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2013.07.24
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先日書いた「授業記録をナラティブ(物語風)に描く〜その1」のつづき。

授業記録を書くときは、授業(子どもの発言)の「流れ」と「つながり」を意識する。特に、「流れ」を意識することの「よさ」について考えてみる。

鹿毛雅治先生(慶應義塾大学)は、「授業の中で起きていることを確かめる」(藤沢市教育文化センター 2003.3)に、「『ストーリー』としての授業」として次にように書いている。

・・・・・

 授業は一種の「ストーリー」として理解することができます。

 ・・・(中略)・・・

 授業のストーリーには二種類のものがありそうです。一つは「脚本としてのストーリー」です。これは、教師が授業に臨む前に構想したストーリーで、脚本通りに授業を進行させようとするはたらきを持つものです。例えば、指導案というのは「脚本としてのストーリー」を表現する有力な手段だと言えるでしょう。もう一つは、「ハプニングとしてのストーリー」です。それは事前に筋書きを描くことが不可能で、その場にいる人たちによって、即興的に演じられていくものです。したがって、何が起こるかあらかじめ予想することは困難で、事後の結果としてのみ、その全体像が見えてくるという性質を持っています。

 ・・・(中略)・・・

 これまでの授業は「脚本としてのストーリー」のみによって解釈される傾向があったように思います。なざならこれは教師サイドにたった理想としての授業像であるとともに、指導案など目に見えやすいかたちで表現されているため、教師たちにとって理解しやすい枠組みだからです。しかし、「脚本としてのストーリー」だけに頼って授業を解釈しようとすることによって、ともすれば目の前で起こっている現実から目を遠ざけてしまい、「こうすればこうなるはず」という「色眼鏡」を通して授業を価値判断にしてしまうということが起こりがちです。授業理解がゆがめられてしまう危険性があるわけです。


 ・・・(中略)・・・

 さらに、授業のストーリーは一話完結ではなく、歴史性を備えているという点にも注目すべきでしょう。個々の授業は「これまで」(子ども、教師、クラスの過去)と「これから」(子ども、教師、クラスの未来)を結ぶ連続性を前提とした「ネバーエンディングストーリー」の一コマでもあるわけです。だからこそ、一つの授業のストーリーを読み解いていくことは、これまでの授業を振り返り、これからの授業を見通していく切り口となるのです。

・・・・・

「色眼鏡」をはずして丹念に子どもの学びを見取るために「ストーリー」を大切にする。私にとって、このような授業記録を書くことは、「理解しやすい枠組み」だけで授業を解釈(評価)しない訓練でもあるのだろう。





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最終更新日  2013.07.24 16:28:37
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