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2013.12.05
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カテゴリ: その他
本校の研究の主張の一つに、授業リフレクションによって授業者の「ねがい」を明確にする、鍛えることがある。指導案にも、一番に枠囲みして書くことにしているのだが、これが難しい。おそらく、目の前の子どもの事実を十分にとらえられていないとともに、そのことを「語る」ことを重視していないからだろう。

このことについて、最近、無藤隆先生(白梅学園大学)とフェイスブックでやりとりする中で見えてきたことがあるので、ここで紹介したい。

・・・・・

無藤先生)授業論でよく出てくる、「子どもの学びに寄り添う」とか、「教師の指導を進める」とか、「目標に沿った力をつける」とか、つまらなく受け取れば、誰でも教師ならしていることです。子どもの発言を聞いて、どういう学びに向かっているかを考えて、それに応じて、応対を変えれば、学びに寄り添ったことになる。授業には必ず目標があり、教科書の対応ページがあるはずなのだから、教師のねらいがある。

数量化が好きな教育心理学者らしく些細なところで分類すると、そうなります。

授業論の好きな教育学者や教師はおそらくもっと深みのある高級な学びをイメージしているに違いない。で、その深みのあるものと上記のような浅いものと連続的ではないのか。質的に違いがあるのか。あるとして、どこが違うのか。

私にも返ってくる課題ではありますが、考えるべきことのような気がします。かつまた、研究校(附属や研究指定の学校)での議論がスコラ的であることを脱することを期待したいと思いますね。

上記のことは、だから、コツの集積のみが重要だという意味ではありません。授業における理論化はあり得ると思っていますが、ただ、それは授業における具体的な教材や指導のあり方と絡んでいるとは思います。

無藤先生)スコラ的とはもちろん悪い意味で使っております。ハッキリ言えば、言葉遊び、という意味です。



無藤先生)子どもにあった目標というよりは、子どもの実際の様子の中で言葉を鍛えると言うことですかね。

原口)ありがとうございます。授業ビデオを観ながら、個々の子どもの具体的な学びをストーリーとして語ることができることと大きく関係していますね。授業を観ても、指導案の中にある授業者が適当に使った言葉でしか研究会で発言しない先生方もまだまだ多いようです。

・・・・・

つまり、「ねがい」を鍛えるとは、授業や子どもを「語ることば」を鍛えるということなのである。

(つづく)





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最終更新日  2013.12.05 14:32:47
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