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「女性国際戦犯法廷」は「慰安婦」に対する日本政府・軍隊の責任を明らかにし、現在の日本政府のとるべき措置を特定する事などを目的に行われた民衆法廷。 2000年12月7日から12日まで東京にて前夜祭や公聴会を挟んで4日間行われた。 12日に昭和天皇に対してのみ有罪判決が述べられ、最終的な判決は2001年12月4日にオランダのハーグで行われた。 「女性国際戦犯法廷」の問題点は法廷助言者(アミカス・キュリエ:amicus curiae)が存在するが弁護人ではなく。 被告人に対しての弁護機能が殆ど働かない事。 「NHK番組改編問題」は「女性国際戦犯法廷」をNHKが放映する際の「期待権」と「編集権」の問題だったが、「政治家の圧力」が加わった。●「NHK番組改編問題」の経緯○2001年01月30日:「女性国際戦犯法廷」を伝えたNHKの番組が放送された。○2004年03月24日:「東京地裁での一審判決」では「番組内容は当初の企画と相当乖離しており取材される側の信頼を侵害した」として「ドキュメンタリー・ジャパン」に100万円の支払いを命じたが、「放送事業者には、取材素材を自由に編集して番組製作することが保障される」としてNHK・「NHKエンタープライズ21」への請求は退けた、「VAWW-NETジャパン」は控訴した。○2005年01月12日:「朝日新聞朝刊」は「放送内容に中川・安倍両議員が圧力をかけ、番組を改編させたと」と伝えた。○2005年07月25日:「朝日新聞朝刊」で、中川昭一議員・安倍晋三議員・NHKの松尾武放送総局長のインタビューの一部等が掲載された。○「月刊現代」2005年9月号の記事「証言記録を独占入手 NHK番組改変問題」では「2005年7月25日の朝日新聞朝刊」に掲載された中川昭一・安倍晋三・松尾武(元NHK放送総局長)へのインタビューの詳細版が掲載された。○2005年08月25日:朝日新聞社は「月刊現代9月号」掲載記事の中間報告を発表、「月刊現代9月号」に掲載されたインタビューは、朝日新聞社の社内資料が流出したものである事を認めた。○2005年09月30日:朝日新聞社の秋山耿太郎社長が記者会見を行い、「NHK番組改編報道」に対して取材不足を認めるが、訂正・謝罪はしないを述べた。 以下は「NHK裁判高裁審理判決(2007年1月29日)」に関する記事●「政治忖度して番組改編」NHKなどに賠償命令 東京高裁(抜粋) 旧日本軍の「従軍慰安婦」問題を特集したドキュメンタリー番組が改編されて期待権を侵害されたなどとして、取材に協力した女性団体などがNHKや制作会社に計約4000万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が29日、東京高裁であった。 南敏文裁判長は、孫請けの制作会社のみに100万円の支払いを命じた1審東京地裁を取り消し、NHKと系列制作会社、孫請けの制作会社に計200万円の支払いを命じた。 南裁判長は、番組内容が予算編成に影響を与えたくないと考えたNHK側が国会議員に接触した、と認定。 「議員の『番組づくりは公正・中立であるように』との言葉の意図を忖度し、当たり障りのないように番組を改編した」と述べ、改編にNHKが深く関与したことを認定した。 そのうえで、NHKの改編を「憲法で保障された編集権限を乱用、逸脱したものと言わざるを得ず、報道の自由の範囲と主張することは到底できない」とした。 政治家の圧力については「番組の内容について具体的な話をしたとは認められない」とし、圧力があったとする原告の主張を退けた。 南裁判長は、「ドキュメンタリー番組では、意見がどのように反映されるかは取材対象者の重大関心事」とし、「取材対象者が期待を抱くのもやむを得ない事情」がある場合と条件をつけて、「編集の自由も一定の制約を受ける」と判示。 今回については、事前の説明と違うように番組を改編したNHKが、女性団体の「期待権」を侵害した責任を認定した。 判決によると、女性団体は平成12年12月、慰安婦問題を取り上げた民間法廷を開催。 NHKが翌13年1月、特集番組「戦争をどう裁くか」で、この法廷について放送した。番組はNHKが系列制作会社「エヌエイチケイエンタープライズ二十一」に制作を委託し、同社の委託を受けた孫請け制作会社「ドキュメンタリー・ジャパン」が団体側に取材交渉した。└───「Sankei Web」(2007/01/29 17:48)
2007.01.31
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日本が対米国戦を決断したのは、ドイツ頼みの面が存在する。 「日独伊三国同盟」では同盟国が他国から攻められた場合にお互いが助け合うが、同盟国が攻めた場合は別、ドイツのソ連侵攻に日本が付き合う必要はなかった。 (日本はソ連がドイツの攻撃で弱ったら攻めるのスタンス) ドイツは日米開戦後すぐ米国に宣戦布告し、ルーズベルトは欧州戦参戦の念願が叶った。 (宣戦布告はドイツがしなければ、米国が行ったと思われる) 日本は米国に勝てるとは思っていない、少なくともワシントンを占領するは夢、またドイツが米国を占領できるとも思っていない。 欧州戦線でドイツが勝ち、ドイツが欧州を支配し、ドイツが日米の調停を行ってくれる、そして日本は大東亜に指導的位置を確立する。 ドイツが勝手に米国と講和をしてしまうと、日本は単独で米国と決着をつけなければならなくなる。 日本にとって独米の講和は問題、日本はドイツと運命共同体となる必要があった、その為に結んだのが「日独伊共同行動協定」で、日米開戦後すぐに調印された。○「日独伊共同行動協定(1941年12月11日調印、16日公布)」の抜粋 アメリカ合衆国及び英国に対する共同の戦争が完遂せらるる迄は干戈を収めざるの確乎不動の決意を以って大日本帝国政府、ドイツ国政府及びイタリア国政府は左の諸規定を協定せり第一条 日本国、ドイツ国及びイタリア国はアメリカ合衆国及び英国に依り強制せられたる戦争を其の執り得る一切の強力手段を以って勝利に終わる迄遂行すべし第二条 日本国、ドイツ国及びイタリア国は相互の完全なる了解に依るに非ざればアメリカ合衆国及び英国の何れとも休戦又は講和を為さざるべきことを約す第三条 日本国、ドイツ国及びイタリア国は戦争を勝利を以って終結したる後に於いても亦1940年9月27日其の締結したる三国条約の意義に於ける公正なる新秩序招来の為最も密接に協力すべし└─── イタリアでは、ムッソリーニが銃殺され愛人と共に死体を逆さに吊された。 ヒトラーは自殺し、1945年5月7日にドイツは降伏した。 米軍はドイツと日本との両面作戦から開放され、ソ連は戦力を日本に向けはじめる。 ドイツの降伏により「日独伊共同行動協定」は存在意味を無くし、日本は連合国との和平交渉に問題がなくなった。 しかし、「ドイツ降伏に関する政府声明(1945年5月9日)」では戦争の継続が声明され、御前会議で決定された「今後採るべき戦争指導の基本大綱」では「戦争の完遂を以って国体を護持し皇土を保衛し征戦目的の達成を期す」が方針とされた。 ルーズベルトはソ連の対日参戦を望み、密約が結ばれた。○ヤルタの密約(1945年2月11日作成)日本関連部分 三大国即ち「ソヴィエト」連邦、「アメリカ」合衆国及英国の指揮者は「ドイツ」国か降伏し且「ヨーロッパ」に於ける戦争か終結したる後2月又は3月を経て「ソヴィエト」連邦か左の条件に依り連合国に与して日本に対する戦争に参加すへきことを協定せり1.外蒙古(蒙古人民共和国)の現状は維持せらるへし2.1904年の日本国の背信的攻撃に依り侵害せられたる「ロシア」国旧権利は左の如く回復せらるへし (イ)樺太の南部及之に隣接する一切の島嶼は「ソヴィエト」連邦に返還せらるへし (ロ)大連商港に於ける「ソヴィエト」連邦の優先的利益は之を擁護し該港は国際化せらるへく又「ソヴィエト」社会主義共和国連邦の海軍基地として旅順口の租借権は回復せらるへし (ハ)東清鉄道及大連に出口を供与する南満州鉄道は中「ソ」合弁会社の設立に依り共同に運営せらるへし但し「ソヴィエト」連邦の優先的利益は保証せられ又中華民国は満州に於ける完全なる主権を保有するものとす3.千島列島は「ソヴィエト」連邦に引渡さるへし 前記の外蒙古並びに港湾及鉄道に関する協定は蒋介石総帥の同意を要するものとす大統領は「スターリン」元帥よりの通知に依り右同意を得る為措置を執るものとす 三大国の首班は「ソヴィエト」連邦の右要求か日本国の敗北したる後に於て確実に満足せしめらるへきことを協定せり 「ソヴィエト」連邦は中華民国を日本国の覊絆より開放する目的を以て自己の軍隊に依り之に援助を与ふる為「ソヴィエト」社会主義共和国連邦中華民国間友好同盟条約を中華民国国民政府と締結する用意あることを表明す※1946年2月11日に米国国務省より発表された※「1904年の日本国の背信的攻撃」は日露戦争の事。
2007.01.29
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「枢密院での審議」のまとめ。 1946年3月7日に「憲法改正草案要綱」が政府案として各紙に掲載され、マッカーサーの支持も声明された。 実態は「日本政府案」はGHQにより拒絶され、「国民主権・象徴天皇・戦争放棄」が盛り込まれた「GHQ草案」が日本政府に示された。 これを元に「日本政府案」が作られたが、「日本政府案」は「英語を翻訳したような文章」や「主体的でない文章」が散見され、枢密院では問題としている。 04月17日:「ひらがな口語体」となる「憲法改正草案」が発表された。 06月08日:「新憲法草案」が枢密院本会議で可決された 06月20日:「帝国憲法改正案」が帝国議会に提出された。〓勝手に独断と偏見〓 枢密院では「憲法改正の審議」が1946年4月22日~6月8日に於いて11回行われた。 第9回(5月29日)からは吉田内閣の下での審議となった。 枢密院に提出された大日本帝国憲法の改正案は「枢密院」「貴族院」の否定であり、統治者だった天皇も象徴となる。 「枢密院」で行われた修正は 「内閣の補佐と同意を必要とし、内閣がその」 ==> 「内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その」 のような修正で、実質的な修正は行われず可決された、納得できない枢密院での修正、国会での審議が期待された。 「枢密院 第1回 審査委員会(1946年4月22日)」での小幡:本草案の修正は実際において出来ぬ事になるか、議会の修正とGHQ、極東委員会、対日理事会との問題如何。松本:英文で同時に各方面に発表してゐる。政府としては実質を変更できぬ。議会の修正は法律上出来る。出た案に含まれぬ事項に付ては出来ぬかもしれぬが、かかる全文改正の場合にまず何でも修正出来よう。しかし実質は却々問題なり。 が、其の辺りの事情を表している。 国会での審議に於いての与党は自由党と進歩党で、首相は自由党総裁の吉田茂、大臣は自由党・進歩党・官僚・貴族院議員・学者で構成されている。 衆議院議員は国民が選んだが、貴族院議員は異なるし内閣は天皇が選ぶ、自由党の総裁は吉田茂(貴族院議員)、進歩党の総裁は幣原喜重郎(男爵・貴族院議員) 外圧がなければ、陸軍省・海軍省が復活し、憲法改正は「統帥権」のみと思えるような状態。 「第一条の英語版」は Article I. The Emperor shall be the symbol of the state and of the unity of the people, deriving his position from the sovereign will of the people. 「the sovereign will of the people」を「政府案」では「日本国民の至高の総意」とし、衆議院の審議では「主権の存する日本国民の総意」と修正される事になる。 衆議院では「主権の存する日本国民の総意」が「日本国憲法」を作る事になるが、審議すべき国会議員が所属している政党が作成した政党案では共産党案を除いては国民主権に関しては曖昧、「戦争放棄」はどの政党案も主張していなかった、共産党は天皇制反対を主張。 「国民主権・戦争放棄・象徴天皇」は、GHQの意志、「国民主権」は連合国の総意、「戦争放棄・象徴天皇」はセットだったと思う。 GHQ・極東委員会と船頭の多い中、国会の審議は始まった。●極東委員会「日本の新憲法についての基本原則」(1946年7月2日)の概要○国民主権○日本国民の自由意思による憲法改正○内閣総理大臣および国務大臣はすべてが文民で、過半数は国会議員から選ばれる。○天皇制が保持された場合の制限事項(改正案の内容)と枢密院・貴族院の廃止。
2007.01.26
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前回の続き●「枢密院 第9回 審査委員会(1946年5月29日)」(吉田内閣では一回目)の概要○野村:九条について伺ふが占領等徴収後の国内治安をいかにして保たんとするか。第二項は削除すべきものと考へる。又支那朝鮮比島等からの辺境侵入に対していかにするつもりか。○吉田総理大臣:九条は日本の再軍備の疑念から生じた。これを修正することは困難である。日本の始安については進駐軍を使ふより他に方法はない。日本の警察は特高の廃止により殆んど崩れてしまつた。故にその再建までは進駐軍の援助を期待するより他はない。此の点については先方も諒承してゐる。しかし直接に進駐軍が手を出すことは出来ない、と言つてゐる。 軍備をもたざる以上、例へばソ聯に対しては、英米の力を借りるより他ない。○河原:八十四について、第一に現内閣の与党が過半数を辛じて擁するにすぎない現状に於て、希望する修正が出来るかどうか疑問がある。やはり原案で修正する方がよいではないか。 第二に仮りに議会が政府の希望する修正を議決したとすれば、一般国民の感情としてその様な決定をなぜ政府が最初から成さなかつたかと云ふ非難が生じ、政府の忠誠心に対する疑惑を抱くこともあるのではないか。○吉田:八十四条について、マ司令部とすると、従来マ元帥の対日態度、特に対皇室態度が弱いと云ふ非難があり、又アメリカ人一般には皇室が財閥と同様苛斂誅求的であるといふ疑惑があるため、マ元帥としては草案としては我々から見て不当と思はれる様な条文を以て皇室に臨んでゐると云ふ態度を特に財産関係について表現する必要があるのではないかと思ふ。○関屋:画期的な改正であることは国民がよく判つてゐると思ふが、主権の問題について、御安心はあつたと思ふがこの書方ではやはり国民的感情が満足しないと思はれる。法文の意味を甚だしく変へない限りで、その字句などは国民的感情に副ふ様に修正したい。○関屋:九条について、今度修正された文字でもなほ自主的でない様に思ふ。又UNO加入の時に空軍を持たねばならぬことになつてゐる。○吉田:UNO加入のことは講和条約の出来た後に課すべきことで、今の所全然判らない以上、すべて将来の問題と思ふ。○幣原顧問官:最も心配なのは占領軍撤収後の国内に於ける擾乱のことである。メーデー等の実状を見ても心配に堪へない。○吉田:撤収後の状態について今日なほ予想出来ない。一に講和条約その他の規定によると考へられる。一片の条約を以て平和が回復されるとも思はれない。聯合国としてはUNOを以て世界の平和を維持しようと云ふ決だがその通りに出来るかどうか問題である。日本が独立後いかなる形をとるかについては、国家として兵力をもつ様になるのではないかとも考へられる。〓勝手に独断と偏見〓 「第八十四条」は皇室財産、○第八十四条 世襲財産以外の皇室の財産は、すべて国に属する。皇室財産から生ずる収益は、すべて国庫の収入とし、法律の定める皇室の経費は、予算に計上して国会の同意を得なければならない。 「日本国憲法」では○第88条 すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。 「憲法案の修正」は衆議院での審議に期待するしかないが不安な点がある、 「現内閣の与党が過半数を辛じて擁するにすぎない、希望する修正が出来るか」 「議会が政府の希望する修正を議決したとすれば、一般国民の感情として、なぜ政府が最初から成さなかつたかと云ふ非難が生じる」 吉田首相は 「従来マ元帥の対日態度、特に対皇室態度が弱いと云ふ非難があり、又アメリカ人一般には皇室が財閥と同様苛斂誅求的であるといふ疑惑がある」 マッカーサーが防波堤になっている。 「国の主権の発動たる戦争を永久に抛棄」と「陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない。国の交戦権は、認められない。」 に対しては、幾らなんでも無いのではが「枢密院」の空気。 吉田首相は 「軍備をもたざる以上、例へばソ聯に対しては、英米の力を借りるより他ないと思ふ。」 幣原顧問官は 「最も心配なのは占領軍撤収後の国内に於ける擾乱のことである。」 政府側も内外に対しての軍備不足を心配する。 日本国憲法施行後の1947年9月19日、昭和天皇は「ソ連と中国の介入を阻む」為に、 「占領終了後も沖縄を基地として米軍に提供する、但し長期租借で主権を日本が持つ」 をGHQに提案した。
2007.01.24
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阿部知子氏は社民党の衆議院議員、2007年1月19日にHPで「国民保護は地方自治から」に於いて「阪神淡路大震災」の対応について述べている。○「国民保護は地方自治から」(一部抜粋) 安倍晋三政権になってから「国を愛する」・国防の強化などの言葉が氾濫し、あたかも外敵から国民を守るために国家の力=軍隊が必要であるかのように宣伝されるが、実は「軍隊は国民を守らない」という事実は戦争を通して如実に示されてきた。軍隊はもちろんのこと警察も、戦闘のためあるいは犯罪に対しての対処を第一とするため、国民保護は二の次、三の次となる。 阪神大震災は12年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、国による命令を受けて救援に向ったのは、数日を経て後のことであった。日本の場合、自衛隊は軍隊ではないし、警察予備隊として出発し、防災のたねにも働くことを任務としてきた特別な生い立ちがあるのに、である。 こうした経緯もあってか最近は「自衛隊による国民保護」が強調されている。しかし、安倍首相の下で海外派遣を本来任務とするような防衛庁の省昇格が行われ、「軍事組織化」が進む中では、本当の意味での国民保護からますます縁遠くなるのではないか。└─── 「阪神大震災は12年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、国による命令を受けて救援に向ったのは、数日を経て後のことであった。」 と、当時の「村山富市(社会党)内閣」の対応を批判している?●村山氏は神戸新聞の2004年7月14日のインタビュー記事「危機管理体制なかった/住宅再建策示せず無念」で以下の事を主張している。○―自衛隊の派遣が遅れたのは、(旧)社会党の首相だったから、という批判もあった。 の質問に対して○絶対にそんなことはない。誤解だ。実際、自衛隊は県の派遣要請を受ける前に、ヘリコプターで被災地の状況を把握し、出動態勢を整えていた。 しかし、交通渋滞に阻まれ、被災地への到着が遅れた。震災後、災害対策基本法を改正し、警察官がいない場合でも自衛隊が緊急車両の通行を確保できるようにするなど、さまざまな改善をしている。 神戸新聞の記者は○今年八十歳。「自責の念が消えることはない」という。その一言に、私は少し救われた気がしたが、甘すぎるだろうか。 と、感想を述べている。〓勝手に独断と偏見〓 「阪神淡路大震災」に於いて、「自衛隊の派遣が遅れたのは、(旧)社会党の首相だったから」の批判が村山富市(首相)氏に対してあるにも拘らず、阿部知子氏の指摘、内部告発を行いたいのか。 阿部氏は「『軍隊は国民を守らない』という事実は戦争を通して如実に示されてきた・・・国民保護は二の次、三の次となる。」の例として「阪神淡路大震災」を挙げているが、村山氏は「神戸新聞のインタビュー」に於いて、「自衛隊は県の派遣要請を受ける前に、ヘリコプターで被災地の状況を把握し、出動態勢を整えていた。」と自衛隊の問題でなかった事を述べている。 「神戸新聞のインタビュー」で、村山氏は「交通渋滞に阻まれ、被災地への到着が遅れた。」と言い訳している、それも重要な事だが、神戸新聞の記者が問題にしているのは、○村山首相の答弁や決定 「なぜ自衛隊派遣が遅れたのか」を問われ、「なにぶんにも初めてのことですので」と答弁した。 最も早く救援体制を敷いた米海軍第七艦隊(横須賀)が、「艦艇を神戸港に入港させて、ヘリコプターによる負傷者の救援」を政府に申し入れたところ、「非核神戸方式」(→非核三原則)を盾にして、拒んだ。 (『ウィキペディア(Wikipedia)』より) など、首相の指導力不足と軍隊の出動に消極的だった事だと思われる。 村山氏は「なぜ自衛隊派遣が遅れたのか」に対する原因が「社会党の首相だったから」である事は否定しているが本当なのだろうか。 是非、阿部氏は「阪神淡路大震災」の対応の不味さを社会党の内部文書や元社会党の先輩から事情を聞いて情報を公開し、今後の「震災」の対応に役立てて欲しい。
2007.01.22
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●「枢密院 第9回 審査委員会(1946年5月29日)」(吉田内閣では一回目)の概要○林顧問官:三月六日の政府草案要綱発表以前に発表された各政党案よりも政府案はより革新的であるために、世間では驚いた位であつて共産党は別として、他の政党はこの草案の大体については賛成している。 この草案はポツダム宣言の趣旨に基き民主主義を充分に現し、戦争抛棄も宣言してゐる。 そして議会を通して国民の意思によつて決しようと云ふことになつてゐるのであるから、ポツダム宣言に充分に適合し聯合軍司令部も全面的に支持してゐる。 二・三の国が反対意見を持つてゐるとしても、聯合各国を動かすことは出来ない。 故に国際関係から見てもそんなに急ぐ必要はない。○吉田総理大臣:先方は、議会で修正すればよいではないか、草案としてはこのままで出せばよいではないかと云ふ意向。○吉田:なるべく早く主権を回復して進駐軍に引上げてもらいたい。 そのためには先方の望の様に日本再軍備のおそれはなく又民主化は徹底した、と云ふことを世界に早く証明し、占領の目的完成になるべく早く近づきたい。そのためには憲法改正が一刻も早く実現することが必要である。 ソ聯が参加する権利を強く主張した結果、遂に極東委員会と対日理事会に於てもソ聯はアメリカに対し干渉的態度をとつた。マ元帥も後には融和的態度をとるやうになつた。要すにソ聯と英米との関係は微妙になつて居り米国も最初は日本管理はアメリカのみと云ふ方針であつたのが遂次譲歩してゐる状態である。○林:民主主義と云つても一様ではない。ソ聯としては共産主義もプロレタリヤ・デモクラシーだと云つてゐる。即ちこの草案は英米式デモクラシーを完全に取り入れたのだが、ソ聯式デモクラシーではないから、之を以てポツダム宣言の完全な履行にはならない。○吉田:最近はソ聯の方が多分に緩和を示して来てゐる様に見へる。ソ聯も戦争の考へはなく、対日戦争に関しては米国の犠牲が最も大きかつたことを考へ、対日政策に対する米国のみの発言権が強いことを認めてゐる。ソ聯の干渉も、主としては日本以外の問題について多いので、日本に関する問題は結局は妥協する傾向にある。横槍も最後までがんばると云ふ様なものではないと考へてゐる。○吉田:マ元帥の意向は草案の基本的な原則や形が崩れなければ細目の修正は勿論差支へないと云ふ点にあると思ふ。○林:主権はどこにあるのか。国民か、天皇、国家か。主権在民だと云ふことは新聞、学者その他国民全般が疑なしとして認てゐる。マ元帥も三月六日の声明で「この草案は主権を明白に国民に移した」と明言して賛成の意を表したのである。しかるに前回松本国務相は、それは政治上のことなので法律論としては国家に帰する。従つて天皇は国家の機関であると説明された。この考へ方については根本的に疑がある。 新内閣に於てもやはりこの様な見解をとられるのであるか。又議会に於ける答弁にも政府は公けに右の様な考へを明言され得るか。又それがマ元帥生命にも副ひ、各国も亦納得するものであらうか。○吉田:マ司令部との交渉の経過を述べれば第一条によつて陛下のpersonが守られる。又畏れ多いことではあるが戦争責任からも陛下をお救ひすることができると云ふ考へである。即ち政治上の責任からはなれられることが肝要である。日本国が戦争を遂行出来たのは皇室があり又神通と云ふ好戦的宗教があつたからであるから、聯号国としては第一条の表現が適当であると考へる。かう云ふ事情であつたから私として、そこで安心をしたのである。〓勝手に独断と偏見〓 林顧問官は「そんなに急ぐ必要はない」と「枢密院での審議継続」を主張、吉田首相は予定通り「国会での審議」を始めたい。 林顧問官の 「この草案は英米式デモクラシーを完全に取り入れたのだが、ソ聯式デモクラシーではないから、之を以てポツダム宣言の完全な履行にはならない。」 は、もちろん天皇制否定の主張ではない、ソ聯式を強調したかったとも思えず、単に枢密院での審議引き延ばしを望んだと推察する。 吉田首相の 「日本国が戦争を遂行出来たのは皇室があり又神通と云ふ好戦的宗教があつたからであるから、聯号国としては第一条の表現が適当であると考へる。」 「天皇制」と「戦争放棄」は交換条件だったのだろう。※林頼三郎:検事総長、大審院長、広田内閣司法大臣、中央大学学長、枢密顧問官、1947年 公職追放 (『Wikipedia』より)
2007.01.21
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幣原内閣から吉田内閣に替わり枢密院での審議が3回行われた。(幣原内閣では8回) 幣原内閣で戦後初の衆議院議員総選挙(1946年4月10日)が行われ、自由党が第一党となったが、幣原首相は当初辞職する気はなかった。 幣原は4月19日に第二党である進歩党に入党、衆議院議員からの圧力により22日に幣原内閣は総辞職、幣原は23日に進歩党の総裁となった。 5月2日に自由党の総裁であった鳩山を首班にする事を幣原は昭和天皇に奏請したが、鳩山は4日に公職追放された。 鳩山の公職追放に到るGHQへの情報提供者は、岩淵辰雄氏の話によれば「幣原内閣の書記官長の楢橋と共産党」 鳩山首相が頓挫し、進歩党の総裁になった幣原は首相を続ける事を考えていたと思われる。 衆議院総選挙の結果は自由党が過半数を占めているわけではなく、 自由党141、進歩党94、社会党93、協同党14、共産党5、諸派38、無所属81 当時は帝国憲法下であり、国会で首相を決めるのではなく天皇が決める時代、天皇は5.15事件で犬養首相が殺害されてから国民が選ぶ衆議院選挙で第一党となった党首を首相に選んでいない。 官吏出身者(外務・司法・海軍・陸軍)・貴族院議員・華族・皇族から選んでいた。 吉田茂は鳩山の替わりに自由党の総裁になったが、1945年12月から貴族院議員であり衆議院議員の総裁ではない。 外務官僚出身で牧野伸顕の長女雪子と結婚、戦争末期の近衛上奏文の作成に参加し憲兵に捕まっている。 対米英戦には反対で早期講和派。 5月22日に吉田茂内閣(自由党)が誕生し、29日に吉田首相は枢密院で再諮詢の説明を行う。○「枢密院委員会に於ける憲法改正案」 吉田内閣総理大臣説明の概要 憲法改正は、内外の情勢に鑑み速かにこれを行ふべきものと信ずる、日本国民の至高の総意に基いて、基本的人権を尊重し、国民の自由の福祉を永久に確保し、民主主義的傾向の強化に対する一切の障害を除去し、進んで戦争を抛棄して世界永遠の平和を希求し、これにより国家再建の礎を固めるために、憲法の全面的改正案を来るべき臨時議会に付議せられんことを奏請するに至つた。 本案は前内閣の当時、曩に本院に御諮詢あらせられた草案と全く其の趣旨を同じうし、法文も前の草案を殆んどそのまま踏襲することとした。 今議会は六月十日頃開会のことに奏請致したい心組で居るのでありますが、出来まするならば本案は右開会劈頭に付議せらるる様取計らひたいと存じますので、右の事情御諒察の上何卒宜敷く御審議の程御願ひ申上ます。└───〓勝手に独断と偏見〓 吉田茂首相の枢密院に対する要求は「1946年6月10日頃に国会を開催するので、それまでに審議を終了しろ」、枢密院の審議は儀式にすぎない。 枢密院での審議は、6月8日の枢密院の本会議で可決された。 当時の情況は○【皇室財産 マ司令部発表】 1945年11月1日、毎日新聞(大阪) 『15億9千余万円、御所有株は29会社』 米軍総司令部渉外局30日発表 日本皇室の財産は現金、有価証券・土地・林材・建物のみで15億円以上に上る旨 30日連合最高司令部により明らかにされた、 この正確な総額は、15億9061万5500円である、 <以下略>└─── 1945.12.16:近衛文麿自殺 1946.01.01:天皇の人間宣言 1946.04.29:極東国際軍事裁判「起訴状」発布 1946.05.03:極東国際軍事裁判開廷 1946.05.19:食糧メーデーに於いてプラカード事件が起こる 1946.05.22:第1次吉田茂内閣成立 1946.06.20:第90回帝国議会開院式、「帝国憲法改正案」を衆議院に提出 1946.11.03:日本国憲法公布 1947.04.25:第23回衆議院議員総選挙、社会党が第一党となり国会の指名を受け片山哲内閣組閣され発足した(5月24日) 1947.05.03:日本国憲法施行○吉田茂首相は大逆罪・不敬罪の存続を希望するがGHQは却下、1947年に廃止された。○1947年9月19日、昭和天皇の「琉球諸島の将来にかんする日本の天皇の見解」が寺崎英成宮内庁御用掛により対日占領軍総司令部政治顧問シーボルトに伝えられ、シーボルトはマッカーサーと国務長官マーシャルに伝えた。○「極東国際軍事裁判」に於いて所謂「A級戦犯」が1948年11月12日に判決をうけ、死刑判決は12月23日に執行された。
2007.01.19
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1995年1月17日の阪神淡路大震災、正直忘れていた。 テレビで「阪神淡路大震災」が流され、「何故今日?」と思った私はオオバカだ。 震災当時、水がなくトイレを流すのにバケツに溜めた水が使われていた。 公衆電話のお金が満タン、また電話はほとんど繋がらない、前から歩いてくる携帯電話が繋がっている事に驚いた。 阪神高速道路は横倒しとなり、大きなビルが傾き、ペッシャンコになった家を呆然と見ている人。 建築基準法はこのような地震の為にそれなりの効力があるはずだったのだろうが、現実と理論・実験とは異なる。 施工に問題があった事も指摘された。 どの大手ゼネコンの関わった建物が被害が多かったを教えてくれたが本当かは判らない。 震災の朝、神戸に住んでいるラジオのパーソナリティーが必死で大阪の放送局に向う。 携帯で神戸の様子を伝えているが、自分の家の前の家が倒壊し人が埋まっていると伝えながらも職場に向う。 駅から離れた場所に住み通勤・通学にバスを必要とする人達も悲惨だった、会社に電話も繋がらないため生死確認すら覚束ない。 食品を購入しようとしても売り切れ、道路のコンクリートは割れて液化した泥が流れ出している。 50CCのバイクが移動手段としては最適だった。 「喉もと過ぎれば・・・・」は、私の為にあるような言葉。 死者:6,434名、行方不明者:3名、負傷者:43,792名、住家全壊104,906棟、住家全焼6,148棟 なんと言えばよいか解らない。
2007.01.18
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幣原内閣下での枢密院に於ける戦争放棄についての審議について見てみたい。○「幣原内閣案」 第九条 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。 2 陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない。国の交戦権は、認められない。○「枢密院可決」の「第九条 第二項」 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。●「枢密院 第1回~第8回 審査委員会(1946年4月24日~5月15日)」の戦争放棄の主な発言概要○松本:戦争抛棄と不戦条約に付ては、不戦条約が尚効力ありや、日本が各国との条約関係から離脱した事にならぬかの二点でもはや不戦条約の条約国としての義務はないとおもふが研究する。 尤も不戦条約には自衛権等の条件があるが、今日の第九条も私見では自衛権を否認したものであるまい。○松本:第一項は戦争を仕掛ける方の抛棄なり。この外第二項があるが、これは外国から戦争を仕掛けられたとき、立ち上らぬと云ふ事ではない。この場合反抗することは当然なり。只軍備をもたぬ、その結果として交戦権ももたぬと云ふ丈なり。それなら自衛権ありと書いたらどうかと云ふと、これは又自衛権の名にかくれて戦争をする事になる虞があるから賛成出来ない。○松本:この交戦権による戦争ではない。堂々たる宣戦布告の戦争ではない。自衛といふ働き自身を憲法で禁ぜられるものではない。○松本:憲法の規定は自衛と云ふ行為をおさへきる性質のものではないとおもふ。○井坂顧問官:我々の議論は通らぬ(G.H.Q.との関係で)。 国体は万世一系の天皇が日本国を統治されると云ふ点にあり。 これは草案で護持されてゐるとみるべきであつて、それ以上は許されない。 故に議論は無駄なりとおもふ。○松本:実際はこれで行つて差支なきやと云ふ観点で扱ひ度。 当時としてはかかる作成はやむをえなかつた。反対したら危険であつた。○入江:国家として最小限の自衛権を認めることは当然、戦争、武力による解決を今後絶対にやらぬと云ふ捨身の態度をとると云ふことが一つの態度。 平和を念願する国際社会に挙げて委ねると云ふ態度をとつた。○野村:自分はこの憲法は主権在民の憲法と思ふが、「許されない」と云ふのはピープルによつて許されないと云ふのか、或ひは外部の力によつて許されないと云ふのか。 降伏文書には完全な武装解除は定まつてゐるが、永久に之をもたさないと云ふことはなかつた。 唯、その後の対日政策の上で未来永劫之を認めないと云ふ方向に変つてきてゐるやうに思へる。○入江:国民にこうて許されぬと云ふことではない。 許さないもの、認めないものと云ふ本質を表はした。 しかし全体の建前から云へば政治的には、一切の規定と共に、九条二項も国民の総意に基くと云ふことになるかもしれぬ。○井坂顧問官:国内の内乱を抑へる上の武力についてはどの様に考へるか。○入江:国内については警察力の拡充が必要と思ふが、現在、聯合軍司令部の方針でそれも出来ない。 軍隊と離れた警察は弱力なるため、段々と交渉の結果広い意味の警察力強化を図るより以外にはないと思ふ。○遠藤顧問官:第二項を憲法にかかげることは如何なものかと思ふ。 「主権の発動たる」は当然のこと故削った方がよい。 又出来るなら不戦条約の様な書方にして狭めたい。 二項の方は、弁護士会案のやうに、「保持せず」、「之を行はず」の方がよい。 内部の問題としては警察のみでは足りぬ。やはりある程度の戦力が必要。 「国内の治安を保持するに足る以上の」等の規定を入れたい。 第一項と第二項の前段だけでもう充分である。○松本:第九条と第一条については成文化の前から色々と交渉をしてしかも困難であつた事情がある。 むしろ本条を第一条に持つて来たい空気があつた。 之にふれることは困難な事情があつたことを御諒承ねがひたい。 又その後に於ては交渉をしても益がないと思はれる。〓勝手に独断と偏見〓 枢密院での審議では「我々の議論は通らぬ」。 改正で「国の主権の発動たる戦争の永久抛棄」「国の交戦権は、認められない」「陸海空軍その他の戦力の保持は、許されない」となる。 「自衛権」があっても「戦力」がないと「竹槍で戦うのか」と言いたくなる。 また「平和を念願する国際社会に挙げて委ねると云ふ態度をとつたのである」は、占領中はよいが、どの程度本気だったのか。
2007.01.16
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主権に関しての審議を部分的ではあるが見てみたい。 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、日本国民の至高の総意に基く。 Article I. The Emperor shall be the symbol of the state and of the unity of the people, deriving his position from the sovereign will of the people.●「枢密院 第1回 審査委員会(1946年4月22日)」の主な発言概要※「内閣総理大臣説明要旨」後の審議○幣原総理大臣:本案は御諮詢と同時に一般に発表し、与論の賛成を確めてゐる。諒承を乞ふ。又、極東委員会でとり上げて居り、微妙複雑なり。故に特に秘密慎重を要す。 本院の審議が外部に洩れる様なことがあると、国内のみならずマツクアーサー元帥の地位にも関係あり。波及する所大なり。○小幡顧問官:英文をみると、主権と明瞭にある。故に主権は国民に移つたと見なければならぬ。憲法上諭によると、今迄は天皇にあつた事は明かである。○小幡:本草案の修正は実際において出来ぬ事になるか、議会の修正とGHQ、極東委員会、対日理事会との問題如何。 松本:英文で同時に各方面に発表してゐる。政府としては実質を変更できぬ。議会の修正は法律上出来る。出た案に含まれぬ事項に付ては出来ぬかもしれぬが、かかる全文改正の場合にまず何でも修正出来よう。しかし実質は却々問題なり。○竹腰顧問官:英文と日本文とどつちを原文と考へるべきか。 松本:日本文なり。両者の相違は今后も調整の要あり。○野村顧問官:本草案は主権在民と思ふ。天皇はpeopleの一人で、stateのSymbolなりと解する。○河原顧問官:国体は護持されてゐるか。第一条があればよいと見るか。 松本:天皇が国民の中心にある。仰いで以て尊敬する中心にあると云ふのが眼目なり。むしろ日本は天皇が立憲的に行動されたため今日の悲運にあつたともいへる。先方はさうは考へない。故にこの実質を或程度はつきりさせて誤解を避ける要あるべし。 河原:象徴を中心と改めたい。○美濃部:政府が原案を出すからかかる屈辱的案になる。国民の代表たる憲法審議会でやればもつと尊重されたる事にならぬか。備考 政府側出席者幣原総理大臣、松本国務大臣、入江法制局長官、佐藤法制局次長、井手法制局第一部長、渡辺、佐藤法制局事務官●「枢密院 第2回 審査委員会(1946年4月24日)」の主権関連の主な発言概要○遠藤顧問官:我国は歴史的にみても、その他の点からみても、君主に主権ありと信ずるが草案は如何。○松本:現行憲法及び君主国の一般では主権は君主にあるが、草案では如何と云ふ点に質問の趣意があるとおもふ。 政治的には民主国なり。主権は国民にある。 第一条において天皇は国の象徴なる為、象徴たる天皇に主権があると云ふ説も成立せぬわけではあるまい。しかし適当ではなからう。○遠藤:政治的意味の主権は、基本でなく主権の運用の問題であると思ふ。草案において主権は天皇が御一人でおもちになつてゐるものでないと云ふ事丈は確かなり。故に従来と異なることとなる。○松本:法律的構成論は政府は申上げられぬ。学者にまかせるべき問題なり。故に私見としては国に主権ありと考へる。○遠藤:草案に主権の所在をかけと云ふてゐるのでない。消極的に天皇に主権なしと考へられるやうな字句を除けといふのである。しかし議論になるからこれで打切る。〓勝手に独断と偏見〓 枢密院の審議では大きな変更は出来ない、また「国体護持」が不完全だがGHQにそれをあまり主張するとGHQの立場もあり薮蛇になる。 「議会の修正は法律上出来る」は国民が選ぶ「衆議院」での審議の意、故に国会審議の前に衆議院総選挙が必要とされた。 主な問題は主権が天皇となっていないことであり、遠藤顧問官は天皇主権を明確に出来ないのであれば主権の在り様を曖昧にする事を望んでいる。 枢密院で可決され天皇が国会に提出した「憲法改正案」に於ける「主権」は、 「前文」の「自国の主権を維持し」と、「戦争の抛棄」に於ける「国の主権の発動たる戦争」に表れるだけ。 美濃部の主張する「国民の代表たる憲法審議会」は興味深い、 国会で審議される憲法案を「政府」「議員」「政党」でもなく国民が作るを主張している。
2007.01.11
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○2005年の自殺者は「Wikipedia」によると、 19歳以下:608、20歳代:3,409、30歳代:4,606、40歳代:5,208、50歳代:7,586、60歳以上:10,894、不詳:241、総数:32,552 「自殺が学校でのいじめが原因」と明記した遺書を残した子供の自殺に対して、学校側は「いじめが自殺の原因とは限らない」と主張する場合が多い、私は「こどもの遺書」を尊重しない学校側に対して不快感を覚え、責任逃れを繰り返す学校・教育委員会を批判した。 しかし、自分なら正しい対応が行えるのかは疑問だ。 テレビでは芸能人が小中高の時にいじめた・いじめられた経験を述べている。 では、社会人になって職場に於いての「いじめた・いじめられた経験」、「いじめにより自殺した人が身近にいた経験」についてはどうか。 社会人が遺書で「自殺は職場でのいじめが原因」と明記した場合、企業は「自殺が職場でのいじめが原因」と認め、何らかの謝罪を行うのだろうか(労災が認定は可能なのか?)。 また、「会社紹介」に於いて、社員の自殺者数・退職後1年以内に自殺した者の人数を記す事は可能だろうか。 過去の「いじめ・いじめられ」に於いても、いじめに関する告白には勇気がいる。 現在の自分の損得に関係する「いじめ・いじめられ」に関しては、とんでもなく告白は難しい。 現在社長になっているXXさんの部下はXXさんのいじめで表面化はしていないが3人は死んでいる、YYテレビ局のディレクターのいじめでこの世界を辞めていった人は10人に止まらない。 現在勤めている会社で、いじめている・いじめられてる・いじめによる自殺者がいる。 等は、よほど自分の損が少ない場合、あるいは得する場合でしか簡単には言えない。 自殺者が3万人を越えている、その温床となる「いじめ・格差」。 「いじめ」はいじめられている人が反攻しにくい・反攻しない情況で発生する為、日本国民一人一人のモラルが重要。 少々の「いじめ」には屈しない強さは必要だが、「いじめ」に対しては「守り」より「攻め」「戦う意志」が有効と思う。 極端だが、「その人」をいじめると自分の給料がなくなる、或いはボコボコにされると思うと「その人」に対していじめなどしない、いじめは何らかの力関係・損得関係により抑制される場合が多いが逆も多い、我慢せずに戦う事が必要だが、暴力を使わず・相手と同じレベルにならずとなると難しい、結局「・・・・・」とでも言うしかない。 子供・おとな・企業・マスメディア、だれも「守り」に徹する事などしたくない、しかし「攻め」をしたくない人はいっぱいいる。 学校教育では「自分主張を人に伝える」を重点的に指導する事が問題解決の一端になるのではと思う。
2007.01.09
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「200発のノドン・ミサイルが日本に飛んできて、その内5発が核弾頭とするとMDシステムは機能するのか。」 日本の防衛を真剣に考える必要があるのかもしれない。●「金総書記の対日非難発言を紹介 北朝鮮の党機関紙」の抜粋と概要 1月3日に北朝鮮の平壌放送と朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は論評を行った。○「日本反動らが現在、反共和国策動とともに、反総連策動をますます露骨化させている」との金正日総書記の対日非難発言を紹介した。○北朝鮮メディアが昨年12月半ばから使い始めた日本に対する「倭国」との蔑称も、「倭国反動」「倭国政府」などの表現で繰り返し用いた。└─(2007/01/04 00:23) Sankei Web 上記の記事では、「発言の時期や状況は不明だが、北朝鮮メディアが日本を非難する金総書記の発言を伝えるのは異例。」としている。●在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総聯・総連)、在日本大韓民国民団(民団)関連○総連は、在日朝鮮人の日本在留者団体。1945年結成の在日朝鮮人連盟から『民団』と袂を分かつ形で1955年に設立。 2006年現在徐萬述中央本部議長をはじめ6人の朝鮮総連幹部が、最高人民会議の代議員となっている。○民団は、日本に定住する在日コリアンのための組織。同団体の綱領の中には「大韓民国の国是を遵守する在日韓国国民として大韓民国の憲法と法律を遵守します。」と明記されている。 終戦直後の1945年東京で設立された在日朝鮮人連盟より共産主義者からの自立を図り1946年10月3日在日本朝鮮居留民団として発足。○帰国事業 1960年代に朝鮮総連が全国的に宣伝と推進活動をおこなった在日朝鮮人の日本から北朝鮮への帰還事業。 日本と北朝鮮には国交が存在しないことから、日朝の赤十字社によって実務が行なわれた。 1959年12月10日に最初の帰国船が新潟港から出航、1984年まで続いた。 93,340人が北朝鮮へと渡り、少なくとも6,839人は日本人妻や子などの日本国籍保持者。 北朝鮮へ帰国した朝鮮人のうち多くは日本から地理的に近い韓国領域の出身者。 帰国船の費用は北朝鮮が負担した。 日本側の呼びかけ人になったのは日朝協会のメンバーや社会党議員、共産党議員であり、鳩山一郎など自民党議員も含んでいた。 在日朝鮮人帰国協力会の幹事長は社会党国会議員の帆足計、事務局長は、日朝協会に所属する共産党員の印南広志である。 日本のマスコミは帰国事業を人道的な事業として歓迎。北朝鮮の実情報道は、現地取材に乏しかった。○朝銀信用組合(朝銀)は朝鮮総連の指導を受けていた在日本朝鮮信用組合協会(朝信連)加盟の信用組合の総称。 都道府県単位で設立されていて、朝銀大阪信用組合等の様に都道府県名の入った名前を持っていた。 破綻問題: 日本政府が公的資金を投入するべきではないという議論があったが、不明瞭な政治決定によって救済をされた。 しかしながら、日本国の銀行に対する公的支援にあれだけ批判したマスコミ各社はこの件に関しては批判の声を上げなかった。 さらに、公的資金が投入され、統合された組合がさらに破綻する二次破綻を起こした組合もある。└─『Wikipedia』よりの抜粋○「朝銀信用組合の破綻に対する公的資金投入に関する質問主意書」よりの抜粋 預金保険機構は、十一月七日に朝鮮総連系全国朝銀信用組合(朝銀)の朝銀北東(札幌市)、朝銀中部(岐阜市)および朝銀西(岡山市)の三信用組合に対し、二千六百六十億円の贈与と四百六十九億円の不良債権買い取り合計三千百二十九億円の投入を発表し、さらに残る新潟、東京、神奈川、千葉、長野および近畿の六朝銀の破綻に対しても(債務超過額総計四千四百二十一億円、本年三月現在)、資金贈与と不良債権買い取りを検討中と報じられ、ここに、平成十年五月の朝銀近畿への投入額三千百億円を加えれば、朝銀への資金投入総額は、一兆円を突破する見通しとなっている。└─「衆議院 平成十三年十一月二十二日提出 質問第二二号 提出者 西村眞悟」〓勝手に独断と偏見〓 「朝鮮総連により北朝鮮へ送金された金額」は不明。 2006年9月20日付の日本政府機関の専門家が調査書よると、 「小型核弾頭試作までに3年以上の期間、2000億~3000億円の予算と技術者数百人の動員が必要。」 日本の政府・政党・マスメディアは結果的にとは思うが、「北朝鮮の核」にどの程度貢献していたのだろう。
2007.01.05
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幣原内閣総理大臣は「憲法改正案」の説明を行った。●「枢密院 第1回 審査委員会(1946年4月22日)」の概要○内閣総理大臣説明要旨◇憲法改正の必要性 ポツダム宣言 「日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除し、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重を確立すべきこと。」 「日本国の政治の最終の形態は、日本国民の自由に表明する意思により決定さるべきこと。」 三月五日の勅語 「日本国民が正義の自覚に依つて平和の生活を享有し、文化の向上を希求し進んで戦争を抛棄して誼を万邦に修むるの決意なるを念ひ、乃ち国民の総意を基調とし、人格の基本的権利を尊重するの主義に則り、憲法に根本的の改正を加へ、以て国家再建の基礎を定めんことを庶幾はせらるる旨」 政府は内奏を経て三月六日、憲法改正草案要綱を発表した、帝国議会への付議を奏請し、今日本院の御審議を煩はすこととなつた。◇改正案中重要な諸点(一)天皇の地位 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、その御地位は日本国民至高の総意に基く」と規定。 天皇が、外に対しては日本国家を表現し、内においては日本国民結合の中心的地位に立たせられることを示すとともに、天皇の地位は日本国民の、至高の総意に基くものであることを規定した。 天皇が、現行憲法におけるやうに、万般にわたつて具体的に国務をみそなはせられることは、つひに国家、国民を破滅に導き、累を皇室に及ぼす虞があることを免れない。 改正案においては、天皇は一定の国務のみを行い、政治に関する権能を有しない。 この形態は、民主主義国政の常道であつて、このことは、皇室の御安泰を確保する所以であると存ずるのである。(二)戦争の抛棄 日本国民は、恒久の平和を念願し、この精神に徹底して、平和愛好国の先頭に立つたのである。 学術の急激な進歩は、ますます恐るべき破壊力を有する武器が発明されないことを、何人が保障することができよう。 かやうな発明が完成された暁には、世界は初めて目を醒まし戦争の廃止を真剣に考へる時があるものと思はれる。 我々は、この大勢を察し、今後は新武器の発明又は整備よりも、全然武器使用の機会をなくすことを、最先の目標として、この条項を草案の一眼目としてゐる次第である。(三)国民の権利及び義務 基本的人権の保障、民主主義の発展向上の確保のため必要な事項を列挙し、ことに過去において種々弊害の認められた刑事訴追の関係等については、詳細にこれを規定してゐるのである。(四)国会 国会を国権の最高機関とすることとし、且つ国会を国の唯一の立法機関たるものとした。 これは、民主主義的政治形態として当然のことであると考へられるのである。 国会は、国事審議の慎重を期するため、両院制度を採り、衆議院と参議院でこれを構成することになつてゐるが、各院の関係においては、若干の点で、衆議院に優越の地位を認め参議院については、主として衆議院専制に対する牽制乃至はこれに対し反省を促がす機能を期待してゐるのである。(五)内閣制度 行政権は、すべて内閣がこれを行ふものとするとともに、天皇の国務に関するすべての行為には、内閣の補佐と同意を要するものとし、内閣は、行政権の行使については、国会に対し連帯してその責に任ずる。 内閣総理大臣は、国会の指名に基いて、天皇がこれを任命するとともに、他の国務大臣の任命は、内閣総理大臣が、国会の同意を得て行う。 内閣は、衆議院において不信任の決議を可決した場合等には、衆議院の解散がない限り、総辞職をしなければならないこと等の条項を設けて、議院内閣主義の原則を採つた。(六)司法権 行政訴訟も一般の裁判所の管轄とし、最高裁判所に憲法裁判所的機能を併有させ、一切の法令又は処分が憲法に適合するかしないかの裁判をすることができるものとした。 最高裁判所の裁判官の任命について、国民の審査に付し、多数の反対投票がある者は、罷免されるものとして、最高裁判所の裁判官と国民を直結した等裁判所の民主化について新しい規定を設けた。(七)財政 皇室財産の関係において、世襲財産以外の皇室財産は、すべて国に属するものとし、皇室財産より生ずる収益は、すべて国庫の収入とし、法律の定める皇室経費の支出は、予算で国会の同意を得なければならない。 収益の帰属については、なほ聯合軍司令部側と打ち合はせをつづけてゐる。(八)地方自治(略す)(九)憲法改正 国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経ることを要する。(一〇)最高法規 基本的人権が特に貴重な所以を明かにし、この憲法及びこれに基いて制定された法律及び条約を国の最高法規とし、 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員はこの憲法を尊重し、擁護する義務を負ふ旨を規定してゐる。(一一)公布の日から起算して六ヶ月を経過した日から施行する。〓勝手に独断と偏見〓 幣原首相の説明では、国民主権かは明確ではなく、内閣総理大臣の任命についても、「国会の指名に基いて、天皇がこれを任命」。 日本国憲法でも同様の文があるが、国民主権が曖昧な為、「任命」はそのままの意味で使用しているように思える。 故に、国会に於ける審議とそれに伴う修正は重要だったと思う。 (何が国会の審議に影響を与えたのかは重要)
2007.01.04
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