三田のいのしし 見て歩き日記

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2012年01月22日
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テーマ: 生涯学習(390)
カテゴリ: 広く・深く・学ぶ

隋身門と随身 締め括り

隋身門は、神域あるいは神様を守る武官がいる建物として判然としている。

随身は、仁王さんをモデルとしているために、向かって右側に阿形を、向かって左

側に吽形を 意味する像を安置している。

私が考えた随身像

1) 左右の随身の武官(左大臣・右大臣)は、すべて矢大神(矢大臣)として表記す

   るのが 妥当と思われます。

矢大臣と左大臣のコラ-ジュ 共に矢大臣で 左が右大臣(若者) 右が左大臣(老人)

2) 但し、神社は神様側からみて右側に右大臣を、左側に左大神を置く習わしがあ

      るので、その表記方法、これは変えられない。

   京都の右京区(左側)、左京区(右側)を今日変更できないのも同じような理由

      です。(御所から市街を見て、右京(向かって左側)、左京(右側))

   現在の一般習慣から言えば

   左側:右大臣(口を閉じている、若い) 右側: 左大臣(開口 老人、あごひげ)

   両方ともに「矢大臣」と決めてかかると、ずいぶん気楽になるのではないでしょう

   か。右大神にあごひげがあっても短い、黒い例も見られます。

     ()内は 万一、格子から取り出して、元へ戻す時の目安です


3) これまで約3週間、ネット検索で様々な表現で随身さんの位置を表現されてい

   るブログ、HPに
であいましたが、置き場所・名称について随分ご苦労されてい

   ることが分かりました。

   私は、そ れぞれ素晴らしい遺産ですので、上記の1)、2)に従って楽しく拝観致

   したいと 思っております。



以下の項目は、上のような結論に至るきっかけと経過、情報を整理したつもりであり

ます。

何かお気づきの点があれば、コメントでご指摘願います。

    

☆ 隋身門と随身を調べ始めたきっかけ

   年末年始に読んだ平岩弓枝さんの小説「御宿かわせみ」の中に、「矢大臣殺し」

   の項があり 江戸時代末期の下町で一杯飲み屋の空き樽に腰を掛けた男が

   矢大臣風であったことからの 筋ですが、下町における神社、とりわけ随身さん

    が身近な存在であった事が伺われました。

狭山市・二神像
狭山市 二神像

写真が小さいので、顔やあごひげなどははんべつできません。

   2012年、平成24年正月2日、兵庫県篠山市の春日神社初詣の際、隋身門の

   存在を意識するに至りました。

春日神社 隋身門
篠山市・春日神社 隋身門

☆ 1月22日現在 まとめ

  1. 隋身門が日本で一番最初にできた時代と神社名

    これはわかりません。

  2. 仏教寺院の影響を受けて隋身門が建立されるようになったとされているの

     は根拠がありそうです。

    2-1  お寺の仁王門に置かれている仁王は、向かって右側が「阿形」で口を

        開けている。

        向かって左が「吽形」で口を閉じている。

          いずれも立像であり、その姿形は極めてはっきりしております。

    2-2  随身は、仁王門の影響を受けているものの、平安時代の随身(警護

        役)の衣冠束帯姿が
を写しているせいであろうが、一番象徴的な、あ

         の仁王さんのすざましい姿形は再現
出来ず、その口の形もきわめて

         つつましいものになったのでしょう。

         そう思われるくらいで、明確に口を開けているとみられる例がすくない

        のではないか。

大阪天満宮 左大臣 阿形
大阪天満宮の左大神 はっきり口が開いている。
あごひげなど口髭は真っ白 明らかに老人
(あるブログからお借りしました。)

鞆の浦。沼名前神社 随身さん 立像
沼名前神社 神像

  3.  随身の立像(鞆の浦 神社)が隋身門創始の時代の名残りだと思われます

     が、随身の多くは:

      3-1 両足をそろえて地面に置き、腰を掛けている。

      3-2 右大臣(参道側から見て向かって左側)は、右足をおろして左足で胡

         座をかく。

           左大臣(向かって右側)は左足をおろして、右足で胡座をかく。

           (三田。天満神社)

        この両大臣の姿が、平岩弓枝さんの描く矢大臣の姿で、とりもなおさ

        ず江戸に幕府が出来て
神社が数多く普及知るにしたがってこの形の

          随身さんの存在が広がった可能性があります。

  4. 随身さんは、大臣ではなくて左右近衛府の舎人ですから、身分はかなり低

     い。?神(かどもりがみ)、あるいは看督長(かどのおさ)とも言われている。

    参考資料 諸田玲子氏の小説「髭麻呂」 175ペ-ジ
     {・・・検非違使庁の下級役人の髭麻呂 役目 看督長(かどのおさ)}
     ・・・髭麻呂は、退紅(たいこう)に葛袴(かっこ)、頭に細纓冠(ほそえいか
        ん)をかぶって藁沓を履いた看督長(かどのおさ)の格好である。
      以下略
      頭の冠が、巻纓冠(けんえいかん)であるか細纓冠であるか、左右近衛府
      の看督長も似たような格好であり、下級のお役人であったようです。 

      検非違使庁は今の警視庁のごとき存在のようですが、武官ですからあの
      耳当てのごとき飾りが付いている冠だったと思われますが。
      

    4-1  もともとは、「大神 ダイジン」とも呼ばれていたようです。

     4-2  立つ位置から、  矢大神 (右大神 左大神)と呼ばれていた可能性

        もある。

        それが時代と共に、矢大臣 (右大臣 左大臣)と変化。

    4-3  現在、多くは        矢大臣 (右大臣) 左大臣  と表記されてます。

                     矢大臣  左大臣     とも表記されている。

  5. 一番混乱している元は、随身の位置に関して神社から見て指定している決

     め事が徹底していない事。(右大神だから左に置いておくのは間違いと思わ

      れて配置換えの例もあるかもしれません)

     5-1 京都は、平安京の時代から御所から見て右側(JR京都駅側から北を

         見て左側)を右京と呼び、
御所から見て左側を左京としている。

         京都観光に出かけても意識しませんが、実は清水寺なども東側にあ

         りますが、左京側です。

    5-2  我々の言葉づかいでも、「左右の・・・」と発するように、左を先にして

           右が後になっている。

         従って昔からの慣習に従えば、矢大臣または、左大臣、右大臣と

         表記するのが日本語的とも考えられます。

         お寺の仁王さんや狛犬も「阿吽の呼吸」など 向かって右側が阿形で

         あり、向かって左側を吽形と している例が普通です。

    5-3  左近衛府が先で,右近衛府が後だった可能性もある。(少なくとも呼び

         合う習慣上から) 左右の近衛府…云々

    5-4  矢大神(矢大臣)について
        平安時代の武官の正装によると、背中に矢を複数背負い、左手に弓

         を持つ姿が図示されているので矢大神(矢大臣)は、左右一人の大

         神(大臣)を意味したものではなくて、二人の随身さんは ともに矢大

         神(矢大臣)と呼ばれるのがいいのではないか。

  6. 別名で【矢大臣又は左大臣、右大臣】と呼ばれます。 (ブログ歴史で遊ぶ三

    国会からの抜粋)

     6-1  二人ともに矢大臣

     6-2  左大臣は向かって右側にあり、老人の姿をとる。

     6-3  右大臣は向かって左側にあり、若武者の姿をとる。

       このブログのご説明をお借りしました。



 参考資料

1. 歴史で遊ぶ三国会 2008.04.25 記事から抜粋させて頂きました。

  随身(矢大臣又は、左大臣、右大臣)

   門には左右の随身(ずいじん)がたっています。

   随身とは、平安時代、貴族が外出の際勅宣によって随従し警衛の任に当たっ

  た左右近衛府の舎人(舎人)の事です。

  その人数は、太上天皇で14人、摂関10人、大臣・大将8人、納言・参議6人で

  弓矢を持ち太刀を帯びていた。

  通常は貴人の護衛をする左近衛、右近衛の舎人を形どった人形の事で(この

  ブログでは段飾り雛人形の中の随身の説明か)、儀仗姿の矢を持った老人と若

  者の二人一組です。

   別名で【矢大臣又は左大臣、右大臣】と呼ばれています。

   以下省略







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最終更新日  2012年01月23日 14時10分27秒
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