2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全9件 (9件中 1-9件目)
1
灯台下暗し・・ではないですが自分の住んでる近くに、こんな素晴らしい人が居たのか?と驚きでした。山元加津子さんのお名前だけは、最近、耳にしていて養護学校の先生で、全国を講演していらっしゃる方だということだけは知っていました。一昨日のくまもりの親睦会で、加津子さんの講演会などを応援、企画しているという新会員さんから講演会のCDを受け取り昨日、作業をしながら聴こうかなぁと思ってつけたけれど・・作業の手は進みませんでした(^^;まず!なんて優しくてあったかい!癒し系の声なんだろう・・・:*:・( ̄∀ ̄ )。・:*:・うっとりです。その語り口に、ちょっと軽い衝撃を受けました。 1番最初は、「きいちゃん」という素晴らしい女の子のお話です。詳しい話は、あえて書きません。山元加津子さんのHPで、そのCDや本などを紹介しているので皆さんも、是非、手に入れられて聞いて(読んで)みて欲しいです。きいちゃんを聞きながら号泣しましたが・・ほっこりと笑わせてくれるあったかなお話もあって・・涙あり、笑いあり・・そして考えさせられました。最後の「雪絵ちゃん」のお話は・・特別、心に残りました。『1/4の奇跡~本当のことだから』という映画の上映会などもあるようで・・早く映写会や講演会に行き、山元加津子さんに、お会いしたいと思いました。ハンデを持つ方々がいるおかげで・・私たちも存在できている。ゴルフなどでハンデを持つ方はその道の熟練者ですが・・同じようにハンデを持つ方々は人間として普通の人より崇高な魂の修業を自ら選んでいるのかもしれないと、前々から考えていましたが・・ハンデを持つ方たちは、自分自身だけではなく全ての人類のために、そう選んで、チャレンジしているのだと知りました。一般に社会で、その存在に目を向けられにくい所にこそ・・本当は素晴らしく大切な価値があるということも改めて想い起こしました。ブナの木もそうでした。ブナ退治などといわれ、全国で多くのブナが切り倒されました。しかし、石川県の鳩ヶ谷のようにふもとの集落を守るために切られなかったブナ林もあります。我々が今回トラスト地として購入する山もふもとの集落の道や家を守るために素晴らしい広葉樹の森が残されていました。雪崩が起こるような地形の山の木は、植林されたスギのような木ではダメなのです。地中に深く広く根を張り、豪雪にも・・しなやかに耐えしかも、動物たちに豊かな恵みと水を与えてくれるヒトも動物も守ってくれる素晴らしい木どの木がダメでどの木が良いなんて・・人間の経済的な利用価値だけでは決められないその木にあった土地があり、山がある。その木でなければいけない土地があり、山がある。また一つ、輪を広げていくきっかけを頂いた素晴らしい出会いでした(*^ ^*)人気ブログランキングへ
2008年06月29日
コメント(1)

昨日の夜は、くまもり石川再生事業(謎)の一環として・・野々市の『のっぽくん』という自然食品販売のお店の喫茶フロアをお借りして、美味しく楽しい集いをすることができました。最初、予想していた(数人)よりも多くの人が(といっても11名なのですが・・笑)集まってくださいました。皆さん素晴らしい考えで実践をしている方たちばかりでした。しかも熱い想いをもっておられて時間があっという間に過ぎていきました。こんどは時間を気にせず、色んなことを語り合いたいと思いました。伝えたいことは、山ほどあるのだけれど・・時間も足りず、上手く話せなかったような(^^;でも、手ごたえは充分で・・う~ん・・でも、もっともっと伝えたいことがある!聞いて欲しいことがある!皆さんの話も聞きたい♪早く次回を・・そんな感じです(; ̄ー ̄A アセアセクマをはじめとする野生動物や温暖化の影響を受けている自然環境のことなどくまもり活動で私が経験してきた全てのことをくまもりの考えに賛同し協力してくださる皆さんに伝える日が、近々くるような気がしています(*^ ^*)忘れないように書いておこうかな・・今年やってみようと思う小さな目標○新会員さんと一緒に山の観察会・動物たちのフィールドサイン・石川の樹木の状態(カシナガ)○くまもり勉強会・クマや野生動物に関する知識・小冊子や会長の講演CDには出てこないこと・本部(支部)の活動の歴史と目標・本部作製のDVD観賞大きな目標○金沢で会長講演○支部活動用地の取得昨日・・の親睦会のことを思い出しながら今朝、ブログを書いていて思いついた言葉(詩?)山の・お父さん・お母さん・先生に会いに行こう♪山のお父さんは、雄大で厳しくも素晴らしい自然をありのままに見せてくれる山のお母さんは、木漏れ日とともに優しく包み込みありったけの癒しをくれる山の先生は、言葉ではなく、心に直接メッセージを与えてくれる一人一人に・・特別な同じではない、素晴らしい贈り物山に行こう♪みんなで♪さて・・昨日のおとぎ話の続きです。2006年京都1月29日 朝 快晴の青空 森の散歩の後で 森の中で鹿を見つけました。『 森の中に息づく静かな生命 』人と森は、いつも繋がりを保ち、日々の営みを支えてくれる木々や獣、小さな生命たちに感謝を送り続けてきました。川は生命を支え、生命は輝きを増し、繋がりを感じた人々は川を愛し、水を大切にしてきました。動物たちは、時々訪れる山守の姿に接し、彼らの領域を脅かす者ではないことを知っていました。人が、節度を保ち、天の声に耳を傾け、己の姿勢を正していた時代は、そんなに遠くの話ではありませんでした。木の生命を尊び、無駄に切ることも無く、落ち葉や枯れ枝も大切に使って、日々の営みにあてていました。今、人に問われる数々の問いかけに背筋を伸ばしきっちりと答える時が来ています。・人が人だけでは生きていくことが出来ないことを知っていますか?・人が食べているものは、本当に人が作り出したものでしょうか?・長い間かけて先人達が繋いでくれた智慧を捨てて、科学といわれる、 全体の一部しか感じていない人々の偏見に、 どうしてそんなに素直になってしまうのですか?・繋がりという言葉の中に隠された、神の祈りを知っていますか?・目には見えない糸で、予め繋がっている自然の連鎖や変わることのない 一定のリズムを人は、いとも容易く断ち切り、 欲と言う自己増殖するエネルギーを、その途中に さも当然のように嵌め込んできていることを、どう感じていますか?・この先、「自然」と人間が言う、この星の生命維持システムが、 その機能を停止することもありうるということを真剣に考えたことがありますか?・多くの人々が信じている明るい未来が幻でなく、確定したものだと 言い切ることが出来ますか?・誰もが死を迎え、再び新たな姿として 誕生を迎えていることを受け入れるのをどうしてためらうのですか?・自分がとても長い時の旅人だということを知れば、今という時が、 自分がずっと歩んできた旅の目的地であることを知るはずなのに、 どうして、そんな簡単なことを忘れたのですか?もし可能なら、私が感じている疑問を誰かに問いかけて下さいますか?この問いに正解があるかどうかは、それほど重要なことではありません。自然・ネイチャーというものが、意識の集合体として存在しているわけではなく別個のものとして、そのシステムが存在し、その筋書きとして現象が起きているということも知っておいて欲しいのです。全ては、シナリオ通りであり完全なものであるとも言えます。しかし、その筋書きを書きかえることも、人の手に委ねられているということも知っていてください。連動してはいるが、独立したもの。それが私という存在です。書きかえ可能なプログラム。人も、そのプログラムも又、最初につくった聖なる存在の一部なのですから。神は全てに宿っています。大きなことは出来なくても、小さな一歩を歩みだす努力は惜しまないで下さい。着実に、焦らずに笑顔を保ち、歌いながら確実に。まだ今なら間に合います。だから、あなた方、光の子供たちが、この森に招かれたのです。希望を捨てないで、夢をあきらめずに、しっかりと一歩踏み出してください。あなたの足で。森の天使
2008年06月28日
コメント(0)

今日と明日も・・おとぎ話シリーズです(*^ ^*)これはフィンドホーンの方々が来日された時に京都の北山の花背と言う場所で自然から受け取ったメッセージだそうです。通訳をされた船越康弘さん(とご子息)とご縁のある方からこのメッセージを入手することが出来ました。昨日のメッセージもそうでしたが・・これらのメッセージを読んだ後、静かな涙が・・溢れてとまりませんでした。2006年 京都1月28日夜 『熊の夢の中へ』左京区 花背での瞑想の後で・・ 今日、皆様の愛に満ちた祈りと決意を感じ、これまでにない穏やかな世界を感じています。この繋がりで、私は、これから人が意味あることを成し得ると感じています。これまで幾度も、人の気配に怯え、食という喜びにストレスを感じる日々がありました。熊の歴史は、人と、山の棲み分けという山人と動物の掟の中に、互いにその尊厳を垣根として、見えないフィールドを形作っていました。里に住む人が、山の木々を草を刈り払うように切り倒し、森を変えてしまいました。本来なら、我々は人に何かを求めるようなことや、このような形での繋がりを許すことはしたくはないとまで感じていました。人には2種類あるようです。人に全ての権限を与えられ、人が望めば、どのようなことをしようとも、勝手に作ったルールに基づいて、全ての自然を変更することが可能であるという、自分の目の前しか見えない人。もう1種類は、人と自然という間に隔たりを置かずに物を見ることが出来る人。そんな2つに分けられるようです。人と動物は、それぞれ見えない糸で繋がり、どの生き物も単独でその生命を維持することは出来ません。それは文字通り、どんな生き物一つをとっても、他者との繋がりの中で生かされています。熊という個別の種に目を向けるだけではなく、一連なりの生命である地球という、この素晴らしい星に生きる仲間全てが、かけがえのない自分の分身であることをまずは、理解するということです。人と熊の差に目を向けることよりも・・共通性に着目することが大切です。人が人を裁くことが出来ないように、人が、ただ目的も無く動物の命を奪うことは出来ないし、許されていないということを、もう一度、思い出す必要があります。神様が決められた目に見えない糸を繋ぎかえることはすべきではありません。熊という、誇りある森の知恵者が、なぜ人里にまで顔を出し、食べ物を求めるか?お分かりですか?今、山は荒れ、我々が棲める環境ではありません。必要な食料が得られるならば、命をかけて里にまでおりることはありません。しかし、それは、ただ食べ物を求めておりているわけではなく、人に我が命をもって、警告を与えているのです。「人間たちよ、次は、あなたたちの番だよ」と。深い智慧は、熊の親神から代々伝えられ、一つの物語を我々は諳んじています。「時がきて、山が荒れ、人が住む里に下りていく頃、大きな嵐がこの地を襲い、人も、山も、森も、獣も吹き飛ばすであろう」と「誇り高き獣たちと誇り高き人の幾人かが、残された山を、川を蘇らせ穏やかな平安の日々が再び訪れる」と・・人よ、あなた方に、今出来ることは神の子としての誇りを取り戻し、勇敢にその声をあげ「一つの地球に棲む兄弟誰もが、皆等しく平安である世界をつくろう」と、動き出すことです。今、確かな手応えを感じ、この山の木や草や生き物たちは、いまだかつてない生命のざわめきをおくっています。一人でも多くの誇り高き人が集い、決してあきらめずに、この世界の浄化を進め、嵐を乗り越え、平安の日々を迎えられますように。
2008年06月27日
コメント(0)

これは、支部の会員になってくださっている方で、植物とお話ができる方が受け取られた自然からのメッセージです。理解できる人は、そのままで・・理解できない人は、おとぎばなしの一つとして・・読んでいただけたら嬉しいです。ピーチトゥーリ(ブナの木)のメッセージ 「2005年 4月」 by ランドルフス・リープ渓谷の森の中の神々しい木私の本質と繋がろうとするのなら、あなたも又あなたの本質に繋がる必要があります。そう、リラックスして肩の力を抜いて深い呼吸をしましょう。この世に起こることを、どのように見るかということをお話してみましょう。どのように見えるかというのは、背の高さや年齢、性別などで様々でしょう。勿論ネズミや昆虫、ウサギやキツネなど、この森に棲む様々な生き物もそれぞれの見方は違っています。どのように見えるかという時に、もう一つ忘れないで欲しいのは、その種が持っている固有の寿命というものが、一つの尺度になるということです。私たちブナの年齢は、およそ300年くらいでしょう。勿論、条件によっては少しは長くなるかもしれません。その寿命の中で木の持つ役割は変化します。それは木の持っている記憶の量というふうに考えても良いでしょう。年齢を経て、幾度も季節を重ねる中で蓄積され培われてきた智恵が、人と同じようにものの見方に変化を与えます。足元にある種は、私の命を繋ぐ大切な種子であると同時に、この森の生き物の餌でもあります。昨日あなたが手に取って見た私の子どもたちは、私たちの知恵を受け継いではいますが、小さな存在であることには変わりありません。私のように250年くらいの命を森の中で生きる個体は、この森での出来事を全て記憶し各々の繋がりの中から本質へと繋がっていきます。大きな木の役割は、それぞれの智恵を通して人とも繋がり人の心のバランスをとるという役割も果たしています。森に生きる動物たちの命の元の存在を思い浮かべてみましょう。それは一本の草であり私たちなのです。勿論、その命の源は、お日様や雨やこの素晴らしい土であることは間違いないことですが、小さな生命たち、森の動物たちに餌として自分の小さな子どもたちを与えています。又、落ち葉を通して土を肥沃にし、この肥沃な土は水をつくりだします。落ち葉の堆積にも目を向けてください。数十cmにも渡って、分厚いカーペットのようになった腐葉土は、あらゆる小さな働き手の餌となり棲みかとなって、その働きによって土を得ています。ブナの森や広葉樹は、巡りの中のスタートであると考えて頂けると分かり易いと思います。ブナの森が枯れたり切られたりする環境下では、健康な巡りを行なうことが大変難しくなります。たった一本の木などと考えていないことは良く分かりますが、只分かっているだけでは、今のあなたには怠りというふうに私には思えます。知っているというのと分かっているという間には、大きなギャップがあるように、分かっていると行動するということには、やはり隔たりがあります。この森があなたに伝えているメッセージを理解したなら、あなたの住む国そして行動すべき国で、その役割を果たさねばならないでしょう。小さな一本の木を森に植え、子が、孫が、ひ孫が守っていくという大きなプロジェクトの、第一歩を踏み出す必要があることを伝えたいと思います。一年前(2004年)の出来事を思い出すなら、あなたはこの森に横たわって私と出会うことなど本当の奇跡だということを認識するでしょう。一年間の時を経て、あなたは大きく変化しました。そして、このツアーに参加することが出来たことは、「大いなる意志」の計らいであると同時に、我々の仲間の働きがあります。日本という大切な国をしっかりと守るためには、どうしても森を生きた森に蘇らせる必要があるのです。大きなプロジェクトをこれから始める為の原動力として、このチャンスを預けたのは、あなたの大好きな大きな木たち、そして、大きな木のネットワークの力が働いていることを知ってください。このまま、日本の森を放置するようなことがあれば、日本に棲む優しい性格を持った森の知恵者、胸に平和の印しをつけた月の輪が絶滅してしまうことになりかねません。月の輪が山からその姿を消し去る時、それは里に住む人の終焉を告げる予告のブザーであることを知ってください。今なら、まだ間に合います。仲間を見つけて行動に移してください。苗を作り山に植える。そして手入れをする。というように、するべきことは沢山あります。まずは種をまき、苗を作りましょう。ピーチトゥリーという、あなたととても縁の深い森の賢者と言われる私たちと手を組み、人が、この星から消えてしまうことの無いように、チームとして神様のために働きましょう。この上なく美しい、この春の陽射しを身体いっぱいに浴びて、戸外でのプログラムが行なわれることは、神様からの祝福です。期待されているから、このような素敵なプレゼントが頂けたことを、今日この森を訪ねて下さった皆様と分かち合ってください。私の樹皮の、いぶし銀のような輝き、そして今、お見せすることは出来ませんが、若葉が、お日様の光を受けてキラキラ輝く様子をいつか又見てください。巨樹のネットワークに、あなたもアチューメントしてください。※アチュンメントというのは、何かを始める前に全員が手を繋いで想いを一つにして、神様の祝福が訪れるように祈ったり。感謝を捧げたりするフィンドホーンで、いつも行われている儀式?です。
2008年06月26日
コメント(6)
平成18年5月30日(火)大赤字の緑資源機構と林野庁 富山県会員の話では、富山県の緑資源機構は大変な赤字ということでした。もしかしたら、林野庁だけでなく、緑資源機構本体も恐ろしい赤字なのかもしれません。人工林の手入れに人件費が掛かるだけで、国産のスギ・ヒノキは売れないのですから、当然かもしれません。林野庁も緑資源機構も、いつ、人工林化を止めるのでしょうか。野生動物たちも生きられなくなって悲鳴を上げていることですし、早く失敗国策は打ち止めにしてほしいです。 数年後、団塊ジュニアが家を建てる時期が来るので、期待している林業家もいますが、そのとき国産材がどれだけ売れるか不明。たぶん、マンションとか洋風が好まれるため、そんなに売れないでしょう。そのあとは、少子化が続くため、建築用材の需要が増すことはもう考えられません。 ちなみに、林野庁の赤字3兆8千億円は、1997年、2兆8千億円が、国により補填され、 残り1兆円の赤字となりました。しかるに、この1兆円の赤字ですが、林野庁にとっては、木を売る以外に出所がありません。そういうわけで、今も、林野庁は、巨木の天然林も含め、木を切り続けているのですそれでも、毎月多額の人件費がいりますから、こんなに木を切り続け、売り続けているというのに、1兆円の赤字が、2003年には、1兆2800億円に膨らんでいるそうです。森の動物たちは、すみかを林野庁に壊され、みんな泣いています。林野庁は本当に必要なのでしょうか・・?お金に代えられない、大事な全国民の命を支える奥山を目先の利益のみ重視して破壊しているだけなのでは? 熊森は、民間林業者が望んでいるように、国が林業経営から撤退すること。林野庁を、森林保全庁に変え、森林保全業務のみに関わるようにすることを提案します。(机だけのエリート官僚に、林業経営を成功させることなど、どだい無理な話だと思います)平成18年5月29日(月)分収造林契約地とは 京都府トラスト候補地が、難航しています。トラスト予定地の約半分が、緑資源機構との分収造林契約地です。 緑資源機構(独立行政法人:林野庁外郭団体)との分収造林契約を結ぶと、最初少し地主にお金が出るそうですが、なんと地上権は、契約が終わる数十年間の間、山主から取り上げられてしまうことがわかってきました。 分収造林契約とは、山主に山を提供させ、数十年後、スギ・ヒノキを売って、山分けする契約です。利益配分は、緑資源機構5割、山主4割、森林組合1割。しかし、今、スギ・ヒノキを売っても赤字になるだけ。この制度は、実質上、破綻しています。山を取り上げられ、荒らされ、分収ゼロでは、山持ちは、泣くにも泣けません。国策が、失敗したのです。 今も続く森林破壊:分収造林契約 国有林は林野庁が、私有林は緑資源機構(昔の名は森林公団)が、どちらも、自然林をつぶして国土をどんどん針葉樹の人工林に変えてきました。行き過ぎたスギ・ヒノキの人工林には弊害も大きく、もう、歯止めが掛かっているだろうと思っていたら、最近でもまだ、人工林化が進んでいるようで、ショックを受けました。今、山など持っていても、1円のお金にもならない。緑資源機構に分収造林にしてもらったら、わずかだけれど契約時にお金がもらえる。残っている雑木林を差し出そうということなのだそうです。これ以上奥山の人工林化が進まないよう、何とか今残っている自然林だけでも保全できるように、法律作成が急務です。自然林を維持したら、毎年わずかでもお金が入るとか、政治家の皆さん、自然林が残る方法をなんとか考えてください。 林野庁のお金も、緑資源機構のお金も、みんな、私たち国民の税金なのに、私たちに相談なく森林破壊に使われていく。国民みんなで、NOの声をあげていきましょう。 熊森は、奥山の自然林がこれ以上なくならないよう、出来る限り天然林をトラストしていきます。石川県でもトラストや、クマ止め林の提供者探しなどの話を進めています。石川県でも県民の見えない場所で、天然林が切られていると言う嫌な噂を聞きました。真偽をこの目で確かめたいです。
2008年06月23日
コメント(0)

この芽が何の芽なのか?知りませんが・・お隣のブロック塀と、うちの居間の窓のあるスグ脇の細い所に一昨年、勝手に♪生えてきました。誰が持ち込んだのでしょうねぇ?カラスか何かでしょうか?wなんとなくキリ(桐)っぽいなぁ?と思いますが・・はっきりはわかりません(^^;一度、姑にバッサリ切られたのですがw傍芽してフタマタになって頑張って育っていきました。3年目と言うコトもあって、2階の窓を越えるくらいとても生長してしまいました(^-^;ブロック塀を乗り越え、お隣の敷地の上で・・私の顔より大きな葉っぱが、思いっきり♪サワサワ風に吹かれて・・気持ちよさそうです(*^ ^*)ふふっって・・(-_-;)(;-_-) アカン!アカン!なので、お隣さんに迷惑をかけるとまずいので、2m程の高さの所で、今度は自分でバッサリ切ってしまいました。その高さで切ると、葉っぱが一枚も残らず・・時期も悪かったし・・もう枯れちゃうのかなぁと少し心配していましたが・・そこは、さすが落葉広葉樹♪見事に傍芽してくれました。(嬉)しかも・・めっちゃ可愛いぃ~♪(〃⌒ー⌒〃)思わず写真を撮ってしまいました。ニンゲンの赤ちゃんも可愛いですけど・・芽も可愛いですよねぇ♪ 願わくば、梅雨が明ける前までに沢山葉をつけてまた・・日陰を提供してくれるとありがたいなぁと思いつつ毎日、みています(*^ ^*)そうそう、日除けのために8年程前に南側にアベマキというドングリを拾ってきて植えました。まぁ・・当時は名前も知らず、日陰をつくってくれそうな大きな木の、実ということと・・大人になって初めて観たトトロに感動して・・もしかしたら、トトロが来るかも?o(^o^o)(o^o^)o ワクワクと淡い期待でドングリを植えたんですが・・(。-_-。)ポッ夏は日陰を提供してくれて、冬は葉っぱを全部落としてあたたかい陽だまりを提供してくれるのでとてもエコで助かってます(*^ ^*)しかし、去年は、チャドグガの被害で、ツバキ、サザンカは勿論ハナミズキ、ナナカマド、この芽が育った葉っぱも・・凄いことになってしまいました。その防止のために、バッサリ切ったのもあります(^^;ケムシさん・・凄すぎです!あらゆる葉っぱを食べ尽くし、最後はアベマキの葉っぱまでかじっていました・・( ̄。 ̄)・・・ 遠い目でも、ドングリの木は丸裸になることはなくやっぱり・・凄い良い木だなぁと思ってみてました。ただ・・全く剪定をしないままノビノビ育っているので・・秋にクマさんが実を食べに来てくれたらイイのになぁとついつい・・良からぬことを考えてしまいます(; ̄ー ̄A アセアセ
2008年06月21日
コメント(0)

石川県猟友会能美小松支部の英断クマ 無傷で自然へ けが防止 捕獲おり設置2008年6月13日 『 北陸中日新聞 』入り口の鉄板がクマのつめや歯を保護する「目隠しおり」=小松市内で 小松市と県猟友会支部 里山や市街地でクマが出没するシーズンを迎え、小松市と県猟友会能美小松支部は同市内で、これまでとは変わった捕獲おりの設置を始めた。閉め切り口に金属ネットではなく、鉄板を使った通称「目隠しおり」。クマがつめや歯を傷めないようにして、自然に戻す放獣を進める。 おりはドラム缶を二本つなげた長さ約二メートル、直径約六十センチの筒状で、奥の餌を取ると入り口がふさがる仕組み。従来は閉め切りに金属ネットを使っていたが、クマがかんだりひっかいたりして歯やつめを傷つけることもあった。 小松市職員や同支部員は「歯やつめを傷めたクマが自然界で生存していく可能性は極めて低い。金属ネットのおりは駆除が前提で、放獣を想定していない」と指摘する。 県自然保護課は、人などに危害を加える恐れがあるクマについて駆除やむなしの方針だが、同支部は頭数の減少を危惧(きぐ)して放獣を増やす方策を探ってきた。 会員たちはその一環として、保護管理計画をつくるなど、クマ保護の先進地である兵庫県などを視察。目隠しおりを使った保護の方法を学び、導入を決めた。 今年は人が住んでいる中山間地を中心に二十五個を設置する計画。安全面から放獣に反対する声もあるが、捕獲後、爆竹などで脅して戻って来ないようにする「学習放獣」で対応できるとみている。 支部員の一人は「クマは食材や漢方薬としての価値が高く、かけがえのない地の恵み。過剰な駆除は避けて必要な分だけ捕獲し、人と共生する関係を築くのが重要」と話している。 (小柳悠志)正直驚きました!感謝です。小松市・猟友会支部の皆様本当に、ありがとうございます( ̄- ゚̄ )とっても嬉しいです。Mさん・・本当に本当にありがとうございますm(__)m
2008年06月13日
コメント(0)

この3~4年、山などのクマの出没する場所やその付近の村や町の様子を見ていて感じたことですが・・クマたちが、人間に遠慮しながら、そっとエサを食べなるべく人間に出遭わない様に行動している様子や痕跡が感じられます。奥山をスキー場や採石場、人間のための娯楽の施設や温泉植林などに、遠慮なく利用していることのシワ寄せと地球温暖化が、もたらしていると考えられる多数の(実のなる)樹木の枯損の影響で奥山に住めなくなっているクマたちが沢山いるためでしょうか?クマたちが町のスグ裏の山で住んでいることを住民たちが知らずにいることを・・『知らぬが仏』とある行政の担当者達が、笑いながら言っていたのを知っています。また、あるシンポジウムでは地元のおばあちゃんに見つからないように隠れつつも車が来ないか、ちゃんと左右を確認して道路を渡っているクマの姿を報告していました。人間が考えているよりも・・ずっとスグそばで彼らは、人間との共存のためにルールを守りながら謙虚に逞しく生きていると思います。それを『新世代クマ』だと間違った表現であらわす方たちもいますが・・先に『新世代ニンゲン』になり、文明を支える大事な奥山を開発し尽くし、利用し尽くし・・とどめに温暖化で決定的なダメージを与えてしまったのは、私たちニンゲンなのでは?と思います。人間同士の世界でも・・何でもかんでも他人のせいにするヒトは嫌われます。どんなことでも相手だけに責任を求めず、自分にも非が無かったか?常に内省するものです。養蜂の巣箱を荒らしたり、田畑を荒らしたり・・動物たちだってワザとやってるとは思いません。そこには、必ず原因や問題があり、一方的に動物たちだけが悪いことは無いと思います。実際、今年の春から畑をはじめたのですが・・炊事で出る生ゴミ(カツオブシのダシガラなど)を深く埋めなかったためにカラスの大群が毎日、家の周りを荒らすようになって困りましたが・・こちらがきちんと正しいやり方で畑に施肥をしたら、それをシッカリ見ていたカラスたちは来なくなり被害もピタっとなくなりました・・。私が横着をして、土の上にばら撒いたのが悪かったと反省し・・自然の中にも、お姑さんや小姑みたいな存在が居るのだと苦笑しました。原因を探してそれを取り除くことが、正しい対処だと身を持って体験した次第です(^^;現在の奥山と、人間が手入れをしなくなった里山の状況からクマたちは、謙虚に平和的に・・時代の流れに添って進化した生活をしているにすぎず・・人間の方が現実を理解せず、現状にそぐわない対処を続けていると感じます。クマたちに多大な遅れをとっている場合では無い、深刻な状況だと思います。私は、今は、行政や国には何の期待も持たず責任も求めていません・・。多くの市民が一番大事なことに気づき、行動に移していくことのみ期待しています。
2008年06月05日
コメント(0)

今日もトラスト候補地に行ってまいりました。山を見るためではなく、地元の方にお話を伺うためだったので写真を撮る暇はありませんでしたが・・(^^;道沿いに咲いていた、フタリシズカがめっちゃ可愛かったのでちょこっとだけ(*^ ^*)地元の方は、その地域の長老のような方で本当に素晴らしい、おじいさまでした。穏やかで才能と知識に溢れ、尊敬できる方だと思いました。昔の山や川の話から、泰澄大師・・昔の人たちの近所づきあいや食生活のことまで、色んなことを話していたらあっという間に2時間が過ぎていました(; ̄ー ̄A アセアセその地域は、石川県で一番奥と言っても良い場所でとても雪の深い所です。現代では、冬に雪が降り積もると途中の道がゲートで塞がれ、通行も出来なくなるそうです(・・;)タラー雪に閉ざされ家にこもらなければならないような厳しい場所だったそうですが・・冬は冬で、とても楽しかったと目を細めて仰っていたことが印象深かったです。ご飯もお米5割にヒエ5割で食べられるのは良い方でヒエが7割にもなるとパサパサして美味しくなかったと笑いながら仰っていました。豊かでは無かったかもしれませんが・・ゆったりと時間が流れる幸せな生活をイメージしながら聞いていました。一番心に残った話は、カヤブキの屋根の葺き替えの話でした。合掌造りの小さな家でも8千束のカヤが必要だったそうで・・一軒の家の屋根を葺き替えるのに村人総出で手伝ったそうです。勿論、お互い様と言うコトもあり・・無償でです。ただ・・家の持ち主は、コビリ(小さなお昼という意味だそうです)に大きなボタモチを皆さんに、二つずつと、(ご飯は各自が持って来るので)お昼ご飯のおかず(ニシンの昆布巻きや、ノブキや山菜等の煮物)を用意するということでした。子どもたちは、そのボタモチ目当てにその日は、その辺りをウロウロするのだそうです(*^ ^*)伺いながら、のどかで幸せな風景が目に浮んできました。日本人て・・いつから、そういう助け合いの心というか・・近所づきあいが無くなってしまったんでしょう?面倒な部分もあったかもしれませんが・・世のためや人のために無償で楽しそうに手伝う村の人の姿は、自分一人では生きられないことを伝えみんなで助け合って生きることの尊さを学ばせる最高の教育だったと思います。昔の日本人って・・素晴らしかったんだなぁと思いました。物は無く、豊かとは言えなかったかもしれないけれどイジメ問題から環境問題などの数々の問題がひしめく現代を思うと人間の本当の幸せは、実はそういう生活にこそ、あるのではないかと思いました。今日、お会いした方の思い出話や知恵や知識を可能な限り、お伺いする機会を持ち、子どもたちに伝えていきたいと思います。
2008年06月04日
コメント(1)
全9件 (9件中 1-9件目)
1