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2012.10.05
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テーマ: 戦争反対(1189)
カテゴリ: 戦争と平和
一昨日の記事で南京大虐殺について書きましたが、それについてのコメント欄で、ルワンダ虐殺の名を挙げました。(文字どおり名を挙げただけですが)

ルワンダ虐殺は、1994年アフリカのルワンダで発生した大量虐殺事件です。ルワンダの二大「民族」のうち、多数派のフツ族が、少数派のツチ族を殺戮し、犠牲者数は100万人にも達したと推定されています。
この、ルワンダの虐殺の構図というのは、大量虐殺が何故、どういう経過で起こるのか、という点について、考えさせられる点が多々あります。

最初に、二大「民族」と私はあえて「民族」にカギ括弧をつけました。ツチ族とフツ族、というルワンダの二大「民族」は、話す言葉も同じで、信じる宗教も同じです。文化的な差異はほとんど何もないのです。ツチ族は遊牧民で、ルワンダがベルギーの植民地だった時代には優遇され、フツ族は農耕民で、被支配階級だったのですが、実は二つの「民族」の差は、植民地支配の過程でベルギーが現地人を分断統治するために、人工的に捏造したものと言われています。だから、実際にはツチ族とフツ族は「民族」ではなく、社会階層の差と言った方が正確かも知れません。
植民地時代は、前述のとおりツチ族が支配する側で、フツ族が支配される側でした。しかし、ルワンダが独立すると状況が変わります。人口比で多数を占めるフツ族が権力を握るようになったのです。

この二つの「民族」は独立後もことあるごとに対立し、内戦も起こっていました。政権を握る多数派フツ族に対して、少数派ツチ族は、「ルワンダ愛国戦線」というゲリラ組織を組織して、武力闘争を行ったのです。1993年には、両者は停戦しましたが、フツ族の過激派はこのことに納得はしませんでした。
フツ族の過激派は、フツ族が握る政府も一体になって、公然とツチ族大量虐殺の準備を行っていた、と言われます。
準備というのは、具体的には民兵の組織化と、マスコミ、主にラジオを通じてツチ族への憎悪を煽る宣伝に努めることです。ルワンダ虐殺に果たした、ラジオのアジテーションの威力は、非常に大きかったといわれます。

当時のルワンダには、国連平和維持軍が展開しており、彼らは、フツ族が不穏な行動の準備を行っていることには、もちろんすぐに気がつきました。それにもかかわらず、国連平和維持軍は、虐殺を止めることができなかったのです。平和維持軍には強制力がなく、米国を筆頭にして世界の主要国も、アフリカの小国の悲劇を傍観したのです。



※隣国ブルンジも、ルワンダと同じくベルギーの植民地で、同じくフツ族とツチ族の二大「民族」がいます。人口比ではルワンダと同じくフツ族が多数派ですが、ツチ族が軍を握っているため、政治的にはルワンダとは逆にツチ族が支配的です。ただし、このとき墜死した大統領はフツ族出身でした。

この撃墜事件が引き金となって、虐殺事件が始まるのですが、最初に血祭りにあげられたのは、実はツチ族ではありませんでした。最初はまず、ツチ族との激しい対立を望まない、フツ族の中の穏健派が標的とされたのです。
アガート・ウィリンジイマナ首相がそういった穏健派の代表格でした。大統領の墜死後、法の規定では、首相であった彼女がルワンダの国家元首に昇格することになっていたのですが、実際には大統領の死の翌朝には、夫と、警護していた国連平和維持軍の要員ともども惨殺されました。
これを皮切りに、フツ族内部の穏健派が皆殺しにされ、ツチ族虐殺への反対者を根絶やしにしたところから、ツチ族に対する大量虐殺が始まったのです。

虐殺の被害者は、ツチ族の内部抗争も含めて約100万人、それだけの犠牲者を生むのにかかった時間は、約100日程度だったのです。しかも、これだけの虐殺にどれだけの大砲や機関銃、そのほか最新兵器が使われたかというと、実はそんなものはまったく使われていないのです。
小銃は多少使われていますが、虐殺のほとんどは、棍棒や鉈、刀などの近代兵器とは呼びがたい凶器によって行われています。そういった凶器だけでも、これほどの規模の虐殺ができてしまう、ということなのです。しかも、その虐殺のやり方は、このブログに書くのがためらわれるくらいに残虐です。
フツ族の(穏健派ではない)政治家や、果てはカトリックの司祭すら、虐殺に加担しました。おそらく、平時ならそんな残虐行為が誰にでも出来るはずがありません。しかし、憎悪と集団心理に踊らされると、多くの人が踏み越えてはならない一線を容易に踏み越えてしまったのです。

ただ、この異常事態は長続きしませんでした。ツチ族の反政府ゲリラ、ルワンダ愛国戦線が攻勢に出て、政府軍を壊滅に追い込んでしまったのです。それによって、ようやくツチ族に対する大量虐殺はやみました。しかし、今度はツチ族による報復を恐れるフツ族が200万人も国外に逃れ、難民となる事態が生じたのです。

当時、ルワンダの総人口は約700万人ですから、この虐殺事件で国民の1割以上が虐殺の犠牲となった計算になります。恐るべき割合です。

それにしても、この虐殺事件における、メディア(ルワンダでは、もっぱらラジオが憎悪を煽った)の役割、「敵」を殺す前にまず「味方の中の敵」を殺すやり方、「民族」対立の根本、棍棒や鉈や刀でこれほどの規模の殺戮ができてしまう恐ろしさ、こういう状況になると誰もが(カトリックの司祭すら)虐殺に加担してしまうという、集団心理の恐ろしさ、そして国連平和維持軍が、このときはまったく平和維持の役に立たなかった現実(そのことが原因で、司令官のカナダ軍ロメオ・ダレル中将は後にPTSDから自殺を図っている)、そして、政権が妥当された瞬間、それまでの虐殺者フツ族が一転して難民となる変転の早さなど、考えさせられることの非常に多い事件です。





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最終更新日  2012.10.06 02:15:45
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