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あっという間に1月が終わろうとしている。と書いたが、実は「あっ」という間では ない。この間に私は左足指の骨折のためつけていたギプスがとれ普通に歩けるように なり、娘は大学センター試験を受け、まあ想定内の得点だったので当初の予定通りの 志望校に願書を出し、タイガーマスク騒動(運動?)が起き日本人のボランティア精 神も捨てたものではないといった話題が一瞬日本を駆け巡り、通常国会が始まり、エ ジプトではムバラク政権が倒れそうになっている。 この世の中で実感できるのは現在だけで、過去も未来も直接自分が感じることはでき ないわけだが、人間はちょっと知恵あるおかげで過去にあったことを悔み、懐かし み、未来に起こるだろうことを想像し、行動の規範としようとする。それはそれで正 しい行いなのだろうが、過去に起きたことは変えられないし、未来に起こることを 100%予測することができない以上、一体過去や未来にこだわることに何の意味があ るのだろうかと思う。 そう考えると時間は常に「あっ」という間に過ぎるものであり、過去である以上1000 年前も昨日も何の違いもない。または止まっているとも考えられる。常に「今」しか 認識できない以上、前や後ろはないわけで、あたかも何かが連続して起こっていると いうのは思い込みに過ぎない。通常、身の回りには常に家族や他人がいて、テーブル やいすやテレビや本や無数のモノがあふれているので、それらと自分を比べることで なんとなく時間というものは過ぎていくものであり、また何かに向かって進んでいる ように感じるが、銀河系の果てにでも一人ぽつんと残された状態を想像して見るとい い。そこには何の連続性もなく、その場に「今」を感じている自分がいるだけだ。 この世の中というのは一体どういうものなのか…。最近はそんなことばかりが気にな る
2011年01月31日
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今年もまた新年を迎えた。子どものころは「なぜ新しい年を迎えることがめでたいのだろう」と思っていたが、最近はこれほどめでたいことはない、と思っている。2週間前に誕生日を迎えたが、紺ジャケさんと泉本夏夜さんからは丁寧な祝福のメールをいただいた。返事もせずに失礼ばかりだが、本当にありがたいことだ。ひとつ年をとり、新しい年を迎えるということがどんなありがたいことか。昨年は健康面での課題が顕在化した年だったので、しみじみと感じる。そして、紺ジャケさんや泉本夏夜さんをはじめ、このブログを読んでいただいている方々は私のことを分別盛りの落ち着いた中年男性であると思っているかもしれないが、自分自身はいまだに学生のころと変わらず、さっぱり落ち着きのない頼りがいのない男であることを自覚しているので、自分のふがいなさを改めて感じる時でもある。いったいいつになったら私は私が学生のころに抱いていた知性、教養、経験、社会的地位、経済力を兼ね備えた大人の人間になれるのだろうか。いや、そのまえにそうした人間になるための努力をこの1年、実行してきたのかを自分自身に問わねばならない。だれもが考え、そして口にするように、私も数日前は、「あと3日で今年も終わりだね」と話し、大晦日には紅白歌合戦を見ながら「あと2時間で今年も終わりだね」と言ったことをしゃべっていた。しかし、これはよく考えてみるとおかしなことで、今年が終わるということは理屈ではありえない。未来永劫、常に自分が存在している時間が今であり、今日であり、今年であるわけだから、除夜の鐘が鳴ったら、今年が終わるわけではなく、ただ単に次の年になっただけだ。新年を迎えると、なんとなく今までの怠慢がリセットされて、また一から何かが始まるような気がするが、実際にはそんなことはなく、11月17日から11月18日になったと同じように、同じ毎日が続いていくだけだ。自分の周りは何も変わらない。新年を迎え、気持ちを引き締めることは大切だが、新たな気持ちで迎えるのではなく、今までの継続を意識した気持ちを持って迎えたいと思っている。
2011年01月01日
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