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2006.05.09
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秋田喜代美氏の「子どもをはぐくむ授業づくり」を読んでいると、「デザインする」する主体が、「教師」と「子ども」の両方で述べられていることに気づく。「子どもが授業や学びをデザインするなんて」と違和感を持たれる先生も多いであろう。もちろん、私もその一人である。

しかし、ここで考えなければならないのは、「デザインする」ということの「意味」である。私が昨年取り組んだ「作品化」も子どもたちの「ものづくり」を中心にした授業であり、一人一人の子どもたちが「自分の作品をつくりあげた」という点から見ると、子どもたちも「デザインした」といえるであろう。

「教師が行うデザイン」と「子どもが行うデザイン」を整理して考えるとともに、「デザイン」についての咀嚼が必要である。秋田氏は、「子どもをはぐくむ授業づくり」のなかで、「専門家の教師」について次のように述べている。

 ・・・・・

 実践家の専門性とはなにか。実践の知のありかたを生涯模索しつづけたドナルド・ショーンは、実践家の専門性は、学問の理論を現場にいかにうまく適用できるかという「技術的合理性」にあるのではなく、「反省的実践」と「デザイン合理性」にあるとする(ショーン、1994年)。不確実な状況の中で行為しながら省察する対象との対話過程、その対話からデザインへの意図が生まれる過程、協働でデザインを検討する過程、そしてデザインの実現化、実践していく過程でうまれる問題とそこへの対処過程をいきつもどりつする中に専門性を考えている。

 ・・・・・

デザインすることのキーワードは、「反省的実践」と「デザイン合理性」であるということである。これは、「教師」「子ども」の両方に求められることであろう。

また、このことは私たち教師(実践家)が、これからの授業研究において、単に「大学の先生の理論」を具現化するのではないということも示している。





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最終更新日  2006.05.12 16:31:38
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