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創価学会へのライバル意識と危機感
初代会長の故・牧口常三郎らによって 1930 年に創立された創価学会は、戦後の 1955 年に初めて地方議会へと議員を送り、よく 1956 年の参院選では 3 人の議員を当選させた。
そして 1960 年、池田大作が第 3 代会長に就くと政界進出の方向性をますます強め、 1961 年には「公明政治連盟」を結成、 1964 年 11 月には公明党の結成大会を開き、大量の議員を一挙に政界へと送り出しはじめた。
1965 7 月 4 日の参院選では 11 人当選、同 7 月 23 日の東京都議選で 23 人当選、 1967 年 1 月の衆院選で 25 人当選、 1969 年 12 月の衆院選では 47 人が当選し、公明党が第 3 党に——。
この勢いを見れば、生長の家をはじめとするライバル宗教団体が危機感を募らせたとしても不思議ではない。(略)谷口雅春率いる生長の家政治連合(生政連)を結成して政界進出を本格化させ、日本の宗教団体の中では圧倒的な保守本流である神社本庁も 1969 年に神道政治連盟(神政連)を結成、自らの意に添う政治家を育て、支える活動に乗り出した。
神社本庁を中軸とする神道神社界は現在の日本会議を支える大きな柱であり、神政連にはその主義に賛同する超党派の国会議員でつくる神政連国会議員懇親会も存在して政界に隠然たる影響力を保持している。(略)
——そうして生長の家は 1964 年に生政連を立ち上げたわけですが、早大生の静稀さんたちが属していた学生連(生長の家学生会全国総連合)というのは、その下部組織ということになるのですか?
「違います。生長の家では、生長の家の真理を基盤としつつ、いろいろな分野に出て活躍すべきだという考えでした。だから政治家の集まりが生政連。他に芸術家の集まりや教育者の集まりもあって、大学生が学生連、高校生は生高連(生長の家高校生連盟)もあって、それぞれが一応は独立組織なんです」
——なるほど、その生学連や生高連が全共闘運動に対抗するために活動し、いまから考えると実に多士済々な右派学生運動を排出しましたね。現在の日本会議を事務総長として取りまとめている椛島有三氏はその代表的な一人です。
「ええ。地方議会にもそういう人たちはたくさんいるし、学者だと憲法問題で長く活躍している百地君もそうですね」
——日大教授の百地章氏ですね。集団的自衛権の行使容認に踏み切った安倍政管の安保関連法制をめぐり、憲法学者としては数少ない合憲論を唱えたのが百地氏でした。日本会議国会議員懇談会の枢要メンバーでも、例えば安倍政権の首相補佐官に就任し、首相のブレーンともいわれる衛藤晟一・参議院議員も出身の大分大学で全国学協の運動に参画していました。
「そのほかに高橋史郎君もそうです。僕が生長の家の学生道場にいた 4 年間、彼とは一緒でした」
——日本会議の役員を務め、復古的な家庭観を唱える「親学」の提唱者の明星大教授・高橋史郎氏ですね。ほかにもたくさんいるでしょう。日本会議の政策委員で、安倍政権のブレーンとされる伊藤哲夫氏も。
「日本政策研究センターの伊藤君ね。彼はお兄さんが生長の家本部に勤めていました。僕もお兄さんにいろいろ指導されましたね」
「日本会議の大本は生長の家」
ここでもう一度、補足をしておきたい。
日本会議やその周辺にいる生長の家出身者にかんしては、前章で類似の情報を記述したが、故人の侵攻や宗教的な属性に関する事柄は本来、それ自体を批判したりあげつらったりすることがあってはならないのはもちろん、情報自体が極めてナイーブかつ注意深く扱われるべきものである。
しかし一方、戦後日本の右派運動や日本会議の実態を検証するため、生長の家とその信者の具体的な動きは欠かせない情報でもあり、これを記述することは十分な公益性があると私は考える。また、ここで記したことは、すでに大半が公にされているものであり、実際にはこのほかにも戦後日本の右派運動や日本会議の内部、周辺に多くの成長の家出身者がいる。
さらに戦後日本の右派運動と成長の家の関連性について言うなら、三島由紀夫の「盾の会」に参画し、 1970 年に陸上自衛隊市谷駐屯地で三島とともに自刃した森田必勝も、 1960 年に日本社会党の委員長・浅沼稲次郎を殺害した山口二矢も、生長の家を率いる谷口雅春の思想に深く共鳴していたとされる。日本の保守政界の多数の重鎮たちも谷口思想の信奉者だった。
それほどに成長の家が戦後日本の右派運動に刻み込んだ足跡は深く厚く、本書の主題である日本会議も例外ではない。鈴木邦男へのインタビューに戻る。
——鈴木さんにとって、生長の家というのはそういう存在なんでしょうか。
「生長の家というのは当時、僕ら右派学生にとって、『宗教』という以前に、『愛国運動をやっているところ』だと思っていました。でもご存じのとおり、成長の家はずいぶん前に政治活動からは一切手を引いていました」
——ええ。だというのに学生時代、生学連などで活動していた人々が今も熱心に政治活動に取り組んでいるのはなぜなのでしょうか。
「みんな真面目なんですよ。特にいま、日本会議に関わっている生長の家出身の人たちなんて真面目です。だって、親が生長の家に入っていた人が大半で、親の薦めで高校生や大学生の錬成会に入った人だったんですから親孝行ですよ。普通、親から宗教団体の集まりに行けなんて言われたら反発するでしょう。それを素直に聞くというのは、やっぱりみんな素直ないい子ばっかりなんです。だから、自民党の先生方からも好かれるんです。
それに、彼らにはきちっとした運動能力がある。普通、右派の活動家というのは事務能力なんてないんですよ。その点、彼ら(生学連出身の人びと)は学生時代に培ったノウハウを持っている。椛島君なんかがその典型でしょう。ただ、みんな宗教団体の別動隊だと思われるのをすごく気にしていました。それは椛島君たちもそうでした」
——どうしてですか。
「だって、宗教団体といったら、それだけで取り上げられなくなってしまう。そういう目で見られたくないと考え、生長の家出身だとなかなか明かさなかった、でも、やっぱり生長の家は大きいですね。日本の戦後の右派活動の中でも占める位置が大きい」
——そうですね。実際、椛島氏たちが中心になってつくった生長の家系の全国学協があって、その派生団体が今も日本会議を支えています。ならは、日本会議の源流も生長の家だとみることもできると思うのですが。
「ええ、僕もそう思います。日本会議の大元は、生長の家だと」
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