授業研究のあしあと

授業研究のあしあと

PR

×

お気に入りブログ

横山幸生 授業研究… 横T555さん
米野真理子のお買い… ショッピングソムリエ・米野真理子さん
宮脇真一 学習環境… shin-kbさん

カレンダー

バックナンバー

2026.06
2026.05
2026.04
2026.03
2026.02

コメント新着

溜池善裕@ Re[2]:ちょっと立ち止まって(その3)(09/14) ここのところ、授業記録と重松先生による…
ハラグチ @ Re[1]:ちょっと立ち止まって(その3)(09/14) 溜池先生。いつもありがとうございます。 …
溜池善裕@ Re:ちょっと立ち止まって(その3)(09/14) 熊本大学教育学部附属小での小規模な最初…
ハラグチ @ Re:興味深く読んでいます(06/21) みちたさん。遅くなってすみません。 …
ハラグチ @ Re:興味深く読んでいます(06/21) みちたさん、ありがとうございます。 何…
2006.02.07
XML
「実証と反証をくりかえし、一つ一つつぶしていく。」

このことを考えるとき、「気になる図」を佐伯胖著「『わかり方』の探究」の中で見つけた。その図とは、下に示すものである。

帰納と演繹

佐伯氏は、この図について次のように説明してる。

 ・・・・

 私たちが何かを「知る」前に、まず心の中に一つの「公理系」が用意される。「公理」というのは、それ自体は検証も反証もできない性質ものである。その「公理」からは、無限に多様な「定理」が生成される。「定理」はもちろん観察事実によって検証も反証もできるものでなければならない。
(政治を例にとれば、「現総理」ならきっとこういうだろうと予測するとき、「こういうだろう」というのは検証できる「定理」であるが、それ以前に、「現総理とはこういう人間なり」というモデルがある。それが「公理」である。)
 「定理」は、公理からは原則的に無限に多様なものとして生成できるが、当面の状況の中で検証できそうな定理はそう多くない。そこで、当面関心の払われる「定理」が知覚や認識に先立つ「仮説」、「予想」、「期待」となる。
 ところが不思議なことに、一つの「定理」が予想されると同時に、その反対、または、否定的な定理が生成される(予想をうらぎる可能性が心の中で生成される)。そうなると、その反・定理がもっともらしく説明できるはずの反・公理系が暫定的に生成される。こういう状態で私たちはモノを見るのである。つまり、事実に照らすと、定理aと反・定理a’とのいずれが正しいか、として見るのである。

 ・・・・






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006.02.08 13:59:34
コメントを書く
[協同的な学びをめざして] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: