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チェ・ゲベラは有名ですよね。彼を知らない人でも、写真位は見た事があろうかと思います。アジアの星一番 も、名前しか知らなかったですが、キューバを訪ねた時、「キューバ ハバナ 革命広場」の建物に、彼の大きな壁画があったのを見ました。もう亡くなってだいぶ経つのに今だに人気のチェ・ゲベラです。キューバへ行ってから、もう10年が過ぎましたが、チェ・ゲベラの印象は強いです。下記の映像を見つけて、又、感慨を深くした次第です。https://www.youtube.com/watch?v=ErkVFI_HTDE彼は、アルゼンチンの、裕福な家庭に生まれ、何不自由なく育ちます。子供の頃、重い喘息があり、発作に苦しみ学校も満足に行けなかった。教育熱心な母親に教育を受け、家にあった3000冊の本を読破した由。ブエノスアイレス大学医学部に進み、自分と同じような病気の人を助けようと医師を目指す事になります。23歳で、友人とバイクでラテンアメリカの旅に出て、チリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラなどを廻り、貧困の人々、病気でも薬も買えない人々に会うのであります。当時は、貧富の差が激しく、大地主や政治家など一部の金持ちが支配していた時代であった。25歳で2回目の旅に出て、ボリビア、ペルー、エクアドル、グアテマラ、メキシコなどを廻り、ボリビアでの革命を見て、さらにグアテマラでの革命も見たのであります。その頃は、一部のアメリカの大地主などが、安い給料で労働者を酷使し利益を吸い上げていたのです。その時、革命を意識したようなのですねー。革命広場の前にある、「ホセ・マルティ記念博物館」です。メキシコで、カストロと会い、共にキューバ革命を行います。砂糖キビの輸出、利益のほとんどを地主とアメリカが独占していたが、キューバ革命は成立し、カストロ首相の下で新しいキューバを作る。国立銀行総裁、工業大臣などを歴任し、アメリカを追い出し、農地改革を実行、政治も行い、キューバの英雄となる。その後、カストロと別れ新しい革命を求めて、コンゴ共和国へ行くも、1年で挫折。さらにその後、ボリビアへ、1年近い戦いの後、政府軍に捕らえられ、銃殺され、39歳で天国へ旅立った。このような短い人生であったが、強烈な印象を残し、端正な顔立ちもあって人気は衰えないのであります。今でも、Tシャツには、彼の写真が使われて、売られていますよね。貧しい人々を救い、革命に生きた、チェ・ゲベラ、人気が衰えないのも当然なのでしょう。彼の遺品や書き残した資料が、世界記憶遺産に登録されているそうです。
2020.11.19
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本日、24日(土)、9泊した、「民宿らぱちょ」を後にして、ブエノスアイレスに帰ります。昨夜は、7つのベッドが満席で、さらに、お二人が、リビングのソファに寝ています。アジアの星一番は、早や立ちで、早朝5時過ぎに起きだしました。部屋には、熟睡している皆さん、リビングには、ソファでお二人が寝ています。キッチンだけの蛍光灯を点けて、いつもの生姜紅茶を飲みます。そして、音をたてないように、パッキングを行います。それが完了したら、時間まで、ドラゴンボールを読みます。5時45分を過ぎた辺りで、ソファに寝ていた人達が起きました。一人は、JICAでパラグアイに来ている20代の女性です。スペイン語の試験を受けに、首都のアスンシオンに来たと言っていました。ブエノスアイレスでは、毎月、スペイン語の検定試験(DELE)があると聞いていましたが、パラグアイでは、つい最近まで、国内で試験は受けられず、チリまで行っていたそうです。アスンシオンで受けられるので、楽になったと言っていました。隣国でもずいぶん違いますね。もうお一人は、58歳の謎の男性です。知識が豊富で話し好き。話し出したら、止まりません。アジアの星一番は、それほど話し好きでないので、出来るだけ近づかないようにしていた方です。6時20分。予約した時間より、10分も早く、タクシーが来ました。朝が早過ぎるので、空港行きバスが来るかどうか、分からず、止むを得ず、高額なタクシーで、移動です。空港には、6時40分に着きました。早過ぎます。アルゼンチン航空のチェックインカウンターは、開いていたのですが、イミグレーションが、7時20分まで開かない、と言う事で、待つ事、およそ30分、ようやく中に入れました。タクシー代のみ、12万グアラニー残してありましたが、10万グアラニーで済みました。2万グアラニー余りましたが、持っていても、使い道がありません。レートは悪くても、両替するか、と両替屋を探すと、何と、レートが市内の銀行と同じ、1US$=4400グアラニーです。空港はレートが悪いと、信じ切っていましたが、どうして? と空港内の両替屋を見て廻りました。5軒ほどありましたが、2軒は、1ドル=3700、残りの3軒は、4400グアラニーでした。到着の時、3700で両替しましたが、全部のお店を見て歩いたら、4400で替えられたかも知れません。若しかしたら、祝日だったので、レートが悪かったのかも知れません。いずれにしても、損した気分は変わりません。しかし、残った、2万グアラニーは、4520グアラニーで1ドルに替えられ、4ドルと2000グアラニーを受領出来ました。待合室で、そんな両替の事を考えていたら、良い音が聞こえて来ます。何と、空港内待合室で、ハープのような楽器を弾いています。イミグレを通過した中なので、空港の許可を得ているのでしょうね。とても、美しい音色で、気持ちが良いです。空港アナウンスがあると、うるさいなー、邪魔だなー、と感じた程です。余った、2000グアラニーは、チップとしてあげました。予定より、5分ほど早く、9時5分に飛び立ちました。アスンシオンよ、さらば! 又、来る日まで。食事は、来た時と同様、サンドイッチとコーラです。飛び立って、1時間半も経たずに、下降を始めました。ブエノスアイレスの近郊は、草原、湿地帯のように見えます。上空から見ると、さすが、ブエノスアイレスは、大都会ですね。南米のパリと言われるはずです。飛行場は海沿いにあります。海側から、ランディングです。心身共にリラックス出来た、「民宿らぱちょ」、9泊10日のアスンシオン日記は、これで、おしまい、です。
2014.05.26
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本日、23日(金)は、アスンシオンの最終日。明日、ブエノスアイレスへ帰ります。起床はいつもの通り、6時。オーナーの由紀子奥様が朝食の準備で起きだして来る、ほぼ1時間前です。朝食は、レストラン菜の花の、巻寿司を頂きました。無料でお寿司、有難いです。本日は野菜も食べ終わりたいので、キャベツにキュウリ、そして卵焼きも作りました。その後は、天気が雨模様のせいもあり、ひたすら漫画を読みました。そうそう、ここ「民宿らぱちょ」で、ワンピース70数巻を、滞在中に全部読み切る、と張り切って来たのでした。ですが、結果は → 挫折。初日は、確か、5冊位まで頑張って読んだのです。でも、2日目2冊、3日目3冊、その程度しか進まず、結局11冊目で諦めました。何故か? ワンピースファンには、申し訳ないのですが、面白くないのです。ストーリーは、まぁまぁだと思うのですが、戦いの絵が、どのように戦って、そして勝っているのかと、分かり難いです。それで、面白くないのです。それで、世界でも、人気度をワンピースと争うと言われている、ドラゴンボールを読み始めました。ドラゴンボールは、面白くて、順調に、読み進みました。ワンピースを止めて、ドラゴンボールにしてから、昨日までに、1巻から18巻まで読み終わりました。そして、出発間際まで、読んで、25巻の途中まで読んだのであります。漫画とは言え、壮大な物語ですねー。こんな事なら、始めから、ドラゴンボールを読むのでした。アジアの星一番としては、ドラゴンボールの方が、絶対に面白いです。ワンピース読破、再挑戦をしたい気持ちが湧いて来ません。ドラゴンボールは、いつか、どこかで、読み終わりたいですねー。
2014.05.25
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パラグアイの国樹は、「らぱちょ」です。8月頃、日本の桜のように咲いて、とても、美しいと聞きます。日系人の間では、パラグアイ桜と呼ばれているそうです。花の色は、一種類でなく、数種類あるようです。これは、ピンクです。(パラグアイ70周年記念史の写真を借用)色は濃いですが、桜に似ていますね。因みに、現在、宿泊中の、「民宿らぱちょ」は、この国樹の名前を選んで付けたと聞きました。花が散る時は、桜のように、花ビラ1枚1枚散るのでなく、額の所から、離れて、パラシュートのように、くるくる回りながら落ちて来るそうです。花の色は、上掲のピンクの他に、黄色と白とあるようで、ピンクの花の木が一般的なようです。黄色の花の木の写真もありましたので、転載します。らぱちょの写真を見ると、国樹と言うより、国花の方が良いと思いますが、パラグアイの国花は、トケイソウだそうです。これも、Yahooの画像からですが、借用した写真を掲載します。トケイソウも種々な花の色があるのですね。先住民族は、この花を、「Manaka(マナカ)」と呼んでいたそうです。マナカ、って呼ばれると、最近の日本の女性の名前のようですね。ついでに、この辺りに居ると言う、動物などの写真も掲載します。何れも、移住70周年記念史にあった写真です。オウムです。カピバラです。カピバラは、グアラニー語の「Kapiyva」(草原の主)がもとで、それがスペイン語になり、英語にもなったようですから、パラグアイ原産見たいなものですね。南アメリカ東部アマゾン川流域を中心とした、温暖な水辺に生息すると、ウィキペディアに記載されており、体長105から135cm、体重35から65kgにまで成長するそうです。しかし、性格は非常に穏やかで、人に懐く事からペットとしても人気があるとの事です。オオハシです。アスンシオン生活も、8日が経過しました。ブログを読んで下さっている方々は、何と言う、ダラダラとした生活なのだ、何しにパラグアイへ行ったのだ、と思われる事でしょう。本当にゆったりした毎日でした。本日より、急激に寒くなり、明日も雨で、寒い模様です。ブログは、翌日の朝、書いております。ですから、今は、5月23日(金)の朝です。明日、24日(土)の早朝、宿を出発しますので、アスンシオンでアップする、アスンシオン日記は、これが最終です。又、ブエノスアイレスで、お会いしましょう。
2014.05.23
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「民宿らぱちょ」には、お風呂があります。寒い冬には、お風呂は欠かせませんが、暑い時でも、お風呂に入って、さっぱりしたいですね。重慶以来、お風呂に入っていませんから、7~8カ月はシャワーだけでした。今夜は、入りたいです。こんなお風呂です。本日も、いつも通り全く同じですが、早く起き過ぎました。5時10分 起床7時半 朝食10時 コーヒー寝不足なのか、いつもボォーっとしている頭が、さらにボォーっとするので、午前の昼寝です。1時間も寝たのに、昼食を食べて散歩に行こうと思ったら、又、眠くなって、午後の昼寝です。又もや、1時間も寝ました。それで、散歩に行きそびれてしまったのであります。この日は、1000歩も歩いていません。何とも、だらだらした贅沢な生活であります。この日の写真はないので、一昨日、散歩した写真を掲載します。まず、エウサビオ・アジャラ通りを歩きます。大通りですが、歩道がきちんと整備されていないし、車も駐車しているので、歩きにくいです。バスターミナルへ行く、アルゼンチーナ通りに出たので、バス停の反対側へ歩いて行きました。空港から来た初日、3回目に乗り換えたバスに、この道路のバスターミナル側で降ろされたのでした。ここから夜の道を、「らぱちょ」を探して歩いたのです。「ALL STARS」、何だろう? ブエノスアイレスには沢山ある、中華ブッフェですね。パラグアイは、台湾と国交があるので、中国人は少ないと思うのですが、台湾人の経営かなー?こんなショップもありますが、人通りはほとんどないので、車で買い物に来るのでしょうか? 高級そうなので、お金持ちのお客さんが来るのでしょう。アルゼンチーナ通りを左に曲がりました。大通りよりも、歩道は歩きやすいです。街路樹には、何かなっています。ミカンの種類ですね。どの木にも沢山なっています。取って食べても良いらしいですが、丁度、食べ頃のが見つからないです。同仁堂です。これも台湾人の経営かなー? 結構、中国系のお店がありますね。中国系は少ないと聞いたのですが・・・。ほぼ1万歩、歩いて帰って来ました。丁度良い散歩コースです。宿に帰ると、まなちゃんが、いました。可愛い子供は、心が和みますね。そして、夕方、待望のお風呂です。アジアの星一番、化粧して、ゆったりお風呂に入っています。気持ち良さそうですねー。空手で鍛えているせいか、逞しい身体しているじゃーないですか?(自画自賛)久しぶりのお風呂で、心身共にリラックスしました。
2014.05.22
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5時45分 起床7時半 朝食10時 コーヒーいつもの通りですが、このコーヒーの後、アスンシオンの市内、セントロへ行こうと思っていました。しかし、昼時になるし、どこかで食べるのも面倒だなー、と思っている内に昼になってしまい、結局、スパゲッティを作り、昼食です。さぁ、出発しよう! としたのに、眠くなってしまいます。眠たい時に寝る。これがうつ病予防には最適なので、迷わず寝ました。自由で良いでしょう? 発病して間もないサラリーマンだった頃、よく倉庫や、空調室で寝たものです。あの頃は、苦しかったなー。そして、13時45分、ようやくセントロ目指して歩き始めました。メルカド(市場)を通って行きます。その道路の両脇も小さいお店が沢山あり、歩きにくいです。メルカドを取り抜け、出発して40分ほど歩いた頃、雨がポツポツ降り出しました。困ったなー、と右手を見ると、見慣れた風景が目に入りました。内山田ホテルです。前回は、ここに泊まり優雅な、超高級バックパッカー生活をしたのであります。テニスコート、プール、ゴルフの練習、これらが無料で出来ます。「スキヤキ」と言うレストランも健在でした。でも、ここは一番安い部屋でも、「民宿らぱちょ」の3倍ですから、お値段からすると、貧乏旅人にはきついです。それに客同士の交流も、ほとんど出来ないです。ドミは、色んな話が出来る事も、良い面の一つですね。門に鍵がかかっているのですが、チャイムを押して、入れて貰いました。雨宿りをさせて欲しいとお願いすると、「どうぞ、どうぞ!」、と日本語で答えが返って来ます。客でもないのに、親切ですねー。この豪華なソファで、ゆったりと雨の止むのを待っておりました。ロビーに、「パラグアイ移住70年史」、と言うのが置いてあり、ぱらぱらと眺め読みし、時間をつぶします。内容は、パラグアイだけでなく、日本人の移住の歴史も書いてあり、興味が湧いて来ます。移住は、ハワイやアメリカが先だったのですね。それから南米へと替わって来たようです。バックパッカーが必ず行く、イグアス居住区は、当初2000所帯の日本人移住を考慮し、土地を準備したらしいです。しかしながら、その当時、1960年頃のようですが、日本の経済も向上して来た頃で、移住希望者が激減し、結局、大きな居住区にならなかったと記載がありました。その移住史を読んでいたら、雨は止みましたが、セントロへ行く気が失せ、そのまま、宿に帰りました。何の為に出発したのか? アホな行動やなー、と我ながら思いますが、往復1万1千歩、歩いたので、よろしいでしょう。汗も掻いたので、シャワーを浴びると、歩いたせいか、猛烈に腹が減っているのに気が付きました。夕食を作るのも面倒だなー、「そうだ、菜の花へ行こう!」と、「民宿らぱちょ」の1階、ご主人が経営しているレストランへ行ったのです。ここです。この人が、メニューを持って来てくれました。キレイでしょう? 写真では分かりませんが、栄養が行き届いているのか、身体はちょっと太めです。さて、メニューです。ヤキトリが美味しそうですねー。ビールが飲めたら、ヤキトリで一杯なのですが、残念ですが、飲めないので止めです。1本100円しないお値段です。そして、定食。唐揚げも、生姜焼きも、焼鳥丼も、全て美味しそうですが、ご主人秘伝のタレと言う、「豚焼肉定食」にしました。席は、一番奥です。アジアの星一番は、いつも端の方がお好みですね。真ん中には、座りません。誰でもそうでしょうか?これが、「豚焼肉定食」の、焼肉です。メニューに、Costillaとありましたので、リブロースですね。このキャベツの細切り、見えますか? 素晴らしいです。これに、ご飯に味噌汁、おしんこが付きます。宿泊客は、ご飯のお代わりが、無料です。いつもの通り、無料の言葉に極端に弱いアジアの星一番は、お代わりを頼みました。「ふぅ~! 食った~!」食べすぎです。お腹パンパン、美味かった~!これだけ食べたら、3日間位、腹減らなくても良いと思うのですが、翌日になると、又、腹減るのです。全く不思議ですなー。アジアの星一番自炊の料理とは、違いますなー!プロの味は、さすがに違います。たまの贅沢も良いもんですねー!アジアの星一番が、注文した後、一緒に泊まっているご夫婦がやって来ました。それで、話しながら食べたのですが、この若いご夫婦、世界一周の旅を終えたら、フィリピンへ移住すると言うのです。驚きました。そして、カップルで旅をしている男性は、総じて優しい人が多い、と以前、書いた事がありますが、このご主人もそうです。料理はご主人の担当だそうです。いえ、旅の間だけでなく、日本にいる時もそうだったそうです。驚きました、さらに、ご主人ですが、「主夫」になるのが夢だと言っています。「ええ? えええーーーー!」っと、アジアの星一番は、驚きました。そう言う男性もいるのですねー。 主夫? か・・・。 良いかも・・・。
2014.05.21
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本日も、ほぼ昨日同様の生活で、宿でゆったり過ごしております。さて、アスンシオンでの食事ですが、1回も外食しておりません。全て自炊です。朝食は、パン、コーヒー、紅茶は、「民宿らぱちょ」で、準備してくれます。この日は、レストラン菜の花で、昨日の味噌汁が余ったとの事で、大好きな味噌汁も頂きました。キャベツを刻んで、バナナも1本付けた、この日の朝食です。この日の朝食は、キャベツの他に、キュウリと、卵も焼きました。昼食は、毎日スパゲッティです。スパゲッティとオレンジシュース、これが昼食。アスンシオンへ来る直前から、体調が上向きとなり、アスンシオンへ来てから、さらに体調も向上、「体調良好」の二重丸が、アジアの星一番の健康メモに記され続けております。2月までは体調に合わせて飲んだり飲まなかったり、それから、3月10日頃より、飲むと気持ち悪くなるので、飲む気になれず、禁酒していました。ですから、2ヶ月は、全くアルコールを摂取しておりません。ですが、体調が良くなると、飲みたくなります。それで、試しに、ウィスキーを薄くお湯で割って、飲んで見ます。つまみはトマトです。もう、3日連続飲んでいますが、気持ち良く酔えます。(わずかな量ですが。)体調が良くなっている証拠です。何故、突如、体調が悪くなったり良くなったりするのか? 詳細なデータを毎日、緻密に、何年も、1日も欠かさず、つけ続けているのですが、全く、理由が分かりません。今回、変わった要因を挙げて見ますと、 1.ほぼ半年ぶりに旅に出た。 2.気候が暖かいアスンシオンに移動。 3.朝から夜まで、パソコンに向かっていない。漫画を読み時間がある。 4.宿の奥様や、お客さんと話す。これ位だと思います。睡眠時間も、食事も、運動(散歩)も、起床時間も変わっていません。小説は書き貯めた物があるので、アスンシオンに来てから書いていません。それで、パソコンに向かう時間も減っています。これから、考察するに、アジアの星一番、うつ病予防の対策は、 1.3カ月に一度は旅に出る。(今まで、3ヶ月以上、一ヵ所滞在は少ない。) (重慶滞在3年間も、2ヶ月に一度程度は旅に出ている。) 2.パソコンに向かう時間を減らす。(どの位の時間かは難しいが。) 3.暖かい地域に住む。(やっぱり、チェンマイを本拠地かなー?) 4.どなたかと雑談する時間を持つ。(どうすれば良いのか?)こんな、所でしょうか?全く、面倒ですね。生活する上で、心配事は何もないのですから、うつ病の症状が出なくて良いはずなのですがねー。ほんと、面倒な心です。さて、夕食ですが、鍋で炊いたご飯と、豚肉野菜炒めです。煮物まで作る調味料がないので、野菜を代えるだけの、平凡な毎夜であります。さて、ある日の朝食です。寿司に、焼きそばに、味噌汁。レストラン菜の花の、食品です。豪華ですねー!前日に余れば、翌朝、我々、宿泊客にも振舞われます。有難いですが、全部、売り切れて欲しい気持ちもあるし、ご馳走になりたい気持もあるし、複雑です。と、まぁ、こんな食事であります。
2014.05.20
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起床 5時45分朝食 7時半コーヒー 10時昼食 13時昼寝 14時~買物 15時半風呂 16時一杯 16時半~夕食 18時30分どうでしょうか? 優雅な一日でござんしょう?この時間の合間に行ったのは、何かと言えば、ブログ書いて、それから・・・何したかな~? そうだ、ドラマを2本見ました。「軍師官兵衛」と「ファースト・クラス」、これを見ました。官兵衛、捕われの身です。そうそう、それから、本日は、日曜日、小説・チェンマイに佇む男達、第一章、「鈴本誠一の場合」の、第87回を発信しました。いつの間にか、87回です。一回5ページですから、もうA4で、435ページです。早く完結しないと、いつ完了するのか分かりません。プロローグも書けないし、第二章にも進めません。さて、本日は、「民宿らぱちょ」の紹介です。戯言を言っている場合ではありません。ここが、「民宿らぱちょ」の入口になります。2階への階段を上りますと、下駄箱があります。さすが日本人宿、ここで、下履きと上履きに履き替えます。これが嬉しいですね。ブエノスアイレスの宿は、当然ながら靴でそのまま部屋まで行きます。犬のうんちを踏んづけた靴でも廊下を歩きます。それが、嫌なのですよねー。そして、ベッドルーム。アジアの星一番は、4人部屋に寝ています。この部屋の他、3人部屋があります。4人満室になると、荷物置のスペースが、ちょっと狭いかも知れません。すみません。寝乱れたアジアの星一番のベッドです。特筆すべき事が、2項目、ここにあります。お判りでしょうか?正解は、枕の左上にあるライトです。ベッド枠の木に枕を乗せて、その上に頭を乗せると、漫画や本を読むのに、最適なのですなー。それに、もう一つ。一番奥の籠が見えませんか? 小物入れです。アジアの星一番は、眼鏡をかけているので、置き場所にいつも困るのです。ですが、ここでは、困りません。もう一つありました。写真には、ほんのちょこっとしか写っていませんが、各ベッドにコンセントが準備されています。4個口ですから、どんな充電でも出来ます。宿によっては、コンセントの取り合いもありますが、ここではあり得ません。細かい心遣いでしょう? 有難いですね。そして、洋服箪笥もあります。キッチンです。鍋、フライパン、お皿、お椀、スプーンに箸、何でも揃っています。それに、食料油、塩、砂糖は、「らぱちょ」にて、無料で準備してくれます。但し、炊飯器はありません。困ったなー! と思ったのですが、鍋で簡単に炊けるのですね。一人前だと、7~8分で炊けます。10分ほどむらして、その間に、おかずを作れば良いので、簡単でした。こんなに簡単に炊けるとは知りませんでした。来年、軽のバンで、日本一周しようと考えていますが、炊飯器は使えないし、どうするかなー? と悩んでいたのです。でも、ガスコンロと鍋で、この悩みは解決です。シャワールームです。左奥に見えるのは、風呂桶(バスタブ)です。中国の重慶で、木製の風呂桶を買って入っていましたが、重慶以後、風呂に浸かった事がありません。ここで、入りたいです。そして、漫画。読み切れません。さらに小説。まだ別の棚にもありますよ。特筆すべき事項が、もう一つ。この洗濯機です。無料で使わせてくれます。アジアの星一番も、結構多くの宿に泊まっていますが、洗濯機無料の宿は、う~ん、知りませんなー。既に記載しましたが、アスンシオンの別の宿は、自炊すると、追加料金を支払う必要がある位ですから、洗濯機無料は、特筆ものでしょう。洗濯干場も、こんなに広いです。洗濯紐も、洗濯ハサミも、全て揃っております。リビングです。お客さんが7名全員、ここに居るとすれば狭いですね。それに、ソファとソファ用の机なので、パソコンをするには、ちょっと不自然な形で、作業せねばならないのが、ちょっと残念です。この「民宿らぱちょ」、は、可愛いお嬢ちゃん付きです。今2歳だそうです。言葉も、ずいぶん覚えていて、おしゃべりしますよ。お嬢ちゃんは、30歳でも、40歳でも、50歳でも、全て「お姉さん」と呼びます。「おばさん」とか、「おばあさん」、とは呼びません。「お姉さん」と呼んで欲しい方、今の内ですよ。ここに泊まりに来るのは。言葉を覚えてしまったら、「おばさん!」、と言われますよ。1階は、ご主人の経営する、日本食レストラン、「菜の花」です。焼きそば、炒飯から、生姜焼き定食、焼魚定食、餃子定食などの定食類、そして、寿司もあります。さて、これだけのサービスの日本人宿、「民宿らぱちょ」の宿泊代ですが、現在は、下記です。1泊 40、000グアラニー1週間以上の宿泊で、1泊 35、000グアラニー今は、1US$が、4400グアラニーで、1ドル102円位ですから、1泊、930円、1週間以上では1泊、810円程度になります。これで、朝食付きなのですよ。お得ですなー。お奨めの宿です。朝食は、別途、紹介します。
2014.05.19
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起床 6時朝食 7時半コーヒー 10時昼食 13時この間は、ブログを書いたり、漫画を読んだり、ドラマを見たりで過ごしました。お気楽ですねー。そして、昼食後、市場へ出かけます。ブエノスアイレスに比べて、飛行機で北へ2時間弱なので、気温は、高いです。まだ、歩くと汗を掻く位の気温はあります。しかし、バスには乗らず、こんな道路の脇を、テクテク歩きます。およそ30分歩いて、メルカドの入り口に来ました。何? これ? 雑草? と思われるような野菜を売っています。少し歩いて、左の狭いお店の間の道へ入って行きます。沢山のお店がひしめいているのですよ。多くの人が買物に来ています。ぶつからないように歩くのが大変です。ところどころに、焼肉、チョリソーを食べさせる屋台があります。見て下さい、この靴。どうやって並べたの? と言うほど、積み上げてあります。化粧品他の雑貨屋さん。野菜屋さんも、沢山あります。陽気な肉屋さんです。こんな洒落た服を売るお店もあるのですよ。せっかく市場へ来たので、何か買おうと、サンダルを買いました。20,000グアラニーですから、470円位でしょうか? 結構、粘りましたが、値引きはしてくれません。ここは値引きしない市場ですね。カメラを出したら、お店のおっさん、ポーズをとってくれました。さらに、「俺の、おかあちゃんも撮ってくれ」、と要求されます。上掲の肉屋さんと言い、パラグアイ人は、陽気ですね。ブエノスアイレスでは、こう言った人に一度も会っていません。メルカドに、両替屋さんもありました、1ドル=4470グアラニー。銀行より、ここの方が少しですが、料率が良いですぞ。そんな事で、歩いて往復1時間、市場の見学1時間、合計2時間の散歩でした。
2014.05.18
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昨日は、ブエノスアイレスから、アスンシオンの移動で、モタモタしたもので、大変、疲れました。久しぶりの旅らしい旅でしたし。ですが、昨夜は、ぐっすりと眠れて、寝起きは爽快です。「民宿らぱちょ」、のベッドは快適な睡眠を得られます。ブエノスアイレスの宿のベッドは、スプリングが効きすぎているのか、柔らかすぎるのです。動くと、ギシギシと音がするし、いつも寝ていると分かりませんが、比較すると、ベッドの良し悪しが、分かりますね。そして、本日は、両替です。空港の両替屋は、レートが悪いと思って、一応、最小限と思われる、40USドルだけ両替しました。10ドルでも良かったのですが、若しかしたら、タクシーに乗るかも知れないと考え、40ドル換えました。宿から、こんな道を歩きます。のどかそうでしょう?ここは、ブルーノ・グッジアーリ通りと言います。この道を歩いて行くと、スーパー・エスパニャのある、エウセビオ・アジャラ通りへ出ます。歩いて、7~8分で、行けますが、そこに銀行もあるのです。両替のレートですが、やはり、空港の両替屋は、ぼったくりでした。空港 40USドル → 148,000グアラニー 3700グアラニー/USドル銀行 100USドル → 440,000グアラニー 4400グアラニー/USドルなんと、1ドル当り、700グアラニーも違います。40×700=28,000グアラニーも、損しました。やっぱり、空港で換えるのは得策ではありませんね。銀行へ行ったついでに、スーパー・エスパニャに寄って、昼食の買物。スパゲッティと、ケチャップ、オレンジジュースを買って来ました。昼食後は、再び、本格的買物に出かけます。今度は、銀行方面の反対側へ昔ます。こんな通りを歩いて行きます。スーパー・マリアスへ行きましたが、エスパニャに比べて、こちらの方が、新鮮な野菜が、揃っていると、「民宿らぱちょ」の奥様に聞いたので、買って来ました。買い込みましたねー! 重たかったです。豚肉0.795g 348円キューリ1本 22円キャベツ0.855g 68円 白菜1.13g 339円酢1本 79円バナナ3本 19円トマト2個 136円米1Kg 103円これだけ、買いました。キャベツの値段に比べて、白菜はベラボーに高いです。これは、ブエノスアイレスも同じですね。こちらでは、白菜はあまり一般的ではないようです。豚肉は、買いすぎました。冷凍にしないと痛んでしまいそうです。そうそう、ワンピース、1日5冊しか読めませんでした。そんなに面白いかなー? どうして世界中で大人気なんだい? などと思いながら読んでいます。
2014.05.17
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くたくたになってようやく、アスンシオンの宿に辿り着きました。出だしから不調で、焦りました。ブエノスアイレスには空港が二つあります。国際空港のエセイサ空港と、主に国内線の、ホルヘ・ニューベリー空港があります。今回、パラグアイなので国際空港のはずですが、何故か、アルゼンチン航空は、国際線でも、ホルヘ・ニューベリー空港なのです。貧乏旅人ですから、勿論、バスで行きます。準備万端、緻密なアジアの星一番は当然ながら、何番のバスが空港へ行くか調べておりました。それも、2週間も前に。宿の近くから、8番バスが、空港まで行きます。暫く待って、その8番バスがやって来ました。「アエロプエルト」得意になりつつある(実際は片言)の、スペイン語で行先を告げました。ところが? 何やら、運転手が言っております。「んん? なんじゃ?」何ら、問題なく、空港へ直行するはずなのに、どうやら、このバスは空港へ行かない。次の8番バスに乗れ、と言っているようなのであります。「あれー? おかしいなー?」、と思いつつ、次の8番を待ちました。そこで、神のお告げであったのか、メモノートを見よ、と言う言葉が脳裏を掠めたのであります。そしたら、ホルヘ・ニューベリー空港行きのバスは、33番です。「えー! えええー!」 良かった・・・。もし8番バスに乗っていたら、そして安心して、居眠りこいていたら、エセイサ空港へ行ってしまう所でした。エセイサは、ホルヘ・ニューベリーと反対の方向にあります。もし行ってしまったら、タクシーで戻ったとしても、飛行機には乗れなかったでしょう。良かったですねー、あの8番バスが、たまたま、空港へ行かないバスだったので。これぞ、天の助けでありますな。それよりも、準備万端のはずなのに、早く調べ過ぎて、忘れてしまい、バスの番号を間違えるなんて、緻密とは言えませんな。それって、単なるアホでっせ。出発前に、もう一度、メモを見るべきでしょう。ともあれ、又、5クアトロ歩いて、別のバス停へ行き、33番バスに無事乗りました。そして、ホルヘ・ニューベリー空港へ着きました。冷や汗もんでしたねー。本当に、何かが、助けてくれたような気がします。有難い事であります。冷や汗掻いたら、喉が渇きました。空港は、何でも高いので、普通なら絶対に飲みませんが、ジュース買って飲みました。30ペソ(310円位)です。16時25分発の飛行機ですが、かなり余裕を見て、3時間半前に宿を出発したので、モタモタしたトラブルはありましたが、時間的には、充分な余裕がありました。アルゼンチン航空の、この飛行機に乗りました。予定時刻ぴったりに出発です。ブエノスアイレスの街並みが翼の端から見えます。大都会ですね。2時間弱のフライトですが、飲み物(冷たい物だけ)とサンドウィッチが出ました。アスンシオンの街が見えて来ました。ブエノスアイレスとは異なり、緑が多いです。全然、街の雰囲気が違いますね。飛行機は、予定時刻ぴったりの、5時15分に到着。イミグレや、税関も、スムースに通り過ぎて、空港前の、バス停に着いたのが、5時45分。わずか30分で、バス停まで来ました。早いですねー。そして、これからが、又、大変だったのです。宿の近くまで行くバスは、30-A。これは、宿から教えて貰っていました。そして、この日は、独立記念日で、祝日であり、バスの本数が少ないから、かなり待たねばならない事も。事前の情報もあったし、地元の人も待っているので、余裕で待ちました。2番バスは、頻繁に来ますが、30-Aバスは、仲々、来ません。30分待って、ようやくやって来ました。「ほぉー、やれやれ、これで、宿へ行ける。」時刻は、午後6時15分ですが、上掲のバス停の通り、真っ暗です。そしたら、何と、この30-A番バスは、行き先の、エウセビオ・アジャラ通りへ行かないと言うのです。しかし、もうバスに乗ってしまいました。困りましたなー。一体、どこへ行くんじゃい? と途方にくれていると、ブエノスアイレスから一緒の飛行機で来たと言う、おばさん二人が、我々も同じ所へ行くから、一緒に行こうと言います。それで、そのおばさんが降りるバス停で、降りました。どこか分かりません。142番バスに乗ると言うので、一緒に乗りました。でも心配だったので、英語の話せそうな若い女性に聞いたところ、このバスは、そこへは行かないと言います。そして、その隣に座っていたおばさんが、そこへ行くから、一緒に降りろと言います。信じて良いのか分かりませんが、何しろ、どこを走っているのか、全く分からないし、信じるしかないのですね。暗闇のバス停で、地図を出して、そのおばさんに行きたい場所を示したところ、そのおばさんの考えていた場所と違ったらしく、何が何だか、分かりませんが、あのバスに乗れと言われて、その通り乗ったのです。運転手に、エウセビオ・アジャラ通りの、スーパーエスパニャ、と告げると、又もや、何やら言っています。エスパニャには行かないと言っているようです。でも、もう乗ってしまいました。「エウセビオ・アジャラ通りの、スーパーエスパニャ」、と数回繰り返して、運転手に言うと、ようやく、頷きました。まだまだ、着きません。どこを走っているのかさえ分かりません。疲れますなー。とある場所で、運転手さん、降りろと言います。降りた所がどこか分かりません。それから、何回、レストランや、歩いている人、ガソリンスタンドなどで、聞いたでしょうか?30分ほど、歩いて、ようやく目指す、スーパー・エスパニャの前に来ました。ここから、宿は、近いです。このお店を見た時は、ほっとしましたなー。飛行機の着陸、午後5時15分、宿に着いたのは、午後8時10分過ぎ。3時間かかって、ようやく、宿に辿り着きました。へとへとです。疲れました。うつ病が出る暇がありません。そうそう、もう一つ幸運。飛行場から、バス停へ向かう時、小雨がポツポツ降っていたのです。あのまま、雨が強くなったら、バスに乗ったり降りたり歩いたりしたら、大変でした。ですが、その小雨、止んだのですねー!ほんとに、良かったです。
2014.05.16
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本日の、午後、パラグアイへ向けて出発します。何故ならば、ビザ延長が必要だからです。ブエノスアイレス生活も6か月目に入りました。3ヶ月の時は、ウルグアイへ行きました。ウルグアイですと、日帰りで安く行って来られるので、チェンマイで言えば、ミャンマーへのビザランと似た感覚です。でも、ずっと旅していない一ヵ所滞在が、6ヵ月も続いているので、どこか遠い所へ出かけたくなって、むずむずしておりました。うつ的症状も出方も頻度が多いように感じます。それで、パラグアイにしたのです。これは、以前に行った時に撮った写真、パラグアイ川です。アスンシオン市内のすぐ近くを流れています。本日の夜から、「アスンシオン日記」、を書く予定です。何もしない予定なので、小学生の日記のようになってしまうかも知れません。今回の宿泊先は、「民宿らぱちょ」、と言いまして、バイクで世界2周した方が、経営している日本人宿です。ここには、「日本旅館」、同様、日本語の小説や、漫画がどっさりあるようなのです。それで、世界でも、大人気と言う、「ワンピース」、全70数巻を読もうかと思っております。読んだ事ないのですねー。漫画喫茶とか行った時は、本宮ひろ志の原作を読んでばかりで、他の漫画は、そんなに読んでいないのですね。9泊する予定なので、1日8冊以上読まねばなりません。読めるかなー?
2014.05.15
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下記の地図のように廻ろうかと考えていた、カリブの島々の旅、止める事に決めました。何故かと言いますと、島から島への移動が、非常に面倒な模様。一番大きい島は、キューバ。ここは、もう行きました。次にドミニカ共和国、ハイチ、ジャマイカ、と言った順番でしょうか?これらの国の移動は、飛行機になるでしょうが、結構、高くなります。場合によっては、マイアミに戻るような飛行ルートも出て来ます。ドミニカ共和国の東側にアメリカ領のプエルト・リコがありますが、その西側に小さな国々、島々が並んでいますが、ここにはLIAT航空の飛行機が飛んでいます。調べて見ますと、一っ飛びで、大体、170US$程度。独立国の下記の国、全部へ行こうとすれば、1100US$程度必要です。高額となりますね。 セントクリストファー・ネイビス アンティグア・バーブーダ ドミニカ国 セントルシア バルバドス セントビンセント・グレナディーン グレナダ トリニダード・トバゴ共和国 キューバは、大変、面白い国で、又、行って見たい国ですが、その他の、例えば、レゲエを産んだ国ジャマイカは、アフリカ系住民が、91%です。ハイチも同様に、95%がアフリカ系、ドミニカ共和国は、ラテン系と黒人の混血が74%なので、ジャマイカやハイチとは、異なるようですが、まぁ、全体的にアフリカ系住民が圧倒的に多いようです。アフリカは本土を縦断したし、島国のキューバにも行ったし、カリブ海は、カンクンやコスメル島も行ったので、この旅の興味が薄れてしまいました。さらに、どの程度、その国、島に滞在するかによって変わりますが、日にちも予算も、結構かかりそうです。それで、カリブの島々の旅について、今回は、断念しました。お金が貯まり、日程も問題ない時期が来たら、もう一度、検討して見ようと思います。
2014.05.04
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来月、5月ですが、パラグアイへ行って来ます。アルゼンチンへは、ノービザで入国しています。3ヶ月間は滞在出来ますが、正規のビザ延長の為には、3ヶ月に一度、国外へ出る必要があります。正規に、と書いたのは、不法滞在しても、出国する時に、幾ばくかのお金を支払えば、問題なく出国出来ると言う、説があるからです。実際に、そのようにしている人の話しも聞きました。ですが、アジアの星一番は、一応、法律に則って、国外へ出るのです。ウルグアイは、日帰りで行って来られます。5000円程度の、船代を支払えば、簡単に行けます。でも、あまり面白くないです。5月25日(日)に、3ヶ月のビザが切れます。5月14日(水)が、今季のスペイン語最終授業日です。5月26日(月)が、次期のスペイン語クラスの開始日です。従いまして、5月15日(木)から25日(日)まで、授業はお休みです。この間を利用して、パラグアイへ行く事に決めたのであります。パラグアイには、何があるの? と思うでしょうが、何もない国ですね。ですが、とても居心地の良い国なのです。アスンシオンには、内山田ホテルエンカルナシオンには、Hotel Germanoイグアス移住区には、ペンション園田、福岡旅館と日本人若しくは日系人が経営する宿も多く、しかも日本食を提供してくれる宿も多いのです。それででしょうかね、居心地が良いのは。首都アスンシオンにも、内山田ホテル以外に、ここ数年で、2軒の日本人宿がオープンしたようです。「ペンション・アミスタ」 全室エアコン付きの個室のようです。ですから、お値段も少しだけ高めです。「民宿らぱちょ」 バイクで世界を2周も廻った奥様と、同じく世界一周のご主人が経営する宿です。日本語の漫画や小説が沢山あるそうです。ドミで部屋は狭いらしいですが、日本食堂も経営しているとの事です。それで、下記のエアーチケットを購入しました。5月15日(木) ブエノスアイレス → アスンシオン5月24日(土) アスンシオン → ブエノスアイレス宿は、少々迷いましたが、「民宿らぱちょ」に、お世話になる事にしました。内山田ホテルは、豪華な朝の日本食もあるし、テニスコート、プールもあるし、ゴルフの練習場(狭いですが)、ジムなどもあり、最高なのです。しかし、やはりお値段が張ります。ペンション・アミスタは、個室で良いのですが、9日間、何をするのかが問題です。それに、宿泊者にとっては公平なのでしょうが、自炊をすると、わずかなお金ですが、追加費用を支払う必要があります。自炊してお金を取られる日本人宿と言うのは、経験もなく、敬遠したくなりました。宿代に含めて貰った方が良いですね。「民宿らぱちょ」には、大量の漫画が置いてあると聞きます。漫画とネット、それに、毎日1漫歩以上の散歩、これで、退屈しないでしょう。風来坊症は治らず、一ヵ所に長く滞在すると、落ち着きがなくなります。このパラグアイ行で、気分直しを行って来たいと思っております。
2014.04.29
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南米に滞在中に、カリブ海に浮かぶ沢山の島々へ行こうかと考えています。こんなに沢山の国々、島々があるのですよ。太文字が、独立国です。名前も知らないような国も含めて、13ヶ国もあるのですね。バハマ諸島 バハマ タークス・カイコス諸島(イギリスの海外領土)大アンティル諸島 キューバ ケイマン諸島(イギリス領) ジャマイカ ハイチ ドミニカ共和国 プエルトリコ(アメリカ合衆国自治連邦州)リーワード諸島 イギリス領ヴァージン諸島 アメリカ領ヴァージン諸島 アンギラ(イギリス領) フランス領アンティル(フランスの海外準県)の一部 サン・マルタン島 (セント・マーチン島北部)、サン・バルテルミー島 シント・マールテン島(オランダの自治領)セント・マーチン島南部 オランダの一部 シント・ユースタティウス島、サバ島 セントクリストファー・ネイビス アンティグア・バーブーダ モントセラト(イギリス領)ウィンドワード諸島 ドミニカ国 フランス領アンティル(フランスの海外準県)の一部 セントルシア バルバドス セントビンセント・グレナディーン グレナダ トリニダード・トバゴ共和国 マイアミからスタートして、この地図の赤線のように廻ろうかと考えています。(キューバは行った事があるので、外しています。)ですが、どんな風に移動したらいいのでしょう? 船とか出ているのかなー?
2014.04.17
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2010年 3月 16日(火) 174日目(メキシコ31日目)コスメル島から、バスで、カンクンの飛行場へ移動し、そこから、メキシコシティへ飛びました。メキシコシティに寄る必要なないのですが、成田ーメキシコ往復のチケットを買ってあったので、行かねばならなかったのです。中南米半年間の旅、最後の夜は、メキシコシティです。明日のフライトは、朝、7時40分。よってエアーポートへは、5時40分に着かねばなりませぬ。飛行場の近くに、泊まるか、飛行場で夜明かししようかと思いましたが、飛行場の近くのホテルは、値段が高すぎて断念。飛行場に泊まるのは、貧乏旅の最後の夜に相応しいですが、ちょっと、高級バックパッカーには、淋しすぎるので、結局、メキシコシティのど真ん中にある、中級ホテルに泊まりました。250ペソ(1800円)程度の値段でしたが、部屋も広く、地下鉄駅にも近くて、食事するにも、便利でした。メキシコペソも残っているので、ほんのちょっとだけ、気張ってレストランで食事しました。スープです。揚げ物です。ライスです。コーヒーも付いてました。さらに、デザートまで、付いてました。これで、53ペソ(380円)です。まぁ、安いもんです。さて、ホテルの部屋へ戻り、バックパックを開けようとしましたら、またもや、バッグが破れています。飛行機で移動する時に、乱暴に扱われるようで、この移動時に破れることが多いですね。面倒だし、このまま日本へ戻ろうかと思いました。念の為、全部、チェックしたら、こっちの方が、大きく破れています。これでは、日本へ戻る前に、中身が外に出てしまう可能性あり。布地は沢山あるし、糸も、針も、全て揃っているので、丁寧に補修しました。継ぎ接ぎだらけのバックパックですが、何とか帰国まで持ちそうです。これだけ、補修すると、このまま捨てるのは、可哀想と言うか、勿体無いと言うか、もっと使いたい気持ちになって来ました。
2010.05.07
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2010年 3月 16日(火) 174日目(メキシコ31日目)コスメル島、さようならをしなければならない朝がやって来ました。朝早い出立なのに、寝坊のりえさんは、早くおきだして、来てくれました。まことくんも、そして、勿論、ゆきこ社長もお見送りしてくれます。見送られるのは、苦手な、アジアの星一番です。どんな顔をして良いか分かりません。淋しい気持ちを抑え、笑顔で足早に立ち去りました。この海も見納めです。車や人で混雑している、海岸沿いの道路も、早朝なので閑散としています。波止場からのコスメル島。 今度は、いつ来れるのでしょうか?2009年10月に、たった4泊2010年 3月に、再び来島し7泊。又、来たいと思うけど、ここは、遠いですよねー! 日本からは。グアム辺りのように、ちょっと潜ってくるか? と出かけられる距離ではないのが、残念です。今度、来るとしたら、コスメル島を舞台に、美しい(?)小説を書く為に数ヶ月単位で、滞在することでしょう。さてさて、実現するかなー?
2010.05.06
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相変わらず。ブログの更新が滞っています。今、東北の旅に出ていますが、東京へ戻ったら、心を入れ替えて、見るテレビ番組を厳選して、勉強や、ブログの更新や、出版準備をするつもりです。で、まだ、完結していない、中南米です。==============================2010年 3月 15日(月) 173日目(メキシコ30日目)コスメル島7日目ゆったり過ごした、コスメル島の、カサ・コスメレーニャ。明日の早朝には、出立です。もっともっと、居たいのですが、時間と言うものは、いつでも、どこでも同じように、過ぎ去って行くもので、あります。内山家ご家族も、近々、この島を去るとの事で、カサ・コスメレーニャのゆきこ社長が、我々を島一周に連れて行ってくれることになりました。無料ですよ!こんなサービス、滅多に出会いません。親切ですよねー! ゆきこ社長。もっとも、このアジアの星一番、カサ・コスメレーニャの宣伝部長ですから、島のことも知ってなければ、なりませぬな。カサ・コスメレーニャを出発し、浜辺側に出ると、大きな船が数隻見えます。カンクン辺りから、コスメル島辺りのカリブ海をクルージングしているらしいです。こう言う、お客さんは、コスメル島の宿には、泊まらないので、ホテル業を潤わしてはくれませんが、土産物屋さんにとっては、良いお客らしいです。車は走り、島の北側の道路へ来ました。南側と異なり、ほとんど家もお店もホテルもありません。左手には、広大な土地が、広がっています。右手には、ちょっと荒い波の浜辺が延々と続いています。夢見る少女も歩いていました。この少女は、カサ・コスメレーニャのお嬢さんですよ。そして、彼女を撮る、アジアの星一番です。どうして、そっくり返っているんだ?ゆきこ社長とお嬢さん、そして、内山家の皆さんです。海水浴を楽しむ、家族連れも見られます。島内一周。2回、浜辺に下りて、歩きましたが、1時間半位で、回ったのでしょうか?コスメル島は、それほど大きくない島です。島の北側の半分ほどは、車が走れる道路もなく、行けません。海を見たり、潜ったり、ネットしたり、飲んだり、昼寝したり、そんな風にゆったり過ごすには、ぴったりの島と、カサ・コスメレーニャです。是非、お出かけ下さい。
2010.05.04
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2010年 3月 14日(日) 172日目(メキシコ29日目)コスメル島6日目この日も、何もせず、カサ・コスメレーニャで、ゆったり過ごしています。小学校を休学して、世界一周中の、ジオンくんです。もう、1年近く、旅を続けています。まだ、小学生ですから、ご両親といつも一緒とは言っても、子供としてのストレスも溜まるのでしょう。時々、不機嫌にはなりますが、まぁ、色んな事を、良く知ってますよ。ヒョウキンなところもあって、チンチン出してる写真もありますが、ここでは、ちょっとお見せ出来ませんね。そして、この夜も、シェア飯で、シェフまことくんの料理です。さて、何が出来上がったでしょうか?豚肉生姜焼きです。こんなに簡単に、おいしい豚肉が出来ると思っていませんでした。アシスタントのアジアの星一番も、豚肉生姜焼きの作り方は、マスターしました。追記今夜から、「東北の旅」へ出発します。どうも、旅の続きがしたくって、仙台までの夜行バスチケットを、2500円で、ネット手配してしまいました。次は、明日、松島辺りから、アップする予定です。魚が、うまそうだなー! あの太平洋沿い!
2010.04.29
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だらだらと生活していたら、まだ、中南米の旅、すべて書き終えていない事に気が付きました。完結せねばなりませんなー。と言うことで、続けます。残りは、数日であります。===============================2010年 3月 13日(土) 171日目(メキシコ28日目)コスメル島5日目ゆったりと過ごしている、コスメル島の、カサ・コスメレーニャですが、今夜、ゆきちゃんが、カンクンへ移動します。せっかく、海の美しいコスメル島へ来たのに、海にも入らず、帰るのでは、「意味ないじゃん!」って事で、カサ・コスメレーニャに宿泊中の皆さんと、近くの海に潜りに行きました。ちょっと、色の写りがよろしくないのですが、写真をアップしましょう。宿の近くの海でも、結構、お魚さんも、いるのです。慌しく、立ち泳ぎを続ける、ゆきちゃんです。どうして、ゆったりと、海に浮かび、海の中を覘かないのか? 不思議に思って、後で聞いたら、あんまり慣れてなくて、海水を飲んでしまうってことでした。確かに、少し波はありましたが、まぁ、疲れる泳ぎ方ですなー。海からあがり、記念撮影です。けしからんのは、ゆきちゃんですね。こんな場所なのに、バスタオル巻いちゃって、面白ー、なんでんな。カサ・コスメレーニャに帰って、早速、ビールに、テキーラです。りえさんと、ゆきこ社長と、ゆきちゃんです。おー、書いて見れば、ゆきこ社長と、ゆきちゃん、同じ名前ですねー!ゆきちゃんは、夕方、カンクンへ向かいます。やさしい、アジアの星一番は、途中でお腹空いては可哀相と、オジヤを作ってあげました。ほんと、我ながら、やさしいと思います。で、その後の夕食は、シェア飯で、シェフまことくんが、鳥飯を作ってくれました。勿論、アジアの星一番は、お手伝いで、作り方を覚えました。これが、出来上がりの鳥飯です。そして、紹介しましょう。この可愛い子が、ゆきこ社長の、お嬢様です。日本語もぺらぺら、スペイン語も、ぺらぺらです。しっかりしてるし、可愛いーですねー!こんな可愛い子がいたら、父親は心配で、仕事に行けませんよねー。
2010.04.27
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先日の日曜日、キューバで、同じ宿に泊まった人達とキューバ会を行いました。(特に、キューバ会と会名がある訳ではありませんが。)キューバ界隈では、有名な、あのヨーコさんを囲んでの、お話会です。大学を1年間休学して、世界一周した、ユウスク君と、海外旅行は初めてだったと言う、コウタ君、そしてアジアの星一番の4名です。お宿の名前は、カサ・エステレーニャ。この宿は、ヨーコさんへメールを送らないと、予約できません。 予約したい方は、下記のメアドへ、送付願います。nathalie333999@yahoo.co.jpヨーコさんが、メンバーになっている、ラウンジで、午後3時から6時まで、3時間、キューバや、世界の国々の話に花が咲きました。2次会は、同じく、ヨーコさんがメンバーになっているラウンジでさらに、閉店の20時まで、たっぷり4人で、お話しました。1階に降りてきて、記念撮影です。次は、横浜から船で出て、中華食べ放題の会を、ヨーコさんが計画するそうです。キューバ関係者の方々は、ご期待下さいませ。この後、コウタ君の、ご希望により、ご夫婦で、ビールを味わいながら、世界一周して、その後、渋谷に、ビアバーをオープンした、皆さん、ご存知のカタラタスへ、向かいました。しかしながら、残念!この日は日曜日、お休みの日でした。止む無く、僕の行きつけの、お魚のおいしい店に二人で行きました。刺身をつまみながらの、生ビール、おしかったですなー!5時間も、話した後だったので、うまさは、格別でした。
2010.04.08
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2010年 3月 12日(金) 170日目(メキシコ27日目)コスメル島4日目本日も、何もしない1日であります。何もしなくても、腹は減ります。お昼は、買い置きのスパゲッティを食べる事にしました。料理人は、キューバで同じ宿に泊まっていた、北海道出身のゆきちゃんです。かわいいですねー。昨日、遅れて、カサ・コスメレーニャにやって来ました。出来上がりました。キューバの、トリニダーで黒人のおばさんが作ってくれたものよりずっと、おいしかったです。夕食は、同じく、ゆきちゃんが、肉ジャガを作ってくれました。ぐつぐつ煮込んだら、形が崩れてしまったとの事。どうも、北海道のジャガイモに比べて、当地のジャガイモは、柔らか過ぎるようです。味は、良好であります。ビールも、いつも以上に、おいしく飲みました。デザートもあります。何故か、楽しい毎日ですねー!
2010.04.03
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2010年 3月 11日(木) 169日目(メキシコ26日目)コスメル島3日目本日も、昼前から、ビールを飲み始めました。実は、このカサ・コスメレーニャに、子連れ世界一周中の方が、泊まっています。既に、1年近く、世界を旅して来たのです。子供さんは、この4月に、小学校5年生になるのですが、校長先生と、交渉して1年間の休学を許可されたそうです。このご主人も、奥様も、飲むのが好きなんです。カサ・コスメレーニャに居る間、この方々、出演するので、名前を決めておきます。奥様の名前を、仮に、「りえさん」としましょう。ご主人の名前を、仮に、「まことくん」としましょう。子供さんの名前を、仮に、「じおんくん」としましょう。なんじゃ? 仮にって、本名じゃーないかい?ま、一応、了解貰ってますから、いいですよね?で、りえさんが、お昼前の、11時頃、缶ビールを飲み始めました。それを見ていたら、僕も飲みたくなりますわな。で、私目も、飲み始めた訳であります。ビールだけでは、腹が膨れてしまいます。で、昨日、買ってあった、テキーラ、1本を提供したのであります。宴会は、夕方まで続き、今夜は、シェア飯をする事に決定。有名レストランのオーナー兼シェフの、まことくん、が、ポトフを作ってくれる事になりました。買物をしてきたまでは、順調だったのであります。が、まことくん、もうテキーラ飲み過ぎで、ベロベロで、寝てしまいました。何とか、アジアの星一番と、、ゆきちゃんにて、ジャガイモの皮を剥き、人参を切り、材料は準備しました。言い出しっぺの、まことくんが、寝てしまって、りえ奥様、お怒りです。りえ奥様、まことくんを、ベッドから、引きずり出して来ました。まことくん、ぶつぶつ良いながら、トマトソースベースのポトフを作り始めました。と言っても、鍋にトマトソースを入れただけです。それを、灰汁をとりながら、ぐつぐつ煮込みます。灰汁取りは、アジアの星一番の係りです。簡単ですからね。まことくん、ちょこっと教えてから、行方不明になってしまいました。その間、さらにぐつぐつ煮込みます。もう、ええんとちゃうか?と、言うくらい煮込みましたが、まことくんは、どっかへ行っていません。りえ奥様、お怒りがさらに増幅して、どこやらから、まことくんの、えりを掴んで連れて来ました。りえ奥様が、えりを掴んでです。 りえ → えり なんか似てるなー? と思ったら、反対側から読めば、そうなりますね。まことくん、味なんて誰でも、わかるだろう、自分たちでやれ! とこちらもお怒りですが、言いだしっぺは、あんたでしょ! とおっしゃるりえ奥様に、分があります。まことくん、渋々、味付けを行いました。でも、どうも、酔っ払っているし、いい加減なようで、最終的には、カサ・コスメレーニャの、ゆきこ社長が、味付けをしました。みんなで、またもや、ビールに、テキーラ飲みながら、ポトフと食べます。うまいですねー!揉め事がありながらの、食事つくりだったもので、出来上がったポトフの写真を撮るのを忘れてしまいました。この日の、ポトフの材料は、下記です。この料理、もう僕もマスターしました。トマトソース、鶏肉(手羽先)、ジャガイモ、タマネギ、人参コンソメ、塩、コショウ
2010.04.02
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2010年 3月 10日(水) 168日目(メキシコ25日目)コスメル島2日目。予定通り、な~んにもしない1日であります。近くのスーパーへ、買物に行っただけであります。そう、この日本人宿:カサ・コスメレーニャのすぐ近くには、大型スーパーが2軒ありまして、買物には、とっても便利なのであります。今夜、遅く、カンクンの飛行場へ向け、ナナコさんが、出発します。それで、唯一、料理出来る、肉野菜炒めを作ってあげました。料理の準備や、料理に忙しく、写真を撮るのを忘れましたが、3人前の、ご飯も炊いて、大量の肉野菜炒め、うまい、と言ってくれましたぞ。ナナコさん、21時の、最終のボートで、プラヤ・デル・カルメンへ。そこから、カンクン飛行場へバスで向かいます。早朝のフライトなので、空港で一夜を明かすと言ってました。女性でも、バックパッカーは、逞しいですねー!本日は、写真が1枚もありません。で、キューバの宿で、とっても、良い絵を見ましたので、それを掲載します。おおた慶文の作品です。どうですか? 可愛いですねー!これは、如何でしょうか?おおた慶文。少女や、子供を、水彩で淡く叙情的に描く画家として有名な方のようです。次の作品を、どうぞ!僕の、もっとも良いと思った絵です。憂いのある瞳が、何とも言えません。
2010.03.28
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2010年 3月 9日(火) 167日目(メキシコ24日目)10日間、まったり過ごした、キューバを去ります。ハバナに居て、トリニダーへ行っただけで、10日間ですから、何とも、ゆったりしたものです。飛行機で、メキシコのカンクン空港へ戻ります。見えて来ました。キューバ滞在中、外出は、少なめで、毎日、本を読んでました。この間に読んだ漫画や小説です。結構、読みましたね。まず、漫画。 じ・ご・ろ 31巻 完読しました。ホストが主役です。そして、モンスター 18巻も、完読。双子が主役です。村上龍の、「Kyoko」子供の頃、ダンスを教えて貰って、世話になった黒人兵を探して、アメリカからキューバまで移動する、感動の物語。Kyokoが美し過ぎます。白石一郎の、「蒙古の槍」、蒙古襲来の話です。同じく白石一郎の、「孤島物語」、日本の小さな島々で起こった短編集、これは良かったです。武田泰淳の、「富士」あんまり面白くなくて、途中で読む意欲減退。この本、コスメル島の、カサ・コスメレーニャに寄付して来ました。これを、最後まで読んだ人には、何か、プレゼントしますぞ。船渡与一の、「群狼の島」マダガスカルを舞台とした物語。一気に読みました。鷺沢 萠、この人、「さぎさわ・めぐむ」って読むのです。短編集、「海の鳥空の魚」良い作品が、何篇もありました。短編で、これだけ、感動させられるとは、かなり良い作品です。こんな本を書きたいものです。ご存知、「老人と海」、ヘミングウェイの作品です。途中、ちょっと飽きますが、キューバ近辺の海を舞台にした、秀作です。登場人物が、極端に少ないです。「娼年」 石田衣良ホストの物語。一般的には、ない話でしょうが、こんな事もあるのかい?と思いながら、読みました。カンクン空港に着きましたが、カンクンには泊まらず、直接コスメル島へ向かいました。コスメル島には、宣伝部長に就任している、快適な日本人宿、カサ・コスメレーニャがあるからです。中南米半年の旅の〆は、やはり、ここで過ごさねばなりませぬ。キューバの宿で一緒だった、ナナコさんと、〇〇くんと、3人で移動です。(男性の名前は、覚えられませんねー! すいません。)カンクンから、コスメル島へ渡る港まで、バスで1時間です。空港からカンクン市内まで、30分以上かかりますので、コスメル島まで直接行っても、それほど変わりません。懐かしい、カサ・コスメレーニャに到着しました。今夜も、満室です。6ベッドに、8名のお客様です。勿論、ゆきこ社長も、健在です。今夜は、ゆきこ社長亭の、庭にて、皆さんで、バーベキューです。材料費は、シェアーし、飲み物は、各自、飲みたい人は自分で準備ってことでしたが、ゆきこ社長より、シャンペンの差し入れです。僕は、この夜、珍しく、風邪っぽくて、せっかくの差し入れでしたが、最初の1杯しか飲めませんでした。な~んにも、しないつもりの、コスメル島の、最初の1日が始まりました。
2010.03.27
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2010年 3月 8日(月) 166日目(キューバ10日目)トリニダーでは、毎夜、サルサを見に行きましたが、首都のハバナでは、まだ行ってません。 そして、昨夜、宿の皆さん、9名で、踊れると言うお店に行きました。夜、22時頃オープンすると言うので、22時30分頃、到着して見ると、列をなして、客が並んでいます。聞くと、23時オープンと言います。缶ビール買って、コウタ君、ゆきちゃん、ななこちゃんと、缶ビール飲みながら、オープンを待ちます。おしゃべりしていたので、時間を忘れていましたが、中へ入れたのは、なんと、24時でした。丁度、遅れてやって来た、他の5人と一緒に入場。中は、一時代前の、ディスコのようです。ラム酒とコークを1本ずつ買って、みんなで飲みます。音楽は、基本はサルサですが、他のもやっているようです。踊る人が多すぎて、サルサは踊れず、皆さん、ペアで踊るのを諦め、対面や、グループで踊ってます。我々のグループに、黒人が仲間に入り、踊り狂っています。日本人も、それにつられて、踊り狂い、飲みまくり、現地人に負けてはいません。舞台でも、演奏しながら、歌いながら、踊っています。閉店は、2時頃だったと思いますが、宿に帰り着き、ベッドに横になれたのは、3時でした。はい、今夜も疲れました。
2010.03.25
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2010年 3月 7日(日) 165日目(キューバ9日目)本日は、宿のオーナーの娘さん、ロシオちゃんの成人式です。ここキューバの成人式は、日本と異なり、15歳で行われます。どんなものか、参加させて貰いました。ロシオちゃんです。日本からの贈り物、着物を着て登場です。可愛いですねー! プロのミュージシャンも、呼んでいました。この女性の方は、以前、プロとしても唄っていたそうですが、今は、日本へ戻り、この宿の、予約受付、調整などを行っている、有名な方です。ロシオちゃん、お色直ししてきました。同級生と、記念撮影です。ロシオちゃんのお父さん(中)、お母さん、お兄さん(左)で、右側の人は、従兄弟でしょう。皆さん、小柄です。とても、やさしい方々です。成人式参加者の、記念撮影です。最前列が、現地の15歳の成人になった人達で、その後ろが、20歳になった日本人です。さらに後ろは、その他、大勢。成人式も無事、完了し、笑顔満面の、ロシオちゃん。ミュージシャンが唄と演奏を行った以外、後は、雑談だけでした。その後、日本のカレーを振舞って頂きました。そして、キューバでは、15歳で成人式を行いますが、特に法的に変わるような事はないようですが、成人として扱われるようです。
2010.03.24
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2010年 3月 6日(土) 164日目(キューバ8日目)ハバナへ戻って見ますると、一人で独占状態だった宿が一変しておりました。僕が居た部屋は、既に、2名の女性が占有しており、もう一人、男性が来るとのことで、3人部屋になります。トイレを隔てた、もう一つの部屋にも、既に二人の男性が居ます。寝る場所、ありません!どうするんじゃ? と、心配になりましたが、アニータさん、何にも言わないので、リビングで、漫画読んでいました。かなりな時間待った末、ここの予約取締りのヨーコさんから、呼ばれて、空気マットを男性部屋に敷くので、そこで良いか? と問われたのです。別にどこで寝ても構わないのですが、二つベッドが置いてある部屋に、さらに、空気マットを敷きますから、荷物の置き場所がありません。何故、ドミが嫌いかと言えば、荷物整理の苦手であるのが、理由の一つです。このまま、3人部屋に泊まらねばならないなら、宿を移る必要があるよなー、と考えておりました。聞いて見ると、今晩のみ、ここで寝れば、明日は、普通のベッドに寝て貰うことが出来る、とのことで、他の宿を探すのも面倒なので、様子を見ることにしたのであります。そして、リビングで、漫画を読んでいると、男性と女性、二人がやって来ました。予約してないけど、泊まれますか? って声が聞こえます。やばいなー! いくらなんでも、あの部屋に、4人では寝られませんよ。予約取締役のヨーコさんと、オーナーのアニータさんが、なにやら、ひそひそと、密談しております。どうなるのじゃろか?と、成り行きを見守っておりました。ヨーコさんから、話がある、と呼ばれました。ありゃー! とうとう、4人部屋かいな? 困ったなー。しかし、結果は違いました。オーナーご夫妻の部屋を空けるので、そこに泊まって貰いたい。それで、よろしおまっか? ってぇー、話なのです。部屋を見せて貰いましたが、ダブルベッドに、シャワー、トイレ付きです。ベッド2つに空気マット1つの、3人部屋とは、大違いです。嫌な、訳ありません。その部屋を、一人で使って良いというのです。最高の待遇ですねー! 皆さんは、2ベッドに、3人とか、4人で、アジアの星一番のみ、ダブルベッドルームに一人。他の皆さんは、7人で、バスルームを使用。アジアの星一番は、一人でバスルーム使用。そして値段は、全く同じ、15クック。 この待遇の差、良いんでしょうか?これも、日ごろの行いが良いからなんでしょうねー。他の人に悪いなー、と思いつつ、ぐっすりと眠れました。夕食も、こんなに多いです。食卓が小さいので、一同で、食べられません。時間差で2回に分けて食べるのです。朝食も、トリニダーの宿に比べたら、雲泥の差です。どこに出かけないのも、時間を持て余すので、革命広場方面へ出かけました。歩いて、50分から1時間かかると言いますが、その程度の歩きは、バックパッカーには、苦になりません。途中、広場があり、野球をやってました。さすが、野球の国です。宿から、ほぼ1時間。革命広場に着きました。目の前に、ホセ・マルティ・メモリアルがあります。これは、キューバの国民的英雄ホセ・マルティを称える記念碑。革命広場の北側にあり、星型の形をした塔です。革命広場の南側の建物に、二人の人物の絵があります。一人は、この人、カミーロ・シエンフエゴス。もう一人は、言わずと知れた、チェ・ゲバラです。この人、カストロや、カミーロと同様に、革命の英雄ですが、チェ・ゲバラの人気は、群を抜いています。(のように感じます。)太陽の位置の関係上、影が出来て、格好よく映ってないのが、残念です。革命広場から、新市街へ向かいました。フリーマーケットです。多くの人で賑わっていますが、土産物に興味のないアジアの星一番には、雑踏だなー、と感じるのみです。(それも、ちと淋しいですな。)宿に帰ったら、キューバ・コーヒーを出してくれました。良く、気がつく、オーナーさんです。夕食のあと、地ビールを飲みに行きました。コウタ君に、ゆきです。1mの高さは、あろうかと言う、ビールです。芳醇な味のビールでした。そして、このビールは、3人で飲み干し、さらに、モヒートを注文。このモヒート、ヘミングウェイが好んで飲んだと言われております。お店の人に、レシピを聞いたら、ラム酒、ミント、砂糖、ソーダ水と言ってましたが、ライムの香りがするのですねー。たぶん、ライムも入っているのでしょう。さっぱりして、美味しいです。どんどん飲んでしまいそうです。お店は、24時で閉店ですが、ここでも粘って、0時半過ぎまで飲んでいました。追記キューバでの両替は、手数料が、物凄く沢山取られます。US$の両替は、無条件に20%取られると言うので、ドルをメキシコペソに替えて、持って行きました。空港で、そのメキシコペソを、キューバクックに替えたら、20%ほど、悪いです。これなら、US$で持って来て替えた方が良かったなー、くっそ! と思いましたが、ここは、キューバ。我慢、我慢。翌日、市内の両替屋で、同じく、メキシコペソをクックに替えたら、14%程度の手数料で済みました。外国人が使えるお金は、クック(CUC)と呼ばれています。現地人が使うお金は、ペソクバーナと言います。1クック=25ペソクバーナ程度の、交換率と言います。地元民が買う、パンやタマゴなどの日用品は、外国人もペソクバーナで、買えます。安いです。しかし、面倒ですねー! この2重価格制度。
2010.03.23
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2010年 3月 5日(金) 163日目(キューバ7日目)何にもしないうちに、トリニダーに3泊もしました。もうハバナへ戻る日です。ハバナへ戻る前に、もう一度、ファゴッティングと言う、織物を見たかったので、昨日、出かけました。土産物売り場の通路の一角に、ファゴッティング売り場があります。この道路は、全てが、ファゴッティングばかりです。どんな人が作っているのでしょうか?得意のジェスチャーで、おばさんたちと、友達になりました。真ん中の二人、この写真を撮って、見せたら、腹を隠すので、もう一枚撮って欲しいと言いました。一応、気にしているのですね。(腹を隠しても、デブは隠し切れませんな。)こんな風に、針と小さなナイフが一体となったようなもので、織り上がった布の糸を、一本一本、切り取って、模様にします。見ていると、かなりの手間がかかっているのが分かります。出来上がった製品です。ファゴッティングは、充分に見ました。もう一つ、心残りは、カンチャンチャラです。カンチャンチャラとは、飲み物の名前で、古くからキューバで飲まれていると言うのです。これは、一度、飲まねばなりませぬ。泊まっている宿から、数分の所に、そのお店があります。ここは、元海賊が、1740年に建てたと言う建物の中です。これが、カンチャンチャラです。ラムに、ハチミツと、レモンと、ミネラルを混ぜたもの。レモネードに、ラムを入れたようなものですね。飲みやすいです。一応、キューバ音楽も演奏していますが、おざなりです。真剣さがありません。観光客用で、こう言う奴らを、僕は、ミュージシャンと呼びません。昨夜は、サルサをハシゴしました。しかも、3軒も。1軒目は、その前夜に行った所。同じ演奏グループなので、早々と引き上げ、次の店へ。広いステージがあります。そして、客でない、プロのダンサーが、踊ります。サルサのリズムかなー? 良く分かりません。ここも、あんまり面白くないので、別の場所に移動です。大広場で、演奏してます。そして、大勢の客が踊ってます。こちらの踊りの方が、激しくて、凄いなー、と、眺めておりました。そんな事で、サルサは、毎晩、充分、堪能しました。踊りたいですねー! このサルサ。 ほんと、楽しそうです。さて、それでは、ハバナへ戻りましょう。
2010.03.22
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2010年 3月 4日(木) 162日目(キューバ6日目)諸々のミュージックの原点であるキューバに居ます。ここで、ライブを聞きに行かないで、キューバに来たと言えましょうか?ってぇ、ことで、町に出て見ました。町を歩いて見ますと、カサパティクラルと呼ばれる、民宿が、ものすごく多いです。ハバナでも、トリニダーでも、そこに泊まっています。何を見れば、普通の民家と、民宿が分かるかと、言いますと、民宿の許可を得ている家には、青い「錨マーク」が張ってあります。これです。分かりやすいでですね。アジアの星一番が、泊まっている、「カサ・マリア」の入り口です。ここのマークは、小さくて見え難いですが、一応、張ってありました。マリアは、おばあちゃんの名前で、左がお母さん、右が孫です。16歳位かな? お孫さんですが。昨日の夕食です。海老に、カボチャに、ポテトに、トマトに、味の付いたライスです。スープは、いつも、豆がベースですね。これで、7クック(850円程度)ですから、良い商売です。因みに、昨日、町で食べた、ハムサンド2ケと、生ジュース1杯が、0.75クック(100円程度)でした。それでも、外国人価格で、多少、高く取られたと思うので、夕食代の高さには、驚きます。町の中心のレストランでは、昼間っから、サルサにあわせて、踊っている客もいました。ここは、外から、タダで、写真を撮らせて貰いました。夜を待ちます。もう眠たくなる頃の、夜の9時過ぎに、もう盛り上がっている頃だろうと、急ぎ足で、有名な、カサ・デ・ラ・トローバへ向かいました。21時15分位に、着いたはずですが、あれ? 誰もいませんぞ?演奏は、しています。ラム酒のストレートをちびちびと舐めながら、聞いておりました。1グループ、30分程度の持ち時間が決まっているのか、演奏グループが変わりました。この頃になると、客も集まりだして、ほぼ席も埋まりました。22時頃です。客が小さいステージで踊りだしました。尻をフリフリ、軽快です。釣られて何組もの人たちが踊りだします。又、演奏グループが変わりました。そしたら、誰~も踊りだしません。確かに、同じような演奏なのですが、若干、踊り難くそうな曲が多かったですね。音楽や、踊りを見ていると、マンボとか、チャチャチャに似ているな、と感じました。しかし、当然なのですね。元々、ソンと呼ばれる、ダンス音楽が、キューバで、生まれたのが、19世紀です。それを、ルンバとして、紹介されたのが、1930年頃。それが、ヨーロッパで大流行するのです。そのルンバに、ジャズの要素を取り入れたのが、マンボで、1950年代に、世界中で、これまた、大流行しました。そのマンボを変形したダンス・リズムが、チャチャチャなんです。それから、1970年代に、キューバ音楽にジャズ要素を加えた、リズム主体のラテン音楽を、サルサと呼んでいるのですね。ですから、上に挙げたものは、起源は、全てキューバなんです。リズムも、踊りも似ていて、当然です。又、グループが変わりました。途端に、大勢の人たちが、踊りだしました。黒人の男性が積極的で、女性を誘っては踊ってましたね。様になっています。踊る阿呆になりたい、もんだ、と指を咥えて見てました。ラム酒、アルコール度数が高いので、チビチビと舐めるように飲んでいても、結構、酔いが廻ります。23時半。ずいぶんと混んで来て、座りきれない客も、入り口に溢れているので、僕は、帰ることにしました。良い気分で、歩いていると、軽快なリズムが聞こえて来ます。自然と、足がそちらへ向いてしまいますね。屋外で、やってます。こちらは、すごい人数の客です。屋外なので、場所も広いです。
2010.03.21
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昨日、3月18日(木)、予定通り、日本へ帰り着きました。およそ、半年間、176日の中南米の旅でしたが、危険視された国々も、大過なく、通過し、うつ病も納まったまま、マチュピチュで、尻餅ついて尾てい骨を打った以外、何ら怪我も、病気もせずに、帰国出来ました。旅の経過は、 ブログで、書き綴った通りでありますが、多くの方々に世話になりました。道を聞いた地元の人は、数知れません。昨夜は、時差の関係上、日本へ着いたのが、徹夜と同じ時刻でありましたが、早速、寿司を買って来て、味噌汁と食べました。今朝は、ご飯と味噌汁、そして、納豆です。昼は、近くの牛丼屋で、ねぎ玉牛丼を食べました。どれも、信じ難いほど、おいしくて、日本人は幸せだよなー!と、今更ながら、驚いております。こんなにも、繊細な食文化を持った国は、日本だけでしょう。スーパーにも行きましたが、まぁ、何と、豊富な食料でしょうか?キューバなんて、野菜は、ほとんどありませんでした。どこの国もある、トマトさえ、傷だらけです。種類も豊富ですし、色んなものが、多すぎて、店内を隈なく見て廻ってしまいました。アパートの近くの、小さな、お店なんですけどね。こうして、コタツに入って、テレビの前に座っていますと、わずか1日前にメキシコにいたのが、信じられなくなります。半年も、中南米を、実際に旅していたのでしょうか?実は、夢を見ていたのでしょうか?いや、行きましたよね?ブログも残っているし、コメントを書いて下さった方々も沢山居ます。現地で出会った旅人も数多く、その中で、メールや、MIXIでやりとり、している方もいるのです。夢のはずはありません。しかし、夢のように思えてなりません。所詮、人生なんて、夢のようなものなのでしょうか?リアルタイムで、ブログをアップしたかったのですが、キューバのネット事情により、旅の後半の後半で、それが出来ず、まだ旅の続きが残っています。又、ぼちぼち、アップして行くことにします。半年間の旅、無事満了して帰国した今、コメントを頂いた皆様方、こっそり読んでいただいた方々に、厚く、お礼を申し上げます。
2010.03.19
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2010年 3月 3日(水) 161日目(キューバ5日目)宿、カサ・マリアは、町の中心地へ、歩いて2分の好立地にあります。目の前に、革命博物館が見えます。まず、革命博物館から、見て廻る事にしました。これです。 革命軍のメンバーの写真や遺品、襲撃の写真、武器などなど、数多くありましたが、あまり興味を引かれません。(元々、興味がない)それよりも、塔の上に上がると、町全体が見渡せて、それが素晴らしい。町から、さらに、その向こうには、海が見えます。この町には、高い建物がありませんね。山側を見たところです。ここは、元修道院だったようで、鐘もあります。(使ってないようですが)こうやって見る町も、仲々、良いもんでしょう?次にやって来ましたのは、サンティシマ広場です。左の建物が、ロマンティコ博物館で、右側が、サンティシマ教会です。この辺りには、考古学博物館、市立博物館などが集まっている町の中心です。別の角度から見た、サンティシマ教会です。さらに進むと、狭い通りの両側に、お土産屋さんが、立ち並んでいます。ファゴッティングと言う、通常の布から、糸を1本1本、間引いて模様を作る手法のテーブルクロスも売られています。美しい模様で、買いたいと思いましたが、買って帰っても、置き場所、使用にも困るので、止めました。1mのテーブルクロスを作るのに、1ヶ月近くかかる手間のかかる手法のようです。そして、売られているのが、これです。星のマーク入り、チェ・ゲバラのイラスト入り帽子です。チェ・ゲバラは、星のマークを入れた、ベレー帽のようなのを、被っていたのですね。町中のあちこちで見ます。ん? 星のマーク? どっかで聞いたなー?星? アジアの星? そうだ! アジアの星一番、です。おー! こんな所で、チェ・ゲバラと、アジアの星一番が、繋がってました。親しみが湧きますねー! チェ・ゲバラさん!しかし、彼の業績も、然ることながら、彼の風貌がよろしい。言い換えれば、イケメンなんですね。それで、今でも、あちこちで、写真や、イラストや、色んな形で、売られているのではないでしょうか?すごい人気です。繋がりは、ありましたが、それに比べて、アジアの星一番。業績もなければ、イケメンからは、程遠い、どっちかと言うと、その逆方面でありますなー。全くすごくも何ともない、人気もない、アジアの星一番です。単なる、星つながりだけであります、威張れません。さてさて、また、トボトボと歩きましょう。町なかを見るのに、1時間も必要ありません。それで、バス停方面へ、歩いて見ました。ここに、この町で一番大きなホテルがあるのです。イベロスタ・トリニダー・ホテルです。1泊170ドルも出せば、泊まれるようですよ。腹減ったので、町の通りにある、ハムサンドと、生ジュースを買いました。値段も、良く分からないので、1クック(120円)を出したところ、な、なんと、お釣りが、5と書いた札が、2枚も来ました。なんじゃー、こりゃー?と思いました。が、すぐに気が付きましたな。ここキューバは、外国人用のお金と、現地人用のお金があるのです。これは、又、詳しく、記する事にしましょう。5と書いた札で、もう一つ、ハムサンドを買いました。腹一杯になりました!宿で、頼むスパゲッティの五分の一の値段で、ハムサンド二つと、生ジュースが一杯飲めました。 こう言う時だけ、現地人になりたいなー、と思いましたです。
2010.03.15
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2010年 3月 2日(火) 160日目(キューバ4日目)さて、ハバナに10日間、滞在しても、仕方ないので、トリニダーへ行くことにしました。今回の旅の終わりが近づいて来たら、無理してあちこちへ動き回るのが、億劫になってしまっています。これが、旅の始まりや、旅の途中であったら、1日も惜しまず、夜行バスで、15時間の、東南にある第二の都市、サンティアゴ・デ・クーパや、キューバ最大のビーチリゾート、バラデロや、チェ・ゲベラの、サンタ・クララ、などなど移動しまくって、見て廻ったはずです。バスは、7時15分発と言うので、余裕を見て、朝食も食べず、早めに行きました。しかしながら、待てども、待てども、バスはやって来ません。その代わりに、映画でも見た事のないような、クラシックカーが、走ってきます。どこのメーカーなんでしょうか? 今どき、このような車、世界中、探しても、仲々、みつからないのではないでしょうか?これらは、30年とか、40年とか、50年前の車だと思いますよ。こんな車をすり抜けて走る、人力車もあります。浅草などを、走っている、観光用と違い、ちゃんとした実用タクシーです。1時間と10分、こんな風景を見ながらバスを待ちました。8時25分に、ようやくバスが来ました。車掌も全く、悪びれる様子はありません。このアホ! バカ!だから、いつまでも、貧しい生活から抜け出れないんだ。と、車掌に言って聞かせました。(通じる訳ありませんが。)バスは、プンタ要塞の前を通ります。この運河の向こうには、モロ要塞があります。4時間も走った頃、立派なホテルのある場所を通りました。シエンフエゴスと言う町。フランス人が作った町のようで、美しい町並みです。5時間弱かかって、トリニダーへ着きました。途中、土砂降りの雨が、間歇的に降っていて、トリニダーに着いたら、宿へ行くまでに、びしょ濡れになってしまうなー、と心配してました。しかしながら、そこは、天候に恵まれる、アジアの星一番、着いた時には、小雨ながら、数分で、雨は止みました。噂に聞いていた通り、バス停には、宿の客引きがわんさと押し寄せて来ます。僕は、端の方で、静観しておりました。客は、それぞれ、客引きに連れられたり、予約してある宿へ向かうもの、など、ほどなくして去りました。客にあぶれた、黒人のおばさんが、アジアの星一番を見つけて、満面の笑顔で、擦り寄って来ます。ま、どこでも、似たようなもんやろ、とその黒人の方の宿へ行きました。こんな通りです。この青に塗られた家が、彼女の家です。全く普通の家です。自分の家の2部屋を、宿泊客用にしているようです。部屋は広くて、エアコン(寒くて不要だが)もあり、快適です。この部屋を一人で使用できます。シャワー、トイレも、キレイにしてあります。ハバナの宿は、お湯でなく、ぬるま湯程度で、寒くて困りましたが、ここは、湯量も豊富で問題ありません。その代わりに、こぼれ湯が、トイレ側に流れて、ビシャビシャになります。どこも、完璧な宿は、少ないですね。安宿ですから。朝食、昼食抜きで来たので、腹減りすぎです。外へ食べに行くのも、面倒なので、パスタを作って貰いました。3クックですから、360円程度です。高いですが、止むを得ません。ここは、キッチンです。おばさんが作ってます。その間、クリスタルを飲んでました。1.5クックですから、180円ですよ!高いですねー! 驚きです。 ま、うまいですけど。出来上がりました。パスタです。僕の作るのは、茹でてトマトソースをかけるだけですが、これは、きちんと、ソースも作ってました。夕食です。主のおかずは、海老です。どっさりありました。まぁまぁ、おいしいですね。ここは、朝食付きの1泊で、15クック(1800円)。それに、夕食が、7クック(850円)、ビール飲めば、180円。ですから、1泊2食、缶ビール付きで、2500円弱でしょうか?朝食は、パンとコーヒーだけです。ハバナの宿のような朝食を要望すると、さらに3クック(360円)も、取られます。しっかりしてますよ、このおばさん。
2010.03.15
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2010年 3月 1日(月) 159日目(キューバ3日目)ハバナ旧市街は、昨日行った、要塞も含めて、世界遺産に登録されております。その旧市街を、散歩に出かけました。宿から、歩いて、5分もしない所に、カピトリオ(旧国会議事堂)があります。モデルは、アメリカのホワイトハウスだそうです。(似てますか?)ここが、繁華街の、オビスポ通りです。石畳は、植民地時代のもので、レストランや、土産物、両替所などがあり、日曜日も、月曜日も、多くの人々が歩いてました。色んなタクシーがあるようですが、こんなのもあります。乗り心地は、どうか、分かりませんが、可愛いタクシーですね。繁華街だけでなく、小さな通りにも入って見ました。どこも、同じようなので、地図を良く見ながら歩かないと、迷子になりそうです。まぁ、迷子になっても、大通りを聞けば、旧市街は、小さな町なので、何とか、元に戻る事は可能ですが・・・。町は、数時間あれば、充分に見て回れます。昨日は、海側の、要塞なども行ったので、両替しただけで、市街の見学は完了です。それでは、食事を紹介しましょう。宿の朝食ですが、パンに、玉子焼きに、フルーツに牛乳に、生ジュース。量もたっぷりで、ドミ宿のパンだけの食事とは違います。 昼食は、中華街へ行きました。大して広くはないです。レストランが並んでいる通りは、100mもないでしょうか? ショップも少ないです。ビールは、現地産の強いと言う、ブカネロです。 それに、豚肉入り炒面を頼みました。 ビール足りないので、弱いほうの、クリスタルも、追加注文です。ブカネロは、味が濃すぎるので、僕は、クリスタルの方が、好みです。 宿の夕食です。今夜は、チキンにライス。やはり豆をベースのスープ。野菜に生ジュース。食後に、コーヒーと、スィートです。腹一杯になります。味付けが濃いですね。 宿の外観です。普通の民家に泊まっているので、外観からでは、宿かどうかなど、全く分かりません。下の写真の、赤矢印の先の、4階が宿です。
2010.03.11
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2010年 2月 28日(日) 158日目(キューバ2日目)ハバナ市内に、日本人の銅像があると聞き、到着翌日早々ですが、出かけました。この支倉常長(はせくらつねなが)と言う人が、どんな人だったかと言いますと、仙台藩主、伊達政宗の家臣。伊達政宗は、スペインとの直接通商を狙っていた。フランシスコ会奥州区教区の設立を望むルイスと、目的を一つとし、1613年、伊達政宗の命を受け、一行180名と共に、欧州へ出発。男鹿半島を発ち、メキシコ経由、スペインへ赴く。スペインでの交渉は不調。(この地にて洗礼を受ける)ローマに入り、教皇パウロス5世に謁見。しかし、ローマでの交渉も不調。交渉不成立のまま、1920年に、帰国。その頃、キリシタン禁止令が出ており、帰国後は不遇のまま亡くなった。このような経歴の人ですが、メキシコ経由の時に、キューバのハバナに立ち寄ったとされています。その縁により、キューバとの親交を続けている、仙台育英学園が、この地に支倉常長の銅像を、2001年に作ったのであります。このような経緯であり、銅像が建てられたのは、最近の事であります。銅像は、旧市街の港の方にあります。市内を通りますが、脇目も振らず、港を目指して歩きました。来ました。港です。フエルサ要塞が、すぐ後ろにあります。釣りを楽しんでいる人がいますねー。ここにも沢山の釣り人がいます。そう言えば、本日は日曜日でした。皆さん、釣果は、ほとんどゼロで、単に、竿や糸を垂れているって感じです。さらに歩いて行くと、 見えて来ました。羽織、袴で、刀を差し、扇子で、目指すローマ方面を指している銅像です。仲々、立派です。銅像の下を見ますと、確かに、支倉常長像であります。銅像の周囲の低い壁に、仙台の名物と思われる、写真が、飾られておりました。 どんと祭 こけし 七夕祭 あおば祭り 支倉常長。後姿も凛々しいですね。江戸初期の時代に、大航海した日本人もいるのですね。同時代で、タイで活躍した、山田長政もいます。もし鎖国をしなかったら、今頃、どんな日本になっていたのでしょうか?キリスト教が普及して、仏教は廃れていたでしょうか?世界のどこかの地域が、日本の植民地となって、今頃、日本語が、国語の国が、いくつも誕生していたでしょうか?江戸幕府が、鎖国し、キリシタンを禁止し、大きな船の建造も禁止し、自分達の保身、徳川幕府が長く続くような政策を採った故に、今の日本国がある訳です。歴史を戻す事は出来ませんが、鎖国していなかったら、どんな日本が出来上がっていたのか、空想すると楽しいものがあります。そして、あの当時、世界に出かけた先人に、頭が下がる思いです。ここハバナから、仙台まで、11、850キロ。支倉常長像の、下に彫ってありました。歩いたら、幾日かかるでしょう?毎日、30キロ歩いたとして、1年です。遠いなー!支倉常長像を目指して歩き、そして、しばし、ここで、銅像を見て、海を眺めながら、空想の世界に佇んでおりました。この地は、今、暑くもなく、寒くもなく、丁度よい気候であります。何をしても、何もしなくても、空想だけしていても、腹は減ります。町へ戻り、昼食です。チキンとチャーハンのようなものです。ジャーク・チキンと言うのでしょうか? ジャマイカの料理みたいです。
2010.03.11
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2010年 2月 27日(土) 157日目(キューバ1日目)昨夜は、飲みすぎました。そんなに強くないのに、飲み続けた時間が長すぎです。8時間、座っているだけでも、疲れるのに、気も使い、時間も使い、お金も使いました。そして、はぁー、へぇー、疲れました。それでも、熟睡出来ず、朦朧とした頭で、起き出しました。(な、なにー! いつもだろう? ですと? いつもは、違いますぞ。)仮名、れいこさんと、飛行場へ向かいます。彼女は、永住権を取得して、サンフランシスコに住む、日本女性です。たまたま、同じような、出発時間だったので、行き先は違いますが、空港まで、旅は道連れって奴で、一緒に行ったのでした。二人だと、待ち時間も退屈しなくって良いですよね。カンクンからキューバのハバナまで、飛んでいる時間は、たったの、1時間半です。ゆっくり飲む暇もありません。日本では、ラム酒と呼ばれている、Ronを、コーラで割って貰って、一杯飲んだだけで、キューバが見えて来ました。これが、乗って来た飛行機です。クバナ航空と言います。古い機種の飛行機のようで、着陸したら、拍手がおきました。やばい飛行機だったのですねー。ホテルは高いので、キューバでは、当たり前のようにあると言う、カサ・パティクラルと言われる、民宿のような宿にしました。以前から、そう言う宿が、キューバにあると、聞いていたのです。見た目、普通のホテルの、ツインルームのようでしょう?ここに一人で泊まれるなら、言うことないですよね?予約客が多いと、ここは、二人部屋となります。例えば、女性3名、男性1名などと言う宿泊客の場合、一部屋は女性部屋、一部屋は、女性と男性で泊まる、なんて事もあるらしいです。今夜は、アジアの星一番、一名なので、この部屋を独占です。バスルームです。やはり、ホテル並ですね。ここも、一人で使う分には、文句なしです。問題は何らありません。反対側に、ドアがありますから、2部屋共同の、バスルームのようです。すると、満室の場合、4人で共同で使うことになりますね。1泊2食付で、15クック。1クックが、1US$相当と言われますが、両替率が、ものすごーく悪いので、1クックが1.2US$位の感じです。ですから、1泊2食付で、18ドルと言ったお値段です。どんな夕食が出されるのか、楽しみでしたが、このような家庭料理です。ライスに、そぼろのような肉、それから、ポテトの煮たのが付いています。それに、豆のスープ、トマトとキャベツの野菜。この夕食も、全く文句ありません。ちょっと、しょっぱいかな? と言う程度で、おいしく頂きました。これで、一人で使えるとしたら、18ドルで安いと思います。カンクンのカサ吉田は、20ドルで、個室なれど、トイレ、シャワーは共同で、朝食付きなれど、食パンのみで、夕食は付きません。注記カンクンも、そうでしたが、ここキューバのハバナも、水道に消毒用の、さらし粉が多すぎるのか、ポットで、お湯を沸かすと、上澄みに膜のようなものが出来て、底には、白い粉が溜まります。知らずに飲んでいましたが、ちょっと、白い粉(石灰)が多すぎるので、ミネラルウォーターを買って飲むようにしています。ここの宿は、水道で、米を焚いたり、コーヒーに使ったりしていますが、たぶん、どこの家庭でも、そのように使っているものと思われます。
2010.03.11
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2010年 2月 26日(金) 156日目(メキシコ23日目)旅の残り期間も、20日程度となりました。帰国のことも、考えねばならぬ、時期となってしまったのです。3月17日(水)に、メキシコシティから、ロス経由で、成田へ帰るフライトは、決定済みです。もっと帰国を延長する相談を、JALにしましたが、4月中旬まで満席であるとの回答で、延長が出来なかったのです。そんなに、混んでいるのに、何故、倒産するんじゃ?と聞いて見たかったですが、可哀そうなので聞くのは止めました。死にそうな奴を、鞭で叩いたら、可哀そうですよねー?旅の最終章は、せっかく、ユカタン半島、カリブ海に来ているので、宣伝部長に就任している、コスメル島の、日本人宿、カサ・コスメレーニャで、ゆったりすることにしております。ゆきこ社長に、ご挨拶せねばなりませんし。で、3月16日に、カンクンからメキシコシティへ飛ぶフライトを予約しました。ギリギリまで、コスメル島に滞在したいからです。その夜、メキシコシティに1泊し、翌日、ロスへ飛びます。カサ・コスメレーニャに、何にもしないで、ボォーっと5日か6日間居るとすると、まだ、10日も残りますが、それを、キューバに行く期間としたのであります。250ドルで、往復のチケットが買えました。キューバ行き決定です。しかし、この250ドルの他に、結構お金が必要なんですよ。メキシコからキューバへ行くには。ビザが15ドルでしょう?メキシコの空港税はいくらか知りませんが、チケット代に含まれています。メキシコ出国税が、20ドルです。(22ドルと聞いてましたが、20ドルでした)キューバの空港税が、30ドルとの事です。エアーチケットの他に、合計、65ドルが必要です。高いですねー!さて、明日は、キューバへ出発ですが、この日の朝、すごい大物に出遭っていました。本日の朝、日本へ向けて飛び立つ、飛行機に、乗り遅れた人なのです。しかも、アクシデントとかそう言うのでなく、単なる寝坊です。しかも、昨夜は、22時に寝たと言うのにです。そして、朝は、6時半に目覚めて、フライトまで、1時間半しかなく、諦めたって言うのでねー! ガックリした様子もなく、「寝坊しちゃったー!」、と、明るく言ってました。昼会った時に、明日の夜のフライトのチケットを購入出来たって言うので、今夜は、大宴会しましょう、と約束しました。明るい笑顔を絶やさずにいましたが、ショックなはずです。なんせ、寝坊して、1000ドル以上のチケットを、パァーにしたのです。僕なんぞ、詐欺師に50ドル騙し取られただけで、胸くそ悪く、1週間は、寝付きも、寝起きも悪かったほどなのです。で、少しでも、気分を直して、日本へ帰って欲しいと言う、気持ちから、ご馳走してやろうと思った次第であります。実は、時間があったので、半年振りに、FXをやって、4000円ばかり儲けて、気も大きくなっていたのですけどね。ビール1ダース、ワイン1本、テキーラ1瓶買いました。つまみに、惣菜を5種類買いました。得意の肉野菜炒めも、超どでかい、持ち上がらないほど大きいフライパンで、炒めました。その大物、仮に、ひろこさんとしましょう。彼女、アルコールも強いですよー!缶ビール3缶は、ぺロリと飲んで、ワインも、クィッ、クィッっと飲みます。そのひろこさんと、16時半頃より、飲み始めたのですが、実は、その後、今夜の飛行機が取れたので、18時頃出発します! って言うのです。さすが、大物。遅刻もするけど、早立ちもしますね。サヨナラーと出発しました。ビールや、ワインや、テキーラも、まだまだ、あるし、つまみもごっそりあります。そしたら、仮に、れいこさんとしましょうか、。彼女が飲み始め、仮に、やすよさんとしましょうか、彼女は、アルコールダメですが、会話に入ってくれました。そして、もう一人の、大酒飲みの彼女も加わり、大宴会は続きました。はぁー、疲れました。シンデレラになる前に、寝ようと思っていたのですが、結局、化けの皮が剥がれる時間となってしまいました。
2010.03.11
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2010年 2月 25日(木) 155日目(メキシコ22日目)リオ・デ・ジャネイロに別れを告げて、行くとは思っていなかった、メキシコのカンクンへ向かいます。2度目のカンクンです。当然、バスで空港へ行くつもりでいました。しかしながら、朝から雨が降っており、バス停まで、歩いて15分の道のりで、びしょ濡れになってしまいます。止むなく、タクシーに乗りました。飛行機は、パナマへ向かいます。リオから、カンクンへの直行便はありません。もう、ずいぶん前に、泊まったパナマが見えて来ました。こんな森があったのですね、パナマ。空港で、待っていると、Nintendo の文字が目に入りました。親子連れや、子供同士で、Wiiを楽しんでいます。リオから、パナマまで、7時間半。パナマから、カンクンまで、2時間半。飛んでいる時間は、10時間です。成田から、シンガポールやタイなどの、東南アジア諸国より、遠い距離です。まぁ、ですから、1000ドルを超える、お値段なのでしょうか?それにしても、高すぎますが、機内食も、よろしくなかったです。カンクンの宿は、カサ吉田。前回泊まった宿と同じです。基本はドミ宿なんですが、個室が一部屋だけあり、高級バックパッカーのアジアの星一番は、勿論、個室です。
2010.03.11
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2010年 2月 24日(水) 154日目(ブラジル14日目)暑いので、あまり外出したくなかったのです。ですが、宿の人が、ビーチへ行って来い、と薦めるものですから、午後になってから、重い腰を上げました。宿の前の石段を、さらに登って行くと、路面電車が走っています。それにも乗れと言うお勧めです。1時間余り、ドイツから来た二人連れのおばさんと、一緒に待って、ようやく電車に乗れました。本数が少ないです。1両編成、どこでも止まる、情緒ある電車ですな。料金も、30円と、とっても安いです。地下鉄に乗って、イパネマ海岸へ。広い海岸です、ずーーーーっと、ビーチです。サンパウロのカーニバルで、踊りまくったら、足に豆が出来ました。5ヶ月も、履き続けて慣れている靴なのに、踊るのと、歩くのでは、当たる場所が違うのですね。歩くのが、苦痛だったのですが、今朝、針で穴を開け、水を出して、テープ巻いたら、楽になりましたよ。あれー? 知らずに、岸を撮ったら、こんな写真がありました。(嘘つけー! 狙って撮ったな!)ここが、イパネマ海岸と、コパカバーナ海岸の間にあるビーチです。岩場もあり、釣りを楽しんでいる人たちもいます。ここが、コパカバーナ海岸です。イパネマより、もっと広いですねー! 海も、思ったよりきれいです。買物して、宿へ帰り、肉じゃがに挑戦しました。材料は、ジャガイモ、サトイモ、人参、タマネギ、キャベツ、豚肉です。味付けは、塩、砂糖、スープの元、醤油。1時間も、かかりました。肉じゃがと言うより、ごった煮スープのようになってしまいました。でも、うまいですよ。鍋一杯に作ってしまったので、宿のオーナーや、働いている人たちにも、味見して貰いました。うまいって食べてました。(不味いと言うはずなし!)ここのオーナーは、33歳の女性ですが、その彼氏が、日系3世なのです。日本にも、何年か滞在したとかで、日本語も、話せます。東洋人街で購入した、焼酎の純と、肉じゃがもどきを差し上げて、歓談。日本へ行き、カナダ人英語教師を結婚し、次はカナダへ渡り、離婚してブラジルに戻ってきた、ドラマーです。5才からドラム叩いていると言う、筋金入りのミュージシャンです。アジアの星一番も、元ミュージシャンですから、話が合います。ブルースから、ジャズ、サンバまで、体が自然とリズムをとりながら、話が弾みました。写真も撮りました。さぁここで、ですが、アジアの星一番が登場する時は、いつも化粧をしております。読者の方より、なんか、変だ? なんか、おかしい? 何故、化粧なしの写真を載せんのだ! と言う、お叱りと言うか、疑問を呈されたりしております。わたくし、本人としましては、気分の良くなる写真をブログに載せる主義でありまして、アジアの星一番を、化粧なしで、載せるのは、主義に反するのであります。ですが、今回のみ、化粧なしで、登場させましょう。「あぁ、やっぱり!」 とか、 「なんじゃー!」 とか「おぇー!」 とか、なるといけませんので、食事前の方は、ここで、ひとまず、このブログを閉じて、下さいまし。日焼けしてますねー。素肌は色白なんですが。(真っ赤な嘘)お恥ずかしい、次第であります。次回から登場するときは、やはり、お化粧する事に致します。見苦しい写真を掲載致しまして、大変、失礼、申し上げましたです。隣の人が、フランク林さんで、ドラマーです。因みに、昼食は、パスタでした。このように、ドミに泊まり、自炊すれば、かなり安上がりになります。これが、普通のバックパッカーなのでしょうねー。
2010.03.10
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ブログのアップが、数日遅れになっていますが、今は、メキシコのカンクンに来ています。本日、27日(土)に、キューバへ飛びます。キューバは、ネット環境が、相当悪く、且つ、繋がっても遅くて、さらに、1時間6ドルとかの、お値段らしいです。従いまして、キューバでの、ネットへの接続は、諦めました。よって、ブログの更新は、暫く途絶えます。3月9日に、メキシコに戻って来ますので、その後、再開する予定です。チリ大地震に関して、ご心配して頂いた方々に、お礼申し上げます。カンクンに居ましたので、地震があった事さえ、全く知りませんでした。旅の途中で、知り合った旅人が、チリ辺りにいる人もいるはずですが、ご無事を祈っております。それでは、又。 3月に、お会いしましょう!
2010.02.27
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2010年 2月 23日(火) 153日目(ブラジル13日目)リオに来たので、あんまり期待はしていませんが、イエス・キリスト像を見に行きました。分かって見れば、バスも地下鉄も便利なのですが、苦労しながら、地下鉄と、バスを乗り継いで、コルコバードの丘へ登る入り口に来ました。この登山電車に乗って行きます。36レアル(1800円)もしますが、時間も30分もかかります。これ、アジアの星一番の推測なのですが、この遅い電車で、入場制限しているのでは、ないか? って事です。頂上が、そんなに広くないので、そう思いました。が、推測が過ぎますでしょうか?電車を降りて、トコトコと、階段を登って行くと、キリスト像の後ろ姿にご対面です。 前へ行くと、こんな感じです。 これが、新世界七不思議の、第2位なの? え? ほんと? ほんまかいな?と、何度も、思いましたです。わたくし、アジアの星一番の出生地、我が群馬県。福田武夫くんや、中曽根康弘くん、さらに、小渕恵三くんらの選挙区、高崎市には、高崎白衣大観音ってのが、ありまして、新幹線からも見えます。(たぶん)高さは、41.8mもあるのです。一方、新世界七不思議、第2位に選ばれた、イエス・キリスト像はと言えば、高さ、たったの、30mなのです。やった! 勝ちました!我が群馬県が誇る、高崎白衣大観音、ブラジルが誇る、イエス・キリスト像に簡単に勝ちました。ダントツ、完璧、判定勝ちなんてもんじゃー、ありませぬ!横綱 対 入門子習いみたいなもんです。比べること自体が、 ふふん! ってな、もんじゃーありませんか?しかし、こんなのが、何故、新世界七不思議に選ばれたのでしょう?もっと有名な、自由の女神だって、46mあり、高崎白衣大観音も負けているのです。で、調べて見ました。ユネスコ前事務局長を中心に、2007年、候補地を選んだようですが、ユネスコは、「新・世界七不思議」が世界遺産やユネスコとなんら関係ないと声明を発表したのです。そして、「新世界七不思議財団」は1億票以上がインターネットや電話を介して集められたと主張していますが、重複投票を防止する措置が講じられていた訳でもなく、もともと非科学的な投票だったと言われているのであります。と言うことなんですよ! でも、結構、有名です。新世界七不思議。2007年7月7日が、最終結果の発表でした。その時、アジアの星一番は、偶然ですが、バックパック担いで、ヨルダンのペトラに居たのです。(そんなに長いこと、バックパッカー、やってんだなー。)昼間から、飾った車が、ガンガン走り、なんぞい? と思ったものです。ペトラ遺跡への入場料が、無料だったので、それは感謝しましたです。ペトラ遺跡、すごいですよ。入り口から、して、もう、感激します。岩の割れ目から、エルカズネが見えた、その感動は、言葉では、伝えられませぬ。そのペトラ遺跡と、このイエス・キリスト像を、一緒にして貰ったら困ります。これ、アジアの星一番の、思ったままの、感想です。それで、その時に、ペトラ人が言っていた言葉を思い浮かべます。ペトラが、中国の万里の頂上に勝てる訳ない。ペトラが、ブラジルの、イエス・キリストに勝てる訳がない。あいつら、あの人口、皆んで投票するのだ。そんな中で、ぺトラが5位に入った。ペトラ人以外の、世界の人々が、選んでくれたのだ! と。さて、皆さんは、どう思うでしょうか?おさらいの為に、新世界七不思議に、ノミネートされた場所と、最終的な、順位を記します。日本も、何故か、清水寺が入っていたのです。1.アクロポリス(ギリシャ)2.アルハンブラ宮殿(スペイン)3.アンコール・ワット(カンボジア)4.チチェン・イッツァのピラミッド(メキシコ) 1位5.イエス・キリスト像(ブラジル) 2位6.コロッセオ(イタリア) 6位7.イースター島のモアイ像(チリ)8.エッフェル塔(フランス)9.万里の長城(中国) 3位10.聖ソフィア大聖堂(トルコ)11.清水寺(日本)12.クレムリンと赤の広場(ロシア)13.マチュ・ピチュ(ペルー) 4位14.ノイシュヴァンシュタイン城(ドイツ)15.ペトラ(ヨルダン) 5位16.ギザのピラミッド(エジプト)17.自由の女神像(アメリカ)18.ストーンヘンジ(イギリス)19.シドニー・オペラハウス(オーストラリア)20.タージ・マハル(インド) 7位21.トンブクトゥ(マリ)選ばれた順位を、整理し、書き直しますと、下記です。1.チチェン・イッツァのピラミッド(メキシコ)2.イエス・キリスト像(ブラジル)3.万里の長城(中国)4.マチュ・ピチュ(ペルー)5.ペトラ(ヨルダン)6.コロッセオ(イタリア)7.タージ・マハル(インド)アジアの星一番、1位から7位入った、新七不思議、全部行きました。今回の旅で、3箇所行ったので、全部となった訳であります。さすが、「貧乏旅人 アジアの星一番 世界への旅」、ですねー。(自画自賛)えーとー、けなしてばかりでは、拙いですね。ここ、イエス・キリスト像の、良い所は、立地です。立地は素晴らしいです。コバカバーナ海岸も、一望できます。ポタフォゴ海岸も、同様に、一望です。これだけ、素晴らしい眺めの場所も、そうそう、ないでしょう。全貌は、こんな感じです。電車が発車する麓にあった、看板から採用させて貰いました。如何に、すごい場所か、お分かりかと思います。麓に下りてから、バスと徒歩で、ポタフォゴ海岸へ行って見ました。ボン・ジ・アスーカルと言う山が、奇妙に気になったのです。面白い形してますよね?この海岸、ほとんど観光客も、ビーチ客も居なかったのですが、わずか、3人の美女が、ポツリポツリと、日光浴してました。写真を撮るのは、憚れましたが、なんでー、こんな所で・・・、と思いましたですなー。さて、暑いし、汗ダクなので、宿へ帰ります。バスを乗り継ぎ、いつも通り、あっちで聞き、こっちで聞きしながら、帰って来ました。宿へ帰る最後の鬼門です。こんな階段を、登った所にあるのです。夕食は、肉野菜炒めです。豚肉、キャベツ、ナスの組み合わせですが、自画自賛ながら、うまいですなー。(見た目は、不味そうですが。)
2010.02.24
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2010年 2月 22日(月) 152日目(ブラジル12日目)サンパウロ、何にもない街やなー、と思っていましたが、気が付いて見れば、もう8日も過ごしていました。ここサンパウロで、出会った旅人ですが、亜州の星次郎編で、出演の、田岡のまゆどんご夫妻と、3回目の出会い。蒲田の悠三郎とも、3回目の出会い、そして、絵師のおゆみと知り合いだった、神戸の良蔵とも出会いました。そして、1年半以上前に、僕がブログにコメント書いていた、世界一周中の新婚旅行カップルさんにも出会いました。そのカップルさんは、既に2年の世界の旅をしてまして、まだまだ続けるそうです。コメントを書いた僕は、忘れてしまっていましたが、アジアの星一番と言う見知らぬ奴が、コメントを書いていた、と、そのカップルさんが覚えていたのです。その方のブログです。ちょっとそこまで世界一周今回は、一緒に、サッカー観戦し、カーニバルも一緒に見に行き、親しくさせて頂いたのであります。さらに、りささん。サッカーやカーニバルへ、連れて行ってくれた人なんですが、先日、食事した、サワコさんや、メグミさんと知り合いのようです。いつも思う事ですが、バックパッカーの世界、知り合いが多いですねー。(メグミさんのブログ見て、分かったのです。)そんなこんなで、サンパウロの滞在期間が長引いてしまいました。本日は、リオ・デ・ジャネイロへ移動です。滞在期間が、長いと、移動が億劫になります。荷物を詰めなおすのが、面倒です。中米辺りでは、移動が毎日のようだったのですけどね。地下鉄で、長距離バス停へ行き、チケットを買います。どでかいバス停なので、迷子になりそうです。バスは、きれいだし、エアコンも適度に調整されて、快適でした。リオの宿ですが、ドミにしました。1部屋10ベッドもあるドミです。この部屋は、男性用。同じような、女性用があり、さらに4ベッド、個室もあります。個室は、な、なんと、120レアル(6000円)もするので、諦めです。70レアルで、普通のホテルのエアコン付き個室に泊まれますが、残念ながら、WiFiのないホテルばかりです。それで、ベラス・アルテス・ゲストハウスにしました。33レアル(1650円)です。無線ラン無料、使い放題。オープンして、2ヶ月との事で、ベッドや枕に、プラステックカバーが付いていて、誰も泊まった事のないベッドでした。(やったー! 新品!)エアコン付きと聞いてましたが、夜の11時から、翌朝9時までで、且つ、ほとんど、効きません。エアコン効果なし。まぁ、安いから、仕方ないですな。この大きなドミですが、本日は、宿泊客、1名。アジアの星一番、独占です。あと、2日、誰も来なければ良いのですがねー。カーニバルの後の、隙間ですね、今は。キッチンも、一人なので、使いやすいです。持ち歩いていた、パスタを、ようやく食べられました。明日は、得意の肉野菜炒めを作って、ビールを飲む予定です。
2010.02.24
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2010年 2月 21日(日) 151日目(ブラジル11日目)サントスへ行って来ました。この町の名前、サンパウロへ来るまで知りませんでした。着いた日に遭った、怪しそうな日本人のおじいさんに、サントスへ行ったら良い、と言われ、そんな町があるのかと思ったのが最初です。(ミカンジュースをご馳走になった人です。)日本からのブラジル移民第1号の笠戸丸は、長旅の末、ここサントスに着いて、初めてブラジルの土を踏んだ、日本移民史に欠かせない町です。(ガイドブックより)さらに、コスメル島の日本人宿、カサ・コスメレーニャの女主人のゆきこさんが、以前、1ヶ月も滞在した町であるそうなんです。(miixiで、教えてくれました。)実は、わたくし、カサ・コスメレーニャの、宣伝部長に就任しました。ゆきこ社長の特命です。 どうぞ、皆さん、コスメル島の、カサ・コスメレーニャに泊まって下さいまし。肩書きが一つ増えましたです。名刺を作り直さねば・・・。それで、リオへ移動を1日延ばして、行って見る気になったのであります。地下鉄ジャバクアラ駅から、長距離バスが出ています。エアコン付きの快適なバスで、1時間、サントスの長距離バス停に着きました。モンチ・ハセーの丘へ行って見ました。ここがケーブルの乗り場です。(長距離バス停から、歩いていけます)ケーブルカーの値段が、18レアルと、信じ難いほど、高いです。見上げると、頂上は見えていますので、歩くことにしました。暑いですねー!サンパウロから、わずかバスで1時間ですが、明らかにサンパウロより気温は高いです。日差しもきつく、汗がボタボタ落ちて来ます。たったの10分、500段ほどの階段を登って頂上へ着きました。良く見えます。サントスの町を一望できます。結構、大きな町ですね。セントロの北西です。サントス湾も見えます。この風景を眺めながら、木陰で、汗の引くのを待ちました。風が気持ち良いです。バス停へ戻り、ゴンザガ・ビーチ行きの、42番バスに乗ります。そして、ビーチに着きました。物凄い人です。人、人、人の波。暑いですねー! 腹も減りました。ビーチ沿いのレストランに入り、早速ビールを頼みました。昼間っから、ビールですが、皆さん、飲んでますねー。久しぶりに、ローカル料理を食べる気がします。魚に、牛肉に、鶏肉があり、ライスに、スパゲッティに、ポテトに豆まで付いて、8レアル(400円)です。ボリビアや、ペルー辺りなら、高いなー! 高すぎやでー!と思うでしょうが、サンパウロの物価の高さを、体験しているので、安いと思いました。味もokです。ほろ酔い加減で、ビーチを歩きます。広いビーチです。多くの人が、思い思いにビーチを楽しんでいます。カーニバルの踊り子のような後姿に、出逢います。日系移民ブラジル上陸記念碑、旧コーヒー取引所、ラン園、水族館など見所はあるのですが、とにかく暑くて、歩く気力が湧きません。海岸を歩いただけで、サンパウロに帰って来ました。サンパウロの東洋人街に帰って見ますと、市場がたっていました。そうです、本日は、日曜日です。どら焼きです。日本の物らしき商品も売っていますが、どうも日本人や、日系でない人たちが、売っているように思えます。買いたい物はありません。食べたい物も、なかったですね。東洋人街には、何でも売ってますから。そうそう、先日、ここへ着いた時に、案内してくれた、怪しいご老人などと言ってしまった方ですが、本日も、又、お会いしまして、ミカンジュースをまたもや、ご馳走になってしまいました。今回は、私に払わせて下さい! とお願いしましたが、わざわざ、日本から来た人に、払わせる訳にはいかぬ! と、支払ってくれたのです。お礼状でも出そうと、住所を教えて下さい、と聞きましたが、礼はいらぬ、って事です。ほんと、ありがとうございました。長生きして、日本人旅行者への、親切を続けて欲しいと願います。注記この日より、当地は、サマータイムから普通時間に戻り、1時間遅くなりました。サントスにあった大時計と、自分の腕時計の時間がずれているので、サンパウロとの時差があるのかなー? こんなに近いのに? と不思議に思っていたのです。毎年、2月21日の午前零時に、冬時間になるそうです。早く気が付いて、良かったです。
2010.02.24
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2010年 2月 20日(土) 150日目(ブラジル10日目)本日は、朝から、ずっと夕方まで寝てました?え? どうした? 体調壊したか? って言う、ご質問ですか?あー、どうも。 ご心配ありがとうございます。(って、誰も心配なんぞしてねぇー、ですな。)実は、完全徹夜だったのです。昨夜、サンパウロ美術館を堪能したあと、カーニバルを見に行ったのです。カーニバルで、入賞したチームの、パレードがあり、それを見られるって言うし、入場料も、55レアル(2750円)と高くもないので行きました。チケットです。イグアスでも配られましたが、ここでも沢山くれました。使い道ないので、新婚世界一周旅行のカップルさんにあげました。(一つだけ、ちょろまかして持ってます。 お土産です。 すいません。)まだ時間が早いです。21時50分から始まると聞いてたので、1時間前には、会場へ到着していました。実際には、23時近い時間に、1組目がやって来ました。やはり規模が違いますねー! パラグアイのエンカルナシオンや、フォス・ド・イグアスのカーニバルと比べて。これ何て言うのかしりませんが、この動く舞台は、どでかいです。どこで、踊っているのか、分からないほどです。パレードの人数も多いです。1組が通り過ぎるのに、1時間はかかりますから、その人数が推測出来ると思います。日本の法被を着たような人がいました。おー! 発見!おっぱい丸出しの踊り子です!こんなに出して良いのですかねー! 出しすぎたら減点だって聞いたことありましたが? しかし、でか過ぎませんか?観客も大喜びで、踊っています!この赤い線の先で、踊っているのです。どんだけ、舞台装置がでかいか、お分かりでしょう?ここも、お尻丸出しですが、観客席から、遠いので、あんまり良く見えません。その点は、エンカルナシオンの方が良かったですね。 このパレードは、7位入賞までの、7チームが出場します。聞くところによると、1組の持ち時間は、80分と言うことですが、もう審査がないからなのか、1時間より短いチームが多いようです。優勝チームが、やって来ました。もう朝6時に近い時間です。すごい人です。1チーム何名がでているのでしょうか?これだけの人数を集めて、練習するのは、大変でしょうねー!全て見終わったら、6時半頃でしたでしょうか?もう空は、白みはじめ、バスに乗る頃には、明るくなってました。完全徹夜であり、ビールを飲み、酔って踊って、酔いが醒め、そしてさらに飲み、踊って、朝までですから、疲れました。良い席を取る為に、早く入場する人もいるようですが、この入賞パレードはひどい混みようではないので、ゆっくり来たほうが良いようです。完徹だったので、昼はずっとベッドの上です。そして、夕食。「田岡のまゆどん」ご夫妻と一緒に食べました。ウシュアイアの欧米バックパッカー宿で会い、フォス・ド・イグアスの日本人は、行かないような宿で、又々、ほんとの偶然で、一瞬でしたが出会い、ここ、サンパウロでも、10秒違ったら会わなかった、と言う微妙な時間差で、3回目の出会いでした。そして、一緒にカーニバルへも行けたのです。こう言う、出会いってあるのですよね!普通のバックパッカーとは、一味、異なる旅を続けているお二人です。どちらかと言うと、アジアの星一番に近い、高級バックパッカーですね。まだ、残り1年、旅を続けるそうです。お達者で!
2010.02.23
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2010年 2月 19日(金) 149日目(ブラジル9日目)今後のスケジュール、どうしようか大いに迷った末、ブラジルを出国し、キューバへ向かう事にしました。パンタナールを諦め、マナウスのアマゾンを諦め、ブラジリアや、サルバドールの、ブラジル各都市を諦め、ブラジル北東部の、リゾート地区も、諦めました。サンパウロが、あまり見るべきものもなく、物価も高く、ネットも繋がらない。南米一番の大都市で、これですから、他の都市は、さらによろしくないで、あろうと、勝手に理解しました。(こう言う考え、良くないですよね?)ですが、せっかく、ブラジルへ来たので、バスで行ける、リオ・デ・ジャネイロへは、行くことにしました。新世界七不思議に選ばれた、キリスト像も見とこうと思って。キューバへ行くには、カンクンからが安いと聞いています。で、リオからカンクンのフライトを調べて見ますと、かなりなお値段です。1000ドル位します。ネットで、750ドルほどのものをあったのですが、何故か購入できず、旅行代理店で買うことにしました。色んな所に隠して、持ち歩いている、最後の現金です。ショルダーバッグの、帯部分に縫い付けた、1000ドルを、慎重に取り出しました。5ヶ月も背負い続けて来た割に、新品のままです。移動だけに、10万円の出費は、痛いですが、止むを得ません。リオから、バスを乗り継いでいっても、結構なお値段になるし、日にちと労力が、掛かりすぎます。10万円も使ったら、多少のお金は、気にならなくなり、ラーメンを食べに行きました。「あすかラーメン」と言いまして、やはり東洋人街にあります。とんこつラーメン、11レアルで、大盛りが1レアル、合計で12レアル。およそ、600円です。さすがに、日本製であってもカップヌードルよりは、ずっとうまいです。これで、値段が安ければ良いのですが、カップヌードルでも、200円はしますので、止むを得ませんね。今後のスケジュールも決まったし、腹も膨れたし、この前、休みで見られなかった、サンパウロ美術館へ行きました。地下鉄があるので、移動は便利です。トリアノン・マスピ駅から、歩いて2分。ほとんど駅の直近にあります。聞いていた通り、多くの有名な画家の絵がありました。規模は大きくないですが、そして、書く画家の点数も多くはないですが、色んな画家の作品を、一度に見られるので、感激です。ルノアールの絵が一番多かったように思います。モネも2点あり、睡蓮ではなかったですが、画風と風景が似たようなボートに二人の女性が乗っている絵がありました。ピカソの描いた、人物画もありました。 ユトリロや、セザンヌ、ゴッホが描いた風景画が、並んで見られたのは、圧巻です。ゴーギャン、ロートレック、ちょっと時代を遡ったグレコの作品、独特の卵形の人物画のモジリアーニの作品も4~5点ありました。さらに、マチス、レンブラント、ルーベンスなどの作品もあり、それは、まぁ、素晴らしい美術館でした。写真を撮らせて貰えれば、忘れずに住むのですが、記憶力が乏しいので、一度見ても忘れてしまいますね。美術館の外にある作品は、写真に収められます。 日本人の作品もありましたよ。おおたけとみえさん、まべまなぶさんの二人です。僕は、全く知りませんが、ここに展示されている位だから、有名な画家なのでしょう。抽象画なので、僕には、理解が難しい作品でした。サンパウロ美術館、お奨めですね。
2010.02.23
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2010年 2月 18日(木) 148日目(ブラジル8日目)あっし、亜州の星次郎、いえ、違いました、アジアの星一番は、実は群馬県生まれなのです。それで、ここサンパウロには、移住した方々の県人会があります。沖縄、九州方面の県より、人数は少ないとの事ですが、群馬県人会もあります。訪ねて見ました。東洋人街にあります。事務局の萩原さんから、移住から、最近の問題まで、色々と説明して頂きました。事務局をしながら、日本語を教えたり、活躍されております。その後、一人のご婦人がやって来られました。弁当を買って来たので、一緒に食べましょう! と、はぁ、ご馳走になってしまいました。実は、この方こそ、僕の生まれ故郷の、実家のすぐ近くの家から、移住した方の奥様だったのですねー。 驚きました。実家の近くから移住したご主人は、6年前に、亡くなられたそうです。この方も、前橋出身ですが、海外へ行きたくて、高校を卒業してすぐに、東京のイギリス人の家庭に、メイドとして住み込み、英語を勉強。その後、自力で、海外へ行く伝手を作って渡航しようとしたものの、家族の反対で、断念。しかし、海外への夢を諦めきれず、24歳の時にブラジルへ移住したと言う、ツワモノです。我々、バックパッカーが、大変やなー、などと、こぼしているのと訳が違います。旅の者とは、次元の違う、人生ですね。左側の方です。右側の方は、群馬県人会館の管理人をされています。やはり、ご主人に先立たれ、今は、一人だと言ってました。それぞれ、子供さんもいます。お昼もご馳走になり、時間を割いて説明もして頂き、さらに、会報などの資料も頂いたので、わずかですが、寄付もして来ました。海外移住の先人の方々への、感謝の印であります。まぁ、生まれた国を去り、移住するって事は、すごい覚悟がいるよなー!言葉では、表せない苦労も、多々あったのだろうなー、と感慨にふけながら東洋人街を、ホテル方面へ歩いていました。そしたら、見覚えのある人が、向こうから歩いて来ます。ウシュアイアへ行く飛行機で会い、イグアス移住区でも会った、世界一周中の青年です。立ち話をしていたら、今夜、サッカーの試合を見に行くと言うので便乗させて貰いました。本場ブラジルのサッカーですからね。一度は見たかったのです。チケットをゲットしました。サンパウロFC vs バルエリ戦です。2階席ですが、わずか15レアル。750円です! 安いですねー!試合開始は、午後9時50分。会場に入場したのが、まだ、午後8時45分。まだ、ガラ~ンとしております。一緒に観戦した、日本人の方々です。本格派バックパッカーなので、ペンション荒木や、ペンションナミのドミの安宿に泊まっています。アジアの星一番は、個室ですから、やはり高級と言う冠をかぶせる必要があるようなー、と実感した次第です。そうそう、実は、入場券は、学割で、半額で入りました。日本の免許証とか提示すると、学割が効くらしいのですよ。一緒に行った人の中に、それらしき免許証を2枚持っている人がいて、その人のお陰で、半額となったのです。高級バックパッカーなんですがねー。でも、そりゃー、安い方がいいです。定刻の10分位前、選手の入場です。前半、サンパウロFCが、押し気味にゲームは進められました。しかしながら、バルエリが得た、フリーキック、ゴ~~~~~~~~~ル! だったのです。これは、入るんじゃーないかと、シャッターを押したら、この赤線のようにボールが通って、ゴールしました。決定的瞬間です。もう、ほんの少し、遅い方が良かったですけど、まぁ、良いでしょう。その後、前半、サンパウロFCが、2得点し、押し気味のゲーム通りの得点となりました。後半は、バルエリも頑張り、ゲームは、五分五分のように見えました。バルエリは、個人技に優れ、サンパウロFCは、チームプレイに優れているように思えました。やはり、チームプレイの方が、チャンスが多いですね。ロスタイムに、サンパウロFCが、追加得点し、最終的に3対1で、サンパウロFCが勝ちました。大喜びの、サポーターです。始まる前は、小雨が降り、屋根もないし、このまま雨だったら、どうなるんだ? と思ってましたが、ゲーム開始前に雨は止み、楽しい、サッカー観戦でした。追記サッカー観戦に、傘や、ペンなど持込禁止です。行くときには、何も持たないで、出かけるようにせねばなりません。タクシーに乗り、宿に帰って来たのは、夜中の12時半。僕のホテルは、そこから、歩いて10分ほどかかります。夜の道を一人で歩くのは、危ない、と皆さんが、ホテルまで送ってくれました。優しいですねー、皆さん。感謝です。
2010.02.19
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2010年 2月 17日(水) 147日目(ブラジル7日目)2日間待って、ようやく本日、旅行代理店が開く日です。大手2社を訪ねて、パンタナールと、マナウス(アマゾン)のツアーを聞いてみました。パンタナール 1社は、宿が満室で、予約できない。 1社は、2泊3日で、960US$マナウス(アマゾン) 2社共に、1200US$位。ベラボーに高い。高級バックパッカーも手が出ません。よって、パンタナールも、アマゾンも、行くのを諦めました。マナウス(アマゾン)へ行くのを諦めたので、その後、マナウスからバスで行こうとしたベネズエラも、諦めることになります。大幅に予定が狂ってきます。このまま、バスで、ブラジルの行ける所へ行くか?物価も安く、居心地の良い、パラグアイで、残り期間を過ごすか?水の張った美しいウユニ塩湖、即ち、ボリビアへ行くか?皆さんが、良いよー! と言う、キューバへ行くか?キューバへ行くとなると、メキシコのカンクンへ行くことになる?とすると、コスメル島の、カサ・コスメレーニャへも行けます。どうするかなー?現在、大いに迷っております。
2010.02.18
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2010年 2月 16日(火) 146日目(ブラジル6日目)本日、ブラジルは、カーニバル明けの祝日です。ほとんどの、会社も、お店も休みとなり、当然ながら、旅行代理店も休み。従って、パンタナールや、アマゾンのマナウスへ、どう行くかも調べることが出来ません。暇だなー?と、ガイドブックを、つらつら眺めていたら、サンパウロ美術館を見つけました。何と、この美術館、すごく沢山の画家の作品を所蔵しているのです。ラファエロ、レンブラント、ルーベンス、モネ、ルノワール、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャン、ユトリロ、グレコ、モジリアニ、ピカソ、などなど。すごいでしょう? 美術好きでない人でも、知っている画家がずらりと並んでいます。こんな素晴らしい美術館へ行かない手はありません。早速、地下鉄に乗って出かけました。地下鉄があると便利ですね。どこまでの区間でも、一律、2.65レアル(130円)です。着きました。 が、休みのようです。ざんね~ん!ガイドブックにも、美術館のチケット売り場にも、休みは、月曜のみ。祝日は、開館と書いてあるのです。結構多くの人が、訪れて、残念がって、帰って行きました。ここが、入り口前の広場です。で、移民博物館へ足を運びました。ここは開いています。これは、かなり古い時代の、欧州からの移民船です。こんなのも置いてありました。何だと思いますか?日本語のタイプライターなのですね。多くのひらがな、カタカナ、漢字を、一々選んで、打刻するものです。大変な作業でしたねー! 昔は。 今は、パソコンがあって、本当に便利です。フォードの車も置いてありました。こんな車に乗る人は、かなりの金持ちだったのでしょう。東洋人街で、相変わらず使用可能なネットカフェが見つからず、吉川君の家に行き、ネットを繋がせて貰いました。ようやく、イグアスの滝:アルゼンチン編を、アップ出来たのです。かなり長い時間、使わせて貰い、夕食です。チャンコ屋さんへ行って見ました。日系2世で、現役時、若東と言う四股名の関取が、経営しております。お好み3点盛りです。唐揚げに、サラダに、野菜炒めを選びました。そして、ボリュームのある、チャンコ鍋です。塩、味噌、キムチ、それから、なんだっけ? もう2種類あり、その中から選びます。僕は、味噌味にしました。この後、食べたいなら、おじやも作ってくれます。ビールも3本飲んで、二人で、123レアル(6000円強)ですから、バックパッカーが、気楽に入れるお店ではありませんが、たまには、散財もいいでしょう。あ! そう言えば、昨日も、大散財でした!予算オーバーだぞ!こんなお店です。東洋人街の、リベルダージにあります。
2010.02.17
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2010年 2月 15日(月) 145日目(ブラジル5日目)ブラジルは、広大です。行きたいと思っている、パンタナール湿原も、アマゾンも、個人で行くには、公共の交通手段も乏しく、難しいようです。で、本日は、どのようなツアーがあるか、調べる日に設定していました。ですが、本日、旅行会社は、どこも休みです。明日が、カーニバル明けの祝日で、昨日が日曜日なので、連休にしているようなんです。全く、1日が無駄となりました。おまけに、南米最大の都であるにも関わらず、インターネットが普及していないのか、東洋人街と言われる、この地区には、数軒、ネット屋はあれど、ラップトップは、繋がせてくれない、USBさえ使ったらダメ、さらに、日本語が使えない、など、全く、僻地のようです。今どき、こんな大都市があるのでしょうか?よって、リアルタイムで、アップするのを、旅の信条として来ましたが、ここサンパウロより、日にち遅れのブログとなってしまいます。ホテル一成の朝食です。そう言えば、フォス・ド・イグアスの、ホテル・ビレイジも朝食付でしたが、言葉が通じなかったので、それをチェックアウトまで知らず、食べ損ねました。損したなー。ホテル一成ですが、部屋は広く、シャワーもトイレも、問題ないのです。が、エアコンがありません。夜中の3時過ぎ頃まで暑くて悶々としておりました。それで、ホテル探しをして、移動したのであります。東洋人街のメインストリート、ガルボン・ブエノ通りに面した、ホテル萬里です。部屋は、非常に狭いですが、清潔で、エアコンも効きます。そして、トイレとシャワーは、廊下を挟んだ、反対側にありますが、共同でなく、専用なのです。他の人が入れないよう、鍵があります。これで、WiFiがあれば、言うことなしなんですが、それがないのが残念です。イグアスの滝、アルゼンチン側をアップしてませんから、もう、3日間も接続できてない事になります。やる事もないので、街をプラプラしたり、昼寝したりで、時間をつぶします。今夜は、会食です。イースター島で会った、京都の女性二人と、〇〇〇〇〇で会った、サンパウロ留学中の男性と、4名の会食です。メールで連絡し合い、今夜再開する事が出来たのです。メグミさんは、アルコールが飲めないので、ブドウジュースです。吉川君は、1リットルの生ビール。そして、サワコさんと、僕も、小さめのグラスで、生ビールです。生ビールは、すぐに飲み干し、サトウキビが原料と言う、カイピリーニアスを頼みました。これはレモン味ですが、イチゴや、キウイや、オレンジ味もあります。アルコールがきついですよー。これで、かなり、酔いが廻りました。揚げ物です。中には、チーズやら、肉やら、色んなものが入っています。話は尽きませんねー!やはり、世界の旅の話が、中心です。今夜のメインの料理、焼肉です。さすが、ブラジルです。おいしいです。シュハスカリアとは違いますが・・・。食べて、話し、話しては、飲み、飲んでは、話し、あっと言うまに、12時を廻りました。まだ、話し足りず、別のお店に移動し、さらに会食は続きます。旅の話から、仕事の話、恋愛や結婚の話、人生観、医療問題、などなど、尽きることはありませんねー、話って。夜中の2時が、お店の閉店ですが、さらに粘りました。お店の人が、別のテーブルの椅子を片付け始めた、2時半頃、お開きにしました。7時間半の会食でした。左が、世界一周中で、これから、南米を駆け上り、北米から欧州や、中東、そして、アジアを廻る、サワコさん。真ん中が、スペイン語留学中の、吉川君。右が、サワコさんと、一緒に旅してる、メグミさん。でも、全工程を一緒でなく、時々、行きたい場所が異なると、別行動もしたりしているようです。驚いたのは、メグミさん、見たことのあるような、手作りの腕飾りをしているのです。聞いてみると、あの、「カンザシ職人の遠静」から買ったと言うのです。全くもって、バックパッカーの世界は、狭いもんだと思わされました。と言うことで、次回は、京都で会いましょう!お達者で!と、お別れ致しました。彼女達、5時にホテルを出発して、飛行場へ行かねばならなかったのです。宿に帰ったのが、3時。飛行機、間に合ったろうなー?
2010.02.17
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2010年 2月 14日(日) 144日目(ブラジル4日目)皆さん、チョコレートを、どうするか、あれこれ迷った末に、本日を迎えたのですね? 如何だったでしょうか?わたくしには、何ら関係のない日であります。昨夜、と言うか、昨日の夕方なのですが、フォス・ド・イグアスでも、本日より、カーニバルが始まると言います。アルゼンチンまで往復して、イグアスの滝を見に行き、そして、国境を歩いて渡って帰って来たので、かなり疲れております。しかしながら、あの、後姿裸同然のカーニバル、もう一度見たいなー!と、疲れた足を引きずりながら、出かけました。まだ、17時ころなのですが、観客は、入場しだしております。おー! もう、すごい人ですぞ!でも、なんだか、エンカルナシオンでのカーニバルと雰囲気が違います。何が、違うのでしょうか?道路脇の、会場の壁にもたれ掛って、見ていました。そしたら、お尻丸出しのお姉さんが、こんなものをくれました。大量に持っていて、観客の皆さんに配って歩いています。さて? これは、なんでしょう? か?なんじゃろか? 裏もひっくり返して、又、表見て、眺めていました。が、分かりません。触って見ると、輪っかのようなのが入っているようです。隣の女性が、手馴れた感じで、その袋を、歯で千切りました。どうするのかと、思ったら、それを風船のように膨らましたでは、ないですか!ありゃ? これは、 あれじゃないですか? どうして、これを配っているのでしょうか?祭りの後は、とかく盛り上がります。一夜の快楽で、失敗しないよう、ブラジル政府が無料配布しているのでしょうか?しかし、隣の女性は、何故、風船にして膨らませたのでしょうか?謎は、謎を呼びます。(それほどの謎かい?)まぁ、こう言う代物は、アジアの星一番に必要はありませぬ。せいぜい、手でもしっかり握らせて頂ければ、それだけで幸せであります。ただ、貰ったものは、捨てる訳にもまいりません。そして、必要ないものを、いつまでも持っていられません。使用する方は、連絡下さい。せっかくのブラジル政府の好意です。無料で、送付申し上げます。さて、カーニバルです。お立ち台には、多くの人が登り、踊っています。しかしながら、あのすばらしいヒップは見当たりません。よ~く見ると、こいつら、全員、男なんですよ!ったく、面白くもなんともない、カーニバルです。3流企業の、忘年会なのかい?場末のスナックの、年忘れ温泉芸能大会なのかい?女装して踊っている男どもや、その彼女や、奥さんや、家族は楽しいのでしょうが、はるばる、東洋から、やって来た、観客には、面白みも何も、全くありません。暗くなる前に、早々に引き上げました。そして、本日、昨夜の悪夢を振り払って、サンパウロへ移動です。おかまより、どんなデブでも、ブスでも、女の方がよろしい、と、誰かに聞きました。その気持ち、昨夜で、良く分かりましたです。TAM航空で移動です。サンパウロ近くに飛んで来たようです。イグアスから、1時間半の空の旅であります。空港を降り立つと、市内へ向かいますが、一番安い方法で行きます。まず、バスに乗り、地下鉄駅まで行きます。そして、地下鉄で、市内へ行くのです。これだと、バス3.8レアルと、地下鉄2.65レアルの、合計6.45レアルで市内まで行けます。300円ちょっとですよ。安いですねー!これサンパウロに留学している、某有名商社の社員に教えて貰いました。ウシュアイアであった人です。リベルダージ駅に着きました。東洋人街です。ガウパオン・ブェノ通りを歩きましたら、鳥居がありました。鳥居って日本的ですねー!この鳥居の、少し前で、怪しい老人に声をかけられました。ホテル一成へ行くと言ったら、案内すると言うのです。こりゃー、新手の案内詐欺か? はたまた、インドのようなチップ泥棒か? と思いましたが、地図を見て、僕が歩いて行く方向と同じなので、止む無く、一緒に行きました。ホテル一成に着きました。その老人は、しつっこくもなく、そのままお別れしたので、やれやれです。部屋は広く、冷蔵庫もあり、シャワー室も完璧です。ただ、エアコンがないのです。WiHiもありません。サンパウロも、カーニバルがあるので、そのチケットとかあるかどうか荷物を置いて、探しに出かけるために、ホテルを出ました。す、すると、先ほどの、ご老人が、待っていたのです。慌てました。いると思わなかったですから・・・。案内してくれるって言うのです。道すがら、話してくれたことを、纏めますと、19歳の春に、日本を立ち、ブラジルへ来た。今は、70歳になる。娘が二人居るが、長女は、ドミニカ人と結婚し、ドミニカに住んでいる。次女は、結婚したが、子供はいない。別の家に住んでいる。奥さんと二人暮らしだが、退屈なので、毎日、ここへ来ている。65歳を越すと、バスも地下鉄もタダなので、来易い。と言うような境遇なので、怪しい人ではありませんでした。お寺もありました。途中、フレッシュミカンジュースをご馳走になってしまいました。もう疲れて、ホテルへ帰りたかったのですが、もう一つ、サンパウロの中心を見せるとかで、歩いて行きました。ここです。ここを、ゼロ地点として、どこどこへ何キロとか言うそうです。もう、夜の8時に近いです。疲れて、カーニバルがあっても、行く気力は、残っていません。シャワー浴びて、冷たいビールでも飲みたいです。リベルダージ駅の日曜東洋一で、焼きソバ食べようと思っていたのですが、ご老人に案内して貰っている内に、露天商は、店じまいしてしまいました。食べ損ねました。お店も閉店の準備をしています。ビールも買えなかったので、高かったですが、焼酎を買いました。30レアル(1500円)、高い出費です。味噌ラーメンも買いました。こちらは4.2レアル(200円ちょっと)です。そして、つまみに豆腐も買いました。絹ごしでなく、やはり木綿です。 多すぎて、食べ切れません チクワです。380円もするのですよ! あの、ご老人と共に、ネット屋を探しましたが、見つかりません。南米一の大都会の割りに、ネット環境悪いです。リアルタイムでの、アップは、諦めました。
2010.02.16
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