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画家が手がけたお酒のポスター
青梅市立美術館 学芸員 田島 奈都子
時代を意識し、美を競う
日本におけるポスターの歴史が 19 世紀後半にはじまるものの、その制作と使用が本格化するのは 20 世紀に入ってである。そしてこれ以降、盛んにポスターを活用したものが酒造社会であった。もっとも、各社が美麗なポスター作りに邁進すると、自然とポスター間の競争もポスター間の競争も激しくなり、こうした状況がポスター用原画を、著名な画家や図案化に依頼することへとつながった。
例えば、 1914 年の《菊正宗》は、商品名が記されていなければ、大坂を代表する日本画家の北野恒富が、美しい着物姿の女性を描いた肖像画である。しかし、作品をよく見てみると、ふすまには商品名と重なる菊が描かれている。
画中にさりげなく商標や商品と重なる物事を入れる行為は、依頼主に原画を気に入ってもらうための工夫として始まった。しかし、後にポスター用原画を描く際の、「お約束」としてとして定着し、背景以外では主題が身に付ける意匠の柄や装身具のモティーフとして、それらはあしらわれるようになった。もっとも、ポスター上にはじまんの社屋や工場が描かれることもあり、 1910 年代後半以降はポスター画家として人気を博した、多田北烏による 1926 年の《キリンビール》において、盃洗をする新橋の名妓・まり千代の背景に拡がるのは、横浜市内に竣工した新工場である。
さて、日本人女性の間に洋装が普及してくると、当然のごとくこの現象はポスターにも影響を与えた。事実、 1935 年の松田富喬による《サクラビール》の主題は、背中の大きく開いたドレスを身に着けている。これは当時のアメリカにおける最新流行のスタイルであり、本作からは、北野恒富のもとで日本画家として修業経験を持つ作家富喬が、海外のファッションに精通していたことが見てとれる。ただし同時に、女性の右の手元には、商品名とも重なる桜の花が置かれており、富喬がポスター画家として活躍できた理由には、市民受けする見目麗しい女性像を描けただけでなく、こうした依頼主に対する心遣いがあったからと思われる。
ちなみに、洋装の女性は 1920 年代半ば以降になると、ビールやウィスキーのポスターにおいては主流となった。ところが、戦前期の日本酒や焼酎のポスターに、そのような女性が登場することはほぼなく、このあたりの違いはなかなか興味深い。
当代一流の画家や図案家が描いた作品を原画として、核時代の最新かつ最高級の製版印刷術を駆使して制作された戦前期のポスターは、その特徴から「美人画ポスター」と少々され、それらは今日の眼から見ても十分に美しい。ただし、ポスターは広告である以上、その役割を果たすべく、元が前述したような観点で工夫が施される場合が多く、その実態は拙著『百花繚乱の美人がポスター』(芸術新聞社、 2024 年)に記したとおりである。眼福を味わいつつ、作者が忍ばせた謎を解くことも、この種のポスターを鑑賞する際の楽しみの一つである。
(たじま・なつこ)
【文化】公明新聞 2024.7.24
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