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弱さとおろかしさ
物事は両面からみる。それでは平凡な答えが出るにすぎず、智慧は湧いてこない。いまひとつ、とんでもない角度——つまり天の一角から見おろすか、虚空の一点を設定してそこから見おろすか、どちらかしてみれば問題はずいぶんかわってくる。 『夏草の賦 上』
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「人の世の面白さよ」
庄九郎は具足をつけながら、からからと笑い、つぶやいた。
人は、群れて暮らしている。
群れてもなおお互いに暮らしていけるように、道徳ができ法律ができた。庄九郎は思うに、人間ほど可憐な生きものはない。道徳に支配され、法律に支配され、それでもなお支配され足らぬのか神仏まで作ってひれ伏しつつ暮らしている。 『国盗り物語 二』
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人は、いつも、自分をさまざまな意識でしばりあげている。見栄、てらい、羞恥、道徳からの恐怖、それに、自分を自分の好みに仕立て上げている自分なりの美意識がそれだ。それらは容易に解けないし、むしろ、その捕縛のひと筋でも解けると、自分の全てが消えてしまうような恐怖心をもっている。 『風の武士 下』
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(人はおれを利口なやつとよんできたが、人間の利口など、たかが知れたものだ、囚われになれば、どう仕様もない)
官兵衛が心から自分をあざける気になったのは、入牢して十日ほど経ったときである。
(知恵誇りの者がたどりつくのはたいていこういうところだ)
知恵者は、道具でいえば刃物のようなものだ。手斧で板を削り、のみで穴をうがち、鋸で木を切る。道具でもって家も建ち、城も建つ。なるほど偉大なものだが、しかし板にちっぽけな古釘が一本入っていたりするだけで刀はかけて道語はだめになってしまう。
(知恵など、たかが道具なのだ)
播州でおれほどの智者はいないとひそかに思っていたことが、なんだかばかばかしくなってきた。 『播磨灘物語 三』
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織部正は、その長い反省で一度も蹉跌ということのなかった、稀有の幸運児である。人柄も円満で、ほとんど、きずというものがなかった。惣内によれば、織部正は、おそらくそういう自分の人生や性格というものに、この歳になってようやく反逆を覚え、むしろきずやいびつのなかにこそ、美しさがある。 『人斬り以蔵』(「割って、城を」)
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「人間をごぞんじない」
継之助は、色のあわい、鳶色の瞳を大きくひらいていった。人間はその現実から一歩離れてこそ物が考えられる。距離が必要である。刺激も必要である。愚人にも賢人にも会わねばならぬ。じっと端座していて物が考えるなどあれはうそだ——と継之助はいった。『峠 上』
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「別あつらえの人間など、どこの世にいる。ただの人間だから、おたがい自分をもてあまして苦労している。 『峠 上』
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「人は、その長ずるところをもってすべての物事を解釈しきってしまってはいけない。かならず事を誤る」 『峠 下』
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人間の厄介なことは、人生とは本来無意味なものだということを、うすうす気づいていることである。古来、気づいてきて、いまも気づいている。仏教にしてもそうである。人間王侯であれ乞食であれ、すべて平等に流転する自然政体のなかの一自然物にすぎない、人生は自然界において特別なものではなく、本来、無意味である、と仏教は見た。これが真理なら、たとえば釈迦なら釈迦がそう言いっ放しで去ってしまってゆけばいいのだが、しかし釈迦は人間の仲間の一人としてそれは淋しすぎると思ったに違いない。
『ある運命について』(「富士と客僧」)
【人間というもの】司馬遼太郎著/ PHP 文庫
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