PR
Keyword Search
Freepage List
植木●そうすると、(不軽菩薩は)誰も語っていないのに法華経の声が聞こえてきて、それを素直に信受したということになる。それは、この菩薩の行ない、振る舞いが法華経の精神に適っていたということを意味していると思います。誰人も軽んじないその振る舞いこそが、法華経であったということです。
橋爪●全くそう思います。
植木●誰も語っていない空中から声が聞こえてきたということは、おのずからそれを自得したということです。あるいは、この菩薩の振る舞いが法華経の精神に合致していたということであって、ここには重要なメッセージが込められています。経典読誦など仏道修行の形式は満たしていなくても、誰人をも尊重する行ないを貫いているならば、それが法華経を行じていることになる。逆に、仏道修行の形式を満たしていても、人間を軽んじたり、睥睨しているならば、それはもはや仏教とは言えない。ここには、一宗一派や、イデオロギー、セクト主義などの壁を乗り越える視点が読み取れます。
橋爪●素晴らしい解釈です! それしか解釈はないと思います。
植木●不軽菩薩は誰人も軽んじず、「あなたも如来になる」といい続ける。そこでどんなに馬鹿にされても感情的にならず、寛容の精神で人を尊重し続ける。彼の行いを授記と言うかどうかはさておき、これこそが法華経の精神ではないかと思います。
橋爪●全く賛成です。
・低いカースト
橋爪●そのいっぽうで、不軽菩薩とは一体何者なのか。いっさい記述がないので、ちょっと気になります。
まず不軽菩薩は、テキストとして法華経を読んでいない。字が詠めるかどうかもわからない。臨終間際に、法華経を「聞いた」とは書いてあるけど、「読んだ」とは書いていない。字が読めたという確証がないんですね。
不軽菩薩がインド人だとすれば、どのカーストに属するのか。バラモンならサンスクリット語を読めただろうけど、バラモンではなさそうだ。金も身分もなさそうだから、そんなに上のカーストではないだろう。もしかすると、アウトカーストの人かもしれない。
不軽菩薩が歩いてくると、インドの人びとは、低いカーストの男がやってきたと思う。彼らは、人を色眼鏡で見て、やりそうなこと、考えそうなことを推測する。はじめからそういう偏った社会評価がある。軽んじられる人とは、インドの社会秩序の中で、価値を持たない人間のことです。
植木●確かに、身分とか特徴は何も書いていない。サダーパリプーダは、増上慢の四衆がつけた渾名で、本名はわからない。名もない菩薩です。
橋爪●彼は、誰をも軽んじなかった。バラモンやクシャトリアなど地位・身分のある人に対して、ケンカを売っているわけですよ。
そんなことはありえないでしょう。字も読めないし経も読んでないのに、なぜ「あなたは仏(覚った人)になれる」なんて言い回るのか。バカじゃなかろうか、ということで、石を投げられたり、棒で追われたりするわけですよ。でも不軽菩薩は、それでもめげない。そして最後は、誰にも理解されることなく一生を終えようとする。
そんな時に天から、法華経が聞こえてくる。彼は誰からも、法華経を教わっていないから、それを聞いたことがない。それなのに法華経が聞こえてきた。つまり、不軽菩薩のそのような生き方こそが、実は、法華経の教えに適っていた、と。そういう話だと思うんです。
植木●確かにその通りです。
【ほんとうの法華経】橋爪大三郎・植木雅俊著/ちくま新書
「ハイリスク」という快感——ギャンブルへ… November 6, 2025
アルコール依存症が起こる仕組み November 5, 2025
次の行動企画に心を湧き立たせる November 5, 2025
Calendar
Comments