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相談したいことがあり、むかしお世話になった営業マンをさがした。三井リハウスのホームページをたどり、店舗営業マンの女性の「お問合せ」欄に、「~さんはいまどちらに?」と書き込んだ。その朝さっそく、きのう、「お久しぶりです。~です」と電話があった。静かで温かい声のトーンはまったく変わらない。「~さん」と私は名を呼んだ。三井リハウスのホームページには営業マンのプロフィルが載っている。そこに~さんの写真はなかった。ないはずで、本社勤務になっていた。むかし近所の三井リハウス店舗に立ち寄ったとき、~さんが名刺を出した。ハンサムということもあるが、好青年(妻子あり)で寡黙だった。必要なことはきちんと説明し、よけいなおしゃべりはしない。自分のビジネスを押し付けない。すぐのつもりではなかったのに、そのままつい、家を見に行き、2件目で買った。身内が家を買うとき~さんに話すと「自分が買うつもりでさがします」と言った。そして希望どおりの家を見つけてくれた。今回の相談でも、アドバイスに変わらぬ誠意があった。もう店舗営業マンではないが、「自分のことのように」考えてくれたのが伝わる。ビジネスであろうとプライベートであろうと、こうして人つきあいは長くなる。周囲の誰もが10年、20年。ということは最近出あった人たちとも、この先10年、20年?
2007.01.26
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楽天日記の管理画面が変わった。慣れていないせいか、リンク日記を探しまわるのである。以前は一目瞭然の写真リストで、あ、呉さん、まっちさん、山ぶきさん、のん兵衛さん等々、訪ね易かった。むかし人間みたいに、前はよかったなんて言うつもりはないから、慣れろ、慣れろ。それに無料ブログで文句を言うのは、後ろめたい。
2007.01.24
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菊地さんがきてくれた。古いPCに、LANボードを取り付けるためである。前回、やはりPC修理で来てくれたとき、「使用中のノートが壊れて急遽、古いPCを出したら、98でLANが入らない」そう話した。「LANボードを買ってきます」と菊地さんは言った。そういうものがあるのを知らなかった。前々回は古いプリンターに、なにかを取り付けてくれた。これでプリンターとデスクとノートと、3台が復帰した。メーカー問い合わせで、修理代5~6万といわれ、捨てるつもりだった。「もったいないですから、ごみも増えますし」菊地さんは言う。壊れたPCは、もう一台ある。次回はこれを見てくれる。つぎつぎとPCが壊れ、PCは使い捨て、と考えた。そうではなかった。新しいモデルに追いつかない古いモデルには、さまざまな付属品があった。それを使う技術が私になかっただけである。
2007.01.21
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文章講座を開きませんかと言われた。「人の憂いは師となること」ながら、コミュニティ活動で社会還元するのはいい。こういう考えに変わったのは、横浜市産業公社主宰のセミナーを受けたからだ。最初はビジネスセミナーのつもりだった。行ってみたらコミュニティビジネス。わがまま勝手に生きてきた私にコミュティ?もっとも遠いジャンルではないか。セミナー受講の動機は不純だった。「もうメチャクチャ高い」税金を取られた(納めて)ので、安い受講料のセミナーで取り返してやろうと思ったのだ。同じ動機で、スポーツセンターへも通った。海の見えるセミナールーム、温水プールやシャワールーム、ジムや医師常駐の快適なスポーツセンター。税金はこういうところに使われていたのね!学校好きの私はセミナーを受講しつづけ、ついに洗脳された。「地域の課題を解決する」ビジネスから、コミュニティのだいじさを学んだらしい。姉は週3回、福祉事業所へボランティアに出かける。熱中症多発の夏もインフルエンザ流行の冬も。私も一つぐらい役に立つことをしましょう。殺人やいじめのニュースに、人間関係が下手になったと思う。言葉のかけかた、訴え方が訓練されていないのだ。かつて言葉は、家庭で身につけて育った。それが「お水」の一言で「お母さんお水ください」を表すようになった。駅の窓口で高校生を見た。「忘れもの」「何を忘れたの」「かばん」「鞄って通学鞄?」「う(ん)」「どこに忘れたの」「階段の下」「どこの駅の階段」 とつづくのである。 おまえ(失礼)は3歳の子供か?「鈴木と申しますが、~駅~番線ホームの階段下に通学鞄を忘れたのでお願いします」くらいは言えよ。文章教室の前に会話教室が必要かも。その前に自分のブログを添削しろ。
2007.01.16
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(*別ブログにも同時掲載)正月早々、暗い話に触れたくないが、歯科医家族の事件に思うことがある。(テレビニュースと新聞情報のみによる)一つは「しつこい」である。議論や喧嘩で、相手を言い負かすまで「しつこく」くいさがる人がいる。自分の意見が正しいと信じ切っている人、相手にどうしても負けたくない人だ。こういう人は半歩下がることを知らない。相手の意見、考え方を全否定する。一人でブログにでも書いているあいだはいいが、しつこい人が二人対すればどうなるか。双方、譲らないから、会話や議論では治まらない。突き進んだあげく、言い争いになり、喧嘩にいたる。口喧嘩で治まればマシだが、恨みを残し、殴る蹴る殺すも起こる。こうならないために、子供や若い人たちに「引き」の術を教えたい。対立したその場では、三度反論する。四度目は「引く」。そして家に帰る電車の中で、相手の意見を考えてみる。ベッドで思い出してみる。まだ腹が立って悔しいなら、「あの人はそういう考えだ」と思い、もう忘れることだ。またなにかの折に思い出す。まだ腹がたつなら、もう考えないようにする。「人口1億数千人いれば、そういう考えの人もいる」と思えばいい。どちらの意見が正しいかは、時間、歴史が証明する。また、正しい意見が正しいともかぎらない。どちらもただしく、どちらも間違っているともいえる。つまり「正」「誤」の決着を急いてはいけない。思うもう一つは、「離れ」である。人と人とが寄れば摩擦が起きる。「触れ合い」がトレンドだが、良識ある交流があってのことで、「引き」を知らない人同士では、トラブルになる。殺傷事件で家族・知人間というものは多い。働けと説教する母親を息子が殺す。勉強しろとうるさく言う父親を息子が殺す。親しかった友人を殺す。歯科医家族には、以前からトラブルがあったという。殺しにまで進むような、そんな家は、出たほうがよいのである。娘も息子も二十歳を過ぎ、親が援助できる経済力もある。子供は家を出て家族から離れたほうがよかった。距離ができて、少しは親やきょうだいや自分が見えるようになる。トラブルが大きな負担になるとき、そこに留まってはいけない。挨拶程度の距離を取って離れることだ。(*写真は噴水の氷)
2007.01.11
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爆弾低気圧で荒れたらしい列島を、伊豆から横浜、栃木へと移動。風は少々強かったが、新幹線は止まることなく、1分の遅れもなかった。電車で読んだ雑誌の後記に、ブログと私小説とを同一視する文章があった。短絡的だなあと思うも、ブロガーとしてはおもしろい。この筆者がイメージする私小説は、私のいう私小説とは異なる。ブログに対する視点もちがう。ブログと私小説を日常の「垂れ流し」と見るのは、ブログと私小説への洞察に欠ける。新幹線を降りたら路面は乾いていた。この地に嵐はきたのか?雑木林にだけ雪があって「夢のよう」。こんなどうでもいいことを書くから、ブログは「日常」とばかにされるのだ。ところで日常ってなあに?私には日常も非日常もない気がする。
2007.01.09
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元日の日の出時刻に、南側デッキに立って林の奥を見つめて待った。いつもそこに現れる朝日ではあるけれど、やはり気分がちがうのである。お隣の庭を越え、道を1本またぎ、もう1軒先の林が染まり、やがて木の根元に赤い点が光る。父を真似て拍手を。その前後に撮影を。カメラはシャープ携帯で。近所のHさんが見えて、皇室カレンダーをお年賀にいただく。雅子さまのご快復を祈るも、新聞広告の雑誌目次は、なぜかいつも「雅子さまいじめ」が。案じるふりして追い討ち掛ける言葉。非難するふりしてワイセツ記事書くに同じ。慈善のふりして稼ぐに同じ。悪人より不快な人たち。
2007.01.03
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