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2013.01.20
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テーマ: ニュース(99411)
橋下市長が中止要請の桜宮高入試、継続軸に調整
大阪市立桜宮(さくらのみや)高校の体罰問題に絡み、市教委が、橋下徹市長から要請されている同高体育系2科(体育科、スポーツ健康科学科)の今春入試での募集中止について、「この時期の募集中止は極めて困難」として、入試継続を軸に調整していることがわかった。
ただ、橋下市長の中止意向は強く、21日に開く臨時教育委員会議には市長の意向に沿った代替案も用意したうえで、最終決定する。
市教委は、橋下市長から体育系2科の募集中止を求められた15日以降、公立高入試を合同実施している大阪府教委と協議してきた。
府教委では、松井一郎知事の要請に基づき、体育科志望の受験生の受け皿として、体育科を持つ府立高2校の定員増を検討したが、日程的にも、教職員や教室などの確保が間に合わず、実現は難しいと判断した。

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橋下市長はもともと体罰肯定派で、今回の問題発覚後になっても体罰肯定論をいい続けてきたのに、突如として体罰否定論に転じたそうです。過去の体罰肯定論に関しては誤りを認めて、「スポーツ指導で手を上げることは、あり得ると思っていた」「考えを改めて猛反省している」と言っているとか。自分自身の非は認めず、他者を批判することが何かと多い人物ですが、この問題に関しては自分自身にも非があったことを認めているのは、正しい態度と言えるでしょう。
ただ、急転直下突然態度を一変させたことについては、どうも額面どおりには受け取りにくいのです。カメレオンのごとく、世論の動向次第で主張を変えてきた人ですから、今回も、世論が体罰に批判的であることを嗅ぎ取って(特に遺族の前で体罰肯定論をぶつのはイメージが非常に悪いであろうことを計算して)主張を変えたのでしょうが、何となく、この一件もまた教員叩き、公教育叩きに利用できる、というような打算もあったのではないかっていうのは、考えすぎでしょうか。

いずれにしても体罰は大問題ですが、問題の高校の体育科募集中止という「対策」が妥当とは、私には思えません。このような「対策」は、私の感覚でいうと、高校野球で不祥事のあった学校に出場辞退に似た雰囲気を感じてしまうのです。
指導者や教員、野球部員(甚だしい場合は野球部と無関係の在校生でも)による暴力その他の非行事件によって、甲子園への出場を辞退させられる(実質的には出場権剥奪)例が時々あります。誰か一人が問題を起こしたら、連帯責任で学校全体、野球部全体に制裁を与えるわけです。どうも、こういうやり方には違和感を感じざるを得ないのですが、それでも甲子園の出場辞退レベルの話なら、学校がなくなってしまうわけではありません。たとえ不祥事があっても、その学校を志望する(野球部を目指す)生徒が大勢いるのも現実です。

問題は、この教員が引き起こした体罰事件にある以上、行うべきは、この教員にどのような制裁を与え、この学校(学科)の体質をどのように変えて体罰を一掃するか、ということだと思うのです。しかし、連帯責任で募集停止というのは、体罰事件に対する制裁を、この学校を志望している子どもたちに負わせるのに等しい行為です。



大阪市立桜宮高校で体罰を受けた男子生徒(17)が自殺した問題を巡り、今春の入試で同高体育系2科の募集中止を求める橋下徹大阪市長が発言をエスカレートさせている。
同高教員の総入れ替えや廃校の可能性まで言及。在校生や受験生の思いをなおざりにした対応に批判が上がる。
「炎の源は教員であり、生徒の意識であり、保護者の意識だと思う。この炎を消すために、まずは教員を入れ替え、生徒、保護者の意識を改めていく」
18日に開かれた市議会文教経済委員協議会で、橋下市長は、体罰問題を火事に例え、意識改革のために教員の総入れ替えを訴えた。(以下略)

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なんだかねえ、「炎の源は教員であり」これは歴然たる事実であり、まったく異論ないのですが、「~生徒の意識であり、保護者の意識だと思う。」・・・・・・なんでそうなるの??教員の起こした不祥事で、どうして生徒(あるいは保護者)の意識が問われるのか、筋違いも甚だしいように私には思えます。
「意識改革」なんて言っているけど、「体罰はいけない」という意識改革よりも、「橋下市長には絶対服従」って意識改革が優先されているんじゃあるまいか、という気がしてなりません。


もし、連日のように何十発も殴られていたとすれば、子どもの人格形成には、相当の悪影響が生じるとしか思えません。
体罰で成績が上がるって話もありますが、それはどうでしょうか。
「畳と兵隊は叩けば叩くほど強くなる」なんて言って新兵に対する陰惨ないじめが常態化した軍隊が、かつてどこかの国にありましたが、まるでそれを髣髴とさせる話です。あるいは、サーカスで猛獣を鞭で威嚇して芸を仕込むような。いずれにしても、それは「人間に対する」教育法とはいえません。それに、内務班で陰惨ないじめで「鍛え」られていた日本軍は、そのような陰惨ないじめのない(少なくとも日本軍よりは少ない)米軍に完敗したわけです。
そもそも、教育的判断に基づいて行われる体罰が、いったいどれだけあるんでしょうか。教育的判断など関係なく、その時々の感情に任せてただ殴っているだけという例のほうがずっと多そうな気がします。





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最終更新日  2013.01.20 23:40:56
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