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キリシタン殉教地として有名な、雲仙地獄のある旧小浜町の町木は、「山法師」の木でした。
そして町村合併で、七ヵ町が合併して雲仙市に成りましたが、市の木として小浜町の木を採用されました。
山法師の花は4枚花弁の白い花で、十字架を思わせます。
キリシタンに関係がありそうです。
そこで、何時もの言葉遊びで推理してみると、「山=サン」「サン(ポルトガル語)=聖(日本語)」。
山法師が 聖 法師となり、キリシタンのお坊さん(伝道者)のような感じを受けてしまいます。
同じように、山の神は 聖 の神、しかも山の神は女だそうです。
これにも又、女神マリアを隠しているように感じてしまいます。
何故、町木に山法師?と思っていましたが、これまでに見てきた遺物だけでも、最近は何故なのか納得してしまいます。
やはり、キリシタン信仰が神仏習合の中に含まれ、隠されているようです。
その事を知っていた知識人の方達の中に、江戸期の宗教の中身が受け継がれていたように思えます。
雲仙の衣笠山には、足元に蟹が彫ってありキリシタン像?があります。
「ザビエルが舟で嵐に遭った時、紐に繋いだ十字架を海にひたし無事を祈っていると、紐が切れ十字架が海に沈んでいったそうです。ところが、浜辺についたところ、はさみに十字架を挟んだ蟹が海から出てきた。」と言う話が、この像がキリシタン遺物であるとされている根拠だそうです。
しかし、このキリシタン像?は新しく、奉納者の名前と共に 小浜町 の文字が彫られているそうです。
したがって、小浜村から小浜町になった後に奉納された像だろうとのことです。
その奉納者の人達と同じ苗字の多い地区には、多くのキリシタン遺物があるようです。
そして、その地区の墓地には、明治後期以降に建立されたと思える墓石で、墓碑の屋根の殻破風に逆さ卍が彫られ、正面に書かれた南 旡 阿弥陀仏の 南 の文字の中に、十字が隠された墓石もありました。
その墓碑は、過去に私のブログで紹介した事があります。
しかし、この地区の住民は、島原の乱の際には藩主側に付いて、一揆軍と戦っていたと記録されている物もあり、幕府のキリシタン政策(神仏習合の中にキリシタンの教えを組み込む)を理解し、賛同していたように思えます。
以上のような状態を見て感じる事は、江戸時代の神仏習合の中に、キリシタンが隠されていることを知っていた人達が、戦前までは確実に居たのではないかという事です。
しかし、その事は「見猿、聞か猿、言わ猿」が、暗黙の了解だったのでしょう。
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