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このような卵形の墓碑は、僧侶の墓碑だと聞いています。
墓碑には、阿闍梨〇〇・・・と書かれていて、修験の寺社の墓地に在ります。
そして、没年には、文化八?天と書かれています。
この墓地には、他にも天年号が書かれた墓碑があります。
修験の、しかも阿闍梨の墓碑に、天年号が書かれていることは、修験の中にもキリシタンが隠されていたことを、表しているようです。
十二世 法印〇〇大和尚塔の墓碑もあり、没年には、安政三辰天九月八日寂と書かれています。
あまりにも堂々と書かれていることが、何を意味するのか、答えは一つのような感じがします。
神仏習合の中に、確実にキリシタンも含まれているようです。
ここには、江戸期の神仏習合の、全容の一部以上を明らかにするだけの、遺物が揃っているように感じました。
遺物が残っているうちに、キリシタン研究の専門の方に、詳細な調査をしてもらいたいですね。
と言っても、専門家の方達は、既にご存じかもしれません。
暗黙の秘密にされているのかもしれません。
自由気ままな妄想を、ブログに書けるのは、ずぶの素人の特権でしょうか。
島原の乱で全滅したとされる地域に、何故、これだけの天年号の使われた、江戸時代の墓碑が残っているのか。
島原半島の、何ヵ所かの墓地を見て回っただけで、没年に天年号が使われている墓碑が無い墓地は、ほとんど無いようでした。
しかし、戦後の村社会の崩壊と共に、歴史の遺物は壊され続けています。
そのまま闇に葬ってしまったほうが良いのか、歴史の真実を追及した方が良いのか、今でも思案しています。
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