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赤い人 吉村昭 1977年 日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた 嶌信彦 2015年 「赤い人」は、明治に北海道で重罪人用監獄を開設してから大正に廃獄されるまでの、囚人と看守の苦役の記録だった。「オペラハウス」は、1945年から1948年にかけてウズベキスタンのタシケントに抑留された陸軍航空部隊工兵達のオペラハウス建設の労役の証言だ。犯罪者と戦争捕虜とでは全く異なる境遇だが、安価な労働力として使役された点は共通だ。 明治時代の赤い囚人服の人々は、厳しい労働環境であるがために民間の労働者では高コストになるほどの過酷な現場で、安価にあげるために使役されたそうだ。終身刑の者を消費してしまうほどの過酷な労働であったようだ。躊躇はなく、むしろ効果的で「一挙両全の策」として支配者により選択されたらしい。 厳寒の原野での伐採、監獄の建設、農地開墾、石炭や硫黄の採掘、原野での道路建設、大量発生イナゴ除去などの苦役が、凍傷壊死、栄養失調衰弱死、逃走阻止の斬銃殺をもたらしながら繰り広げられたそうだ。 成果は、鉱物資源供給による殖産振興、開拓農地の供給、道路網の整備など、北海道の近代化の礎となったそうだ。忠別から網走までの原野、峡谷を貫いた道路開鑿では、集団の競争心を食事と処遇差で煽り、昼夜兼行で競わせ、四か月で幅三間54里の道に仕上げたそうだ。犠牲は、病人1916人、病死158人、射殺3人、自殺1人であったそうだ。今では、国道333号、39号、鎖塚などがその名残らしい。 幌内炭鉱などへの出役による囚人の大量の病衰弱死は、死業として世論に非難されるまでになっていたそうだ。脱走も多発し、看視、懲罰も過酷を極めたそうだ。 「オペラハウス」の完成は、日本兵捕虜の誇りと意地の証となり、その就労態度と仕事の仕上がりは、ウズベキスタン人やロシア人から感心されるまでのものであったそうだ。 シベリア抑留での過酷さを読むと「赤い人」を思い出してしまうが、「オペラハウス」ではそのようにならず、後世に残る建築を仕上げたそうで、奇跡のような話だ。2500年にわたり東西文明を交差させてきた地の人々の持つ懐によるものであったのだろうか。 「赤い人」は、明治に初めて西洋と交わり、それを目指して遮二無二疾走してしまった後進文明の悲痛な出血に染まっているように思えてくる。 劇場で人を愛でる喜びを知るようになるには、大きな代償の歴史を刻む必要があったと言うことなのかもしれない。
Feb 29, 2016
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2020年世界経済の勝者と敗者 ポール・クルーグマン 浜田宏一 2016年 カナダの中央銀行の総裁であったマーク・カーニーは、イングランド銀行の総裁に2013年スカウトされたそうだ。日本ではとても理解できないダイナミックな起用だが、もともとカナダは、アメリカ$に連動しないでカナダ$を制御しながら自国の通貨を維持してきた国だそうだ。新自由主義の規制緩和にものらないでリーマンショックの大きな被害は免れたそうだ。金融政策はしっかりしているらしい。たしか、スターリンの脅威から逃れたウクライナの難民を多く受け入れたのもカナダだった。金融も国境の在り方も大事にしている国のようだ。 イギリス、デンマークは欧州連合に加盟しながら、ユーロには参加していないそうだ。造幣をする国だ。ユーロ圏に入ったギリシャは依然と危機にあり、ユーロ離脱はもはや無理だそうだ。欧州中央銀行からのユーロの借金がなければ国はなりたたず、今さら自国通貨ではやっていけぬそうだ。印刷する機械もないらしい。 カダフィーのリビアでは、もともと紙幣をイギリスのデ・ラ・ルー社に製造委託していたそうで、政権打倒の争乱時には、イギリス政府が紙幣を押収してしまい、傭兵給与の支払いに苦労することになったそうだ。造幣できない国は力を削がれるようなものであるらしい。この会社は蒋介石時代の中国紙幣も製造していたそうだ。 クルーグマンは、政治統合なしに通貨統合が成功することは疑わしいと言う。ユーロは失敗と。負債国に過酷な緊縮財政を強いる愚かな状況と言う。ユーロは独善的な考え方のつけを払うことになっているのだそうだ。 非ユーロのデンマークは、所得の50パーセントを各種税でとられてしまう国ながら、一人当たりGDPは米国なみで、国民皆保険、大学まで無料、人生に満足する国民が多い国だそうだ。 自国の通貨を刷れること、為替による物価・賃金の調整機能をもつことは、独立した国として重要機能であって、手放せず、力をふるって政策を推進するべき分野らしい。だから、偽札などは、国を弱体化する攪乱行為で重大犯であって、ロシア革命、日中戦争では経済的武器として利用されたと聞く。北朝鮮も米ドルの偽札を刷っていると聞く。紙幣の信用は国の信用でもあるわけだから、なおさら、紙幣を共同体に委ねたユーロの決断は、連合する高貴な政治的英断であるわけだが、大冒険でもあった訳だ。 長谷川慶太郎によると、中国の100元紙幣の二枚に一枚は偽物であるとの噂があるそうだ。通貨発行技術を有するという事は、国の支配力の表れでもあるそうだ。中国はそのような大事なことの箍が緩んだ状況にあるのか。 中国の不良債権は35兆円、シャドウバンキングの貸出残は587兆円もあり、地方自治体の主たる収入は、土地販売なのだそうだ。一億戸の空き家が発生し、各地で新築ゴーストタウンが出現し、崩壊寸前らしい。 経済全体での投資の占める割合はGDPの5割ともなり、消費は3割にすぎないそうだ。アメリカは消費が7割で真逆にあり、日本も確か6割くらいでなかったか。中国も投資と消費の割合を逆転せねば経済は再浮揚は難しいらしい。 もちろん、中国がはじければ、紙幣を刷りまくっている日本も無傷ではおられないと。
Feb 16, 2016
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シャルリとは誰か? エマニュエル・トッド 2016年人種差別と没落する欧州 日本人には、くにざかいなら習俗・季節の異なる地方差、別の管理域との境くらいに思うのだが、国境の切迫感はあまりよくわからない。貿易・流通の通関手続き地点で交易の場であって、紛争域にもなる緊張域であったとは考えたくはない。 ヨーロッパは、殺戮しあった暴力の応酬が歴史的に集積した地域だ。それゆえ、異教徒殺戮、人種差別、イデオロギーの果し合いの歴史を乗り越えて、移動の自由を約束し、域内関税を廃し、統一通貨を使う欧州の市民が登場するはずでなかったのか。 国境なき世界を多くの国がまとまってつくり、共栄圏なり、連帯したのが欧州連合ではなかったのか。もともと、国境は国と国の戦争で殺戮の舞台として歴史を刻んできた戦場の中間線であったのであろうが、その愚かしさ、不幸、不経済を克服して共和国を実現しようとしたのが欧州連合なのではなかったのか。 為替による経済調整機能を廃止したユーロ圏諸国は、ユーロ圏内の国の間に経済格差が生じた時、為替調整機能はなく、失業と経済再生に難渋する国家を同じ運命の中に抱えてしまうことになってしまったようだ。クルーグマンは、ユーロは失敗、政治的統合のない通貨統合の成功は疑わしい、負債国に過酷な緊縮財政を強いる愚を犯していると言っている。 著者によると、単一神信仰が退潮して空白感漂うカトリック文化がユーロを発想し、単一通貨信仰を生んだらしい。世俗化し、無信仰が一般化し、婚外子が55%となっているのが現代フランスだそうで、伝統的カトリック拠点が崩壊して、よりどころがなくなって精神的に不安定な状態になった人々は、スケープゴートを探し、自らを構造化するために敵対者、標的を求めているそうだ。それで、ユーロの経済的失敗のかわりにイスラム教徒を恐怖し、反ユダヤ主義も増大させつつあると言う。 フランスは、もともと、多文化社会で生真面目ではない共和主義を平等主義として体現していたらしいが、不平等で倒錯した普遍主義が広がり、利己的な恍惚にひたる社会に変容しつつあるらしい。その端的な現れが、「私はシャルリ」との中産階級中心のユーロ派によるデモであったそうだ。フランスは、社会的、政治的崩壊過程にあるやもと著者は言う。 くにざかいでの交易の繁栄は去り、難民を拒み、差異を恐れ、異文化を拒み、同化せぬものを排除する国境が再び現れてきているかのようだ。新たな合従連衡のはじまりかもしれない。
Feb 15, 2016
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黒部の山賊 伊藤正一 1964年初出 定本2014年アルプスの怪 明治、大正生まれの黒部の猟師の狩猟生活を垣間見れた。果敢な狩猟活動を実利的で細心の注意を払いながら行う猟師たちの最後の姿だった。 食料の調達、加工・保存の様式を守り、自然を生活源として生きる姿の記録だった。命を守るために油断をせずに自身の生に責任を負う生き方だ。仲間との共同生活ではなく個人が自活する友人関係の生活のようだ。利には聡く、欲もかくが、自然の摂理には抗わず、護り、従う狩人だ。 「荒々しく美しい」アルプスで、密漁、獲物追跡、埋蔵金伝説、豪雪、豪雨、強風、氾濫、避難、遭難、捜索、荼毘と繰り広げられる猛威と人間の対峙は苛烈なものだ。 里でも山でも生き抜くかれらは「あからさまな人間性」で「欠点だらけで」あるが、「心惹かれる人間達」だったそうだ。長年住んでいると熊も雷鳥も彼らには逃げないそうだ。 今はもういない猟師の世界。彼らは、自然を計り算段して行動する俊敏な身体と頭脳と技の持ち主であったのだろう。吉村昭の羆嵐の銀次郎、黒澤明のデルス・ウザーラを思い出した。 いずれも、自然の中にあっても、社会との算段をつけることが避けられない人間の運命だった。
Feb 12, 2016
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沖縄の殿様 高橋義夫 2015年最後の米沢藩主、上杉茂憲の県令奮闘記 沖縄は、17世紀に薩摩藩が征服して知行制を敷き、石高制で年貢を徴していたそうだが、琉球国として、明、清の冊封の関係を維持し、冊封使を迎え、饗応していたらしい。 官吏士族、町人は富み、民は圧政の労苦に晒された封建社会でもあったらしい。もともと18世紀には琉球科律という法律が定められ、19世紀には新案科律なる判例集ができていたそうで、村には村内法があり、小犯罪を裁き、上級審として平等所なる裁判所があったそうだ。苛烈なものではないようで、死刑の定めはあるものの適用例はほとんどなかったそうだ。 一方、生活はゆとりのあるものではなく、天候により作柄が大きく左右され、貧しさに陥り、明治に入っても借金が残った村が多かったそうだ。 廃藩地県は、1871年だが、沖縄は、逆にその翌年に琉球藩となったらしい。大久保利通は、藩主の上京、清国への進貢禁止、分営の設置などの琉球処分を推進して、1879年に沖縄県が設置されたらしい。この年、宮古島では、派出所の通訳兼小使いを惨殺する事件が発生していたそうだ。大和との交流禁止の島民の血判書もあったそうだ。 初代の県令は、鍋島直彬で、旧弊温存を基本方針として、官吏士族の旧慣を存置した運営であったそうだ。2代目として1881年、明治14年に上杉茂憲が任ぜられたそうだ。 上杉鷹山公の教えは、脈々と続いていて、新県令は、村々を視察して、興産、教育振興を奨励し、改革を推進しようとしたそうだ。政府に意見書もだしたそうで、税を適正化し、冗職曠官、民費上乗せ、付届けなどの旧弊の改革、教育、勧業、衛生の推進を訴えたそうだ。 この意見は、三条実美が天皇に上奏した旧慣習温存方針と異なるものとして政府は実態調査に息のかかった役人を派遣し、県令の方針を否定する調査報告が中央になされたそうだ。士族は不幸で、教育に農民も不満を抱き、農民は愚民であるから、士族に地方自治を任せよと報告したそうだ。 新県令の旧慣変更は非とされ、明治16年に解任されたそうだ。折角の改革も、例えば、17世紀からあった遊郭に対しては、貸座敷規則、娼妓規則を発令して浄化しようとしたそうだが、遊郭勢力が反県令を画策し、新県令解任後に規制は廃止され、元に戻ったそうだ。 為政者がかわっても収奪の構造はかわらなかったということらしい。飯嶋和一の小説「狗賓童子の島」と同じ構図だ。かわったのは、皇民化教育がなされたことで、清をなつかしむ士族もおり、怨念が残ったと著者は言う。 国境の要衝で、大和権力は旧機構を引き継いで支配したようだ。沖縄返還と通貨パニック 川平成雄 2015年 皇民化した後、戦場となり、死地となり、米軍占領地となり、米軍要衝の地のまま、1972年5月、日本に復帰することとなる。沖縄処分から93年後だ。当時の様子が窺がえた。 1970年 9月 米兵が飲酒運転のジグザグ走行で主婦を轢殺。 1970年12月 米軍最高軍法会議 無罪 12月 コザ騒動 深夜、米兵が人をはね、朝まで民衆が騒乱 米軍車両焼失75台、米軍焼失建物5棟 1971年 1月 米国民政府法務局長からランバート高等弁務官(責任者)宛機密文書 (2012年1月資料発見) 「誤審。」 「この事実は公表すべきでない。 琉球人に軍法会議と陪審制度をよく理解してもらう方が有益。」 「時として無罪判決があることが受け入れられる様導くことが できよう。」 ニック・タース 「動くものをすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか」 正確な数字は不明だが、ベトナム戦争(1965年から1975年)で アメリカ軍は、ベトナム人兵士 1百万人 民間人2百万人 を殺害。 1971年 8月15日 ニクソン ショック なぜこの日にしたか、ニクソンの後日談 「日本人につけをまわすため」「佐藤首相にわざと恥をかかせた」 大蔵省の失態、英仏独が為替市場閉鎖するも日は閉鎖せず、 円買い40億$流入。その後変動制移行。 1971年10月 人々のドル通貨円換金保証額確認作業、米軍にも秘密裏に準備 当日実施。一矢。人々のドル資産の棄損回避。 1972年 5月 返還、円切り替え
Feb 8, 2016
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Feb 7, 2016
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五色の虹 三浦英之 2015年満州建国大学 卒業生達の戦後 石原莞爾の試案で設立が計られ、辻政信ら中心に骨格ができた6年制全寮制の給付金のある無料のエリート大学が新京に設けられていたそうで、驚いた。五族協和の理念で、日、中、朝、蒙、露、台の学生が集まり、言論自由で開学されていたそうだ。開戦、敗戦で激しく破綻した訳だが、卒業生同志の思い入れが永い年月をへても残ったそうで、惨事の中の奇跡のようにも思えた。 1400名の卒業生は、戦後、それぞれの母国で過酷な運命に晒されて生き抜いた姿が語られており、胸にせまる。それぞれの民族のおかれた闘いの中で、艱難辛苦の人生が記録されていた。母国への思いと、同窓生への思いは、異次元でありながら、大切にする思いに差がないことに感動する。類、種、個の、種は異なる者でも、個は親愛しえるかのようだ。 同時期に激論しあい、許し合った、相互の思考差を確認し合った人々のようだ。時を隔てても相互の親愛は残るというものだった。 敵、味方、裏切り、密告、拷問、解放、いずれも強烈な人生が語られていたが、その経験を経ても思考差を尊重し合える人格は、とても崇高だ。 若者が異民族と競い合う経験をすると言うことは、安堵のない場ではあっても人間としての力を深められるようだ。最終戦争論 石原莞爾 1940年 日本の敗戦の姿を描き切ったような想像を開戦前年にしていたとはなんとも驚く。わかっていても力を使える立場になってしまうと、冒険的で楽天的で運命的思考になり、忍耐と苦痛を配下に強要することに抵抗がなくなってしまうものなのか。 空想的な文明史観の果てに戦争を計画していたとすると、科学的軍事学も毒になってしまうと言う事か。異民族が和するとはどういう状態をつくりだせばよいのかといくら思考していたとしても、資本の蓄積の劣る民族を蒙昧として蔑視する限り、自身の思考と行動の下での生産を他民族に強要することが正義となり、貢献と思うのが必定だったのか。 武力をもって覇権争いを始めれば、最終戦争にまで果てしなく、耐え抜いた者が優者になると達観するのか、それとも、そんな勝者はおらず決してすまいと決意するのか、どっちをとるかで未来は変わるのか。そうではなくて、力比べの勝者と敗者があるだけなのか。国益の確保を念ずる国がある限り、収奪の応酬はなくならず、報復を抑制できる国は存続できないというのが、人間の歴史なのか。 本領安堵のない世界であったようだ。これからはどうなのか。流離人 浅田次郎 2014年さすりびと 日本海側を走る列車内で、さすらう老人が満州に学徒徴用された陸軍少尉時代を独白し、「心配する者を持ちません。どこかでふいにおしまいになればいいと思っています。」と言い、鄙びた漁村の駅で下車していく。 南満州鉄道と東清鉄道を本隊を追ってさまよいつづける老将校、奉天、新京、チチハル、ハイラルと赴任途上の青年士官。青年将校が出頭先ごとに次の地を示されて転々とする度に、老将校に遭遇し、「戦が終わるまで迷っておれ。」との老将校に従い、戦列に加わらぬ者への怒りを忘れて生き残ることを選んだ話。 人が消耗品であること、建国が幻であることをあばいているかのような、もの悲しい物語だった。蚤と爆弾 吉村昭 1970年 ハルビンの奥の草原に広大で巨大な隔離施設を設け、3つの滑走路を備え、細菌兵器の人体実験、野外実験、培養・製造、保管が繰り広げられたそうだ。ソビエト侵攻により、発覚を恐れ、自ら爆破・埋設隠滅・閉鎖するまでに犠牲者は3千人に及ぶらしい。従事していた科学者、軍人、軍属も3千人らしく、アメリカの原爆開発には及びないが、同類の残虐無差別殺戮兵器の開発が実現、成功していたそうだ。 いち早く、日本に帰還した関係者達は戦犯を懼れ、口を閉ざし、互いに顔を背け合って生きていたらしい。 五族協和の理念と、大量無差別殺人兵器開発の論理が、同時にあったわけだが、殺戮手段の科学的探求欲を実現しきる恐ろしい所業には、理念と行動が破綻していても行動を正当化できる人間の欺瞞に満ちた性根が露呈している。 建国大学の設立も、施政手段としての教育を社会科学的に探究した結論であったのかも知れない。
Feb 2, 2016
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