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放置一方であったここ楽天日記。その日記の書き方も忘れている始末。ここに一年ぶりに。えいっ。
2008年04月07日
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どうもです。久方ぶりに書く楽天日記なり。思えば1年ぶり甲斐の国は武田信玄公。なんだか書き込みの仕方も変わっていて戸惑ったなりよ。
2007年04月14日
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春分の日のきょう。 「各地のこよみ」 http://www.nao.ac.jp/koyomi/dni/ で、大阪の日の出・日の入り時刻を確認してみるに…。 大阪の日の出が6時01分、日の入りが18時10分と出た。 昼と夜の時間の長さが見事に一致…してないやん。 すでに昼の方が少し長くなっているやんかいさ。 3月17日の、日の出が6時07分、日の入りが18時07分の日こそ、昼と夜が共に12時間、ピッタシ寛十郎と一致してるやん。 この日こそが大阪での真の春分の日ではなかったのかシラスのお茶漬け。 なんだか気の抜けたコーラをあたたかいままで飲まされている観がする3月21日の朝ではある。 いつもならこの時刻、アッシはトスコさんに会いにゆくが、きょうは浮気ぞ。 実はHE、カレーをすでに食っておっての。 きのうの晩にカレーを作ったんじゃ。それが半分ほどまだ鍋に残っておっての。 朝起きて、でえどころ(江戸っ子ちゃいまんねん)に行くとやけに鍋がうるさい。 「カレーが残っています。 はやく食わないとアンタのこと、すぐに忘れて、ほったらかし。 それはイカの塩辛トンボ。 きょう食いなさい。いま食いなさい。さあ食いなさい! よろしくちゃんこ鍋!」 うるさい鍋ではある。 アッシの鍋は賢くての。 利用するものになにか不都合な、また分からないことがあれば何かと的確なアドバイスを声で送ってくれるメッセージ機能が付いているんじゃ。 こういうのを専門用語では「鍋ゲーションシステム」などという。 ふ~ん。 いかにもすぐれものやが、言われるものにとっては迷惑なこともあっての。 ほっとケーキじゃ、ぼけぇと言い返すことも何回か。 すると鍋も怒っての。 「鍋だと思ってナベんなよ」だってさ。 これまた失礼しました! ぐふふ。きょうはその「鍋ゲーションシステム」に導かれて、きのうの残りのカレーをふたたびレンジでチンして…。 「レンジでチンするアホがどこにイルカに乗った少年!」 「歌うはあいざき進也さんでしたかの」 「鍋は知らず」 「なべ知らぬ?」 「なべだから…」 「城みちるさんだったんじゃあ~」 アホな会話を「鍋ゲーションシステム」と交わしつつアッシはIHクッキングヒーターでその鍋をあっためた。 そして食ったというわけさ。 カレーなる春分の日がいま開け染めし。 大阪はきょうも晴れそうやと天気予報はいう。 WBC、「わー・ビックリの・調子よさ」できょうもキューバに勝ってくれ。 そして野球世界一に。 鍋と共に祈らん。 ナーベン。
2006年03月21日
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アッシが6月からするであろう長旅の名が「多くの鉄い道」。 その名を松尾芭蕉の「奥の細道」から取ったことは明々コヤギ…じゃなくって明々白々なの。 松尾芭蕉。ここだけの話やがアッシは彼の作品をこれまでまとめて読んだことは一度もないのじゃ。おっほん。 じゃがの。ニオイで分かる、ニオイで。 読めばきっとアッシに多大なる影響を与えるであろうことは。 アッシはの、その長旅では機会を見つけては各地の公立図書館に立ち寄ろうと思っておるのじゃ。 そこで芭蕉のオヤッサンの作品に触れようと思ってオルガ・コルブト。 若い頃には線香くさいニオイが鼻についた彼の文章がきっといまはアッシのこころに染み入ろうぞよ。うっふん。 アッシは彼のこころの弟子にならんか。 そや。弟子になれば弟子なりに芭蕉のオヤッサンにちなんだ俳人名も付けんとな。 そこでツラツラけんげえて(江戸っ子ちゃいますねん)付けた名が「松尾パッチオ」なりき。 これアッシがパッチ愛好家にちなんだものなのじゃ。いけてるやん! ただここに問題が。 そのパッチは年中穿いているわけではないからの。付けていない夏や秋の始めはどう名乗るか。 アッシは悩んだ。 「松尾パッチナシオ」にしようと思ったが…。ちょっといけてない。なんだか字余り…。 そこで! アッシはひらめいた。ちぢめるべしと。 アッシは「ッ」を取り、「松尾パチナシオ」にしたんじゃ。 なんだか異国情緒たっぷりの、南蛮風味も漂う名前になりにけり。 師匠・松尾芭蕉も草葉の陰でころんでいるだろうて。 なんでやねん。「よろこんで」いるだろうて。なは。 ありがたきかな。 季節に応じてその俳人名を使い分けるのじゃ。 冬・春は「松尾パッチオ」、夏と秋は「松尾パチナシオ」。 たいそういい名前。 アッシはこの名前で旅の間、一日一句はひねりつづけるだろうて。 「松尾パッチオ」と「松尾パチナシオ」に栄あれ。
2006年03月11日
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北か南か、東か西か。 聞けばそのまんま東さんはかとうかずこさんと離婚したとか…。 いやその方向の北ではなし。 来たか(これが正解)3月が。おお。 その初日も早や5時55分が目前。 きょうもここに5時55分をつつがなく迎えんとつの形は丸い。 さて追い書きをさっさと書いてイカの丸焼き一揆食い。 一揆を食ってどうする。口の中が槍や竹ザオで突かれて血だらけになる。とても食えんぞ。 一気食い。これが正解ね。 しかしそのイカとて、一匹丸呑みはとても出来んぞ。 切手を貼ってクワントな…。 いいや、丁寧に切ってミシェル・食わんとね。なは。 そのミシェル・クワンに関連して、同じ女子ヒグマ・スケーターとして、もといフィギュアですな(なんで「ヒグマ」になんねん)、トリノ五輪で最高の栄誉に輝いた荒川静香御前様がご帰国あられました。 き、きれい。 おめでとうの前にまず口をついて出るのがこの言葉なりき。 彼女は容姿でも金メダルなりき。なは。すんばらしい。 その御前様のオフィシャル・ウェブサイトにきのうやっとアクセスできましたな。 http://www.shizuka-arakawa.com/ オリンピック期間中、とくにその金メダルが確定したあたり、まったくつながりませんでしたな。 アクセス集中のためならんか。 あらためて、おめでとう。そして感謝也。 同じ日本人である幸せをここにかみしめる。 さてさてその静香御前様は今年で24歳。 1981年12月29日生まれとありますな。なるほど~。 実はです。その2ヵ月後にもアッシのこころを捉えて離さないものがこの日本に誕生しています。 人ではなく、物なんですがの。 1982年、昭和57年の3月1日のきょう、「青春18きっぷ」が初めて発売されていますのじゃ。 当時は名前も今と若干違い「青春18のびのびきっぷ」といったものじゃ。 アッシは当時でもすでに27歳。 若さにもタワー、「とう」が立っていたのじゃ。ほっとケーキ! この「青春18のびのびきっぷ」を買いに初めて行ったのが24年前のきょうであったと思いまする。 静香御前様はいまだ2ヶ月の乳飲み子であったハズじゃ。アッシはすでにオッサンの空気を漂わせていた…。ほっとケーキセット5人前! しかしその日、初めて「青春18のびのびきっぷ」を買いに行ったときの恥ずかしさと言ったら…。 なんせ27歳のオッサンが「青春18」と名前の付く切符を買いに行くわけですから。 その窓口でアッシはその「青春18」の名前を口にはしませんでした。「のびのびきっぷ下さい」と言っています。なは。 係員が「青春18ですね」とネンを押します。 少しニヤニヤしながら…。ええオッサンが「青春18」もないだろという顔をしながら…。 ほっとケーキセット100人前! あああの日から24年か。 静香御前様は立派な大人の24歳の女性になられて金メダル。素敵~。 アッシも青春18きっぷ使用歴が24年目に。酢ゴンボ~。 もはやアッシはなんのためらいもなく駅で「青春18きっぷちょうだいな」と言ってますな。 その「青春18きっぷ」の24年目の春シーズンがきょうから解禁ですな。 4月10日まで。 アッシは今回は一度も使わんでしょうぞよ。 来る夏、7月20日からは毎日イヤというほど。 夏が待ち遠しいですわい。 ともかくきょうから「青春18きっぷ」春シーズン開幕。 春も開幕。 めっちゃええこって牛。 ここは大きく鳴けよ。めえ~~~。 羊のモノまねがうまいこって牛でした。 春3月は来たり。
2006年03月01日
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どもね、アッシの身辺も風雲急を告げるものあり。 このあばら家も4月いっぱいで退去せざるをえない状況下になって参りましたです。 ですからアッシの日本風船気まま流れ旅、「そこに鉄道があれば取りあえず乗っちゃうんだから、もそかして」(長い副タイトルやが)の旅も期間を繰り上げ5月1日からになる可能性が高まってきましたどす。 あと2ヶ月ちょっと。 クリアすべき難題が数多く残ってはおりますが、その日になれば、そんなんどうでもええとこの大阪を5月1日の朝、ひとりのオッサンが旅立つでありましょうぞよ。 一年間のさすらいお笑い流れ旅。 ああどんな旅になるのでしょう。 その旅のタイトルを「多くの鉄い道」と名づけました。 あと2ヶ月ちょっと、その日、本当にアッシは出かけているのでしょうか。 ちょっと呆然とするところがあり。 準備万端でさて出かけられるどうか。 そのタイトルの元がいわずと知れた「奥の細道」。 これまで全編読み下したことがないですが、いま読めば多分、乾ききったスポンジが水を吸い込むようにその文章がアッシの脳裡のヒダに刻まれる感じがします。 松尾芭蕉は50歳の命でした。 それを越える51歳の男が途中に52歳をも越えて、長き旅路に出かけるのです。 それから出会うであろう万物の自然や生き物に、なにかとかにかとよろしくちゃんこなべです。 きょうを境にその準備にじわじわ入ってゆかんか。 とりあえずはここに発表せん。
2006年02月19日
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さてさて、きょうもくれなずむは二月五日のニッチョビではあるね。 アッシは実はきょうもカレーを作ったのである。 二日連続のカレー作り、お二日カレー、略して「おつかれ」さんである。無理やりやな。 二日連続で作るには理由があっての。 最大の理由は作ったカレーが妙にうまかったことじゃ。 「イケルじゃんじゃん横丁!」と思ってしまった。 鍋一杯に作ったカレーを見事その日に完食してしまったのだ。 また、きのうの残りの肉がある。 肉類は早めに調理した方が何かと衛生上もよろしかろう。 きょうも作ろうかシラノド・ベルマーク運動と自然な流れで思ってしまったのねん。 また作ります。 きのうはネットで「カレーの作り方」を検索キーワードにして出てきた最初のページそのまままを参考にしてアッシはカレーを作った。 絵入りで分かりやすくその方法が書かれていたね。 うむうむ。にゃるほどにゃんこ鍋。ニャーオ! ただそこはアッシ流じゃん。超久しぶり、35年ぶりに作るカレーじゃん。 アッシならではの、初心者ならではの、大雑把な作り方であったのは確かじゃ。 以下がきのう作ってきょうも作ったアッシのカレーレシピぞ。 ムチでピシピシ、無知でひひひの、大胆不敵なカレーレシピなりき。おっほん。 まずは鍋を用意。 ヤカンはダメね。フライパンでも作れなくはないがここは鍋をね。 その鍋をIHクッキングヒーターに載せます。 たはは。アッシはこのあばら家に越すに際して最新型のIHクッキングヒーターを買ってます、ほとんど使ってませんな、これが。 しかしきのうは使い、きょうも使いましたぞ。 あっためます。 あいやその前にサラダ油をその鍋底にうすく全面に行き渡るように垂らしまする。 そこにタマネギじゃ。 このタマネギは泉州産が望ましい。 泉州とは大阪府南部地域をいいまする。 だがそのタマネギに産地の表示なし。 まあ2個だけ買ったものですがの。 まさか中国の泉州産ではなかろうのう。 妙な疑念を浮かべつつ、アッシは皮を剥き剥きマンボして、包丁で小片に切り刻みます。 それを鍋へ。ジュジュジュジュー。 おっと、肉を忘れている。ニク18グラム以上は確実に鍋の中へ。 ジュジュジュジュー。 おっと。ここで忘れな草しているあるものを思い出す。 イモや。 でも、しかし、あいや、それで…。 じゃが! これこれ~っ! じゃがいもさんを入れるのを忘れている。 メークインという品種のものを買っていた。 トウヨコインではなかった。ほっとした。 鍋の上ではタマネギと肉がいままさに焼かれている。 一旦付けた火を消すのはアッシの主義に反する。 いわば聖火である。火は消せない。 アッシはメークインを4個選択し、それを急ぎ洗浄した。 ザルに入れて滝のように上から水を流したのだ。 それでも皮の表面にはまだ多少の土ッ気がみられた。 しかしアッシは無理をしなかった。 これでいいとふんぎりをつけた。 その4個にアッシはすばやく包丁を入れた。 サクサクサクサク。サクが四つでヨサク。 ♪ヨサク~ よ~サクうう~ メークインは晴れてメークアウトになった。 何枚ものジャガイモの薄い切片が出来た。 「これでヨシコちゃんよう~」 アッシはそれを鍋に入れた。 これすなわち皮むきは一切省略したのねん。おっほん。 鍋のなかでタマネギと肉とジャガイモが同窓会を開いていた。 幹事がサラダ油であったのだ。 ごくろうさん。 和気藹々で中の空気がなごんだときにアッシはそこに冷や水を浴びせた。 水で鍋をいっぱいに満たしたのだ。 IHクッキングヒーターの加熱レベルを強にする。 一気に音頭をあげる。 ヨヨイノヨイ。エンヤコラサ。それからどした…。 あいや温度をあげる。 一気に煮立つ。泡が噴き出る。おとと。 そこへカレーのルーチョンキをば。 いやここはルーだけでええね。 パコ。 入れるはS&Bのゴールデンカレーだわさ。 さてさてここでのエスビーはなんのSでありBなのか。 ふと疑念がわく。 まさか「塩鮭と紅鮭」の合わせ言葉でもあるまいに。 「スウィート&ビター」からきているのかの。 ルーが融けるとアッシは一気に弱火に切り替えた。 そこからが時間がかかる。 ゆっくりと煮込んだのじゃ。30分ほど。 そしてあばら家のあたり一面にカレーのにおいが立ち込める頃、カレーは出来ていた。 切らなかったじゃがいもの皮はまるで気にならなかった。 うまかった。おおいしカレの助とも思った。 カレーは偉大だと思った瞬間だった。 完。
2006年02月05日
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コケコッコオ~。 アッサ~!! 起きさらせ、このボケェ~!! ニワトリのニワ吉、英語名ではガーデン・ラッキーが鳴き叫ぶ。 きょうも書き始めが5時55分。いいんじゃない甲斐は武田の震源公。大地をも鳴動させるその猛々しさ。 いやさ信玄公ではあらせられる。 きょうの大阪の夜明けの時刻は7時02分じゃ。 まもなく28日からは6時台に突入する。 他地域の方も次のサイトを見て自らの家の周りがいつ夜明けを迎えるか確かめられるべし。 http://www.nao.ac.jp/koyomi/dni/ じわじわとア・リトルづつではあるがお日さんが昇る時刻が早まりつつある。 岸洋子さんの「夜明けの歌」をこころを込めて力いっぱい歌わんか。 ♪夜明けの歌よ 何して~ どうした~ 忘れてるじゃん、さっそく。 たはは。 いやさその歌詞も夜明けのごとく徐々にアッシの頭の中に浮かんでくるのであろうぞよ。 気長に待たん。しばらく待たん。あんたどないしはったん。 おっほん。 さてきのう堀江貴文さんが逮捕されている。 ライブドアの社長であるがすでに辞任の意向を逮捕前に社内のものにもらしていたという。 「容疑者」という名前がそのあとにきのうは付いたわけではあるが。 ざまあみろというのは簡単である。 しかしここではあくまでも「容疑者」であって「犯罪者」ではない。 罪が確定したわけではないのだ。 あのロス疑惑であれほど世間を騒がせた三浦和義さんも2003年3月に最高裁で無罪が確定している。 罪を犯していなかったと公式に最終的に認められたのだ。 なんやったんや、あの騒ぎは。 あの松本でのサリンばら撒き事件でもその現場近くに住んでいたというだけで河野義行さんが逮捕されている。 結果はおそろしいほどの冤罪であったのだ。 身に覚えのないもので逮捕される…こともあるのだ。 堀江貴文さんだって分からない。この時点ではまだ「さん」をつけるほうがふさわしいと思うが。 まああの人をテレビ等で見るのは自分も気分が悪かったが。 気分で物事は決められない。 しかし思えばこのライブドア事件、裁判の決着が付くのは堀江貴文さんの髪の毛がなくなった頃かな。 どうでしょう。 これからが長い。 日本の裁判は…。
2006年01月24日
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たはは。 きのうはおっそかりしユラノフスキーであばら家には午前0時ちかくに帰り着きたり。 歌を歌うぞよ。 ♪午前零時の 東京ベイは 中原理恵の「当局シラベイ」じゃ。 ホリエモンも可哀相にの。自業自得かい。 おっと「東京ララバイ」なり。これが正解。 きょう起きた総司したのが実に6時50分。 ほんでもって出勤時刻が8時と来ている。 時間がことのほか、極めて切迫した時間帯で不足しておる。 追っての書き込みは帰ってからじゃ。 トーストも焼かなあかんやろ。 そのまえにパッチをはかんかい。 わお。下半身がやけに冷えると思ったら。 コメント返しもできぬパパに、いやママにアッシはこれから夜明けのコーシーを飲むぞよ。 歌を歌うぞよ。 ♪十朱の幸代さん… 違う、 ♪夜明けの コーシー(夜明けの コーシ~) ふたりで飲もうと(ふたりで飲もうと~) なんとかかんとかで(なんとかかんとかで~) 恋の季節よ(恋の季節よ~) 歌詞をわすれたカナリ年を取ったオッサン。ほっとケーキ! まもなく出じゃ。 追加はそれからにして。おっほん。 アッシはまずは夜明けの コーシーをば。 ひとりで飲む。 苦い味ぞ。
2006年01月21日
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早いのう。1月もきょうで20日じゃい。 ああきょうでお別れなのね。青春18きっぷ冬バージョン。 ここで例によって歌をば。菅原洋一さん「きょうでお別れ」。張り切ってどうぞ! 張り切って歌う歌でもないんやが…。 ♪今日で おわカレーうどん もう食えない~ バカな! カレーうどんの食えない人生はアッシにはありえへんのじゃ。 きょうも食ってあすも食う。 いつもアッシのソバに、いやウドンにカレーうどん。ツルツル~。よろしくちゃんこなべ。 さて1月20日。青春18きっぷ最終利用可能日がやってきた。 その最後の一日を残しアッシの手元には青春18きっぷ二日分が残っておる。おっほん。もんだどんだい。 あかん湖のマリモちゃんでしょうがに、イフボロー(もしかして)。 一日で二日分を使えないぜよ。 思えばきのう使う予定であったが。気分がノーランズ。アメナムーン・ダンシン~であったんじゃ。 結局使わず。結果、二日分残してアッシは最終日を迎えんか。 おっほん。おっほん。おっほんルンバ。 しかしなぜか哀しい。むなしいともいえる。 使わんこそばせんともったいないともいえる。 そこでじゃ。アッシは緊急に青春18きっぷ使いきりツアー同行者を募集せんか。 きょうまたアッシは明石の「龍の湯」に入りにタコんか。いやイカんか。 おおっとここで! 誘ったあるひとから「行きます」とのメールあり。 ここでツアーの募集は締め切り。もう満員。はやっ! たはは。追加の参加も受け付けますぞよ。自費でお願いよ。 あいやこのツアー、自費の方が安いかもよ。 どんなツアーやねん。 きょう1月20日、午後6時に大阪駅は中央コンコース、大丸前の入口にある巨大砂時計前に集合じゃ。 今回は特別に午後6時半まで待たんか。 そこからすぐに6時37分発の新快速で明石に向かい、一駅返って朝霧へ。 朝霧から龍の湯まで歩いて10分。 午後7時半までには湯舟には飛び込めるか。 午後9時半まで滞在。そして朝霧からふたたび大阪駅に。 着くのは10時半かの。そこで解散じゃ。 あらたな参加希望者はおられませんかや。 「龍の湯」の湯に入ったあと、アッシが参加皆の衆に瓶入りコーシー牛乳・金100円也を振る舞わんか。 なかなかありえへんことですぞ、これは。おっほん。 コーシー牛乳はアッシの入浴後の定番行事なりき。 ゴキュゴキュゴキュ。ノド仏三回ほど上下。 これがうんまい。 午後6時から6時半までじゃ。 大阪駅砂時計前にて。
2006年01月19日
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せやねんな。 アッシは去年のきょう、青春18きっぷを使い、以下のような旅をしているぞよ。 大阪5:00→5:44京都5:49→6:59米原7:10→7:47大垣7:55→9:46豊橋9:48→12:20熱海12:26→12:47小田原13:00→14:11新宿15:00→15:38戸塚15:41→16:52熱海16:55→19:20浜松19:32→20:02豊橋20:07→20:53金山20:55→22:14米原22:19→23:39大阪 当日、着いた新宿は冬の冷たい雨だった。都庁に行こうとしたが、途中どうしても傘がいるようなところがあった。 京王プラザホテル前の歩道でアッシは雨に煙る東京都庁をうらめしげに見つめ、行くのをあきらめ、新宿駅に引き返した。 その新宿駅のホームで帰りの小田原行き電車を待っていたときの風の冷たさを今でも覚えているね。寒かったわさ。 そして明日。 そう明日に迫った小旅行。 急遽、行き先を比叡山から池袋に変更する。 スケジュールはこうなる。 大阪5:00→5:44京都5:49→6:59米原7:10→7:43大垣7:57→9:28豊橋9:35→10:09浜松10:23→12:32沼津12:36→12:55熱海13:00→13:37平塚13:41→14:51池袋14:53→16:14小田原16:24→16:52熱海16:55→19:20浜松19:32→20:02豊橋20:07→20:53金山20:55→22:14米原22:19→23:39大阪 池袋に2分ほど滞在して、駅近くの立教大学も見物して(無理かな)、サンシャインにも昇って(出けへんて)、帰ってこようと思う。出来るか、ドアホ! とまあそうしたいという気持ちもあるが、そこはこらえてあすは比叡山じゃ。 なんせもう参加者をつのり、2名ほど希望者があったからの。 参加希望のCどの、Nどの、あすの8時55分、大阪駅は巨大砂時計前にきっちり集合してねん。よろしくちゃんこなべ。 スケジュールはこうなるかの。 大阪9:00→9:04尼崎9:09→10:01比叡山坂本……ケーブル坂本10:30~~10:41ケーブル延暦寺13:00~~13:11ケーブル坂本……比叡山坂本13:58→14:33近江今津14:43→15:30長浜16:36→18:14大阪18:22→18:59明石20:00→20:03朝霧22:15→23:26大阪 比叡山では根本中堂に行って、伝教大師・最澄自作といわれる薬師如来像を拝み見て、近江今津からは湖西・湖北・湖東に広がっているであろう白銀の世界を車窓から眺め見て、長浜では盆梅展を見る。 そして明石に行って、そこ大蔵海岸沿いにある「龍の湯」に入りにゆく。 露天風呂からは夜空に輝く明石海峡大橋のきらめくネオンが仰ぎ見られるか。 うっふん。いいんじゃない。 思えばあす、アッシにとっては大事な日にもなるであろうぞ。 母の10周年目の命日である。またその日は阪神大震災の11周年目の日でもある。 ひそかな決意を持って比叡山に登り、アッシは母なる琵琶湖に向かってその決意をトロと旅する。めざましテレビじゃん。いんや、吐露するであろう(これが正解)。 ああその1月17日はあすなのねん。
2006年01月16日
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さてさてきのう1月8日はアッシの父の命日であった。 そして近づく1月17日は母の命日なのである。 アッシはこの日、1月17日、たまたま休みなのである。 実はここ最近の数日の間に小生の周辺でこれからのアッシの運命を決める何事かが立て続けに決まっていったのである。 今は詳しくはいえない。未確定なところも残っている。 しかし多分そういう方向でことは運んで行くだろう。 アッシはこの運命の流れの中で決意したあることがある。 いまは秘密である。 別に隠すことでもないが、その思いの発露は1月17日にまでは取っておきたいのだ。 アッシはその日の朝にまずは父母の墓にモデルであろう。 キャットウォークでよろしくね。 あほ。なんでアッシがモデルに。まあ顔なら十分モデルでも通用するがの。ただ足がくさい。ほっとけ。 いやさ詣でるであろう。 堺にあるその墓に詣で、報告したあと、アッシはその足で滋賀は比叡山に向かうことになるであろう。 今年比叡山は開山1200年の節目の時を迎えたらしい。 その年を記念して、日頃は見られない秘蔵品が見られるらしい。 http://syukubo.jp/page013.html そのものの詳しい由来などは知らないぞよ。おっほん。 しかし、今回限りとか何年ぶりとか、タイムサービスとかの言葉にめちゃ弱いアッシ。 今回は単位もケタハズレの1200年記念なりき。 アッシは行くなりよ。 そこでその伝教大師ご自作の薬師如来様なるものにアッシの秘めたる決意を明かすものなり。 そしてその明かしたあとは、明石海峡大橋へ。 その明石海峡大橋が露天風呂から望まれるという大蔵海岸の「龍の湯」へ入りに行こうと思っておる。 http://www.daiei-deve.co.jp/tatsunoyu/ 夕方くらいになるであろう。 そこでアッシはすっくと立って、その時に王子はしょぼんとなってシャボンも付いているかな、むほほ、きらめくネオン輝く明石海峡大橋に向かって決意をあらたにする次第じゃ。 「見よ、このケツイ!」と桑原和男さんばりにオイドをぐんと差し上げて明石海峡大橋に向けんか。おおっ! その旅のお共を募集するぞよ。 ひとりで行ってももちろんいいのである。 ただね、今回は青春18きっぷを使うんじゃ。 アッシはあらたにワンセット買うつもりでおっての。 5日間つかえる。5人まとめても使える。 5日間をひとりで使いたいところだが、その使える期間が1月20日までなのである。 とてもそんな休みが取れないのだ。 できればこの1月17日にまとめて全部使い切ってしまいたい。 最大参加可能人数は5人なり。 大阪駅の巨大砂時計前に当日の午前8時55分集合。 そこからJRの新快速で坂本に向かい、比叡山に登り、降りて、一気に明石に向かい、そこで降りて明石名物の「玉子焼き」を食い、そして近くの大蔵海岸は「龍の湯」へ。 ひとっ風呂を浴びてふたたび大阪駅に帰り着くのは午後7時前後かと。 風呂に入るのでタオルは必携なり。 総費用は各自4000円前後かと。 参加希望者はおられませんかや。 「青春18きっぷ」の販売期限の1月10日までに返事はお願いよ。 よろしくちゃんこなべ。
2006年01月08日
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♪もういくつ寝ると~ お乗ガッツ お乗ガッツには音(ネ)をあげて 腰を痛めて 帰りましょ あや~だ 来るなよ お乗ガッツ とほほ。その「お乗ガッツ」初日がやってきてしまったがな、もしかして。 クリスマス過ぎ、世間はこれから正月準備に入ろうかというこの時期に、灰色系統のだっさい服装で身をかため、ごそごそと、にわかに動き出す連中がいる。青春18キッパーのアホ連中である。 その青春18キッパーがやらかす行動をこの時期の場合は「お乗ガッツ」と形容してもいいのだった。 新幹線や特急に乗らず、いやさ乗られず、ただひたすらに普通列車を使い、あっちらこっちらに時間を無駄に消費して向かう。「お乗」という。 しかもこの「お乗」には根性がいる。根気がいる。精力もいる。 ♪ガッツだぜ パワフルだましい ガッツだぜ! ガッツ石松。OK養豚場のような根性がいるのであった。 その「お乗ガッツ」をこころに秘めてアッシはこれからのこの年末年始の日本諸旅行へとレンブラント(いいねえ。あの人の描いた絵は。うんうん)いやさ出向かんと(これが正解)イカの塩焼き、カモメとともにつつくとなるのであった。 そう。そのカモメ飛ぶ海辺、磯辺にも今回は沢山いっちゃうんだから。待ってておきなはれ、津々浦々の日本の冬景色。 (おっとここで補足だが「津々浦々」は「つつうらうら」と「津々」を「つつ」と濁らずに読むのが正当らしい。 「つづうらうら」では正しく変換されないのであった。この変態機能、もとい変換機能にも教えられることがあるのを知った次第なり)。 しかし行くぜよ。きょうはまもなく5時55分から。 まずは例によって和歌山の岩代海岸に向かうべし。 アッシの冬旅の開始を告げる始球式、石投げを行わなければならぬ。 ここには節目節目には必ず行く。 アッシの趣味とする石投げのいわばフランケンシュタインなのじゃ。 うん!? なぬぬ。フランチャイズなのじゃ。これが正解よ。 行くべし。 きょうからの予定をまずはおおみそかまで書いていくかの。 12月26日 大阪6:15→6:19新大阪6:27→9:20岩代10:19→10:49御坊11:00→12:08和歌山12:13→12:36日根野12:49→12:59関西空港13:52→14:55大阪18:15→18:19尼崎18:24→19:51米原19:56→20:28大垣20:40→21:10名古屋23:55→4:42東京 12月27日 東京5:20→6:53根府川7:26→7:42熱海10:36→10:58小田原13:00→13:28大船14:35→14:42鎌倉16:00→16:58新宿17:00→17:02新大久保21:58→22:00新宿23:09→4:51新潟 12月28日 新潟5:18→5:36新津6:06→8:46会津若松11:07→12:16郡山12:42→13:28福島15:01→16:21仙台 12月29日 仙台5:30→8:27いわき9:45→10:21磯原11:51→15:03上野15:08→15:13秋葉原16:30→16:35東京20:00→20:20新宿23:54→5:36白馬 12月30日 白馬6:59→7:38信濃大町7:43→8:40松本10:19→12:33中津川12:40→13:55金山14:24→15:40米原15:54→17:14大阪 12月31日 大阪0:15→7:45松山8:38→10:43八幡浜…(徒歩30分)…八幡浜港11:45~~14:00臼杵港…(徒歩20分)…臼杵16:47→18:36延岡18:43→20:22宮崎20:58→23:32鹿児島中央 たはは。まさに「予定」やな。 このママ、行くがパパに天候オヤジ、冬将軍が許してくれるハズもなし。 あっちこっちで変更タマゴを余儀なくされるであろうことは言うをまたず。アッシはまたにパッチを穿かず。 あかん。あかんでえ。 パッチはこの旅では必需品なりき。 この冬は特別よ。 「パッチを穿いた渡り鳥」ならぬ「パッチ重ねた渡り鳥」でいかんとの。 さればいざやそのマリさんの初日なりきか。 うっふん。 日本の冬景色よ。お化粧してアチキをお待ちあれ。 今年はとくにその化粧の度合いが濃そうよのう。 楽しみ~。 パッチ重ねた渡り鳥、いざや出陣。まずは歩いて大阪駅へ。 うっふん。
2005年12月26日
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♪神宮梅(うめ) 神宮梅 神宮温度上~ 上がれば 咲くよ 神宮梅 イエイ! きのうは「ジングルベル」の歌も盛んに日本列島、うんにゃ世界各地で流れ、いま現在も流されているのであろう。 クリスマスである。聖夜である。せいやな。むほほ。 その聖夜にながれる「ジングルベル」の歌が実はこの日本が発祥の地であることはほとんど知られておらんの。 またその歌がキリスト教とは縁もゆかりのない、いや「対抗勢力」といってもいい伊勢神宮の歌であったとは誰が知る、ダンゴ汁。 しかも、しかも、いのししもよろしくね。 この「神宮梅」の歌は冬の歌ではない。 春、雪が融けて梅が咲き出す季節に盛んに歌われたものなのじゃ。 その伊勢神宮に春が訪れ、あたりの野原に梅が咲き競う季節がやってきたことを祝う歌であったんじゃの。 続きはこうだ。 ♪レンゲ咲き ウグイス鳴くよ ホッホラホケキョ イエイ! こんな歌であったんじゃな。おっほん。 維新おとずれ、明治になった日本には外国から盛んに異人さんがやってきた。 その中に伊勢に訪れた、ホナレンコ・カッテニスキナベ・オイシカーレという、うさんくさい神父さんがおったんじゃ。 神宮を訪れた時にたまたま聞きとがめ、「なんだかええやん、もしかして」と思ってしまったらしい。 それを故国はイタリアのドシタノカーナ地方に持ち帰り、クリスマス用に置き換えて、そこから急速に世界に普及していったという。 う~む。きわめてあり得る(「アリウル」と読まれるべし)話じゃの。うっふん。 どこがさあ! この歌には伊勢神宮のほかに明治神宮バージョンすらある。 ♪神宮前(江戸っ子は「前」を「めぇ」と読む。だからここは「じんぐうめぇ」と歌ってね)神宮前 神宮温度上 上がりもするぜ 初詣で イエイ! おもえばすっごい人波が集結する明治神宮の初詣で。 来週のいまごろはさぞや押すな押すなの大騒ぎ。 その人いきれが神宮周辺の外気の温度さえ上げてしまうのだった。ああ。 続きはこうだね。 ♪お岩さんも 参るよ 神宮前 イエイ! あの幽霊になった四谷怪談のお岩さんもやってくるという明治神宮の初詣で。ただ悲しいことにお岩さんは初詣客のその人数には数えられておらん。 夜は見えるかも知れんが昼はちょっと見づらいからの。カウントは無理やなという警察の判断らしい。 しかし心ある庶民はそれを許さなかった。 せめて歌にだけにでもと「お岩さん」を加えたのであった。 さすがは江戸っ子。磯じまんとちゃうがな。 やることは粋やね。「粋」に感ずるとはこのことかい。 ああ「神宮梅(じんぐううめ)」、はたまた「神宮前(じんぐうめぇ)」の歌。いつのまにか世界に広まる歌になってしまった。 ホンマはワインなんかより梅酒がお似合いなんやが。 しかも春先に歌うのが正式なんやが。 きょうも世界で歌われる「ジングルベル」ではある。 さてきょう、あすからの旅の予定を組まんか。
2005年12月25日
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きのうは旅に備えてでもないのであったが、なんと午後8時前にはチャイマンネン床に入り、エミネム、ノマネコ、ネムネム状態に陥ったであろう。 ゆえに「ぐるナイスペシャル」でだれが自腹を切り、だれがメンバーをクビになったか知らんのじゃ。 まあ順当に考えれば船越英一郎さんのハズやが…。 もはや知っておられるひともおるやも知れん。 アッシに言ってはイカの塩焼き甘酢あんかけ胡椒ぶっかけ(えっ。コショーてこんな漢字やったの。「小椒」とばかり思っておったが。思えばこの「胡」は「えびす」とも読むの。異国のひとを「えびす(胡)びと」とも昔は言った。 その「えびす」から来たビールなのでエビスビール、んまい! うんにゃ、「えびす」からきた椒(木になるちっちゃな実)をさして、胡椒と言ったか。よろしくちゃんこなべ。勉強になったね。ハックション!) 鼻に効くぜ、胡椒はよ。 さてさてその胡椒話から故障話へ。 さてさてどうもきのうは頭がいたく早々にチャイマンネン床に入った私大、公立大もよろしくね。もとい「次第」であったんじゃ。 ゆえにマジかよに迫った「放浪流し台ほんのちょっぴり冬の旅」の行程作りも出来なかったんじゃ。とほほ。 おもえばきのう普段では決してしないことをやらかしておるからの。それのたたりかも知れん。 実はの、ふところ寒きこの中でアッシは衝動買いなるものをきのうやらかしている。 なんで買ったのう。どうして買ったのう。 アッシは買ってしまったあと、愕然とした。 多分そのものを買ったのは人生で初めてであったかも知れぬ。 その買ったものとは実に……。 ドコドコドコ~。ここはドコ~。 ハツオモテします。発表します! イチゴのショートケーキであったんじゃお立会い! ショートケーキてあなた! それもイチゴがのっかったものてあなた!! 他人(ヒト)から贈られた、あるいは親から与えられたことはこの人生でほんの何回かはあったにシロップ(ホットケーキにかけてね)アッシ自身が自ら、おのがお金を出して買ったのは多分きのうが初めて。 なんてこったい。なんでこんなん買わんとあかんねん。 アッシの愛車「りん号」の前カゴに載せるときにアッシはロダンの「けんげえる人」(江戸っ子はこういうのよ。あった棒よ、物置にね)のように手をあごに当てて悩んだものだった。 う~む。うむうむ。 そのショートケーキを買ったは行きつけの例のスーパーTよ。 あそこは千円以上買うと特価1円で売る品物を買う権利を得られる。 どうしても千円以上買ってしまう。にくいぜ、このやり方。 アッシはきのう800円くらいまでは買えたのである。 しかしこれ以上買うものもないしなあと悩み始めたそのときにアッシの目の中に飛び込んできたのは「イチゴのショートケーキ」、ワンパック270円也であったんじゃ。 買ってしまったんじゃ、思わず。 それで1000円突破。 レジにも持っていってしまったがな。 結果アッシのあばら家までその「イチゴのショートケーキ」はやってきてしまったのさ。むっほん(むっふんとおっほんの合いの子のような感じなのね)。 はじめてのご訪問である。 アッシはどこにおこうか悩んだ。 そのまま玄関先にホットケーキというわけにはイカの取れたてフラダンスやろ。 う~ん。ケーキか。 この景気よくないアッシのふところ…。 アッシはそこでなぜかもう即座にその「イチゴのショートケーキ」を食べちゃってしまっている。 う~む。こんな味、こんな出棺(最後のお別れです…。なんでやねん)食感であったか。 「イチゴのショートケーキ」、結構うまかったな。 味わいのある「衝動買い」ともいえたの。 きょうのイブ、さて何百万個の「イチゴのショートケーキ」が消費されることやら。 アッシはきのう一日早めに食べました。 めでたしめでたし。
2005年12月24日
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思えばきのうで小柳ルミナリエは終わっておるの。 しかし終わるものあれば始まるものあり。 北原ミレナリオが24日から始まるのじゃ。 その北原ミレナリオ会場で流れる歌は当然「おいしい麺か」であろう。 ♪腹が鳴るから 日清食うとお~ 赤いキツネの マルちゃん騒ぐ~ それは「石狩挽歌」であったかの。むほほ。北原ミレイさんでもあったしぃ…。 神戸ルミナリエがすめばバトンを引き継ぐように東京ミレナリオが始まるのじゃ。うっふん。 http://www.nifty.com/millenario/flash/index.htm しかしこの東京ミレナリオ、先日の日記にも書いたが今年でお役御免、取りやめの沙汰とあいなった。 数年後また再開するのかも不明だし、他の場所で代替開催しそうという情報にも接しない。 今年で見納めやとの覚悟も決めて臨まないとえらい目にあうぞよ。 ですから今年はなにがなんでもすべってもころんでもあるいはお尻が二つに割れても、あっ、もう割れてるがな。 おっとこれは生まれた時から割れていたんやな。 割れていたればこそオナラも出来る。ほっとする。 割れていてありがとう。 とにかく絶対に、100%行く。 止めてくれるな、ハナらっきょ。 思えば去年はこのミレナリオ東京を見逃している。見ようとしたその日に雪が降り、急遽中止に。 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=5748175&owner_id=112600 なんでやねん。はるばる大阪から来た人間の苦労も考えんかい。 しかし事務局は知らんぷり。あっさり中止けつかるのであった。 しっかし今年はそうはさせへんで。 アッシは27日と29日の晩をこの東京ミレナリオを見るためだけに用意するぞよ。 待っておきなはれ、北原ミレナリオ。 ♪腹が鳴るから キツネを食うとお~ 黄色いカレーも 食えよと騒ぐ~ キツネもうまいがカレーもうまいどん兵衛ではあるね。 しかしほかに食うもんがないんかい。たはは。 さてさてこの年末、その東京ミレナリオのほかには名古屋駅前の「タワーズライツ」も当然見まする。 http://silver.nightfall.jp/weblog/item/85 いやさ他にも南新宿の「新宿サザンライツ」もね。うふふ。 http://plaza.rakuten.co.jp/uravon/diary/200511190000/ 待っててタマネギ。 また天候がよければ仙台にも赴かんか。「光のペ-ジェント」も楽しみではあるが、あそこは街の中をあるくだけでこころがほんわかしてくる。 http://www.sendaihikape.jp/pc/pageant.htm 街に歴史の重みがありながら、やさしく包む丸みもあって、なんだかめっちゃ落ち着く街なりき。うっふん。 行くぞよ。またあっちっこっちにと。 道祖神のオヤッサンのムチが飛ぶ。 この厳寒の日本の大地。さてアッシの足跡をどこに付けられるかしら。 きょうその予定を組むべし。 あすクリスマスプレゼントとして皆の衆に発表せん。 いらんわいといっても受け取りなされ。たはは。 きのうの朝は大阪も猛吹雪。昼にはからっと晴れ上がるええ加減な天候であったぞよ。 さてきょうの天皇誕生日は。 アッシはきょうも外での配達稼業が待っている。とほほ。 まああと三日でしばらくおさらばだが。 それまで待てよ、日本のすんばらしい冬景色。 うっふんラブ。
2005年12月23日
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♪ア~イ ドリーミング オバ ワイと~ 栗すます この「ワイと栗すます」は大阪地域限定の「ふるさとの歌」ともいえるの。 誰も相手がいない大阪のもてない野郎がなぜかオバとクリスマスを過ごすことに。なんでやねん。 しけたクリスマス! そのオバにクリスマスケーキなんてもったいない。ここは栗ですませておこうという歌なんじゃ。 どんな歌やねん。 せやけど栗は天津甘栗。めっちゃ甘くて大きいねん。 クリスマスバージョンやな。 「オバちゃん、栗で我慢してえな」 「がっくりやわ」 「そこをびっくりしてえな」 「しゃっくりぐらいしか出えへんわ」 オバちゃんはミヤコ蝶々さんにそっくりやねん。こっちがガックリじゃい。たはは。 ああオバと過ごす「ワイと栗すます」、ワイはごめんやが…。 しかしきょうは天候が荒れそうじゃワイ。 ワイの大阪にも「ワイと栗すます」ならぬ「ホワイトクリスマス」が本当にやってくるカモネギ音頭。 ♪雪は降る あなたは来ない 雪は降る~ あなたは来ない~ 来るわけはなかった。待ち人はころんですべってスッテンころりん。 雪でころんだのではなく、バナナの皮にすべって転んだのだという。 めっちゃ恥ずかしい、古典的なパターンで転んだのだった。 そして頭を打った。 救急車に乗るとき、その人は叫んだ。 「雪で転んだことにして~」 バナナの皮ですべったなんて、そんなバナナと突っ込まれるにきまっている。めっちゃバカにされる。 「ここは雪ですべったことに…」 転んだ人はワイロを渡そうとした。それも天津甘栗で。 救急隊員は言った。 「ケーキにして…」 たはは。そんなやり取りも予想されるホワイトクリスマスやな。 ひょっとしてやってくるかもよ、この「ワイと栗すます」の大阪にもね。 あと二日でそのクリスマスもイブ。 うふふのイブかい。 もちろんアッシにはなんの予定もなし。 これでいい。 世間が騒ぐときに静まるのがアッシの流儀なのじゃ。おっほん。 アッシは26日から騒ぐなり。 まずは関東・東北方面に遠征じゃ。 待ってておくれ、お雪ねえさん。
2005年12月22日
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困ったもんじゃのう。 神戸ルミナリエ、今年はその開催期間が22日までに短縮されておる。 いつもは25日、クリスマスの日まで点灯されるハズなんじゃがの。 http://www.kobe-luminarie.jp/ 今年、そのルミナリエ会場への地元駅となるJRや阪神の元町駅の駅員は物憂いと思うで。 きっとイブの24日、あるいはクリスマス当日の25日、ルミナリエ目当てでやってくるヤカラが数多くおるハズなんじゃ。 大半がバカカップルかい。 事前に調べもせず、ただ去年がそうやったからとノー天気そのままに来るんだろうな。 その度に駅で繰り返されるやり取りが今から想像できるな。 「ルミナリエはどこナリエ?」 「ナシナリエ」 「ナゼナリエ?」 「知るカイエ!」 23日以降、駅員はそんな会話を何百回も繰り返さんとイカの取れたて踊り食いであろうて。 とても食えないが食わんといかんのじゃ、もしかして。 アッシはそれらの対応に追われるであろう駅員に「ルミナリエ短縮応対特別手当」を与えてやってもいいと思う。 このルミナリエではJRや阪神はきっとたんまり儲けているであろうからの。 しかしそのルミナリエで儲からないのが当の開催事務局であるらしい。 企業や団体からの協賛金が年々減っておるようで。 金もなければ、集める意欲もない。 ほなら期間の短縮で。 見たいのに見れない。 バカカップルにはつらい、イブやクリスマス当日にはない神戸ルミナリエではある。 しかしアッシは行かんとイカの姿三四郎、エイヤっ、いやさ姿焼きなのさ。 この神戸ルミナリエはあの阪神淡路大震災の犠牲者の霊の鎮魂の意味を込めて始められたのじゃ。 今年で11回目になるのかしら。 アッシは多分2回目の年から行きだし、以後は毎年欠かさずに行っているだろう。 初めて行ったときは、当然その美しさに感動して泣いたものでもあろうが、より以上にやはりその震災犠牲者に思いが至り泣いている。 いやそれ以上にアッシにはこの阪神淡路大震災のことに思いが及ぶときに亡くなった母に当然思いがたどり着くのである。 母はその阪神淡路大震災のちょうど一年後の平成8年1月17日に亡くなっている。 思えば来年はその10年目に当る。 それがあるためにどうもこの神戸ルミナリエに行くと震災の記憶から母の記憶へと思いがつながり、まわりの幻想的なイルミネーションも手伝い、涙がとめどもなく出る。止められない。 まわりの人は「なんやこのオッサン、泣いてるで。アホかいな」と見てるんであろうが、ほっとけである。 人には人の事情がある、 いくら混もうがいくら寒かろうが、あるいはいくら天気が悪かろうが、この神戸ルミナリエには絶対に行くのだ。 それが震災犠牲者につながり、母へとつながる。 今年で11回目ですか。 するとアッシは10回目の神戸ルミナリエ。 はじめの頃にはなかった写真機能付きの携帯電話が鶴の首のごとくに頭の上に伸びアッシの目をさえぎるのであろうな。 こんな面でも携帯電話はこの世にはいらんな。 きょう行くべし。
2005年12月19日
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♪もうい~くつ 寝ると お正月~ 和尚が勝って コゾ(小僧)走る 早く食いたい 焼きそばパン パシリになってコンビニに焼きそばパンを買いに行かされたナンデヤ念。この寒空につらいっす。 和尚勝つ。ジャンケンで勝ったのですな。 おっと。その「和尚勝つ」じゃねえの。お正月なの。 お正月まであと半月ですな。きょうを入れてあと17回寝れば夢のお正月ですか。キャッホー! い、いらんわ。 この歳になってお正月もへったくれもあるか。 思えば小さいころ、あれほど待ち焦がれたお正月の三が日。 いまではもうただの365日の中の3日間になってしまいましたぞ。 さほどの感慨も湧かず。 いかんな、これは。 もっと人生にメリハリをつけんとな。 日々に感動これ新たなる人生を送らねばならぬ。 さてそこでの話となるが。 お正月、その日がくれば日本人ならその過半が初詣でなるものに赴くの。 もう猫も杓子も、犬も箒も、亀も便器も…。 たはは。さすが便器かかえての初詣でもつらいものがあるの。 しかし便通は人生で避けて通れぬめちゃ大事なもの。 その大過なき毎日のお通じを便器かかえて祈るのもいいかもしんない。 まあしかしさすがに便器かかえて初詣でに来ている人は見たことはないがの。 そんな人がいてもいい。といってもアッシはお断りするがの。たはは。 いやここでは今ひとつのお参りをお勧めしたいのじゃ。 それは初詣でならぬ「終い詣で」をしませぬかねと。 「姉妹も腕」。たはは。変換言葉にもないこの言葉。 12月、この年の瀬に神社仏閣にお参りすることを仮に「終い詣で」と名づけたいのじゃ。 初詣でにひとは行く。 何をお願いするのか、祈るのか。 ただただ、そこでは、願望や希望があるのみなのだ。 願いごと専門になってしまう。 なにせそこから一年が始まるからね。 ひとの祈りもそうならざるをえん。 しかし神様仏様はあんなに沢山の人たちから一気に大量に願われて、さてその思いをしっかり聞き届けてもらえるのだろうか。 まあ神様であり仏様であるからね。その能力は十分お持ちであろう。 しかしああも願いごとばっかりされては神様仏様もいい気はしないのではないか。 12月、この年の瀬、暮れも押し詰まったこの時期に神社仏閣にお参りする。するとどうしてもその拝殿前では人間、謙虚になるのだ。感謝の気持ちが湧いてくるのだ。 この一年、大病もせずに過ごしてこれました。いろんな苦難ももちろんありました。しかしこうして今この拝殿前に立てておられます。 これも神様仏様、あなたさまのおかげだっせ。 そういう感謝の言葉しか浮かんでこないのだ。 願いごと、叶えたいこと、実現したいことをただ祈りに行くのが能ではない。 神社仏閣に感謝をしに行こう。 そのための「終い詣で」である。 きょうかあす、時間がなければおおみそかまでに、どこかの神社仏閣に行ってこの一年の無事を感謝すべし。 よほど神様仏様もうれしく思って下さるだろう。 いかがかな。
2005年12月15日
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しっかし寒いな。 小さいとき、こんな寒さになると、なぜかしらアッシの口をついて出る言葉が「サムキッタンの寒ぶくろ!」という言葉であった。 どこにその由来があるか知りませんがの。 寒い。肌に出来るサブイボがサブイボ氷山になりかねん寒さやな。 音頭、ヨヨイのヨイ。あ~、コリャコリャ。 その音頭じゃねえの。温度(これが正解)ヒトケタであることは間違いあらへんやろ。 「九度う静香」の九度なのか。 あるいは「みなしご八度」なのか。 「七度こび八起き」なのか。 はたまた「六度っ首」なのか。 場合によっては「五度うを待ちながら」なのか。 「四度ルは飛んでゆく」はサイモンとガーファンクルやったねえ。 「てなもんや三度笠」。当たり前田のクラッカーさんがスポンサー。 「コーヒーには二度」かい。クリープもよろしく。マリームも忘れないでやな。 「♪一度だけならあ 許してあげる~」。野村将希さんの流行り歌とちゃいまっか。オサルのお尻はマッカッカ。しかしてシロクマお尻は真っ白け。 ひょっ、ひょっこりひょうたん島! 今は高島0度さん!? たはは。礼子さんやな。 まさかレイレイドイホー。 ヨウデルもヨウデルかいなの、零度イカ、タコもよろしくなの~!? 凍てつく寒さ、こおりつく寒さやんけ。 おっとここでにわかにひらめく灯りあり。ピカリ~ン。 こんな寒さつのる日に冷蔵庫からの線を電気コンセントにつなぐあほらしさよ。 電気代がもったいないがな。 冷蔵庫より冷蔵庫の外の方が冷たいときていやがる。 おもえばこの時期、ゴキゾーがときたま冷蔵庫の周囲に見られるのはこのせいか。 温暖化が急といわれるこの地球。 しかしこの時期、この季節、この日本、このアホ大阪にはしっかり寒気、特段級の寒気がやってきておる。 それはどこから。 サイベリアから。 英語の発音ではシベリアをサイベリアという。 ペキンは「ベイジン」なのだ。米国人が中国の首都を「米人」とはこれいかに。 いや、中国の人が北京を「ベイジン」と言っている。 なぜ、いつ、日本語でシベリアと、あるいはペキンというようになったのか。 アッシは「ペキン五輪」は「ベイジン五輪」と言おうと提唱したいね。 少しは中国人の日本に対する心証もよくなるかもよ。 その冷えた温度が一度くらい上がるかもよ。 しかし今そこで冷えた寒気がその中国大陸からサイベリア方面からドカッとやってきておる。 冷えた日中露の関係は天候でも続くのか。ああ。 寒いのお。
2005年12月14日
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ええさてさて、きのうめでたく「でえ一回」(江戸っ子だね。博多ネ。山笠命ばい)「よろしくちゃんこ鍋の会」がアッシあばら家「大広間でないのでお間」において賑々しく華やかに、かつは盛大に執り行なわれたのでありんすわいなあ。 その栄光の、歴史に燦然と名を残すであろう「でえ一回よろしくちゃんこ鍋の会」に馳せ参じていただいた方は…。 大阪は湾岸・高層マンションにお住まいのJどの、枚方は枚パー近くの一軒家にお住まいのCどの、豊中は庄内ちかくの長屋にお住まいのNどの、そしてここ地元は福島区の高級アパートにお住まいのCどの、そして加えてこのあばら家に住まっている大阪うっふん男前野郎のアッシなのでした。 計は5名やな。 この5名はこれから日本各地で行われるであろう「よろしくちゃんこ鍋の会」のさきがけ、先陣を切ったものとして、長く長く人々の記憶に、ああ、残ったらいいねえ。たはは。 きのうはあなた大きな荷物用自転車がその荷物で道中何回もこけかけるような大量の食材を買い求めてきたものなり。 どっこらしょ。 日頃アッシが食わぬものばかりぞ。魚なんて肉なんて買わへんからね。 パンやカップ麺が日頃の主役。それがまあきのうは豪華絢爛。 発泡酒でもその他の雑種2でもなく、正真正銘のおビールさんが登場したなり。日本酒も焼酎もあったなり。うっふん。 なかでもアッシがこだわったのはダシぞ。 これはええもんを買ってきました。「ちゃんこ鍋」用の味噌味のダシでしたの。 鍋はダシが決めるんとちゃいまっか。オサルのお尻もまっかっか。 ダシが勝負じゃ、そうダショ~!! 思えばきのうの「よろしくちゃんこ鍋」、そのダシがご参加皆の衆に至って好評であったの。おっほん。 いろんな食材がそのダシによくトシちゃんし、おっとマッチし、ええ味が沁みこんでおったでござんすよ。うっふん。 その半面、ご参加皆の衆には至って不評であったのがその「大広間でないのでお間」におけるその部屋の温度ね。 その音頭、ヨヨイのヨイ。じゃなくって温度が外とほとんど変わらぬ零下マジかよという温度であったんじゃ。たはは。 それはまるで。秋田県は横手でみられる雪で作って固めたカマクラの中でしているような鍋の会であったんじゃ。 冷える冷える。 その冷えを少しはあっためるは鍋から上がる湯気のあったまりだけであったんじゃ。 アッシは日頃の、このあばら家の冷気には慣れておるんじゃが、ご参加皆の衆には少々きつかったみたいじゃの。 部屋に入る時に脱いだオーバーコートをまた身にまとう始末。 ああ重ね着、厚着をしての「でえ一回」(江戸っ子だね。鹿児島でごわす。桜島ラブでごわんど)よろしくちゃんこ鍋の会はブルブル震えながらの鍋の会でもあったんじゃ。 そういう鍋の会もあっていい。たはは。 実はアッシの家には石油ヒーターがあるにはあったが、肝心要の灯油の買い置きはしておらなくての。 今度よろしくちゃんこ鍋の会をこの「大広間でないのでお間」で開催するときは誰か灯油を持ってきて。 「灯油う訳で」 「アッシがプアー、貧乏だから」 ほっとケーキ! あえてそうする心意気。 石油ヒーターがあるのに使わない男の美学を誰や知る、お味噌汁。おっほん。 しかしこれはアッシの美学できのうの参加者には迷惑であったかもネギ音頭。 こんどはあったかい「よろしくちゃんこ鍋の会」にしたいね。 だれか灯油をよろしくちゃんこなべ。
2005年12月12日
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さてさてきょうはその歴史に燦然と輝くに違いない(ピカリーン!)でえ一回(江戸っ子だぜ。船場の生まれでんねん。大阪やがな)よろしくちゃんこ鍋の会、その当日の日でござる。 よろしくちゃんこ鍋。 よ…ヨーロッパの王朝貴族の晩餐のような ろ… ロシアの宮廷料理のような し…シャンデリアが光り輝くその下で く…食うもの飲むもの、たあくさん ちゃ… チャイナドレスのお給仕さんも侍らかし(うっふん) ん…運勢好調、胃腸は絶好腸(いいよう。この調子) こ…コナン・ドイルも舌を巻き、退散していくそのミステリアスな味 鍋…鍋に、そんな鍋にああなるかシーラカンス ああ栄光のでえ一回(江戸っ子だね。大須の生まれだぎゃ。名古屋やだがね)よろしくちゃんこ鍋の会、本日開催。 時間は午後2時からどす。ご参集できうる方は集まっておくれやす。 なおオッサンの定員は締め切りましたどす。おっぱいどす。いやさ、いっぱいどす。 あとは若干のレディース枠が残っておりんす。 大阪はキタ、梅田スカイビルから南に歩いて300歩、アッシあばら家にて開催明太子でごじゃいまする。 なおまことに恐縮ながら各自から1000円ほどご徴収いただきとう存じます。 この鍋のそもそもの勧進元のJどのが至って食通の方。 「鍋はオッサン、贅沢に作らなあかんで、もしかして」 大阪男前野郎をオッサンとは。しかし勧進元。ここは下から下から。 「あれも買え、これも買え、それも加えろ」とまあ注文の多いこと。 飲み物類も豪華絢爛。 まあ一万円ははるかに越える出費なり。かくいうアッシも出さんとイカの丸呑み踊り食いなり(食えるか)。 とほほ~。これは痛いの。 その痛みをほんの少しやわらげてホイシカなりよ。 まことに恐縮ながらそこんとこはよろしくちゃんこなべ。 しかしここにひとりのオッサンあり。 どうしても参加したいといいなはる。 「いやさ。実際に参加するわけではない。ワシはみんながうれしそうな顔をするのが見るのが好きなんじゃ。ここに少ないが置いておくぞよ」 おっと、そこにはポチ袋(犬が入っているわけではないぞ。念のため)に入れられてなんと5万円が。 「ここ、これは~!?」 「少ないがそれで料理のタシになれば」 「タシどころかめっちゃいいダシがでそうです」 「ほんならの…」 とあるオッサンはポチ袋を置いて(ワン!犬じゃないって)去っていかれようとした。 「まるであなたはセント・ローレンス・オリビエ卿のような方…」 「なぜに私の名前を知っている」 「うっそう!? あてずっぽに言っただけなのに…」 「いや。うふふ。あなたの口から言わせるようにテレパシーを送ったんじゃ…。ほなら」 その外人名前の大阪弁を話す変なオッサンは風のように去っていった。 ミケ袋を置いて。いやさポチ袋を置いて…。 ああ、そんな奇特なオッサンも歓迎する、でえ一回よろしくちゃんこ鍋の会、きょう開催です。
2005年12月11日
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ここで緊急重大スペシャル発表なり(しかしこの「発表」の文字。キーに打ち込むときのなんたる難しさよ。一発で出来たためしなし。どやってアルファベットを順番に打ち込むねん。ややこしいのでアッシは最近はまず「HATU」で「発」と「OMOTE」で「表」を出しとりま。おっほん)。 来る12月11日の日曜日。 第1回「よろしくちゃんこ鍋の会」をアッシのあばら家「大広間ではないのでお間」において、華々しく賑々しく開催明太子することがここに決定マンモスしたのじゃ。パオ~ン! 刻限は高峰三枝子さんや山口淑子さん、あるいは森光子さんの時間「三時のあなた」ならぬ「二時のワイドショー」、午後2時からぞ。 虹をわたっての二時やな。漢字も「二時」で二字。分かりやすいやん。 その日、その刻限にアッシのあばら家にご参集できうる者は集まらっしゃい。 すでにあなたアッシを含めレディ2名、オッサン2名の参加は決定しました。 あと2名くらいの参加もOK養豚場andヨシコちゃんなり。 さてさて問題はその「よろしくちゃんこ鍋」の中に入れる具材やが…。 アッシも考えてはいる。 まずは「よ」。ヨードチンキ。「ろ」はろくろっ首。「し」はしゃれこうべで「く」はくたびれた靴。 「ちゃ」は茶バネゴキブリ、「ん」は雲母、「こ」は粉石鹸で、「鍋」は鍋そのもの。 鍋に入れる鍋は使い古した鍋がええね。そのフチから、沁み込んだええダシがきっと出るハズ……。 あほ。あほ~~~。 こんなん食えるか! オカルトやん。「しゃれこうべ」てあなた。 どこで調達するねん。学校の理科室からかい。 他にもまあ食えんものばかり。 いらんわ、こんなん! とにかくじゃ。 来る12月11日。大阪駅から歩いて11分のアッシあばら家「大広間ではないのでお間」において、記念すべき第1回「よろしくちゃんこ鍋の会」が行われるであろうことを皆の衆にここにお知らせ明太子するのものでありんす。 体は参加できないが具材だけは参加できそうという人も歓迎です。 アッシの家に送るか持ってきてん。うっふん。 すみやかに調理して「よろしくちゃんこ鍋」のなかに加えんか。 ただし言っておきますが、正しく食えるものをお願いよ。 「よ」で羊羹をいただいても。 鍋にふさわしきものを。 ふらっと参加も歓迎しますぞよ。おいなはれ。 さてさて当日どんな鍋の会になりますことやら。 楽しみなような怖いような。たはは。 あと4日です。 よろしくちゃんこなべ!
2005年12月08日
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そう。思えば今は12月、歳の暮れ。略して「歳暮」。ていねいに言えば「お歳暮」。 思えばこの「お歳暮」なるもの、アッシはこの人生でヒトにやったことも、あるいはヒトからもらったこともほとんど記憶にないですぞよ。 まあシガには住んでいないシガない人間であれば。 とりたてた役職に就いているわけでなし、なにやらの分野で貢献したということでもなし。 持っているものといえばこの男前の顔とくさい足のウラだけ。 持たざるものはお金とネットバンキングの口座かい。 いやあったかい家も今はもっていない。この寒風ふきすさぶあばら家に住む身とあいなってしまった。とほほのほ。 だれが押せイボなんかくれるかい。イボイボ~。 イボを押してどうすんねん。 誰がお歳暮なんかくれるかいっていう話やな。う~む。 しかしここで待ちなはれ。長谷川町子、渡辺真知子さんしなはれ。 アッシもこのネットの世界に親しんで、もはや5年近くの歳月がお流れマンボしておる。う~、マンボッ! その5年の歳月の中ではいろんな人ともお尻愛になっておる。 ハードゲイで~す。レイザーラモンどぇーす。フォ~。 あほ。そのお尻愛じゃねえ。「お知り合い」になった。これが正解よ。 そのお尻愛の中には、うっふん、違うのよ~。 お知り合いの中にはきっときっとアッシになにか贈りたくてたまんない人もごくたまにおるかも知んないに都々逸。 そういう人のためにアッシの好みを言っておきましょうかいね。念のためにの。 そんなヤツ、おらへんやろう。 うんにゃ、世の中は分からへんぞ。 どこに誰が、幸せをアッシに運ぶ天使や妖精がひそんでいるか知れたものでなし。長十郎ナシ。 さればアッシの好みをばひとくさり。 まずこの季節、なにをおいても「青春18きっぷ」のお歳暮がなによりもうれしいね。11500円。ちょっと値が張りまっけど値。ぐふふ。 その一日分2300円のでも蚊です、ぶ~ん。いや、可です。 あとはマクドナルドのカード。500円で売ってます。これでもいいです。いきなり500円へ。やすっ。 しかし旅へ行けばそのマクドナルドが「主食」になりますゆえ、何枚いただけてもありがたいのですじゃ。 ほかにはのう。鮮魚類甲殻類をいただいてものう。料理をするのが大変ですし、知りもしませんし。 あっ、米もいいですな。何粒でもいいです。いやできればひと袋、いやもっと、一俵はほしいところ。 アッシに清き一俵を。たはは。 そう。そのお歳暮のお流れでもいいですぞな。 もう処分するのに困ってますの。だれかいただいて。 アッシがそのいただいて候補に名乗りを上げましょうぞ。 全国津々浦々にまで出張お受け取りにまいらんか。 ああアッシに誰か押せイボを。ツンツン。 そのイボじゃねえの。 お歳暮なりき。 今年いっぱい、なんなら年が明けても受け付けていますです。 よろしくちゃんこなべ。
2005年12月07日
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顔が「クロイツェル・ソナタ」ならぬ「黒いぜよ、そなた」のみのもんた氏が黒組司会者、出場者は「黒のカリスマ」松崎しげるさんのみ…。 違いましたな。みのもんた氏は白組司会者でしたな。 そのみのもんた氏が司会を担当する今年度の紅白歌合戦の出場者がきのう発表されましたな。 http://www3.nhk.or.jp/kouhaku/news1201.html その紅組出場者の名前の欄にいきなり「AI」なる方が。 誰やねん。 その今年の紅白にはアッシの見たことも聞いたこともない歌い手はんがズラリ出場されるのでした。 とほほ。これを見るだにアッシも歳を取ったもんやのうと実感しまする その紅白歌合戦の出場者発表。アッシは毎年、その出場者以上に関心をそそがれるのがその「不出場者」。 だれが去年から「落選」したんやと。 まずは小泉今日子さんが出ていない。なんでえ。西川峰子さんもそや。麻丘めぐみはん、アグネス・チャンも出てへえへんぞ。 あっ、南沙織さんは!? またあの髪ボサノバの写真家亭主が紅白出場に待ったをかけているのか。余計なことをしやがるわい。 小川知子さん、伊東ゆかりさん…。ジュンとネネも出てへえへんぞ。バカー。 白組では鶴岡雅義と東京ロマンチカが出ていない。「小樽のひとよ」をぜひ歌ってホシイカではあったが。 おもえば藤正樹さんも出ていないし…。 むちゃくちゃな今年の紅白出場者の人選ではある。 たはは。それはオノレが古すぎるってか!? かも知れん。 その紅白不出場者を知りたい方はこちらのページへ。 http://www1.plala.or.jp/nakaatsu/ なんと紅組では安室奈美恵さんが、白組では飛来軒(ラーメンいっちょう!)、違う、平井堅さんが出ていないぞ。 これはニャンたることをサンタのオジサンやってこないやな。 なんでやねん。 まあこれはむしろ歌手側の方が紅白を辞退したと見る方が適当であろうな。 しかし松田聖子さん。出てほしかった。大好きやねん。 アッシは歌手のコンサートなど金輪際見る気も聞く気もないが、ただおひとり、松田聖子さんのコンサートだけには入りたい。みたい。聞きたい。涙を流したい。 あの人だけは別。 おっそろしく歌がうまい。歌が体じゅうに染み渡る。 なんどでも何十回でも何百回でも聞けるのだ。 あの方はアッシにとっての永遠のアイドルである。 その松田聖子さんが紅白に出ない。だから見ない。答えは単純。 アッシはそのおおみそか、さてどこにおることやら。 できれば北の街を雪踏みしめながら歩いていたいね。 元旦そして初詣をそんなところで迎えてみたい。 その迎えるための切符、「北海道&東日本パス」がきょうから使え出す。 普通列車が微妙にきのうよりは混んでくるようになるだろうて。 ふふふ。アッシももうすぐに。
2005年12月02日
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皆の衆はもう年賀ハガキは書かれましたかの。 時はあっと飛雄馬に、巨人の星のごとくに…。 もとい、あっと言う間に(これが正解)過ぎ行くものなりき。 もう書いておくできですな。 いやまだ12月にもなってへんがな。まだええやろはアカンですぞ。 実はの、アッシなんかまだその年賀状を書いていないんじゃ。 それがの、今年の正月にもらった年賀状の返事をまだ書いていないんじゃ。たははは。 いかんの、それは全く。 父母も亡くなって早何年。喪中で欠礼をばいたしておりましたとの手段も使えず。 困ったもんた&ブラザーミシン。リッカーミシンもよろしくやな。 今は亡き作家の池波正太郎さんは、その正月になった瞬間からすでに来年用の年賀ハガキの準備にとりかかっていたとききまする。 ていねいに文章を書かはる人は年賀状ひとつでも手を抜かず。 アッシら瓶人とは(コーラ瓶に入ってます)、もとい凡人、大木凡人とは中身が端から違っておりまする。 しかしです。ここで振り返ることあり。 アッシは大昔、20代の前半から後半まで、このハガキなるものに大いに付き合ったことがあり。 いわゆるハガキ投稿魔であったのさ。 目に付く新聞・雑誌の投稿欄にこのハガキを出しまくっていたものさ。 当時、まだアッシが20代前半のころはまだハガキ一枚が20円の時代。 アッシは当時そのハガキを一日25枚。500円づつ消費して、ポストに入れることをノルマにしていた時代がある。 いま思えばよくぞあんなに書けたものだなあと思う。 ために、手の指にはペンダコなるものがつねに消えずに出来るのだった。 このハガキ投稿はアッシの少なからずの小遣いにもなった。 一ヶ月平均3万はこれで稼いでいたろうて。 苦しかったあの時代。しかし楽しかったあの時代。いまははるかなり。 その、昔あれだけ書いていたハガキに今はまるで縁遠し。 来年用の年賀ハガキもさて書けるかしらん。 その前に今年もらった年賀ハガキの返信のハガキを書けってことですかな。 へ~んしん。 不精なこころの変心もなかなか難しいYMCA。 ああ若かったころ、ヤングマンのころはあれだけ書き親しんだおハガキちゃん。 いまはどこに。 ああそう言えば引き出しの中のその奥に。 書くかな返信を。たはは。 オリンピックのように4年ごとに一回にしたい年賀状書きなのでしたあ。
2005年11月25日
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きょうは勤労感謝の日。祝日で世間はきょうはお休みなのねん。 今年最後の祝日かと思いきや、天皇誕生日が12月23日にまだある。 昭和生まれ、どっぷり昭和世代のアッシには天皇誕生日といえば4月29日との印象が濃厚にあり。 いまだに身になじまぬ12月23日の天皇誕生日ではありまする。 その勤労を歌った歌で有名なのが、かのイシタク、石川の啄ボン、石川啄木が歌った歌よね。 働けど働けど なお我暮らし楽にならざり じっと手を見る アッシはそれに付けたして「お手手とお手手のシワをあわせても なお不幸せ~」としたいところじゃの。たはは。 全くもって働けど働けど、アッシの暮らしは楽になってはイカのテンプラ。 「じっとりと手が汗ばむ」ほどの大金を一度は握りしめてみたいわさ。とほほのほ~。 思えばそのイシタク、石川啄木はんとは去年の夏、なにかと縁があった。 去年の8月3日、アッシは人生反省記、もう後悔することばっかりでした。それを書き綴ればノート百冊でも足りません…。 アホ。その反省記じゃねえ。ここは「半世紀」。これが正解よ。 その半世紀、その節目の50歳の誕生日をアッシは北海道は函館で迎えておるのじゃ。 その函館には何があるか。 ハリストス正教会の聖堂か。それもある。高田屋嘉兵衛の銅像か。それもある。函館駅そばの朝市場か。それもある。 それとも函館市役所か。 市役所はどこにでもあるわ。 北島三郎記念館か。渋いねここは。入ったことはないんですけどね。さて函館のどこにありますことやら。 いや、多くあるその函館の名所の中で忘れてならないのがイシタク、石川の啄ボン、いやさ石川啄木のお墓なのさ。 津軽海峡を望む立待岬(名前がええがな)、その立待岬へ向かう坂道の、小高い山の中腹地点にその墓はあった。 墓には大きな書体で「啄木一族の墓」と刻まれていたのであった。 かれは妻のオセッチャン、節子はんとともにこの風光明媚な、海を見下ろす高台の斜面に造られたお墓に、静かに眠っていたのだった。 いいなあ。こんなところで眠られて。アッシはイシタクに軽い嫉妬を覚えた。 誰が拝んでやるものか。 少しは腹も立っていたのだ。 しかしそこは50歳やな。 もう世間につっぱる歳でもなし。ましてや50歳の誕生日であったし。 アッシは墓の前にしゃがみ、その墓石の上に5円玉を置いた。 これからもイシタクさまとご縁があるようにと。 さてイシタクさまがよろこんくれたかどうか。 たった五円でご縁をもてるかと逆ギレされたりして。 思えばその時少し墓石が揺れた感じがしたが…。たはは。 その「啄木一族の墓」から坂道をのぼって数分、そこには両手いっぱいに広がる海が、立待岬が待っていたのでした。 見晴るかす大海原。あちらにかすかに見えるは津軽半島か、下北半島か。 間に横たわる大海原こそ津軽海峡。 あの時は汗をもやまぬ夏のまっさかり。 いつか冬景色の津軽海峡も見てみたいね。寒いけど。 じっとふところに手をやる。さむっ。 いまや季節を先取り。厳寒を迎えているアッシのふところなのでした。 そや。イシタクの墓前にそなえた5円玉を返してもらおうかな。 「五円なさい」と言いつつ…。たはは。 また墓石がゆれそう。 ともかくきょうは勤労感謝の日。世間は休日。アッシは出勤。とほほのほ~。
2005年11月23日
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JTB発行の12月号「時刻表」を買ってしまったね。1050円。高いよ、相変わらず。 6月号以来半年ぶりぶりちゃんちゃこの新規ご購入でございましたな。 思えばその6月号、夏の旅行中はあっちこっちに引きずり回し、悪いことをしたの。 見ればボロボロ~。前景を留めてイズ半島なりき。 今回の12月号もそうあってホシイカなりき。使い倒すべし。おっほん。 さてこの冬はどこに行くか行かぬか、ぬかに釘、ご検討の時期に入ってきたの。 一ヵ月後ははや12月22日。クリスマスがもう目の前に迫り来る日になっておるハズじゃ。 思えば去年のクリスマスイブは仙台で迎えておるの。 それもアッシあこがれの君、仙少納言どのと一緒にその日を迎えておる。 SENDAI・光のページェント。 http://www.sendaihikape.jp/ あのケヤキ並木も美しい定禅寺通りをクリスマスイルミが覆うのだった。そこを仙少納言どのとアッシがふたりそぞろ歩く。 途中の道のそこここでは白い衣装を着た合唱隊がクリスマスソングを歌い、リズム軽やかな楽器の音も聞こえてくる。 カップルや親子連れが光の下の並木道をうれしき声、歓声などを上げながら通り過ぎる。 それらを静かに見つめる仙少納言どのとアッシ…。 いま思い出しても、目がとろ~ん。メトロン状態になりにけり。 仙少納言どのは地元のT大学に学び、いまでも仙台で福祉関係の枢要な仕事に就かれて日夜働きまわっている人なんじゃ。 ほとんど休みなし。多分正月も休みなし。 その人がアッシが仙台に行くたびに貴重な時間を割いてくださり、仙台のあっちこっちをご案内してくださるのじゃ。 女神様やな、うんうん。 仙台四郎ならぬ仙台四郎子さんとも呼ばせてもらいましょうかいね。たはは。 仙少納言どのはまた当然ながら仙台市内のことは極めて詳しい。情報誌も真っ青な、誰も知らない穴場の店になんの気負いもなくご案内してくださるのでした。 去年もその定禅寺通りからほど近いめっちゃ雰囲気のある小さな店にご案内してくれました。 その店にはなにやら古い本や写真集、あるいは古いレコードが雑然とあまり整理もされなく置かれてありました。 アンティークな置物もそこここに。 多分こういう店のご主人はきっと鼻下や口下にヒゲをはやしているハズ。いやそうあるべきです。そう思いながら店のご主人を待っていたのですが…。 外出しているのか店はもぬけの殻。しかし店のドアは開いている…。無用心な店ではありましたな。 しかしクリスマスイブに入る店としてなんとふさわしい店であったことでしょうか。 数分か経ち、店の従業員の女の子がなにかしらの用事で戻ってきました。 その女の子がいいました。 「何かいります?」 仙少納言どのは言われました。 「コーヒーくらいはほしいな」 「ハイ。すぐに」 熱いコーヒーが小生らの目の前に出されました。 店員の女の子はまたどこかに行ってしまいました。 近所で開かれているクリスマスパーティに出かけたのでしょうか。 ふたりだけ残った小さな店。まわりに置かれた古ぼけた本、あるいは写真集を拾い読みしつつ、ふたりのクリスマスイブは過ぎていったのでした。 うわあ。めっちゃ思い出してきたぞ。うっふん。 その帰り、また見た定禅寺通りのクリスマスイルミネーション。せんだい・光のページェントのひとこまでもありました。 さて今年のイブ、アッシはどこにいるのか。 そのそばには誰かがいるのであろうか。 ひとりでも十分可です。できれば札幌、ホワイトイルミネーションの光の中に。 http://www.sweb.co.jp/kanko/white/ その一ヵ月後のイブをいま静かに思うアッシなのでした。 夜はまだ明けきっていないね。 多分、外はいま10度以下。 寒さつのる時期になりにけり。
2005年11月22日
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終わるものあれば、始まるものあり。 始まるものあれば、終わるものあり。 ほんでもってギターを弾くのがうまいのがクロード・チアリ。 彼はギターを弾くことによって、メシ食ってます。さっすがあ。 ニニ・ロッソはんはトランペット一本でメシ食ってはりました。 しかし実際のトランペットを使ってメシはなかなか食えんぞ。 だいいち、どやってすくうねん。 上海雑技団のやり手団員でもこの技はできまいて。ふふふ。 まあ誰もしようとも思わない荒技ならぬアララ技ではありまするがの。 トランペットに付いたメシ粒が哀しい…。 その終わるものが大阪は枚方公園、いまではシャレて「枚方パーク」とも言っておりますが、その枚パーで96年もの長き歳月に渡って毎年開かれてきた「枚方大菊人形」。 今年で終わりなのです。 その終わりの年の終わりの開催期間も最終日が徐々に近づきつつあり。 12月の4日までですかね。 アッシの幼少期。父母に連れられ毎年のように連れていかれた「枚方大菊人形」。それが終わっちゃうのかあ。 寂しさひとしお、涙もポロリ。 行かねば、行かネバーエンディングストーリーかとも思っています。 話が終われへん。思い出も片を付けられへん。休みであるきょうくらいに行っておくかの。 あと2週間の命。96年の幕を閉じる。 花の命は短いがこの花の命は長かった。ただお疲れさんというべきなり。 ひるがえり、ここにもうひとつ終わるものがある。 「東京ミレナリオ」なり。 「東京ミレナイヨ」に来年からなってしまう。 http://www.nifty.com/millenario/flash/index.htm なんでやねん。たった7年の命。短か。 始まったのが世紀も終わり近い1999年で、世紀が変わり5年目で早くも終わり。 その年に生まれた子どもが小学校に入らないうちに終わってしまうのだ。 「東京ミレナイコ」世代とも名づけられるか。 親に手を引かれて「東京ミレナリオ」に連れていかれる思い出が作れなくなってしまったのだ。 アッシはこの「東京ミレナリオ」に4回ほど行っているかに乗った少年。by城みちる。あのひまわり娘の伊藤咲子はんと一緒になるとばかりに思っていたのに…。 城みちるはんの薄情者。たはは。 いやさ、その前回の「東京ミレナリオ」に行ったのが2004年の正月よ。 アッシはその新年の瞬間を東京駅丸の内口で迎えております。 その新年になった瞬間、あたり一面がパッと光の粒を撒き散らかしたかのように明るくなったのです。 そう。「東京ミレナリオ」の光の構造物に光がともされたのさ。 キャー。待ってました。 新年を「東京ミレナリオ」で。アッシのあこがれがその時実現しました。 丸の内のビル街を光のトンネルが貫きます。 上横ななめから光のシャワーがそそいできます。 数え切れない豆電球が、何枚にもきられた蒲鉾形の構造物に貼り付けられ、5メートル間隔くらいに置き並べられています。 その下を歩くのです。 人は止まります。上を見上げて。 「はよ歩かんかい! 列がつまるだろ」 そういうアッシも足を止めます。携帯で写真を撮らないのでまだマシかなと。 その入り口まで時間がかかり、出るまで時間がかかり。 出ると三が日は終わっていました。そんなアホな。 その「東京ミレナリオ」も今年で終わっちゃう。 「枚方大菊人形」と「東京ミレナリオ」、これはハズせんぞ。 行くべし。
2005年11月21日
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紅白歌合戦、今年も白組は山川静夫、紅組は佐良直美両氏が司会と思ったが…。 意外やな、八名信夫さんが青汁飲んでもう一杯、オイシイ! 違う。みのもんたはんが白組の、山根基世アナが紅組の司会者に決まった。 う~ん、これはどうなんでしょ。 「思い出のメロディー」の司会者に両氏が決まったら文句の付けようもないのだが…。 山根基世アナは今年から「アナウンス室長」になられたとか。全国に500人はいるかというNHKアナウンサーを束ねるトップの座に君臨されておる。 その威権をカサにして「あたしに紅白の司会をやらせなさよ」とも言い、その思いを見事叶えたか。 なんだかスッキリしないよ。 トップは裏方にまわるべきやと思いますがね。高みからニラミをきかせるべきです。 下司の勘繰りを承知で言わせていただきまする。 さてその紅組司会者以上に小生をガッカリさせたのが白組司会者のみのもんた氏。 予想だにしませんでしたが、しかしさもありなんの司会者決定ではありましたな。 休みのないみのもんた氏、休みたくないみのもんた氏。 思えばみのもんた氏にしばしの休みが訪れそうなのが年末年始であったのです。 氏はそれを恐れた。 仕事の間のわずかの時間、かれは渋谷区は神南にあるNHKにハローワークに行ったのか。「年末年始、何か仕事はありませんか」と。 NHKもびっくりしたであろう。 「ギャラは100分の1も出せませんが」 「結構です。仕事が出来れば」 「では白組司会者に」 そんな感じで決まったのか。 まさに困ったもんた&ブラザーミシンやで。ジャノメのメも点になっておるわ。 そこまで出るかい。また出るかい。 冬なのに顔は真夏の太陽をあびたような黒びかり加減。 その顔をまた見なくちゃいけないの~。とほほ。 さて新年も明けて1月1日。新春爆笑ヒットパレード。 明治神宮の参道脇から初詣の人波を実況中継するみのもんた氏がああ。 もうええねん! 2日は箱根の山登り地点、3日は大手町の読売新聞社前で箱根駅伝をこれまた実況中継するみのもんた氏があああ~!? もうええねんと言っているのに。 彼は出ていた。 いつ彼は家に帰っておとそを食うのだろうか。
2005年11月18日
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仏手(BUSH)はんが京都に来てはる。 ごり押し手(PUSH)はんかも知れない。 押さば押せ、引きはないぞ、た~だ押っせ押せ。 押しのPUSHからさらに雄牛のBULLへ。ブルル。 BUSH、PUSH、BULL。三段変化形。なんだか怖いよ。 さてその仏手はんが今泊まられているであろう京都迎賓館のそばをきのうとある男前野郎がそろそろと歩いている。 早い話がアッシである。 京都迎賓館は京都御所内に最近造られた。建設費用200億円だったとか。 ジャンボ宝くじ3億円当選者が60人集まってもまだ届かない。そのひとりになりたいよ。たはは。 そばを通ります。この歳になっても物見高いアッシ。おっほん。 背も高いですぞ。179.98センチあります。180センチまであとわずか。 おかげで目が塀を越えて京都迎賓館も見え…へんかったわなあ。 ミエもしないし、アイチでもあらず。あたしゃ大阪男前野郎。 各御門の前には警官がイカメシを食いながら(食うなよ)、もとい、いかめしい顔をしながら(これが正解)警備の任にあたっているのでした。 カズノコ一本も食えず。いやさ、アリの子一匹も入れず。 いいさそれでも。 アッシはその警官らがなんかウサンくさい奴が通るなあという顔つきをするのを横目でみつつ、アッシのくさいのは足のウラだけなどと心の中で返しつつ、御所そばの道をそよ風に吹かれながら歩いたものなり。るんるんるん。 おっと。その道をしばらく歩けばなにやら瀟洒なコロニアル風の羊羹が。ちょっと甘みが足らんな…。違う。洋館が(これが正解)。 なんとそこは新島襄の住居跡だった。あの同志社、御所近く大学の創設者の方よね。 その住居がこんなところに。 思えばここも御所近くやん。方向がちがうだけ。あってなんの不思議もない。 しっかし贅沢な作りじゃわい。どれだけ窓をつくれば気がすむねんというくらい窓だらけのキャロライン洋館であった。 朝起きて窓を明けはじめて、それが昼近くにようやく済み、済んだと思ったらまた閉めんといかん。終わるのは深夜。 窓の開け閉めで一日が終わる。新島襄の人生はそんなであったか。まさかの。 その窓だらけの新島襄住居跡をあとにして、アッシが一路めざしたのが平安神宮なり。 聞けば雄牛のBULLはんは、いやさBUSHはんはきょう小泉首相との首脳会談すめば、二人して金閣寺に行くのだとか。 あほやな。めっちゃアホや。この季節、この11月の京都で絶対見所なのは平安神宮をおいて他にはないのだ。 そこに行けばなにが見られるか。七五三詣でにやってくるめっちゃかわいい子どもたちなのだ。 しかもところは京都。その和服姿、着物姿のまあ似合う子どもが多数やってくる。キラにキラが重なりキラキラしいのだ。 そのこどもを伴ってやってくるお母さん、そしておばあちゃんの着物姿もこれまた堂に入っている。 西陣や祇園などで老舗を経営しているであろう方たちが、着物を毎日着ていまっせという方たちがこぞってやってくるのだ。 この親子三代の女性による着物姿のまああでやかなことよ。 きのうもアッシはみましたぜ。 この着物はいったい何十万何百万するんかいなという手の込んだ着物をまとったご婦人が楚々と七五三衣装で身をかためた子どもの手を引いているのでした。 そばにはそのおばあちゃんがこれまた渋い薄紫の着物をまとって同伴しているのでした。 日本じゃ。古き日本がここにある。 11月の平安神宮に来るといつも思うことでありますな。 ひょっとしたらお忍びで雄牛のBULLはんが来られるかもよ。補佐官がアッシだったらそう勧めますがの。 いいです平安神宮。 今の時期。京都にくればまずは平安神宮へ。 めざせ平安神宮です。
2005年11月16日
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きょうは11月11日。そう。きょうはめちゃ覚えやすい日なんや。 きょうに何かがあればのちのち振り返りやすい。 「えとえと、今年のエトはラッキョかいな」 なんでラッキョがエトになる。 「えとえと、あのことがあったのはいつやったんかいなあ…」と振り返る時に「せや。なんか1並びの日であったことは確かぞ」などとなんだか簡単に頭に浮かびそうな感じがする。 平成17年11月11日。「い~なあ。いいいいの日」やないかい、もしかして。 何かを始めるべきや、何かを。 何を始めるべきか。断食かい。 なんでやねん。アッシは太ってもいず。ダイエットに励む理由もない。 禁煙かい。それも無用。 アッシはタバコは年に1本と決めておる。そのタバコを今年はまだ一本も吸っていない。 そや去年は一本も吸っていないからその繰越で今年は2本吸えるハズやねん。 さて今年中にすえる機会はありや。 アッシはそこできのうチャイマンネン床でピンとひらめいたものあり。 そやきょうから「よろしくちゃんこ鍋」を意識して流行らせようかなと。 あの言葉を流行らせたのは1並びの日、11月11日からであったぞよと後々めちゃ振りかえりやすい。 「よろしくちゃんこ鍋」。 料理としての鍋ではなく、ただ言葉として流行らせたいのだ。 あいさつ言葉としてこれほどほんわかした言葉はそうはないかなと。たはは。 いやさ、最近この「よろしくちゃんこ鍋」を使わせていただいてもいいですかとわざわざアッシにメールをくれた人がおったんじゃ。 どうぞご随意に、ご勝手にとアッシは答えたものだが。 2年ほど前にふいにアッシの口から出たこの「よろしくちゃんこ鍋」。 機会あるごとに使ってはきたが。まさか他人から使用許可を求められるとは思ってもいず。 どんじょどんじょ。大いに広めてくだされとアッシはメールに書き添えたものじゃ。 その「よろしくちゃんこ鍋」を皆の衆にも使っていただきたいんだわさ。 「なにかとこれからよろしくちゃんこ鍋」 「いいえ。こちらこそよろしくちゃんこ鍋」 二人の間には自然と笑いが生じているであろうぞ。 「よろしくちゃんこ鍋」にはそういう不思議な力が宿っている。 作者のアッシはそう信じておる。 いつか、ああいつか。全く見知らぬご婦人から「どうぞよろしくちゃんこ鍋」というあいさつを受けてみたい。 この幸せを誰や知る。 ああ「よろしくちゃんこ鍋」。きょうからアッシの手元を離れて世間の荒波に飛び込んでいくがいい。 いつか大きくなってまたアッシの手元に。 それを夢見てきょう送り出す。 よろしくちゃんこ鍋! みなさんも使ってねん。 よろしくちゃんこ鍋! 平成17年11月11日。「い~なあ。いいいいの日」に。合天和尚。
2005年11月11日
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八戸三社大祭の存在は以前から知ってはいた。 知ってはいたが、長らく小生の関心から外れ、見ることもなく月日は過ぎ去っていった。 今年見たのである。初めてみた。 もうびっくりしたね。 心の底から、腰の芯から驚きまくったのである。 あの日から3ヶ月あまり経った今もあの日の驚きが余韻となってアッシの思い出の詰まった夏旅の記憶の湖の水面をシワシワと波立たせるのである。 ここにビデオがある。どれでもいいから見てホシイカのところである。 http://www.hachinohe.jp/sanshataisai/h17/index.html このビデオ群の中の1本目が8月1日の八戸市役所前の広場で録られている。 まさにあの時あの場所にアッシはいたのである。 パレードをうつすカメラが回るその5メートルくらいうしろにアッシはいたであろう。めちゃ思い出すこのシーン。 最初にその市役所前広場で待機している山車を見たときの驚きようはどう表現していいのか。 そやな。アッシがこのあばら家に帰り、玄関の戸を開けたらいきなりそこに裸でスッポンポンの小泉今日子さんが立って出迎えてくれたときのような感じに比せられようか。 ビックリするぜ、これは。うっふん。 まあそれくらい驚いたっていうことさ。 ありえへん、こんな景色! と思わず口走るような景色がアッシの目の前に展開していたのである。 豪華飾りがこれでもかこれでもかとひしめくように並べ立てられた山車がその数30台近くもその広場を埋め尽くしておったんじゃ。 その大きさも半端じゃねえ。 で、でけえ! 実はその驚きはまだ小さい方だったのである。 その日は「お通り」と称する祭り最初の日であった。 午後3時だったか、その広場に待機していた豪華飾りの山車がパレードを始めたのだ。 掛け声が独特だった。 「よ~いよ~い。よいさあよいさあ、よいさあのさ」 ゴロゴロ、ギサギサときしむ音立てながら山車が進む。 いやその山車、ただ進むだけではなかったのだ。 実に進みながら孔雀が羽をひろげるようにその大きい山車からまだその上や横に豪華な飾りを延ばしてくるのであった。 ギョヘー! なんだなんだ!! 不動明王さんもおられたと思うが不動とちゃうねん。ここでは浮動明王さんになられておった。 あのでかい山車がますますでかくなって狭い道を進むのだ。あう。電線にひっかかる。 そこは心得たものでなにやら棒を出して電線をよけつつ山車は進むのであった。 アッシは呆然とみつめた。口はアルファベットのOをずっと表現したままであったろう。 その日は時間がなく1時間ほどその「お通り」をみただけで終わってしまった。 その1時間の記憶が今も強烈に残っているのである。 来年は3日は見たい。全部見たい。 行くで必ず。必ず行くで。 この2重の決意。 あと9ヶ月後が待ち遠しい。
2005年11月10日
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きのうは休みだった。晴れもした。 気分よし。 こんな日にあばら家に引きこもってネットでアダルトサイトをクリックしまくることはアッシの趣味ではない。 ここはしっかりと言っておきますぞ。おっほん。 好きなくせに…。言うなそれを。 アッシは出かけた。 愛車「りん号」に足を掛ける。ペダルを踏む。「りん号」は進む。リンリンリン。 そこのけそこのけアッシの「りん号」が進む。 5分もするとすると中ノ島遊歩道にさしかかる。 ここがすいておりまして。アッシの配達作業の主要使用通路でもありまする。 東に直進して15分ほど、大阪城公園へ。 木々の葉も黄色や赤、あるいは茶色に染まりつつあり。 葉が落ち始めている木々もあり。 英語では秋をfallとも言うなり。葉が落ちる(fall)から来た言葉なり。 ロマンチック、乙女チックやん。 アッシの場合、どうも歯が一本落ちそうなんじゃ。人生の秋、fallを感じていまする。 大阪城天守閣前では恒例の「菊の祭典」が行われていたものなり。 菊愛好家の皆さんが丹精込めて咲かせたお菊さんの群れが多数飾られておりんした。 しばし絶唱。 ♪春高楼の~ 花の宴~ めえぐるサッカー好き?嫌い? いやさ。しばし鑑賞せり。 そこからアッシは京橋の「もとや食堂」に行き、相変わらず極めて安い430円の定食を食せり。 ここは素うどん120円。きつねうどんでも180円。カレーライスが220円なり。 大阪にはこういう食堂があっちこっちにあるからうれしいね。 ここはそんな中でも格別に安き食堂なりき。ありがたきかな。 満腹満腹。アッシはうれしくなった。そこでオナラが出た。ブハッ。 食うものは食い、出すものは出す。人間健康がいちばん。 アッシはりん号でさらに足を伸ばして鶴見緑地へと向かった。 http://www.ocpa.or.jp/osakapark/hfm_park/01tsurumi/ ここはそのHPにもあるとおり正式名称は「花博記念公園鶴見緑地」と言うのねん。知らなかったわさ。 別に名前なんかどうでもいい。そこに花が咲いておれば。 アッシは中に入った。タダだった。最高。タダほどうれしものはないね。オナラも出かねなかった。我慢した。まわりにご婦人の団体さんがおったんじゃ。風も弱かったし…。たはは。 しばらく歩けばそこにコスモス畑が。おお! 今を盛りと咲いていた。 おもえばコスモスは「秋桜」とも漢字では書くね。 その前ではサルビアの赤き花も満開であったんじゃ。 き、きれい! アッシはみとれた。オナラも出かねなかった。ポロジェクトX…。たはは。 大池では多数のカモが羽を休めて波間に浮かんでいた。 アッシは尋ねた。「春にはどうすんねん」と。 カモは答えた。「シベリアに帰るカモしんない」。 答え方がぞんざいだった。茶髪のカモだった。 そんなカモはおらんやろう。 十分楽しみ、アッシは鶴見緑地をあとにして、夕闇迫る大阪の街にまた帰っていったのだった。 おだやかな秋の日のあるオッサンの物語。これにて完。
2005年11月09日
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きょうは11月8日。イイヤの日なのねん。 思えばきのうは11月7日。イイナイイナでアリコの生命保険の日であったんかいな。 いいや。イイナ・イーストンの誕生日だったかも知れぬ。 それはシーナ・イーストンかい。 イイヤイイヤ、まあイイヤ。 ひとはこの日に投げやりになるのか。 あきらめの日であるのか。 思えばアッシにもあきらめたものが多々あった。 人もあったし、事もあった。 好きだった人は遠くに去り、やりたい事は高みに行って手が届かず…。 しかしここはそのあきらめの「イイヤ」を断固拒否する「イイヤ!」の日に切り替えねばならぬぞ。 「イイヤ、そうではない。アッシにはこれからやりたいマンモスなことがイッパイある。オッパイも好きなことやし(それは関係ない)」 とにかくやらねばと決意だけはするアッシなのであった。 いつものことね。おっほん。 この「イイヤ」で思い出したひとがあり。 その「イイヤ」のまえにアを付けて「アイヤー」と叫びまくってた人を。 ミスハワイどのじゃ。たはは。誰が知るかいという話かの。 昔、暁伸どのとコンビを組まれ、大いに演芸場を湧かせた名漫才師の方であった。 風呂敷の親玉のような布を身にぐるりと巻かれて舞台に出てくる。 暁伸師匠はギターをかかえている。 美声で当時流行の歌を観客に披露する。 これがうまいのだ。劇場の壁に絶妙のこだまとなって響き渡る。 その暁伸師匠がマイクの前でギターを弾きながら気持ちよく歌っている周りをミスハワイ師匠が「アイヤー・アイヤー。アー、イヤイヤ」と変な踊りと変な楽器の音をまじえながらうろつきまわるのだ。 暁伸師匠も我慢しながら歌ってはいるがそのうち我慢できなくなり、「イヤならやめんかい!」とどなる。 ミスハワイ師匠はそんな声も知らん顔。 腰をふりふり、へちまのような変な形の楽器を火鉢をつっつく金棒のようなものでこするのだ。 ギコギコという変な音がした。 あの楽器というか持ち物はなんだったのだろうか。 へちま型の洗濯板のような感じがした。 小さいころ聞いたこのコンビの漫才は異色であった。 なんやねんと思った。 しかしオモロイのであった。 オモロければいいのであった。 思えば今の漫才コンビで楽器を弾きながらやるコンビは全くみかけないね。すべてしゃべくり。 横山ホットブラザーズ、宮川左近ショー、フラワーショー、かしまし娘…。 東京勢では玉川カルテット、内海桂子・好江…。 好きやった。よく見もしたし。いやよく聞いたともいえる。 芸人とはいうが、いまの芸人にあまり芸のある芸人はいないね。ゲイ疑惑のある人はいる見タイヤが…。ブリジストン。 違う。いるみたいやが…。フォー! とにかく「あイヤの日」、11月8日の朝がやってきました。 大阪は快晴。洗濯でもすっかな。アイヤー。
2005年11月08日
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鍋島藩ならぬ「鍋しまへんか藩」藩主からお誘いの書状が届いたのである。 文面はこうであった。 「鍋をしたい。適当な腰元を見つくロッテの優勝おめでとう。わが前に提供すべし。おっほん」 「鍋しまへんか藩」藩主は強権をもってなるこわもて藩主なのである。アッシも従わざるをえない。 その藩主は強権をもっているがお金ももっている。 鍋の具材は俺に任せと毛といいなはる。ちなみにその人は頭の毛が薄い。たはは。 はりつけ獄門の刑が待っている。ここは間違い。 「俺にまかせとけ」といいなはる。これが正解。 まあ具材はその藩主が用意してくれるであろう。 場所もその人の住むマンションの高層部屋でするという。 見晴らしがよくってね。大阪湾越しに六甲の山並みが見え、明石海峡大橋も見えるところに住まわれておる。 「そこまで行くの?」 「来るんじゃ。かわいい腰元を連れての」 腰元といわれても。腰の元がぐらついている方なら何人かは知っているけれども。たはは。 「連れてくるんじゃ。具材はおれが用意する」 典型的な鍋奉行になりそうな「鍋しまへんか藩」藩主なのであった。 とほほのほ~。 しかしフトコロ寒きこのごろ。 鍋をすれどもその具材の貧寒たること目を覆うばかりのアッシの鍋ではある。 「鍋しまへんか藩」藩主、強権鍋奉行に当日はこき使われそうだが、豪華けんらんな鍋具材にはめちゃ誘われるものあり。 菊人形で有名な街に住まわれるCどの、あるいは万博跡地も近い町に住まわれるNどの、「鍋しまへんか藩」藩主から特にとのご指名じゃ。 よろしければご参加を。 「待ち娘」で結構でござんす。 煮炊きはアッシが全てを引き受けましょうぞ。 どうせアッシがやらんとあきませんでしょうからの。 ほかの待ち娘さんのご参加も受け付けますぞよ。 よろしくちゃんこ鍋。 おお。まさに鍋シーズンも本格的になってきましたぞ
2005年11月06日
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以前、日記上に「アッシは見た!」のを書いたのはいつの日か。 たしかヘビを見た日のことを書いたと思うのじゃが。 この大阪市内の都心部の真ん中にもおヘビさんはしっかと棲まわれていたことをアッシは畏怖の念をもって書いたであろう。 今回はだいぶ日をあけての2回目となる。 アッシは見たのである。見たアキラしたのである。 ♪美しい十代 ああ 十代~ 三田明さんの歌ね。いつも御三家のあとに、次に、その名前が上げられる三田明さん。いまはいづこ。 さてきのう、その見たアキラしたものはなんだったか。 男性の倒立姿なのである。 それをとある民家の玄関前の道端でやっていたのである。 アッシも長い間、この大阪市内の中心部を自転車で配達その他でうろつき回っているが、人が倒立している姿を見たのは初めてであった。 「あらま。倒立してはる~」 50メートル先くらいからその姿を確認したアッシだった。 近づきます。10秒くらいですか。その間、その人は微動だにせず。ピタッと決めてはりました。 拍手パチパチもの。すんばらしい。 アッシがそばまで近づいてやっとその人は倒立を終えて立ち上がったのです。 見れば頭が見事なハゲチャビオーネの方であったんじゃ。 完全無欠といいますか、完全無毛といいますか。 ♪完全無毛のロクンローラ あたいら女に無視されて おお、起き上がったその姿はタコ入道様。すんばらしい! しかもです。頭が完全無毛の方にしばしば見られる顔の特徴なのですが、その方は鼻の下に見事な8の字ヒゲ、おっと8の字はおかしいな、手入れが大変、八の字の(これが正解)黒黒とした見事としかいいようのないヒゲをたくわえられておられたのです。すんばらしい! 思えば頭が完全無毛、ハゲチャビオーネの方の特徴として年齢不詳の面もございますな。 その方は35歳といってもおかしくないし、また、もう還暦を過ぎた65歳といわれても大して驚かなかったでしょう。 その方が倒立をされていたのです。 思わず元旦の初日の出かいとも思い、自転車から降りて手を合わせようかなとも思ったほどです。 ああハゲチャビオーネ様の倒立姿。めっちゃ絵になりまっせ。 レンブラントかゴッホに描いてもらいたかったわさ。 いやこの場合はぜひピカソに。たはは。 とにかくきのうはいいものを見させていただきました。 感謝です。
2005年11月04日
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先日書いた日記「大阪・東京間を5000円で往復する方法」で紹介した「超得割青春号」がきのうから運行しだしている。 「発車オ~ライネット」の空席照会を見たらきのうは満員だった。きょうも満員になるだろう。 http://secure.j-bus.co.jp/new_module/asp/hnRosenInfo.asp?gpcd=130033&rocd=0013&mode=1 満席になるとさて売り出すのが片道2100円の補助席なんじゃ。 1台につき8席しかない補助席シート、さてきのうはその奪い合いになったのか、いなか。う~む。 運良く(運がええのかな)、幸いにも(幸いとも言いづらい)、その席にありついた人は地獄に落ちるよ(細木数子さんやあるまいし)。 素直に、こころからおめでとうとはいえない雰囲気を持つ補助席での大阪・東京間での移動ではある。 アッシはきのうの夜、その第一号の見送りに行きたかったんじゃがのう。場所である大阪駅の桜橋口はアッシのあばら家から歩いて10分なんじゃが。 疲れておった。きのうは夜の10時にはチャイマンネン床に、エミネムならぬネムネムの状態に入ったアッシではあったのじゃ。 まもなく6時18分にはその「超得割青春号」の東京からの便が大阪駅桜橋口バスターミナルに着くころあいぞ。 ミニ履いて見に行きたいんじゃが。 アホ。なんでアッシはミニスカートを穿いて見にいかんとあかんねん。ここは単純に「見にいきたい」、これが正解よ。 そこでの。ここで重大告白ぞ。 アッシはきょうからパッチを穿いてます。オッホン! ミニスカートとえらい違い。 朝晩めっきり冷え込んできましたからな。 しかしこのパッチ装着、朝晩はええねん。ちょうどええねん。 それが天気のよい、日の照るまさの昼はちょっと下半身が過度にあったまるのねん。 ムンムンムレムレ状態におちいってしまうのじゃ。 あれはどうにかならんかね。 脱いだらええやんと人は気安く言うが。 パッチの脱いだり履いたりはおパンツの5倍以上の気力と体力がいるのじゃ。 面倒がことのほか嫌いなアッシはいったんパッチをはくと替えもせず、2,3日はそれで持たせることもパパ、いやママあるんじゃ。 どうです。おっほん! ここに大阪ああパッチ族、今年も誕生せん。 これから続々、族が増えてゆくハズじゃ。 大阪の朝も冷え込んでまいりました。 おっとまもなく「超得割青春号」大阪到着。 補助席8人衆ごくろうしゃん。 お見舞いはできませんがお達者で。たはは。
2005年11月03日
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IT革命なるものに周回遅れながらも(何周遅れているのかも分からなくなってきましたぞ)なんとかかんとか付いていっているような気がするアッシです。 そこで使われるコンピューター用語とかIT用語なんてハナから分らんからね。しかもです。あまり分かりたくもないなあという拒否する気分もあるから始末に負えませんな。 時代遅れのアッシです。河島英五さんもそんな歌を歌っておられましたやろ。 ♪時代遅れの自分に なりたい~ しかし自分ひとりが時代遅れになっても周りが時代とともに進んでいったらどもならん。 いやいやながらもなんとかかんとか歩調をあわせんとイカリングなこともある。 あのイカリングは衣をはずせばきっとオデンの格好の具になるハズやで。うんうん。 そのIT革命周回遅れ・ふらつきランナーのアッシがきのう見つけたもの、それがボイスブログというものだったのじゃ。 ブログは書くものとばかり思い込んでいたら、それを声で実現させているのが「ケロログ」というサイトであった。 http://www.voiceblog.jp/ 絵日記は聞いたことがあるがここでは声日記なるものを実現させている。 時代はここまできたんやのうと深く実感したものである。 ためしにそのケロログで圧倒的なアクセス数をほこる「モモ&YOU☆の声日記」なるものを開いてみた。これが実に面白い。 http://www.voiceblog.jp/girls/ 25歳前後かと思われる二人の大阪育ちの女の子が大阪弁丸出しの会話を繰り広げている「声日記」なのである。 例によってというか、必ずといってもいいか、4、5秒に一回は笑い声がはさまる。 多分肩とか肘を手で叩き合ってもいるだろう。 これ、大阪の女性同士の会話ならお決まりである。鉄則である。 アッシは生まれたころからこの大阪女性の会話の渦の中で育ってきたのである。 当然このふたりの会話にはすぐに入れた。なつかしくもあったし、腹も立った。 いらんわ。すぐに家に帰って、風呂に入って、寝くされとも思ってしまうのだ。 まあ大阪女性はしゃべりだすと止まらんな。しかも笑い声を手を口で押さえて小さくするというつつましやな行動は一切とらん。その手で相手をはたくのだ。 「いややわあ。ケイちゃん!」。パン。 「なに言うてんのん。マイちゃん!」。ポン。 うるわいわボケエ。 アッシは言いたいが、言うとその大阪女性から何倍もの口攻撃が返ってくるだろう。 アッシは控える。こわいからね。 しかし聞きたいのも事実。 大阪女性同士の会話はおもろいからね。 その大阪女性から産まれ育てられたアッシからの証言です。 そんな大阪女性の声日記も聞かれるケロログ、しばらく目が、いや耳が離せませんぞ。 しかしITなるものもいろんなものを作りだすのう。 改めて感じいったきのうのことでした。
2005年10月31日
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京都に行ったはいつの日か。26日かい。 4日前のことをきょう書くのは気がひけるが書いておこう。 当然歩いたわけである。アッシの京都見物の手法はこれしかない。 ただアッシもトシいとうとハッピー&ブルーやな。足腰にどうもねばりがなくなってきた。 阪急河原町駅から歩き出しているわけだが、いつもなら、前のアッシなら北西方面に歩き出したら嵐山まできっと歩いていたハズ。 それが中途半端な北野白梅町でお役御免。ランデンに乗って、その嵐山までも向かわずに大宮にと取って返す。 つくづくイヤーはゲットしたくはないものだわさと思った京都の一日ではあった。 その京都でアッシを20歳当時の青春時代に戻したもの、それが金閣寺近く大学の衣笠キャンパスに久しぶりに足を踏み入れたときだった。 ここに来るのは何年ぶりか。 変わってへんなあと思うところもあった。 変わってるなあと思うところもあった。 その「変わっていた」一番大きな点、これがすっごく大きな変わっていた点なりき。 女の子がめっちゃ多い。それもイケてるファッションセンス抜群の女子学生がいっぱ~い! にゃんなの、これは~!!! アッシがこの学び舎に通っていた当時、この衣笠学舎には経済学部と産業社会学部と理工学部しかなかったハズじゃ。 男ばっか。 入学した当時アッシは自分のクササも忘れ、その男くささ充満の教室で卒倒しそうになった。 それ以前の高校3年次のクラスが男子15人女子30人というお花畑状態であったから、アッシの驚愕はいや増しにひどかったのじゃ。 どぼしてどぼして状態。 アッシ属する経済学部のクラス50人。女子はひとりだけ。 天国から地獄へ。あ~れ~。 アッシはガッコに行かなくなった。当然じゃ、ぼけえ~!! そのあまりの落差にアッシは鬱にもなったかもね。 当時、少しは女子のいる文学部や法学部は御所近くの広小路学舎の方に別れてあったんじゃ。 それが時移り、ガッコも移って、全学部がこの衣笠に集まってきた。 女子には人気のなかった当時の金閣寺近く大学も「おしん」の子役で名をはせた小林綾子さん入りいの、歌手の倉木麻衣さん入りいのでかなり改善されてきていたようじゃ。 それが4日前のビックラこき左衛門につながったのだ。 キャンパスを歩けばめっちゃベッピンサンの女子学生はんが四方八方東西南北からやってきて、アッシのそばを髪なびかせながら行き交うのじゃ。 お花畑にアッシはふたたびやってきたのじゃ。うっふん。 そそ、それがあの当時、アッシのいた時代にはありえない光景であったのだ。 金閣寺近く大学よ、アッシに学費を返すか、もう一度入りなおさせてくれ。 そういう思いにさせた衣笠学舎でのひとときであった。 青春を返せ~。 当時と同じに以学館地下1階にあった学食の安いメニュー表示をみながら心の中で叫んだアッシだった。ああ。
2005年10月30日
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♪こぬか雨ふる 牛のスジ ゴボテン チクワも いっぱい入れて タマゴ~ タマゴはどこよ~ タマゴを忍んで コンニャク食べる~ 「雨の御堂筋」でした。いつのまにか「おでんの牛スジ」になってまっけどね。 歌うは「エーヤン・フーフー」である。オーヤン・フィフィさんでしたかの。 アッシの高校生時代に流行っていますからかんなり古いですぞよ。 そう。オデンの季節になってまいりましたのう。 あとはジャガイモ、ダイコンが定番ですかの。 関西ではオデンのことを関東煮きともいいましてな。 するとオデンは関東が発祥の地なのかしらん。 カデンは松下・三洋・シャープなど関西発祥の会社が多いのですがの…。 週末また雨になった大阪でごんす。実に4週連続の事だそうでございます。 その雨の御堂筋をアッシはまた配達でうろつきまわらんとイカリングなのじゃ。 おっとイカリングはオデンにはふさわしくはないかい。あの衣の部分をはずせば結構いけるんとちゃいますのか。 きのうたまたま入った「びっくりラーメン」という格安で有名なラーメン屋。 ラーメン一杯が180円。税込みで189円なのですが、そこでもオデンを始めていましたな。 コンビニでも当然やり始めたのかな。 いやコンビニは年中やっているのかな。 ドアを開けて入るといきなり鼻を衝くあのオデンのニオイ。 なんだかつい手が出てしまいそうな季節がやってきました。 大阪も雨なら京都も雨でしょう 京都の話は明日の日記にでも。 しかし雨かい。 シトシトぴっちゃんオヤジ・おがみオットットになって、アッシはまもなく出動せんといかん。とほほ。 手にその冷たさが沁みる秋の深さになってまいりましたぞ。 きょうも元気で。
2005年10月29日
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京都に行ってきたんだわさ。 以前までのアッシなら取り立ててめずらしいことではなかったが、今回は実に久しぶりの京都行きとなってしまった。 この夏にも京都には何回かは行ってはいるがなにしろ青春18きっぷを使っている途中での出来事。 ほとんど時間を割くこともなく、ちょろっと降りて、ほにほにとあたりを見回した感じだけであった。 今回は違いましたぞ。本来のアッシ、書生時代に京都で繰り返したような京都見物の仕方にもどって、きのうは京都の町を歩いたんじゃ。 左様。アッシ流の京都の見方のコツ、クセ、あるいは習い性はただひとつ、ただひたすらに歩く。 これに尽きマンモス象ですな。パオ~ン。 ただアッシは象のようにノッシノッシとは歩きはしませぬな。 ヒソヒソキョロキョロ、張り子のトラのように絶え間なく首を上下左右に揺りカモメしますのじゃ。 そしてそこから発する声もワーとかキャーとかの奇声・喚声ではなく小さき声で「おうこれは」とか「にゃるほどチャンコなべ」とかの小さき声ばかり。 心の中でビックリしても、それを態度に出してはイカリング。 アッシのモットーにしていることなりき。おっほん。 さてさてきのうは歩いたなりき。 コースを順に記しますと阪急河原町~南座前~祇園~河原町三条BBパーク~京都市役所~京都御所~相国寺~烏丸通鞍馬口~大徳寺~金閣寺前~衣笠学舎~等持院~北野白梅町 お~っと。思い出したぞ。 アッシはそこから電車に乗ってますな。ランデンでございます。ノランデンでもよかったのですが。たはは。 嵐山電鉄。通称・ランデン。 この場合、乗らんかったらノーラン・ランデンになるのかな。 あれはライアンか。ノーラン・ライアン。大リーグの伝説に残る豪速球投手やった人や。 いつものアッシ、これまでのアッシなら当然ノーラン・ランデンになって阪急の西院駅まである痛手であろうが、もとい「歩いたであろうが(これが正解)」、きのうは疲れきっておったな。 ランデンの北野白梅町駅に至ってアッシの足は動かなくなった。 久しぶりに乗るランデンのボロ電車。1両編成。 1両で、編成もなにもあったものか。 ガタガタガタ。ゴキゴキゴキ。電車は進む。 「キャラピラーの工事」到着。もとい「かたぴらの辻(帷子ノ辻)」到着。そこで四条大宮行きに乗り換え。 大宮に着けばそこで阪急が待っている。 アッシはパンツを履き替えた。 いや、切符を買って乗り換えた。えらい違い。 アッシは梅田に戻り、そこでマクドの照り焼きバーガーセットを注文した。 「でんぐり返りでございますか」 「アッシは放浪記の森光子さんではない」 「お持ち帰りでございますね」 「言うを待たず」 しかし待たされた。夕方の帰宅帰りの混む時間帯であっのだ。 アッシは腹が減り食べながらあばら家まで帰った。 そしてその2時間後、阪神はまた負けて、日本一は地平線のかなたに消えていった。 京都での詳しいことは次回にでも掻くかね。ポリポリ。 次回にでも書きます。 よろそこ~。
2005年10月27日
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♪京都にいるときゃ ドアノブ~と呼ばれたのお~ どんなアダナやねん。どんな体型しとんねん。 ここは「シノブ」が正解よ。 その京都にここしばらく行っていないことにwood arrive、キがツイタ。分かるねえ。 アッシのことを京都吟遊詩人と人のいう。誰が言ってたかね。 まあこれだけ長く京都をあっちこっち徘徊していたら誰かが言っているだろうて。 ややうつむき加減、なにか落ちている小銭はないかと気にしながら…。 そんなことはあらへん。 時々は晴れた空にも目をやって、木の枝枝についた柿の実を取って食おうかとも思ってしまう。 なんて健康的な、なんてロマンチックな行為なんでしょう。 京都に行くっぺよ。 古い檀家衆はご存知のようにアッシは書生時代の6年間を京都で過ごしておる。いまからすでに30年以上も前の話じゃ。 18の時。 アッシは5校大学を受けて4校すべったんじゃ。1校だけに受かった。その1校こそが5校受けた大学の中で一番偏差値が高い大学であったんじゃお立会い。たはは。 その大学がたまたま京都にあった。アッシは行った。 行く気のまったくなかった大学へ。考えもしなかった大学へ。 この大学に行った者は通っていた高校では実にアッシが初めてであったのである。たはは。どうすんねん。 案の定、クラスにいけばアッシよりできるものがズラリ。 アッシは常に教室の塀際、ゼミの隅で小さくなっていたんだわさ。 なんだか授業もつまらなく。いや分からへんといったらええのかな。 アッシはさぼるようになった。そしてほとんど授業には出なくなった。 ところがどっこい、イケの鯉。その大学には熱心に通ってはいた。なんせ腹がすくやん。安い学食で昼飯はしっかと食っていた。 昼飯を食ったあと、することがない。講義はいいわさ、ゼミもほっとけ。 そんなとき、アッシは京都をうろついたのである。 大学は金閣寺近くにあった。竜安寺も近かった。 いやちょっと歩けば有名無名の神社仏閣がいたるところにあったのだ。 アッシは歩いた。ひたすら歩いたであろう。 この行為は学年を重ねるごとに高じてついには阪急の西院駅から学校のある衣笠というところまで歩いて通うようにもなった。 これが時間がかかり片道2時間は優にかかったもんね。 往復で4時間。 この西院駅に大阪は堺にあった自宅から電車で通っていたのでここまでが片道2時間はかかっていましたから、自宅から大学の校舎まで合わせて4時間ですか。 朝の7時に出発したら、大学の学食に着くのが11時。 めっちゃいい時間。ここで昼のランチ~。 1時間ほど食ってゆっくりしてアクビもときどきして、さあ京都見物~。 授業に出ろよな。 アッシは断固たる決意で授業には出なかったのです。それが男の生きる道。たはは。 そのうろつき回った京都にきょうも行きますかな。 どこへ。 風に聞きなはれ。 京都吟遊詩人、名づけてドアノブ太郎はきょうもゆく。ドアノブはおかしいな。 タンコブ野郎はどやろ。ダシコンブ野郎は…。 名前はどうでもええ。 京都が呼んでいる。 ランチは京都市役所でね。 うまくはないが高くもない。 木々が色づくにはまだ少し早い京都の街ではあるが。 都心に町の部分も大量に残っている京都。 まずは晴れそうでよかったよ。行くべし。
2005年10月26日
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♪ふうけゆく~ ワシの身 髪も白おくう~ …にはなってへん! なってへんのよ。 今は秋、誰もいない海になっておるハズじゃ。 今一度。 ♪ふうけゆく~ 秋の夜 旅のそらの~ 秋深し。雪の便りも北国から聞こえてくる季節になってまいりましたのう。 きょうからアッシの台所、「もう少しキッチンして屋」において電気ポットが再び稼動し始めたのじゃ、もしかして。 これまで稼動してやまなかった全手動氷作り器(こおりゃスマンこってす)も、また巡りくる夏の日までお役御免じゃ。 どこへなとバカンスに行ってくるがいいぞ。 近場の奈良・コオリ山まで行ってくるがいい。 なに。コオリゴリとな。贅沢を言うにゃい。 きょうから電気ポットさん、ご登場。 久しぶりにスィッチオン! ギューン、ゴトゴトゴト、スポポポ、スッポン! 激しき音たててお湯を沸かす「ポットしてチョキ」号。そこはグーだろ。堅い事はいいっこなし。 湧きますな。声で知らせてくます。「ワイや。ワイタでっ!」 つっけんどんなその声が妙になつかしい。 アイスコーシーからホットコーシーへ。 カップにお湯が注ぎ込まれます。 ガッポリ! 一気にお湯が出てしまいました。アツツ。 レバーを押す手の圧力を全開にしてしまいました。 そこはゆっくりと徐々に。 カポカポカポ。アル・カポネ。アンタッチャボー! ホットコーシーの出来あがり~。 久しぶりやもんね。 まずっ。 それもそのハズ、クリームも砂糖も入れずに作ってしまいました。感覚がまだ戻っていません。 再度挑戦。こんなとき入れるクリームは当然、ニドです。分かってはりますな。 正式のホットコーシーの出来上がり。 ただし即席。ほっとけ。グビグビグビ。プハーッ。ビールやないだろ。 しかしこの秋最初のホットコーシーなりき。 ノドに沁み入る味でござんした。 きょうは休みなので「ポットしてチョキ」号は点けたままにしておくぞよ。 さて何杯きょうはのみますか。 冷え込んでまいりました。
2005年10月25日
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きのうのアッシには衝撃が走った。 ディープインパクトが菊花賞で無敗の三冠馬に。 それもある。 阪神が連夜の大敗。10対ジェロ~。とほほ。 それもある。 しかしそれはきのうのとある衝撃に比べたら極めてちっちゃい衝撃であったのだ。 それをこそ真のディープインパクト、深い衝撃と言わずしてなんと雄二であったろうか。 きのうの午後6時ころ、すっかり日が落ちた夕暗がりのころ、テレビでは日本シリーズがなんとテレビ大阪から中継されていた。 テレビ大阪にチャンネルを合わせるのは今世紀初めてか。そんなアホな。しかしめったに見ないテレビ大阪なりき。ごめんね。 そのテレビ大阪が日本シリーズを放送しているころ関西テレビではサザエさんのスペシャル番組を放送していたのだ。 なにやら「サザエさん」の漫画が新聞に連載を開始して60年経ったというのだ。 ほう。そんなに長く。アッシは灌漑工事にふけった。おっかさんのためならエンヤコ~ラ。いや、感慨にふけった。 「アッシの生まれる前からサザエさんはあったんやのう」と。 あれから60年経ち、サザエさんは日本国民全体に知られる存在になった。見上げるべし。これはすごいことですぞ。うんうん。 そう。そこでの話なのだ。そのスペシャル番組の中で「サザエさん」登場の各人が自己紹介をする場面があったらしい。 アッシは日本シリーズも並行して見ていたので全員の自己紹介までは見ていない。 たまたまそこのオヤジさん、磯野波平さんの自己紹介の場面に出くわしたのだ。その最初、年齢紹介の場面でほとんど腰がくだけそうになるくらいに驚いてしまった。 「磯野波平、54歳です」 ギョヘ~!!! 磯野波平さんは54歳ということで描かれていたのう。頭のてっぺんに1本しか毛がないひとやで。両脇に申し訳程度に、のり弁当にひっついてるくたびれたノリのような髪の毛を従えているとはいえ。 少なくとも還暦はすぎたオヤッサンばかりだと思い込んでいたが。あのふけようは尋常ではない。 おもえば今のアッシより三つ年上だけではないかい。 しかし思えば磯野波平さんは会社勤めの身。60を過ぎれば定年になっているかに乗った少年。いや老年か。 その磯野波平さんのことではさらに衝撃が走り、かれには双子の兄弟がいることをきのう初めて知った。なぬ~!? 結構見てきたつもりのサザエさんではあったのに。 その双子の兄弟は極めて似ており、見分ける方法は頭のてっぺんの髪の毛が1本が波平さんであり、2本であれば波平さんでない方なのであった。 要は作者・長谷川町子さんの毛抜きである。もとい手抜きであろう。 思えば漫画で頭の毛が無いひとを描く方がはるかに楽であろう。線一本の一筆書きで波平さんの頭は描けるもんなあ。 長谷川町子さんが波平さんをふけ顔にしたわけはここにありか。 しっかし54歳なんて。あまりにひどい描き方。たはは。 アッシはその54歳にあと3年で届くんやで。 フネさんの自己紹介も聞いた。さすがに女性か。歳は50うんさいとゴモゴモと口ごもっていた。 まあ仕方がない。 波平さんとはお見合い結婚であったという。 常識的に考えて2、3歳波平さんよりは下であろう。 ということはアッシと同じ51歳かも~! フネさんもふけすぎ~。 困ったもん太&ブラザーミシンやで、全くさ。 あの戦争直後から描かれてきたサザエさん、当時の50歳前後の男女はこんな感じであったのかしらん。 しかし時代は進む。食生活も劇的に改善している。 当時の20歳か30歳が今の50歳であろうて。 その極めて顕著な素晴らしい見本がアッシである。 多くのひとは30歳前後と見誤るなり。 フネさんはアッシが同級生だとは信じもしないでしょうぞ。 おっほん。 最後はアッシの自慢になって終わりけり。 結局これをアッシは言いたかったんやな。たはは。 波平さんにフネさん、ふけすぎですぞ。
2005年10月24日
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♪北風吹きぬくう 寒い朝も~(テナモンデ!) こころひとつにぃ きょうもあああ(ソレカラドシタ!) 吉永小百合さんの「北風吹きぬく寒い朝もこころひとつにきょうもあああ」である。 そんな長い題名の歌はあらへんやろ。 おもうに吉永小百合さんがテレビのバラエティ番組に出たのを見たことがないな。せめてはあの持ち上げ式テレビのCMに出ているところを見るくらいやで。 スターはそうあるべきや。スターは私生活をさらすべきではない。雲の上のカスミを食っている仙人のような存在であらねばならぬ。 それをいまの役者や歌手連中はなにか。 本業を忘れて、バラエティ番組ばかりに出まくり、ふざけまくっている。 ナマの顔が出てしまう。失望してしまう。 なんやこんなひとやったんかいなあと幻滅してしまうのだ。 思えば作家連中もその顔写真を本のとびらなんかにさらすべきではない。 小説は想像の産物なのだ。読者に想像させてなんぼのものなのだ。その作り手の顔も想像させるのが作者の親切というものだろう。 この場合違っていてもなんの問題もない。 それをなんだ、今の書き手連中は。すぐに世間にその顔をさらす。消えろ、ボケー。 作家とはこれ、世間から隔絶された世界に棲んでこそ作家といえる。訳のわからん存在であるべきだ。そこに想像の余地もひろがるのだ。ああ。 おっと、小生はきょう何を書きたかったのか。 そや。きょうは寒いってことなの。 昨日の夜半から風不吉乗り、もとい「吹きつのり」、アッシのあばら家の壁や天井の板がプルプルプルプル濃い布のようにバタバタ、違う、子犬のようにかわいく(これが正解)ふるえたのさ。 つぶれるかと思ったほどの北風のふきようであったぜ。寒くもあった。大阪に木枯らしがやってきたのだ。 朝になった。そこでやおらアッシの口をついてでたのが吉永小百合さんの「北風吹きぬく寒い朝もこころひとつにきょうもあああ」であったのだった。 そんな長い題名の歌はあらへんやろ。 とにかく大阪は一気に寒くなった。 タンスの奥にしまってあった長袖のシャツ、そしてパッチを緊急に引きださねばならぬぞ。 そのパッチをはいてきょうもこれから働きに出かけねばならぬ。 これを英語では「パッチワーク」というであろうことは皆の衆もご存知の通り。 ああ寒くなってきました。冬もマジかよ。 ♪冬があ 来る前に(テナモンデ!) もう一度あのひとに~ めぐりああいたあい(ソレカラドシタ!) 秋ふかしイモですたい
2005年10月23日
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「大阪・東京間を5000円で往復する方法」の書き込みに気を取られ、大切なことを書き忘れていた。 めっちゃ大切なことなので遅ればせながらも書いておくぞよ。 散髪に行ったんじゃ、散髪に。おっほん。 どこが大切やねんと言うなかれ。アッシにとって年に2回はあっても3回はあるかどうかの大切な行司、ハッケヨイ、ノコッタノコッタ、若秩父~。いや行事なのさ。 前回の散髪は日記で振り返ると5月16日になっておる。そして次に行ったは4日前、10月18日の火曜日。 おお。5ヶ月ぶりの散髪かい。いいペース。たはは。 散髪に行く前の小生の髪は阪神の井川投手みたくになっていたんじゃ。それを清原みたいに全頭部そりアゲには及ばないまでも、めちゃ短くウスアゲ状に刈ってもらわんこそばするためにアッシは、イソイソとイソギンチャクのようにヘロヘロに伸びきった髪の毛をたらしながら、神戸へと向かったんじゃ。 こんな場合、例によって例のごとく例の歌が口をついて出てくるのはやむをえず。 ♪ボクの髪が~ 肩から伸びて 妖怪人間ベロになったらあ~ 気持ち悪いわ、肩から髪が伸びてきたら。 「肩まで伸びて」やな、この場合、うんうん。 肩まで伸びてついつい誰かれ構わずに結婚しようと言ってしまうほどに髪の毛が伸びていたんやな。アッシは神戸に向かった。 その神戸の元町にここ20年来アッシが通い詰めている散髪屋がある。阪神理容という。 ここが安いねん。調髪・ひげそり・洗髪、じぇ~んぶ含めて850円なり。だから行くなり。 しかしそこまでの交通費がかかるだろの疑問符あり。 かかります。大阪からJRで380円したもんね。往復で760円ですか。 でもいいのです。散髪代がやすければ。 またそこに行けば散髪のあとに神戸の街もうろつくことが出来ますからね。 港町・神戸を散髪をしたスッキリした頭でブラット・ピットするのがアッシの恒例行司、ノコッタノコッタ、若秩父の勝ち~。恒例行事なのさ。 空も晴れていて、海にその青さが宿っていたわさ。 風も涼しく穏やかであったなり。ただ切ったばかりの髪の毛はその風になびくことはなかったのだった。 ああ神戸の街に男前のマドロスひとり。 ある晴れた午後の日の話でしたあ。 また半年後、来るぜよ。たはは。
2005年10月22日
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「という訳なんじゃ大石どの」 アッシはその旅の相談中にオヤッサンから名詞をいただいていた。book、bat、box…。形容詞はbeautifulで接続詞はbutなんじゃ…。 違うだろ。名刺をいただいていた。これが正解。 その名刺は会社の役職の次に名前が書いてあり「大石猫語」と記されていた。 アッシは旅の相談中、常にその名前が気になっていた。 ついに我慢出来ず、その名前の件を切り出してみた。 「大石どの」 「なんでしょう」 「さきほどいただいた名刺の苗字の次に『猫語』とありましたが、そのままネコゴと読むんでしょうか」 「そう読んでくださっても結構です。大抵の人はそう読みますな」 「違うんですか」 「正式には『ゴロニャーン』と読みます」 「ゴロニャーン!」 「両親が無類の猫好きだったもので。子どもが生まれたら男でも女でもゴロニャーンと付けようと決めていたそうです」 「その犠牲にあなたが」 「大好きですよ、この名前」 「好きなの~!?」 「ただ学校でいじめられるのを親が憐れんで『猫語』と漢字にしました。親の愛情に包まれて育った私です」 変わった人が世の中にはおるもんやで。 ロシアの人名で「ゴローニン」などは聞いたことがあるが「ゴロニャーン」とは。 「愛称で言えばゴローになるでしょ」 「大石ゴロー。そんな人がいましたな」 アッシは遠い目になった。 「話を続けてください」 ゴロニャーンさんはアッシに旅の話をうながした。 「すなわち4200円で大阪・東京間を往復できることは分かりましたな。しかしこれはあくまでも大阪駅桜橋口の高速バスターミナルから東京駅八重洲南口の高速バスターミナルの間だけの話です」 「その八重洲南口から芳江はんの入院している病院まで歩きます」 「それはどこに」 「埼京線の浮間舟渡という駅のそばにあると聞きました」 「遠すぎるわ、ボケー。歩いたら2時間はたっぷりかかりましょうぞ」 「そんなに」 「この切符を使いなはれ。都区内フリチン乗車券といいます」 「裸で乗りますのか」 「もとい。都区内フリー乗車券といいます。関連のHPはこちら」 http://homepage2.nifty.com/NG/think/free01.htm 「一日分が730円で東京23区内を走るJR線の普通列車が乗り放題じゃ。浮間舟渡は北区にある。それで行きなされ」 「ありがたし」 「またそれがすんだら大田区の蒲田にぜひ行き、駅前の南蛮カレー屋でカレーライスを食いなされ」 「うまいんですか」 「うまい! ただ最近値上げして380円から430円になった。それがタマに瑕」 これすなわち往復運賃4200円と都区内フリー乗車券730円で4930円。見事、大石ゴロニャーン氏は東京に入院している愛する芳江はんを見舞いにいけることが出来るのであった。 「なにからなにまで」 「なんのこれしき布団敷き、ひばりが丘花屋敷」 「ではでは」 大石ゴロニャーン氏は満足顔で帰っていった。相談料をなにひとつ置いて行かずに。 「こらああ。カレーどんべえでも置いてゆけえ!」 その声はとどかなかった。ああ。 これにて大阪・東京間を5000円で往復する方法、完。 また遭う暇で暇での日々が合天旅行社にまたまた舞い戻ってきたのであった。
2005年10月21日
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さてさて「超得割青春号」の補助席を使って大阪・東京間を往復すれば2100円×2=4200円ですんでしまうことがお分かりいただけましたかの。 しかしこの4200円という数字、実際縁起悪いな。「死に」番号やもんなあ。 たしか病院では死を連想する4号室や苦につながる9号室がないところが多いと聞きましたが。車のナンバープレートにも4200や0042などは見かけへんぞ。 この補助席を使って東海道を往復すれば、あんさんは死にまっせという暗示なのか。 大阪駅の桜橋口のバスターミナルからその「超得割青春号」の補助席に乗って大阪・東京間を往復しようとする人には出征兵士を見送るがごとくに万歳三唱が起こり、日の丸の小旗が打ち振られるか。そんなバカな。 しかしある意味決死の覚悟がいる補助席往復ではある。 人は安きに流れ、水は低きに流れる。 思えばこの正シート利用の片道4200円も安いといえば安いのだ。 青春18きっぷで大阪を立ち、途中大垣からの夜行快速「ムーンライトながら」を使って東京に行った場合、青春18きっぷが二日分必要で、しかも「ムーンライトながら」の座席指定券の料金も加算されるので5110円かかってしまう。 それが「超得割青春号」の正シートだと4200円。千円近い差が出てしまうぞ。う~んマンダムの魅力ありんこさん。 それをさらにこの補助席利用でははるかにしのぎ2100円。 いいんじゃないでしょうか。 往復すると死んでしまうかも知れない補助席利用ですが片道だけでは椎間板ヘルニアくらいですむかもね。たはは。 ただこの補助席はその正シートが満席になって初めて売り出されるとか。 一台にその補助席は8席しか用意されていないのです。 う~ん。このあたり極めて微妙。この補助席は予約が出来ず。 行った当日に「超得割青春号」の正シートに空きがあれば売り出されんのでしょうな。 「キャンセル待ち」は聞いたことがありますが、この補助席は「満員待ち」でございまする。 しかしまあ、この「超得割青春号」、大抵満員になるでしょうぞ。運転されるのが祝日と休日とその前日となっていますからな。 そこでさてです。 8席ある補助席がすぐに埋まるのかどうかです。 このアッシですらたじろぐ高速バスでの補助席8時間半の旅路。さて他の多くの衆はどうなんでしょうか。 青春18きっぷの発売中はもちろん使いはしません。 しかしその他の期間は使うこともありかなと。 どうなんでしょう人気のほどは。 ああ補助席。正シートとの境はアメリカとメキシコとの国境の観ありか。 あちらには世界一優雅な大地がひろがり、こちらには貧困のちまたが待っているのか。ああ。 また寝にくいやろな。いや寝ることを考えたらいかん。 トイレの停車タイムには必ず席を立たんといかんやろな。 座っても背もたれが背中の半分にも達しないだろう。「腹もたれ」やん。 せやから2100円。往復で4200円の死に番号。うらめしやあ。表はハンバーグ屋~。 どうなんやろう。席の奪い合いになるのかしら、ならないのかしら。 毎日8席のバトルである。 アッシは1回はそれで往復したいとは思っておるがコルブト。 2回となるとどうか。生きていたらの話。たはは。 大阪・東京間を5000円で往復するのはかくもむずかしい。 しかし来月からバスでも出来ることになったんじゃ。 まずはうれしきことなりき。
2005年10月20日
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その切符を使う手段は実は鉄道ではない。バスなのだ。 JRの高速バスで名前を「超得割青春号」という。 その中身はなんなのかHPを見てもらうほうが手っ取り早い。 http://www.kakuyasubus.jp/super_youth/ この「超得割青春号」、グーグル等で検索したのであるが「得」を「特」にして「超特割青春号」と誤記しているページがかなり多い。ご注意あれ。 そやねん。そのHPを見ればお分かりのようにこういうバスが新たに登場するのさ。 東海道間の価格破壊もここまで来たかの観を受ける。 しかし。しかしなのである。ここで微妙な問題が発生する。 この2100円で乗れるのはそのバスの補助席に限られるのであった。 補助席かい! ギャホー。 アッシもこの長い人生経験で観光バスの補助席にすわったこともございまする。 しかしそれを夜行の高速バスの中で経験できようとは思いもしませんでしたな。 大阪駅桜橋口 22:50 ↓ ↓ 東京駅八重洲口 7:16 大阪から東京に向かうダイヤがこれです。ほぼ8時間半、補助席に座りづめかい。 しかもまたこの「超得割青春号」にはおそるべき機能が備わっている。車内にトイレがないんだとさ。きゃああ。 窓から代わる代わる放水するのかい。男性はいいが、女性は。 いや、このバスはトイレ休憩と称して2時間ごとにサービスエリアで停車するというのだ。 してくれよな。JR四国とちゃうねんから。 そう。JR四国の普通列車にはほぼ100%トイレが付いていないのであった。付けろよ。いやなら、ツボでもおいておけ。バカー。 JR四国には言いたいことが山ほどある。 しかしここでは話からかんなり離れることになる。 いつかどこかで。 長くなった。次回につなごう。
2005年10月20日
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