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2014.06.05
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テーマ: 戦争反対(1263)
カテゴリ: 戦争と平和
英霊の遺骨を放置 日本の「負けっぷり」の悪さ象徴


113万柱が未帰還
ベトナム戦争後20周年記念の1995年、訪越したウィリアム・ペリー国防長官の第一声は「未だ行方不明となっている将兵の捜索に協力してほしい」だった。米国は遺体・遺骨を確認するまで捜索。その間は「戦死者」として数えず「行方不明者」と呼ぶ。
(中略)
ツルや米国の情念に比し、異国や孤島に英霊を放置して恥じぬ戦後日本の様は哀し過ぎる。彼の戦争において、外地で亡くなった大日本帝國陸海軍の将兵や軍属、一般邦人は240万人。内、113万柱の遺骨が野晒しか、海底に眠る。沈没艦艇や国によっては遺骨収集が困難な場合もあるが、即収集可能な遺骨は60万柱近くに達す。
遺骨収集事業は厚生労働省社会・援護局外事室が中心となって行われている。ところが、収集作業の中核となる外事室員はわずか40人。2013年度中に国内外に派遣された政府職員は延べ161人で、身元鑑定の専門家やボランティアが延べ310人だった。予算も18億円に過ぎぬ。
(中略)
戦没者に対する立ち位置は、今この時も戦闘を続ける米国と、大東亜戦争後は一度も戦わずに済んでいる日本とでは、皮膚感覚が異なる。だからこそ、現在の日本の平和と繁栄が、帝國陸海軍将兵らの犠牲の上に成り立っている史実を心に刻まねばならない。
(中略)

敗戦の総括を怠る日本
埋葬書に記載された名も無き戦士はものを言わぬ。ただ、米国は戦争の度に学習し、将兵の安全を向上させる手段を含め「勝利の方程式」の改定を繰り返す。毎回、幾つもの「解」を引き出すが、将兵に敬意と名誉を与える国家の責任こそ、平和を守る最も重大な国家戦略-との「解」だけは不変だった。民主国家が授ける将兵への敬意と名誉は、戦場に行かせるための“餌”などではない。将兵と一体と成り、国を護らんとする国民の感情より芽生えた「文化」であり「国是」である。
一方、日本は大東亜戦争にまともに向き合いもせず、合理とはほど遠い無意味な反省ばかりを口に出し、なぜ負けたのかを分析する、政府による本格的総括を怠ってきた。従って、安全保障に関し思考停止し、軍の保有や集団的自衛権がもたらす抑止力向上の重要性も理解できない。自衛官を「他人」と位置付け、自衛官との国防上の一体感に乏しいので、自衛官に敬意と名誉で接する「文化」も「国是」も育たない。帝國陸海軍将兵に至っては、戦争責任をなすり付ける対象か「戦争に駆り出された悲劇の道具」とのみ思い込む。靖国神社の英霊を「心ならずも戦死された」と“悼んだ”小泉純一郎氏は後者の類い。「進んでお国のために戦った」軍人がおられなかったら、この国はとっくに滅んでいる。日本国民は、敗戦から何も学んでいない。
「負けっぷり」が悪すぎる。

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まあ、何というか、いかにも産経らしい、馬鹿馬鹿しい限りの記事です。

祖国の独立と自由のため、尊い命を捧げられた113万柱もの海外戦没者が未だ、ご帰還を果たさずにいる無様

冒頭の、この一文を読んだだけで、私は、もうダメなのです。あまりのトンデモぶりに、ほとんど気が遠くなりそうです。「祖国の独立と自由のため」に日本兵は死んだのか?そして、「尊い命を捧げられた」「ご帰還」この表現は私にはどうも「イッちゃっている」としか思えないのです。

米軍が、自軍の戦死者の遺体回収を、かなり徹底的に行うことは事実です。確か大岡昇平の「レイテ戦記」に、レイテの戦場で米兵の遺体が放置されているのを目撃した日本兵は、きわめてわずかしかない、という記述がありました。
でも、その米軍だって、例えば沈没した艦船からの遺骨の収集はできません。海底深くに沈没した船からの遺骨収集は、技術的に不可能でしょうが、ハワイ・真珠湾攻撃の際に撃沈された戦艦アリゾナ※は、船体の一部が海上に頭を出している状態でしたが、管内の遺骨収集はあまり行われていません。不可能ではないにしても、危険性が高いためでしょう。

戦没者に対する立ち位置は、今この時も戦闘を続ける米国と、大東亜戦争後は一度も戦わずに済んでいる日本とでは、皮膚感覚が異なる。

というのも、ある種の思い込みに過ぎないだろうと思うわけです。単純なはなし、戦時中の日本が遺骨(遺体)を放置したから、戦後に多くの遺骨が残される事態になったわけです。遺体どころか、撤退時に運べないからと、まだ生きている戦病者、戦傷者を置き去りにしたり、自決を強いたり殺したりして、捨ててきた例も数多くあります。冒頭に紹介されている西南戦争だって、結局、政府が遺体の回収などをやらなかったから、遺族がやったわけでしょう。



「大東亜戦争(太平洋戦争)にまともに向き合いもせず」も、「なぜ負けたのかを分析する本格的総括を怠ってきた」も、いずれも産経に代表される極右勢力にこそ言えることでしょう。太平洋戦争をひたすら美化し、それを批判的に分析することをひたすら拒否してきた勢力の代表が産経新聞だからです。

まあ、ひとことで言って、タイトルのとおりです。遺骨も大事ですが、生きている人の命はもっと大事です。私的制裁の嵐の中、無謀な戦争に送り込まれて、戦死を強いられた後で遺骨を大事にしてもらうのと、幸せな人生を送って、死後に遺骨を省みられないのと、どちらを選ぶかと問われれば、一瞬の迷いもなく、私は後者を選びます。





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最終更新日  2014.06.05 22:59:16
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