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作家はつらいよ
歴史作家 河合 敦
五十歳のとき作家として生計を立てようと決意し、二十七年務めた教員を退職。しかし、出版の世界は厳しい。出版不況は危機的な状況で、「二〇二三年度 国語に関する世論調査」では、本を月に一冊も読まない人が六割を超えたという。このため出版業界の売り上げは右肩下がり、印刷される本の初版部数も減る一方だ。小説は創作だから書くのに時間がかかり、年に数冊出版するのが限度。幸い私は講演会やテレビなどの仕事をいただいているが、とても物書きだけで暮らしていけないことがわかる。
では、江戸時代の作家たちはどうだったのだろうか。江戸時代、作家に対して原稿料は支払われていなかった。もちろん、印税というものもない。版元は執筆者を遊里で饗応し、それが謝礼がわりだった。作家の多くは武士だったり、裕福な町人だったりするので、これで十分だったのである。
しかし山東京伝の黄表紙や洒落本が一万冊あまりも売れるようになると、版元は大もうけできるので、蔦谷重三郎が同業の鶴屋喜右衛門と相談し、京伝に原稿料を支払うことに決め、二社で彼の作品を独占したという。
ちなみに、『南総里見八犬伝』を書いた曲亭馬琴や『東海道中膝栗毛』を書いた十返舎一九辺りが原稿料だけで生活した最初の専業作家だといわれている。ただ、人気作家でも楽な暮らしはできなかった。印税がなかったからだ。いくら増刷しても作家がもらえるのは最初の原稿料だけ。だから作家は次々と作品を書き続けてなくてはいけなかった。たとえば馬琴は少なくとも二百数十冊の本を書いており、一九も売れっ子になってからは毎年二十冊以上の本を刊行し続けている。いまも昔も、作家は生きていくのに大変な職業だったわけだ。
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