。 自分の体内から蒸気のような、高圧な水のようなものを噴射して、自分の気を上げ続ける状態・・・ 「ハイテンション」ではあるが、ちょっと違う・・・言葉では言うことが上手くできないのが、ちょっともどかしい・・・ 要は、「人に認められる」のではなく、自分で、自分がおかしくなって、笑えて、怖くなっちゃうような状態。 人が変わりだす一番は、自分の中から、それを行動に移している瞬間、とてもワクワクする気持ちに包まれ、どれだけやっても疲れない、フェロモンが出ている状態。「覚醒する」とでも言うのかなぁ~ 正に、過去の記憶を一切忘れ、新しい考え方にのっとり、今を生き抜く、勢いある状態。■ その状態は、「やって来ない」ということです。 それは、誰でも分かりますよね? 待っててもダメということです。では、どうしたら新しい考えに出会えたり、新しい自分になることができるのでしょうか? それが、「チャレンジする」です。 その時には、お金も、時間も、資格も・・・必要ありません・・・しかし、一つだけ絶対に必要なものがあります。 それが、「自分の内なる意志が、過去を見たりせず、今という一点に集中し、自分を一切疑わないこと」です。 『できるようになったら、やってみよう』とか、『ちょっと内緒でやってみて、成果が出たら公表してみよう』、なとど、過去や未来にコダワリをもっていないことです。 ■だから、「自分を信じる」 私たちの命は、見えない力に支えられ、今があるのです。生きているのではなく、生かされているのです。「幸せ」とは、今この瞬間を、「私は私であることが幸せである」と宣言できることです。 過去はなく、未来は未だ見ていないのだから、何の期待もしない。ただ、今・・・ 外が雨であろうと、晴れであろうと、家族が不機嫌であろうと、社会が混乱していようと、「私」という核が中心となり、「私が決めて、私が行う」と決めること・・・ 私が私をできる・できないに関わらず、自分で自分の気分を持ち上げて来たら、皆さんどうでしょうか? ■ 私は今朝この日記を出した直後から、全ての事柄が一点に集中し始めます。 私の今晩の質問、そして明日の答え・・・私の質問はもう決まっています。「何が、私をマイナスに引っ張り続けたのか?」 これは、私のこれまでの問いです。また、多くの日本人の問いでもあるのではないでしょうか? 私を包み隠さず、問いと回答を通じて明らかにすること・・・ それが、私の目標であり、私のワクワクであり、私が新しい考えになることであり、私が新しくなることです。 そして、私が成ることは、皆さんが成ることなのです。 何故なら、私たちはある一点から湧き出た、神の分魂(わけだま)なのですから・・・(6月24日 執筆)
2009.06.24
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□ 第三十二話 「新しい考え方への挑戦」 少々昔のお話をします。今年の2月14、15日に伊勢修養団の「みがく研修会」に参加したときのことです。 一泊二日の一日目、参加者150名で「童心行」という、フォークダンスみたいな運動をやったんです。 正直私は、『こんなことやって、どうかなるの?』と、少々覚(さ)めていました。 夕食後、元伊勢修養団所長の中山靖雄先生が講和の冒頭にこう言われたんです、『全ての研修は、童心行に帰結します・・・』 私は、『エッ??』と想いました。 ■ 先日行った9日間の研修会では、300名で午後7時30分から30分間、フォークダンスをしました。 最初私は、『また、フォークダンスかよ! アホとちゃうかぁ~』と想って、嫌々参加していました。 しかし、歴史のある会で絶えることなく継続しているには、“何か理由があるんだろう?“とも考えていました。 以前も、「ハグ」のお話でしたと想うのですが、私は最終日に大変なことに気づきました。 それは、「感じることの大切さ」です。これが、私が最近口をすっぱく言っている(書いている)~「経験する」ということです。 ■ 経験して初めて分かることがあります。 いくら本を読んでも、勉強をしても、大切なことは、それを世のために使う経験をしていることです。 それは、勉強を感じて、今を楽しんでいることです。 私がフォークダンスを繰返し行った結果、分かったこと。 それは、「考えてばかりじゃなく、感じることを継続することが、人の隠れた能力を気づかせる」でした。 そんな訳で、昨日の夜~地元のレンタルCDショップで、あるCDを借りてきました。■ 「パッヘルベルのカノン」という、クラシックのCDです。 これは、9日間の研修のときの最後に、いつも踊ったフォークダンスのテーマソングだったんです。 私は、これからの企業研修会では、会の最後にフォークダンスをすることにしました。『おい!三宅・・・お前、ちょっと頭~おかしくなったんじゃないの?』 そんな声が、皆さんから聴こえてくるようですね! そうなんです、私はちょっとおかしくなったんですよ! というか、分かったんです。(皆さん)『何が?』(私)「人の隠れた能力に気づきを与えるのは、言葉ではダメだ」って・・・ ■ 私は既にこの研修を、自分の創造の中で「経験」しているんです。 ですから、最初は受講生の皆さんが、分からなくてもOKなんです!最初は間違いなく全員が、『三宅さんて、大丈夫ですか・・・』と想うことも、経験済みです。 私が9日間の最終日、カノンのダンスが終って、4層になった全員で手を上に上げて、フィナーレを迎えた瞬間の感動を、これから携わる皆さんにも、必ず「経験させてあげる」という意志を持っているのです。 私が、「良くなる」と想うことは、100%、必ず良くなるのです。 話しが前後して恐縮ですが、私が最近分かった真理は、こんなことでした・・・『気づきは、とてもわずかで、直ぐに通り過ぎる』、です。だから、「決めること」が必要なんです。 ■ それは、こんな風に・・・『今が、幸せである』、です。「幸せ」とは、感覚なのです。 昨日の続きになりますが、「今、幸せだ」と想えることが、自らの心の中の宇宙でエネルギーを創り出すのです。 そして、全てを現象界に現わしたのです。もし、私が「不幸だ」と想っていたら、それは不幸を引寄せるのです。 その逆に、私が「今、幸せだ」と想えたら、それが幸せを引寄せるのです。次の瞬間に、人と目が合いました。 不幸だと決めた私は、目をそらします。幸せだと決めた私は、ウィンクをします。 ■ 分かりますか? 不幸と幸せは、私たちの前にまったく同じ現象として姿を見せているのです。後は、私たちの「意志」です。 今から先の未来を、どう生きてゆくか?を、今どう決めているのかという、一人ひとりの「選択」なのです。 私は無理に言葉にしていますから、分からない人には、“三宅はいったい、何を言っているんだろう?”と捉えられると思います。 しかし「考えないで」、今朝から即行動に移した人だけには、分かるはずです。「感じること」 それは、今、肌に触れて、それを味わい、愛(め)でることです。 ■ 握手でも、ハイタッチでも、ハグでも、何でもイイのです。 でも、私の実体験に基づけば、ハグは最上の「感じること」です。しかし、直ぐに「ハグ」には抵抗があります。 だから、小さな微かなことを、考える前に、即行動に移すことです。『朝礼でハイタッチ? 朝礼でハグ?』 無理ですかね・・・昔の私なら無理ですね! しかし、それをチャレンジする経験こそが、新しい感性を創造するのではないでしょうか! それが、「人生とは、創造するプロセスである」という由縁なのです。 であるなら、こうも言えるはずです。「サービスとは、新しい考え方に出会う~創造への挑戦である」と・・・(6月23日 執筆)
2009.06.23
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□ 第三十一話 「不安な朝だから・・・」 先日読んだ『神との対話』に、こんな内容がありました・・・「人間の行動の動機づけは、不安か愛のどちらかである」私の今朝の「不安」は、この日記がちゃんと書けるか否かです。(汗)「不安」とは、自分で自分を疑っていることです。では、その逆である「確かなこと」とは何でしょうか?それは、根拠の無い「自信」があることです。 また、「感じていること」です。自分が自分を愛していること。自分が自分以外の全てを愛していること。自分から離れていないこと。自分を見失っていないことです。「確かなこと」は、確実に手にできることではありません。机に置いて、毎朝見ることができたり、触ることはができるものではありません。 ただ、今を感じられることです。■「感じる」とは、とても微かなものです。 ちょっと自分から離れたら、直ぐに感じられなくなってしまう・・・だから、毎日の確認が必要です。 それは、「無を感じること」だと想うのです。空っぽになること。「無」ではなく、「空」なのかもしれない・・・ 特に「不安」な時は、その不安に捉われ、離れなくなります。そんな時は、それから眼を離さず、その不安と正面から向き合います。 『もうこれ以上の不安は無いでしょう!』と、いう位に想像を膨らませます。 そして、その想いのエネルギーに名前を付けます。例えば、「私の大嫌いな幻想」。すると、二つのエネルギーに距離ができます。 その時、元のエネルギーの電源プラグを抜いて、オフにするのです。すると、風船の空気が抜けるように、エネルギーが消滅してゆきます。■ もしこれが出来ない方には、もう一つ別の方法があります。 それは「不安」とは、だいたいとても小さなものです。ですから、とても大きなものを想像することです。 例えば、「世界平和」とか、「未来の子ども達の健やかなる平和」とかです。 先日もお話しましたが、最近私が分かったことなんですが、「愛とは何か」について、再度触れておきます。 愛とは、今に一切の不安が無い様です。正に、「無を感じている状態」です。 これは、私が正月の元旦から始めた「坐禅」によって、少しづつできるようになってきました。 「確かな幸せ」や、「仕事の確かなきっかけ」を現象界で手にすることではなく、自分の無の世界で一切の不安から離れ、今を感じられることです。「今を感じるとは」、今に一切の不安がなく、温泉にプカプカ浮いているような感じです。 ■ これを、「経験する」と呼びます。 これが宇宙で創造をつくり上げ、現象界に「実現」されるのです。 ですから毎朝自分の目を閉じ、まっくらな宇宙の中で、自分の目標や目的でも何でもいいですから、それを「経験すること」が大切です。 ここに、一切の疑いが無くなったとき、全てが現れてきます。 繰り返します・・・根拠はありませんが、自分の心(宇宙)がワクワクして、益々イイ気になってくると、本当に「やる気」になってきます。 それを、毎日コツコツ繰り返すと、「本気」になってきます。本気になる状態とは、結果が出ている状態ではありません。「結果」とは、あくまでも導かれた成果なのです。 ■ 人は、全てを引寄せています。 幸せを思えば、幸せを引寄せます。不安を思えば、不安を引寄せます。 であるなら、どんな不安なことを思ったときでも、それから眼をそらさず、正面から、『全てを経験してやるぞ!』という気概を持って、向き合ったらどうでしょうか? そう「名前」を付けた瞬間から、全てが「経験」となるのです。 私たちの人生は、自分が経験する一切を、自分が創造した一切との覚悟を決め、味わい愛(め)でることなのではないでしょうか・・・「確かなもの」があるのではなく、こう想うことのはずです・・・■ 「不安と向き合う経験が確かなことである」 ですから、今朝の私の不安もそろそろ終りそうです。(笑い)「不安」が悪いのではなく、「不安」の捉え方だけなのです。「不安」とは、「愛」の裏返しだったのです。『不安さん、ありがとう! あなたが居てくれたからこそ、今朝も書き上げることができました』 不安であることの後ろが、愛の入り口だったんですね! だから、いつも逃げないことです。(6月22日 執筆)
2009.06.22
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□ 第三十話 「自分しかできないことに、気づく」 今朝は、超微妙な話しをします。(書きます)昨日仕事中に、ある会話からの気づきです。でも、とても人生においても、仕事においても、大切なことです。 私は独立した当初、「キャッチコピー」という勉強に時間を費やしました。○田昌典さんや、○坂裕司さん、また多くの書籍から学び、いろんなところで、その学びを使ってきました。 例えば、昔し自社でやっていた「FAX・DM」や「封筒DM」をある業種に送っていたときなどです。 いくら法則通りにやっても、「成果」というものはほどんど有りませんでした。 本には、「驚異・・・20%の反応率」なんて書いてあるので、鵜呑みにしてやってみるのですが、通常のDM反応率の1%~0.5%に収まっていました。 ■ それが、昨日明らかになったんです。 それは、こんな会話から降りてきました・・・『三宅さん、以前の感じが戻ってきました!』 Iさんが、私にそう言ったんです・・・私は気づきました! いくらキャッチコピーや、小手先のテクニックを駆使しても、どうして~営業や業績結果が良くならないのか? それは、「その“気”になっていなから」です。「気になる」とは、やってる本人が“やる気”になることもさることながら、その周りの雰囲気が、やっている本人の気と一体になっていることが必要だったのです。 例えば、Iさんの事業が今から思えば、「絶好調」の時(3年前)の気に戻ることです。 すると、Iさんは以前の勢いを取り戻し、勝手に“その気“になってきます。そして、こう口にします・・・『よしイイゾ! 来てます、来てます・・・・』 そんな気のある人が書くコピーが、人の伝わるのです。分かりますか? ■ どれだけ本を数多く読んだり、セミナーに多く出席しても、心に不安があって行う一切には、気は宿っていないのです。 それは、キャッチコピーでも、セールスマーケティングでも、なんでも一緒のはずです。 大切な事は、勉強することだけではなく、それを実践に移し、自分でその気になることです。 よく言う、「勘違い状態」です。 すると、アホなキャッチを考えて、それについて会話しているだけ、笑えてしょうがないんです。 では、どうしたら「勘違い状態」にすることができるのでしょうか? それは、「一点を突破すること」、そして「本当にお客様のメリットと自分の仕事が一致する階段を描き、それをコツコツ継続徹底すること」です。■ 「テクニック」は必要です。 例えば、チラシ一枚を作成するのでも、その理論を知っている人と、そうで無い人とでは、その成果は段違いです。 しかし、いくら「テクニック」だけを学んでも、決定的に足りない点は・・・「ワクワクしない」=楽しめない、ということです。仕事は楽しくないと、成果を出し続けることができないのです。 もし、仕事が楽しかったら、どうなるのでしょうか?まず、当たり前ですが、楽しい気分で時間を過ごせます。従業員とも、お客様とも、業者さんとも、楽しい会話がはずみます。常に、良い波動を天に発信し続けています、「楽しい」を、間違う点があります。 それは、「楽しい仕事を見つける」ことに一生懸命の人がいることです。それは、以前の私ですから(汗)、よく分かります。「楽しい仕事」なんて、無いのです。自分にあった、楽しい仕事なんて、世界中探してもありません。 では、どうしたら、「楽しい仕事」を創り出せるのでしょうか? ■ それは、字のごとく、正に「創りだす」のです。“もうダメだ・・”と想っていた仕事から、突破口を見つけ、その先の階段を自分で創り上げ、経験することです。 要は~楽しくなるまで、与えられた仕事を、繰返し掘り起こすのです。それには、自分勝手な階段ばかりを創るんじゃなくて、心からお客様が喜んでくださる階段を、時間が掛かってもイイから、創り上げ、経験することです。 「経験する」 これは、“感じること”です。 3ヶ月前と、やっている仕事は変わらなくても、その人の心がワクワクしていることです。 ■ それには、繰り返しますが、自分の足元を掘り進むしかありません。 本の著者の足元ではなく、私自身、皆さん自身の足元から、ワクワクの泉が湧き起こるまで、掘り続けるのです。 するとある瞬間、今までの「不安」が、不安の壁を壊し、生まれ変わって姿を現わします。 それは、あなたの心の底からです。「希望」 やる内容ではない、どんな気分で、どんな気持ちで、いかに感じるか・・・それは、自分しかできないのです。(6月19日 執筆)
2009.06.19
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□ 第二十九話 「私は今が、幸せである」 昨日は早朝4時45分に自宅を出て、大垣からちょっと行った「大野町」の~とあるホールで「モーニングセミナー」に出席をしてきました。 この情報を知ったのは、昨夜の午後7時だったのですが、以前助けたもらったことがある方からのお願いでしたから、「義理立て」で行って来ました。 地元のインターから高速に乗ると、薄もやの朝焼けが柿色に染まり、車のバックミラーに映りました。 そのとき、“フゥ”と想ったんです・・・『太陽はもう42億年も一回も変わらずに、この周期を繰り返しているなぁ~』と・・・ ■ そして、朝の渋滞もなく開催10分前の午前5時50分に会場に到着することができました。 講師は、金沢で有名な「芝寿司」社長の「梶谷晋弘(まさひろ)」さんでした。 1時間の講演のテーマは、「経営の王道」についてでした。 その内容はかいつまむと、こんな内容でした。『経営に必要なことは、経営者の人間力である。日々の生活と仕事の両輪を通じ、己を磨き続けることである。 「経営」の「経」とは、不変的な縦軸である。経営者の理念、信念、そして志である。「営」とは、応変的なテクニックである。時代にあって、変化させてゆかなくては、時代から取り残されてしまう。 経営の根本的資源は、「人材」である。この人材を育てことが、経営者の徳性である。 経営の縦軸を定め、横軸を繰返し学習し、その経過を通じて心を磨きあげるプロセスである。 永く続く会社は、「才覚よりも、徳性を積んだ経営者に導かれた集団」である。 その徳を磨くには、徳をもった集団に属して「元気」を自らの中に引き出し続けることである。 だから、経営者は「早寝早起き」でなくてはならない』■ 現在72歳になられる梶谷社長は、40歳の時に社長になった二代目経営者でした。 新工場を13億円の借り入れを起こし、起動させました。しかし、人材の三分の一が退職したため、想うように生産が回らず大変な苦労をされたそうです。 しばらく自宅へ帰らず、事務所に簡易ベッドを持ち込み寝泊りしていました。 新しい工場では全員が白衣を着て、頭から白頭巾を被っていました。よく見ると早朝からのライン組に、腰の曲がった老婆がいました。 当時40歳だった梶谷社長は、直ぐに工場長を呼んでこう言いました。『あんな年配の方を工場で働かせてはいけない。万が一のことがあってからでは遅いから、早い内に辞めてもらいなさい・・・』 すると、工場長がこう言いました・・・『あれは社長のお母様です。以前から起こし頂いていましたが、“息子には黙っておいてね“と口止めをさえていました・・・』と言われました。 ■ お父さんとお母さんが昭和33年、東芝の家電店で「炊飯器」を展示即売しているときに、余ったご飯を寿司飯にしたことがきっかけとなり、「芝寿司」を創業されました。 創業者であるお母様にとって、息子の不安をほっておげず、影で支えていたのです。「太陽」 いくつになっても変わらない、一定普遍の法則。経営に必要な法則とは何か? それは、「愛」です。 私が朝、バックミラー越に見た太陽は、会場についたときには東の空の真ん中にありました。 会場を出たときには、天高くに上がっていました。 何処にあっても温かく、何処にあっても見返りを求めない。与え続けるもの・・・ それが、「愛」です。 ■ では、「愛」は私の何処に、そして皆さんの何処にあるのでしょうか? それは、「今、ここに在る」のです。『エッ・・・在りませんか?』 それは、無いのではなくて、見えないだけなのです。『何処だろう?』と、辺りを見回していませんか? それは、「感じるもの」なのです。 眼には決して見えませんし、手にとって取り出すこともできません。でも、確かにある・・・ では、どうやったらそれを感じられるのでしょうか?■ それは、過去も未来も考えず、今に全てのエネルギーを集中することです。もらうことではなく、与えること。 「どう見られるか」にエネルギーを使うことではなく、「どう行動するか」に使うことなのです。「太陽」と「母」 いずれも、与えるだけの存在。「損得」という価値観は無い・・・ そして、全ての存在には「今」しかない・・・ 今、何をするかにエネルギーを集中するとき、私たちは温かさで包まれ、光輝くのです。 だからこそ、私たちは今、決めなければならないのです。「私は今が、幸せである」と・・・(6月18日 執筆)
2009.06.18
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□ 第二十八話 「一体となる」 長い空白期間を頂いた成果?なのか、人生始めての体験をしました。私事ですが、私はあまり夢を見ない体質です。 いつも、4時間半を“寝きる“という状態で、集中しまくっています。 しかし、お昼寝をしたり、週末に二度寝をした時には時々夢をみることがあります。 先週午後10時に寝たとき、夢に相談を持ちかける女性が登場しました。 私は親身になって、彼女の相談に耳を傾けていました。すると、彼女が突然~私の体の中に入ってきたのです。 彼女の心が私の心と重なり、とても複雑な心境になりました。■ よく「一体となる」と言いますが、正に一体となりました! 5月の末から、私は20mのプールのある施設にいました。目標好きの私は、毎日そのプールを「5往復すること」を目標としました。 私は朝か夜、毎回5往復しました。最初は、片道を泳ぐと息が上がり、苦しくてあきらめそうになりました。しかし、一往復、二往復と重ねると、なんとか目標を達成できました。 翌日、翌日と日を重ねると、徐々に一往復を止まらないでできるようになりました。 10日間の間に、6日間しか水泳はできませんでしたが、あることに気づきました。 それは、「どうしたら楽に、いくらでも泳ぐことができるのか?」です。 ■ それは、「水と一体となること」だと想いました。 あくまでも、私が想っただけです。「出来た訳」ではありませんが、ただそう感じたのです。 更に言えば、「自分の意識をどこに向けるか」の問題だと分かりました。 私は泳いでいる内は、“苦しい、苦しい”と言って、始終~私の苦しさに意識が集中していました。 まったく楽しむことなどできない、正に苦しさとの格闘でした。 私は今年45歳ですから、45年間の積み重ねで、意識が三宅勇という擬似的な体と一体となっているのです。 私の本当は、皆さんと同様に「無」ですから、本当はどんなことにでも無限界なはずです。 泳いでも、仕事をしても、プライベートも、日記を書いても、いつでも無尽蔵に物事が浮んでくるはずです。 ■ しかし私は長い年月の間に、「自分の価値観」を創りだし、私を規定しました。 それが昨日までの「三宅勇」です。また、皆さんの「私だ!」と想っている皆さんです。 私が申し上げたいことは、私たちはどんなモノにでも「一体に成れる」ということです。 人でも、水でも、空気でも、事柄でも・・・どんな事柄にでもです。 では、どうやったらその「きっかけ」という入り口を獲得することができるのでしょうか? それは、「ハグする」ということだと想います・・・『エッ??また、ハグだって?』(2日続けてすみません・・・) 皆さんは、「ハグ」を抱きしめることだけだと想っているかもしれませんが、そうではありません。「ハグ」とは、過去の自分をゼロにして、相手を許し、相手を愛し、相手を慈しみ、相手を受け入れることです。 ■ 昨日も書きましたっけぇ~?「過去にエネルギーを使うんじゃなくて、今にエネルギーを使うこと」です。更に言えば、「今だけに・・・」使うことです。 せん索することや、考えることはしません。「考える」とは、過去を探索して自分や相手を判断するのです。『私はクロールは苦手だ!』とか、『こんな女性は苦手だ!』とかです・・・ 判断をするから、苦しくなるのです。そうじゃないですか?私がもし、20mのヒトかぎ、ヒトがぎに意識を集中できたら、「水と一体と成ること」はできるはずです。 ■ 小さな頃で思い出すのは、幼稚園の頃に木登りをしていたら、父が木の下から~“お父さんにジャンプしてきなさい”と言って、手を広げたとき、私は迷わずに父めがけて2m程の木の幹から飛び降りたことです。 あの時の私には、「恐れ」や「できない理由」、という「過去」への意識はありませんでした。 マイナスの意識の全ては、過去の経験に端を発した「意識」なのです。「私は2009年12月末までに、○○を達成する」と決めて、それを“今”想って、何の疑いも無く、ただコツコツと歩みを進めたら、私たちはその歩みと一体となることができるのです。 ■ さて今朝も意味不明な文章ですが、残り半ページとなりました。 私が今朝、皆さんにお伝えしたメッセージは、「一体となるとは、自分の過去という疑い捨て、先にある未来ではなく、今に集中するとき、私たちの隠れた能力が引き出される」ということです。 人には無限の能力があります。また、どんな人にも「特徴」があります。特徴の最初は、「出来ないこと」のように映ることがありますが、まったく問題ではありません。 苦手な事柄、苦手な科目、苦手な仕事、苦手な人・・・ 今日という一日は、自分が過去を引きづり、苦手だと意識を固定している事柄へのチャレンジのためにあるのです。 その一つ一つのハードルを越えるとき、私たちの可能性は無限へのつなげってゆきます。■ 「生きる」 それは今を一切の不安なく、「楽しむ」という視点で居ることです。繰り返しますが、「苦しい」や「ツライ」は、過去の私たちの視点なのです。「どうやったら、私の今を楽しむまで、引き上げることが出来るのか?」 それのキーワードは、やはり「愛」しか無いようです。(二日連続で申し訳有りません・・・)「今をいかに、味わい愛(め)でるかを、“今“実践に移すことなのです」(6月17日 執筆)
2009.06.16
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