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関東大震災 朝鮮人虐殺、新公文書 埼玉で四十数人「悉く殺さる」 陸軍省調査資料関東大震災で起きた朝鮮人集団虐殺について、同年11月に当時の陸軍省が行った実態調査の一部資料が、防衛省防衛研究所史料室で新たに見つかった。現在の埼玉県熊谷市内で保護のため警察署へ移送中の朝鮮人四十数人が「殺気立てる群衆の為めに悉く殺さる」などと報告。事件を「鮮人(朝鮮人の蔑称)虐殺」「不祥事」「不法行為」と表現し、「鮮人の襲来は遂に一名も来なかった。火付けもなかった。毒を(井戸に)投げ込まれた事も聞かない」との記述もある。資料の存在は、震災直後に政府が違法な虐殺の事実を認識し、広範な調査を実施していたことを示している。今年8月、当時の松野博一官房長官は記者会見で事件への見解を問われ「政府内に事実関係を把握できる記録が見当たらない」と述べていた。~陸軍省副官(官房長に相当)は23年11月2日、震災に関係した全部隊に対し、活動内容を陸軍大臣・参謀総長宛に同25日までに報告するよう通達。熊谷連隊区司令部は遅れて12月15日付で提出した。虐殺は「行動の大要」に記載。同年9月4日、警察官が保護した朝鮮人二百余人を浦和方面から深谷・本所警察署へ自動車で護送中、昼間のうちに移送できなかった四十数人が、夜に入って殺気立った群衆に、現在の熊谷市内各所で全員殺されたと報告している。「将来参考となるべき所見」にも、保護した朝鮮人の移送は「夜暗を避くるを要す」とし、夜間にずれ込むと「悉く暗所に於て殺さるるの惨状を見るに至れり」と警告している。(以下略)---記事は、ネット上では冒頭部分以外会員登録しないと読めません。(我が家は紙の毎日新聞を購読しています)この資料自体は今回新たに発見されたものということですが、言うまでもなく、従前から司法省報告書と戒厳業務詳報が震災時の朝鮮人虐殺の統計は明らかになっているところです。それら報告書の根拠となった資料の一つ、と言いたいところですが、戒厳業務詳報には埼玉県での虐殺事例は掲載されていません。司法省報告書では、埼玉県における朝鮮人94人と日本人1人の虐殺が掲載されていますが、これは犯人が起訴された事件だけの統計です。この件は、闇夜に紛れて殺された、というものなので、監視カメラなどなかった当時、果たして犯人が特定できたかどうか疑問です。つまり、司法省報告書には出ていない(もとより戒厳業務詳報には掲載されていない)事例のかもしれません。というわけで、震災時の朝鮮人虐殺については、従前より官憲による報告、資料が数多く存在するにもかかわらず、松野裏金官房長官は答弁において「政府内に事実関係を把握できる記録が見当たらない」と言い放ったわけです。いや、それは記録が見当たらないのではなく、単に記録は見ない、ようにしているだけでしょう。地震という災害は人間の力で止めることはできません。しかし、自身が原因で発生する様々な被害の中には、人間の力で止める、あるいは被害規模を最小限にとどめることが可能なものも少なからずあります。デマの蔓延や、その結果としての虐殺事件など、人間の努力で発生を食い止められる、食い止めなければならない事例の最たるものです。それにもかかわらず、「把握できる資料が見当たらない」などと公然たるウソによって事実から目を逸らす政府が、いつか再び起こるであろう大震災の際に、同じような悲劇を生まないよう最適な努力を払うつもりがあるのかどうか、少なからず疑念を抱かざるを得ません。
2023.12.25
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江川紹子氏 〝日本の魚を食べて中国に勝とう〟に警鐘「国のために食べるわけじゃない」ジャーナリストの江川紹子氏が、福島第1原発の処理水放出をめぐる風評被害を受け、「食べて応援」が広がっていることに私見を述べた。7日までに自身のX(旧ツイッター)を更新。処理水をめぐっては、中国が日本産水産物の全面禁輸に踏み切るなど、漁業関係者は大打撃を受けている。こうした事態に政界では岸田文雄首相や小池百合子都知事、大阪の吉村洋文知事らが福島県産の魚を食べて、内外に安全性をアピールしている。江川氏はXで「『食べて応援』には2種類あるんじゃないかな」と指摘。ジャーナリスト・櫻井よしこ氏が前面に出て「日本の魚を食べて中国に勝とう」と呼びかける広告画像を添付した上で「1つは、困難な状況にいる水産業者を助けたい、という気持ちから。もう一つは、こんな風に日本国が中国に打ち勝つことが目的。一緒くたにするのは、ちょっと違うかも。わらしら、国のために食べるわけじゃないのでね」(原文まま)と投稿した。---江川氏の主張に全面的に賛同です。日本の水産物すべてを全面的に輸入禁止した中国のやり方にはまったく賛同はしませんが、「日本の魚を食べて中国に勝とう」には、率直に言って「気持ち悪い」という感想以外にありません。私は、自分の食べたいものを食べます。美味しいものは大好きです。そして、「自分の食べたいもの」の範疇の中で、なにか困っている産地があれば、その産地の食品を選ぶことはあります。しかし、ものを食べるのに、「お国のため」「××国に勝つため」という発想は、私には異常と思えます。もちろん私は、中国が日本の水産品を禁輸にしようが、一切関係なく日本の水産品を食べます。福島産の農産物や肉も、特に気兼ねなく食べてきました。そして、福島産の魚が別に危険なものだとも思いません。汚染水を流したからその海域の魚が直ちに汚染されるものではないし、それを言い出したら東京湾の魚なんて食べられたものではありませんから。ただ、では福島産の水産物を一切気にせず食べるかというと、それは分かりません。食べ物の味は、理論や理屈、科学的安全性で決まるものではないからです。食べ物の好き嫌いや、同じ食べ物でも美味しい不味いという差はなぜ起こるか。それは理屈や科学ではないのです。例えば、最高級のフランス料理フルコースでも嫌いな人はいるし、好きな人でも下水処理施設の隣で臭いを嗅ぎながら食べたら、美味しいと思う人は激減するでしょう。それは、心理学のアプローチからは分析できても、食物の側からいくらアプローチしても、理屈も科学的根拠もあるはずがないのです。「その好き嫌いは非科学的だ」と詰り、あるいは「お国のために食べろ」と言われれば、美味しくない(と感じられる)食べ物が美味しくなる、なんてことはありません。嫌いなものは嫌い、嫌なものは嫌、としか言いようがありません。日本中が飢餓地獄にでも陥ればそんなことは言っていられなくなりますが。下水処理施設の隣で飲食店を営業することに、法的、衛生的、科学的になんの問題もありませんが、だからといってその飲食店で食事をしたいかどうかは別の問題、ということです。当然、飲食店の隣に下水処理施設がやってくるとなれば、飲食店は全力でそれに反対するでしょう。それを「非科学的」と言ったところで何の説得力もありません。というわけで、「中国に勝つために」福島の魚を食べようと言うのは、「やりたい人は勝手にやってくれ、私は巻き込まないでね」としか言いようがありません。
2023.09.15
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中国、2022年末の人口は14億1175万人 人口減少社会に突入中国国家統計局は17日、2022年末の総人口が21年末比85万人減の14億1175万人だったと発表した。中国は人口減少社会に突入したことになる。中国で人口が減るのは、「大躍進」が失敗し、多くの餓死者が出た1961年以来61年ぶり。22年の出生数は956万人で前年から106万人減少し、6年連続で前年を下回った。出生数が1000万人を下回ったのは49年の建国以来初めて。人口1000人当たりの出生数は6.77人と、過去最低だった前年(7.52人)を下回った。死亡数は1041万人(前年比27万人増)で、1000人当たりの死亡数は7・37人(同0.19人増)。65歳以上は2億978万人と全人口の14.9%(同0.7%増)となり高齢化がさらに進んだ。国連が22年7月に発表した人口推計では世界第2位のインドは14億1200万人とされ、中国は世界一の座を譲った可能性もある。中国政府は少子高齢化に対応するため、79年から続く「一人っ子政策」を見直し、16年には2人目の出産を容認、21年には3人目までの出産を認めた。だが教育費など育児にかかる費用の高騰、男児を尊ぶ伝統による男女の人口比のゆがみなどで少子化に歯止めがかからない。また「ゼロコロナ」政策で景気が低迷し、雇用不安が高まったことなどで婚姻数も減少し、少子化に拍車をかけているとみられる。(要旨)---少し前まで、中国の合計特殊出生率は1.7~1.8程度と発表されていました。「一人っ子政策」が行われている割には意外に高く、人口増の危機をあおるために過大に評価されていた可能性もあります。もっとも、一人っ子政策は少数民族には適用されず、農村部でも2人目が容認されるなど、例外規定は多々あったようです。また、罰金を払って二人目を生む人もいれば、罰金を払えないので、戸籍を取らない「闇子」も相当数存在したことが知られています。これらを総合して考えると、一人っ子政策が忠実に守られていたのは都市部だけだったようです。したがって、以前の合計特殊出生率の公表値も、必ずしも過大な統計ではなかったのかもしれません。そして、皮肉なことに、一人っ子政策が続いていた間、中国の出生数はおおむね一定の水準でしたが、一人っ子政策を撤廃した2016年をピークに、翌2017年から急速な出生数の減少が起こっています。これによって合計特殊出生率も急落し、2020年は1.28となって、日本を下回っています。逆に言うと、その状況がある程度予測できたことから、一人っ子政策を撤廃したのかもしれません。引用記事が指摘するように、コロナの影響や育児に要する費用の問題で女性が子どもを生まない傾向はあります。ただ、後述しますが、過去の出生数の増減から、経済情勢や社会情勢に関わらず、この時期に出生数が減ることはある程度事前予測可能ではありました。もっとも、結果からみると一人っ子政策を撤廃した効果は全く出ていません。おそらくは事前に予測された以上の出生数の急減だったのではないかと思われます。急激に豊かになった中国は、急激に日本と同様の道を進んでいるようです。引用記事によれば、高齢化率(65歳以上が人口に占める割合)は14.9%とのこと。国連の定義によれば、高齢化率7%で高齢化社会、14%で高齢社会、21%で超高齢社会ということなので、中国は高齢社会の段階に入った、ということです。日本が高齢化率14%台だったのは1995年頃のことです。そこから高齢化率はさらに上昇し、現在は28%以上ですから、中国の倍です。中国も、あっという間にそうなるでしょう。ただ、多少解せないのは、日本は高齢化率14%台の頃はまだまだ人口増が続いていたのに、中国はその段階であっという間に人口減に陥ってしまったことです。おそらく、日本では1995年前後は、いわゆる団塊ジュニアが20代前半だったことが理由です。団塊の世代(第一次ベビーブーム)の子どもが団塊ジュニア(第二次ベビーブーム)です。その子どもの第三次ベビーブームが来なかったことは周知のとおりですが、それでも、母数となる年代の女性の数が増えたため、90年代前半から2000年頃までは、合計特殊出生率は低下しつつも、出生数自体は年間120万人前後で一定していました。それに対して中国は、2017年以降5年間という短期間のうちに出生数が半分近くまで減ったため、この段階での人口減となったのでしょう。さて、先にここ数年の中国の出生減は事前予測可能だったと書きました。これは、出生数の推移グラフを見ると一目瞭然です。日本経済新聞より、中国国家統計局発表の出生数推移日本も社会情勢によって出生数の増減は大きいですが、中国は第二次大戦後、急激な出生数の減少が4回起こっています。一度目は引用記事にあるように、1950年代末から60年代初頭、大躍進政策の失敗によるものです。二度目は70年代、文革の混乱が原因でしょう。ただし、文革最盛期ではなく末期、さらに文革終了後に出生が減っているのは、文革の影響に加えて、上記の大躍進の出生減世代が親になる年代になったことも影響していることを示唆しています。最初の出生減も、統計が1949年以降しかないため推測ですが、大躍進政策失敗に加えて、第二次世界大戦で親世代の人口が減ったことも一因でしょう。日本でも、第一次・第二次ベビーブームの間に、太平洋戦争中生まれの世代が親になる時期に、やはり出生数が減っています(ここまで極端ではないですが)。ここまでは政治経済の混乱に要因が求められますが、三度目、90年代初頭から2000年頃にかけての出生減は、経済的に中国が急成長を始めた時期に起こっています。これは、経済発展が出生減に結びついたことに加えて、上記文革後の出生減世代が親になる時期が来たからでしょう。そして今回が4回目の急減の波です。今回の出生減も、3回目の出生減の波が親になる年代となったことが要因の一つと考えられます。そのことは事前に予想できたので、三回目の出生減の波世代が20代前半から10代半ばに達した2016年に、一人っ子政策をやめたわけですが、子育ての費用やコロナの影響で、「親世代の減少」という予測された要因を越えて出生減が進んだ、というところではないでしょうか。ということは、この先も過去の出生数の推移を見れば、今後の出生数の増減傾向の予測は出来ます。90年代前半から2000年頃まで出生数減少の後、中国の出生数は回復せず、2010年頃に多少の出生増(1980年頃から出生数が増えた世代が親になる年代になったため)がありましたが、それは短期間かつ小規模で、2017年以降の急激な出生数減少に至っています。そこから考えれば、今後少なくとも10年は親になる世代の人口は増えないし、それ以降も状況はたいして変わらないまま、二十数年後には今回の出生減世代が親になる年代を迎えることになります。当然、今後の出生数もそれに左右されるでしょう。コロナ収束後に出生数の回復が多少はあるかもしれませんが、親世代の絶対数が減っている以上、限定的であることは想像に難くありません。インドの人口統計も正確性には疑問符が付くので、中国の人口が本当にインドを下回ったのかは、実際のところは分かりません。しかし、この傾向から見れば、今年は確実ではなくとも、この数年以内に中国とインドの人口が逆転することは確実です。が、そのインドも、合計特殊出生率は2020年現在で2.05と比較的高い水準ですが、1960年代前半には6くらいに達していたところから、ずっと下がり続けています。コロナの出生数への影響は国によって大差があるでしょうが、少なくともよい影響があった国はありません。経済成長著しい国は必ず出生率が落ちる(けれども一度成長した国は、経済衰退しても出生率は上がらない)ので、インドの合計特殊出生率が2を切るのも時間の問題です。その向こうには、インドもまた人口減、という将来が見えているように思えます。もちろん、津國だけの問題ではなく、日本、韓国、台湾の出生率低下も著しいです。韓国は合計特殊出生率がなんと1を切ってしまったし、台湾も1を切る寸前です。中国の合計特殊出生率も一挙に日本を下回り、東アジア全体が人口減の状態です。北欧のようにうまい舵取りが出来ないのは、古い慣習が結婚や子育てを阻害している傾向は否めないものと思います。とは言え、一歩間違えれば人口爆発、かと思えば人口減、その中間で、社会が適度に人口と若さを保つのは非常に難しく、それを長期に維持することなど、今の人類の能力では不可能なのかもしれません。
2023.01.19
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文在寅が困惑…韓国経済の「ヤバすぎるリスク」がここへきて明らかになってきた…!足許、半導体不足などの供給制約の顕在化によって、世界的に物価に上昇圧力がかかりつつある。韓国でも物価上昇が顕在化している。それに加えて、韓国では債務残高の増加も鮮明になっている。当面、そうした状況は続くとみられ、韓国の国民が苦しい状況に追い込まれることが懸念される。韓国銀行(中央銀行)は、年内利上げの必要性に言及し始めた。そこには中央銀行としての苦心が伺われる。本来なら、債務が膨張する中での利上げは慎重に行うべきだ。しかし、足許の韓国では、低金利をよる借金に頼って生活する人が増え、債務の増加ペースが加速しているとみられる。今後、インフレが進めば、中長期的な韓国経済の展開には無視できない影響があるだろう。(以下略)---「北朝鮮の体制はもうじき崩壊する」詐欺がひところ盛んでしたが、最近あまり見かけなくなりました。もちろん、北朝鮮の政権がまったくもってひどい、狂っている、という事実認識自体は私も同意しますけど、願望と将来予測は別です。願望すれば実現するなら、私もいくらでも「北朝鮮の体制は来年には崩壊する」と叫びますが、現実には、あと2年や3年であの体制が崩壊するとは思えません。それに代わって出てきたのが、「韓国経済は崩壊する」詐欺。Yahooニュースなどを見ていると、その手の願望(?)記事をよく見かけます。しかし、文政権の政策の是非と韓国経済がどうなるかはまったく別の話です。よその国の経済が崩壊崩壊という前に、自分の国の現状を直視したほうがよろしい。バブル崩壊前後の1995年、一人当たりGDPは日本4万3440ドル対韓国1万2564ドルで、3倍以上もの開きがありました。しかしその後日本はずっと低空飛行、韓国はアジア通貨危機とリーマンショック時を除けばおおむね経済成長を続けて、今では日本4万246ドル対韓国3万1846ドルで、日本の約8割まで追い上げてきています。いや、これは世銀による統計であり、実はOECDの統計ではすでに一人当たりGDPは日韓逆転しているとも報じられています。2018年一人当たりGDP 日本4万1501ドル対韓国4万2135ドル。別に、韓国が世界的に見て異例な経済成長をしているわけではありません。むしろ、世界的に見れば韓国だって経済成長が著しい部類ではありません。その韓国にすらはるかに後れを取ってしまっているのが、我らが祖国日本の現状です。もちろん、韓国が経済崩壊するかどうかは、私には分かりません。ただ、現状韓国より日本の方がよほど経済崩壊に近い位置にいることは、否定し難い現実です。少なくとも私にとっては、いくら隣国とはいえ外国の経済崩壊より、我らが祖国日本の経済崩壊の方が何十倍も気にかかるのですが、ある種の人たちは、ただひたすら「韓国経済は崩壊する!!」って念仏を唱えて、貧しくなりゆくわれらが祖国の現実から目を背け続けるみたいです。また別の記事ですが「ついにサムスンもストライキ」大企業に見限られた韓国・文政権の崖っぷち6月21日、韓国最大の財閥であるサムスングループの主業企業であるサムスン・ディスプレイにてストライキが発生したと報じられた。~創業以来、サムスングループは“無労組経営の原則”を続けてきた。それは、サムスン電子をはじめとする傘下企業の成長に無視できない影響を与えた要因の一つと考えられる。~文氏は最低賃金の大幅な引き上げや時短労働の導入など、労働組合を重視した政策を進めた。その結果、労働争議は激化した。文大統領は、目先の支持獲得を重視し、ある意味では労働組合に忖度して経済政策を進めたように見える。その結果、労使の対立は深刻化し、企業家心理は停滞しつつある可能性がある。韓国では出生率の低下も深刻であり、需要は縮小均衡に向かっている。それに上乗せするようにサムスン電子などでも労使の対立が鮮明となれば、世界経済における韓国の競争力や発言力には無視できない影響があるだろう。(以下略・要旨)---要するにサムソンは「無労組経営がいい、労組がストなど始めたら韓国経済は終わりだ」ということです。別の言い方に翻訳すれば、労働者はストなど起こさせずに低賃金でこき使った方が経済は発展するぞ、ということになります。さて、本当にそうなのでしょうか。そうだとすれば、労組の組織率はどんどん落ち、ストもほとんど起こらず、賃上げどころか所得は下がり続け、低賃金と長時間労働のブラック企業が大流行りの日本は、さぞかし素晴らしい経済成長を遂げているんでしょうね(涙)。韓国で労働運動が盛んなのは、文政権になって以降の話ではありません。むしろ1990年代後半から2000年代初頭にかけてが、韓国ではもっとも労働争議が盛んだった時代です。そしてその間、アジア通貨危機とリーマンショックという二度の危機はあったけれど韓国の一人当たりGDPはずっと増加を続けました。こんなぶっ飛んだ経営者感覚が「現実的」だと思われている限り、日本の経済的沈没は今後も止まらないでしょうね。
2021.07.02
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DHCに「差別だ」と批判あがる。競合他社を在日コリアンへの蔑称を使い批判化粧品大手の「DHC」にネットで批判が寄せられている。公式サイトに掲載した文章で、在日コリアンへの蔑称を用いて競合他社を批判したなどとして、Twitterでは「#差別企業DHCの商品は買いません」とするハッシュタグが日本のトレンドに入っている。問題視されているのは、DHCが公式オンラインショップのサイトに掲載した「ヤケクソくじについて」という文章。吉田嘉明・代表取締役会長の名義で、2020年11月に書かれたものとしている。文章は自社製品サプリの優位性をアピールするもの。価格面について、他社を「DHCなら500円で売れるものを5000円近くで販売している」とし、消費者についても「消費者の一部は、はっきり言ってバカですから、値段が高ければそれだけ中身もいいのではないかと思ってせっせと買っているようです」と批判した。そして、同じくサプリを手掛けるサントリーについて「CMに起用されているタレントはどういうわけかほぼ全員がコリアン系の日本人です」とし、蔑称を交えた呼称を使い「ネットでは揶揄されているようです」と綴った。この部分について根拠は一切示されていない。(以下略)---DHCがネトウヨ企業であること自体は周知のことで、こういうヘイトスピーチそのものの文書を公表するのも初めてのことではありません。傘下のDHCシアターの番組「ニュース女子」が沖縄の基地反対運動をデマで攻撃する番組を放送したこともありました。ただ、さすがに同業他社、というよりDHCよりはるかに巨大な超有名企業であるサントリーに対して、根拠ある批判ではなく、こういうヘイト攻撃をかけるのは、常軌を逸しています。いや、もちろん相手がサントリーでなくても、その発言は充分に常軌を逸しているのですが。その内容は、もはや論評するようなレベルの代物ではありません。人間のクズが他人を人格攻撃するとこうなる、という典型としか思えません。ちなみに、日本人の中でコリアン系(朝鮮半島からの血筋)をまったく引いていません、という人はいったいどのくらいいるのでしょうか。濃い薄いはともかく、朝鮮半島出身の血筋をまったく引いていないという人は、外国(当然韓国朝鮮以外)出身で近年に帰化した人を別にすれば、アイヌと沖縄には多少いるかもしれませんが、それ以外の日本人にはまずほとんどいないでしょう。もう一つの、「消費者の一部は、はっきり言ってバカですから、値段が高ければそれだけ中身もいいのではないかと思って」っていうのも、これまた大概な発言です。確かに、中身は(だいたい)同じでも高い方を買うという人はいるでしょうが、それは必ずしも「値段が高ければ中身もいい」と思っているからではありません。例えばブランドに対するあこがれ、安全性やアフターサービスへの信頼、理由はいろいろあるでしょうが、すべての人が商品の選択基準の第一位が値段であるとは限りません。中身が同じと分かっていても高い方を購入する選択は珍しいものではないのです。それが良いか悪いかは、購入する人が決める問題であって、それを売る側が「こっちを買わないのはバカだ」とか、そんなことを言う方がバカ、というものです。私は男性なので化粧品というものにほとんど縁がなく(日焼け止めくらい)、DHCの製品を使ったことはありませんが、今後も決してこの会社の製品は使うまいと決めています。
2020.12.16
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TikTok、トランプ氏の出方焦点 「利用禁止」か「米社化」か世界経済の分断の芽となっている米中の対立が、SNSという身近な分野にも及び始めた。トランプ米大統領は、中国企業傘下の人気動画投稿アプリ「TikTok」を米国で禁止する可能性に言及した。TikTok側は米国企業に対する事業売却にとどめてサービスを続けたい意向だが、対中不信感を募らせるトランプ氏が受け入れるかどうかが焦点となる。トランプ政権は中国発アプリの使用に安全保障上の懸念があると問題視し、複数の対応策を検討している。ロイター通信によると、TikTokを運営する中国IT企業の字節跳動(バイトダンス)が圧力に屈し、米国事業を米マイクロソフトに完全売却することを決めた。だが、トランプ氏が最も厳しい「利用禁止」も辞さない考えを示したため、交渉は一時中断しているという。トランプ氏が「中国たたき」の矛先をSNSに波及させた背景には、新型コロナウイルス感染防止をめぐる不手際で支持率が低下する中、大統領再選に向けた演出が見え隠れする。政権内の強硬派は中国の選挙介入を警戒。TikTokを禁止しないと「不当な情報操作」(ナバロ大統領補佐官)を阻止できないと主張する。一方、TikTokのアプリは今年上期に世界で最も多くダウンロードされたとの推計があり、米国の利用者は若者を中心に6000万人を超える。利用を禁じて反発を招けば「トランプ離れ」を加速させるジレンマもある。米ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、トランプ氏の強硬姿勢にはTikTokとの交渉を有利に進めたいとの思惑があると分析しており、今後の出方が注目される。---この話の尻馬に乗って、日本でも自民党の一部議員が「TikTokを規制しろ」と言っているようです。私はTikTokを使ったことがないので、禁止と言われても自分自身に実害が伴わず、というかそもそもTikTokという単語が頭の中を素通りしている状態だったので、一連の騒動をちゃんと追っていませんでした。しかし、改めて考えてみると、これって滅茶苦茶な話です。公的機関がTikTokを使うな、というのは分かります。政府が国民に「TikTokは危険だ」と宣伝活動を行うのも、妥当性とか賛否は別にして、理屈としては分かります。しかし、一般国民に特定のアプリを「使用禁止」なんて、どういう法的根拠に基づいてそんな措置が行えるのでしょうか。米国の法体系は日本と違う部分もあるでしょうが、曲がりなりにも「自由主義」の盟主を自認している国が、大統領の意向で国民に特定のアプリを使用禁止、とか中世の絶対君主じゃあるまいし、そんなことができるんでしょうか。もちろん、著作権を侵害したり公序良俗に反する作品などのアップロード、ダウンロードを禁止する法的根拠はあるでしょう。ファイル共有ソフトの類を違法と言うなら、まだ分かります。もっとも、日本ではかつてファイル共有ソフトwinnyの開発者が逮捕されたことがありますが、後に無罪になっているし、ファイル共有ソフトを使って著作権侵害のアップロード、ダウンロードを行うことはともかく、ファイル共有ソフトそれ自体を禁止とはされていません。まして、単なるSNSアプリそのものが著作権侵害をしている、公序良俗に反している、というのはどう考えても無理のある理屈です。「米国民は政府の指示する特定のアプリを使用してはならない」なんて法律があるのかな?日本ではないから、そのあたりはよく分かりませんが。それに、買収交渉に際して政府が「使用禁止」をちらつかせることで買い叩くとしたら、経済的規範として極めて問題ありじゃないでしょうか。そして、「禁止」の実効性をどう担保するんでしょうか。まさか、警官が街行く人に「スマホを見せろ」と言って確認して、TikTokがインストールされていたら逮捕する、とか?いくら何でもそりゃないですよね。サーバはどうせ米国の法律の届かない国にも多数あるだろうから、ダウンロードを阻止することもできないでしょう。そうすると、実質的には口で「禁止」と言うだけなのでしょうかね。
2020.08.06
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古市憲寿氏、韓国の慰安婦土下座像に「メディアが取り上げて大騒ぎしすぎた」29日放送のフジテレビ系「とくダネ!」で、韓国北東部の江原道平昌にある「韓国自生植物園」が慰安婦像にひざまずき謝罪する安倍晋三首相を模した像を設置したことを報じた。菅義偉官房長官は28日の記者会見で像について「事実関係は確認していない」としつつ、「国際儀礼上、許されない」と述べた。番組では、植物園の園長を取材。園長は土下座する男性を韓国メディアに「対象として安倍総理で作った」と話したが、番組の取材には「安倍首相という人自身を作ったわけではない」と答えていた。コメンテーターで社会学者の古市憲寿氏は今回の問題を「そもそも誰がどこに作ったかが大事だと思ってて」とした上で「民間人が私有地である自分の植物園で作ったわけですよね。だからこれで韓国政府が私有地にある像を撤去しろっていうのも違うと思う」と指摘した。その上で「例えば仮に日本の私有地に誰かが韓国大統領を侮辱する銅像を作ったとしてそれを日本政府に撤去しろって言われて撤去するのも違う話じゃないですか。だから今回の話もメディアが取り上げて大騒ぎしすぎたんじゃないかなっていう気がします」とコメントしていた。---古市憲寿は、あまり好きな人ではないのですが、ここでの言い分はそのとおりと思います。ネトウヨ連中が大騒ぎをしているのを見て、私は最初、公立の植物園にそんな像を設置したのかと思いました。一般的には、「植物園」という名称の施設はたいてい公立ですから、一瞬そのように勘違いしたのも仕方のないところではあります。ところが実際には、引用記事にあるように、一私人であるこの「園長」が民有地に建設した私設の植物園に私費で設置した銅像ということです。確かに、骨の髄まで安倍が大嫌いな私から見ても、いささか悪趣味であるとは思いますよ。だから韓国政府も、像の設置について「外国の指導者に対して国際儀礼を考慮する必要がある」として支持しない考えを明らかにしています。でも、一民間人が民有地に私費で設置した銅像なんだから、政府にできることといえばそこまでです。逆に日本だったらどうでしょう。ネトウヨが私有地に韓国大統領を侮辱する像を作ったとして、その設置者を処罰したり、政府(行政)が私有地内の銅像を強制撤去したり、そんなことができるんでしょうか?どういう法的根拠で?やったら、ネトウヨ連中は怒り狂うと思いますが。銅像は知りませんが、書籍なら、「文在寅という災厄」なんていう本が日本では出版されています。しかも、その著者は純然たる民間人ではなく、在韓国特命全権大使を務めた元外交官です。土下座する銅像は侮辱的ですが、個人を名指しで「災厄」呼ばわりも充分侮辱的です。あるいは画像、絵画なら、韓国の歴代大統領を悪し様に描いたイラスト、漫画などは履いて捨てるほど存在します。いや、韓国に限ったものではなく、北の「偉大なる首領様」、トランプ、習近平、かつてのサダム・フセイン・・・・・・、色々と批判の多い政治指導者には、批判的、あるいは侮辱的なイラストや漫画など履いて捨てるほど出されています。習近平なんか、肖像画を路上に貼ってそれを踏みつけるようなパフォーマンスもありました。これは香港の人々がやったことですから、「外国の」元首への侮辱、「外交的」儀礼とは関係ありませんが、日本で反安倍派が安倍の肖像画で同じパフォーマンスをやったら、ネトウヨは発狂すること確実です。でも、香港での行為なら日本では批判する人は誰もいません。「国家元首を侮辱するパフォーマンスは政府が取り締まれ」などと言ったら「中国の言論弾圧の尻馬に乗るのか」烈火のように怒りそうな人たちが、韓国に対しては「安倍首相を侮辱するパフォーマンスは取り締まれ」と叫ぶなら、それは「ご都合主義」というものです。土下座する安倍像も、文大統領を「災厄」呼ばわり※する書籍(タイトルについての話です。中身の是非は未読なので知りません)も、悪趣味だと思うし、その設置者、著者に対する批判は出てきて当然と思うけど、だから政府がけしからんとか、政府が取り締まれ、というのは、何かを勘違いしたばかげた主張と言うしかありません。こんなの、騒げば騒ぐほど、この私設植物園の宣伝に協力しているようなもので、黙って黙殺しておけばいいのに、と思います。※もっとも、私もそろそろ、「安倍晋三という災厄」と口に出していいたい気分満載なんですがね。昨今の安倍政権の迷走ぶりは、さすがにそう言われても仕方のないレベルでしょう。
2020.07.30
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東大大学院特任准教授が中国人差別ツイート 大学謝罪、企業は寄付停止表明も本人は反論東大大学院情報学環・学際情報学府で特任准教授を務める大澤昇平氏がツイッターに、自身が経営する会社の採用で「そもそも中国人って時点で面接に呼びません。書類で落とします」などと投稿し、物議を醸している。大学は発言を「不適切」と謝罪、大澤氏が担当する公開講座に資金を寄付する民間企業も「(大澤氏の)価値観は到底受け入れられない」とし、寄付の停止を表明した。一方で、大澤氏は新たに「私企業が採用方針を表明しただけで、東大の思想を代表したものではない」などと投稿し、反論している。大澤氏は20日、「(自身が経営する会社で)中国人は採用しません」とツイート。他のアカウントからの批判に対し、「中国人のパフォーマンス低いので営利企業じゃ使えないっすね」「そもそも中国人って時点で面接に呼びません。書類で落とします」と相次いで反論した。ネット上では「コンプライアンスの問題以前に基本的人権を理解していないのではと疑われる」などの批判的な意見がある一方で、「会社の利益を守ることは当然のこと」と理解を示す書き込みもある。 ---こんなレベルの人が特任准教授で、東大大丈夫?と思ったら、さっそく東大も謝罪を行い、寄付講座の提供元企業も寄付を停止するとのこと。至極当然の対応が行われたようです。で、問題の人物については私は知りませんが、ネトウヨ番組「そこまで言って委員会」に出演、また報じられている以外にも「なんか日本語通じない下級国民のパヨクが沸いてるなー」なんて発言があったそうで、どういう人物か、およそ想像がつこうというものです。基本的人権というものをまるで理解しないヘイト丸出しの発言であることは言うまでもありませんが、それだけではありません。日中のGDPが逆転したのが2010年、それからたった9年で、もうじき3倍の差がつきそうです。日本はずっと経済停滞、その間中国は破竹の経済成長なんだから、そうなるのも当たり前です。にもかかわらず、「中国人のパフォーマンス低いので営利企業じゃ使えない」とか、どれだけ周回遅れの認識?と思わざるを得ません。要するに、そういうネトウヨ思想に凝り固まって、現実が見えていない、ということなのでしょう。いや、本当に、遠からず「日本人はパフォーマンス低いので使えません」と言われ始めなきゃいいけどと思ってしまう時代です。いくら「私企業が採用方針を表明しただけで、東大の思想を代表したものではない」などと主張したところで、「東大最年少准教授(特定短時間勤務有期雇用教職員)」なる肩書※を公にしたうえでの発言は、否応なく東大の看板を背負っての発言ということにならざるを得ません。別に東大に限らず、どんな勤務先でも(とりわけ、著名な企業や組織であればあるほど)同じでしょうけど。※なお、東大「最年少」という自称に根拠はなさそうです。で、ご本人のツイッターを見ると、更に眩暈がいそうな発言が並んでいます。一部の人物が主張している、「これは差別煽動・ヘイトスピーチであり、レイシズムやホロコーストを助長するものである」と主張は、「風が吹けば桶屋が儲かる」くらい、論理的な飛躍が大きいものです。たとえばある企業が「新卒採用では大卒しか採用しない」と発表したところで、それが高卒全体の集合がホロコーストに逢う危険を助長していると言えるでしょうか。いやあ……この種の屁理屈は結構よく見かけますが、ヘイトスピーチとは何か、ほかならぬヘイトスピーチ規制法(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)に定義が定められています。言うまでもなく「中国人は(人物や能力と無関係に)面接に呼ばず書類で落とす」と公言することは本邦外出身者に対する差別ですが、学歴は国籍や出身地とは無関係なので、ヘイトスピーチではないのです。採用試験の応募条件を学歴で切ってしまうことを全面的に肯定するわけではありませんが、それは少なくともヘイトスピーチではない。いずれにしても、一読して、「東大の教員」と自称していることが見ていて恥ずかしいくらいの無教養ぶりであることは歴然としています。東大の教員になるくらいだから、お勉強はできたのかもしれないけれど、社会常識が欠落しているところにネトウヨ脳が加わってしまった、どうしようもない人物としか評しようがなさそうです。
2019.11.26
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主張】台湾ソロモン断交 中国の太平洋進出警戒を南太平洋のソロモン諸島と台湾が断交した。経済援助を背景とする中国の外交工作の結果だ。中国が台湾独立派とみる民進党の蔡英文政権発足後、台湾はこれで6カ国との断交に追い込まれた。国際社会での台湾の切り崩しを狙う中国の圧力策は、あまりに露骨であり、強く非難したい。中国は蔡氏の再選を阻み、中台関係で歩調の合う政権誕生をもくろんでいる。だが、中国の支配強化に反発する香港のデモ拡大を前に、蔡氏への支持は高まっている。中国はあからさまな選挙介入をやめるべきだ。台湾を外交承認しているのは16カ国、太平洋地域にはパラオなど5カ国。いずれもソロモン諸島と同様の小さな島嶼国だ。経済規模やインフラ整備は限られ、経済力で押す中国には格好の標的である。こうした太平洋地域への中国進出は、台湾への外交圧力にとどまらない。インド太平洋地域の安全保障に重大な影響を与えることを警戒する必要がある。南太平洋では、サモアで港湾建設への中国支援が伝えられ、オーストラリアなどは中国海軍の拠点となることを警戒する。多額の援助を受けたフィジーにも、中国の軍事拠点となる懸念がある。中国のインフラ支援は、採算性を度外視して戦略的に実施されるケースがある。多額の債務を負った被援助国が「債務の罠」に陥れば、中国の戦略の実現が加速される。政治、経済、軍事を問わず、この地域で中国の進める活動を見過ごしてはならない---北海道旅行記の途中ですが、例によって産経のあまりにアホらしい主張に吹いてしまったので。ソロモン諸島が台湾と断交した、いや、中国が断交させたことがけしからぬ、というのです。だけど、我らが日本自身が、もう47年も前に台湾とは断交しています。その日本も台湾と復交して中国と断交せよ、ということでしょうか。あるいは、産経ならそう主張するかもしれないですが、何ら現実性がないことは明らかです。いくら安倍政権がトチ狂っても、さすがにそんなことはしません。ならば、ソロモン諸島が中国との国交を選ぶのは、逆に言えば中国が国交を結ばせるのは、不思議なことでも何でもない、当然のことです。むしろ、世界最大の人口と世界第二位の経済力を持ち、しかも現時点でなお経済成長著しい国と国交を結んでいない状態はどう考えても不正常に決まっています。中国と台湾を天秤にかければ、中国を取るのは、損得勘定からいえば当然なのです。日本と台湾の関係がそうであるように、外交関係が途絶したところで経済そのほかの関係が途絶するわけでもありませんから。確かに、中国の香港でのやり口は下策に過ぎますが、それと外交関係は別の話です。自国(自らの政権)と外交関係を結んでいない国があれば、結ぶように努力するのは、一国の政府としてある意味当然です。軍事力という圧力によってそれを強要するというなら非難にも値するでしょうが、経済力という「飴」によってそう仕向けることは、批判の対象になるようなことではありません。要するに、中国が世界でも有数の大国になった、という現実の反映である、というしかないのです。他国から富を略奪してそうなった、というのでなければ、中国が超大国になったことがけしからん、などと吹き上がったところで仕方がないことです。
2019.09.19
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週刊ポストが「韓国なんて要らない」特集を謝罪。「誤解を広めかねず、配慮に欠けていた」9月2日発売の週刊誌「週刊ポスト」で「韓国なんて要らない」などと題する特集を掲載し、小学館から関わりのある作家らから「差別的だ」と批判を受けた問題で、発行元の小学館は「誤解を広めかねず、配慮に欠けていた」と謝罪した。批判の声が寄せられたのは週刊ポスト9月13日号。「『嫌韓』ではなく『断韓』だ」「厄介な隣人にサヨウナラ」とし、GSOMIAを破棄した韓国側のデメリットや、輸出管理強化による韓国経済への影響などについて検証する記事を掲載した。また『怒りを抑えられない韓国人という病理』という記事では、「大韓神経精神医学会」のレポートを紹介する形で、韓国の成人の10人に1人が治療が必要なレベルで感情がコントロールできないなどとした。これに小学館にゆかりのある作家たちから批判の声が相次ぎ、深沢潮さんは「記事が差別扇動であることが見過ごせず、今後の執筆を取りやめると発表した。また小学館から本を刊行している作家の柳美里さんも批判したほか、思想家の内田樹さんも小学館との仕事を今後しないと宣言した。ハフポスト日本版が小学館に文書で質問したところ、週刊ポスト編集部名義で「混迷する日韓関係について様々な観点からシミュレーションしたもの」とした一方で、 「『怒りを抑えられない「韓国人という病理」』記事に関しては、韓国で発表・報道された論文を基にしたものとはいえ、誤解を広めかねず、配慮に欠けておりました」とし、謝罪した。---ものではないんだから、「いらない」と言えばそこから消えてなくなるものではない、泣こうが叫ぼうがそこに厳然として存在するものを「いらない」と言うのは、異常な言い分と言うしかありません。「韓国の成人の10人に1人が治療が必要なレベルで感情がコントロールできない」こんなことを本気で思っているのでしょうか?一個人ではない社会集団全体を精神異常とみなすのは、明らかに異常に考え方であり、それこそ、自分自身の感情コントロールができていないだろだろうといわざるを得ません。しかし、まことに残念なことですが、これは小学館の問題というよりも、今の日本の空気を反映したものでしかないのでしょう。当ブログにもニュースの見出しを表示する機能がありますが、そこには韓国に対するむき出しの憎悪を並べたような見出しが出ないときがないのが現在の状況です。正直なところ、日本との対立を煽るという面では韓国にも問題はおおいにあるとは思いますけれど、昨今のマスコミの煽り方を見ると、日本も異常な水域に達してきたとわたしは戦慄します。小学館も、そういう今の時流に安直に乗っただけ、ということなのでしょう。「バスに乗り遅れるな」というわけです。だから、当ブログはニュースの見出しの表示機能を消しました。そんなものの宣伝に手を貸したくはないから。しかし、そうやって国を挙げて韓国たたきに熱中して(もちろん、韓国側も同じですが)その先に待っている未来図は、どう考えても心楽しいものとは思えません。
2019.09.03
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香港雨傘運動、周庭氏ら釈放 当局を非難「政治弾圧だ」香港で6月に起きた大規模デモで、警察本部を包囲したデモ参加者を扇動した疑いで拘束された民主活動家の黄之鋒氏と周庭(アグネス・チョウ)氏が30日夕、釈放された。2人は釈放後、報道陣に対し、「政治弾圧だ」と当局を非難した。黄氏は2014年の民主化デモ「雨傘運動」で、学生のリーダーとして活動した。米タイム誌の表紙を飾ったこともある。今年6月、雨傘運動に絡む罪での服役を終えて出所した。周氏も雨傘運動で活動し、「女神」と呼ばれた。---世界の美人の味方、inti-solです(笑)。いったい誰がこんな悪手を考えたのか知らないけれど、だいたい可愛い女の子をいじめる高圧的政権、なんて構図は世界から反感を抱かれるに決まっています。私だって、同情心しか感じないくらいですから。香港当局か、その背後にいる中国政府かは分かりませんが、自ら求めて国際世論を敵に回そうとしているとしか思えないし、中国本土の若者だって、少なくとも良い気分にはならないんじゃないかな。馬鹿なことをやったものです。
2019.09.01
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日の丸外してU18杯、自民・武田氏「参加しなくてよい」韓国で30日から始まる野球のU18ワールドカップに臨む高校日本代表が、日韓関係の悪化を受けて現地入りの際に日の丸などが入っていないシャツを着ていたことについて、自民党の武田良太元防衛副大臣は「韓国が強要したのなら極めて非常識で失礼だが、強要されていないのに自ら日の丸を外すのはもっと問題だ」と日本高野連の対応を批判した。党本部で開かれた外交部会などの合同会議で語った。武田氏は、昨年10月に韓国で行われた国際観艦式で、韓国が自衛艦旗「旭日旗」の掲揚自粛を求めてきたために防衛省が海上自衛隊派遣を見送ったことを挙げ、「やっていいことと悪いことがある。自ら日の丸を外すのなら、試合に参加しなくてよい。そんな気概では勝てない」と述べた。外務省は「事実関係を確認する」と答えた。菅官房長官は28日の記者会見で「高野連の方針や個別の対応について政府としてコメントは控えたい」と述べた。---武田とかいう参議院議員の言い分に、わたしは口あんぐりです。選手たちが海外遠征に際してどのような服装をするのか、そんなことは本人(未成年だから親)と主催団体が決める問題であって、政治家がああだこうだと指図する問題か?いったい何様だよと思わざるを得ません。公船である自衛隊の艦船と私人である高校生を同列においてどうするよ。実際のところ、日の丸を付けたポロシャツを着ていたからと言って、何かトラブルが起こる可能性は限りなく低いでしょう。先の記事に触れましたが、職場で後輩が韓国旅行に行ったら、。日本人と分かっても(というか、韓国語が話せないから、最初から明白なわけですが)全然平気、どころかとても親切だったと言っていました。ただ、人間という生き物は、喧嘩を売られた、挑発されたと感じると、頭にくる習性を持っています。例えば、今の日本で韓国人が太極旗を身につけて集団で行進しても、まず99.8%なにも起こらないとは思いますけど、もし8月15日の靖国神社でそれをやったとすれば、ほぼ確実に何らかのトラブルが生じるでしょう。彼らが野球のU18日本代表だ、ということを知っていれば、シャツに日の丸を付けていることを挑発と考える人はいないでしょう。でも、空港という場所にはいろいろな人が集まります。みんながみんな、「彼らは野球の日本代表」と知っているとは限らない。まったく何も知らずに、なんだか良く分からない集団が徒党を組んで胸に日の丸をつけて歩いている、という光景だけを見て、それを挑発的と感じる人がいる可能性は、なくはありません。そういう中で、ひょっとしたら将来年俸1億のスター選手になるかもしれない若者の集団を、不必要なリスクに晒す必要はない、という判断は、そんなに間違ったものでもないと私は思います。だって、たかがポロシャツですよ。そのデザインをどうするかなんて、たいした問題ではない。日の丸があっても、99.8%問題は生じないと私は思いますが、日の丸のないデザインのポロシャツにしたら99.98%安全になるなら、そうするに決まっているじゃないですか。武田という議員は、更に「自ら日の丸を外すのなら、試合に参加しなくてよい。そんな気概では勝てない」と言ったそうですが、実にバカバカしい話です。第一に、「そんな気概では試合に勝てない」というのは空疎な精神主義に過ぎません。第二に、こんなことを理由に日本代表が帰国したら、それは挑発、喧嘩を売る態度の最たるものです。要するに、韓国と関係を改善する気なんか全然ない、もっと喧嘩を売れ、もっと挑発しろ、もっと関係を悪化させろ、と言っているも同然です。しかも、そのリスクをかぶるのは自分じゃない、高校生たちだ。そういう方向性の先に、あまり明るい日本の将来は見えないと私は思うんですけどね。
2019.08.30
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ソウルから 倭人の眼】GSOMIA破棄の韓国、「快く手を取る」と言いつつ逆襲連発韓国が日本政府による輸出管理厳格化などに対し、日本からの輸入食品への放射線検査強化に続き、日本とのGSOMIAの破棄を“対抗カード”として繰り出した。日本統治からの解放を記念する「光復節」(8月15日)の式典で、文在寅大統領は「日本が対話と協力の道に乗り出せば、われわれは快く手を取る」と言ったばかり。にもかかわらず、日本と手をつなぐどころか、神経を逆なでし続けている。(以下略)---文大統領は別に、無条件で「われわれは快く手を取る」と言ったわけではありません。そこには、「日本が対話と協力の道に乗り出せば」という前置詞がついており、しかしそれに対してわれらが日本は、「対話と協力」のシグナルを発そうとはしなかった以上、「快く手をとる」となるはずがないのは明白です。私は残念だと思います。でも、安倍政権やその御用メディアは、むしろそうなることを望んでいたんじゃないの?韓国と、あるいは少なくとも文政権と関係を改善したいなんて気はこれっぽっちもなかったんじゃないんでしょうかね。そもそも、輸出管理厳格化(「ホワイト国」外し)の表向きの理由は色々言っていますけど、いかに言い訳をしたところで、その真の理由が徴用工問題(あるいはレーダー照射問題その他諸々の対立)に対する制裁措置であることは明らかです。日本がそれをやれば、当然やり返されるのは当たり前の話です。そのひとつが韓国側も日本をホワイト国から外す決定です。それに関してもネトウヨメディアは色々叫んでいましたが、日本が韓国をホワイト国から外すのはよくて、韓国が日本をホワイト国から外すのは悪い、などという理屈はどう考えても成り立ちません。ただ、韓国が日本をホワイト国から外しても、その経済への影響は日本が韓国をホワイト国から外すほどには大きくないのでしょう。だから、GSOMIA破棄という最大のカードを繰り出したのでしょう。しかし、GSOMIAは1年毎の更新であり、期限3ヶ月前に破棄の通告すれば終了となることは、最初から規定されていることです。その更新が11月23日であり、3ヶ月前の更新期限は8月23日であることも、最初から分かっていたことです。それを分かった上で、「8月から韓国を『ホワイト国』から外します」と言うからには、当然GSOMIAの更新拒否という報復は予想の範囲内であるはずです。というよりむしろ、GSOMIAを破棄したければどうぞ、というくらいの覚悟、あるいは開き直りがあってやったことなんじゃないですか?それなのに、韓国がGSOMIAの更新を拒絶すると、政府・自民党幹部は怒り狂ったり慌てたり。何を今更慌てるのか、まさかとは思うけれど、そのような展開を予測もしないで「ホワイト国外し」をやったのでしょうか。そもそも、GSOMIAは遠い昔からある協定ではありません。わずか3年前に始まった協定です。前述のとおり、更新については規定があり、その規定にしたがって協定を終了させることは、腹の中でどう思うかはともかく、そんなに口を極めて非難すべきことでしょうか。元々、日本にとってそれほど実質的に重要な協定でもなかったように思うのですが。ところで、話は変わりますが、韓国が反日だ、というのですが、実際のところはどうなのでしょう。たまたま先月、私の職場の後輩が2泊3日だったか3泊4日だったかで、ソウルに旅行に行ってきたというのです。今どきの、政治に特別の関心のない、ごく普通の若者ですけど、もちろん日韓の対立のことを知らなかったわけではありません。でも、全然「反日的な雰囲気」など感じることはなく、みんな親切で楽しかった、と言っていました。で、引用記事によれば「一般国民の多くは「愛国」やら「抗日」を前面に出されれば、世間体を気にして黙って従うしかない。韓国社会は今、そんな雰囲気や状況が続いている。」と言うのですが、その真偽のほどは知りません。しかし日本でも「韓国素敵」と発言しただけでネトウヨの攻撃を受けて炎上した芸能人がいるくらいだから、他所の国のことをあまり言えたものではありません。で、今後のことは分かりませんけど、これまでのところ、訪日外国人の統計を見ると、確かに韓国人の日本入国者数は前年比マイナスではあるのですが、6月は前年比プラス0.9%、7月マイナス7.6%(マイナスということなら、「親日」の台湾からの来日者数も前年比マイナス)、依然として国別では中国に次いで第2位の位置にいます。そんなに大幅な減少はしていません。日本政府観光局(JNTO)2019年訪日外客数よりで、日本からの渡航者数についても、若干古い5月の統計ですが、韓国への渡航者は米国を僅差で押さえて国別渡航先の第1位、前年比20%増、という状態です。jtb総研 アウトバウンド 日本人海外旅行動向より大韓航空が日本路線を減便、一部の路線を休航という報道はあるけれど、地方空港への便(元々便数が少なく、機体も小さい)ばかりで、大都市相互を結ぶ便の休航はほとんどありません。また、韓国のもう1社のアシアナ航空と日本の航空会社(JALとANA)が減便という報道もありません。したがって、渡航者の減少は確かにあるのでしょうが、それほど壊滅的な減り方をしているわけではないのだろうと思います。実際のところは、今月あるいは9月の渡航者数の統計が明らかになる頃でないと分かりませんけど。
2019.08.24
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中国が日本を「豊かさ」で抜く…その時起きる戦慄すべき事態中国と日本の豊かさ(1人当たりGDP)の差は、急速に縮まっている。この傾向は将来も続く。したがって、どこかの時点で中国は日本より豊か国になる。これは、日本と中国との関係が現在のそれとは質的に全く異なるものになることを意味する。それは、さまざまな面で、日本人にとって受け入れがたい大変化をもたらすだろう。日本経済研究センターの長期経済予測は、中国が2030年代前半に経済規模で米国を抜くとした。「2030年展望と改革」(内閣府)によると、2030年で、中国のGDPの世界シェア 23.7%は、アメリカの20.2%より高くなる。これ以外の長期推計も、ほとんどは2030年代前半に中国がGDPの規模で世界最大になると予測している。 中国の人口は巨大だから、経済規模が世界最大になるのは、さして驚くべきことではないかもしれない。日本との関係でより重要な意味を持つのは、「豊かさ」だ。ドル表示で見た1人当たりGDPは、2010年には、中国の値は日本のほぼ10分の1であった。2018年、中国の一人当たりGDPは日本の4分の1程度になった。IMFによる推計によると、2023年に、中国は日本の3分の1程度になる。過去の傾向が将来も継続するとしたら、中国の1人当たりGDPは、2032年に日本のほぼ2分の1になる。そして、中国が日本と同じ豊かさになるのは2046年だ。以上は過去のトレンドが続くとした場合のものだから、これとは違う結果になることは、十分ありうる。しかし、これまでのトレンドが続けば、逆転は避けられない。人口高齢化によって、将来の日本が深刻な労働力不足経済に突入することは、よく知られている。そこで、外国人労働者の受け入れ拡大が不可欠になる。しかし、日本の賃金が高いからこそ、外国人労働力を呼び寄せられる。日本の賃金の方が低くなれば、外国人労働力は来ない。ベトナムなど東南アジアからの労働者が期待されるかもしれないが、そうした人々は中国に行くだろう。中国の方が豊かになった時代には、日本人が中国に出稼ぎに行かなければならない事態になるかもしれない。中国に立地している日本の製造業は、低賃金労働を享受できないことになる。むしろ、日本が低賃金労働を提供する可能性がある。予想される第二の問題は、中国人の行動によって日本国内の秩序が撹乱されることだ。観光公害は、日本各地ですでに危機的状態になっている。(要旨・以下略)---日中のGDP(1人あたりではなく総額の)が逆転したのは2010年のことですが、それから10年も経たずに、すでに2倍以上、もうじき3倍に達しそうな差です。そして、当ブログでも何度か触れていますが、訪日中国人観光客も激増しています。わたしは、週末によく都心方面で笛の練習をしていますが、ほんとに外国人だらけ。(中国人に限らず、欧米系もかなり多いですが)10年前、中国人が仕事ではなく観光目的の短期滞在で大量に日本に押し寄せる、なんて事態はまったく予想の外でした。いや、中国だけではありません。笛の練習をしていて、南米人が寄ってきて話をしたことが3回あります。このうち一人はおそらく日本在住でしたが、あとは短期滞在の来日のようでした。それとは別に、YouTubeを通じて知りあいになったチリ人の学生が日本に遊びに来たのが4年余り前。チリ、ペルー、エクアドル、これらの国々から(中流以上の階層とは言え)日本に観光客が来る状況もまた、10年前には予想だにしませんでした。※余談ですが、一度、笛の練習をしていたら中国人観光客が寄ってきて(当初は言葉が分からないので全然話が通じなかったけれど、少し後に通訳を連れてきた)、「この笛を売ってくれ」と言われたときはびっくりしました。売り物ではありませんと、丁重にお断りしたけど。以前にも記事を書いたと記憶していますが、外国人観光客の急激な増加と日本の衰退(国際比較での物価の低下)は相関関係があると思われます。いつの間にか、日本が世界の先進諸国の中では「お得な旅行先」になってしまった、ということです。今後、日本のこの状況(特に少子高齢化)が大きく変わるとは考えにくいので、日中のGDP逆転に続く、一人当たりGDPの逆転もまた不可避なのだろうと思います。ただ、中国も日本を上回る勢いで少子化が進行していますから、中国の天下もそう長くは続かないとは思いますけど。この点については、引用記事に同意です。ただ、それによって起こる「戦慄すべき事態」については、あまり同意できません。確かに、日本に働きに来る中国人は激減する可能性が高いですが、中国に外国人労働者が押し寄せるようになるか、というと果たしてどうでしょう。中国は国内での地域間格差が非常に大きいので、まずは貧しい内陸部から豊かな沿岸部に国内の労働者の移動が起こるでしょう。というかすでに起きているでしょう。それに加えて国外から労働者が押し寄せるかどうか(この場合は、エリート的な頭脳労働者ではなく、低賃金の労働力という意味)は、それを中国政府が許容するかどうか、次第ではないかと思います。そして、中国は低賃金の外国人労働力の流入を望まないのではないか、という気がします。(前述のとおり、国内にそういう労働力は大勢いるから)そして、中国人の行動によって日本国内の秩序が撹乱されるという話も、わたしはそこにはかなり偏見が混ざっているように思います。外国人旅行客が急激に増えはじめた4~5年前、確かに中国人観光客の問題行動が取り沙汰されました。確かに、そういうことはあったのでしょう。いや、今でもあるのでしょう。ただ、わたしが都心部でほとんど毎週末に見かける外国人旅行者の様子からは、年々中国人観光客の行動がスマートになってきたように感じます。感覚的なものですけどね。前述の「その笛を売ってくれ」という話(丁重にお断りしたら納得して帰って行ったので、何も問題があったわけではないけれど、素っ頓狂な出来事ではあった)も、すでに3年くらい前の話になります。もうひとつ、近年日本の山に登る外国人が急増していて、中国人の登山者も激増している(実際に山に登っていて体感する)のですが、デタラメな装備で登ってくる人が、もうほとんどいないのです。わずか6年前だったか、ゴールデンウィークの富士山(当然雪山)でインドネシア人の若者が運動靴に素手で登って、途中で降りられなくなっているところに遭遇して、ピッケルを持たせて尻セードさせて降ろしたことがあるのですが(富士山は日本を代表する山だけあって、当時から外国人登山者は多かった)、今はそんな外国人を見なくなりました。先日登った北岳、日光白根山でも外国人をずいぶん見かけました。中国人もいたし、多分東南アジア系と思われる人もいましたが、みんなちゃんとして装備で登っていましたよ。そういう意味で、日本旅行リピーターが増えれば増えるほど、日本国内の秩序が撹乱される事態は減っていくのではないかと思います。
2019.08.19
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主戦場 公式サイト今頃になって、この映画の配給会社が東風であることを知りました。そうだったのか!!!実は、東風のある社員(と言っても、小さな会社なので多分社員は何人もいないと思います)と知り合いで、色々お世話になったことがあります。というわけで、この映画は見なくてはならないと思い定め、今日見てきました。公開当初は連日満席だったそうですが、現在は落ち着いており、土曜日の今日も、8割の入り、という感じでした。予告編が始まってから入場したので、客席が暗くて、他のお客さんがどのような人たちかは分かりませんでしたが。で、中身ですが、いろいろな意味ですごい映画です。まず、非常に面白い。そして、右派の早々たる面々の取材によく成功したな、というのが最大の驚きです。もっとも、公開後になって、映画に登場した右派の論客たちが「騙された」と叫んでいるようです。ただ、どう見てもその主張には説得力がありません。監督の会見によれば、取材した7人のうち5人からは出演に関する「承諾書」を取っており、残る二人(藤岡信勝と藤木俊一)は、その承諾書の中身に不満があったため、これとは少し内容の異なる「合意書」を取り交わしていますが、いずれの場合も作品の評判がよければ、映画祭に出したり一般公開することもあり得ると伝えてあった、ということです。そもそも、映画の中で右派の論客たちが主張していることは、私の知る限り、彼らの典型的、代表的な主張です。確かに、映画の編集は、相当大胆な切り取り方をしていますが、彼らの平素の主張を捻じ曲げたり、針小棒大な取り上げ方をしてはいません。実際、登場した右派論客の一人、藤木氏は会見で映画内での自身の発言について、内容は「まったく改める必要もない」と回答しているそうです。映画の中での彼らの主張は、「産経」や「正論」「WILL」「HANADA」など極右系メディアでよく見慣れたものであり、大半は、とりたてて新奇なものはありませんが、同時にほとんど見るに耐えないくらいグロテスクなものです。もっとも、加瀬英明の「人の本は読まない」発言は、ある意味で新奇な発言でしたが。そうだったのか(笑)いや、ぶったまげましたが。それで専門家、ですか。※ただし、吉見義明を「知らない」、秦郁彦は「友人だが著書は読んだことがない」という加瀬の発言を、額面どおりに受け取ってよいかどうかは分かりません。本当に知らない、本当に読んだことがないのではなく、「そんな奴らは俺の眼中にない」という意味でそう言い放っているのではないか、という気もします。しかし、極右、ネトウヨ界の閉じた世界での言論活動の中では、自らの主張をそのように客観視することはできないのでしょう。要するに、閉じた世界の言説がその世界の外側でどのように受け取られるか、そういう想像力が彼らにはない、ということです。かつて、米国下院で慰安婦問題で日本政府の謝罪を求める121号決議が提案されたとき、彼ら極右派は「ワシントン・ポスト」紙に「The Facts」なる意見広告を出したことがあります(その内容はほとんどこの映画での彼らの主張と重なります)。その結果は、右派の言い分が受け入れられるどころか、逆に多くの米国議員の怒りを買い、同決議案はむしろ共同提案者を大幅に増やして、圧倒的多数で裁決されています。つまり、彼らの「世界に向けて真実を発信」は、お仲間に向けて「世界に向けて『真実』を発信している愛国者」という姿をアピールすることが目的であって、実際にその「発信」の中身を読んだ世界がどう受け取るか、なんてことは考慮の外なのです。どこまで言っても自己満足の世界です。今回の映画でも、彼らは言いたい放題のことを言い、かつこのうちの藤木と藤岡の両名には、監督は自身の出演部分の映像を事前に送って確認を求めたそうですが、特に異議申し立てはなかったそうです。自分たちの発言が酷い内容だと思っていないのです。それが、映画の中では反対派の反論と交互に取り上げられることで、つまり閉じたネトウヨ界の外側の言い分と並べられることで、否応なく自分たちの主張のグロテスクさ、説得力のなさを客観的に晒されて、狼狽して「騙された!」と叫んでいる、そういう状況でしょう。ただ、この種の閉じた世界の狂信的主張を生み出すのは、必ずしも日本のネトウヨ界だけではない、とも思います。どこの国でも、一線を踏み越えたようなナショナリズムは存在します。トランプ万歳な米国人だって同根でしょうし、宗教やイデオロギーも同じ。左翼だって、この点に関しては色々自戒しなければいけない点は多い、と思います。閉じた「運動圏内」だけでしか通用しない言説では、支持は広がりませんから。いろいろなことは考えさせられましたが、とにかく良い映画でした!
2019.06.08
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韓国の水産物輸入規制に「お墨付き」 水産庁と外務省の油断 WTO逆転敗訴に動揺WTO)を舞台にした日本と韓国の水産物の輸入制限を巡る争いは、日本の「逆転敗訴」となった。東京電力福島第1原発事故後、韓国が実施する日本産水産物の輸入規制に事実上の「お墨付き」が与えられた結果となり、日本の提訴が裏目に出た形。農水産物の輸出拡大を目指す政府の戦略への打撃は必至だ。今回の判断は、日韓関係や被災地の復興に影響を与える可能性もある。「対抗措置を取れるパネル(紛争処理小委員会、1審に相当)の判断を維持したかったが、取り消されて(輸入規制)撤廃を迫るツールを失ってしまった。非常に残念だ」。河野太郎外相は12日の衆院外務委員会で、そう話した。政府は、輸入規制を続ける23カ国・地域に対しWTOの判断をもとに規制緩和を求める戦略だったが、逆転敗訴で見直しを迫られそうだ。逆転敗訴は、日本にとって想定外だった。韓国の禁輸措置が「差別的」だとする日本の主張をほぼ認めた1審では原子力の専門家らも審議に加わっており、水産庁と外務省の担当者は10日、「専門家が検討した1審の事実認定が覆ることはほとんどない」と楽観的だった。判断が覆ったのは、上級委が日本産水産物の安全性や貿易制限など重要な論点について、1審の検討に不備があったと判断したためだ。韓国は、放射性物質のレベルが今は低くても将来、影響が現れる潜在的リスクを訴えてきた。上級委は、1審はこの潜在的リスクについて検討が不十分だったと指摘。韓国の措置が貿易制限に当たるかどうかについても、1審は韓国と日本の地理的な事情などを十分考慮していなかったとした。 (以下略)---リンク元の記事にある地図を見ると一目瞭然ですが、福島原発事故以降、日本からの食料品の輸入に規制を設けている国は数多くあります。例えば米国は、青森から長野、静岡に至る14県の農産物、畜産物、水産物にかなりの程度輸入規制を敷いています。静岡や長野は野生のキノコ類だけですが、福島県産は牛乳、牛肉からキノコ、山菜、野菜類、もちろん魚類まで、ずいぶんある。EUも、最近になってだいぶ規制が緩められたものの、福島、岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、千葉県産の水産物に政府作成の放射性物質検査証明書を求めています。それら各国からの輸入規制があるにもかかわらず、韓国についてだけ、WTOに提訴した時点で、安倍政権のある種の意図を感じざるを得ません。要するに、客観性とか公平性とは無縁に、一番気に入らない相手だから、ということでしょう。それで提訴してみたら、予想に反して負けちゃった、と。自業自得としか思えません。わたし個人としては、ごく微量の放射能まで忌避する気はない、というか関東に暮らしていてそれをいちいち気にしても仕方がありません。でも、他国から見れば、安全性が気になる食品をわざわざ外国から輸入してまで食べる必然性はないでしょう。WTOは科学より風評を優先させるのか、などという批判を口にする人もいるようですが、こと食べ物に関する限り、そのような言い分は物事の本質を何も分かっていないとしか言いようがありません。科学は万能ではありません。科学的には安全でも口に入れない、入れたくないものは世の中にいくらでもあります。「美味しい食べ物」「まずい食べ物」あるいは「好きな食べ物」「嫌いな食べ物」を科学的に定義はできません。まずい、あるいは嫌いな食べ物も安全性という意味では「食べても安全」です。では、美味しいものを好み、不味いものは食べないというのは風評被害ですか?糞尿は科学的には何の危険性もありませんが、科学的に安全だから糞尿かけご飯を食べられますか?口に入れるものに「科学」を持ち出せばすべてが通ると思うのは、そういうことです。
2019.04.13
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韓国議長が “陛下の謝罪”発言の撤回を拒否 韓国は昭和天皇襲撃「遺物」を文化財に安倍首相が強い遺憾の意を表明したのは、韓国の文喜相国会議長が、昭和天皇を“戦争犯罪の主犯”と表現し、天皇陛下に元慰安婦への謝罪を求めた問題だ。文議長は、米・ブルームバーグ通信に対し、こう語ったという。「天皇陛下は、戦争犯罪の主犯の息子ではないか。そのような方が一度、(慰安婦の)おばあさんの手を握り、本当に申し訳なかったと一言いえば、すっかり解消されるであろう。」これに対し、日本政府は5回にわたり抗議し、謝罪と撤回を求めてきたが、本人も韓国政府も応じる姿勢を見せていない。文議長 謝罪・撤回要求を一蹴日本時間の13日午前、文議長は訪問先のアメリカ・ワシントンで、韓国メディアを前に、日本政府の謝罪・撤回要求を一蹴した。韓国・文喜相議長:なぜこのように大きな問題になるのか。官房長官が出てきたと思えば、安倍まで出てきたことは、到底理解できない。確実で明らかなのは、これは謝る事案ではありません。合意書が数十個あっても仕方がない。やられた被害者から最後の承服、「許す」という言葉が出るまで謝罪しろということです。---日韓の対立がどんどん激しさを増していて、わたしは非常に憂慮しているところです。日本側のネトウヨ的主張(いや、もはや「的」ではない、ネトウヨそのもの)にも愕然とする一方で、韓国側の主張にも首をかしげる部分はいっぱいあります。この国会議長の発言もそうです。昭和天皇が戦争犯罪の主犯、という表現にも、やや違和感がありますが、昭和天皇に少なからず戦争責任がある、という限りにおいては、それ自体は事実であると私は思います。ただし、「主犯」であったかというと、それは微妙であるとも思います。そのあたりは価値判断の問題なので、明示的に断定することは難しいですけど。ただし、韓国の人たちが反日感情を抱く最大の根源は、日韓併合とその後の韓国(朝鮮半島)に対する様々な圧迫にあるはずです。日韓併合は1910年、3.1独立運動とそれに対する弾圧は1919年に対して、昭和天皇は大正天皇の摂政となったのも1921年です。したがって、太平洋戦争や、それに至る中国への侵略に関しては、昭和天皇は大きな責任を有していたけれど、韓国の独立を奪ったことについてまで責任を有していたとは言えません。いずれにせよ、それは昭和天皇の問題です。間違いなくいえることは、今の天皇に戦争責任はない、ということです。どう考えたって、敗戦時に未成年だった今の天皇に、いかなる戦争責任もありません。国家(法人)としての日本が負う戦争責任は、世代を越えたものです。親の代の日本は悪いことをしても、子どもの代になったらもう知らない、というわけにはいかない。けれども、個人を特定しての戦争責任は、本人限りのものです。親の罪を子が償う、というのは近代国家におけるあり方としておかしいといわざるを得ません。現実問題として、日韓ともに、国内の意見は一枚岩ではないので、天皇が慰安婦のおばあさんの手を取って謝罪をすれば※この問題が解決する、とは考えがたいものがあります。むしろ、日韓双方で、火に油を注ぐ可能性が高いでしょう。※個人的にはそのような姿を見たら、私は心を打たれるだろうと思います。でも、そのことと、それがのぞましいか、それでことが解決するかどうかはまったく別の問題です。加えて、天皇は政治上の権能を有しないと憲法第4条に規定されています。天皇に、慰安婦問題の解決という政治上の役割を担わせることは、憲法違反というしかありません。韓国にとっては、日本の憲法の制約など知ったことではない、かもしれませんが、日本が、天皇に政治的な役割を担わせる(天皇を礼賛する勢力が都合のよいように天皇を政治的に利用する)ような国になることが、他ならぬ韓国自身にとっても、「望ましい隣国の姿」になるのか、そういったことを考えると、この発言は、残念ながら事態を悪化させるだけの暴言と言わざるを得ないでしょう。
2019.02.14
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渋る防衛省、安倍首相が押し切る=日韓対立泥沼化も―映像公開韓国駆逐艦による海上自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射問題をめぐり日韓の主張がぶつかる中、防衛省が「証拠」として当時の映像の公開に踏み切った。同省は防衛当局間の関係を一層冷え込ませると慎重だったが、韓国にいら立ちを募らせる安倍晋三首相がトップダウンで押し切った。日本の正当性を世論に訴える狙いだが、泥沼化する恐れもある。防衛省は当初、映像公開について「韓国がさらに反発するだけだ」(幹部)との見方が強く、岩屋毅防衛相も否定的だった。複数の政府関係者によると、方針転換は27日、首相の「鶴の一声」で急きょ決まった。韓国政府は11月、日韓合意に基づく元慰安婦支援財団の解散を決定。元徴用工訴訟をめぐり日本企業への賠償判決も相次ぎ、首相は「韓国に対し相当頭にきていた」(自民党関係者)という。そこに加わったのが危険な火器管制レーダーの照射。海自機への照射を否定する韓国の姿勢に、首相の不満が爆発したもようだ。(以下略)---政権担当者が感情で対外政策を決めるほど恐ろしいことはありません。首相自身がネトウヨである上に、ネトウヨを支持母体にする政権だから、反韓を煽ることで支持率向上みたいな内向きの論理だけで対外政策を定めることは、百害あって一利なしですが、そのような自制は安倍政権にはないのでしょう。もっとも、韓国側についても同じようなことはいえるかもしれませんが。公開された「証拠映像」自体も、それだけで火器管制レーダー照射の決定的証拠とは言えないようです。が、状況証拠を総合して考えれば、火器管制レーダーが照射されたのは事実だろうとは思います。しかし、果たして火器管制レーダーの照射が、どこまで「危険な行為」と言えるのか、という点は大いに疑問ありです。確かに、火器管制レーダーの照射(いわゆるロックオン)は、電波誘導兵器やレーダー照準射撃のための必要な作業のひとつですから、挑発的ではあります。が、火器管制レーダー自体に殺傷力があるわけではありません。それはあくまでも、武器使用の準備段階に過ぎません。しかも、武器使用に必須というわけですらありません。艦砲を目視照準で発射するなら、火器管制レーダーは不要ですから。いくら火器管制レーダーを照射しても、砲口を目標に向けるか、ミサイル発射機の扉を開かない限り、武器は使用できません。そして、今回の件で韓国の駆逐艦は砲口を自衛隊機に向けたり、ミサイル発射機の扉を開いたりはしていないことは明白です。以前、中国の艦艇からの火器管制レーダーの照射という「事件」が起きたことがあります。ロックオンされたら攻撃せよ?このときも指摘したことですが、冷戦時代には米ソ両国が、互いに相手の航空機や艦艇に対して、火器管制レーダーを照射する例が多々あったことは公然の秘密です。その巻き添えで、自衛隊機が旧ソ連の艦艇から火器管制レーダーを照射される、のみならず砲口を向けられる事態すらありました。それどころか、「同盟国」であるはずの米海軍に至っては、日本の船舶に向けて発砲することすらありました。照準をずらして、「当たらないように」発射するのです。商船や漁船に向かって砲撃している間は、日本政府は米国に対して一切抗議せず、公表もしていません。しかし、1988年11月9日、東京湾で海上保安庁の巡視船「うらが」が米海軍駆逐艦「タワーズ」に砲撃される事件が起きるに至って、さすがに日本政府は米国に抗議し、それ以降はこのような事態はなくなったようです。このとき、米韓は距離約7000mで撃って、もっとも近い着弾は「うらが」からわずか300mだったそうです。。砲口を相手に向けるのはきわめて危険な行為です。まして、(照準をずらしにせよ)実際に砲撃を行うのは論外です。が、火器管制レーダーを照射するだけの行為が、果たしてどこまで危険なのかは疑問です。火器管制レーダーを互いに照射しあったと言われる米ソは、そのことについて相手の行動を公表したり、公式に非難したことはありません。黙ってやりあっただけです。日本も、砲撃されても(海保の巡視船が標的にされるまでは)だんまりを決め込んでいたことは論外にしても、旧ソ連の艦艇から火器管制レーダーを照射されても、砲口を向けられても、それを公表はしなかったのです。世界には、一触即発の2国関係なんてものは数多くあるわけですが、相手国の軍から「火器管制レーダーを照射された」などと公表して非難した国の例はほとんどありません。私の知る限りでは、湾岸戦争からイラク戦争までのあいだ、米軍がイラク上空に設定した「飛行禁止区域」での例くらいではないでしょうか。この場合は「飛行禁止区域」ですから、そもそもイラク軍機が飛行すること自体が「制裁違反」であり、またロックオンなんて段階は超えて、イラク軍が多国籍軍機に対して対空砲火、対空ミサイルを発射することが度々あったとされているので、ロックオン云々は付け足し以上のものではありません。それ以外に火器管制レーダーの照射なんて事例が世界的に皆無なのでしょうか。米ソが互いにやり合っているのに、それ以外の軍隊がそういうことを一切やっていない、なんてことがあるはずがないのです。それを公表して非難する国がないということは、火器管制レーダーの照射が、日本以外の国では重大な問題とは捉えられていない、ということを意味しているのではないでしょうか?自衛隊には、世界の軍隊の標準とは異なったしきたりが多数あります。有名なのは射撃訓練の際、使用済の空薬莢を絶対になくしてはいけない、というしきたり。これは、自衛隊のというより旧軍以来の伝統ですが。一方米軍は空薬莢など放置しっ放しであり、在日米軍が日本国内の演習場で訓練を行う場合も同様です。あるいは、自衛隊においては、実弾の入った弾倉は、本当に射撃をする直前にしか装填しないようです。イラクのサマワ近郊で起こった武装勢力との対峙の際、小銃の引き金に指をかけるくらい緊迫していたにも関わらす、報告書には弾薬の装てんはしなかったとあります。普通は、鉄砲は弾を込めてから引き金に指をかけるはずですが(日本でも警察の持つ拳銃には常時実弾が装填されている)、自衛隊においては実弾は引き金に指をかけてから装填するもののようです。絶対に事故が起こらないためでしょう。これらの例から想像するに、火器管制レーダーの照射は(本当に実弾を発射するとき以外)絶対にやってはいけない、というのも、自衛隊だけの独自ルールなのではないか、という気がします。この推測を裏付けるように、かの田母神俊雄元航空幕僚長がこんな発言をしています。今回の韓国の火器管制レーダーの電波照射について今以上に詳しく話すと自衛隊や日本政府に迷惑をかけることになるかもしれないのでこれ以上は言わない。今回ぐらいのことは世界中の軍が日常的にやっていることであり、電波照射をしてもミサイルが直ちに飛んでいかないような安全装置もかけられている。田母神は元々地対空ミサイル部隊の指揮官ですから、この分野は彼の専門中の専門でしょう。ネトウヨの親玉である田母神の主張を支持するものではありませんが、彼に韓国を擁護する動機も必然性もあるわけがい。したがって、この発言は事実なのでしょう。とすれば、火器管制レーダーの照射は、挑発的ではあるにしても、そんなに青筋を立てて怒るほど重大な問題ではないのではないかと思います。もちろん、自衛隊が「世界標準」よりも武器の使用や挑発的行動について抑制的であることは望ましいことです。しかし、他国の軍隊が「自衛隊基準」では行動してくれないのは、仕方がないことではないか、と思います。それを要求するなら、ものの順番として、公海上よりもまず、日本の領土領空領海内でそれを要求すべきでしょう。
2018.12.29
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徴用工、日本単独で国際司法裁提訴へ 韓国の不当性周知 駐韓大使は召還せず政府は5日、韓国の元徴用工をめぐる訴訟で韓国最高裁が日本企業に賠償を命じる確定判決を出した問題で、韓国政府が賠償金の肩代わりを行う立法措置などを取らない限り、国際司法裁判所に提訴する方針を固めた。また、裁判手続きに関する韓国側との交渉、折衝などが必要なため、長嶺安政駐韓大使の召還は行わない。ICJで裁判を開くには原則として紛争当事国の同意が必要で、手続きには(1)相手国の同意を経て共同付託する(2)単独で提訴した上で相手国の同意を得る-という2つの方法がある。政府は韓国から事前に同意を得るのは難しいことから単独提訴に踏み切る。その場合も韓国の同意は得られないとみられ、裁判自体は成立しない可能性が高い。だが、韓国に同意しない理由を説明する義務が発生するため、政府は「韓国の異常性を世界に知らしめることができる」と判断した。(以下略)---どうも、いろいろなことが謎で、よく分からないのですが、今回韓国で行われた裁判は、韓国人の元徴用工(個人)が、新日鉄住金という私企業を訴えたものです。一方、国際司法裁判所は、国家間の紛争を国際法に則って解決するためのものです。実際、国際司法裁判所の設置規定に、提訴できるのは国だけ、と書いてあります。もちろん、国家(政府)には、自国民を保護する責任がありますから、国民の権利が外国に侵害されたので提訴、というのは分かるのですが、企業の利害のために国際司法裁判所に提訴、というのは、どうも私には分からないのです。個人は、××国籍を有する、という意味で、国家に帰属しますけど、企業は別に国家に帰属するわけではありません。今回訴えられていたのは、新日鉄住金ですが、実際に戦時中に徴用工を働かせていたのは、その前身の前身の前身である日本製鉄です。戦後、会社の分割と再合併、さらなる合併を繰り返した結果、現在の存続会社が新日鉄住金になっていますが。この会社は、今のところは日本企業ですが、海外の企業に買収されれば外国企業になる可能性だってあるわけです。そして、もう1つは、既に指摘したように、当の日本政府自身が、「日韓請求権協定で決着したのは国家間の請求権についてであって、個人の請求権が消滅したわけではない」ことを、国会の場で公式に認めています。常識的に言っても、政府同士がいくら合意しても、それをもって個々の国民の請求権を奪い取ることなどできるわけがない(相手がその要求を飲むかどうかは別の問題として)のは当然のことなので、日本政府の当時の見解は、当たり前のことです。それなのに、日本側は勝てる(と判断している)のでしょうか。まあ、だけど国際司法裁判所に判断を求めるのは、そんなに悪いことでもないかも、とも思います。国際司法裁判所に提訴して、韓国がそれに応じるかどうかは分かりませんが(相手が応じなければ国際司法裁判所の審理は行われない)、応じたとして、前述の経緯を考慮すると、日本側の勝訴が約束されている、とはとても思えません。私はもちろん、戦争被害者の個人補償は認められるべき、と思っているわけですが、主義主張とは別次元で、この問題を諸外国の国際法専門家がどのように判定するかは、おおいに興味があります。願望ではなく、純然たる推測で言えば、ある種痛み分けの判決となる可能性もあるのかな、と想像しています。具体的には、賠償を命ずる判決は国際法違反ではない正当なものだが、強制執行は韓国の国内ではやっちゃダメ、というような。日本政府がかつて国会や司法の場で認めていた見解を国際司法裁判所が採用した場合、ですけどね。他の論理を採用するなら、また別の結論になるでしょうけど。まあ、国際法の専門家でもなんでもない人間の純然たる想像です。正確さはまったく保証しませんが。
2018.11.06
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安倍首相「原告は徴用工ではない」「国際裁判も視野に対応」安倍晋三首相は衆院予算委員会で、韓国最高裁が日本企業に賠償を命じた判決に関し、原告となった元工員4人について、「政府としては『徴用工』という表現ではなく、『旧朝鮮半島出身の労働者』と言っている。4人はいずれも『募集』に応じたものだ」と指摘した。国家総動員法に基づく朝鮮半島での戦時労働動員には、(1)1939~41年に民間企業が朝鮮に渡り、実施した「募集」(2)42~44年9月まで朝鮮総督府が各市・郡などに動員数を割り当て、行政の責任で民間企業に引き渡した「官斡旋」(3)39年制定の国民徴用令に基づき、44年9月~45年3月ごろまで発動した「徴用」の3つの形式があった。当然、賃金は支払われていた。日本政府は、「原告は徴用工ではない」と認識しているようだ。---これは、例の「従軍慰安婦は売春婦」というのと同レベルの暴言です。確かに、徴用工と言っても、物理的暴力的な人狩のようなやり方でかき集められたわけではありません。太平洋戦争初期までは、確かに「募集」に応じた、という形態はとられていたようですし、一応は給料も(額はともかく)支払われていたようです。だけどね、自発的な応募で給料を(どんなに安くても)払ってさえいれば問題ないのだ、という理屈は、慰安婦問題のときに世界的な批判を浴びたはずですけどね。AV出演強要「騙された私のギャラは1.5万円でした」例えば、こういう事件だって、外形的にいえば、被害者は「自発的に応募した」「給料は払われた」ということになるわけです。だから、それは強要じゃないんだ、問題ないのだ、とでも言うつもりでしょうか。確かに、彼らは募集に応募したのかもしれません。しかし、まさしく「甘言を弄して」「見ると聞くでは大違い」で、実際には、今でいえばスーパースペシャルブラック労働だったわけです。しかも、今の日本ならどんな超ブラック企業でも、退職の自由はあります。それでも、精神的に追い込まれると、退職という選択肢ではなく自殺という選択肢を選ぶまでに追い込まれる人が少なからずいる、辞めさせないように様々な脅しをかけたりする会社がある(上記のAV出演強要は、まさしくそのパターン)のが現実ですが。しかし、出るところに出れば、そんなやり口はとおりません。だから、上記の事件では強要に関わった芸能プロダクション関係者が逮捕されています。しかし、戦時中の時代の徴用(外見上は「募集」だったとしても)には、退職の自由なんてなかった。聞くと見るでは大違いのタコ部屋労働でも、「辞めます」などという選択肢はない、逃げ出しても、捕まればリンチにあう、それが許されてしまったような時代です。しかも、海の向こうの外国(宗主国)です。逃げても、金がなければ故郷に帰りようもない。そういう実態を無視して、「自発的」「給料をもらった」という外形だけで「徴用ではない」というのは、あまりに醜悪な言い分です。
2018.11.03
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徴用工「解決済み」企業に説明、安易な和解警戒政府は、韓国大法院(最高裁)による元徴用工を巡る判決を受け、同様の訴訟を起こされている企業向けの説明会を始めた。「徴用工問題は解決済み」とする政府方針を説明し、損害賠償や和解に応じないよう周知を徹底する方針だ。韓国では係争中の同様の訴訟が計14件ある。新日鉄住金に対する今回の判決を受け、他の被告企業である三菱重工業や不二越などに対しても裁判所の賠償命令が相次ぐ可能性がある。説明会は、外務省や経済産業省、国土交通省、法務省が合同で~徴用工問題は1965年の日韓請求権・経済協力協定で解決済みとする政府の立場を改めて紹介し、韓国政府に国際法違反の状態の是正を求めている現状などを説明している。---韓国の徴用工問題の判決をめぐって、ネトウヨや、その親玉である安倍政権が吹き上がっています。挙げ句の果てに駐日大使を呼びつけて抗議したそうです。しかし、日本もそうですが、韓国も三権分立という制度を持っている国です。裁判所に対して、政府が「このような判決を出せ/出すな」などと指揮命令したり、まして最高裁の判決を政府が取り消したりするのは、北朝鮮ならできるかもしれないけれど、まともな民主主義制度を持つ国ではできないことです。従来の韓国政府の見解は、日韓請求権協定で、個人補償の問題も完全に解決(日本側の公式見解もそれと同じ)というもので、実際上はむしろ韓国政府の側が日本政府による韓国人戦争被害者への直接の賠償支払いを許さない、という状況があったようです。その公式見解と、この判決はたしかに矛盾します。でも、この判決は(判決文の日本語訳をきちんと読んだわけではありませんが)従来のそのような韓国政府の公式見解自体を間違っていたとする文脈に基づいているはずですから、従来の政府見解と矛盾するのは当たり前です。日本だって、なんらかの法や制度の違憲性を争う裁判(尊属殺人とか票の格差とか)で違憲性を認める判決が出る場合は、それは当然に従来の政府見解とは矛盾するに決まっているのです。そもそも、政府対政府の取り決めで賠償問題を終結させたからといって、個人の補償請求権までなくなったわけではないのです。これは、何も私が勝手に言っていることではありません。日本政府自身が、別の局面ではそう主張して、裁判でもそれが認められています。シベリア抑留者の補償問題です。戦後、シベリア抑留に抑留された日本兵は50万人以上に及び、過酷な環境、劣悪な待遇によって5万人以上が亡くなるなど、彼らは辛酸を舐めました。そこで、彼らは帰国後、日本政府に対して補償を求めて、度々裁判を起こしています。ところが、被告となった日本政府は、シベリア抑留者の補償はソ連政府に行うべきであって、日本政府に補償に義務はない、と主張したのです。日韓請求権協定と同じく、日ソ共同宣言にも日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、1945年8月9日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。といしう規定があります(日本語正式条文は漢数字)。しかし、日本政府の言い分は、「放棄した請求権は国家としての請求権であって、個人の請求権ではない。」と言うのです。裁判でそう主張しただけではなく、国会答弁でも言っています。1991年3月26日 参議院内閣委員会私ども繰り返し申し上げております点は、日ソ共同宣言第六項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権及び国家が自動的に持っておると考えられております外交保護権の放棄ということでございます。したがいまして、御指摘のように我が国国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えております。第120回国会参議院内閣委員会議事録第3号 12ページ3段目より、政府説明員・高島有終外務大臣官房審議官発言そして、裁判所もこの日本政府の主張を是として、最高裁まで原告敗訴の判決を出しています。今回の徴用工裁判や、慰安婦への補償問題とは、正反対のことを日本政府と裁判所は主張しているのです。「韓国は国際条約を無視するのか!!」などと吹き上がっている人たちは、おそらくこんなことは知らない、知ろうともしないのでしょうけど。この判決は、シベリア抑留問題で示された日本政府のこの見解と整合するものであり、極めて当然のものです。日本政府がこの判決に怒り狂っているのは、筋違いとしか言いようがないのです。まあ、身も蓋もない言い方をすれば、日本政府は、日本自身の加害によるものであれ、外国から受けた被害によるものであれ、とにかく戦争被害者に対する個人補償を一切やりたくなかった。だから、他国民に対してと自国民に対してで、正反対の言い分を使って、どちらの補償要求も退けてきたわけです。世間では、こういう行動は二枚舌とか二重基準と言います。その二枚舌のツケがまわってきた、ということでしかありません。(この部分について追記あり、文末参照)ただし、です。被告となった新日鉄住金は、韓国内には資産を持っていない、と言われています。それが事実とすれば、判決が出ても、新日鉄住金が従わなければ、強制力はありません。被告の資産がある国(日本企業ですから、当然日本でしょう)で、韓国での判決の履行を求めて、改めて裁判を起こすことになります。日韓間で相手国での判決の履行を求める裁判の前例は数多くあるようで、一般的には請求は認められるようです。しかし、この事例はどうでしょうか。勝ってほしい、とは思いますが、日本での戦後補償裁判はすべて原告側敗訴なので、「日本だったら逆の結論が出ていたであろう判決」の履行を求めても、残念ながら勝てる可能性は低そうな気がします。いずれにしても、ことは日本の裁判所での審理という段階に移ります。韓国政府が原告に対しても日本の裁判所に対しても、何かを命じる権限などないことは同じです。追記二枚舌と書きましたが、違ったかもしれません。更に、外務省条約局長柳井俊二の答弁がありました。ただいまアジア局長から御答弁申し上げたことに尽きると思いますけれども、あえて私の方から若干補足させていただきますと、先生御承知のとおり、いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます。1991年8月27日第121国会 参議院予算委員会会議録第3号10ページ最上段これは、敗戦によって朝鮮にあった資産を失った日本人に対して、日本政府は補償義務を負わない、韓国政府に請求しろ(シベリア抑留者への対応と同じ)という主張とセットになっていたようです(その限りでは、二枚舌ではなく、論理的整合性は取れている)。ただし、だから個人補償に応じます、ということではなかった。実際には、「個人請求権はあるけど、日本政府として応じる義務はないよ」ということだったのです。どういう理屈かというと「請求権はあるけど時効だから」「請求権はあるけど国家無答責だから」ということです。でも、ともかく、日韓請求権協定についても、個人請求権はあると明言していました、1990年代当時までは。ところが、時効と国家無答責の法理で裁判に勝てるかどうかが、だんだん怪しくなってきた。そこで、日本政府は前言を翻して「個人の補償請求権はある」という主張を引っ込めてしまったわけです。つまり、朝令暮改によって二枚舌になった、というのが実態のようです。
2018.11.01
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自衛隊OBの提言であぶり出された中国の無体に目をつぶる「日本人」の正体「ディスる」とは「相手を否定・侮辱する」という意味だとか。12年近く毎週小欄を書いているとご賛同下さる読者も多いが、時にご批判も賜る。605回目の前回も「中国をディスる記事」との反発が書き込まれた。しかし、中国の軍事費は1988年比49倍、2007年比でも3倍に膨張している。科学・先端技術開発費といった「隠れ軍事費」を含めれば、安全保障上の“超常現象”と断じて差し支えない。(以下略)---例によって、記者の仮面をかぶった政治運動屋の愚論です。軍事費が1988年比49倍、2007年比でも3倍に膨張という、その数字だけを見ると、とてつもない拡大ぶりですが、その間の経済力の拡大を無視して数字の膨張だけを非難する意味があるのでしょうか。そういう言い方をするなら、日本も高度経済成長期に、途方もない「軍拡」を行ったことになります。「1988年比49倍、2007年比でも3倍」という数字の根拠は、おそらくこちらの資料だと思われます。中国の国防費これによると、中国の公表国防費は1988年約215億元、2007年約3472億元、2017年1兆444億元とあります。これを計算すると確かに49倍と3倍になります。では、この間に中国の経済力はどれほど拡大したのか。人民元による予算額との対比なので、同じく人民元による名目GDP額(インフレ率を補正した実質GDPでは、「予算額」との正確な対比にならないので)を比べてみました。世界経済のネタ帳・中国のGDPの推移これによると、1988年の中国の名目GDPは1兆5330億元、2007年は27兆1700億元、2017年は81兆2030億元です。伸び率は1988年に対して約53倍、2007年に対して約3倍です。そう、「1988年比49倍、2007年比でも3倍」という中国の軍事費の伸びは、この間のGDPの伸びに比例したものであり、対GDP比で見れば、中国の軍事費は特段増えてはいないのです。これ以外に「隠れ軍事費」があるといいますが、それは今始まったことではなく、1088年当時も(それよりはるか以前から)ありました。もちろん、経済大国になった分だけ装備は充実してきているけど、その代わり数は大幅に減らしてきています。かつて、中国軍は総兵力400万人、今は230万人。人口比では日本の自衛隊と大差ない人数です。軍用機も、かつては4000機も保有していましたが(数は多かったけれど、どうしようもない旧式機ばかり)、それが新型機に置き換わった代わりに、1200機まで減っています。かつて航空自衛隊が、米軍のお下がりのF86戦闘機→F104戦闘機→F4戦闘機→米軍でも最新鋭のF15戦闘機と、高度経済成長に乗ってどんどん最新鋭機を導入して行った、それを中国は今やっている、というだけの話です。軍事費の伸びをGDPの伸びとの対比で考える、という、ごく初歩的な数字の取り扱いをしないから、野口だの阿比留だのといった産経の「看板記者」連中は記者のフリをした政治活動屋だというのです。中国の合計特殊出生率は日本より低く、一人っ子政策を撤廃したあともそれは回復していません。そう遠くない将来、中国も日本と同様人口減が始まるし、生産年齢人口はすでに減少に転じているとの指摘もあります。つまり、中国の経済成長もそうそういつまでも続かないし、当然軍事費の拡大も同様と見ることが出来ます。何の問題もない、とはいいませんが、「安全保障上の“超常現象”」などと言うのは、阿呆のたわごとでしかありません。
2018.09.17
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文大統領ツイッターに「非礼な安倍に代わってお詫びする」コメントがついた理由文在寅大統領のツイッター掲示物に書き込まれた日本ネットユーザーのコメントが目を引いている。彼らは「文大統領、温かい励ましとお見舞いをいただきありがとう」とし「安倍首相の非礼な振る舞いを心からお詫びする」などの書き込みを残した。該当の掲示物は、文大統領が今月6日、北海道で発生した震災に関連し、日本国民と安倍晋三首相に送った慰労メッセージの内容だ。文大統領は「自然災害で大きな被害に見舞われている日本国民と安倍首相に慰労メッセージを送った」とし「台風と地震で犠牲になった大阪と札幌地域の住民を哀悼の意を表する。遺族と、負傷して財産被害を受けた方々にも慰労の言葉を申し上げる」と慰労の言葉をかけた。の後、メッセージを受け取った安倍首相が文大統領のメッセージにどのような立場も明らかにしないため、一部の日本ネットユーザーが「安倍首相が欠礼を犯した」として代わりに謝罪に出た。あるネットユーザーは安倍首相のコメント欄に「文大統領の温かいメッセージにまだ返礼をしていない」とし「無礼で恥ずかしい」などと直接コメントを残したりもした。一方、安倍首相は7日、自身のツイッターに台湾の蔡英文総統とオーストラリアのスコット・モリソン首相などが残した慰労メッセージを共有して感謝の気持ちを表明していた。--- 北海道の地震に際して、韓国の文大統領からツイッターでお見舞いの言葉があったのに、我らが首相はそれを完全無視で応じているそうです。オーストラリアの首相と台湾の総統からのお見舞いツイートには謝辞を返しているのに。嫌いな奴だからお見舞いの言葉をもらっても無視する、それが通用するのは、私人間のやり取りだけです(それだって、子どもじゃあるまいし、いい大人が人としてどうかと思うけど)。社会人、公人としてのやり取りで、それはあり得ないでしょう。まして、一国の首相が!!本当にガックリする話です。親しい友人にとっては、きっと安倍は最高にいい奴なんだと思いますよ。友達への仁義に篤く、どんなことをしても守ってくれるから。そのかわり、友達以外に対しては、とことん敵対的だけど、世間一般のただの人なら、嫌なら周囲に近づかなければ良いだけですから。しかし、私人としてならよい奴かもしれないけれど、公人、まして一国の首相となったら、嫌なら近づかなければ、では済みません。自民党は総裁選の最中なので、安倍支持層の中核であるネトウヨ層へのアピールのために、韓国大統領からのお見舞いに対して無視を決め込んでいるのではないか、という指摘もあるようです。確かに、ありそうなことです。そうだとすると、ネトウヨ層という友達への仁義(と自らの総裁選勝利という政治的打算)のために、隣国の元首に対して無礼な対応をとった、友達への仁義のためなら隣国との関係の更なる悪化もいとわない、ということになります。本当に、一国の首相として、最低最悪の輩としか言いようがありません。。
2018.09.11
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関東大震災 朝鮮人慰霊式典 知事追悼文なし、市民は批判1923年の関東大震災から95年となる1日、犠牲者の慰霊法要が東京都墨田区の都慰霊堂で営まれた。小池百合子知事の追悼の辞が代読されたが大震災での朝鮮人虐殺に触れず、民間の式典にも小池氏は追悼文を送らなかった。昨年に続く判断で、市民らは「惨劇を繰り返さないと誓うのが知事の役目なのでは」と批判した。法要では小池氏の追悼の辞を副知事が代読した。「災害の脅威を風化させず、東京の防災に万全を期してまいります」などと述べたが、朝鮮人虐殺には直接言及しなかった。送付は歴代知事が続けてきたが、小池氏は記者会見で「法要で全ての方々へ哀悼の意を表している」と説明していた。民間式典の主催者は「知事の判断は虐殺の史実を否定しようとする動きに結果的にくみし、首都東京でヘイトスピーチや民族差別を助長してしまう」と残念がった。法要に参列した東京都羽村市の女性は「震災から95年、その時にどんなことが起こったのか今では知らない人が多い。負の歴史にもきちんと向き合う必要がある。知事は率先して、歴史を伝える役割があるのに」と話した。慰霊堂そばでは別の団体が独自の慰霊祭を開き、「数千人虐殺も捏造(ねつぞう)だ! 日本人の名誉を守ろう」と主張する看板を掲げた。政府中央防災会議の報告書(2008年)は朝鮮人らの犠牲者数について、約10万5千人の震災死者数の「1~数%」と記述。「朝鮮人が武装蜂起し、放火するといった流言を背景に、住民の自警団や軍隊、警察の一部による殺傷事件が生じた」と指摘している。---小池知事が、朝鮮人虐殺朝鮮人虐殺を追悼する式典に式辞を送らず、震災犠牲者への追悼の辞でもそこに触れなかったのは、今年が初めてではなく、去年からのことです。昨年も当ブログでこの件を取り上げましたが、これは実に恐るべきことであると私は思います。災害は天災です。防災対策など手段を尽くすことで、ある程度は被害を局限できるとしても、人間の努力で災害の発生を完全に防ぐことは不可能です。が、流言飛語による大量虐殺は違います。これは人災であり、人間の努力で止められるはずであり、止めなくてはならないものです。ところが、当時の日本の官憲は、この人災を食い止めるための努力をあまりしなかった。これが、行き着くところまで行くと、ルワンダの大量虐殺になります。ルワンダでは、大規模災害が生じたわけではありませんが、大統領の搭乗する飛行機が正体不明の武装勢力に撃墜されて大統領死亡、という異常事態の発生がきっかけで大量虐殺が起こりました。大規模災害(や、国家を揺るがすような異常事態)の発生時に、デマが飛び交い、それが少数の人間集団に対する攻撃に結びつき、それがやがて殺戮にエスカレートする。残念ながらこれは、もっともあってはならない出来事ですが、にもかかわらず、人類の歴史上何度も繰り返されてきた悲劇です。であるならば、今後また起こるであろう大規模災害の発生時に、同じ事態の発生を繰り返してはならない、そのために最大限の努力を払うのは、防災の責任者たる行政のトップの大きな責務でしょう。当然、過去のそのような事例を反面教師として、そこから多くの教訓を汲み取るべきとであるはずです。それなのに、行政のトップが、「韓国に謝ったら負け」みたいな、実にくだらない国家意識を丸出しにして、過去の事例を直視することを避ける、そのような姿勢で、災害発生時のデマとそれによる少数派迫害を食い止めることができるのか、あるいはそもそも食い止めるべきという意思を持っているのか、きわめて重大な疑念を抱かざるを得ません。
2018.09.04
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安倍晋三首相の平昌五輪出席は論外である 1月19日(タイトルどおりの内容なので、引用は省略)↓安倍晋三首相の平昌五輪開会式出席、リスクを取ったぎりぎりの決断 「慰安婦の日韓合意を終わったことにさせない」~今回の産経新聞のインタビューや、首相の周辺取材を通じてみえてきたのは、リスクを取ることをいとわず、批判を覚悟して為すべきことを為そうとする「政権を担う者の責任」(安倍首相)だった。~---安倍は平昌オリンピックには行かない、とネトウヨ系メディア(つまり産経)を通じて盛んにアドバルーンを上げていましたが、結局出席することになったそうです。どういう風の吹き回しでそうなったのか、経緯は定かではありませんが、経緯がいかなるものであれ、「次のオリンピックの主催国であるならば」、前のオリンピックに行かないという選択はあり得ないだろうと思っていましたので、出席については支持したいと思います。もっとも、タイトルに書いたように、安倍政権そのものを支持する気はかけらほどもないし、正直なところ、「オリンピックの開催なんて、止めちまえ」という気持ちが、皆無でもないんですけどね。日本がオリンピックを開催しないならば、首相が今回のオリンピックに参加する必要性は特にありません。ただ、現実的に今から日本がオリンピック開催を返上することは、よほどの大規模災害か戦争、国家倒壊でもない限りあり得ないでしょう。そのような事態が起こるくらいなら、東京オリンピックを開催してください、と考えざるをえません。それにしても、ネトウヨ系は今回の安倍韓国訪問に、だいぶ吹き上がっているようです。安倍が何をやっても支持するネトウヨ系としては、実に珍しいことです。一方の安倍御用メディアである産経は、冒頭に記事を紹介したように、先日まで安倍訪韓絶対反対の論陣を張っていましたが、安倍が訪韓を決めた途端に、宗旨替えして、訪韓を好意的に報じています。どこまでも安倍の御用メディアなのだ、ということがよく分かります。そもそも、出席、欠席に対する賛否はともかく、産経は「安倍晋三首相、平昌五輪の開会式欠席へ」と一度は報じています。今度は正反対のことを報じており、それは前の報道が間違っていた、という意味に当然なるわけですが、お詫びと訂正はしたのでしょうか。ネトウヨ層は、依然として韓国と断交しろとか、メチャクチャなことを言っているようですが、こういう(自称)愛国者の感情論に国中が引きずられた結果が、七十数年前の太平洋戦争の惨憺たる敗北だったわけです。そんな歴史を繰り返してはならない、ということだけは肝に銘じるべき、と私は思います。
2018.01.25
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日中関係改善に冷や水=潜水艦入域、政府が抗議政府は11日、中国海軍のフリゲート艦と中国軍とみられる潜水艦が沖縄県・尖閣諸島周辺の接続水域を航行したことを受け、外交ルートを通じて中国側に抗議した。安倍晋三首相が意欲を示す日中関係改善に「水を差す」(外務省幹部)もので、政府内では困惑する声が広がっている。首相は、(1)不測の事態に備え、関係省庁や米国など関係国と緊密な連携を図る(2)警戒監視に全力を尽くす―ことなどを指示。外務省の杉山晋輔事務次官は中国の程永華駐日大使を外務省に呼び、重大な懸念を表明すると同時に、関係改善の流れを阻害しないよう強く求めた。程氏は中国の立場を説明した。尖閣周辺の接続水域で、中国海軍フリゲート艦の航行は一昨年6月以来、潜水艦は初めてだ。11日午前に入域した両艦は、ほぼ同じタイミングで同方向へ出域しており、防衛省は両艦が連動していたとみている。幹部は「自衛隊の出方を見ているのではないか」との見方を示した。---中国の艦艇が尖閣諸島の接続海域に入った、というのですが、接続海域にとは領海ではありません。一応国連海洋法条約に定められているので、国際法上の定義は存在しますが、外国の船舶は、軍艦も含めて航行を行うことは認められています。もっとも、領海だって、無害航行である限りは外国の船舶の航行は認められています。ましてや接続海域は当然です。認められないのは、潜水艦が潜水した状態で領海に入ること(潜水艦の潜行は無害航行と認められない)、それに経済水域内(接続海域も、当然200海里の経済水域に含まれる)で漁業などを行うこと。しかし、今回の件は領海には入っていないようなので、それに対して抗議できる、どのような国際法上の根拠があるのか、極めて疑問です。日本の国内世論(中国けしからん、というネトウヨ層)を対象にしたポーズではないのか、と思えます。確かに、領海のちょっと先で軍艦がうごめくのは、友好的な態度とは言えません。が、友好的ではない、というだけで(国際法上違法ではないのに)抗議するようなことでしょうか。そもそも安倍政権の現状自体が近隣諸国とまったく友好的な状況ではないのに、友好的な対応を期待するほうがどうかしていると思うのですが。もっとも、中国側としては「接続海域の国際法上の取り扱い」などという視点からの反論は、しないでしょう。だって、それは尖閣における日本の主権を認めるのと同義になってしまいますから。中国は尖閣諸島を自国領と主張しているのだから、そこは中国の領海だ、という反論しかしないはずです。それはまたそれで、無理のありすぎる言い分ではあります。日中両国とも、硬直的な強硬論から脱却できないようでは、何も先に進まないのですが、硬直的な強硬論から脱却したくない、隣国と友好関係より敵対関係を望む人たちが大勢いて、そういう人たちに支えられているのが安倍政権なのですから(中国の状況も、大同小異であろうと思われます)、今後もどうにもならないのでしょう。
2018.01.12
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東京新聞の望月衣塑子記者を、中国民主化運動に身を投じた石平氏が痛烈批判 「権力と戦うとは…彼女のやってるのは吐き気を催すうぬぼれだ!」かつて中国の民主化運動に身を投じた評論家の石平氏が、菅義偉官房長官の定例記者会見で連続質問攻撃を仕掛けている東京新聞の望月衣塑子記者をツイッターで痛烈に批判した。石平氏は7日に以下のようなツイートを書き込んだ。「『それでも私は権力と戦う』という東京新聞望月記者の台詞を鼻で笑った。私は今まで、本物の独裁政権と戦った勇士を数多く見たが、彼女のやっていることは、何のリスクもない民主主義国家で意地悪質問で政府の記者会見を妨害するだけだ。そんなのを『権力と戦う』とは、吐き気を催すほどの自惚れだ!」日本に留学中の1989年、祖国・中国で天安門事件が勃発し、帰国をあきらめたという石平氏にとって望月氏の「権力との戦い」はとんだ茶番に映ったようだ。この投稿に対し、作家の百田尚樹氏も即座に反応した。「全力で拡散したいツイートだ!! 石平さんの言葉は重い!現在もどれほど多くの偉大な人たちが権力と命懸けで闘っているか。週刊誌のデタラメ記事を参考に質問したり、政権批判をしたいがために北朝鮮の立場になって発言するような薄っぺらい女が『権力と戦う』など、ちゃんちゃらおかしい!!」(以下略)---いろいろ書いていますが、結局のところ「私の大好きなアベ様を攻撃する奴は許せない!」ということでしかありません。民主主義国であろうが非民主的な国であろうが、政府の政策に(内心で)反対する国民は必然的に存在します。その反対の声を行動に移すのは、民主主義国では相対的に簡単で、非民主国家では相対的に困難、という傾向はあるでしょう。しかし、それは難易度の差であって良し悪しの問題ではありません。それなのに、非民主主義国の方で政府と戦うのは「勇者」だが、民主主義国で政府と戦うのは「吐き気を催すうぬぼれ」という言い方は、「非民主国家で政府に反対するのは正しいが民主国家で政府に反対するのは愚劣だ」と言っているようにしか聞こえません。難易度の問題を善悪の問題にすり替えてしまっているのです。民主主義国だろうが非民主主義国だろうが、政府は全知全能の神ではない以上、政策を誤ることはあります。民主主義国だけが無謬であるはずがなく、安倍やトランプみたいなとんでもない奴が政権につくこともあるのが民主主義というものです(石平は安倍をとんでもない奴とは思っていないでしょうが、その代わり鳩山や菅直人をそう思っているに違いないので、同じことです)。それに対して反対する人間が現れるのは当然のことですし、必要なことでもあります。政府のやることに対して誰も反対しないような状態で政治が正しく機能するはずがありません。だから、政府に反対する権利が保障されない非民主主義国では政治が正しくない状態に陥ることが多いわけですが、民主主義国であっても、政府に反対する権利を行使する人がいなくなったら、同じことです。外見だけ投票という制度を整えていても、それは単なる人気投票に過ぎないものになってしまいます。だいたい、こういう言い方をするなら、石平自身が果たしてどの程度「本物の独裁政権と戦った勇士」だったのでしょうか。ネット上を検索すると、石平の「わたしは『毛主席の小戦士』だった」という自伝的な著書の内容を見ることができます。これによると、「大学の3年生あたりから、勉強を程々にして、手作りの民主化運動に没頭していた」(P.40)とは言うものの、それに対する具体的な圧迫は「ある日突然、自分が教授と一緒に学部の共産党支部に呼ばれて、支部長から『厳重注意』を受けた」(P.42)ことと、それを契機に教授から(民主化運動を)やめてくれと諭されたこと、同じく厳重注意を受けたほかの学生が自分から離れていったこと(P.43)しか言及されていません。で、それ以降「一時は~運動に専念しようかと思った。しかし~やむをえず大学にとどまった」(P.43)という記述から、圧迫に抗して公然的な民主化運動を続けたわけでもないようです。で、彼はその後留学生として来日し、そのまま日本に住み着いて2007年に日本に帰化したようですが、その間頻繁に中国に帰国しているそうです。最初に帰国した1992年には、公安部門に呼び出されて散々尋問された(P.55)との記述がありますが、「中国に頻繁に帰国するようになった」1997年以降について、そのような記述はありません。つまり、石平が中国での民主化運動で「弾圧された」経験は、大学の共産党支部に呼び出されて厳重注意されたことと、来日後はじめて帰国した1992年に公安に呼び出されて尋問された、ということだけで、拷問されたわけでも投獄されたわけでもないようです。公安に呼び出されてどんな尋問を受けたかは定かではありませんが、命の危険や身体の拘束に脅えるようなものなら、たった5年後に再度帰国はしないでしょう。この記述のその後について、別ソースの記述があります。鈴木邦男をぶっとばせ「中国の今を、石平さんに聞く!」石平さんは中国を捨てて、日本に帰化し、中国を徹底的に批判している。だから、「もう二度と中国には行けないんでしょう」と言ったら、違う。行けるのだ。「この前も、帰ってきました」と言う。エッ?「その点、中国は大人なんです」。お父さんは亡くなったが、お母さんは健在だ。親類もいる。「弾圧されてないんですか?」と~聞いた。~「弾圧は全くないです」と石さんは言う。そうなのか。北朝鮮とは全く違うのだ。でも、周りの人たちは違うだろう。「あの石平の親類だ」「売国奴だ」と言って冷たくされたり。あるいは村八分にされたり。大変じゃないのか。 「それもありません」と石平さんは言う。「私が日本でどんな発言をし、どんな本を書いてるか、政府は全く発表しません。批判もしません。そんことを教えて、かえって〈宣伝〉になったら困るし、私の言ってることに関心を持っても困る。と思っているんです」 そうなのか。大国中国は〈大人〉なんだ。又、それをはっきりと明かす石平さんも〈大人〉だと思った。中国を捨てた人ならば、そして批判するならば、わざと自分のことを「弾圧されている」「こんなに闘っているから攻撃されてる」と、大袈裟に言う。石平さんはそれがない。素直な人なんだ。正直な人だと思った。---「弾圧は全くない」のだそうです。もちろん、石平が中国国内で民主化運動を行えば、そうは行かないに違いありませんが、中国の国籍を捨てた「元中国人」が国外で中国を批判することについてまで、いちいち目くじらは立てないのでしょう。石平の現在の政治的主張への賛否は別にして、彼が中国で多少なりとも民主化運動に手を染め、来日後も祖国(現在ではかつての祖国)への批判を繰り返していることそれ自体は、それなりに勇気ある行動だと思います。でも、それをダシに望月記者を「吐き気を催すうぬぼれ」などと言うのなら、結局のところ彼だって、弾圧されることはない安全圏で、リスクのない中国非難を行っているだけだろう、と言われても仕方がないでしょう。結局、彼の言葉は自分自身に返ってくるだけとしか思えません。引用記事は石平を「大人」と評していますが、あるいは2010年当時はそうだったのかもしれませんが、現在の一連の言動は、とても「大人」には見えません。多分、こういうのが「商売右翼」というのだろうなと思うばかりです。
2017.09.10
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朝鮮人追悼文の取りやめ、戸惑いや批判 関東大震災式典関東大震災から94年たった1日、犠牲者を悼む大法要が東京都慰霊堂であり、秋篠宮ご夫妻や遺族ら約600人が参列した。一方、震災時に虐殺された朝鮮人らを追悼する式典もあった。小池百合子都知事がこの式典への追悼文送付を取りやめたことに対し、式典の参加者から戸惑いや批判の声があがった。~慰霊堂は、大震災と太平洋戦争の東京大空襲で亡くなった計約16万3千人の遺骨を安置しており、毎年3月と9月に法要を開催。小池氏は、この法要で大震災の全ての犠牲者を追悼するとし、昨年まで都知事が送る慣例だった朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付をやめた。地元の山本亨・墨田区長も同じ対応をとった。~一方、朝鮮人犠牲者らの追悼式も、慰霊堂のある都立横網町公園内であり、約200人が参加。大震災の直後、デマが広まる中で虐殺された多数の朝鮮人らを追悼する碑が1973年に公園内に建てられ、市民団体の日朝協会などがその後は毎年、追悼式を催してきた。~虐殺を巡っては、追悼碑にも記された「6千余名」などの犠牲者数を「根拠がなく過大」とする主張があり、これを支持する団体も公園内で慰霊行事を開いた。団体は「六千人虐殺は本当か! 日本人の名誉を守ろう」という看板を掲げるなどした。---大規模災害と流言飛語は切っても切れない縁がありますが、その中でも関東大震災の際の朝鮮人虐殺は極め付けに醜悪で悲惨な出来事でした。ところが、これに対してネトウヨ陣営は、従軍慰安婦、南京大虐殺と同様、今度は関東大震災の朝鮮人虐殺を標的にして「なかった」と叫んでいるわけです。さすがのネトウヨ陣営も、多くの朝鮮人が殺害された事実は否定しようがないので、「朝鮮人が暴動(テロ)を行ったから、それに対する正当な反撃である」というのが、彼らの言い分です。あまりに馬鹿馬鹿しい言い分ですが、もし仮に「朝鮮人の暴動」が事実だったと仮定して、逮捕して裁判にかけるという手続きを経ることなく殺害することは、正当化のしようがありません。当時の大日本帝国憲法には第23条 日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問處罰ヲ受クルコトナシ第24条 日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ權ヲ奪ハルヽコトナシという規定があるのですから。しかし、そもそも「朝鮮人の暴動」なるもの自体がデマであることは、当時の時点でも震災の被害が沈静化した数ヵ月後には明らかになっていたことです。確かに当時の新聞には、「朝鮮人暴動」の記事が載りましたが、その記事自体、単に流言飛語を記事にしただけのものであったのです。実際、それ以外にも関東震災直後の新聞記事は、デマだらけなのです。たとえば大阪毎日新聞第2号外9月2日付「秩父連山大爆発/噴煙天に冲す」台湾日日新聞「九月一日午前六時富士山爆発したるものの如し」ほか、槍ヶ岳噴火(小樽新聞)、伊豆大島が沈没(小樽新聞・名古屋新聞・名古屋毎日新聞など)、富士山が噴火(荘内新報)、横須賀が沈没、横浜が沈没・・・・・・著名人死亡の虚報は高橋是清、松方正義、島津忠重、山本権兵衛首相等々もちろん、実際には関東大震災時に秩父連山も富士山も槍ヶ岳も爆発していないし、伊豆大島も横須賀も横浜も沈没していないことは言うまでもありません。つまり、このくらい流言飛語を記事に載せ続けたのが、関東大震災直後の新聞だったのです。したがって、「朝鮮人が暴動」という記事も「秩父連山大爆発」という記事と同様、信憑性はゼロです。実際のところ、震災の後、朝鮮人(あるいはそう誤認された日本人や中国人など)虐殺に関わったとして起訴された日本人は500人以上もいますが、殺人、放火、強 姦などの理由で起訴された朝鮮人は一人もいないのです。それにもかかわらず、東京都のトップである都知事がネトウヨのデマに追随するような動きを示していることには、暗澹たる思いを抱かざるをえません。ことは、海外の戦地ではなくこの日本の首都、東京で起こったことです。流言飛語や、ましてそれに基づく殺人など、行政の長であれば、災害の際に避けるためにもっとも基本的なことであるはずです。この際、相手が何国人であるかは、二の次の問題です。にもかかわらず、日韓関係、日朝関係の悪化に便乗して、「敵に誤りを認めたくない」みたいなレベルの話で歴史的事実に目を閉ざす、のみならず「朝鮮人虐殺はなかった」などとデタラメをいうような団体と同一歩調を取るような知事の下で、同じような大規模災害が起こったときに同じような事態の発生を防ぐことができるのか、私は大いに不安を感じます。先ほど、「(朝鮮人と)そう誤認された日本人や中国人など」と書きました。日本人と朝鮮人は、民族や言語は違っても、人種(外観)には差がありませんから、朝鮮人と誤認されて殺された日本人、あるいは台湾出身者を中心とする中国人で誤認されて殺された人も、かなりの人数がいるようです。日本人ながら朝鮮人と誤認されて、危うく殺されそうになった体験の持ち主に、劇作家の千田是也がいます。震災時に東京の千駄ヶ谷で朝鮮人(コリアン)に間違えられて殺されそうになった、ということから、「千田是也」というペンネームを付けたのだそうです。こちらのサイトに、本人自身の体験談が載っています。(これを読むと、千田自身もまた、このときかなりデマに踊らされていたようですが)実は、千田とは別に、これとよく似た経験をしている人を知っています。私が中学生の頃の家庭科の教師(当時でも年齢は70歳近かったのですが、1980年代前半当時、まだ東京都の教員には強制的な定年が導入されていませんでした)で、被災して逃げる途中で、自警団に「お前、朝鮮人だろう」と言われて、ワッと取り囲まれたそうです。当時10歳になるかならないかの女の子にもかかわらず、です。千田の例と同じで、たまたま偶然、自警団の中に知り合いがいて「あ!〇〇ちゃん」と言われて助かったと聞いています。ということは、自警団の中に知り合いもおらず、朝鮮人と誤認されたまま殺された日本人が相当数いたことは間違いないのです。こういった事実にきちんと向き合うことのない国の将来は、暗いと思わざるをえません。
2017.09.07
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川崎サポーターの旭日旗掲出、AFC「倫理違反の疑い」ソウル郊外の水原であったサッカーのACLの試合中に川崎のサポーターが旭日旗を掲げた騒ぎで、アジアサッカー連盟(AFC)は27日、差別の禁止などを定めた倫理規定に違反する疑いがあると発表した。今後はAFCの規律委員会で処分の有無を含めて検討する。川崎によると、サポーター対応を行う川崎のスタッフがスタジアムにおり、相手チームから連絡を受けてサポーターに事情を聴いた。該当するサポーター2人は挑発の意図はなく、純粋に応援する気持ちだったと話したという。韓国では旭日旗は日本の軍国主義の象徴と見られており、反発も大きい。川崎の広報担当者は「日本協会やJリーグと協議をしながら、今後の対応を検討したい。大きな事故にはならなかったが危険なことになる可能性はあった。今後、クラブとして対策を立てないといけない」と話した。AFCの倫理規定では、人種、性別、宗教、肌の色などによる差別を禁じており、クラブには2試合以上の無観客試合や罰金の処分、サポーターには2年以上のスタジアムの入場禁止処分が科される可能性がある。---個人的には、旭日旗が差別的、とは思いませんが、戦争や軍国主義の過去を連想させる余地は大いにあるし、そのことで、韓国で不快感を持つ人がいることも、判らないではありません。しかし、とりあえず、日本人が、日本の側の視点で旭日旗をどう見るか、という話をしても仕方がありません。ことは、日本ではなく韓国のサッカー場で起こったことだからです。イスラム教徒が礼拝をしている中でダビデの星の旗を掲げたらどうなるか。「行動する保守」とかいう極右連中が日の丸を林立させている集会の中で旗を振り回したらどうなるか、甲子園球場で巨人阪神戦のさなかに、一塁側・ライト側スタンドで巨人の応援旗を振り回したら(後楽園で逆のパターンも同様)どうなるか。相手側の本拠地で、相手側が嫌う行為をあえて行う、それを「挑発する」「喧嘩を売る」と言います。問題のサポーターは挑発の意図はないと主張しているそうですが、本人の主観的な意図はどうあれ、結果として相手サポーターに対して喧嘩を売ったのです。そう受け取られても仕方のないことでしょう。それが本当に「純粋に応援する気持ちだった」としても、結果としてフロンターレに対して大きな迷惑をかけているわけです。まさか本当に無観客試合なんてことになったら(そこまでの処分には至らないのではないか、と思いますけど)迷惑どころでは済まない、大変な被害でしょう。ただし、川崎フロンターレのサポーターに対する周知にも問題はあります。ホームページを見ると、2010年4月の北京戦についての案内には持ち込み禁止物・横断幕(基本的には禁止ですが、もしお持ちになった場合は現場で公安により検査されることになります。没収される可能性もありますので、お持ちにならないことをお勧めします。政治的に敏感な内容、ホームサポーター及び中国人を刺激すると判断される内容を記したものは禁止です。中国語でなくても、何が書いてあるのか公安が調査します。旭日旗、日の丸も禁止という指示が公安より出ています)という告知があります。ところが、今回の試合に関する告知には、単に他人への迷惑や危害を引き起こす可能性があると主管者・管理者が判断する物他人への迷惑や危害を引き起こす可能性があると主管者・管理者が判断する行為という漠然とした内容が持ち込み禁止物、禁止行為として触れられているだけなのです。2010年当時の中国で旭日旗が問題だったなら、現在の韓国でも同じく(あるいはそれ以上に)問題が生じるだろう、程度のことは、運営側として当然念頭においておくべきことでしょう。そもそも、国内のJリーグの試合では旭日旗は容認されているようですが、実際にはこれはJFAの試合運営管理規定に抵触します。第4条(禁止行為)8.政治・思想・宗教・軍事的な主義、主張、観念を表示、若しくは連想させるような掲示板、立て看板、横断幕、懸垂幕、のぼり、旗、プラカード、ゼッケン、文書、図面、印刷物等を持ち込み、又は設置、掲揚、着用、散布、貼付すること。もちろん、これはJFAだけが設けている規定ではありません。ヨーロッパにおいては、これはかなり厳格で、たとえばサッカー場にハーケンクロイツを持ち込むことが絶対禁止であることは誰にでも分かるでしょうが、それだけでなく、現在のドイツ連邦軍が使用している鉄十字も持込は容認されていないといいます。そこから考えれば、かつての日本陸海軍旗であり、現在も自衛隊旗である旭日旗がサッカー場で容認される余地は、本来はないでしょう。国内では、誰もクレームをつけないから問題として表面化しないけれど、国外での試合では、そうはいきません。いずれにしても、本人たちは川崎に対する応援のつもりでやったのかもしれませんが、結果はひいきの引き倒しとしかいいようがありません。無知から出た主観的善意ほど迷惑で危険なものはありません。
2017.05.02
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百田尚樹氏「中国文化は日本人に合わぬ。漢文の授業廃止を」日本はなぜ、中国の脅威を感じながらも適切な対抗策を取れないのか。作家の百田尚樹氏は、その背景には日本人の勘違いに基づいた「中国への憧れ」があると語る。中国の尖閣諸島への“侵略”は日に日にエスカレートしています。ただし、意外かもしれませんが、尖閣周辺の東シナ海や南シナ海で暴れ回る中国に対峙しようという時に、もっとも弊害になっているのが日本人の「中国への漠然とした憧れ」です。皆なんとなく『史記』が好きだし、時代作家は『三国志』を書きたがる。江戸時代の儒学者はとくにそうですが、長い間、日本人の間には中国は「歴史ある偉大な国」「文明的ないい国」だという誤解があった。そもそも、なぜ学校で「漢文」の授業があるのか。英語と違って使う機会なんてないし、あれは趣味の世界だと思うんです。子供の頃から誰でも知っている「中国4000年」という言葉も、あの国への無意味な憧れを生んでいます。〜そもそも中国文化は根本的に日本人には合いません。例えば故事にある「宋襄の仁」は、紀元前の宋の国の襄公という人が、参謀から「敵が川を渡っている最中だから、今攻めれば勝てる」と進言されたのに、「そんな卑怯なことはできん」と相手が川を渡り終えてから正々堂々と戦って、負けたという話です。無用な情けということで、中国では「大バカ者」という意味です。上杉謙信の美談となっている「敵に塩を送る」なんてメンタリティは中国人には通用しません。どんな手を使っても、とにかく勝ちさえすればいいというのが中国の文化なのです。かつての日本は、今よりももっとうまく中国とつき合ってきました。中国の力が強大だった時は遣隋使や遣唐使を遣って制度や文化を取り入れましたが、それも平安時代になったら「もう中国の文化はいらん」とやめました。〜それを考えれば、現在も中国に対する漠然とした憧れを持つことはやめるべきだし、そんな勘違いを育む漢文の授業も廃止したらいいのです。ーーー「中国文化は日本人に合わぬ」から漢文の授業廃止を、だそうです。いやー、バカすぎでしょう。確かに、漢文を学校の授業で習う必要があるかどうか、一考の余地はあると、私も思います。でもね、漢文は単なる中国文化ではないのですよ。いちいち説明する必要もないと思うけど、元々日本にあった文字は中国から入った漢字だけです。その漢字を改良して、ひら仮名、カタカナという表音文字が登場したのは、平安時代頃だし、それ以降も公的な文章は漢文(調)であり、インテリのたしなみとしても漢文の素養を求める時代が長く続きました。いわば、欧米文化圏におけるラテン語のような存在が、日本の漢文です。以前に記事を書いたように、歴史教科書から「聖徳太子」の名が削除されようとした際に、右派層が大騒ぎしましたが(続報を取り上げませんでしたが、なんと、右派層の大騒ぎによって、この変更は取り消されてしまい、聖徳太子が復活してしまいました)、厩戸王と呼ばれていた人物を「聖徳太子」と名付けた最初の記録は何でしょうか?それは日本書紀です。では、日本書紀はどんな文章か?漢文です。日本書紀(原文)に送り仮名はありません。すべて漢字だけの漢文です。近年の例で言えば、国士様連中が大好きな教育勅語だって、漢字かな混ざり文ですが、文体は完全に漢文調です。国語の授業で漢文があるのは、日本の古典(の一部)が漢文だからです。漢文の授業を廃止してしまえ、というのは、「日本書紀など読める必要はない」ということ。そういった背景を踏まえたうえで、しかしそれほどまでに古い時代の古典が読める必要があるか、日本書紀なんか(原文で)読めなくたっていいじゃないか、欧米だって、高校でラテン語を教えているのか?限られた授業時間のリソースは、もっと現代文や、比較的現代文に近い古典に充てるべきだ・・・・・ーということであれば、冒頭に述べたように、それは賛否はともかくとして、一考に価する意見ではあるでしょう。しかし、「中国文化は日本人に合わぬ」から漢文の授業廃止を、だなんて、日本の文字文化のルーツを否定するような言い分です。それこそ、古いものをすべて否定しようとした中国の文化大革命を笑えません。それを、一応は物書きを名乗る人間が口にするのだから、どうしようもない。なお、余談になりますが、上杉謙信が敵に塩を送ったなんてのは、別に美談ではないし、「正々堂々」などという発想に基づくものでもありません。上杉謙信は、武田信玄に、塩をタダでプレゼントしたわけではありません。市価より高い値段で売りつけたのです。つまり、敵とさえ商売に励む、商魂たくましい、というお話です。日本の戦国時代のいくさが、中国よりも正々堂々としていた、なんてのはまったくの幻想に過ぎません。渡河中の敵を攻撃せず、川を渡り終えた敵を「正々堂々と」攻撃して負けた、なんてエピソードは、現代の軍事の常識から言っても、大バカ者でしょうね。自衛隊の指揮官が、こんなエピソードが「美談」だと思っているとしたらヤバイでしょう。渡河作戦中、あるいは上陸作戦中の敵を、渡河前、上陸前に攻撃しなくてどうするんですか。
2017.04.08
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春節も続く中国人客減 富士山麓の土産物店など悲鳴「団体客が前年の半分以下に1月27日から始まった中国の旧正月にあたる「春節」休暇は、2日で幕を閉じるが、山梨県の富士北麓エリアでは宿泊施設や土産物店から「客数が激減した」「爆買いがなくなった」と悲鳴が上がっている。県によると、中国人の宿泊者数は昨年10月、前年同月比49%減の3万4640人と3年2カ月ぶりにマイナスに転じ、11月も3万820人(同32%減)と落ち込みが続いている。春節期間中、日帰り客も多い大規模施設では例年並みに集客を確保したものの、“爆買い”を含め、中国人の姿はめっきり減っている。関係者は今後もこの傾向が続くのか、気をもんでいる。(以下略)---産経新聞としては、大嫌いな中国人が日本に来なくなることはうれしいのかもしれませんが、日本経済への影響は無視できないものがあります。が、しかし本当に中国人観光客が減っているのかどうかは、ちょっと、いや、かなり疑問の余地があります。私自身、週末のたびに都心の公園で笛の練習をしていますけど、相変わらず中国人の観光客は多いですよ。引用記事には、山梨県における中国人宿泊者数が昨年10月は前年比ほぼ半減、11月も1/3減というすさまじい減少ぶりとされているのですが、日本全国の来日中国人数の統計では、まったく違う数字が出ています。日本政府観光局統計 2003-2016年訪日外国人これによると、訪日中国人は昨年10月は前年比13.6%増、11月は同19.2%増(11月以降は推計値)なので、訪日中国人は、むしろ増えているのです。ただし、昨年1月までは前年比倍増ペースで訪日中国人が増えていましたから、その勢いはほぼ止まった、とは言えそうです。伸びが止まっただけで、減ったわけではありませんが。全国では訪日中国人の数は堅調なのに、山梨県の宿泊者数は大幅減、これはどういうことかというと、このような分析があります。宿泊業界大混乱、中国の団体旅行客はどこへ消えた?~静岡県文化・観光部が行った調査によれば、2015年に静岡空港を利用した中国人客は97%が団体ツアーの客だったという。だが、そうした団体ツアーの利用客がめっきり減ってしまった。~在上海日本国総領事館によれば、2012年は、訪日客に占める団体旅行客の割合が80%弱だった。ところが、2015年になると団体旅行客は50%弱まで減り、代わりに個人旅行客が50%強にまで増えた。~---要するに、団体ツアー客がみんな個人旅行に取って代わった、ということなのです。日本にも「富士に一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」なんて言葉がありますが(私自身、無雪期の富士山は、一度登ったら、もういいやと思います。積雪期はまた違いますけど)それは外国人旅行者にとっても同じなんじゃないでしょうか。団体旅行で必ず行くような定番の観光地は、個人旅行でもわざわざ何回も行こうとは思わないものなのではないでしょうか。だから、限られて定番観光地に集中していた中国人観光客が、各地に拡散した、その分だけ限られた観光地の中国人客は減少した、ということでしょう。これも、体感的に思い当たる節はあります。前述のとおり、都心の公園で笛の練習をしていると、相変わらず中国人の観光客は多いのですが、いわゆる旗の下の団体旅行はめっきり減ったように感じます(皆無ではありませんが)。毎年1月に水上温泉に行っていますが、今や1日に5往復しか旅客列車が走っていない超ローカル線の上越線水上-長岡間に中国人観光客(もちろん個人旅行)が乗っていたりするのです。ありきたりの定番コースでは飽き足らなくなった、ということでしょう。宿泊施設に関して言えば、より安価な民泊に流れたようです。どうも、昨年の春節あたりは、とんでもない高値を吹っかけた宿泊施設もあったようなので、より安価な宿泊施設に流れるのは、これは当然の成り行きというしかないでしょう。いずれにしても、局所的な大幅減はあっても、日本全体で見ると中国人観光客は減っていないというのが実際のところです。ただ、民泊云々も含めて、中国人の一人当たりの日本での消費金額が減っているのは確かなようです。訪日外国人の2016年消費額3.7兆円、1人当たり支出は減少観光庁は17日、訪日外国人旅行者の2016年の旅行消費額が前年比7・8%増の3兆7476億円だったと発表した。旅行者数の増加に伴って過去最高を記録したが、為替レートや買い物動向の変化で1人当たりの旅行支出は同11・5%減の15万5896円となり、前年の支出額を下回った。中国が4・1%増の1兆4754億円で、消費額全体の39・4%を占めた。1人当たりの旅行支出は、中国が18・4%減の23万1504円だった。ただ、観光庁は1人当たりの旅行支出の減少について、円高基調だった為替レートの影響が大きく、現地通貨ベースで換算すると、必ずしも支出の意欲が減退していないと指摘する。(要旨)---為替レートの変動による部分も含めて、「爆買い」なんてものはある種のバブルみたいなものなんだから、それが永続しないのは、ある意味当然です。むしろ、「爆買い」が止まっても訪日中国人の数は安定的に推移している、というのは凄いことだと思いますよ。もし、局地的な動向ではなく、日本全体で中国人観光客が急減してしまったら、日本経済に与える影響はかなり深刻なものになるでしょう。
2017.02.15
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【野口裕之の軍事情勢】 「日本と14年間戦って勝った」という中国の弱味 「逃げ回って正解」と公言した毛沢東が邪魔?~抗日戦争の「8年説」は盧溝橋事件の1937年を、「14年説」は柳条湖事件の1931年を始まりにする。しかし、満州事変以降、支那事変が大東亜戦争に拡大する中、精強な大日本帝國陸海軍と戦ったのは専ら国民党軍だった。共産党軍の役どころは、国民党軍の矛先を帝國陸海軍に向けること。この陰謀の悪臭がプンプンする「汚れたフンドシ戦略」を練ったのは、初代国家主席・毛沢東(1893~1976年)だった。毛沢東の発言録や戦略論は既に世界中に出回っており、中国共産党お得意の粉飾・ねつ造は本来なら不可能。現代の中国共産党が「抗日戦勝利」を主張する度に、毛があの世よりさまよい出て、真実を公表してしまう。ロクに戦っていないのに「日本に勝った」と、国内外に言いふらしてもいるが、まさか「相撲」なので「不戦勝がある」などと開き直りもできまい。~---例によって産経新聞の記事です。記事は無意味に長ったらしいので、ごく簡単に要約すると、日本軍に対して正々堂々と戦ったのは国民党軍だけで、共産党軍は逃げ回っていただけだろう、ということです。この記者は、これで「軍事が専門」って言うんだから、まあ笑っちゃいます。軍事のことなんか何も知らずにネトウヨに媚を売ることしか能がなくても、産経では「軍事が専門」なんて言えちゃうということです。毛沢東には数々の失敗も間違いもありました。文革なんてのはその最たるものです。しかし、「逃げ回って正解」という発言は(それが本当に当人の発言なら)、極めて正しい認識であり、だからこそ、紅軍は最終的には日本軍も国府軍(国民党軍)にも勝ったのです。いや、国府軍だって、別にいつも「正々堂々と」戦っていたわけではありません。必要に応じて、戦力温存を優先して逃げることは、国民党軍だって多かった。むしろ、それをやりすぎて、支援する連合国から(対日戦でも国共内戦でも)「本気で戦う気があるのか?」という疑念の目で見られたこともあります。古今東西を問わず、戦力に劣る側が戦力に勝る敵に対抗するためのもっとも有効な手段は、逃げる、隠れる、不意打ちを食らわす、です。その典型例がゲリラ戦です。ベトナムで、キューバで、アフガニスタンで、ゲリラ戦がどれほどの威力を発揮したか、今更説明の必要もないでしょう。あえて言えば、国民党軍は逃げる隠れるは得意だったけれど、不意打ちを食らわすことは得意ではなかった、つまり、正規軍の戦法しか取れなかったのでゲリラ戦は不得手だったのに対して、共産党軍は逃げる、隠れる、不意打ちを食らわすのいずれの策も有効に活用しました※。つまりゲリラ戦に長けていた。だから最後は紅軍が勝ったのです。戦争にもルールはありますが、人道面での規定(戦時国際法)に限られます。作戦面においては、そのような規定はない。戦わずに逃げることも隠れることも、奇襲をかけることもなんら制限はありません。戦争はスポーツではないのです。いや、スポーツですら、常に「正々堂々」としているわけではない。敬遠作戦もあれば隠し球もある。隠し球に引っかかって負けたことを「卑劣だ」などと叫んだところで、引っかかった奴が悪いとしか言いようがありません。まして戦争で、「逃げる」「隠れる」は恥でもなんでもない。その戦法を馬鹿にするだけで、「正々堂々」と正面から戦うことしか視野にないような人間は、ただの兵器マニア、軍事オタクに過ぎないのであって、まともに軍事を語る能力などありません。いや、これは何も軍事だけに限ったことではないでしょうね。※当然のことながら、紅軍の戦法が有効に機能したのは、日本軍の侵略に抵抗する、国内での防御戦だったからです。それから40年後、立場が逆転して中国軍がベトナムに対して侵略戦争を行ったとき(中越紛争)には、ベトナムが中国軍に対して「逃げる隠れる不意打ちを食らわす」で反撃し、中国軍は多大な損害をこうむって立ち往生することになりました。
2017.01.26
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アパホテルの利用中止要求 中国政府、国内旅行業者にアパホテルの客室内に南京事件などを否定する本が置かれ、中国で反発が強まっている問題で、中国の国家旅遊局は24日、自国内の旅行業者や宿泊予約サイトに対し、同ホテルの利用中止や広告の撤去を要求したことを明らかにした。国営新華社通信のニュースサイトなどが伝えた。大手予約サイトでは、すでに同ホテルの予約ができなくなっていた。同局は「日本事務所を通じて、日本側に厳正な申し入れをした」としており、観光客にも同ホテルを利用しないよう呼びかけている。広報担当者は「中国の観光客に対する公然の挑戦であり、旅行業界の基本道徳に反する」と話した。ホテルを経営するアパグループは「日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならない」との見解を示しており、本の回収は考えていないとしている。---中国政府側のこのような対応が望ましいものかどうかは、いささか疑問の余地はあります。むしろ日本国内での動向に関しては逆効果になりそうな気がします。やり方が拙劣というか、正面から大声で攻撃するよりも、安倍政権のマスコミ対策のように、裏からこっそり締め上げるほうが威力があるのでは、と思ってしまいます。まあ、そのあたりのところは私がどうこう言うべきところでもないように思いますが、間違いなくいえるのは、アパグループの社長が極右であり、その主張する南京大虐殺否定論が歴史的事実として誤ったものである、ということ。アパが極右であることは、何も昨日今日に分かった話ではなく、「真の近現代史観」なる懸賞論文を募集して、その栄えある(笑)第1回の最優秀賞にあの田母神の「我が国が侵略国家というのは濡れ衣だ」と主張する論文を選んだ、という時点で周知のことです。当ブログでも、そのことを当時記事にしたことがあります。アーパーホテルその後、第4回では、「福島では誰も甲状腺がんにならない」と主張する高田純というトンデモ学者を対象に選んでいます。これについても記事を書きました。高田純というトンデモ学者それ以外の歴代最優秀賞の面々は、竹田恒泰、佐波優子、一色正春、松原仁、杉田水脈、ケント・ギルバート・・・・・・・分かりやすい、あまりにも分かりやすい(笑)なので、私は選択の余地がある限りはアパホテルには絶対泊まらないことにしています。アパグループでも、「アパ」と名乗っていないホテルもあって、私は一度だけ、気が付かずに宿泊してしまったことがありますけどね。チェックインして部屋に入ってからそうと気が付いたので、後の祭りでしたが。南京大虐殺をめぐる論争は、過去に散々やって、というか元々私がネット上で発信するようになった契機自体が、南京大虐殺をめぐる論争だったのですが、さすがにもう食傷してしまって、長々と書く気力は、いまはもうありません。ただ、間違いなくいえることは、南京大虐殺と呼ぶに足る、大規模な虐殺は間違いなく存在した、ということ。正確な人数は分からないけれど、どんなに少なく見積もっても数万以上、ただし中国の公式見解である「南京の市街地だけ」で「虐殺された者」(純然たる戦闘の犠牲者や、中国軍内部の同士討ちを除いた)が30万人というのはいささか過大に過ぎる可能性が高い。おそらく、虐殺の犠牲者はごく大雑把に5万から15万、間をとって10万人程度というのが現時点で一番可能性が高いだろう、と私は判断しています。少なくとも5万、つまり東日本大震災の2倍を優に超える犠牲者数を「大虐殺」と言わずして何と言うか、と思います。ちなみに、その南京事件を相殺するためにアパが持ち出しているという通州事件は、南京事件に比べるとはるかに犠牲者数が明確に分かっており、その数は二百数十名です。もちろん、それだって大きな虐殺ではありますけれど、南京事件はその、少なくとも100倍以上の犠牲者数です。なお、通州事件の犠牲者は日本人ですが、実際には、その多くは当時は日本に併合されていた朝鮮半島の人々です。問題の書籍を読んだわけではありませんが、過去、田母神の中学生レベルかというような論文を「大賞」に選んでいる時点で、その程度は推し量れます。右へ右へという今の時流に乗って、自分たちにとって耳に心地よい主張を展開しているだけのものでしょう。田母神のときにも書いたように、私には、それは、アーパーな史観としか思えません。で、アパはあくまでも問題の書籍は撤去しないのだそうです。間違った主張でも、アーパーな主張でも、一応は言論の自由はある、かもね。しかし同様に私にも宿を選ぶ権利、他人の主張を批判する権利はあるわけで、今後ともアパを利用するつもりはありません。(前述のように、ホテル名称から判別が付く限りは、ですけど)
2017.01.24
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<南シナ海>「九段線」中国の権益認めず 仲裁裁判所南シナ海のほぼ全域に主権や権益が及ぶとした中国の主張に対し、フィリピンが国連海洋法条約違反などを確認するよう申し立てた仲裁裁判で、オランダ・ハーグの仲裁裁判所は12日、中国が主張の根拠としてきた「九段線」について、フィリピンの主張を認め「資源について中国が主張する歴史的権利には法的根拠はない」とする判決を下した。南シナ海の人工島で実効支配を進める動きについて、国際法上「ノー」が突きつけられた中国の「全面敗訴」に近い形で、中国政府は猛反発した。~中国は九段線の主張を背景に、南沙諸島の七つの岩礁で人工島造成を行い、滑走路などを建設し軍事拠点化を進めていると批判されてきた。判決により、造成を継続することに対しては「国連海洋法条約違反」として、国際社会の批判が強まる可能性が大きい。判決ではさらに、七つの岩礁について、いずれも排他的経済水域が設定できる「島」ではなく「岩」か「低潮高地」と認定した。これにより、周辺海域での資源開発への主権的権利も中国は主張できなくなった。(以下略)---中国政府はこの判決に怒りくるっているようです。一方日本のネトウヨは狂喜乱舞していますが、ことはそう単純でもありません。「岩」判定に反発、台湾も裁定を「受け入れない」 蚊帳の外に不満台湾の総統府は12日、南シナ海をめぐる仲裁裁判所の裁定に対し「絶対に受け入れない」との声明を発表した。声明は、仲裁裁が南沙諸島で台湾が実効支配する太平島について「岩」だと認定したことに反発。裁判の過程で台湾側の意見が求められなかったことにも不満を表明した。(以下略)---日本のネトウヨくんたちが愛してやまない台湾もまた、こと南沙諸島の領有権に関しては中国とほぼ同様の主張で、あまつさえ、岩を「島」として実効支配もしているわけです。そして、日本はどうか。仲裁裁判決、沖ノ鳥島の扱いにも将来的に影響か日本政府は、12日の仲裁裁判判決が、中国やフィリピンの兵士らが居住する南沙諸島に島はないと認定したことについて、日本の沖ノ鳥島などの扱いにも将来的に影響を及ぼす可能性があると見て、判決文を詳細に検討している。同様の島を領有する各国にも判決は影響を与えそうだ。今回の判決の法的拘束力は当事国のフィリピンと中国にしか及ばない。ただ、日本政府は「今後他国から仲裁裁判に訴えられる可能性もあり、深刻だ」と見ている。中国は沖ノ鳥島を「岩」だと主張し、韓国も同調している。国連海洋法条約では、沿岸から200カイリの排他的経済水域が認められる島を「満潮時においても水面上にあるもの」などと定義している。一方で、「人間の居住または独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域または大陸棚を有しない」と記されている。---南沙諸島の領有権争いがどうなろうと、少なくともそこが日本の領海や経済水域にはなりようがありません。その限りでは日本に直接関係のある話ではありません。が、この判決内容は、日本に直接関係します。そこに気が付かずに、中国叩きの一環としてだけの動機で判決を喜んでいるネトウヨくんたちは、バカとしか思えません。さすがに日本政府はネトウヨ君たちよりは注意深いので、今回の仲裁裁判が日本にとって喜べるものではないことに気づいています。冒頭の引用記事に、こうあります。判決ではさらに、七つの岩礁について、いずれも排他的経済水域が設定できる「島」ではなく「岩」か「低潮高地」と認定した。島と岩と低潮高地とはどう違うのか。低潮高地とは、干潮時には海面上に姿を現すけれど、満潮時には水没してしまう陸地(と呼べるかどうかはともかく)のことです。島は「自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時にも水面上にあるもの」です。ただし、それがあまりに小さな場合は、「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない」と規定されています。(国連海洋法条約の規定による)低潮高地は国連海洋法条約の上では、単なる海です。領海も排他的経済水域もありません。そして、人工的に埋め立てられた島も同様です。一方、「岩」は領海は設定できるが排他的経済水域は設定できません。島は、普通の領土であり、領海も排他的経済水域も設定できます。南沙諸島は、今回の判決で7箇所のうち4箇所を岩、3箇所を低潮高地と認定したようです。いずれにしても島ではないので、排他的経済水域は設定できない、というわけです。そうすると、沖ノ鳥島についても、排他的経済水域が設定できるかどうかが問題となるのは明らかです。沖ノ鳥島は、満潮時でも常に海面上に姿を現しているので、低潮高地ではないことは確実です。だから、日本の領土であり、領海もあります。ただ、これを「島」と呼ぶのは、いかに考えても無理です。この写真でさえ、「島」と呼ぶには無理があることは歴然としています。しかも、これらの「陸地」はいずれも人工的に補強工事を行った後のものです。前述のように、人工島は国際法上は存在しないのと同然です。(南沙諸島だって、中国は滑走路つきのどでかい人工島を造成している)補強する前の元々の「島」はどのようなものだったか。どう見たって「岩」です。「人間の居住又は独自の経済的生活を維持すること」ができるはずがありません。にもかかわらず、日本政府は従来これを「島」だと強弁してきました。ごく簡単に言えば、国連海洋法条約には岩とは何かという定義はないからこれは島だ、というのです。人間の居住又は独自の経済的生活を維持、というのが定義じゃないの?と思うけれど、確かに、何平米以上、海抜何メートル以上という定義ではないですからね。ソロテンなら人が暮らせる?(笑、無理ですけどね)今回の判決で、島と岩をどこで区切ったのかは分かりませんが、いずれにしても、それは島ではなく岩だと断定したのですから、もし沖ノ鳥島に関しても同様の裁判が起こった場合は、ほぼ確実に岩と認定されると考えるしかないでしょう。もっとも、では沖ノ鳥島に排他的経済水域があって、それがどれだけのメリットかというと、かなり怪しげです。沖ノ鳥島自体は浅瀬でも、その周囲は深さ何千メートルの海です。その海底に資源が眠っているといったところで、採掘手段があるのか、あったとして採算が取れるのかといえば、まず無理です。では漁業はどうか。東京都の統計によると、沖ノ鳥島周辺での漁獲量は、17トンから31トン。万トンではなくてトンですからね。ほとんど顕微鏡的な漁獲量しかありません。つまり、排他的経済水域に固執する経済的な意味は皆無に等しいのが実態です。もっとも、南沙諸島だって、経済的価値は大同小異と思いますが。
2016.07.13
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「ソメイヨシノは韓国原産」のトンデモ論を暴く…それは「イタチがカナブンと交尾、サンマを産む」に等しい!?">「ソメイヨシノは韓国原産」のトンデモ論を暴く…それは「イタチがカナブンと交尾、サンマを産む」に等しい!?春になると韓国マスコミは毎年こぞって「ソメイヨシノは韓国原産」という主張をかかげる。ソメイヨシノは韓国の済州島に生える「王桜」と同一であり、日帝が盗んだ-などと主張するのだ。この説は度々否定され、遺伝子検査でもソメイヨシノと王桜は別種との結果が出ている。それでも「起源」に固執する韓国の人々は、近年ついに「日本には王桜=ソメイヨシノの自生地がない。韓国には自生地があるから、ソメイヨシノは韓国起源だ」と声高に主張し始めた。ソメイヨシノは、エドヒガン系の桜と、日本固有種のオオシマザクラを交配させた園芸品種で、江戸時代に誕生した。その特徴の一つが「自家不和合性」だ。ただ、自家不和合性は常に100%絶対というわけではない。何らかの天変地異や奇跡的な環境変化で、ソメイヨシノの「自家不和合性」が打破されたと仮定しよう。その結果、自分のクローンたる二世を生み出せるのか。結果はやはり「否」だ。メンデルの遺伝の法則では、両親の遺伝情報は子の世代で発現するかどうかにかかわりなく保存され、次世代に伝えられる。ソメイヨシノはそもそもがエドヒガン系とオオシマザクラを交配させた「雑種の1代目=子」なのだ。2代目=孫になった時点で、親の代では隠れていた祖父母のエドヒガン系とオオシマザクラの持つ劣性遺伝子情報が発現する。専門用語で「雑種強勢」と呼ばれる現象も無視できない。雑種の1世代目は両親の良いところばかりを受け継ぐが、2世代目、3世代目では逆の悪い面が出てくる。2世代目は決して1世代目のクローンたり得ないのだ。つまり、韓国マスコミの一部が主張する「ソメイヨシノは王桜であり、韓国では自生している」という説は、イタチがカナブンと交尾をしてサンマを産んだと言うに等しい。(要旨・以下略)---韓国の一部マスコミが、ソメイヨシノは韓国起源と主張しているそうですが、引用記事の言うとおり、それは明らかに間違っています。引用記事(要旨)は、一箇所を除いておおむね正しいものです。ソメイヨシノはエドヒガン(エドヒガン「系」とあるのは、エドヒガンには園芸品種が多数あり、そのどれか、ということ)とオオシマサクラの雑種であることが、遺伝子の研究からほぼ確かめられており、済州島の王桜とは別系統です。済州島にはエドヒガンは自生するものの、オオシマサクラは自生しないので、この両者が済州島で自然に交雑する可能性はありません。ソメイヨシノは引用記事が説明するように、実生からは育たず、挿し木でしか育たない園芸植物なので、「自生」することもあり得ません。ただし、近年の、より詳細な遺伝子研究によると、ソメイヨシノの片親であるオオシマザクラは、純粋のオオシマザクラではなくオオシマザクラとヤマザクラの雑種である可能性が高い、とのことです。王桜とソメイヨシノを同一種と最初に考えたのは韓国人ではなく、戦前の日本人植物学者、小泉源一です。王桜の一部の個体ががソメイヨシノとよく似ていることから、そのように考えたようです。DNA鑑定という手法がなく、形態の比較からしか近縁関係の推定ができなかった時代には、仕方のないことだったでしょう。王桜もどうやら雑種らしく、その元になったのは、最近のDNA研究によるとエドヒガンとヤマザクラまたはオオヤマザクラと推定されているとのことです。つまり、ソメイヨシノと王桜は、確かに起源は異なるのですが、どちらもエドヒガンを片親とする(ソメイヨシノはエドヒガンの園芸品種を起源とする人工的な園芸品種、王桜はエドヒガンの野生原種を起源とする自然発生の雑種)、いわば異母兄弟の関係です。外見がよく似ているのも当然でしょう。いずれにしても、同じバラ科サクラ属という、きわめて近縁な種類同士の話です。ところが、それが産経新聞にかかると、「ソメイヨシノは王桜であり、韓国では自生している」という説は、イタチがカナブンと交尾をしてサンマを産んだと言うに等しい。のだそうです。いや、恐れ入りました。等しいわけないだろが(笑)イタチ(脊椎動物門哺乳綱)とカナブン(節足動物門昆虫綱)とサンマ(脊椎動物門魚綱)という、とてつもなく離れた動物が交雑できるわけがないという話と、バラ科サクラ属という、きわめて近縁同士の植物の交雑の話が、何故同列になるのか、さっぱり分かりません。分岐年代で言えば、サクラ属の各種の分岐年代は、せいぜい数十万年前なのに対して、哺乳類と魚類(硬骨魚類)の分岐年代は数億年前、脊椎動物と節足動物の分岐は、それより更に古い年代(5億年以上前)です。桁が3つ違う。想像するに、「おおむね正しい」と私が評したソメイヨシノの起源と自家不和合性、メンデルの法則、雑種強勢の説明部分は、その中身を理解しないまま、この記者が何かの資料の丸写ししただけなのではないでしょうか。だから、「つまり~イタチがカナブンと交尾をしてサンマを産んだと言うに等しい」という頓珍漢な「例え」が頓珍漢であることに気がつかない。あるいは、その程度の理解力もない読者を対象に、比較に無理があることを知りながら煽ったのかもしれないですが。韓国の一部で主張されているという「ソメイヨシノは韓国起源」という説は、確かにDNA鑑定ができる現在となってはトンデモの類です。しかし、それに対して「イタチがカナブンと交尾をしてサンマを産んだと言うに等しい」などという無茶苦茶な例えを持ち出してしまう産経新聞は、それ以上のトンデモです。およそまともな商業紙の物言いではなく、ネトウヨのアジビラ以外の何物でもありません。余談ですが、産経の言い分からふと連想したのは、戦時中の「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々やトンボも鳥のうち」という戯れ言葉。要するにそのくらい兵站というものを、末端の兵士ですら軽視して馬鹿にしていたわけです。その結果が、南方戦線における、見るも無残な飢餓地獄だったわけです。産経の好きなように日本の舵取りをさせたら、同じ轍を踏みそうです。まあ、でもだいぶ時期外れになってしまいましたが、今年もソメイヨシノの写真など。梅が咲くと春遠からじ、その次にサクラ、ハナミズキ、ツツジ、サツキ、そしてアジサイ。東京あたりだと、2月後半くらいから6月まで、何か咲いている。今は、ツツジが終わってサツキ(これもツツジの一種だけど)が咲き始めたところです。
2016.05.10
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※少々汚い話題ですのでご了承ください。なぜ韓国のトイレには便座横にごみ箱があるのか? 外国人に「不衛生」と言われ、撤去の動きも…韓国のトイレにあって日本のトイレにないもの。それが便座の横に鎮座するごみ箱だ。「トイレットパーパーはごみ箱へ」と注意書きされていることもあり、臀部を拭き取り、汚物がこびり付いた紙をここに捨てろということだ。韓国を訪れた外国人が驚く習慣の一つで、「見た目が悪く、不衛生だ」と一部韓国人にも評判が悪い。なぜ、こんな習慣があるのか-。韓国製トイレットパーパーは水に流れないとでもいうのか-。一方で、「ごみ箱のないトイレ」をと撤去する動きも広がり始めている。韓国は、2002年のサッカーW杯の日韓共催を機に、公共トイレの整備が進んだこともあって、外国人も抵抗なく入れるトイレを至る所で目にし、トイレ探しで苦労させられることはあまりない。一方で、辟易させられるのが、この便座の横のごみ箱の存在だ。1990年代に留学した際、最も驚かされた習慣の一つだ。それはいまもあまり変化がない。古めの公衆トイレは言うに及ばず、新しめのオフィスビルなどのトイレにも、便座の横に大小さまざまなごみ箱が設置されていることが多い。おまけに、ふたがないのがほとんどで、見たくなくとも、他人が拭き取った白いトイレットペーパーに付いた異物が目に飛び込んでくる。このごみ箱に自分が拭いた紙を捨てるのに非常に抵抗があった。「紙は便器に流さず、ごみ箱に」と注意書きされていることもあり、便器に紙を流すというありふれた行為をするのにも、なんだか罪悪感を感じてしまう。違和感を抱いていたのは、記者だけではなかYouTubeには、「Korean Toilet Paper」という動画がアップされ、24万回近く再生されていた。韓国紙、中央日報は以前、この動画や、「韓国人はふたのないごみ箱に汚物が付いたトイレットペーパーを捨てる。本当に気持ち悪い」といったインターネット上の外国人からの“苦情”を紹介。同紙は、中国や一部の南米の国を除いて、便器の横にごみ箱を置く国はほとんどなく、「韓国独特の文化だ」と指摘する。(要旨、以下略)---韓国の「欠点」があると見れば、何にだって飛びつくのが産経新聞というわけです。そこには、それ以外の国はどうなのか、という冷静な視点はありません。この記事を書いた桜井紀雄という記者は、トイレでごみ箱に自分が拭いた紙を捨てるのが「1990年代に留学した際、最も驚かされた習慣の一つ」「非常に抵抗があった」のだそうです。失礼ながら、なんとナーバスな人だろうか。引用記事にも、さりげなく「中国や一部の南米の国を除いて、便器の横にごみ箱を置く国はほとんどなく」とあります。そうです、別にそれは韓国だけの習慣ではない。そもそも、日本国内にだって、ティッシュを便器に流せない(流してはいけない)トイレはあります。それは、山小屋。山小屋に下水道はありません。大小便は、時間とともに微生物が分解しますが、山では低温のため微生物の活動が鈍く、自然状態では分解が遅々として進みません。以前は、山小屋のトイレは垂れ流し式ばかりで、富士山なんか、登山者の数が多いので、それはそれはひどい状態だったといいます。近年はタンクに貯蔵して温度を保ち、微生物による分解を促進する方式のバイオトイレが増えてきましたが、まだまだ垂れ流し式も少なくありません。バイオトイレにしても垂れ流し式にしても、微生物は大小便を分解はしますが、ティッシュは分解しません。そのため、ティッシュはいつまでも残っている。だから、山小屋のトイレでティッシュを便器に捨ててはいけない。ゴミ箱に捨てなくてはいけません。で、日本ですらそういう例があるわけですが、先進国以外の外国には、便器にティッシュを流せない国が相当広範囲に存在します。引用記事は、「一部の南米の国」なんて書いていますが、私の経験則で言えば、それは「一部」ではない。ほぼすべてのラテンアメリカの国がそうです。メキシコ、ペルー、ボリビア、チリがそう。アルゼンチンは、1泊しかしていないのでよく覚えていませんが、検索したところ、やはりティッシュは便器に流さずにゴミ箱に捨てるようです。行ったことはありませんが、ブラジルも同様とのことです。これらは、下水道の配管が狭く、詰まり易いためです。それ以外の国の状況は知りませんが、先進国以外はほとんど同様であろうことは推して知るべし、です。記事には「中国」とありますが、調べた限り、一部の日本人が「親日」と絶賛する台湾でも、トイレの状況は同様とのことです。で、そもそもラテンアメリカ諸国では、トイレにティッシュが流せるかどうかとか、そんな話のはるか以前の段階なのです。ホテルは別にして、公共施設(バスターミナル、駅、市場など)のトイレは、まあ日本のトイレに慣れきっている人から見れば、想像を絶するものです。まず、ティッシュが備え付けられている例は稀です。そして、トイレ自体は洋式なのに、便座がない例がすごく多い。あっても、ちょっと座りたくないような状況の場合も多い。ドアのないトイレも珍しくありません。私は男だからまだしもですが、女性は辛いかも知れません。緊急事態以外は、大きいほうは極力宿で済ましておくようにするのですが、それでも1日外出していればやっぱり外でトイレに行かざるを得ないことはあります。米国などは、これは防犯上の理由でしょうが、トイレのドアはあるけれど、その幅が極度に狭い、つまり上と下が丸見えのドアという例はよくあります。あれも日本の標準から見れば衝撃的かもしれませんが、ラテンアメリカからの帰路だったら、全然、まったくどうってことはない。もっとも、日本だって公園などのトイレは、時々すごいことになっている例はあります。そもそも、日本だって、私が中高生の頃までは、公衆トイレはきれいなものではありませんでした。とても入れないような状況は珍しくなかったし、都営地下鉄の駅トイレにはティッシュが備え付けてありませんでした。代わりに、トイレの入口に、ティッシュの自動販売機があった。旧国鉄や旧営団、各私鉄の駅はどうだったかは、よく覚えていませんが、旧国鉄の列車内トイレにはさすがにティッシュはありました。その代わり、汚物は垂れ流し式でしたね。「停車中は使用しないでください」というやつ。流すと、下に線路が見えたり。あれがなくなって貯蔵式になったのはいつからか、正確な記憶はないものの、1990年代以降だろうと思います。鉄道どころか、飛行機ですら、かつてはトイレの汚物は空中で投棄していた時代があったようです。かつて、と言っても別にプロペラ機の時代ではない、ジェット機時代に入って以降の話です。韓国のトイレで、ティッシュをゴミ箱に捨てる程度のことで吹き上がってしまうような人は、こういうことについて、何も知らないのでしょうし、そもそもそんな人は、海外(一部先進国を除く)に行く資格も能力もない、と言うしかないでしょう。
2016.05.08
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「通州事件」ユネスコ記憶遺産に申請へ つくる会「世界に知ってほしい」 中国人部隊の邦人200人殺害ユネスコの記憶遺産に中国の「南京大虐殺文書」が登録された問題で、「新しい歴史教科書をつくる会」(高池勝彦会長)は11日、2017年の記憶遺産登録を目指し、日中戦争の発端となった盧溝橋事件直後に200人以上の日本人が中国側に殺害された「通州事件」の資料をユネスコに申請すると発表した。通州事件は1937年7月29日、北京東方の通州で日本人が中国人部隊に襲われた事件。申請する資料は、東京裁判に提出された証言や外務省の抗議声明などの公的文書のほか、当時の新聞の号外なども予定している。同会は「通州事件が忘れられている現状を意識的に変えなければならない。広く世界に知ってほしい」と訴えている。記憶遺産の登録審査は2年に1度行われ、申請できるのは1国2件まで。ユネスコの国内委員会はすでに2017年の登録候補2件を公募の上で選定しており、それぞれ申請者である自治体などが来年3月に申請書類を提出する。それ以外の民間団体や個人も制度上はユネスコの国内委員会を通さずに申請が可能なため、同会はユネスコに直接申請する。文科省によると、つくる会の申請などで日本からの申請が3件以上となった場合、ユネスコから国内委員会に優先順位を付けるよう差し戻される。---南京大虐殺がユネスコの世界記憶遺産に登録されたものだから、極右勢力が吹きあがっちゃって、対抗措置のつもりで通州事件を記憶遺産に申請と叫び始めたようです。この報道で気がついたのですが、「つくる会」の会長は、今は高池勝彦がやっているのですね。稲田朋美のお仲間の弁護士です。百人斬り裁判の原告側代理人の1人でした。稲田は、私の印象では弁護士としては有能とは思えないけれど、弁舌は立つ。高池は、弁護士としての能力も、弁舌の能力も疑問符がいっぱい付きます。ま、それはともかく、南京事件は、少なくとも数万、おそらくは十数万の犠牲者が出た大虐殺事件だったわけですが、それに対抗するのが犠牲者200人の通州事件とはね。ちなみに、引用記事には「邦人200人殺害」「200人以上の日本人が中国側に殺害された」と記載されていますが、これは、完全なウソではないものの、きわめて誤解を招きやすい表現です。つまり、犠牲者200人の半分は朝鮮人でした。もちろん、当時朝鮮は日本の統治下にありましたから、当時における国籍上の区分としては「日本人」ではあったでしょう。しかし、日本統治時代の朝鮮人を、なんの注釈もなくただ「日本人」と書くことは、少なくとも現在の歴史の記述としては不正確の謗りを免れません。そして、もう一つ、「日本人が中国人部隊に襲われた」という記述にも注意が必要です。通州で日本人(大多数は朝鮮出身者)を襲った「中国人部隊」とはどのような部隊か。何の説明もなくこう聞けば、国民党軍か共産党軍と思っても不思議はありませんが、事実はそのいずれでもありません。当時通州は、国民党政府から離反した冀東防共自治政府の支配下にあり、日本軍部隊も駐留していました。さらに、日本軍は冀東防共自治政府保安隊に将兵を派遣して、軍事訓練を施していました。つまり、冀東防共自治政府というのは事実上日本軍の傀儡政権であり、冀東防共自治政府保安隊は、日本軍の手駒の一つだったわけです。ところが、その冀東防共自治政府保安隊が反乱を起こして通州事件を引き起こした。つまり、日本軍の飼い犬に手を噛まれた、というのが現実です。なお、事件発生当時、冀東防共自治政府は日本の傀儡政権だけに、即座に日本側に謝罪し、当時としては高額の賠償金を支払っています。だから虐殺は許されてよい、というわけではないけれど。歴史的経緯は以上のとおりですが、加えて、この通州事件が世界記憶遺産に登録される可能性があるか?まあ、120%その可能性はないでしょうね。相手にもされないでしょう。世界は、日本のネトウヨの思うとおりには動かないので。ユネスコの国内委員会はすでに2017年の登録候補2件を公募の上で選定しているそうです。その2件とは、群馬県の上野三碑と岐阜県八百津町の杉原リスト(杉原千畝のビザ発給記録)のようです。仮に通州事件が記憶遺産に申請されるとすると、1国2件までという規定からして、この2件のいずれを申請から外す、ということになります。この2件が記憶遺産としてふさわしいのか、登録される可能性がどの程度高いのかは私にはわかりません。しかし、少なくとも通州事件との比較で言えば、それよりは登録される価値も、登録される可能性も高いでしょう。もし、それら2件のいずれかを押しのけて、南京大虐殺の世界記憶遺産登録への当てつけとしての意味しかない通州事件が候補に上がるようでは、世界記憶遺産申請は、ネトウヨの政治運動に私物化されていると言われても仕方がないでしょう。
2015.12.12
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初の中台首脳会談 関係の平和的発展を確認中国の習近平国家主席と台湾の馬英九総統が、1949年の中台分断後初めてとなる首脳会談を、シンガポールでおよそ1時間にわたって行い、「中国大陸と台湾はともに1つの中国に属する」という考え方とともに、中台関係の平和的な発展が重要だと確認しました。~会談の冒頭、習主席は馬総統を総統の肩書きではなく「さん」付けで呼び、歴史的な会談だとしたうえで、「平和の道を歩み、正しい発展の方向性を確保し、交流を深めて、中華民族の復興を図ることを願っている」と述べました。馬総統も「習さん」と呼びかけ、中台の間では経済や人的交流が進んでいるとしたうえで、「両岸の関係は過去66年間で最も平和的な状態にある。双方は敵対関係を弱め、平和的な方法で争いを解決していくべきだ」と応じました。また、両首脳はそれぞれ、「中国大陸と台湾はともに1つの中国に属する」という考え方とともに、中台関係の平和的な発展が重要だと確認しました。会談後、記者会見した馬総統は、「いい雰囲気で、平和的な発展について意見交換ができた」と述べたほか、習主席について、「習さんは実務的で率直な人だということが分かった」と話していました。一方、中国政府の高官も会談後の記者会見で、「率直で突っ込んだ意見交換を行った」と述べ、双方とも、歴史的だとした会談の成果を強調していました。習主席「最大の脅威は台湾独立訴える勢力」~この発言は、来年1月に行われる台湾総統選挙で優勢が伝えられる最大野党・民進党の候補が「中国大陸と台湾はともに1つの中国に属する」という考え方に反対していることなどを念頭に、けん制したものとみられます。一方で、張主任は「国務院台湾事務弁公室は、台湾の選挙には介入しない」と述べました。台湾の台北では、7日午後、首脳会談の中止を求める抗議活動が行われました。抗議活動には、馬英九政権が進めてきた中国との結びつきを強める政策に反対する人権活動家や環境保護活動家などおよそ500人が参加し、「ひとつの台湾、ひとつの中国」と書かれたプラカードや「台湾独立」を目指す横断幕を掲げるなどして、首脳会談の中止を求めていました。~---昨日の友は今日の敵、昨日の敵は今日の友。中国の国民党と共産党は共闘したり対立したりを繰り返してきました。もともとは、1920年代の国民党蒋介石総統は、軍閥との戦いのためにソ連の援助を求め、誕生したばかりの共産党との共闘を進めましたが(第1次国共合作)、1925年、北伐によって軍閥に大きな打撃を与えると、1927年には一転して共産党を弾圧(4.12事件)、しかしその後日本軍の中国侵略が激しくなると、西安事件を契機に、再び共産党と共闘(第二次国共合作)したものの、日本軍の降伏後に再び国共合作は破れて、国共内戦となり、共産党が勝利して中華人民共和国成立、国民党は台湾に逃れて中華民国を名乗り続ける、という経過をたどったことは、よく知られているとおりです。それ以来、国民党と共産党(中国と台湾)は、長らく対立を続けてきましたが、国際的には、当初は旧東側は中国支持、西側は台湾支持だったものの、中ソ対立によって中国は東側の中で孤立する一方、1972年のニクソン訪中以来、西側との関係を劇的に改善、台湾はほとんどの国から外交関係を切られ、国際的孤立を深めて行ったのがこれまでの状況です。※引用記事には「1949年の中台分断後初めて」とありますけれど、実際には、更に遡って1945年の重慶会談で蒋介石と毛沢東が会談して以来。ということになるのではないかと思われます。(当初、「1936年の西安事件の際、張学良に捕らわれた蒋介石が共産党の周恩来と会談して以来」と書きましたが、コメント欄でBill McCrearyさんにご指摘いただきました)。政治的には対立しつつも、経済的には中国の経済発展に伴って、関係は深まる一方であり、もはやお互いに切っても切れない関係になってしまっているのが現実でしょう。私のパソコンは自作機なんですけど、マザーボードはASUS製です。ASUSは台湾の企業ですが、工場は、おそらく中国にある。そんな例は、掃いて捨てるほどあるでしょう。中台間の直行便は2008年は初めて解禁されたけれど、今では1日に何十便飛んでいるのか、台湾を訪れる中国人の数も、凄まじい数に登っているようです。(日本を訪れる中国人だってこれだけ多いのだから、もっと近くて言語が同じ台湾を多くの中国人が訪れるのも道理でしょう)そういった中で、遅ればせながら政治もまた経済の後を追って、両国間のトップ会談がなったのは、喜ばしいことです。もちろん、だからと言って台湾が中国の一部になることを、台湾は認めないだろうし、中国もそれを求めはしないでしょう。実質的には台湾は独立国のようなものであり、その状況は今後も続くのだと思います。次の総統選挙では民進党が勝つかもしれませんが、民進党の前回政権時のことを考えても、独立をにおわす政策くらいが限度で、それ以上のことはしないでしょう。昨日の友は今日の敵、と言えば国民党と日本の右派の関係も同じで、第二次大戦中はもちろん敵、しかし戦後は一転して、中国(共産党)という「共通の敵」の存在から日本の右翼は国民党と深いつながりを維持し続けてきました。日中国交回復後も、自民党内のは、親台派というものが隠然として存在した。その時代の「親台」とは、いうまでもなく国民党の台湾です。だって、当時の台湾はまだ国民党一党独裁の時代ですから。しかし、時代が更に変わって現在のなると、ネトウヨのみなさんは国民党は中国の手先、みたいな見方で凝り固まっているわけです。時代が変わると、敵と味方も変わる、ということなんでしょうね。では、日本のネトウヨは民進党の味方か、というと、まあ今はそうかもしれませんが、多分体質的にはまったく違うのだろうと思います。おそらく、これまた、「大陸がにくい」という点以外に一致点がありそうにない。日本のネトウヨがいちばん喜ぶのは、金美齢とか、李登輝なのでしょうが、彼らは台湾国内で支持があるわけではありませんからね。
2015.11.08
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中国、「一人っ子政策」完全廃止=独自の産児制限、36年で終止符中国共産党の重要会議・第18期中央委員会第5回総会は29日、4日間の討議を終え、閉幕した。閉幕後に公表されたコミュニケによると、中国政府はすべての夫婦に2人目の子供を産むことを認め、人口抑制の国策「一人っ子政策」を完全に廃止すると決定した。1979年から続いた同政策の廃止決定で、世界最大の人口を持つ中国独自の産児制限は、36年で終止符を打つことになった。共産党は2013年の同中央委第3回総会で、一人っ子政策の緩和を決定。「夫婦のどちらか一方が一人っ子の場合、2人目の子供を産むことができる」と規定した。この決定の背景には、深刻な高齢化で労働人口が減少し、経済の安定成長に悪影響を及ぼすとの危機感があった。中国政府は一人っ子政策緩和の結果として出生数の安定的な増加を見込んだ。しかし、2人目の出産を申請する夫婦の数が予想よりも伸びなかったことから、共産党は政策の完全廃止を決めた。---中国における出生率の低下は急激です。公式統計では、2012年の合計特殊出生率は1.66ということになっていますが、実際の数字はそんなものではなく、2010人口センサスによる合計特殊出生率は1.18と報じられています。つまり、中国はすでに日本より合計特殊出生率が低くなっています。かつて、欧米諸国がたどってきた少子高齢化社会への道を、日本は欧米諸国よりはるかに短い期間でたどってきました。中国は、その日本より更に短い時間でたどろうとしています。一人っ子政策は、1979年当時の中国の人口増加率、経済状況などから考えれば、避け難い選択だったのだろうと思います。ただ、それを今まで続けてきたのは、ちょっと止め時を誤ったのではないかと思います。急激な経済成長と出生率の低下が顕著になった時点で、一人っ子政策はやめておくべきだったのだろうと思います。ただし、一人っ子政策をやめれば出生率が上がる、というものでもないでしょう。日本だって、一人っ子政策などないけれど出生率は下がったのですから。韓国・台湾も同様です。多分、中国はこれから出生率を上げようといろいろな政策を考えるのでしょうが、日本と同様、効果は乏しいでしょう。いったん少子社会になってしまったら、多子社会に戻ることはまず考えられません。日本は、2005年に始めて前年度より人口が減少し、2008年以降は継続的に人口減が続いています。中国では、すでに労働人口は2013年から減少に転じています。総人口は現在のところ2023年に減少に転じると予測されています。日本がGDP世界第2位になってから人口が減少に転じるまで、約40年の年月を要しましたが、中国はGDPが世界第2位になってから人口が減り始めるまでに13年しかかからないということになりそうです。
2015.10.29
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デモ「だけ」では変わらない。社会を変えたいなら、政治家になりませんか?政治家がデモを恐れない、一過性のものだと考えることは、必ずしも国民の声を軽視しているわけではありません。しかし、民意として最も大事なものは言わずもがな「選挙」です。選挙で最大の信託を受けた政治家・政党の意思決定が、一時的なデモで覆るようなことがあれば、それこそ民主主義国家と言えるのでしょうか?もちろん、今の選挙制度は完璧なものではありません。一票の格差などの問題もあるし、重要政策ごとに国民投票を行い、4年間の空白を埋める仕組みも必要だと思います。それでも現行、客観的に民意を図れる唯一の方法は選挙であり、少なくとも日本はそれが制度上(不正などなく)健全に機能しています。だからこそ、民意を代表できる唯一の手段は、選挙で当選して政治家になることです。デモも憲法で認められた権利ですし、表現の自由もありますから、当然そのすべてを否定するものではありません。一定の効果はあるでしょう。しかしながら、選挙>>>デモの優先順位が政治家たちの頭の中にあるのは当然であり、むしろそうじゃなければけっこうヤバイだろうという話です。デモなどの市民運動に熱心に取り組む人たちに、「選挙に出て、政治家になった方がいいのではないか?」と直接聞いたこともあります。返ってくる答えは様々ですが、「政界の外から、意見を言う存在も必要」「もう少し力をつけてから挑戦したい」「政治家になるのは、60歳くらいになってから」というものが多かったように思います。そうした考え方を否定するものではありませんが、正直なんだか、政治(政治家)の優先順位って低いんだなあ…と感じたりします。一方でそんな彼らが意見をぶつけようとしているのは、政治家の二世三世や、強固な業界団体の支持に支えられた、政界のスーパーサラブレットたち。あるいは、地盤・看板・鞄のないところから、文字通り地べたを這いつくばって「民意」という名の票を集め、自力で議員バッヂを勝ち取った叩き上げの猛者たちです。タイプは違いますが、政治を一生の生業にしようと考えている彼らに対し、「デモ」という一瞬の風が影響を及ぼすことは、極めて難しいのではないでしょうか。(以下略)---「日本を元気にする会」という、みんなの党の流れを組む党派の音喜多駿という都議会議員のブログです。デモを全否定というわけではないものの、あまり肯定的には捕らえていないようです。しかし、「デモ『だけ』では変わらない」というのですが、そもそも「デモだけで政治は変わる」なんて言っている人がいるんでしょうか。社民党共産党も含めて、政治家でそんなことを言っている人も考えている人も、どう考えたっていないと思いますけど。選挙がとても大事だ、というのはいうまでもない話で、そのこととデモとは相互に矛盾するものではありません。たとえば、選挙運動では、政治家の演説に大勢の聴衆が集まったりします。最近の自民党は秋葉原で演説を開いて多くの聴衆を動員したりするわけですが、選挙に勝つためには、投票所で多くの人に票を投じてもらえばよいわけで、演説会に大勢の人を集める必要は必ずしもありません。演説会に多くの人が集まった候補より、全然人が集まらなかった候補のほうが勝った例だってあります(2014年都知事選)。それでも、選挙のときに少しでも多くの徴収を集めようとするのは、自民党から共産党まで同じです。それに加えてもう一つ、民意の発露の場として選挙がもっとも大事なものであることは事実ですが、選挙が民意のすべてではありません。選挙は何年かに一度しかありませんが、民意は移ろいやすいものです。2年前の選挙で得た圧倒的な議席数を背に、完全に民意から孤立して進退窮まった政権、それは、第一次安倍政権の姿であり、また民主党政権の姿でもあったわけです。もともと、現在の選挙制度は小選挙区制を貴重としており、第1党が得票数よりずっと多くの議席数を独占できる、民意を正確に反映しない制度です。自民党政権も民主党政権も、選挙では圧倒的多数の議席数を占めましたが、得票率は議席数ほど圧倒的多数だったわけではありません。そういう選挙制度の中で、選挙に勝った=政策について白紙委任された、というわけではないことは言うまでもありません。そういった、選挙結果と民意の不整合は多々あることであり、その補正の手段の一つとして、デモや集会というものもあるわけです。で、安倍首相の取り巻きから、「支持率も下がるだろうが、国民は時間がたてば忘れるだろう」という発言が出たと報じられています。ふーーん、そう思っているんだ、なるほどね。しかし、今回の安保法案は、自衛隊の海外派兵に道を開く法案です。過去の自衛隊の海外派遣では、奇跡的にも任務中の死者は一人も出ていませんが、今後はそうは行きません。死者が出る可能性はPKOとは桁がいくつも違うくらいに高い。現在想定されている海外派兵は、だいたい海上自衛隊が多いようですが、敵の爆撃でも食らって命中弾でも受けたら、一度に何十人も戦死するかもしれない。そのとき、国民の多くは、安倍が安保法案をごり押ししたことを、そう簡単に忘れるでしょうかね。
2015.07.17
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中国で「犬肉祭」…「何が悪い」と1万匹、盛大に食べ尽くす 世界から約400万人が抗議「犬食いねぇ!」とばかり、中国南部の町で6月下旬、「犬肉祭」が繰り広げられた。2日間で胃袋に収まったされる犬は約1万匹。世界の動物愛護団体などの猛抗議を受けながらも、住民らは「伝統の食文化。どこが悪い」とどこ吹く風で、盛大に食べ尽くしたという。犬肉祭が開かれたのは、ベトナム国境に近い広西チワン族自治区玉林市。夏至に合わせた恒例行事だ。米紙ニューヨーク・タイムズは現地ルポを掲載している。通りにはたくさんの食卓が並べられ、皿には犬料理がてんこ盛り。その裏で、狭い檻に詰め込まれた犬たちが次々に撲殺され、大鍋で調理されて行く。その過程を黙々と撮影する反対派の活動家と、活動家たちの動きを監視し続ける怪しげな男たち…。異様な敵意と緊張感が漂う犬肉祭の様子を伝えている。「あまりに残酷だ」と、開催反対を訴えるサイトへの署名は世界的に約400万人に達したという。しかし、住民らは「アメリカ人は七面鳥を食べる。許されるのか」と反論。インターネット上では、牛や豚は良くて、なぜ犬はいけないのか-などと、西洋的価値観の押しつけ、偽善だと反発する声も少なくない。実は別の問題もある。年間1千万匹とされる中国の犬肉需要。「養犬場」だけでは足りず、犬肉業者がペットの犬を盗んだり、不衛生な野犬を集めたりしているという。金儲けのための犯罪行為であり、犬泥棒に批判は強まる。そもそも養犬場の存在自体も驚きだ。同紙では「日本人はカエルの刺身を食べている」なんて頓珍漢な現地の反論も紹介しているが、それはさておき、韓国や東南アジアでも滋養強壮に効くとして、犬肉食は残っている。食文化をめぐる論争は、“犬も食わない話”で終わるわけにはいかないようだ。---例によって産経新聞の記事ですけど、世界の動物愛護団体が「日本の捕鯨はけしからん」と言うと顔を真っ赤にして怒ってみせる産経新聞も、世界の動物愛護団体が中国の犬食を批判すると、そうだそうだとばかりに、尻馬に乗って見せるわけです。まったく馬鹿馬鹿しいまでのダブルスタンダードです。私の相棒は、犬大好き人間なので、犬を食べるなんて聞くと目を三角にしてしまいそうですが、私自身は、自分が食べたいとは思わないけど、目くじらを立てるべきものとは思いません。まさしく、牛や豚(七面鳥でも)を食べてよいのに犬を食べてはいけない、なんて理屈はとおらないよなと思います。その理屈をとおすなら、まさしく、鯨やイルカを食べることも許されないということになる。いや、牛も豚も七面鳥も犬も、家畜(家禽)ですから、乱獲で生態系を破壊するという危険はないのに対して、クジラやイルカは野生生物ですから、乱獲は生態系を破壊しかねないという危険もあります。(ただし、現在では一部の種を除いて、クジラやイルカは絶滅の危機にあるわけではない)その裏で、狭い檻に詰め込まれた犬たちが次々に撲殺され、大鍋で調理されて行く。とありますが、動物の肉を食べる、というのはそういうことでしょう。われわれが日常生活で食べている牛豚鶏肉は、どこかの工場で肉の形で自動的に生まれてくるとでも思っているのでしょうか。単に屠殺されるところを一般の消費者は見ていない、というだけの話です。そういえば、ラテンアメリカでも、先住民色の強い地域では、市場で生きたまま鶏が縛り上げられて転がされて売られているのを見かけることがあります。買ったその場で絞めてしまうのか、家に持ち帰ってから絞めるのかは知りませんけど、動物の肉を食べるとは、そういうことです。ただ、ペットの犬を盗んでくるという、それだけは確かに問題ですね。それは、どこの国でも(中国でも当然)犯罪行為でしょう。一方で、野犬を集めるのが不衛生だというのであれば、野生動物を食べること一般に不衛生ということになってしまいます。生で食べるならともかく、加熱して食べるのだから、問題ないでしょう。そもそも養犬場の存在自体も驚きだ。とありますが、食肉としての需要があれば養殖施設があるのも当たり前の話で、何を驚く必要があるのでしょうか。だいたい、日本だって犬を食べこそしないけど、捨て犬、野犬が相当の数、殺処分されているわけで、それは残酷じゃないんでしょうか。食べるために殺すのは悪くて、殺しても食べない殺処分は悪くないのでしょうか。「日本人はカエルの刺身を食べている」というのは確かに頓珍漢な言い分です。しかし、クジラの刺身は食べています。(私は、父の存命中にクジラの刺身は食べたことがあります。たぶん7~8年前だったと思います)「世界の動物愛護団体」から見れば、カエルの刺身など問題にもならない(絶滅危惧種でない限り)一方、犬食もクジラ食も、似たようなものとしか見えないでしょう。
2015.07.05
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中国の抗日戦勝記念行事、安倍首相にも出席打診か中国外務省の華春瑩報道官は24日の定例会見で、抗日戦争勝利70周年の記念行事に安倍晋三首相の出席を要請したことを示唆した。軍事パレードなどの記念行事は9月に実施される公算が大きが、中国政府はこれまでのところ、どの国の首脳を招いたかについては明確にしていない。(以下略)---10日以上前の記事ですが、こんな報道がありました。それに対して安倍の反応は、公式には不明ですが、欠席の方向と報じられています。参加すべきと思いますが、あの安倍ですから、参加するわけないな、とも思います。今から10年前のロシアの対独戦勝60周年記念式典には、ドイツも招待されて出席しています。(当時シュレーダー政権)そして、日本も招待されて小泉首相が出席している。今回対独戦勝70周年式典は、ウクライナ問題の影響などで先進国の元首は軒並み欠席のようですけどね。(安倍は、こちらも招待されているが欠席の意向らしい)一部報道で、今回の中国の抗日戦勝記念式典に欠席する理由として、軍事パレードがあるから、と言われますが、軍事パレードなど、ロシアの対独戦勝60周年式典のときだってありましたから、理由になっていません。要するに、かつて敗戦国だった国のトップとして、自国に対する戦勝記念式典に出席するという度量が、シュレーダーにはあったけど安倍にはない、ということなのでしょう。もちろん、単なる度量だけの問題ではなく、和解と友好関係のアピールという側面もあるのでしょうが、そういうアピールをする気も、安倍にはないのでしょう。残念なことです。
2015.04.06
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尖閣諸島「現状維持で合意」 82年に鈴木首相が発言沖縄県の尖閣諸島の領有権をめぐり、1982年に鈴木善幸首相が、来日したサッチャー英首相との首脳会談で、中国との間で問題を実質的に棚上げしている、という趣旨の説明をしていたことがわかった。両首脳のやりとりを記録した文書を、英公文書館が12月30日付で機密解除した。日英首脳会談は82年9月20日に首相官邸で行われた。文書によると、鈴木氏は尖閣問題について、「(中国のトウ小平氏と会談した際に、日中)両国政府は大きな共通利益に基づいて協力し、細部の違いは脇に置くべきだとの結論に容易に達した」と説明。「具体的に問題化することなしに現状維持で合意し、問題は実質的に棚上げされた」と語ったという。トウ氏の態度について鈴木氏は、「極めて協力的で、尖閣の将来は後世の決定にゆだねることができると述べた」と話し、「それ以来、中国が尖閣諸島に言及することはなくなった」と説明した。---以前に、棚上げ合意については記事を書いたことがあります。棚上げ合意はあった (追記あり)イギリスの外交文書を持ち出さなくとも、棚上げ合意があったことは明白なのです。ただ、この記事を書くにあたって、私も当初はその棚上げ合意が何か秘密協定のような類だと勘違いしていて、そのような趣旨で記事を書いてしまいました。(すぐに訂正したけれど)事実は、秘密協定でもなんでもない、日本の各マスコミは当時、尖閣諸島領有権をめぐる日中の対立は「棚上げ合意した」ということを大々的に報じていますし、日本政府、外務省当局は、それらの報道を否定するようなことはひとことも言っていません。日本側の公式な議事録によれば、首脳会談の場において、中国側が勝手に「棚上げ」を口にして、日本側はそれに対して返答しなかったことになっているそうです。それを根拠として、日本政府は「棚上げ合意はなかった」などと言っているのですが、相手国の首脳が勝手に独り言を言っていただけ、なんて話がとおる訳がないのです。その「独り言」に対して反対の意を明言しない時点で、同意とみなされるのは当然のことです。しかも、この件に関しての日本側の議事録は、後で操作されている疑いがあります。実際には中国側首脳の棚上げ発言に対して、日本側の首脳も賛同、同意の反応を示したと思われます。そうでないと、首脳会談のやり取りとして不自然だからです。いずれにせよ、日本側首脳のその後の国会答弁や述懐などからも、中国側の「独り言」に日本側も従っていたことは間違いありません。実際問題、棚上げというのはその時点の状況での現状固定ということだから、日本側にとってもかなり有利な話だったのです。つまり、領有権の主張は棚上げするとして、実効支配そのものは日本が行っていたから、引き続き日本が実効支配をする(ただし、うっすらと)ということになるわけです。実際、その後ずっとそのとおりに来たわけです。1978年といえば、私は小学校4年生だったのですが、まだそのような新聞報道に興味を持つような年齢ではなかったので、当時そんな報道があったことを、まったく記憶していませんでした。まして、1978年当時生まれていなかった人なら、知らなくても当然でしょう。それをいいことにして、かつては大々的に報じられていた棚上げ合意を、政府が公然と「合意はなかった」などと嘘をついているわけです。いや、政府だけではない。1978年10月26日の各新聞は、こぞって尖閣の棚上げ合意を報じているそうです。今になって、政府の尻馬に乗って「棚上げ合意なんてない」と主張している産経新聞は、当時「『尖閣』は棚上げ、解決、次世代に待つ」という見出しを掲げていたそうです。棚上げ合意なんてなかったと主張するならば、まずは自らが36年前の報道を誤報として撤回すべきなんじゃないだろうか、と思ってしまいます。ことほどさように、国家というものは自らの都合で平然と嘘をつくものだということです。もちろん、嘘をつくのは日本国だけではないですけどね。中国だって韓国だって、あるいは他のどこの国だって同じです。重要なことは、国家は無謬の存在ではない、ということ。まあ、国家といっても、その運営を行っているのは生身の人間の集合体なのですから、当たり前の話ですけどね。
2015.01.03
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中国中央テレビに登場した元朝日記者「“虐殺”の記憶」今も説き続け…国家レベルに格上げされた南京事件をめぐる宣伝戦は教育現場だけにとどまらない。江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」は7月、インターネット上で事件を多角的に取り扱ったサイト「国家公祭網」を開設した。~7月にはマンガ『南京1937』が出版された。事件の生存者、夏淑琴の証言などが基で、133ページ全編を通じ、旧日本兵が行ったという強 姦や殺戮も含む残虐なシーンが一方的に“史実”として描かれている。~12月7日には歴史公文書を扱う国家档案局が公式サイトでネット動画の配信を始め~その中でも注目されたのが、陥落前後の南京の様子をつづった日記を紹介した映像だ。~執筆者の程瑞芳は南京城内の金陵女子文理学院で学生寮の監督をしていたという。戦時下におかれた女性による日記という観点から、中国版『アンネの日記』と呼ばれ始めている。中国が南京事件を、ナチス・ドイツのホロコーストと同列に扱おうとする狙いがうかがえる。中国共産党の「喉と舌」とされる国営メディアの報道で、12月13日前後は「日本人による証言」が目立った。京都の真宗大谷派教学研究所の研究員、山内小夜子は新華社の取材に、「小泉や安倍による靖国神社参拝は違憲だ」と語った。元朝日新聞記者の本多勝一~は中国中央テレビ(CCTV)が12月12日から5回連続で放送した「1937南京記録」に登場した。インタビューの中で、本多は「私が書いた文章にもし誤りがあれば訂正してもよいが、誤ったとの事実は存在しない」と言い切った。番組は「本多は今も日本国民に南京大虐殺の記憶を説き続け、右翼勢力から攻撃を受けている」と好意的に紹介した。こうした日本人の声を報道で強調する意図を解くカギは、12月13日の式典で習が行った演説にある。「極めて野蛮で残虐である日本の侵略者に偉大な愛国主義精神を持つ中国人民は屈せず、侵略者と徹底的に戦うとの闘志で抗日救国を行った」「一つの民族の少数の軍国主義分子が侵略戦争を起こしたことをもってこの民族を敵視すべきではない」72年の日中国交正常化にあたって毛沢東や周恩来が用いた「軍国主義者と一般人民を区別する二分法」と呼ばれる考え方を改めて持ち出した。歴史認識では一歩も譲らない一方で、「反省する」日本人には好意を示し、日本国内を分断する狙いがみえる。国家を挙げて「宣伝戦」を展開する中国の姿勢は明確だ。---産経新聞が、南京大虐殺という歴史的事実を躍起になって否定したい、という意思はよく分かります。中国の「宣伝戦」に加担する日本人は売国奴だと、そう言いたいのでしょう。でも、犠牲者30万人という数字はともかくとして、南京で非常に大規模の虐殺があったことは、否定しがたい歴史的事実です。その歴史的事実を中国が宣伝に利用したとしても、それは事実なんだから仕方がないことです。「旧日本兵が行ったという強 姦や殺戮も含む残虐なシーンが一方的に“史実”として描かれている。」という記述がありますが、それは一方的でも何でもなく、事実としてそういうことはあったのだから、それが描かれるのは仕方のないことでしょう。それに対して、「南京大虐殺などなかった」という国際的宣伝を日本も仕掛けろ、中国に協力するような「売国奴」(私も、一無名人に過ぎないけど、その一人かな)は黙らせろ、というのが産経の言いたいことなのでしょうが、それは従軍慰安婦をめぐる騒動と同じことで、そんなことをやればやるほど、日本国内で極右勢力の溜飲は下がるかもしれないけれど、日本の国際的な立場は悪化していきます。産経の言う「歴史戦」というのは、戦前の血気盛んな軍人と同じで、主観的には愛国者であり、しかし結果としてやっていることは、日本を破滅に追い込むことなのです。何度も書いてきたことですが、もう一度繰り返しましょう。「自称愛国者そこが国を滅ぼすのだ」と。
2014.12.24
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中国船サンゴ密漁 海上自衛隊を出動できるか?中国漁船が小笠原近海に出没し始めたのは今春からです。9月から急増し、10月末には約200隻にも上る船がサンゴなどを密猟するようになりました。海上保安庁の巡視船だけではこれに対応しきれないので、日本政府は海上自衛隊の艦船を出動させて取り締まるべきだという意見があります。中国漁船は日本の排他的経済水域の中でサンゴ礁を根こそぎさらってしまう乱暴な違法操業を行なっているので、断固とした対策が必要だという気持ちは分かりますが、海上自衛隊の艦船を出動させることについては疑問があります。(中略)海上自衛隊と海上保安庁はどう違うのかをまず見ておきましょう。自衛隊は、外国からの攻撃など脅威を受けた場合に日本国の防衛を任務とする組織であり、そのために必要な装備を備えています。個人による違法行為は日本国にとっての脅威ではなく、したがって自衛隊が出動することはありません。これを取り締まるのは海上保安庁であり、海上での警察と考えてよいでしょう。このように国家の防衛と違法行為の取り締まりは別々の機関が担当することになっています。これは国際的に広く行なわれていることです。海自出動すべきではない3つの理由おびただしい数の中国漁船による密漁は海上保安庁だけでは手に余るとしても、海上自衛隊が海上警備行動として取り締まることについては強い疑問があります。第1に、中国漁船の行動は違法ですが、人命に対する明らかな危険があるわけではありません。したがって、自衛隊法の定める海上警備行動発動の要件を満たさないでしょう。第2に、軍と海上警備隊を分別することは陸上での軍と警察を分けるのと同様、機能の違いに基づいており、装備も大きく異なります。また、国民との関係も違っています。それぞれの役割、機能に最適の組織をあてることは国家として必要なことです。第3に、もし日本が安易に海上自衛隊を出動させると、将来日本の漁船が外国により取り締まりを受ける場合、軍の艦船が出てきても抗議できなくなります。以上のように考えると、海上自衛隊による海上警備行動はあくまで例外的にのみ認められるべきことであり、海上保安庁の力では十分対処できないという理由だけで命令を出すべきでないと思われます。---割合に冷静かつ妥当な論旨であるように思います。尖閣諸島を巡る問題でもそうですが、日本側は基本的に海上保安庁のみが対応しています。もちろん、これは前面に出ているのが海上保安庁という意味であって、背後では海上自衛隊も警戒はしているとは思いますが、前面には出てこない。それに対して、「自衛隊を出せ」と単細胞的に主張する人たちがいます。しかし、尖閣諸島で日本側が護衛艦を出せば、中国側も確実に海軍の軍艦が出てきます。現状は、中国側も国家海洋局の海監(最近、海警局という組織に統合されたようですが)という警察組織の巡視船しか出してきていませんから、日本が海上自衛隊を出せば、日本側から事態をエスカレートさせた形になってしまいます。小笠原沖のサンゴも同じで、こちらは中国政府も公式には漁船の密漁行為を非と認めているから、公然と「自国の漁船を救援するため」という名目で軍艦を派遣することはないでしょうが、日本が護衛艦を出して取り締まれば、別の理由をつけて(例えば、「わが国も取締りについて責任を取る」とか、そんな名目で)軍艦を派遣してくるかも知れません。何しろ、現場の海域は、日本の経済水域内ではあるけれど公海上ですから、そこに軍艦が入ってくること自体は国際法上なんら違法性はありませんから。そういった事態のきっかけとなることを避けるためにも、自衛隊を前面に出すことは避けるべきでしょう。加えて、自衛隊は非武装の漁船取締りを目的とする組織ではないし、護衛艦はそのような目的の船ではありません。実務上、そういった任務を自衛隊の艦艇が得意としているとは思えません。それは、日本に限った話ではなく、海軍とは別組織の海上警備組織を持っている国は、密漁船の取締りなどは海軍の仕事ではなく海上警備組織の仕事としているでしょう。かつて、東西冷戦の時代には、北海道の漁船がずいぶん北方領土周辺の海で旧ソ連に拿捕されましたが、拿捕をしたのはソ連海軍の艦艇ではなく、国境警備隊の警備艦艇です。米国の沿岸警備隊だってそうです。軍隊並みの武力を持つメキシコの麻薬マフィアを相手にすることもありますが、だから沿岸警備隊ではなく海軍が出てくる、ということはないでしょう。陸上で類似例を考えてみると、よく分からない集団が大挙してかすみ網で野鳥の密猟をしています、というのを、警察ではなく自衛隊で取り締まれ、なんてことは、ありえない話でしょう。いくら相手が多いとはいえ、非武装の漁船を相手にするのに海上保安庁ではなく海上自衛隊を出せ、というのでは、海上保安庁という組織は何のためにあるのか、要らないではないか、という話が出てきても不思議はないでしょう。
2014.11.13
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ソウルからヨボセヨ 竹島は泣いている韓国政府が日本海の島根県・竹島(韓国では独島)に新たに計画していた大型施設「独島入島支援センター」の建設を入札段階で中止した。理由は表向き安全性や環境・文化の面などで再検討が必要というが、本音は日本への外交的配慮からだといって韓国マスコミは一斉に非難している。韓国で「独島」は反日・愛国のシンボルに仕立て上げられ、韓国の領有権主張に反する現象にはマスコミを先頭に瞬時に一斉に発熱する“独島教”あるいは“独島ファシズム”みたいな雰囲気が世論を支配している。世界の領土紛争史でもきわめて特異な現象だが、この熱を冷まさせる一つのアイデアとして「環境問題」がある。絶海の孤島だった竹島は長年の韓国による実力支配で埠頭、ヘリポート、警備隊宿舎…さまざまな施設がくっつけられ、傷だらけの満身創痍になっている。そこに毎年、20万人以上が押しかけて上陸し、万歳を叫んだりコンサートをやったりで島は休むヒマもない。ところがそんなに自然を破壊しながら島は何と韓国政府指定の「天然保護区域」なのだ。日本の毎日新聞と韓国の朝鮮日報は共同で長年、環境保護キャンペーンなるものをやっているが、ぜひ「竹島・独島の自然環境を守る運動」をやってください。(黒田勝弘)---韓国が産経のソウル支局長を在宅起訴したことは、言論の自由という観点から容認されざることですが、だからと言って、産経新聞の主張がマトモ、というわけではありません。相変わらずヨタ記事を垂れ流し続けています。韓国で「独島」は反日・愛国のシンボルに仕立て上げられ、韓国の領有権主張に反する現象にはマスコミを先頭に瞬時に一斉に発熱する“独島教”あるいは“独島ファシズム”みたいな雰囲気が世論を支配している。世界の領土紛争史でもきわめて特異な現象だがそれが、本当に「世界の領土紛争史でもきわめて特異な現象」だと思っているのかね。だとしたら、領土紛争というものについて、あまりにも無知に過ぎる。世界的に見れば、領土紛争が文字どおりの武力衝突に至っている例は数多くあります。ウクライナ、イスラエルとパレスチナ、イギリスとアルゼンチンのマルビナス(フォークランド)紛争、印パ戦争、旧ユーゴスラビア紛争の一部・・・・・・・・いくらでもある。それらの武力衝突が起こるとき、国中が一斉に沸騰する状態になっているのは、どこの国でも同じでしょう。例えばマルビナス紛争の際、アルゼンチン軍政は、経済政策の失敗から国民の不満をそらそうという、歴史上よくありがちな動機でマルビナス諸島への侵攻という投機に手を染めたわけですが、侵攻作戦前後、アルゼンチン国民の熱狂振りはすさまじかったそうです。アルゼンチンの軍政は、反体制派の市民約3万人を闇から闇に虐殺した前歴があるから、戦争反対と思った人がいても、それを口に出すことなんて、怖くてできなかった(その中で、敢然と軍政に対して異議申し立てを行った、「5月広場の母親たち」の勇気には敬服するばかりです。母は強し、です)。しかし、戦争がアルゼンチンの惨敗で終わると、国民の支持は一瞬で消し飛びました。怒号が渦巻く中、敗戦の3日後には、ガリチェリ大統領は辞任に追い込まれました。そもそも、ほんの70年前に「満蒙は生命線」とか「大東亜共栄圏」とかいう言葉で国中が熱狂して、ちょうちん行列なんてことを繰り広げたのはどこの国だったか。いや、70年前までさかのぼる必要すらないかも知れません。現在だって、「竹島は韓国のもの」などと日本国内で公言しようものなら、たちまち「反日」「売国」と沸騰する人たち、沸騰する新聞があるじゃないですか。「世界の領土紛争史でもきわめて特異な現象」?黒田記者よ、鏡で自分の顔を見たほうがいいんじゃないか。その「特異な現象」が服を着た姿が、鏡の中に映っているんじゃないかね。そういえば、自然破壊ということなら、日本にも尖閣諸島に「領有権誇示」のために上陸して、ヤギを放した右翼団体がありました。そのおかげで、ヤギは数百頭に増えて、島の植生は丸裸にされそうな状況のようです。
2014.11.08
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韓国:産経前支局長を在宅起訴…地検、大統領の名誉毀損で産経新聞がウェブサイトに掲載した韓国の朴槿恵大統領に関するコラムにより大統領の名誉を毀損したとして、ソウル中央地検は8日、執筆者である同新聞の加藤達也・前ソウル支局長を情報通信網法違反(名誉毀損)で在宅起訴した。韓国国内法を根拠に海外での報道に対して立件するのは異例で、関係改善を模索し始めた日韓関係に再び影を落とすことになりそうだ。外務省幹部は8日、「報道の自由の観点、また日韓関係の点からも遺憾だ」と述べた。(以下略)---産経新聞というのは、唾棄すべき極右新聞です。問題の記事も、いかにもためにする記事で、品がない。が、しかし、それはそれとして、大統領を批判(揶揄)したから名誉毀損、というのは、やはりおかしい。極右新聞であるということは、批判の対象ではありえるけれど、それ自体が犯罪ではありません。そもそも、問題の記事は朝鮮日報の記事の引用なので、名誉毀損というなら引用もとの朝鮮日報も同罪と言うことになるはずです。政権の中枢にいるものが、自分に対する批判に対して、「名誉毀損」という罪名を振りかざして処罰しようというのでは、言論の自由は死んだも同然ということになります。日本でも、名誉毀損は刑事罰の対象になりえますが、実際には言論の自由との関係があるので、民事の賠償金はともかく、販売差し止めとか刑事罰に関しては、極めて慎重に取り扱われますし、取り扱われるべきものです。こればっかりは、(いや、他にもいろいろあるけど)韓国政府の行動には、いかなる意味でも正当性を見出せません。逆の立場で、もし日本で、安倍首相を批判する言論が処罰の対象になったりしたら、どうなるんだ、と思います。
2014.10.09
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格差是正措置はもう必要ない在特会のコアの勢力は大したことないが、ベストセラーになったりして、彼らの主張が社会的な共感を得ているようだ。これに私が「どっちもどっちだ」とコメントしたら、在特会と「しばき隊」の両方から反論が来た。前者が具体的な事実をあげて自分たちの主張を伝えようと努力しているのに対して、後者は「劣化」とか「呆れる」とか罵倒しているが、論理的に成り立っていない。全国の書店から在特会の本を撤去させているしばき隊の脅迫は、威力業務妨害罪というれっきとした犯罪であり、言論弾圧の「萎縮効果」は右翼より大きい。(中略)もちろん在特会の「死ね」とか「日本から出て行け」というデモは、明らかにまともな行動ではないが、彼らの主張は上のように意外にまともだ。それはアメリカの保守派が主張している、格差是正措置(affirmative action)批判と同じだからである。これには歴史的な理由がある。かつてアメリカ人は黒人をアフリカから「連行」し、「奴隷」として酷使した。その後も公民権で差別してきた。それに対する贖罪として、一時的には逆差別することも許される。問題は差別がほとんどなくなった今も、それが必要なのかということだ。私は少なくとも日本では、こういう格差是正措置はもう必要ないと思う。NYTなどは在日と黒人奴隷を同列にみているが、学術書を読めばわかるように、日韓併合は国際的に承認された条約であり、強制連行なんかなかった。在日はアメリカでいえば、メキシコ系移民に近いのだ。少数民族を大事にすることは必要だが、それは機会均等で十分であり、結果の平等を保証する必要はない。ニューズウィークにも書いたように、在日や同和の特別扱いは、役所やマスコミの事なかれ主義で残っているだけだ。(以下略)---池田信夫が、とうとう在特会の主張は「意外にまとも」と言い出しました。要するに、平等主義大嫌い、公平重視大嫌いの競争原理至上主義者である池田と、在特会の親和性が高い、ということなのでしょう。在特会側の池田先生、これらの在日だけの特権も問題では?東京23区では在日朝鮮人の子供に補助金が支払われ、江戸川区では、朝鮮学校は1人につき年間19万2000円。南朝鮮・中華学校には1人年間18万円が給付 という書き込みを見て「具体的な事実をあげて自分たちの主張を伝えようと努力している」などと言っていますが、事実の一部だけのつまみ食いが「具体的な事実」になるのか、というところです。「江戸川区では、朝鮮学校は1人につき年間19万2000円。南朝鮮・中華学校には1人年間18万円が給付」というのが、「在日特権」なるものになりえるとしたら、それは日本人の通っている学校には補助金がない(あるいは少ない)場合です。そこに頬かむりして、年間18万とか19万という数字だけ見て「在日特権」だ「逆差別」だと騒ぐのは、頭が悪過ぎる。もちろん、日本の学校にも公的な補助金があります。私学助成は、憲法第89条との関係で、合憲性が問われることがありますが、政府の公式見解では合憲とされています。で、その金額ですが、例えば東京都のホームページによれば、私学助成の3/4を占める経常費補助が、1校当たり高校2億7千万円、中学1億4千万円、小学校1億2千万円です。同じく東京都の統計資料から、各私立学校の1校当たりの児童生徒数を計算すると、高校約743人(237校で17万4千人)、中学407名(188校で7万6千人)、小学校491名(53校で2万6千人)です。一人当たりの補助金額は、高校36万円あまり、中学34万円あまり、小学校24万円あまり。これ以外の補助金もある(経常費補助が全体の3/4ということから、大体の数字は推測できます)。朝鮮学校がもらっていると言う補助金より、日本の私立学校の補助金のほうが高いことは明白なのです。格差是正措置はいらない、とまで断言していますが、「問題は差別がほとんどなくなった今も」って、いったいどういう事実認識なのでしょう。米国に、黒人差別は明らかに残っているでしょう。もちろん、公的な差別はないですが、私人間の差別は残っているし、何より黒人の平均収入が白人より少ないのは、各種統計から歴然としています。もちろん、平均値だから、個別に見れば黒人の大金持ちも、白人の貧困者も、いくらでもいるけれど。在日韓国・朝鮮人が米国の黒人に当たるのか、メキシコ系に当たるのか、なんてのは、どうでもいい話です。黒人系だって全員が奴隷の子孫ではありません。確か以前、同じ池田信夫の文について指摘したことがあったと思いますが、例えばオバマの父親はケニアからの移民であって、奴隷の子孫ではない(母親は黒人ではない)。池田が槍玉に挙げるアファーマテイブ・アクションに関していえば、メキシコ系(を含むヒスパニック)も優遇措置の対象です。で、前述の朝鮮学校の補助金は、日本の私立学校の補助金より安いんだから、これは優遇措置でも何でもありません。機会均等だけで十分だ、とも書いていますが、機会の均等というのは、そんなに簡単な話ではありません。家庭環境も、学問に取り組む環境も、何もかも違う条件なのに、試験だけは公平に、というのが、「機会均等」になるのか、そんなのは、外見だけを取り繕っているだけの話ではないか、と私は思うわけです。前提条件を均等にした上で初めて、機会の均等という言葉が意味を持つ。でも、前提条件を均等にすることなんて、実際には不可能だからこそ、次善の策としてある程度の結果の平等(米国のアファーマティブアクションだって、結果の平等を完璧に保証しているわけではなく、だからこそ今も白人と黒人に歴然たる格差が残っている)を保障するしかないわけです。ちなみに、米国はともかく、日本ではアファーマティブアクションは、行われていません。「在日特権だ」と言われるもので、実際には日本人より優遇されているものなど、ほとんどない。それにしても、しばき隊は「劣化」とか「呆れる」とか罵倒している、のだそうですが、(その事実自体は否定しません。私も、しばき隊の主張はともかく、行動には賛成できない部分もあります)批判対象者に対して罵倒暴言を繰り返してきたのは、他ならぬ池田信夫自身です。他人は罵倒するけど、他人に罵倒されるのは許せない、ということなんでしょうね。
2014.10.04
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産経報道「悪意で重大」=外相会談で提起「当然」―韓国外務省韓国外務省副報道官は12日の記者会見で、産経新聞ソウル支局長が朴槿恵大統領の名誉を毀損したとして検察の出頭要請を受けていることに関し、「産経新聞の報道は、根拠のない流言飛語を基にして国家元首の名誉を傷つけた悪意の報道で、非常に重大な事案だ」と強調した。その上で、岸田文雄外相と尹炳世外相の日韓外相会談で同問題が取り上げられたことについて、「韓日関係の発展について論議する過程で、国民感情が傷ついてはいけない。こうした意味で言及したものだ。この事案を論議するのは当然だ」と述べた。---産経新聞は最低最悪のネトウヨ機関紙だし、その主義主張にはかけらほども同意をしません。ただ、批判の正当性は別の問題として、政治家に対する批判というものは、国内からであれ国外からであれ、当然にあります。批判されるのがいやなら、政治家などやるべきではない。まして、批判がけしからんから刑事罰もなんてのは、言論の自由の否定以外の何物でもありません。それは、産経新聞の記事の内容に対する賛否とは別の次元での話。私は該当の記事を読んでいないので、その内容が「根拠のない流言飛語」なのか否かは分かりませんが、他の報道によると、問題の記事は朝鮮日報のコラムを引用したものだそうです。だとすると、朝鮮日報の報道は名誉毀損にならないの?という疑問が当然生じます。いずれにしても、産経新聞の編集方針が韓国の国民感情をいたく傷付けるものであることは明らかですが、だからと言ってそれを政府が(韓国政府であれ日本政府であれ)取り締まる、というのは極めて問題です。したがって、そのような問題を外相会談で取り上げるというのは、どんなものだろうなと思うわけです。報道によると、産経の支局長を告発したのは「自由守護青年団」と「独島を愛する会」という団体だそうです。名前を見ただけで、韓国の右翼団体だなということが容易に推察できます。日本で言えば、在特会あたりの団体が「韓国の××新聞の安倍首相に対する報道は名誉毀損だ」と告発して、それに基づいて日本の検察が取調べを行う、というのに近い。そんなことが起これば大問題であり、日本の言論の自由、報道の自由が死んだと言われても仕方がないと思うのですがねえ。
2014.08.12
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慰安婦ツアー 7月23日《そこへどやどやと、長ぐつをはいたあくまが、はいってきました》。「あくまは長ぐつをはいてきた」という物語である。悪魔にたとえられた旧日本軍の将兵が、中国の村民を広場に集め、皆殺しにする場面に続く。▼かつて、大分県の小学生の冬休み用教材に掲載されていた。県教職員組合が編集したものだ。たまたま自宅で目にした父親は、あまりに偏った内容に衝撃を受けたという。▼平成20年に発覚した、大分県の教員の採用をめぐる汚職事件では、県教育委員会と教職員組合との長年にわたる癒着体質が指摘された。外部のチェックがきかない、特異な組織のありようを、当時のコラムで、秘密結社になぞらえたものだ。▼その秘密結社が、今度は旅行業に乗り出した。県内の中学生と保護者を対象に、新聞広告で韓国旅行を募集していた。旅行業法違反だが、問題の本質はむしろ、旅行の内容にある。訪問先のひとつ、「日本軍『慰安婦』歴史館」は、元慰安婦女性が共同生活を送る「ナヌムの家」にある展示場だ。韓国通の同僚記者によると、ボランティアの説明を含めたあらゆる展示が、慰安婦=性奴隷であることを強調している。▼「西大門刑務所跡」では、日本による弾圧の歴史を学ぶことになっている。韓国と日本の左派勢力の言い分そのままの、日本の“悪行”をたっぷり見せつけられるわけだ。このツアーが格安なのは、県教組が助成金を出しているからだという。金の本当の出どころが気になるところだ。▼日本の観光客が最近激減している韓国にとって、渡りに船の企画であろう。しかも、子供たちに反日思想をたっぷり刷り込むことができる。慰安婦問題を中心にすえた、歴史戦にますます精が出ることだろう。---「旅行業法違反」だそうですが、実際のツアーの実務自体は、登録された旅行会社が行っているわけで、大きな問題ではないでしょう。いみじくも、引用記事にあるように、「問題の本質はむしろ、旅行の内容にある。」というところが、産経の言いたいところなのでしょう。「歴史戦」という言葉が産経は好きで好きで仕方がないようですが、まあ実に、戦争が好きなんですねえ。「歴史戦にますます精が出ることだろう。」とありますが、精が出ているのは自分自身だろ、と言いたくなります。自分にとって気に入らない歴史観を、「戦争」で排撃して、自分好みの歴史観で国内を統一しよう、ということなのでしょう。世が世なら、私など本当に粛清されちゃうかもね。いや、冗談抜きに、最近本当に「世が世」になりそうな気配もありますが。産経にとって不愉快なツアーだということは分かりますけどね、だからと言って任意で一般公募するツアーの内容にイチャモンをつけてもはじまりません。お前らがそれに反発するなら、対抗して「愛国ツアー」でも開催してみろよ、ということに尽きます。しかし、産経はそういう道を選ばずに、反戦ツアーの実施を妨害する道を選んだわけです。言論の自由も思想信条の自由もない、というわけです。まあ、産経がそういう体質の新聞であることは、今にはじまった話ではないですけどね。
2014.07.23
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