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今晩は渋谷陽一です今日の1曲目はGrant Greenで”Nomad"でした。神戸の震災から13年経過したんですねあの一瞬の衝撃をもってしても日本の災害対策は向上しない。ニュースは所詮、「NEW スッ」 経過してしまえば古くなる。それは全てに云えることである。結婚して10年経過すれば、もはや新婚ではない。新居に揃えた最新家電や家具は、まるで歩調を合わせたかのように悲鳴をあげだした。全自動洗濯機は、給水力を完全に失った。震災当時、夙川や芦屋川に入って、バケツで水をくみ上げていた人を何人もみた。水洗トイレを汚物を流すために、1回にバケツ2杯の水が必要なことをその時初めて知ったように全自動じゃない洗濯機が1回にバケツ何杯分の水を欲するか?わかりますか?水道料金って凄い安いって思いますよきっとガソリンもセルフで自分の力で汲み上げるとこから始めるとリッター150円も安く思えるでしょう多分、その前に車に乗らなくなりますよ「またガソリン汲まないといけないんかい、なら自転車でいこっと」ある日、冷蔵庫を開けると、卵が棚のほうに転がっていた。何で、卵置き場の棚に「卵」がなくて、ビールを置く棚の方に卵があるのか疑問だった。妻が慌てて卵を置いたのかな?しかし、殻に少しヒビが入っている。冷蔵庫の扉が閉まっているのに、「半ドアを知らせるアラーム音」が鳴るようなった。朝の忙しい時にである。冷蔵庫って不思議である。家電製品にはつきものオン・オフのスイッチが無い。リモコンも無い。だけどずっと動いている。センサーがどこに内臓されているのか想像すらできない。ナショナルの製品であった。因みに洗濯機は東芝であった。家電が異様な行動を取ると妻は必ず「叩いた」TVの映りが悪くなった時、妻は何度も叩いたするとTVが我に返って、正常の画像を供給した過去がある。妻は同様に洗濯機も叩いた毎朝、バンバンと洗濯機の外壁を叩く音が部屋中に響いた。3男も一緒に叩いたが、洗濯機の給水機能は復活しなかった。冷蔵庫のアラーム閉まりが悪いのかなと思いおもいきり扉を閉めた2度3度するとアラームがやんだ。それから毎回おもいきり扉を閉めるのが常態となった。ある日思った。ナショナルならこのクレームに対応してくれるかもしれない。ストーブの問題であれだけ長い間クレーム対応キャンペーンをしていたので多分、賢明なる回答をしてくれるだろうと思った。ストーブも心肺機能が低下してきて、点火に1分程かかりしかも、点火したばかりなのに「換気のアラームが鳴り自動消火する」点火には時間がかかるが、消火は即である。しかし、メーカーが日立である東芝や日立は重厚長大的な印象を受け、クレームしづらいきっと役所的な対応をされ余計に腹が立つだけだと勝手に考えている。実際、市役所で印鑑証明をもらおうと朝一番に行った8時45分業務開始なんだが8時42分に朝礼をやりだした8時40分にロッカー入りする職員がいる着席しても、自分の机の掃除もしない。8時45分にチャイムが鳴るが笑顔で市民を迎えるわけでもない私が8時30分からカウンターの前で待っているのを知っていて「お待たせしました」と云う言葉もかけない。何が市民のためのサービスなんだろう?私が転入してきてからずっと同じ窓口の担当者である。その女性とは以前ももめたので、クレームはしなかったが決して専門性がいる仕事でもないのに固定するのはどうだろう?そんな印象が日立や東芝にはある。ビルから受ける印象なのか、駅からビルの中に入っていく社員のグレイな感じの表情を見ているからだろうか話がしたくないのである。松下には仕事で何度も訪問した経験があるので守衛さんからして爽やかなのである。守衛室にも女性社員がいて接客してくれる。サービス産業なのである。だから、冷蔵庫のアラームの事も聞いてみた。洗濯機にしろ、冷蔵庫にしろ、ストーブにしろ対処の仕方はわかっている。買い換えればよいだけだしかし、自転車もそうであったように臨終する時まで見届けるのが、購入者の役目だと私は思っている自転車も寿命と云われ、なお乗り続け、最後にブレーキドラムが崩壊したそれを確認して新しい自転車を1昨年購入した。しかし、その自転車も過酷な使用に悲鳴をあげてわずか4ヶ月で寿命を宣告されるが今日現在まだ生きている。今日も片道20kmの通勤を一緒にした。「最後まで」使いたい。だから買い換えない延命措置を松下(今後はパナソニックだが)には聞いてみたかった。冷蔵庫の型番を調べ、サイト経由クレームする凡そ12時間後の夜8時、携帯に電話がかかる。自転車に乗って帰宅中であったが、帰宅してからもう一度電話してと云うのも悪かったので、担当者の説明を聞きながら走行した。それで、どうすればアラーム音は解消されますか?「直しますので、サービス会社に電話して下さい」ってのが回答だったでも、冷蔵庫を使用できない時間ができるのは困る。5人家族に冷蔵庫の使えない時間は死活問題である。「何か急場を凌ぐ方法は」?「ずっと閉じた状態にするとアラームはなりません、ですが、庫内があけた時も暗いですがいいですか」家に着いた。クラフトテープを取り出し冷蔵庫へ冷蔵庫の右奥にある突起を探すあった指で押えると冷蔵庫の灯がついたり、消えたりする冷蔵庫で唯一スイッチみたいな動きをする。その突起物が二度と起き上がらないようにテープで塞いだ。ドアがあいた冷蔵庫は暗くなった。冷蔵庫としては、いま扉が閉まっている常態と認識している。しかし実際は開いている。それ以来、我家の冷蔵庫はあけても暗い。夜中、照明をつけなくても、冷蔵庫を開けると中に何が入っているのか分ったがうちの冷蔵庫にその機能は無い。しかし、それ以外は冷蔵庫である。ホットプレートも随分前から温度調整ができなくなった。しかし、コンセントを差したり、外したりすることで温度調整ができたので使っていた。ある日家に帰ると新しいホットプレートが到着していた。しかし、前のホットプレートはまだ現役である我家の哲学に反する行為だと心の中で思っていた。旧ホットプレートの売りは「南部鉄」であった確かに重い、しかし、アフターが面倒なのであるテフロン加工していないので、洗いが大変なのであるしかもデカイので、シンクを独り占めするししっかり水気をとらないと錆びるので乾燥も一苦労南部鉄を使えば脂が飛び多少安い肉でもうまく感じるがアフターのことを考えると一軍に昇格することはなかった。個人的にだがあまりホットプレートは好きじゃない食卓の上に調理器が陣取る事が許せない食べるスペースが狭くなる。同様の理由で卓上ガスコンロも好きではない鍋も好きではなかった。結婚してホットプレートでお好み焼きを食べてからホットプレートの存在価値を認めた。やはり大阪人にとって、お好み焼きは焼きながら食べるものだ妻のお好みは実に美味しい。鍋もそうだ、妻は鍋料理を好む準備が簡単だからだ切ってさらに盛るだけでいいからだ妻は鍋の時、立って食べる。妻以外の家族は鍋に箸を伸ばしたことがない。鍋に具を入れるのも、食材をとるのも全て妻がする食べ頃をずっと確認しているが故、妻は座らないだから鍋はいつも美味しい卓上ガスコンロはこの時期特にフル回転である。子ども達三人と午前中出かけていると妻からメールが来た。「今日のお昼はたこ焼き」そう、新しく来たホットプレートには、たこ焼きプレートも装備されていた。94年に大阪に転勤し、大阪と云えばたこ焼きなのでたこ焼きはよく食べる。自宅から半径300メートル以内に頭に浮かぶだけで6軒はたこ焼き屋がある同時にお好み焼きも併設されているがコンビニより多いしかし、我家にはたこ焼き器がない、大阪人の家庭には炊飯器と同じようにたこ焼き器があるはずなのに我家には無い。妻の実家にはあるが12個用なので、我家5人と実家の両親でたこ焼きをすると「食べれない」のだだから恥ずかしい話、たこ焼きを焼いた事はない。(居酒屋で一度遊びで焼いたことはあるが、居酒屋にもたこ焼き器がある)正直、関西に何故「ホワイト餃子・ファイト餃子」が登場しないのか他府県に比べ、大阪の餃子屋は少ないのか、ずっと悩んでいた。豚まん(551)は多いがわかった、遂に謎が解けた大阪で餃子はステイタスを築けない。これからもたこ焼きは「楽しい」「美味しい」我家では1ヶ月に一度、大量に餃子を作る日があるが皮は既製品である。作るのは具と、あと包む作業と焼く作業それにタレも市販のラー油と酢と醤油と唐辛子になる。中途半端なのである。しかし、たこ焼きは皮がオリジナル・ソースもオリジナル、具もアイディア次第作るのと焼くのが同時用意してから口に入るまで、短時間なのであるせっかち者でも自分で焼いているのでイライラしない焼くのも楽しいのである。(技術を顕示できる。大阪人は職人技がけっこう好きだ)今回登場した30個プレートで6回作った合計180個、最後は明石焼きにしたが餃子で1回に180個食べるのは無理である。翌日、清荒神に家族で出掛けた、参道に並ぶ屋台の中にたこ焼き屋を見つける5人とも足をとめ、大将の手先を注視「さすが」大阪に来て14年、いろんな経験をした大阪弁はマスターできないが、かなり大阪人化したと思っていたが、まだ初心者だった「真」の大阪人になるにはDNAが足りなさすぎ。たこ焼き一つ満足に作れない人間を大阪人とは呼べないしたこ焼きを「リスペクト」できない人に大阪を語る資格はないってことを思いしらされた。初めてと云えば、PITAPAである(東京ならスイカ、関西のJRならイコカ)IC決済サービスである。電車が発達していない地方で言えば、ETCみたいな感じ電車も高速もない地方で言えば、お財布携帯かな昨年は、よくアメフトの試合見に行った電車で行くと確実に到着できるため、電車を利用した。しかし、切符売り場が混雑する切符を買わずに財布を改札機に当てるだけで、「ピッと鳴って」改札を通過する人達が羨ましかった。一人一枚いるので、我家は幼稚園の3男を除き4枚のカードを用意しないといけない。年末年始を挟んで約1ヶ月、えびすボールには間に合った(関西学生オールスター対関西社会人オールスターのアメフト対決)えべっさんの終わった先週の土曜日に神戸王子スタジアムで試合があった。初PITAPAである。試合はそんなに面白くなかったが、電車でピタパすることが面白かった翌日、ダイヤモンドシティー(楽天の田中投手の地元伊丹、田中もよく利用する)に普通なら自転車で行くのだが、ピタパがしたくて電車で行くことに長男と次男は首から財布をぶら下げた、ピタパ対策である。それを見た三男も「俺にも首から財布をぶらさげろ」と電車に乗る前に、近所のえべっさんにお参りに行く榊が置いてあり「福が来ます。財布に榊の葉を1枚入れておくとよいですよ」と書いてあるみんなの財布に1枚1枚榊の葉を入れる。阪急電車の池田駅に着く改札を通過するやると思ったらやっぱり、3男も改札に財布をピタ3男は幼稚園なので無料なのだが、長男と次男がやるからしょうがない。「スゴイね、ユースの財布もピタパできるんや」と云うと「さっき、神様の葉っぱいれたからできるようなった」と榊の威力がもう出るとは
2008年01月18日
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今晩は渋谷陽一です今日の1曲目はHerbie HancockでThe Eggでした。昨年、意外なブログを見ました私のブログにリンクしているBrew携帯電話圧縮プログラム開発をしているソフィアクレイドルの杉山社長の昨年の日記に角松敏生が登場する。年齢は私と同じもの静かで、日常の事象をすべて数学で解明かそうとするまさしく、昨年のドラマ『ガリレオ』の福山みたいな社長が角松とは北野高校から京都大学の過程の中で、角松に傾倒していたとは到底考えられない。が、現実には角松が実在したんであろう。ここ数年、プロのコンサートには行っていないが子ども達の演奏や発表会には行く。彼らはアーチストではないが表現に全く「私心」が無いので私は大好きである。それはどう云うことか杉山社長のブログの冒頭を引用させて頂く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんとなく最近、角松敏生というアーティストの音楽をよく聴く。目にした『SEA IS A LADY』という CD のライナーノーツの冒頭はこんな言葉で始まっていた。欲望を抑制することが道徳の一部であるとするなら、芸術と呼ばれるものの多くは、およそ道徳的ではないと思う。特に音楽はどんなジャンルのものにしても、人間の『~したい』と言う感覚によってひきおこされる心の動きと密接に関係しているからである。…ソフトウェアも人間の『~したい』と言う感覚に引き起こされる度合いが強ければ強いほど、それと同じ想いの人の心に響くような気がする。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用終わり・・・・・・・・・・・・・・ライナーノーツを批判するわけではないが、芸術家が一番最初に志すことはやはり『生計』であろう。生涯の仕事とするってことを、子どもの頃から想い描くそうなったとたん、純粋さや無心と云う『素敵な』ものが無くなってしまう。先日、2夜連続で放映された『のだめカンタービレ』はさほど面白くなかったがのだめの学生時代のSオケは、下手な学生がまるで学芸会の如く演奏するゆえどんどん引きつけられた。長男が幼稚園に入った最初の運動会で私は涙した。自分の息子の演技に感動したのではなく年長児が、一生懸命演技している姿に、涙が抑えられなかった。長男が小学校に入学した最初の運動会で私は涙した。はじめは、小学4年の縄跳びの演技ミスチルのサインと云う曲をバックに単純に縄跳びを跳ぶのだが小さい女の子が、縄跳びが長くて、何度もひっかかりながらまわりの子に「ごめんね」と目配せしながら跳ぶ姿に涙があふれたそして最後の5・6年が一緒にする組体操は最初から最後まで身体が震えるぐらいの涙が出た。今では中学になっている彼らを街でみかけるとあの組体操の勇姿がかぶる。その翌年も組体操には感動したが、一昨年・昨年と運悪く雨となってしまい、私の好きな運動会に会えてない。11月に毎年「音楽発表会」がある。11月は仕事で休みも無いので、視聴する機会がなかったが昨年はその機会に恵まれた。楽しみは、2年の次男の演奏でも、4年の長男の演奏でもない4年~6年が一緒に演奏する吹奏楽であった。吹奏楽は一番最後にあるのだがそれまで、各学年、クラスごとに歌と演奏を行う。歌はピアノの伴奏だけだが、アレンジがスゥイングジャズな感じで先生のピアノにまず感動する。そして、指揮をとるクラスの担当教諭の指揮姿に感動するそして、その指揮棒に集中し、大きく口を開き、だんだんだんだん身体がスゥイングして最後には雛壇の上で皆がゴスペルチックにリズムをとり踊りともいえないダンスともいえない、その子自身のソウルが出現する。ポップスやロックではない、小学唱歌である。が、鳥肌が立ち涙が溢れる。角松のコンサートに何度も行ったが「こんな感動はなかった」学生時代、実に多くのコンサートに行ったが、踊れたけど涙は出なかった。何が違うんだろうか?残念ながら、楽しみにしていた吹奏楽の前に電話が入り吹奏楽の演奏を聴くことができなかったがその歌を聴けただけで、運動会以上の感動をもらった。12月に3男の幼稚園の音楽発表会があった。年長の室町太鼓(室町幼稚園伝統のタイコ)の演奏にも涙がでたが何だろう、自分の子どもでもなく、知っている子がいるわけでもないのに息子が参加しているアメフトのチームは3年前に出来たチームだが入部当時4年の子が6年になり、リーグ戦をするのだがそれでも勝てない、12月、もうこの試合に勝てないと公式戦1勝もできてなくて卒業することになるその最後の試合、6対0とリードするが、中盤で7点入れられ逆転されるスタンドの父兄も「また勝てないか」と思いながら試合を見守るしかし、時間はどんどん経過する。しかも、相手の攻撃だ、残り時間からしてもこのまま相手の攻撃で終わると誰もが感じた時相手のエースランニングバックがまさかのファンブルそのボールを取ったうちのチームのディフェンスエンドが約40ヤードを激走しタッチダウン。見事逆転で最終戦にして初勝利!!この感動とは違う「やった、よくやった」と云う歓喜の涙ではない。音楽発表会の児童達が持つエネルギーに『欲』が無いのである「勝ちたい」と云う欲が働く競技ではだめなのである。小学校や幼稚園は普段は「うるさい」のであるがどんなコンサートホールや演劇会場よりも凄いエネルギーを出すそれが無料であるから尚よい。しかし、そんな学校がどんどん減っていく。子どもが少なくなっていくから。誠に残念である。しかし、子どもを育てた事が無い人にとっては「小学校・中学校が統合される、閉鎖される」ってことはニュースでしかないであろう。でも、難しいだろうな若い人に、小学校や幼稚園の演技を体感してもらうのは私も親になったから感動しているのかもしれないしそのあたりはよく分からない。他の親の方々が私のように泣いているかっていうと?私のように泣いている人も見かけますが、そうじゃない人もいます自分の子どもだけカメラで追いかけて、あとは「関係ない」って人も多いです。余談だが、学研の作った地球儀の「台湾島」問題で私は次男の事を思い出してしまった。昨年のクリスマスイヴ次男はサンタにメモを書いた「プレゼントはここに置かないで、あそこの毛布の上において」と書いてあった寝相が悪いので、枕もとに置くとプレゼントがつぶれる可能性があると感じた彼は安全なところにプレゼントを避難させようとしたのである。しかし、そのイヴにサンタは来なかった。長男が既にサンタの存在を信じないため、クリスマスプレゼントの習慣を辞めようとしたのであるが・・・本当にサンタを信じているのかけどサンタには次男が欲しいものが分らなかった。長男も次男もゲームが欲しいのは知っていたWiiが欲しいと聞いていたがゲームは家庭崩壊の原因なので、「買わない」宣言をしていたのである。枕元に手紙があるのを知った妻はサンタになりかわって手紙を書いた「サンタは今忙しく、プレゼントを今日持ってくることはできませんでしたゴメンね」長男は「サンタ来てるなら、ついでにプレゼント持ってこいよ」と翌日突っ込みを入れていたがそんな25日、次男はまだプレゼントがもらえると信じていたが、肝心の「何が欲しいかわからない」妻が、次男に「もう一度サンタに何が欲しいか手紙を書いたら」と提案する次男は枕元プレゼントを入れてもらうための箱を設置しその中に手紙を書いて入れたらしい妻はこっそりその手紙を読み私にメールをしてきた「サンタさん地球儀とサッカーボールが欲しいです」「地球儀とサッカーボールか、どっちもカサバルな、今日は電車通勤なんでサッカーボールはあるからキャンセル、地球儀を買って帰ります」と返信した。早速、近くの東急ハンズに地球儀を探しに行く。3万円以上する地球儀が一杯あるこんな高いのかと驚く私地球儀らしい大きさになると1万円は超えるしかし、電車で大きな荷物は勘弁して欲しい私はバレーボールぐらいの地球儀で納得してもらおうと決め4000円で購入26日の夜のことである次男が「パパ、テーマパークってどこにあるか知ってる」と質問してきたしっかり見なかったけど、最近の地球儀には「テーマパーク」の位置も書いてあるのかだけど、日本のサイズも小指の先ぐらいだし、ディズニーランドの位置なんか記載できるわけないしな、アメリカの地図の中に書いてあるのかなぁ?とか考えながら、ふと次男の方を見るどうも視線の先がアメリカではない、上部の方にある。「テーマパークじゃなくて、デンマークちゃうか?」と尋ねる「そうそう」と答える次男地球儀のほうがWiiより面白い
2008年01月11日
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今晩は渋谷陽一です米老鼠(中国語)今年の企業向け年賀状の言葉ですそうミッキーマウスですそれでは今年最初の曲をWes MontgomeryでMovin' Wes(Part 2)でした子年だからミッキーなんですがMickey Mousemic key mouseと分割すると子年はMICが鍵となる。と訳せます(強引ですが)なので今年はMICに注目!企業らしいこじ付けですね(嫌だ嫌だ)昨年はいろいろビックリさせられることがありましたが一番の驚きは梅田の地下街でばったりソフトバンクのCMに出ている黒人男性に出会ったこと二番目の驚きはケニアの女性マラソン選手といつも通勤する公園で出会ったことカンガルーかカモシカかと思わせるくらい重力とは無縁のジョグをして通過していった三番目の驚きは同じくその公園で出会った、エチオピアの競歩の男女3人脚が動く度に、体中の筋肉が右に左に移動するするのであるこんな筋肉はお目にかかったことがない。オシムさんが言うように、身体能力ではとてもアフリカやヨーロッパの選手にはかなわない、彼らの肉体を見てしまうとスティルスにゼロ戦で空中戦を挑む戦士の気持ちになってしまう。いかにメンタルが重要なのかがよく分かる。同じことが関学のアメフト部にも言える立命、日大、松下、どこも身体能力では関学を引き離していたが関学が凄いのは、劣等感を味方にしているところである弱いからこそ、考えて補わなければならない。「考えて走るサッカー」に共通する『らしさ』の追求が感じられたイチローが筋肉がつかないストレッチで鍛え筋肉の塊のような大リーガーに正面から挑み結果を残しているのと同じである。ただ昨日のライスボウルにおけるQB三原には少し過信があったのかもしれない前半のQBからのパスをインターセプトされた1球と後半のQBサックに合ってのファンブルは今シーズン初めて犯したミスである。ただ関学のアメフト部には、最高に楽しませてもらったいろんなスポーツにも感動したが関学のアメフトが07年のMVPである。しかし、のだめは面白い応援的には日大のブラスバンドが最高のパフォーマンスなんだが箱根駅伝の裏でやっていたのだめ視聴したのは初めてだったが、ブラスバンドみたいな交響楽が最高である。次男が20kmってどれぐらい?って聞くので体感してもらうことにした。日頃、20kmを自転車で走っている私としては20kmを言葉で説明することができない。20kmを歩くのも走るのも、自転車で走るのも実感しないとその凄さ・楽しさが分らない。先日シルクロードの番組を視ていてバスがチベットの村に到着したパラボラアンテナを担いだお客さんが「ここから5時間かけて、パラボラアンテナを担いで帰る」と言ったそれを聞いた妻は「5時間も」と叫んだが「20km歩けば5時間かかるよな」と冷静に云う私を「変体」という眼つきで見た。しょうがない、20kmの距離を自力で移動したことがない人にとって20kmは無駄な距離であり、5時間はもったいない時間になる。今年は東京でよく歩いた大森から大崎に行き、そこから渋谷へ、渋谷から新宿に行き新宿から代官山まで歩く品川から広尾、麻生、六本木、新橋と歩く、新橋から東京駅まで歩く当然歩きながら、新春には、ここを各大学の選手が走るのかと思う時もあった往復200数十キロ、テレビ中継では選手の顔や中継車や白バイがよく映るが沿道で応援する人で隠れてしまっている街並みをゆっくり見せる番組があれば、NHKのシルクロード並みな教養番組になる国道1号線は正しく歴史街道である。都心と一言で表現されるが区や町をよく監察すると、その町がかつてどんな産業がもとに発展したのか誰のおかげで栄えたか、古代誰がどんな生活をしていたのか坂や谷があるのに、川がないのは何故なんだってことが自然に疑問となる箱根駅伝はその20kmの組み合わせである。大人が多少早いスピードで自転車をこぎ続ければ1時間で20kmぐらいは移動できる。私が先頭になり、2番目に次男、3番目に長男9時20分に家を出て、宝塚の往復20kmを1時間30分かけて往復する予定であったしかし、小学2年の17インチの自転車には、真冬の寒風と真横を走る車の風圧が最後まで負担になり、途中の売布神社(めふ)で時間を45分消費してしまった。11時には妻の実家に向けて出発しなければならなかったので売布でUターン往復13kmの自力走行をしたあと視た箱根駅伝の選手を次男と長男はリスペクトした。そして、次男は「今度は自分の脚で20km走りたい」と申し出てきた
2008年01月04日
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