授業研究のあしあと

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2013.08.26
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カテゴリ: その他
子どもたちの「対話」を中心にした授業づくりをしようとするとき、そのデザインをシンプルにする必要がある。なぜならば、「対話」は「子どもたちの考えが多様であること」が前提であり、授業のデザインがシンプルでなければそれらのかかわりを密にすることができないとともに、授業者が授業中、授業後にリフレクションしにくく、ていねいな対応が難しくなるからである。(このリフレクションまで含めたサイクルがシンプルであることが大切である。)その結果として、子どもはジャンプしにくくなる。

それでは、どうして授業のデザインをシンプルにすることができないのか。(シンプルになっていない授業が多いという前提だが・・・。)次の3つのことが挙げられる。

(1)課題が易しすぎること。
(2)「教師が教えること」ではなく「子どもが考えること」を授業の中心に据えることができないこと。
(3)子どもの「学び」や子ども同士のかかわりをイメージする「想像力」が授業者にないこと。

(1)については、とりあえずやってみることで、そのよさを実感することができるだろう。たとえば、算数の発展問題をグループで解決させるなど。特に、「難しくても意欲は低下しない」「できない子どもも夢中になる」「できる子どももできない子どももいっしょになって協力しようとする」という事実に着目して欲しい。

しかし、(2)(3)は難しい。なぜなら、授業者一人ではできないからである。まず、いい授業をみることである。(もとろん、単なる「いい授業」ではなく、子どもの「学び」を大切にし授業者の対応が柔らかいという意味。)私が、別府市立青山小学校や富山市立堀川小学校、奈良女子大附属小の公開研に参加(青山小は毎年)するのは、そのためである。

また、「想定外」の子どもの発言を意味づけるという経験をすることである。これも一人では難しい。授業が「みえる」人と授業ビデオを見たり授業記録を読んだりすることによって、一人では気づかなかった「驚きと発見」がある。私が東海国語教育を学ぶ会のセミナーや社会科初志をつらぬく会に参加するのは、このためである。さらには、普段の授業も、複数で見ることにより、一人ではみえなかったものがみえてくるのである。

だとするならば、私も夏休み中の研修での学びを生かして、授業のデザインをシンプルにできないといけないのだが。9月の授業の指導案を書かずにこのようなことばかり書いているのは単なる現実逃避である・・・。





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最終更新日  2013.08.26 12:14:40
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