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2006.06.17
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「授業デザイン」という考えにおいて、「学びのストーリー」が重要な部分をしめるということが分かってきた。しかしながら、「学びのストーリー」をもつことにより、子どもたちの学び、「分かる」ということがどのように変わるのか。そもそも一人一人の子どもがもつ「学びのストーリー」は、どのように授業の中であらわれるのか、これから「自分のことば」で語ることができるようにならなければならない。

藤岡完治氏は、「学習者のストーリー形成としての授業デザイン」について「成長する教師」の中で次のように述べている。

 ・・・・・

 動的な生命体としての授業において教師は、子ども(たち)も一人ひとりが個性的で、独自的な存在として、世界に開かれ、その時々の世界とかかわり、自己を「表現」しつづけている。また一人ひとり自らのストーリーを形成しそのストーリーに導かれて自己を表現している。
 システムとしての授業においても確かに子どもは「学習計画」を立てている。しかしその多くは時間的未来に予定されている諸々の学習作業内容の列挙である。また多くの場合教師の意図に沿うものかどうかを点検してもらって承認を受ける。これでは子どもによる未知の世界に対するストーリー形成とはいえない。
 子どもによる学習のデザインは「見通す」という行為のなかにあらわれる。「見通す」ということは、これからやることを気まぐれに列挙することとは違う。それはまずもって現在の欲求の所在を確かめることである。自己を含んだ場の全体のなかに自己を定位させることである。
 「見通す」という子どものストーリー形成は、未来に起こることへの予期であり、それはいくばくかの危機を伴うものである。すなわち不安や恐れを伴うももなのである。「見通す」という形で表れる子どもによる学習の場のデザインは、ありたい自分への期待ばかりでなく、自己を含む無限定なもの、未知なるものに向かう意志の表明でもある。

 ・・・・・

「ありたい自分への期待。」「未知なるものに向かう意志。」これらが「学びのストーリー」に置き換えることができる「ことば」であろう。また藤岡氏は、「学びのストーリー」を「学びの方向」とも言い換えている。なんとなく使っていた「ことば」が、少しずつ明らかになる。





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最終更新日  2006.06.19 17:44:38
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