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京都・嵐山で世界初公開
伊藤若冲 新発見の絵巻
福田美術館 学芸課長 岡田 秀之
果物や野菜をみずみずしく
70代で、色彩豊かに描く
伊藤若冲(一七一六~一八〇〇)は、江戸時代中期に京都で活躍した画家。京都の中心にある錦小路の青物問屋の長男として生まれ、二十三歳で家業を継ぎましたが、四〇歳頃に家業を弟に譲って画業に専念し、八十五歳で亡くなるまでの多くの作品を残しました。
昨年、福田美術館の所蔵となった伊藤若冲筆の(果疏図巻)。本作はもともとヨーロッパの個人が所蔵していましたが、昨年オークション会社を通じて入手した作品です。約三メートルの絹地におよそ五十種以上の果物や野菜が描かれた巻物です。一般的に、黄色や淡い赤色などは赤外線による退色や修理の時に使う水によって失われやすいのですが、二百年以上たった今でも淡い黄や緑、赤などが奇跡的に残っており、果物や野菜のみずみずしさが感じられます。本作の最後に記された署名に「米斗翁行年七十八歳画」とあり、また巻末に付けられた跋文が書かれた時期から、本作が描かれたのは寛政二年(一七九〇)以前と推定されています。七〇歳の若冲が描いた着色作品自体、数が非常に少なく、しかも本作の様な巻物仕立てで絹に彩色された絵は、同時期に描かれた重要文化財の《菜虫普》(佐野市立吉澤記念美術館蔵)しか確認されていません。しかも、本作がこれまで一度も過去のオークション図録や展覧会図録に掲載されたことがない未確認の作品であり、極めて貴重な発見だと言えるでしょう。
また、注目すべきは本作の巻末に書き添えられた跋文の存在です。記した若冲に多大な影響を与えた盟友で相国寺の僧侶であった梅荘顕常(大典)(一七一九~一八〇一)。そこには「果物や野菜の形を極め、色も備えた神のごとき才を宿した作品」であり、三〇年前から若冲と大典と交流していた「大阪の森玄郷からの依頼で制作され、玄郷が亡くなった後、その子ども・嘉続(「かぞく」もしくは「よしつぐ」)が梅荘顕常のもとを訪れ依頼した」ことなどが書かれており、親しかった若冲屁の想いと政策の経緯が判明する貴重な資料です。この大典の跋文には「寛政庚戌十二月十一日」に書いたとあります。「寛政庚戌」は寛政二年(一七九〇)で、若冲はこの年に数え年で七十五歳になります。しかし、本作に書かれている若冲の年齢は前述のとおり「七十六歳」です。これまでも若冲の署名の年齢と実年齢の間には差があることが指摘されていましたが、本作を描いた時点で少なくとも実年齢に一歳加算していたことが判明しました。わずか一歳の差ですが、伊藤若冲研究にとっては大きな進展です。
十月十二日から福田美術館で開催される展覧会では《果疏図巻》を世界で初めて公開し、同時に福田美術館が所蔵する若冲作品およびその三〇点と若冲の同時代に活躍した曽我繍白や円山応挙の作品も併せて展示します。本展が若冲の芸術世界をより深く理解し、その魅力を存分に感じ取れる機会になれば幸いです。
(おかだ・ひでゆき)
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