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「南部仏印」の項は松岡退陣と南部仏印進駐、南部仏印進駐に至る経緯とする。 主要な出来事は、米側の6月21日案から始まり、独ソ開戦(6月22日)、御前会議(7月2日)、第三次近衛内閣誕生による松岡外相解任(7月18日)、南部仏印進駐(7月28日)となる。 まずは、7月2日の御前会議で大東亜共栄圏建設による自存自衛の確立の為に南進を決定、其の後の日米交渉案の検討・松岡退陣を調べる。●米側6月21日案の検討 御前会議で南進が決定し連絡懇談会では日米交渉案の検討が行われた、米案から一月近くが経過している。○連絡懇談会(7月10日) 日本側の認識として米案は、満州は支那に復帰し支那に於ける治安駐兵を認めず無条件撤兵を目標としている、支那に於ける無差別待遇は東亜の指導権をアメリカに譲ることになる、欧州戦争に関しては換言すれば米国は参戦するが日本は黙っていろで日本に三国条約より脱退せよと云わぬばかり、ハルのステートメントでは日米国交調整を計りたければ内閣を改造せよと言うが如き日本を馬鹿にした態度。○連絡懇談会(7月12日) ハルのオーラルステートメント拒否に関して参謀総長は仏印への進駐と関東軍の戦備増強が控えている為に交渉の余地を残す、内相は米の参戦せしめぬことが大事、陸相は望みがなくても(交渉を)最後までやり度い。※連絡懇談会は「杉山メモ(上)」よりの概要●松岡退陣 1941年7月18日に第三次近衛内閣発足、外務大臣は松岡から豊田貞次郎(海軍大将)に変更された。◇「木戸幸一日記(下)」6月30日 「松岡外相が牧野伯を訪問したる際、此時局は是非近衛公に担当して貰はねばならぬと思ふが、若し万一の場合には、大命とあれば自分は敢えて辞せないと云ふ意味のことを述べたる由」 7月2日の御前会議後、近衛首相は木戸内府に「松岡外相の真意を捕捉するに苦しむ等のい話ありたり」───◇「昭和天皇独白録 南仏印進駐」 五月、松岡はソ連との中立条約を破る事に付て私の処に云つて来た、之は明らかに国際信議を無視するもので、こんな大臣は困るから私は近衛に松岡を罷める様に云つたが、近衛は松岡の単独罷免を承知せず、七月に内閣閣僚刷新を名にして総辞職した。 松岡の主張はイルクーツク迄兵を進めよーと云ふのであるから若し松岡の云ふ通りにしていたら大変な事になつたと思う。 彼の言を用いなかつたは手柄であつた。 独逸びいきの松岡は帰朝後日米交渉の紛糾、米の対独参戦の危険及独ソ衝突の可能性などの見透しから対ソ戦を主張しその為には、南方進駐は一時手控へた方が良いと唱へたが、海軍は素素対ソ戦に反対だし陸軍も未だ準備が出来て居らぬ為に松岡の云ふ強硬手段には反対であつた。※「杉山メモ(上)」によると、5月に松岡外相はオットー駐日ドイツ大使に独ソ開戦する場合に日本はソ連を攻撃すと述べた、報告を受けたリッベントロップ(ドイツ外相)は大島駐独大使に確認、大島は松岡の私見にすぎず天皇が決定する事の意を述べた。)───〓勝手に独断と偏見〓 松岡外相は首相となって日本の舵取りを行う事に意欲満々、しかし昭和天皇の信任は既に無い、松岡は嫌われていた為か見極めが早い。 対ソ戦参戦を主張する松岡外相に対し、昭和天皇・木戸内大臣・近衛首相・陸海軍が否、また松岡外相はドイツ・米国からも信用を失っている。 ドイツは日本のシンガポールへの侵攻による対英戦開戦や独ソ開戦後の日本のソ連への侵攻によりドイツの負担が軽減する事を望んでいた、だが日本は日ソ中立条約による対ソ関係の安定、蒋介石への英米の支援排除や南方の資源確保の為の北部仏印進駐・南部仏印進駐(侵攻)を望む。 松岡外相は欧州戦に勝利する筈のドイツの為に日本国民が血を流す事でドイツにアピールし欧州での講和会議で有利な立場を得たい、他の者はリスクはドイツにお願いし南進の資源を得たいのスタンス。 当時の日本外交の責任は松岡外相一人のものではない、中国問題解決を困難にした近衛首相と陸軍、対ソ戦には及び腰だが仏印への侵攻・進駐には積極的な陸軍、南部仏印進駐・侵攻と更なる南進で危惧される対米戦に自信がないが南進に反対しない海軍。 日本は日独の軍事力を背景に東アジアに於ける仏領以外の植民地から欧州の勢力を排除し勢力下に置く事を望む、仏印に軍事施設を構築したいが英米を刺激したくない、仏印には侵攻ではなく進駐が望ましい、松岡外相は日本の南進に米国が参戦する事を否定していない。
2008.01.27
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◇御前会議で決定した「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」の纏めは・蒋介石政権は武力で屈服させる。・大東亜共栄圏を完成させる為に南進を行う、目的達成の為には対英米戦を辞さない。・独ソ戦には介入しないが、ドイツが有利となれば参戦し北方問題を解決。・武力行使の準備は対英米戦を優先する。・米国の対独戦参戦は防ぐが、参戦した場合は三国条約に基ずき行動。・国内戦時体制と国土防衛の強化。───〓勝手に独断と偏見〓 日本はソとは戦わず英米戦は辞せずで資源を求め南部仏印への武力進出を画策、南部仏印はフランス領でフランスのヴィシー政権は1940年にドイツと休戦協定を結んだ親独政権だが、ヴィシー政権は日本軍の南部仏印進駐に抵抗している、これが御前会議が行われた状況。 日本の南進に対する米国の参戦については、「絶対にないとは云えぬ」が松岡外相の答えで危険を感じている、一方ドイツの負担軽減の為に1940年にシンガポール(英領)侵攻を主張、今回はソ連へ侵攻すべきの考えを持っている。 松岡外相の主張は、ドイツが英国・ソ連と戦争しているのに米国は参戦していない、日本が英ソと戦っても米国は参戦しない、南部仏印への侵攻(進駐)を危惧するのは、南進は蘭領に於ける米国・英国・オランダの石油利権やシンガポール(英領)に近づき、フィリピン(米領)を日本の勢力で囲む形になる為、米国政府が米国国民に参戦を言い易い状況が生まれる為と思える。 日本がドイツを選択する以上は米国を参戦させない前提でドイツへの貢献として、ソ連侵攻やシンガポール侵攻を主張する松岡外相の考えはありと思う。 松岡外相の解任後、日本は南部仏印へ進駐を行なう、米国は経済制裁として石油の全面禁輸を行ない日米戦へと向う、御前会議では対英米戦を辞さないだが、日本は主として対英米ソ戦を戦うのはドイツの感覚を持っていて、英米ソとの戦争を避けたかったと思う。 杉山参謀総長の所見「海軍側発言するものなし、お上は非常に御満足の様子なりき」、天皇は南進により自存自衛を可能とする大東亜共栄圏確立が進むことを喜んだのだろう。 米国との戦いを決意する必要のある南進で「対英米戦を辞せず」は日本海軍が米国海軍に負けないの自信がないと言えない、御前会議の原枢密院議長の質問に海軍側が何も言わなかったのは、米国に勝つ自身がなかった為と思われる。 「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」で決定された南進、日本が目指す蘭領には米英の利権があり、英国と交戦状態になった場合には武器貸与法によりフィリピン(米領)が英国の基地になる、即ち資源を求める南進は必然的に英米と戦うことになる。◇「海軍戦争検討会議記録」に於いて・沢本頼雄(海軍次官:1941.04.04~1944.07.18)は 近衛手記に海軍は和戦の決を首相に一任とあるが「海軍は戦えない」と言える状況にない。 1.海軍の存在の意義を失う 2.艦隊の指揮に影響する 3.陸海の物資争奪、陸軍は「戦えざる海軍に物資をやる必要なし」と言うだろう 4.統帥部としては、両軍分かれるは不可、表面のみにても、一致しなければならないの空気、「海軍は戦えぬといってくれないか」と、陸軍よりいわれたこともある・及川古志郎(海相:1940.09.05~1941.10.18)は 「海軍は戦えない」と言えない理由。 1.谷口軍令部長が満州事変に反対した、理由は対米戦になる恐れがあるが、対米戦に備えるには軍備に32億を要する、日本の国力では不可能。 東郷平八郎元帥は、以下の内容で谷口を面罵、「軍令部は毎年作戦計画を陛下に奉じている、いまさら対米戦をできには、陛下に嘘を申し上げたことになる。自分(東郷自身)も毎年計画によろしいと奏上しており、嘘を申し上げた事になる。」 2.近衛首相に下駄をはかせられるな、は海軍にて非常に警戒していた。海軍は近衛に一任ではなく、近衛に陣頭に立てのつもり。───座談会は1946年1月22日に行われ、井上成美も参加 海軍は米国に勝つ為と称して予算を要求しておきながら勝てる自信はない、省益は重要で予算は欲しいし面子も守りたい、その為に対米戦に「ノー」が言えないというとんでもない官吏(文官・武官)の集まり。 陸軍の「海軍は戦えぬといってくれないか」は、海軍の認識が米国に勝てないなら当然、海軍の戦えるは勝てるの認識が必要。 海軍は1年半以内にドイツが勝利し日本に有利な和平交渉が可能になるの認識だったのかもしれない。
2008.01.23
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「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」が1941年7月2日の「御前会議」で決定された。●御前会議(7月2日)○「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱(御前会議決定)」(概要)・方針1.帝国は世界情勢の変転の如何に拘らず大東亜共栄圏を建設する2.帝国は支那事変処理に邁進し且つ自存自衛の基礎確立の為に南方に進出、情勢の推移に応じ北方問題を解決3.目的達成の為に如何なる障害をも排除す・要領1.蒋介石政権屈服促進の為、南方諸域よりの圧力を強化、情勢の推移に応じ適時重慶政権に対する交戦権を行使し且つ支那に於ける敵性租界を接取す2.自存自衛上南方要域への外交交渉を続行し其他各般の施策を促進、之が為対英米戦準備を整へ「対仏印泰施策要綱」「南方施策促進に関する件」に拠り仏印及び泰に対する諸方策を完遂し南方進出の体制を強化、本目的達成の為対英米戦を辞せず3.独ソ戦に介入せず、ソ連には密かに武力の準備を整え外交交渉を行う、有利となれば参戦し北方問題を解決4.武力行使の準備は対英米戦を優先する5.米国の対独戦参戦はあらゆる方法で防ぐが、参戦した場合は三国条約に基ずき行動、ただし日本の米国への武力行使の時期と方法は自主的に決める6.速やかに国内戦時体制の強化と国土防衛の強化に勉む7.具体的措置は別途○原枢密院議長による「情勢の推移に伴ふ帝国国策要綱」に対する質疑応答(概要) 原枢府議長:租界接収と対英米戦との関係を伺い度 松岡外相:日本軍が接収するのは成るべく避けたい国民政府をして接収せしむるがよろしい、已むを得ないとき一時日本軍が抑えるようにしたい、疎開接収は仏印をやるよりも英米を刺戟することが大 東條陸相:天津・上海等の租界に触れない為に皇軍は非常に損害を蒙って、事変処理に非常に妨害になっている 杉山参謀総長:租界の妨害による四カ年間の犠牲は大、事変を急速に解決する為には接収を断行せなければならぬ、米が(欧州戦に?)参戦した場合、英米蘭が禁輸した場合、又は近く行くべき南仏印出兵が英米を対して刺戟せずに落ち着いた時期等に処理するのもよい 原枢府議長:(南進は)参謀総長説明の如く英米戦と云うこと迄も考えてからやるべきである 松岡外相:(南部仏印進駐に対する外交交渉について)見込みなし独逸に斡旋を頼みたるも未だ返事無し、独逸は「ヴイシイ」に手を打っても成功の見込み無しと考えあるが如し、武力行使を決意して懸からねばならぬ、但し本問題は最後の瞬間迄外交で成功せしむる様考えている、昨年北部仏印のときも始めたら上手く行った、統帥部も武力行使をやりたくない考えだから外交上最善を尽くして見たい 原枢府議長:独ソ開戦は日本の為、真に千載一遇の好機なるは皆様も異論なかるべし、ソは共産主義を世界に振り蒔きつつある故何時かは打たねばならぬ、帝国としては対ソ戦争間英米との開戦は望まない 松岡外相:独に対して此の際日本として逃げを打つた様にしたくはない 原枢府議長:(日ソ中立条約はあるが)ソは背信行為の常習者なり日本がソを打ちて不信呼ばわりするものはなし、私はソを打つの好機到来を念願して已まさるものなり、米国との戦争は避けたいソを打つも米国は出ないと思う 仏印をやれば英米戦は起ると思うか 松岡外相:(南進を)周到なる準備を以ってやれば英米戦にならぬ公算が大、尤も将校の猛り立つのは統帥部に信頼して同意した 原枢府議長:伺いたいのは日本が仏印に手を出せば米が参戦するや否やの見透しの問題 松岡外相:絶対にないとは云えぬ 杉山参謀総長:現在は(独ソ戦に於いて)独の戦況有利なる故日本が仏印に出ても米は参戦せぬ、今回は仏印迄である、尚将来の南方施策に及ぼす影響大故、仏印に兵を出すに当たりては慎重にやりたい 杉山参謀総長:ソの三十個師団中四個師団は已に西送、ソは尚絶対的優勢の兵力を擁す、関東軍を充実して好機に乗じ攻勢を採らせたい(独ソ戦の見極め後) 杉山参謀総長の会議後の所見:海軍側発言するものなし、お上は非常に御満足の様子なりき┗━(「杉山メモ(上)」より)〓勝手に独断と偏見〓 南部仏印侵攻(進駐)を狙う日本、更に南へがバレバレ、対英米戦は避けて資源確保が望ましい、対ソ戦はソ連が敗北なら参戦予定。 日本は独ソ戦はドイツ優勢の認識で南進を決定、中国問題はドイツが欧州で勝利し東アジアでは日本が望む体制が実現できるの目論見。 御前会議の決定はドイツ頼みの薔薇色の未来、しかし海軍は対米戦に自信がない。
2008.01.18
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米国は欧州戦参戦を望んでいる筈だがドイツのソ連侵攻でも欧州戦に参戦しない、独ソ戦の初期はドイツが優勢により東アジアで動きやすくなったの認識の日本首脳部は南部仏印進駐(侵攻)へと進みだす。 独ソ開戦前後の日本を「木戸幸一日記」「杉山メモ」から見てみる。○「木戸幸一日記(下)<1941年>」(抜粋)◇06.22:午後2時、鈴木総裁より電話にて、独ソ開戦の報は入りたる旨連絡ありたり。 午後4時過ぎ、松岡外相より電話にて、独ソ開戦の公電大島大使より入りたる趣にて拝謁を願出る。 松岡外相拝謁前拝謁を願ひ、大要左の通り言上す。 独ソ開戦の場合、我国の執るべき態度方針については外相の意見は必ずしも首相の意見に一致せざる様見受けらる、而して今回の問題に対する我国の処置は国運の将来に重大なる影響を興ふるものなれば、外相本日の拝謁に当たりては種々之が対策につき見解を申上ぐべきも、右については首相と相談済なりや、今回の事件は極めて重大なれば充分首相と協議すべしとの意見を仰せ戴き度く、首相中心の御心構を御示し願ひ度し、甚だ差し出がましいけれども言上す。 午後5時半、松岡外相参内、拝謁す。 拝謁後御召あり、6時40分より同50分迄、拝謁す。 松岡外相の対策は北方にも南方にも積極的に進出する結果となる次第にて、果たして政府、統帥部の意見一致すべきや否や、又、国力に省み果たして妥当なりや等につき頗る御憂慮被遊る。 依って、御前を退出後、近衛・平沼両相に電話す。 午後12時半、近衛公より電話にて、只今迄松岡外相来り懇談したるが、本日拝謁の際言上したるは、将来の見透を申上げたるものにして、直ちに実行する意味には非ずとのことなりき。└─○「杉山メモ(上)<1941年>」(抜粋・概要)◇06.16:「連絡懇談会:南方施策促進に関する件」 松岡外相:大島の電報に依れば独ソは来週開戦すると云ふて居り此の如き場合は世界大戦となり、ソ英は同盟し、米は英側に立ちて参戦すべし。◇06.25:「連絡懇談会:南方施策促進に関する件 情勢の推移に伴ふ国策要綱に関する件」 松岡外相:独ソ戦はぬと思ったから(日ソ)中立条約を結んだのであって、独ソ戦の様な状況ならば中立条約など結ばずにもっと独と仲好い行動を取りたかった。 松岡外相:オットー(駐日ドイツ大使)には何も正式には云ふて居らぬ、・・・、オットーは盛に極東兵力の西送を云ふて居る。 及川海相:海軍は対英米戦には自信あれども、対英米ソ戦には自信なし、米ソ結んで、米が極東ソ領に海軍基地航空基地無線測定所等を造り、或いはウラジオの潜水艦が米に移譲せらるる様な事にでもなれば、海軍作戦としては極めて困る、此の如き状態にせぬ為にはソも攻撃しろ南方もやれと云ふ様な事は言ふな、海軍はソを刺激することは困る。 松岡外相:独が勝ち、ソを処分するときや、何もせずに取ると云ふ事は不可。血を流すか、外交をやらねばならぬ。而して血を流すのが一番宜しい。ソを処分するとき日本が何を望むかが問題なり。独も日本は何をするかどうかと考えて居るだろう。シベリヤの敵が西へ行ってもやらぬのか牽制位やらねばならぬのではないか。 陸・海相:牽制にも種々あり、帝国が厳として居ることが既に牽制ではないか、こう云ふ風に応酬しないのか。 松岡外相:兎に角どうするか早く決めて呉れ。└─〓勝手に独断と偏見〓 5月15日に予定されていた「バルバロッサ作戦」は最終的に6月22日に延期された、日米交渉の日本側案(5月12日)と米国側案(6月21日)の日付は偶然か必然か? 当初、日米両国はドイツのソ連侵攻が相手側にとって不利であるの認識を持っていたと推察。 ドイツは英国・ソ連と戦っているが、日本は英国・ソ連と戦う気はなく、南部仏印進駐を行い南方の資源を得る準備を整えようとしている。 ドイツがシンガポール(英領)への侵攻を日本に求めたり、ソ連の極東兵力西送を気にするのは当然だが、6月25日の段階では統帥部の反応は鈍い。 松岡外相外しが始まっている。 松岡外相の「独ソ戦はぬと思ったから(日ソ)中立条約を結んだ・・・」は、「日ソ中立条約」は日本の為というより松岡外相が条約を結ぶ事が重要であり、締結に問題となる独ソ戦の可能性を軽視した、独ソ戦は条約締結以前に松岡外相に伝えられている。 及川海相の「海軍は対英米戦には自信あれども、対英米ソ戦には自信なし」は省益が混ざった発言だろう、対米戦は海軍の戦いだ。
2008.01.14
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1941年6月22日にドイツのソ連侵攻が始まった、ドイツは西と南では英国と戦い、東ではソ連と戦う、欧州に於ける対立構造は英国・ソ連(・米国)vsドイツ(・イタリア)となった。 第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻に対して英仏が宣戦布告をして始まっている、英仏は独ソがポーランドを分割統治してもソ連と敵対関係にはならず、ソ連のフィンランド侵攻には国際連盟はソ連を除名したがフィンランド領土はソ連に侵食された。 今回のドイツのソ連侵攻にフィンランドはドイツ側として参戦、英国の共産主義者は対独戦反対から賛成に転じ、独ソ開戦後のソ連は米国から武器貸与法の恩恵を受ける事になる。 日本はドイツからソ戦侵攻について事前通告を受け、米国は情報を掴んでいた(ハル回顧録による)、ソ連も情報を掴んでいたがトップの判断ではドイツの侵攻が重視されなかった。 或いはソ連からドイツへの侵攻が予定されていてドイツに侵攻される前に行う予定だったのかもしれない。 「第二次世界大戦2/チャーチル」では4月3日にチャーチル首相はイギリス駐独大使にドイツのソ連侵攻を示唆する電文をスターリンに手渡す事を命じている。◇チャーチルからスターリンへの電文 私は信頼すべき出先機関から、ドイツがユーゴスラビアを網に入れたと思ったとき--すなわち3月20日以降--彼らは5個機甲師団のうち3個師団をルーマニアから南ポーランドへ移動を開始したとの情報を得ています、彼らがセルビア革命を聞いた瞬間、この移動に反対命令が出されました。閣下はこれらの事実の意味を直ちにお認めになるでありましょう。─── 英国はドイツのソ連侵攻の可能性を告げて、ソ連が連合国側に立ちドイツと戦うことを求めている、チャーチル自慢の文面だが、チャーチルに好意を持つ気になれない。 当初、ソ連侵攻が予定されていたのは5月15日だったが6月22日に延期された。◇「バルバロッサ作戦(Wikipedia)」によると、 ヒトラーがユーゴスラビアの反ドイツ政権の転覆に干渉し、さらにムッソリーニが独断で侵攻したギリシャ侵攻作戦が大失敗に終わり、ギリシャ軍に逆襲されたことに対して装甲部隊の投入を余儀なくされたことにより、(Cf.バルカン半島制圧戦)、当初の5月15日実行から一ヶ月以上延期されたことも、同年は冬の到来が例年になく早かったことと合わせて大きな影響があったと思われる。─── 作戦の延期は失敗の原因の一つとしても挙げられている、3月30日にはソ連への侵攻を6月22日に行う事が決定された。◇「日独伊三国条約」 第3条:日本国、独逸国及伊太利国は前記の方針に基く努力に付相互に協力すへきことを約す更に締結中何れかの一国か現に欧州戦争又は日支紛争に参入し居らさる一国に依て攻撃せられたるときは三国は有らゆる政治的、経済的及軍事的方法に依り相互に援助すへきことを約す 第5条: 日本国、独逸国及伊太利国は前記諸条項力三締約国の各とソヴィエト聯邦との間に現存する政治的状態に何等の影響をも及ほささるものなることを確認す─── ドイツのソ連侵攻は「日独伊三国条約 第5条」に抵触する、また「日独伊三国条約 第3条」により参戦する義務はない、日本は三国条約を見直す事が可能であったと思う。 日本がドイツを選択するのであればソ連に侵攻するか或いは南の英領を攻撃するか、日本はソ連に対しては「関東軍特殊演習」の為に70万の兵力を満州国に派遣しドイツのソ連侵攻が成功するのを待つ、南へは英領には向わず南部仏印進駐を選択する。 日本が選んだのはドイツの負担を軽減する対英・ソ戦を行わず、ドイツの欧州での成功を待って行動する事、英国が危なくなれば南の英領へ、ソ連が危なくなればソ連へ侵攻する事を狙っている。 不確定要素は米国で日本が英国・ソ連と戦争を始めた場合に米国が参戦するか、ドイツがソ連と英国と戦っているが参戦していない米国、米国の参戦は日本が英ソと戦争状態かより、英・ソが危なくなった時と思える。 「Wikipedia」によればドイツのソ連侵攻後、「援蒋ルート」の一つ「ソ連からのルート」は「1941年に独ソ戦が開始されると物資の供給が途絶えてしまった」、「香港からのルート」「仏印ルート」は既に遮断されており「ビルマルート」のみが残っている。 中国の状況は悪化、満州・中国問題解決は満州国の承認と蒋介石政権が反日運動に加担しない日本軍の撤退、の条件で可能ではなかったか。
2008.01.09
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1941年6・7月の「杉山メモ」では「対南方施策要綱」など南進が検討されているが、今回は独・米関連を主とする。○「杉山メモ(上)<1941年>」(抜粋・概要)◇05.29:「連絡懇談会 蘭印交渉、炉辺談話、対米国交調整其後の状況等の件」『松岡外相の説明』・蘭印交渉 英国と和蘭は東京の商務官を集め日本の実際の所要量を検討しつつあり。 英国の差し金に依り、日本に輸出する物のうち特にゴムの対独再輸出を防止せんとするにあるたしく、錫には重きを置きあらず。 英大使は日本の所要量を盛んに質問するが、此の如きは回等すべきにあらずと応酬し、又日本が仏印・泰から取る量に依り蘭印より輸出する量を加減するのは怪しからん・・・、と松岡外相は述べ、 英大使の仏印から4万トンも取得すると云うが本当かの質問に、1万5千トンしか取らぬ、独逸との問題は独逸がヴシー政府との話済みでやることで日本に関係なし、と答えた。・炉辺談話 民主主義を堅く守る為に戦ふとか英支を援助するとか強調しあるは気に食わぬが、今はかれこれ云はぬ積もりなり。 帝国の修正案に就いては米国は英支に渡りをつけると云つて居るから多分英には話した事と思ふ。 クレギーが、日本は支那と和平せば其の力を以って南に出るならんと英本国では考へて居る旨述べた所から判断すると、英国は日本の修正案を見たら之は日本のトリックだと思ふだらう。『説明後の懇談』 陸相:政府の措置を云々し、或いは国民をして去就に迷はしむが如き言論を取り締まる要あり。又機密保持に関しては各官庁に於いて厳重取締る要あり。 外相:昨日の報知新聞の如きは、米は須ぐ日本と手を握り参戦すべしなどと、武藤貞一の言として云うている、適当ならずと思う。 この際政府の態度を明らかにしたら如何と意見ありたるも、米の意見も近く来ることであり暫く見合わすを可とすることに意見一致する。 内相:相当の要人が自分の家を訪れ「汪精衛(汪兆銘、精衛は号)が6月に来るのは怪しからぬ」等政府の考へと反対の事を云うて居る。元来政府の措置に反対を表明する等は適当ならず。 某:今度の日米会談は誰が種子を捲いたのか。 <松岡外相は自分ではなく、野村大使と述べ、野村大使に指示した事と反対の事になっているの趣旨を述べた> 某:井川に誰が金をやったのか 外相:俺ではない。誰かは知って居るが今は聞かんで呉れ。◇06.07(6日の誤まりか):「連絡懇談会 クロアチア国承認及び三国同盟加入 竝独ソ開戦に関する件 外相クロアチア国承認及び三国同盟加入の件提議し、統帥部之に同意す。・外相独ソ開戦に関し、外務電第636、638、639号(6月3・4日大島大使とヒトラー、リツペンと会談せる状況報告)に就き説明す(上記電報参照) ヒトラーは共産主義を叩き潰すのが信念であると云うて居るが、それで戦争するだろうか、戦争が二、三十年続くからやるのではなかろうか、又英独妥協と云ふことも相当警戒を要する事と思ふ。独ソ開戦する場合にも独には大義名分を必要するから先ず条件を出し其の後開戦すると思ふ└──〓勝手に独断と偏見〓 ルドルフ・ヘスが5月10日にイギリスへ単独飛行を行い独英講和を求めている、日本は独英の単独講和を恐れる、報知新聞の「米は須ぐ日本と手を握り参戦すべし」を取締れない状態。 米国案には5月31日案が存在し、状況が変わった為として6月21日案に置き換えられ傾向として日本に厳しくなった、5月31日案にあり6月21日案では削られた項目がある。○5月31日案にあって6月21日案にはない項目◇米国政府の付属追加書(「両国間の通商」について)(概要・抜粋)2.欧州戦争に対する両国政府の態度 米国はヒトラー氏の武力的世界征服の運動に対して自衛措置を講ずる決意をしている(国境を越えての防衛を意味する)、米国に対して此の種の抵抗を差し控える事を要請する国はヒトラーと同類である。 「然り、勝利が何れの側に帰すべきやにより差異を生ず、即ち吾らが壁を背にし、他の4大大陸が吾らに背き且つ公海の自由を喪われ、地球上に於ける最後の自由の地域を独力にて防衛するに努むるか或いは秩序ある世界に於ける吾らの地位を保持し得るかの差異なり」└─(アジア資料センター:日米外交関係雑纂 第12巻 17 日米交渉対案集 2 p28~ 5月31日案)より 米国は5月31日案で欧州に於いてドイツと戦う決意を日本に伝えて、暗にドイツ・米国の選択を問う。
2008.01.05
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