2008年01月07日
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カテゴリ: メキシコ
今日のまとめ

1. スペイン統治下での経済政策が封建的な地主制度のはじまりだった
2. メキシコ株ブームは米国投資家の新興国投資の火付け役となった
3. 格差是正の遅れがチアパスの蜂起を誘発した

■古代文明

 メキシコには古くから幾つもの重要な古代文明が栄えていました。紀元前1200年頃にメキシコ湾岸のサン・ロレンツオならびにラ・ベンダなどを中心としたオルメカ文明がその最初のものです。オルメカ文明は高さ3メートルもある巨石人頭像で有名です。またユカタン半島では紀元前200年頃からマヤ文明が栄えました。同じ頃、オアハカではサポテカ文明が栄えます。さらにメキシコ中央高原ではティオティワカン文明が紀元後200年頃展開しました。これらの文明の最後を飾るものが13~16世紀にわたって栄えたアステカ文明です。

■スペインの登場

 1519年、スペインのエルナン・コルテスが軍隊を率いて到着し、2年にわたる戦争の末、アステカはスペインに征服されます。スペインは君主国家制度のもとではじめて様々な王国がひとつの国家の下に統一されるわけです。征服者のスペインは軍功のあったスペインの兵隊に土地を与え、これが後々までメキシコの社会に影響を残す封建的な地主制度のはしりとなりました。エンコミエンダ制度と呼ばれるこの制度のもとでは農民は特権階級の地主の「私有物」として扱われ、貧富の差が生じました。

■独立

 1810年頃までにはそういう体制に対する不満は極点に達していました。ナポレオン戦争で欧州が混乱した機にメキシコは独立を成し遂げるわけです。しかし独立後も外国からの干渉は絶えず、1848年にはそれまで自国の国土であったテキサスやカリフォルニアなどの土地をアメリカに奪われます。

■メキシコ革命

 19世紀を通じてメキシコの大部分の国民は私有財産権を認められず、基本的人権も保障されていませんでした。そうした扱いに対する反感から10年に及ぶ内戦が続き、1917年に漸く憲法が制定されます。この一連の内戦をメキシコ革命と呼びます。メキシコ革命を推進したのはPRI(制度的革命党)と呼ばれる政党です。

■ラテン融資ブーム

 PRIは保護主義色の強い、「大きな政府」による経済運営を目指します。しかし20世紀終盤までには「平等と成長」というPRIの政策目標は忘れられ、再び特権階級中心の、沈滞した経済になりました。1970年代のオイル・ブームで巨額のオイルマネーが米国のマネー・センター銀行に預金され、その余資活用先としてラテン・アメリカ諸国への融資ブームが起こります。メキシコもこのブームで大量の対外債務を抱え込むことになりますが1980年代に入ってからの原油価格の低迷でラテン・アメリカの諸国は債務危機を経験します。

■メキシコ株ブーム



■ペソ危機

 NAFTAは1994年1月に発効しますが、メキシコ株式市場は高値波乱の局面に入ってゆきます。それというのもNAFTAについてはメキシコ国内では賛否両論あり、特に貧しい人々にとっては損な取り決めだという不満がありました。この国民感情を代弁する格好で南部のチアパス州でサパティスタと呼ばれる革命運動が蜂起します。このサパティスタというのは1910年台のメキシコ革命の時代の「革命の志士」、エミリアーノ・サパタの名前を借りた運動であり、その指揮にあたっているのは「マルコス副司令官」というあだ名の、正体不明の運動家で、頭からすっぽり黒い覆面を被ったその容貌は世界の投資家を震撼させました。このサパティスタ運動はメキシコの軍隊によって数日のうちに制圧されるのですが逃げ足の速い国際投機資金によって演出されていたメキシコのブームは終焉します。これが所謂、「ペソ危機」の顛末です。





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最終更新日  2008年01月08日 11時31分52秒
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